今日は確か、旧暦で、4月5日。
新月から、四日目。・・・
満月の夜が明るいのは、太陽に照らされた月が反射した光で地球の夜の部分を照らしているからですが、これと同じ事が月でも起こっています。新月に近い頃の月から地球をながめると、満月のような形に見えます。
月の陰の部分を照らし出らすのは、「満月のように輝く地球の光」。地球照(ちきゅうしょう)ですね。
資料
この現象は、地球で反射した太陽光が月にまで達し、その光がさらに月面で反射され、再度地球にまで戻ってくることによって生じる。 地球照は、地球で反射した太陽光が、月を照らすことによって生じるものである。月は大気や雲がなく岩石のみであり、満月が明るく見えるといっても、月のアルベドは7%程である。それに対して地球(月から望む“満地球”)は面積で約13.5倍大きく、アルベドが37%(雲や氷雪が良く光を反射する)である。月から望む“満地球”は、地球から望む満月の70倍も明るいことになる。
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日本の旧暦は天保暦である。ただし後述するとおり、現在旧暦として使われている暦は改暦前の天保暦とわずかに異なる。
天保暦は明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使われていた。その翌日の12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日に改められ、グレゴリオ暦(太陽暦)に改暦された。改暦は明治5年11月9日(1872年12月9日)に布告し、翌月に実施された。この年の急な実施は明治維新後、明治政府が月給制度にした官吏の給与を(旧暦のままでは明治6年は閏6月があるので)年13回支払うのを防ぐためだったといわれる[1]。今なお占いや伝統行事や水産業[2]などで需要があり、旧暦もしくは陰暦の俗称で用いられている(改暦にともなう混乱の詳細は、「日本におけるグレゴリオ暦導入」の節を参照)。
旧暦の計算は、江戸時代までは京都における真太陽時により暦の計算に必要な中気・朔の日時を経験的に知られていた定数や周期に基づいて求めていた。そのため閏月の付加や毎年変化する大小月(30日の大月、29日の小月)も毎年計算していた。
現在の旧暦で使っている時間帯は日本標準時(UTC+9)で、これは東経135度の平均太陽時とほぼ等しい。これに対し京都の経度は東経135度46分で、UTC+9:03に当たる。さらに均時差により最大±15分の時差が生まれる。また、天体の位置も天体力学(位置天文学)に基づく式で計算している。このため、江戸時代の天保暦によって計算した日付と現在の旧暦とでは日が1日前後したり月名が変わったりする場合がある。
なお明治改暦以降、正式な暦ではなくなったため国立天文台では改暦以前の新暦旧暦の対照には回答するものの改暦後の対照には応じない立場である[3]。一方、同じ国の機関であっても海上保安庁海洋情報部では非公式ながら2010年まで新暦旧暦の対照表を公表していた(2010年以降の公表予定はない)[4]。
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新月から四日目 地球照(ちきゅうしょう)
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