私はサガンよりも、デュラスや、モラヴィアの方が圧倒的に好き。
でも、日本人に好まれる何かが彼女のなかにはあるのだと思う。
資料フランソワーズ・サガン
彼女のペンネームはマルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』の登場人物から取られた。
ロット県カルジャクで生まれ、一家は第二次世界大戦の初期にリヨンに移り住んだ。彼女はその後ソルボンヌ大学に入学したが卒業はしなかった。
アメリカに於いて彼女は旅行を好み、トルーマン・カポーティとしばしば旅行し、1957年には自動車事故で重傷を負った。彼女は2度結婚している。ガイ・シェーラーおよびボブ・ウェストホフとである(それぞれ1958-60年、1962-63年)。そして、どちらとも離婚した。1963年生まれの一人息子Denis Westhof ドニ・ウェストホフは写真家である。若年期に成功し莫大な金銭を得た人物にありがちなことであるが、タチの悪い取り巻きに囲まれて生活し、薬物(鎮痛剤・コカイン・モルヒネ・覚せい剤の一種のアンフェタミンなど)やアルコールに溺れただけでなく、生涯を通じ過度の浪費癖やギャンブル癖も直らず、数百億円も稼いだのに晩年には生活が困窮した。このような破天荒な生活を続けていたため前科もあり、コカイン所持で逮捕されたり、脱税で起訴をされたりした。バイセクシャルでもあり、夫以外にも男女両方の愛人を持っていた。故に、国内外のゴシップ誌にスキャンダルを書き立てられることも多く、芸能人顔負けのゴシップクイーンでもあった。
カルヴァドス県エケモヴィルの病院で心臓疾患のため69歳で死去した。
作風[編集]
中流の人々のやや平穏無事な生活の描写で有名。彼女の最初の小説『悲しみよこんにちは』は1954年、18歳の頃に出版された。父親の情事に出会った少女を描いた『悲しみよこんにちは』は、出版と同時に世界的なベストセラーとなった。小説はサイモン&ガーファンクルの『サウンド・オブ・サイレンス』に影響を及ぼした。彼女は1996年まで多数の作品を発表し、その多くが映画化された(下記参照)。
ジャン=ポール・サルトルと交流が深く、作品には実存主義の影響が見られる。後半期、サルトルの死後に発表された『水彩画のような血』、『夏に抱かれて』では第二次世界大戦下のナチス政権、レジスタンス運動を題材とした。
2001年の映画『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ 』の登場人物マルゴット・テネンバウム(グウィネス・パルトローが演じた)は、彼女をモデルにしている。
資料 スウェーデンの城
ストックホルムから数十キロ離れた片田舎に、スウェーデンでも名家といわれるファルセン家の宏壮な城館があった。大きな湖の中に浮んだ島にそびえるこの城は、冬ともなれば雪で外界と完全に遮断されてしまう。城主ユーゴー(クルト・ユルゲンス)は、オフェリーという妻がありながら、若く美しいエレオノール(モニカ・ヴィッティ)との結婚を望んだ。そんな夫の仕打ちに絶望したオフェリーは湖に投身自殺を計った。これを利用したユーゴーは、オフェリーを死んだと称して葬式をすませ、城の一室に幽閉してエレオノールと結婚した。一方、エレオノールとその兄セバスチャン(ジャン・クロード・ブリアリ)は互いに、異常なまでに深く愛し合っていたが、兄の破産を救うために彼女はユーゴーと結婚したのだった。妹を溺愛するセバスチャンは、後を追って城にやってきた。ユーゴーも愛する妻のために、これを黙認した。そんなとき、ユーゴーの従弟エリック(ジャン・ルイ・トランティニャン)が城を訪れた。一家の歓迎を受けたエリックは、たちまち、エレオノールの妖しい美しさに魅了された。エレオノールも、そんなエリックに夢みるような視線を投げかけるのだった。やがて冬がきた。が、エリックのエレオノールに対する恋心は燃えあがる一方だった。そんなうちに、ある時、エリックは死んだはずのユーゴーの妻オフェリーに出会った。オフェリーから事の真相を聞きだしたエリックは狂喜して、エレオノールに結婚を迫った。が、これを知ったユーゴーは嫉妬に狂ってエリックの命を狙った。身の危険を感じたエリックは、ある夜城から逃走した。雪と氷と飢えの中に……。長い冬が終って春が訪れた。城に探訪記を書くという男が訪れた。エレオノールの夢みるような視線が再び男を誘った……。
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フランス映画「スエーデンの城」恋の終末
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