1950年代から1970年代にかけてのアメリカンポップス・ロックに影響を受けた、スタンダード、MOR (Middle Of the Road)としてのクオリティを追求した楽曲を制作し続けるミュージシャンである。また、日本におけるア・カペラ、ドゥーワップのオーソリティの一人であり、自分自身のヴォーカルを多重録音する「1人ア・カペラ」という手法を用いることでも知られている。
音楽作りに対する独自の制作姿勢から「職人」とも称される[1][2]。レコーディングではボーカル・バックコーラスのほか、編曲からギター、コンピューターの打ち込み、シンセサイザー、パーカッションまで1人で手掛けている。すべての演奏を1人で行っている楽曲もあり、特に16ビートカッティングを得意としている[3]。こうした背景に加え、自身の作品と竹内まりやの作品を交互に制作していることもあり、活動期間に比べるとやや寡作の傾向がある。
シュガー・ベイブのアルバム『SONGS』でプロデュースを手掛けた大瀧詠一のナイアガラ・レーベルでは、日本コロムビア時代の諸作品に、コーラスやストリングス・アレンジで参加。特に大瀧のソロ・アルバム『NIAGARA MOON』(1975年)や『NIAGARA CALENDAR』(1977年)に深く関わっている。またシュガー・ベイブや自身の作品制作の傍ら、1975年頃から他のシンガー、ミュージシャンへ楽曲提供を始め、近藤真彦の「ハイティーン・ブギ」(1982年)、KinKi Kidsのデビュー・シングル「硝子の少年」(1997年)や「ジェットコースター・ロマンス」(1998年)などのヒット曲を出している。
大瀧同様、レコード・CDコレクター、オーディオマニアであり、特に1950年代から70年代にかけてのロック・R&B・ポップスに関して造詣が深い。また、メジャーレーベル、インディーズを問わず、殆ど世に知られていない楽曲に至るまでその知識は豊富で、オリジナルのアナログ盤を中心に収集しており、所蔵総数は6万枚を超える。また、ソングライターマニアで、ラジオ番組『山下達郎のサンデーソングブック』(TOKYO FM)では、通常のリクエストやシンガー、ミュージシャン別の特集と共にソングライター別の特集(バリー・マン&シンシア・ワイル、リーバー&ストーラー、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィンなど)が組まれ、番組内では定番となっている。
ニックネームは「たっつぁん」、「クマ」。「クマ」は中学時代から20代にかけての呼び名。考えごとを始めると貧乏ゆすりを始め、落ち着きなく歩きまわる様子から。ステージ上で各パートのソロ回しが始まる時に片鱗が伺える。また山場に差し掛かるとファンからこの呼び声がかかる[4]。
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山下達郎 NON-STOP メドレー・まぼろしのDJ
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