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Channel:   心のサプリ (絵のある生活) 
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あくなき向学心「学問の模範」 99歳の桃山学院大聴講生、100歳誕生日の6日前に逝く 「名誉学友

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戦前の貧困で断念した勉強に励むため、90歳を超えてから桃山学院大(大阪府和泉市)に聴講生として通っていた男性が、100歳の誕生日の6日前に亡くなった。生前はつえをついて通い、教室の最前列で受講。病に倒れたときはリハビリで“復学”を果たし、勉学への執念をみせた。大学は男性に「名誉学友」の称号を作り、22日に授与式典を開催。「学問に携わる人間にとって模範だ」とたたえ、男性の次男は「おやじの集大成だ」と喜んだ。

 昨年12月5日、大阪市東成区内の会館で、近くに住んでいた村川信勝さんの葬儀が営まれた。遺族や友人が囲む棺には、村川さんが大学に行く際に背負ったリュックサック、筆箱、ノートなどが納められた。

 村川さんが聴講生として大学に通い始めたのは平成19年9月、93歳のときだった。つえをつきながら電車やバスを乗り継ぎ、ゆっくりした歩みで2時間かけてキャンパスに向かった。

 老体を支えたのは飽くなき探求心だ。「100歳、105歳になっても続けたい。勉強すれば、色々なことが面白くなるからな」。笑顔でそう語っていた。

 東京・浅草生まれ。小学校時代に関東大震災で被災し、実家は家屋や財産を失った。進学を望んでいたが経済環境が許さず、卒業後に親類の家で奉公した。
第二次大戦では衛生兵としてビルマ(現ミャンマー)に赴き、敗走中に浴びせられた砲弾や飢えで、仲間が次々と命を落とした。「なぜ戦争が起きたのか知りたい」。強烈な実体験に基づく疑問に向学心を駆り立てられていたとき、同大学の聴講制度を知った。

 願書の志望理由に、情熱が写し出されていた。

 「関東大震災やビルマ戦線への出征などを経験したが、知らないことが多くある。貴大学で勉学ができましたら、こんなにうれしいことはありません」

 教室ではいつも最前列の真ん中に座り、机の上にノート、細かい文字を読むためのルーペを置いた。板書は1文字も漏らさず書き写し、家では専門的な言葉の意味を辞書で調べながら講義内容を清書した。

 「親が一生懸命お金出しているんやから、勉強は十分にしいや」。学食で大学生を諭したこともある。

 国際政治史の講義で村川さんを教えていた法学部名誉教授の村山高康氏は「授業が終わると、私が教壇を下りたところで毎回質問に来られた。質問内容も的確だった」と振り返る。

昨年5月に肺炎を患い、1カ月半にわたり入院。階段を上り下りできないほど足腰が弱ったが、「大学に行く」と手足の筋肉を鍛えるリハビリに励み、9月に“復学”。だが老いにはあらがえなかった。

 「100歳の壁は高い」。11月24日、大阪市内の寺で行われた母親の法要で住職に漏らした直後、吐血して病院に搬送。12月2日になくなった。100歳の誕生日の6日前だった。

 大学で22日に行われた式典では、前田徹生(てつお)学長が村川さんをたたえ、次男の英雄さん(60)ら遺族に表彰状を渡した。

 「生きていたらどんなに喜んだか。今日はおやじの人生の集大成かもしれない」。英雄さんは笑顔だった。


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