読書について 他二篇 (岩波文庫)/岩波書店
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昔時計台の中に入った時に、北海道の開拓時に、とある学者が図書館にある本をすべて読んでしまい、その感想が、なにやら個性を失ったとか言う事を書いてあるのを読んで、ほぉーと思った。
この本に書いてある事も似ている。
つまり、本をただ読む事は、他人にものを考えてもらうことだと辛辣なことを書いている。
論語読みの論語知らずという言葉もある。
自分の体験を通じ、何回も何回も同じ本を繰り返し読んで、まさにその作者と対話をしているくらいに、作者が本の間からたちあがってくるほど、熟考しながらの読書というものが、今必須だと思う。
新刊書屋に行くと、たちくらみがするほどの本が積まれている。
それを見るだけで、もう本を読む気持ちが消え失せることもある。
小林秀雄氏がかつて書いたように、やはり、ひとりの作家を若き日の乱読ののちに、見つけたら、彼の作品を、手紙から日記から、推薦文まですべて一度は読んでみて、彼と対話・会話をしていると感じるくらいに、読み込むということが大切なんだと思う。
10人くらいの気になる作家を常に追いかけていくというのもいいかもしれない。
とにかく、この現代、21世紀は自分の頭で考える、体験というミソ壷に脳みそをさらにとけ込ませて、そこからどんな発想・自分なりの考え方が生まれるのか、発酵するまで、考え抜くこと、今考えていること。
前回も書いたが、人類が背骨でたちあがったという理由のひとつに、なんとしても、遠くを見たかったというのがあるという。
這いずり回りながら、遠くを見よう見ようとして、固骨を持つ爬虫類や魚類の祖先たちは、その立つ準備を骨の発育というかたちで、何千年もかけて、進化を促進させたということは、驚愕することだ。
血液や肉になっていくまで、読書から得たものが、発酵していくのはかなりの時間がかかるということだ。
Let's talk ダーウィン!~科学講演会「ダーウィンで科学を」
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読書とは他人にものを考えてもらう事である ダーウィン ファーブル ヘッケル
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