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Channel:   心のサプリ (絵のある生活) 
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Art Pepper-You'd Be So Nice to Come Home To

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こころのサプリ    アフォリズム=箴言集-img677.jpg


 アメリカにまだ奴隷制度があった頃、まさか、21世紀に黒人の大統領が生まれるなどと誰が想像したでしょうかね。

 肌の色で知能に差などないのに。
 
 それにしても、黒人のリズム感はたいしたものです。ここでも、白人のアート・ペッパーは、マイルスのグループでもあるピアノがレッド・ガーランド、ベースはポール・チェンバース、ドラムスはフィリー・ジョー・ジョーンズと一緒に、演奏しておりますが、肌の色など忘れて、この演奏は歴史的な名演になってます。

 鳥肌がたつ、といいますネ。
 これは、たぶん、こころがその作品から充電してもらっているんだナと思います。

 なぜならば、感動したあとのからだもこころも、軽くなります。
 それまで嫌々していたことまで、熱心に取り組んだりもできるようになりますしね。不思議なものです。

 アート・ペッパーはこの中で、なかなか、おもしろいことを言っている。

 「このアルバムでは私は完全よりも、感情をそのままあらわそうとした。何年もの間つみかさなってきた抑制をすべて捨てるのはむずかしいが、私はだんだんに、自分を解放しはじめている」と。

 最初の頃、音符さへ読めなかったアート・ペッパーは、「音楽の勉強をすればjazzのフィーリングを失ってしまうのではないか」と勉強をしなかった。

 そして、その気持ちを抑制して、次第に完全さをめざしていく。

 だが、たまには、このアルバムのように、抑制を取払い、自然な自分のこころを爆発させる時も
あるところが、聞く方にしてみてもまことに興味深く楽しいものですね。



◎資料

アート・ペッパー(Art Pepper、本名:Arthur Edward Pepper, Jr.、1925年9月1日 - 1982年6月15日)は、ジャズのサックス奏者。アメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデナ生まれ。
経歴[編集]
1940年代よりスタン・ケントン楽団やベニー・カーター楽団で活動を開始する。1950年代には自己のコンボを結成し、ウエストコースト・ジャズの中心的な人物として活躍した。
生涯を通じて麻薬中毒によりしばしば音楽活動が中断されている。1960年代後半を、ペッパーは薬物中毒者のためのリハビリテーション施設シナノン(en:Synanon)ですごした。1974年には音楽活動に復帰し、ふたたび精力的にライブやレコーディングをおこなった。
1977年に初の日本公演をおこなう。このときの日本のファンの熱狂的な歓迎にペッパー自身が非常に感動した様子が、3番目の妻ローリー・ペッパーによって筆記された自伝「ストレート・ライフ」(1980年)に記されている。それがきっかけなのか親日家であり、1980年には石黒ケイの「アドリブ」に参加した。
1982年6月15日、脳溢血により死去。
ディスコグラフィー[編集]
Surf Ride (1952)
Art Pepper Quartet (1956)
Art Pepper With Warne Marsh (1956)
Modern Art (1956)
The Art of Pepper (1957)
Art Pepper Meets the Rhythm Section (1957)
Art Pepper + Eleven (1959)
Smack Up (1960)
Getting Together (1960)
Intensity (1960)
Living Legend (1975)
The Complete Village Vanguard Sessions (1977)
Art Pepper Today (1978)
Live in Japan (1978)
Among Friends (1978)
Straight Life (1979)
Winter Moon (1980)
Roadgame(1981)
Goin' Home (1982)
Tete a Tete (1982)

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