エンデと語る―作品・半生・世界観 (朝日選書)/朝日新聞社
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エンデ氏は、「モモ」という作品を書いた時に、日本語の桃という響きの連想をまったく知らなかったそうです。
そして、そのことを聞いた時に、嬉しかったそうです。
彼は言います。
「忘れて変容した記憶が多ければ多いだけ、豊かな人格になります」と。
忘れるという人の行為の深さを彼は指摘しています。
記憶はたとえ、忘れたとしても、それは無意識の海のなかで、どんどん変容していく・・
たくさんの忘れられた記憶であって、それらはむすびあったりしながら、変容していき、
意識上に、ある日突然に、いろいろなイメージや、画像や、アイデアやファンタジーとして、
浮かんでくるといいます。
ここは、良いですね。
「忘れて変容した記憶が多ければ多いだけ、豊かな人格になります」
これは、気に入った文章センテンスです。
その過去の忘れ去られた無意識の海のなかのさまざまなる記憶から、彼は、ファンタジーをつくっていると・・・・
そして、それらは、未来へ反映している・・
だから、過去のこのような忘れられた変容の記憶の断片が多い人ほど、未来への反映となるというのですね。
この過去現在未来という発想は、主に現代人のなかでも、西洋人に強い、「飴の棒のように未来にのびる時間」という発想ですから、私の好きな、「神道の循環する時間」のイメージとは違いますが、理解はできますね。
ダリが時間を絵の中で、溶かしたのは有名なことですが、時間というのは現代人の最大の迷妄でしょう。
(もちろん私もまた、朝、アラーム時計のお世話になっている現代人のひとりですが・・・)
なつかしき「はてしない物語」シネマ。
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エンデと語る 忘れて変容した記憶が多ければ多いだけ・・・
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