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Channel:   心のサプリ (絵のある生活) 
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ファンタジア考

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私が生まれたのは戦争がおわって10年くらいしてからだ。
生まれた時期、生まれた場所が、アメリカならば、こんなディズニー映画を見ていたことになる。





幸いなことに、私は、アメリカにある意味骨抜きにされた日本に生まれて、この映画を小学三年生の頃に見た。よくも悪くも、私の時代はアメリカなんだと思う。


当時は、共同宿舎にすんでいた。
今でも、廊下の暗さがきわだつことや、(みんな貧しかったのでおそらくたいした照明をつけていなかったことだろうと推測される、)子供たちとそこを走り回り、階段をのぼったりおりたりしたことをはっきり思い出すことができる。風呂場が共同であったけれど、そこも壊れていて、近くの風呂屋にいったのも週に一度くらいだったと思う。私と妹は、部屋のなかの桶に入れてもらい体をあらってもらっていたのだった。
よく近所に怖いおじさんがいて、遊んでいるとうるさいなとおこられたものだった。
また、友達の母親のひとりに優しいおばさんがいて、そこにみんなで遊びにいくと、かならず、かりんとうのような「菓子」を、新聞紙にくるんで、ひとりひとりにくれたことを思い出す。


そんなときに、見た映画。昭和の30年代。
小学三年生だから、八時には当然、寝なければいけない時代。
それでも、週に一度のこのディズニーの番組だけは、父母が見ることを許してくれた。
妹と私は、仲良く、テレビの前に鎮座して、これを驚喜しながら見たのだった。

「ファンタジア」。 


おそらくこの番組を、宮崎駿氏は、20歳頃に見たのだと思う。
手塚治虫さんは宮崎さんよりも、ひとまわり上なので、おそらく30歳の頃に、見たはず。


 
 クラシック音楽なるものを生まれて初めてきいたのもこの映画がはじめて。


 北海道の片田舎、岩見沢市。


 クラシックの演奏する場所など札幌に行ってもなかった筈。
 jazz喫茶や、クラシック喫茶ができてくるのは、この時から10年後だし。
 レコード屋に行っても、たいしたものはなかった時代。しかも、おそろしくレコードは
 当時高かった。
 私の小遣いは、小学生の頃は、たしか、50円から100円くらいだったと思う。
 少年サンデーやマガジンやキングを二冊買えば、もうそれで一ヶ月はおしまい。

 だから、レコードの1000円というのは、とてもとても子供に買える値段ではない。

 それに、宿舎にすんでいる貧乏なる数十人の仲間のなかに、レコードプレイヤーを持っている人など誰もいなかった。
 テレビですら、まだ宿舎の中で持っているのは、半分くらいだったと記憶している。





 私が、好きなレコードをコレクションしはじめたのは、就職して、自分の給料で少しずつ買えるようになっていった、23歳頃からだった。



 そんなわけで、この映画には、自分なりの思い出がぎっしりつまっている。
 大学生になって、バイトの金にて、ひとりで、横浜の大きなスクリーンでゆっくり見たことも また忘れられない思い出。

 「ファンタジア」、ディズニーの最大の傑作だと思う。



















ファンタジア資料
1:「トッカータとフーガ ニ短調」(9:22) - J.S.バッハ
標題音楽ではないこの曲を起用した経緯については、ウォルトが「抽象的な音楽もやってみよう」と提案したことによる。そのため、抽象画の映画を作り、当時アメリカに移住していたオスカー・フィッシンガーの意見を取り入れつつ製作された。
2:組曲「くるみ割り人形」 - チャイコフスキー(13:30)
最初の2曲はカットされ、また曲の順序も一部入れ替わっている。
3:「魔法使いの弟子」 - デュカス(9:17)
4:「春の祭典」- ストラヴィンスキー(22:28)
舞台を人類時代の原始時代から、地球創世期~恐竜の時代に変更している。また、原曲の一部がカットされた上、順番が一部入れ替えられている。
休憩・「サウンド・トラック」の紹介。この「休憩」と「サウンド・トラック」の紹介は、1990年発売のバージョンおよび、現在日本で発売されているDVDではカットされている。パブリック・ドメインDVDには収録されている。
5:「田園交響曲」 - ベートーヴェン(22:00)
舞台をギリシャ神話の世界に求めている。第4楽章以外は短縮されている。
6:「時の踊り」 - ポンキエッリ(12:13)
担当者は研究のために動物園やバレエ公演に頻繁に通ったり、バレリーナの映像を参考にした上で製作された。
7:「はげ山の一夜」 - ムソルグスキー(7:25)
8:「アヴェ・マリア」 - シューベルト(6:27)
7と8はアニメーションがつなぎ合わされ(「禿山の一夜」の終わりの音と、「アヴェ・マリア」の最初の音が偶然一緒だった)、「光と闇」という壮大なラストを表現している。
歌詞は、本来ドイツ語のものを英語に直している(「アヴェ・マリア」)。
ちなみに、日本国内で販売されている1990年版のVHSビデオ及びDVDでは曲紹介の際、「シューベルトの」とすべきところを「バッハのアヴェ・マリア」とアナウンスするというごく基本的なミスを犯しているが、ハイビジョン・デジタル修復版では、ミスを犯していない。

ドビュッシー作曲の「月の光」[4]も作品の中に入るはずだったが、制作段階で削除された(戦後に公開された「メイク・マイン・ミュージック」の一部に使われた)。

作品中で公開時に在世していたのはストラヴィンスキーのみである。しかし、当時ストラヴィンスキーは米国に著作権を持っていなかったため、ディズニー側はストラヴィンスキーに『春の祭典』の使用許可を取る必要がなく、しかも大幅にカットして使用した。ストラヴィンスキーが米国に移住した後、しばらく自作の著作権取得に奔走していたのはこれが原因のひとつといわれている。

11人の監督、60人のアニメーター、103人編成のオーケストラ等、投入されたスタッフはのべ1000人、書き上げられた原画100万枚、録音テープの長さ42万フィート(うち映画で実際使用されたのは1万8千フィート)、制作日数3年と前例のないスケールでの製作となった。(コンピュータなど無い時代の人力で作られたアニメーション作品として最も手間のかけられた作品とも云われている。かかった制作経費が大きすぎて1970年代になるまではかけた投資が回収できなかったとも云われる。) 完成間近になって、ストコフスキーのアイデアでタイトルが「ファンタジア」と命名された。


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