たしか、坂口安吾の堕落論でしたか、大学生の頃に読んでいて、おっと思った言葉がありました。
堕落論 (新潮文庫)/新潮社
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要は、この人生。
結婚しても伴侶が病気でなくなることもあります。
私のように離婚してしまう人も。
乳がんやら子宮がんは、若い女性を簡単に拉致してしまいますものね。
だから、人生、孤独を故郷とする、そんな言葉でした。
人生に幸福や、ハッピーを求めるなんていうことではなく、もともと、私たちの故郷は孤独ということ。
孤独こそ、ハッピーなこと。
孤独こそ、私たちの故郷。そんなことが書かれていました。
いや、私は幸福な結婚をしていつも仲良しだというカップルもいることでしょう。
それでも、死ぬときは、ひとりです。
たとえ、手と手を紐でゆあえて、太宰のように心中しても、死ぬ瞬間、死ぬ瞬間は別々におきること。
私は、今は、安吾とは考え方がそこから違います。
安吾は、死ねばなくなると信じていましたが、それはあたりまえのこと。
では、なくなるとか、なくならないとか、そんな言葉で表現できないこともあるというのが、私の今の考えですね。
孤独は故郷ですが、そこからは各自の一人旅がまた始まるのだと。
キューブラ・ロスが講演で遠藤周作が聞いたこと。
死ぬと自分の愛する人、もの、なにか、に会える。
これはある意味で楽しみですね。
親なしにこの世に生まれた人はいませんから、友達もなく、家族もなく、親戚もなく、好きなペットもいなくても、死ねば、ご先祖様に会えるわけですね。
秋。
こちらは、カラスをはじめとして、様々な鳥たちが、電信柱にとまりはじめます。
森の中を歩いていると、昨年も、カラスが私の頭を狙って低空飛行をしてくるんです。
子供を守ろうとしているわけですね。
熊も札幌近辺にも出てきているようです。
栄養を体にたっぷり蓄えるためです。
コーヒーが美味い季節です。
好きな音楽を静かにかけて、ひとり、コーヒーを飲みながら、秋夜の沈黙と音の響きを楽しみながら、読書の喜びにひたれますね。
私は今、仕事がかなりきつくなっていますから、昔のように、時間をかけてゆっくり本を読むことができなくなってしまい、残念ですが、それでも、好きな作家の本を手にとって、言葉の魔術のなかに溶け込んでいくことの幸福をまったくしない日はありません。
時間の長さではないのです。
人間の肉体にとっては、ひとかけらのミカンを食すことは、大きなプールにたった一匙のビタミンを投入するようなものなのですが、それでも、それはすごい効果があることは誰でも知っています。
それと同じように、たった一言の言葉が、その日、一日の自分の気持ちや体を支えてくれるということがあるんです。
やりとげようと思えば思うほど、それはもう仕事とは思えなくなる。
THE MORE I WANT TO GET SOMETHING DONE
THE LESS I CALL IT WORK
リチャード・バック
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本はともだち
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