桜のはなびらの散ったあとの散歩
「さよならをもういちど」「消えた天使」『崖の上のポニョ』「ナンネル・モーツアルト」
You must train your intuition.
You must trust the small voice inside
which tells you exactly what to say, what to decide.
(Ingrid Bergman)
自分の直感を鍛えて・・そして、
あなたに、確かに、言葉・・決断・・
それを教えてくれる「内なる小さな声」を信じるべきよ。
イングリッド・バーグマン
「源氏物語」・・・・・・・
古典でも読んでいますが、やはり、最初の入り口は、漫画です。
文学でも、源氏物語はたくさんの作家に現代文に訳されていますが、
漫画にもたくさんの漫画家により、漫画化されています。
牧美也子や、江口、そして、確か画家でもある臣新蔵の源氏物語も良いのですが、
やはり、大和和紀の源氏物語は、たくさんの読者に読まれているのだと思います。
線が可愛いです。そして、歴史考証が確か。受験生も読んでいるそうです。
マンガの幅をまたまた、広げたマンガ。
大和和紀さんは、よく時代考証を考えています。
聞いた話しでは、この源氏物語のキモノやら、背景の建物などなど、実際に現物を見て、いいかげんなデッサンはしなかったと言いますから。
「はいからさんが通る」なども、妹が少女フレンドやマーガレットが、好きでしたのでよく借りて読んだものです。
なつかしいです。・・・・・・・・
あと、私が感心する歴史もののマンガ作家としては、やはり安野ももこ。
シンクロはほんとうにあるもので、彼女について、調べてみると、やはり好きな作家の赤い糸はあるもので、彼女の親戚は、小島功・・・・・・私の大好きな漫画家で、昔から彼の作品はコレクションしてきました。
内田百閒、岡本綺堂、谷崎潤一郎、寺田寅彦、永井荷風、夢野久作、澁澤龍彦らが、彼女のフェボリット。これもいいですね。
寺田寅彦なんかが入っているのも、渋いです。
彼のエッセイはすごいです。
旦那さんは。庵野秀明というのもいいですね。
また、彼女が、岡崎京子のアシスタントをやっていたというのも、驚きですが、
よくよく考えれば、なるほどなと思えるエピソード。
彼女の「さくらん」は、線が好きです。
よくここまで、キモノを描いているなと、
ある意味、百物語の、杉浦 日向子と、雰囲気はまったく違いますが、
どちらも、日本のマンガのある意味、宝でしょう。
・・・・・・・・・・・・
古典映画見ました。
「さよならをもういちど」
この映画は傑作である。何回見ても、ひきこまれる。
なんという美しい画面だろう!!!!
サガンの本はよく売れる。
今でも日本でも、絵画といえば印象派が人気があるように、サガンは人気がある。
どうしてだろうか?
彼女のように、道徳的には、前科をもっていたり、麻薬などに溺れたり、ギャンブルや、消費癖が強烈にあるようなタイプが、どうして好かれるのか。
それは、彼女は立派で、尊大な影響を感じさせるというよりも、なんとなく、可哀想という気持ちを読者にいだかせるからだと、私は個人的に思っている。
それに、彼女は孤独の香りがする花のようだとも。
プルーストの小説からとったこの名前がまた良いと思う。サガン。コワレという本名もまた素敵だと思うけれども、やはり名前も日本人に親しまれやすのだと思う。
それゆえに、彼女の原作は、はっきり言って、「深さの落ち着き」というよりも、刺がたくさんある薔薇のように「表面のたゆたい」みたいなものがあると思う。
だから、シネマによくあうのかもしれない。
イングリッド・バーグマンのタバコを吸う姿は、まったく似合ってはいなかったが、(松たかこのタバコが彼女の似合わないように・・・)彼女が、「私はもう若くはないのよ」と階段から去っていくフィリップに叫ぶシーンは泣ける。
「インタヴュー」
フランス語と英語のインタヴュー。
これもまたまさに年を感じさせるけれども、彼女はじつに映画人としてどうどうとしていて、素晴らしい。
バークマンと言えば、「カサブランカ」を連想する人が多いとおもうけれども、「戦争と平和」のヘップバーンではないけれども、彼女もまた、演技の幅の力はものすごい。なんでも演じることができるのだ。
イヴ・モンタンはフランス人に多いイタリア系ラテン系の遊び人。
そして、シネマの結末は、恐ろしいくらいに、平凡。それでも、素晴しいのだ。
この映画で人生を感じ、人生の深さを知り、神秘感覚に包まれるようなことは最初から期待はしていなかったけれど、フランス映画の軽妙な会話、ユーモア、男女の心理劇、が十分に盛り込まれていて、楽しめる。
このシネマは、1961年に日本初上映。
私が、7歳の頃の古典シネマである。
たしか、私が、中学生の頃に淀川長治解説で、テレビで見たのだと思う。
今、再視聴して、イヴモンタンと若き恋人、ポーラとフィリップが、チークダンスを踊っていて、イヴモンタンがポーラの手を握るところが、この映画のクライマックスとも言えそう。
カポーティとも旅をし、サルトルとも交際があったという、当時の才女。
もう少し、晩年になってからの成功だったら、もっと幅の広い、才能だけではなく、経験とimaginationと、深い味を出せる作家に変容していたかもしれない。
もちろん。それが良い悪いではなくて、彼女はやはり彼女以外の何者でもないのかもしれないが。
誰よりも草原で早く、美しく咲き誇り、蝶に吸い取られる蜜をたっぷり蓄えた華麗な花は、枯れる時は無惨かもしれないが、人は密かにその花の過去を愛するものだと思う。
人生はひとつの思想では生きてはいけない。
涙とともにパンを食べた人でなければ人生の味はわからない。
不思議に、このシネマを見ながら、このゲーテのふたつのアフェリズムを思い出していた。
「イングリッド・バーグマン」
記憶の細部。
◎パーキンスのあの細いからだ。ひかるげんじ、情熱のみの子供の無垢。母への何かのトラウマ。
◎イヴ・モンタンの現代病。征服欲としての男性の性。
◎当時の一人で生きていける力を持っているのにかかわらず気持ちの弱い女の心。
年齢と恋。
◎ブラームス。モーツァルトやバッハではなくて、ブラームスという発想。なるほどと思う。
◎パリ社交界の裏側。空気や庶民心理・上層階級心理・小間使いという視線。
◎資料
イングリッド・バーグマン
アカデミー賞を3回、エミー賞を2回、トニー賞の演劇主演女優賞の受賞経験があり、AFI(アメリカ映画協会)選定の「映画スターベスト100」の女優部門では第4位となっている。バーグマンが演じた役でもっとも有名な役と言われているのが、ハンフリー・ボガートと共演した『カサブランカ』(1942年)のイルザ・ラント役とケーリー・グラントと共演した『汚名』(1946年)のアリシア・ヒューバーマン役である
次の映画は「ポニョ」見ました。
『崖の上のポニョ』
『崖の上のポニョ』(がけのうえのポニョ)は、スタジオジブリ制作、宮崎駿監督の長編アニメーション映画。宮崎の長編監督作品としては2004年の『ハウルの動く城』以来4年ぶり、原作・脚本・監督のすべてを担当するのは2001年公開の『千と千尋の神隠し』以来7年ぶりの作品。
海沿いの街を舞台に、「人間になりたい」と願うさかなの子・ポニョと5歳の少年・宗介の物語。
宮崎さんは、あの優しい風貌に似合わず、哲学的な部分を持っています。
たぶん、私は、彼の政治的な信条については、あまり興味は持てませんが、
なかなか自分の作ったアニメを認めてもらえず、その苦労の苦労の上の、今の宮崎さんが
あるのだと思います。
手塚治虫ではありませんが、アニメというのは、金食い虫で、ちょっと間違えると、
悪魔の道につきすすむ、そんなきわどいアートかもしれません。
ポニョが海の上を走るシーンで泣けました。
アニメの力はすごいです、世界の人がこのアニメを見た事でしょう。
ある意味、手塚治虫氏が種をまいて、宮崎駿氏が、実を実らせた・・・・・そんな風にも個人的には考えています。
このクリップには、笑えます。
次に見た映画。
「消えた天使」です。
これは、見ることをおすすめしません。
救いのない映画です。
見たあとに、暗くなること確実。覚悟してみることです。・・・・・
公共安全局で長年働いてきたエロル・バベッジは、引退前に後任のアリスン・ラウリーの指導を上司から言い渡される。
アリスンがバベッジのやり方に反発する中、ある若い女性が行方不明になる事件が発生する。その女性の家出が疑われる中、バベッジは自分が監視している犯罪者の中に犯人がいると考えていた。
<エロルは英雄か、そんなことはない、この中で感じたことは、神話の中にこれのテーマを扱ったものはないのかということ、それから、人との違う味覚は果たして幸福か、ということ、それと、三島のいうビジュアルの危険性、それと、フロイトとマズローの比較、やはり生活.......>と、時間がなかったので、メモをしてあったこの映画は、「消えた天使」である。
香港映画はこれまで食わず嫌いだったので、ファイナル・アフェアという映画があることすら知らなかった。アンドリュー・ラウ監督いう名前も知らず反省。
「頭文字D」「デイジー」に続く、米国の犯罪累犯者とメーガン法を題材にしている。
アメリカでは犯罪累計犯者が異常に多いらしい。したがって性犯罪者の行政登録と情報公開を義務づけているらしい。
ニューメキシコの荒涼とした風景を背景に事件は進むのだが、私は基本的に「ご縁」がある作品しか見ないので、これはリチャード・ギアがファンなので、その棚を探していたらこれが見つかったというわけである。
最近の日本の幼児殺人事件や、虐待死された子供の事件が新聞をにぎわすごとにこの映画を思い出すことになると思います。
それだけ、映画の情報量は本とは比較にならないほど、強烈に多い。
三島の言っていた言葉と違い、視覚がメインの映画は圧倒的に見るものを即行動に駆り立てやすい構造を持っている、ということを思い出さなくてもこの映画は女・子供は見る映画ではない、そう感じた。
いわんや、血の気の多い男子は見ない方がいいと思いますね。
美輪さんも言うように「美しい」ものを見る、「美しい」ものを読む、それが人生幸福になるひとつの方法です。
あえて、こんな残虐な映画を見ることはない、そんなことを考えました。
リチャード・ギアは、敬虔なる仏教徒なんです。それも好感が持てますね、ダライ・ラマ14世を必死に支援するのもうなづけます、そのあたりの感性も私は好きなんです。
「北京の二人」も良かったなあ。
「プリティ・ウーマン」も好きです。
小泉首相によく似ておりました。顔が。
シンディ・クロフォードと五年で愛の別れのピリオドをうち、再婚はしてはいますけれど、その相手のキャリー・ローウェルもまた三回目の再婚です。
この映画の問題提起になっているメーガン法については、私の知識はメーガンという少女が強姦殺害されたことをきっかけとして1954年に確か設立された法律というぐらいしか知りませんので、ここでは書きません。
ただ、日本は性犯罪の再犯率はどうなんでしょうか。一説には、アメリカと違い、地域の目がまだまだあるので比較的に「ひきこもり」になる確立が高いと聞いておりますが、これからは、そうも言っておられないでしょう。
若いお嬢さんを持つ家庭の母親は、どんなタイプの男が性犯罪を犯すのか、もちろん見たからと言って、何ができるというわけでもありませんが、防衛にはなるでしょう。
私は、このエロルの味方です。
あとは、ギリシャ神話にこのテーマがないのかどうかを調べる予定。
もうひとつは、このような不幸な生い立ちの人間がその環境を破壊できずに、遂には世間的な生活が出来ない人になっていく場合、フロイトの心理・病理学が役にたつのでしょうが、私はマズローのように、普通の人は病気の人を調べるのではなくて、健康ではつらつとしている成功者の共通点を調べた方が懸命だと思っております。
それでもまだ、病気の方に興味がある方は、勇気を持って調べてください。
その際は、この映画の中にも出てくる言葉、
「怪物を研究する場合自分自身も怪物にならないように気をつけること」を思い出すこと、そうしないと、二度とその世界から出て来れなくなるかもしれません。
次なるは、自閉症の世界。
東田 直樹(ひがしだ なおき、1992年8月12日[1][2] - )は、日本の作家・詩人・絵本作家。千葉県君津市在住。会話をすることができない重度の自閉症者である。またパソコンや文字盤などの助けを借りて自分の意思を外部に伝達することができる。自閉症患者自身の意思伝達に成功し、自閉症患者が何をどう受け止め、なにを考えているかを、健常者に伝えることに成功した少ない中の一人であり、特に子供の年齢による著作は例がなく、多くの関係者に貴重な情報として受け止められた。
自閉症の男の子が、グリム童話賞を二回連続で受賞したというのは、誰もが知っていることであるが、
その特集をみて、本人のすごさもさることながら、母親のヘレンケラーの先生であったサリバン先生並みの
愛情と工夫と情熱には頭がさがり涙さへ出た。
やはり、女性は偉大だと感じた。
男も女も、なにも、華々しい世界にだけにデヴューすることが人生ではないと思う。
限られた、自分だけの、小さな小さな、世界のなかで、自分なりに、まさに、
「一所懸命」創意工夫することで、これだけ偉大なことをすることができるのだと思う。
母の力だ。
『奇跡の人』(きせきのひと、the Miracle Worker)は、三重苦の障害を克服したヘレン・ケラーと彼女に奇跡を起こしたミラクル・ワーカーである家庭教師アニー・サリバン(アン・サリヴァン参照)を描いた、ウィリアム・ギブソン(同名のSF作家とは別人)による戯曲。アン・バンクロフト(タイトル・ロールであるアニー・サリヴァン)とパティ・デューク(ヘレン・ケラー)が演じて1959年に初演された。
NHKの、彼についてのドキュメントを見ましたが、圧倒的なドギュメントでした。
これは是非見てもらいたい、素晴しいドキュメントです。
クリップは三つあります。
アイルランド作家が、彼の存在に驚愕して、本にするのです。・・・・・・
これらを見て考えるに、僕らはこの世界にほんとうの意味で「生み出されている」のだなあと感じた。
そのシステムと遺伝子のからくり、それらはすばらしい巧妙さを持っていることにあらためて感動する。
そして、特殊学級ではなくて自分自身が一緒になって、普通の学校に子供を行かせ、一緒に勉強し、サリバン先生が手で会話したような、キーボード手話みたいな新しいコミュニケーションのノウハウまで開発し、勉強道具はすべて手作りで、彼は精神だけはこの世に生まれでてくることになったのだ。
そして、自由に脳の中だけでこの世に存在しているかのような彼は、こう言った。
「言葉で言おうとすることが動作にならないんだ・・・」と。
言葉と動作のリンク.つながり、まるでこのことは、言葉が脳の指示であり、無意識の意識であり、そして動作はこの世の現実に合わせて生きていくということになるだろう。
しかし、我々だって、酔うと、言葉と考えたことが、動作になかなかむすびつかず、暴れてしまうことはよく経験するだろう・・・10歳の彼はそんな状態なのだろう、そして脳という宇宙のなかに彼は閉じ込められている、まさにその意味では、「自閉」というよりも「閉鎖」性なのかもしれない。
以前、東田直樹君について記事を書いていて、
彼は今中学生になり、千葉に住んでいるらしいですね。
いつものように、夜の10時に仕事も創作もなにもかも止めて、階下へ降りて風呂にはいり、ビールを飲んで、ぼんやりしていたのですが、たまたま、テレビをつけたら、東田直樹君がでていました。上のクリップはそのときの記録です。
たまたま、サヴァンについて書いていたので、やっぱり共時性が働いているんだなあ、としみじみ思いましたが、その番組もよくつくられていました。
その東田直樹君の本をたまたま、これも偶然に日本で発見して、アイルランドの著名な作家さんが、自分の子供も自閉症だということで、その本を読み込む。
すると、自分がこれまで、自閉症の子供に接していたことと、東田君が自閉症という肉体のなかに閉じ込められていて、そこから母親の奇跡の知恵と創意工夫の紙のキーボードを使う事で、飛び出していこうとする彼の精神を比較して、大変なギャップに気がついたみたいなんですね。
自閉症の子供の心がわかる。・・・
洋書の題名は、昨日Amazonで、確認しましたが、この本です。
The Reason I Jump: One Boy’s Voice from the Sil.../Sceptre
¥2,424
Amazon.co.jp
kindleでは、1000円以下で、買えますので、・・・・・・・。
世界中の自閉症の患者に今読まれてるそうです。直樹君、良かったです。
わたしなぞ、少ししかこの世界のことは知りませんが、
おそらく、自閉症の深く閉じてしまっている魂の世界の森の奥から、
「言葉」という武器を自在に使用しているのは、日本の彼、直樹くんだけでしょう。
アイルランドのミッチエルさんはユーモアをこめて言っていましたが、
今、日本のハルキ、ミシマ、そして、ナオキなんだと。
紙のキーボード。
これは、過去記事にも書きましたが、母親がつくったらしいのですが、
彼は、まるで、難病で喋ることのできなかったたとえば物理学者のホーキング博士が、
精密な機械をつかって、声を発しているように、ナオキくんは、この紙のキーボードを
楽しそうに、そして、苦しみながら、詩人のように、ひとつひとつ、単語を生成していきます。
これを見ていて、涙がでてきました。
たった、相手に伝える言葉の文章のつながりが、指で、ひとつひとつ、なぞらえて、やっと言葉として、相手に伝わるわけですから。
しかしながら。
彼の言葉のなんと丁寧で、愛にあふれ、的を得た、無邪気な言葉なんだろうか!!!!!
これは、母親と、ナオキくんの、小さな頃からのまさに、合作の習慣。
合作の創作。合作の知的生活なんだなあと、考えて、涙がとまりません。
日本のお母さんは、すごいや、そんなことも感じました。
ヘレンケラーにこの世界の実在を教えた、サリバン先生のように、ナオキ君のお母さんは、
いつでも、彼の隣で、もの静かに、優しく微笑んでいました。
ふと思った事です。
普通の子供は、自分の気持ちをわりあい自由に、表現できて、そのような子供たちは、
当然勉強もできて、そのまま社会にでて、幸福なる人生のレールを歩くのでしょうが、
いつか、人生の試練がやってきて、挫折しそうになった時には、この、ナオキくんの
ことを思い出すのはどうでしょうか・・・・
彼の自閉症という小さな魂の宇宙に、まるで硝子玉のように閉じ込められている彼のことを思えば、どんなに苦しいことでも、きっとたいしたことじゃあないな、そう思えるのではないでしょうか。
そう私は個人的にですが、思って、自分も頑張ろうという気持ちに、素直になれました。
おわり!!!!! 彼もそう大きな声で、昨日、叫んでいました。
「自閉症の男の子が、グリム童話賞を二回連続で受賞したというのは、誰もが知っていることであるが、
その特集をみて、本人のすごさもさることながら、母親のヘレンケラーの先生であったサリバン先生並みの
愛情と工夫と情熱には頭がさがり涙さへ出た。
これらを見て考えるに、僕らはこの世界にほんとうの意味で「生み出されている」のだなあと感じた。
そのシステムと遺伝子のからくり、それらはすばらしい巧妙さを持っていることにあらためて感動する。そして、特殊学級ではなくて自分自身が一緒になって、普通の学校に子供を行かせ、一緒に勉強し、サリバン先生が手で会話したような、キーボード手話みたいな新しいコミュニケーションのノウハウまで開発し、勉強道具はすべて手作りで、彼は精神だけはこの世に生まれでてくることになったのだ。そして、自由に脳の中だけでこの世に存在しているかのような彼は、こう言った。
「言葉で言おうとすることが動作にならないんだ・・・」と。
言葉と動作のリンク.つながり、まるでこのことは、言葉が脳の指示であり、無意識の意識であり、そして動作はこの世の現実に合わせて生きていくということになるだろう。
しかし、我々だって、酔うと、言葉と考えたことが、動作になかなかむすびつかず、暴れてしまうことはよく経験するだろう・・・10歳の彼はそんな状態なのだろう、そして脳という宇宙のなかに彼は閉じ込められている、まさにその意味では、「自閉」というよりも「閉鎖」性なのかもしれない。」
私が彼に惹かれたのは、彼が脳の中に閉じ込められているんだという気持ちがしたのですね。
そこから出てくるためには、母親の力が必要で、普通の子であれば、自力で出てくるのですが、
彼の場合は「何か」の鍵がこころや脳にかかってしまっているというわけです。
以前、松岡正剛さんが町である男性に出会い、「見事なパフォーマンス」をしている、と表現したその男性は世間的に見ると「身体障害者」とよばれております。
でも松岡さんの人の可能性にもとづく、いわゆる「普通」からずれている人たちへの、深い気持ちが感じられました。
この少年も、自閉症と言う名前が悪いんですね、ただ、そこから出て来れないので苦しい、その気持ちを表すと「急に手をうったり」「大声」を出す行為になるんですよね。
それを見て人は、気持ち悪いとかいいますが、誰でも酒飲んで街角で大声だしている人がおりますよね。
手をはたいたり、足をあげたりして、楽しそうに踊ったりしますよ。
あっ、あの人は「酔っぱらっている」から、誰も、変だとは言いません。
でも、自閉症の子がそれをすると、顔をしかめたりします。
私は心理学やその自閉症についての研究家ではありませから、詳しいことも専門的なこともわかりませんが、「普通」の人というのは、良い意味で、「常識」=こんなことを今するのは変だと思われる、これはやはり少しみっともない=という「ものさし」に基づいて行動しているのですから、その「ものさし」で自閉症の子供さんを見ると、不気味に見えるのでしょう。
しかしながら。
彼らのような人は大なり小なりどこにでもいます。
その自閉の要素が、いわゆる普通のこころの中にどれぐらい含まれているかです。
だから、ものさしの幅を大きく拡大していけば、彼らの行為行動がなんのことはない人の潜在意識やらの拡大につながることもありはず。
奇声を発するのも寂しいという意志の発露。
だれだって寂しいのですから。彼らはそれを隠そうとはしないで出してしまう。そして自分は隠す。
サリバン先生も驚く彼の母親が考案した筆の手作りの文字盤なども愛なくしては作れないものです。
彼はこの地球にいる仲間たちへこんな詩を書いています。
勝手気ままに見えるけど、僕らはいつも一生懸命。
みんなと仲良くなれないけれど、僕らはとても人が好き。
僕らのことを分かって下さい。
お願いだから。
僕らは信じていたいのです。
僕らにもみんなと同じ未来があると。
彼らは私たちと同じ、魂なんです。
そうして人生をなめたりしていません。
ひょっとしたら、この東田君とかアシュリーとか光君とかは、人類への警告として神様が特別に地球に送った大使なのかもしれません。
「もっと五感を広げなさい、と」
「広げれば、偏見やら窮屈なる誤謬から脱することができますよ、と」
「彼らを見てください。人の可能性は無限界だ、と自閉症の僕が跳びはねる理由―会話のできない中学生がつづる内なる心/エスコアール
妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション)/晶文社
¥3,067
Amazon.co.jp
この本のなかにも、克明に書かれていますが、
知的障害。
さまざまなる障害。
しかしながら。
それらの障害をとりのぞくことによって、彼らは、普通の人間にもどっていくのだけれども、人間としての「中心」みたいなものが喪失していくような気がしますね。
コルサコフ症患者やら、トゥレット症やらの患者のことが描かれていて興味深いです。
もちろんサヴァンの患者のことですが、・・・・・・・・。
サヴァン症候群。
この病気も最近は、映画などを通じてか、(レインマン)よく知られているようになったが、サバはフランス語で「やあ元気」、サヴァンは「ものをよく知る」あるいは「ものをよく知っている人」=学者という意味ですね。ですので、イメージをわかりやすく言うと、「天才になる病気」というわけです。
1952年アメリカ人のレスリー・レムケさんは、生まれた時に未熟児で、脳性麻痺で精神障害が残り、盲目でもありました。
でも、彼は、14歳頃から一度しか聴いていないクラシックの名曲、たとえばチャイコフスキーのピアノ・根チュエルトを完璧に弾きこなすようになります。もちろん楽譜は読めません。
この話は、日本の辻井伸行(20)さんを想起させますね。
他にも一月一日が日曜日の年をすべてあげることができたり、あるいは四万年にわたる年月日を正確にあてることができる人がいるらしい。この双子の兄弟などは、足し算も、もろちんできない双子です。
ランクドン・ダウン先生によって発見された病気ですが、いまから100年前のことです。
映画の「レインマン」、ダスティ・ホフマンがまさに、その役を演じていました。
彼は実際にサヴァン患者にあってインスピレーションをもらったらしいです。
「レインマン」ダスティ・ホフマン傑作。
「カジノシーン」
原作者のバリー・モローもキム・ピークに会って作品を書いた。<ダスティ・ホフマンによるサヴァンの行動や仕草などはかなり完璧と評価されています>
私は専門家ではないので、細かなことは書けませんが、サヴァンの人たちの共通の特徴だけはよく知られており、
1 未熟児として生まれる
2 盲目
3 保育器の中で過剰な酸素補給を受ける
この3つがよく知られています。
ダロル・トリッファート教授によると、普通の人間であれば、赤子は生まれるまでに脳のニューロンの配線は決定されてしまうので、それと関係のないニューロンは生まれる時に死んでしまうシステムになっているらしいです。
ところが、サヴァンの人は未熟児として生まれるために脳のニューロンがまだ決定していない時に、
酸素の過剰補給で脳が損傷し、それを緊急につくりなおすというネットワーク脳の神経細胞のために、特殊な才能が開花したとしています。
昔、もうほとんど、記憶にないのですが、とある本を読んでいて、
知的障害を持つ子供に対しての教育の本でしたが、生物の進化の歴史・・魚から、爬虫類そして、猿などなどの進化を、子宮のなかで、系統的に10ヶ月でやりきってしまうことからのヒントだと思うのですが、知的障害の子供たちに、鰐や馬の時代を再生させる、つまり、ハイハイをもう一度、させて脳に刺激を与える方法が書いてありましたが、そのなかに、今でも忘れられないのですが、確か、ビニール袋を頭から被って、呼吸をして、二酸化炭素かなにかをたくさん排出したあとに、一気にビニールをとって、外気=酸素を吸い込む方法が書いてありました。
その頃は、不思議な治療法だなあと、思っていましたが、このサヴァンの脳の進化も、少し似ているなと思います。
男が女性よりもかなり多いというのも不思議ですね。
<女性の方が緊急時の生命的な適応が上手いということでしょうが・・・・男は不器用ですからね >
また、「直観像」という言葉もヒントになるかもしれませんね。
まさに子供は写真をとるようにして、おもちゃや、御飯や、ペットを見ていてその記憶は直感的で、すみずみまで具体的に覚える脳のパターンのことです。
普通は大人になっていくと、ここに抽象的な思考や想像力が大きくなってきますので、この「直観像」の記憶パターンは消えて行くと言われてますね。
この話で、思い出すのは、作家でも膨大な資料で作品を書く作家なんかはこの「直観像」の脳を持っていたのではないかなと思いますが、いかがなもんでしょうか。
2トンもの資料で、「坂の上の雲」を書いた司馬遼太郎とか、大宅壮一さん
なんかは、膨大な書物を写真を撮るようにパッパッと見て行ったらしいです。
もちろん彼らはサヴァンとは何も関係はありませんが、何か、気になる本の読み方です。
ダリなども、絵画の個展を見に行くと、ひとつの作品に何分も時間をかけずに瞬間的にざーと見たといわれてますし、彼らも、「直観像」を大人になっても鍛えていた芸術家なのかもしれません。
いつか、テレビで、アフリカの黒人の若者が、風景をじっと見ていて、それをそのまま、絵に書き写していきましたが、ほぼ、同じでした。
複雑なる建物でも、まったく同じように模写ができてしまう。
モーツァルトはサヴァンではありませんが、天から楽譜が、♬が降りてくるのをそのまま書き写したと言われています。
常識や、人格形成などを少しずつ修練することもなく、全精力を音楽と自分の好きなことだけに、のめりこんだ、モーツァルトの人生。
いいではありませんか。
今は、全世界の人が彼の音楽で癒されています。
そのために生まれてきた人だと思っています。
「アマデウス」
資料A
サヴァン症候群と考えられている著名人 [編集]
Alonzo Clemons - アメリカの粘土造形家[2]。
Tony DeBlois - 視覚障害者のアメリカ人音楽家[3]。
Leslie Lemke - 盲目のアメリカ人音楽家[4]。
Jonathan Lerman - アメリカの芸術家[5]。
Thristan Mendoza - フィリピン人。マリンバに秀でる[6]。
Derek Paravicini - 盲目の英国人音楽家[7]。
キム・ピーク - 1988年の映画『レインマン』のきっかけとなった。大変な記憶力をもっていると考えられている[4][8][9]。
James Henry Pullen - 英国の卓越した大工[10]。
Matt Savage - アメリカの自閉症ジャズマン[11]。
Henriett Seth-F. - ハンガリーの自閉症サヴァン。詩人、作家、芸術家[12]。
ダニエル・タメット - 英国の自閉症サヴァン[13]。
Stephen Wiltshire - 英国の建築芸術家[14]。
Richard Wawro - スコットランドの芸術家[4]。
山下清 - 日本の画家。日本中を放浪していたことで知られる。
ところで、誰しも知っているとは思いますが、モーツアルトにはやはり素晴しい音楽家の姉がいます。
その彼女の映画。
「神童」である弟ヴォルフガングを売り込もうとしている父レオポルトに連れられ、家族でヨーロッパを旅して回っている14歳の少女ナンネルは、類い稀な音楽の才能に恵まれながらも、女であるという理由だけで、その才能を活かせずにいる。
そんなある日、ふとしたことからフランス王女ルイーズと親しくなったナンネルは、王太子ルイと出会う。ナンネルが女であることを知りながらも彼女の音楽家としての才能を認め、自分のために作曲するように頼むルイに、ナンネルは恋心を抱くようになる。
ルイのために必死に曲を書いたナンネルだったが、ナンネルのルイへの想いが叶うことはなく、それどころか酷い罵りの言葉とともに拒絶されたことから、ナンネルは2度と作曲をすることはなくなり、弟ヴォルフガングを支える存在として生きて行くことになる。
すこし、三島由紀夫のことを連想します。その典雅さ。優美。犠牲愛。
ところで。
森鴎外の「花子」をたまたま読んでいたら、最初のロダンが出てきて花子に会う所が、なにやら昔読んだ記憶があった。
よく考えると、三島由紀夫が「文章読本」のなかで、森鴎外の文体を絶賛するところにこの「花子」の文体がお手本として出てくる。
聖心派の尼寺として賛美歌を歌う娘達。
彼女達が桃色の唇を開いて歌う。
この桃色の唇という言葉を生かす為にその他の文章が工夫されている。
このシーンは私は分析派でなくて連想派・妄想派なので、すぐに小磯良平のこの絵を思い起こさせてくれた。
小磯良平の言葉もこうだ。
「私はどちらかと言えば色数を少なく使うことを頭において仕事をしている。少ない色数で、じみな色調で変化が多く、強い絵が出来れば、それが一番私の好きな絵ということになる。時には5、6色で描くこともある。絵具箱の中には沢山の色をもっているが、いつも補充する色はきまって5、6色である。
例えばオムブルとか、ビオレマルスとか、黒とか、ジョンブリアンなどは補充する色である。」
彼の絵にもモデル達の唇のライトレッドが実に鮮やかに在る。
効果がまるで森鴎外のそれと同じようにも感じる。
賛美歌。
実にキリスト教のシステムは素晴らしいと感じる。
まったく宗教に興味のない若者達であっても、自分たちの結婚式は教会であげたいというのもそのひとつかもしれない。
渡辺昇一氏が書いているように、芸術はsomething greatに癒されるように、描かれていると強いオーラを放つのだろう。
このシステムの日本版については今少し、考えてみよう。
シネマについても同じ。
たまたま、やはり、モーツァルトの姉の人生を描いた映画を見ていてそれを強く感じる。
「ナンネル・モーツァルト」・・・・・
この映画の物語は、editorial的に見れば、失恋-修道院という三島由紀夫の春の雪を連想させるエピソードも考えさせてくれるし、なによりも、女が作曲を禁じられた時代の才能ある女性の恋悲劇だ。
そこが魅惑のシネマである。
ルイ15世の息子で父親よりも先に死んでしまうルイ16世の父親の書き方もまたおもしろい。
しかしながら、私が一番目を凝らして見てしまうのは、ロミオ&ジュリエットても、その他の西洋歴史物語でも、同じだが、その服装と音楽の素晴らしさ。
髪型もカツラだとは思うが、実に仮装を楽しんでいる。
ルイ16世の父親が彼女のために演奏会で彼女の曲を弾かせるシーンが見せ所。
だが、やはり、私の心は、教会やら修道院やら貴族の宮廷やらの、圧倒的なキリスト教のシステムにどうしても傾く。
神の存在を誰しもが疑いもせずに皆で必死に構築していく。
日本人の俳句が皆で連作しながら自然の美の構築をしていくように。
壁やら、天井のすみずみにまで描かれたミケランジェロのような見事な宗教画を、普通の農民や平民がもしも見ることがあれば、誰もが、神の存在を信じて祈りを捧げたことだと思う。
森鴎外の「花子」もそのような西洋の文化の歴史の重みのなかで、ロダンが出てきて、そのロダンが日本からやってきた決して美人ではないが、引き締まった体をしている彼女を見て、モデルにしたいと言って、20分だけ、彼女にモデルを突然してもらうというところがまた不思議に光る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話が少し脱せんしました。
生まれてすぐに兄や父母と離れてくらすようになったひとりの少女。
アンネルモーツァルトと友だちになって、彼女は言う。
「わたしもあなたのような家族に生まれて、あちこちを旅したかった」
そして、修道院で神に使えることを決心してしまう。彼女の年齢その時、13歳か。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
真夜中になって、やっと「源氏物語」を読み出す。
原著はまだまだ読めないので、円地さんの翻訳で。
現代の源氏と呼ばれている谷崎の細雪も平行して再読。
もう何回読んだ事か。
何回読んでも飽きない。
新しい感銘がある。
そして、その源氏物語を下敷きにした、谷崎の
「細雪」。
小説も、すごいですが映画もまた、別の楽しみが・・・・・・・
市川崑の「細雪」素晴しい傑作。
この細雪もまた何か私の心の奥の奧を刺激してくれる本の一冊。
映画版の細雪には恐ろしいほど美しいキモノの数々が出てくる。
それもまた何回見ても飽きないディテールなのだが、この見合いを重ねて、人と人の縁を
地道に探って行くという物語が実にエロティク。
雪子という自己主張しない気質の中に隠された女の命みたいなものを、覗き見しているような
そんなときめき感がある。
合コンでたまたま横にすわった異性と、一挙に出来上がる昨今の「ご縁」もご縁。
それはそれで良いと思うが、赤い糸を家族の皆があれこれそれこれ、言葉にしながら、たぐりよせていく女姉妹の物語もまた不思議に日本人である私の心をくすぐってくれる。
高尚な知性や想像力、あるいはその両方があっても天才の形成に至りはしない。愛、愛、愛。それこそが、天才の神髄である。 モーツアルト
FIN
男と女の糸 (メス化する男たち)「アメリカン・ビューティ」 「ベニスに死す」「旅情」
最近、ネットを見ていますと。
たとえば、「元カレが、どうしようもない、女好きで、金銭にだらしなく、貯金もなく、仕事も低賃金だった。今の主人は、性格もおだやかで、高収入。子どもにも恵まれ、幸福。元カレと早く別れて良かった。どうしてあんなに好きだったか、今では信じられない。」という記事があり、そのコメントに対して、多くの、若者たちが、賛同をしている・・・・・・・
そんな記事を見ていて、私は、首をひねります。
あまりにも、単純で、打算的というか、合理的すぎる。そんな感じがします。
今が、幸福だからと言って、昔別れた、大好きだった人の悪口・愚痴をネットに、吐き出して、賛同してもらう心理。
男と女。そんなに単純なものではありません。
私は、個人的な意見ですが、このような女性には、げんなりしてしまいます。
(このような女性は、こんどまた、人生の荒波のなかで、違う厳しい場面にぶつかった時に、ひとり嘆いて、きっと、なんでもかんでも、相手や環境の責任にするんだろうなあ・・・そう考えてしまいます。)
・・・・・・・
この世。この宇宙は、もっともっと、複雑で、込み入ったいわば、タペストリーのような糸で、縦横に、くみあわさっている、「縁」の世界です。
今の、幸福の花の中にも、確実に、不幸の種はあるものです。
(逆に言えば、不幸の花の種のなかにも、幸福の種はひそんでいます)
幸福という名の不幸 上 (講談社文庫 そ 1-1)/講談社
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つまり、今、どんなに幸福であっても、たとえば、主人が急に病気で倒れてしまえば、会社を止めなければいけなくなるかもしれませんし、子どもだって、前回のシネマ記事「ラビット・ホール」ではありませんが、突然の交通事故にて、死すかもしれません。
そこにある危機。そこにある死。・・・・・
それは人ごとではないのだと、私は、思います。
私も、生後まもない赤子=娘を、失くしています。
あの悲しみは、今でも、忘れません。
人生とは、そんな、危機が誰にでも、訪れるのだと思います。
・・・・・・・
そのようなことを、普通に、自然に、想像したり、危機をきちんと、考えることができるような、人であるならば、
今の幸福の花は、実は、これまでの過去のいろいろな出来事の糸が、因果応報で、今の現実の糸と、固く、むすびついていることに気がつく筈ですね。
また、そのような人であれば。
昔、大好きだった、異性のことを、悪く言うようなことはないでしょう。
彼が、いたからこそ、今の自分があるんだなあ・・・・・・そのような余裕も、もてる筈。
私の知り合いに、ホストと知らずに好きになって、1000万くらいを貢いだという女性がいました。
でも、彼女は、一言も、その今は別れた彼氏のことの悪口を言ったことはありません。
「あれだけ、人を好きになれて、私はまったく後悔していない」。
気持ちの良い一言を聞けました。素晴らしい女性だとも感じました。
小林秀雄は、「芸術は、歴史に埋もれたる人間を救い出すひとつの術を編み出す」と、書いています。
要は、人は、何かに夢中になって、たとえば、人を好きになったり、映画などの芸術などに感動したときに、過去現在未来と続く時間と空間の呪縛からときはなたれて、「今ここ」の、永遠の現在のなに、恍惚として、浸ることができる、そう私は、解釈していますが。
何かに夢中になる。
何かを大好きになる。
とことん、何かにうちこむ。
恋であれ、仕事であれ、芸術であれ、スポーツであれ、そのような人達は、そんな「今ここ」に浸る幸福をしっかり感じることができるので、
みんな、「感謝」という言葉をつかうようになりますね。
ところで映画です。
1970年代。私が、16歳、高校生の頃ですが、ベトナム戦争がありました。
そんな時代の映画ですが。
この映画は、あまりにも、大甘な映画で、かなり批判もされましたが、淀川さんの次に好きな、荻昌弘さんは、「これはある意味、反戦映画なんだ」と、言っていたことをなつかしく、思い出します。
つまり、危機的状況の時だからこそ、朝起きて一杯の珈琲が幸福のシンボルになるということでしょう。
なにげのない普通の日々。
そこで、出会う、普通の人達。
普通の太陽、普通の草木、普通のコーヒー。
普通の抱擁、普通のキス。
「愛とは決して後悔しないこと」(Love means never having to say you're sorry)という生前ジェニファーがオリバーに残した言葉、今でも、はっきり覚えています。
Love means never having to say you're sorry
・・・・・・・・・
戦争で、自国の若者がつぎつぎと死んで行くそんなアメリカ。
反戦反戦と騒ぐ若者たち。
でも、選挙などでもわかったように、普通のアメリカ市民は、ベトナム戦争に命をかけて行った若者を支持しましたし、普通の時間が普通にある普通の生活にあこがれていたのでしょう、批判を受けながらも、この映画はヒットしました。日本でも、同じです。
反戦と叫べば、良いわけではありません。
人には自分の命を犠牲にしてまで、守るべき人達や場所があるのだと私は、個人的に、思っています。
70年代。
良くも悪くも、それまで、禁止されていたこと、隠されていたこと、秘密にされていたこと、そんな多くのことが、次第に、表面の世界へと、浮き上がろうとした時代です。
レズビアン・ホモセクシャル・そんな言葉が平気で使われるようになりました。
ウッドストック。
実になつかしい。
私も、普通の高校生でしたから、岩見沢市から札幌まで、この「ウッドストック」を、
見に行きました。テンイヤーズアフターの大ファンでしたので、大感激をしたことを今でもはっきりと、思い出せます。
(クリップのジャニス・ジョプリンも、天才歌手でしたが、麻薬などで死んでしまいました。その他、この映画に登場する素晴しいロック・ミュージシャンたちも、麻薬などで、つぎつぎと、亡くなって行きました。良くも悪くも、超熱い時代です。)
この映画の中のシーンにもでてきますが、性の解放というテーマがありました。
日本のZENの書物がつぎつぎに、翻訳され、アメリカの詩人たちがそれからインスパイアされた自由の詩を歌い始め、魂の次の次元をということで、麻薬が乱用された時代です。
性の解放。
アメリカでは今でも、ソドミー法という、「男色」を禁じた、法律が、、たしか、ほとんどの州に残っているのではないでしょうか。
その厳しさ、激しさを描いた映画では、好き嫌いはあるでしょうが、
この映画が思い出されます。メインのテーマではないので、忘れていた方も多いでしょうが。
大好きな映画です。「アメリカン・ビューティ」
音楽が良いですし、映像が素晴らしい。
(平凡な核家族が崩壊する過程で、現代アメリカ社会の抱える闇を時にコミカルに描き出す。娘の同級生に恋する中年男性をケヴィン・スペイシーが演じている。
第72回アカデミー賞で作品賞を受賞した。)
好きなシーンはたくさんありますが、今の記事のテーマで書くと、ケヴィン・スペイシーが、娘の友達に惚れて、体を鍛え直すのですが、その鍛えていることや、自分の息子との関係を怪しまれて、ホモ・セクシュアルと勘違いされて、殺されてしまうわけですね。(いや、そうではないと、いろいろな解釈が今でもされている不思議なラスト・シーンでしたが。私は、そう考えています。)
ああ、やっぱり、ニューヨークなどの最先端の町とはちがって、この映画の舞台でもあるシカゴの郊外、田舎であれば、こういうのが、ホモ・セクシャルの男性に対する普通の感覚・感情なんだろうな、と、考えさせられました。
私はホモ・セクシャルでも、ゲイでもありませんので、この映画は、その他にも、美しい女性達がたくさん出てきますので、楽しめました。
ただ、私は、ホモ・セクシャルという観点から、見ました。・・・
男と女。
不思議な相反する性の存在。
もちろん、子孫繁殖というのは、当然ながら、自然の神が遺伝子のなかに組み込んだ意図ですから、男と女が愛し合うのは基本。
ただ、当然例外もでてきます。
それが、プラスなのかマイナスなのか。
私にはわかりませんが。
今、沈んでいたものが、つぎつぎに、カミングアウトされる時代ですから。
ところで、日本のホモ・セクシャルと言うと。私が尊敬する人だけでも、
美輪明宏・淀川長治・稲垣足穂・・・・その他、たくさんおりますが。
もともと、日本は、カソリックなどの影響の強い海外の同性愛とは違って、
女性を妻としてめとった上での、美少年やお稚児さんを愛するという、
両刀使いという意味では、たくさんの例があり、また、西洋のような
強い反感などは意外になかったのではないでしょうか。
たとえば、森鴎外の森鴎外は、自分自身の性的経歴を書き記した作品『ウィタ・セクスアリス』(1909年)のでこう述べています。
学校には寄宿舎がある。授業が済んでから寄ってみた。ここで初めて男色
ということを聞いた。僕なんぞ同級で、毎日馬に乗って通ってくる蔭小路と
いう少年が、彼ら寄宿生たちの及ばぬ恋の対象物である。蔭小路はあまり課
業はよくできない。薄赤いほっぺたがふっくりとふくらんでいて、かわいら
しい少年であった。その少年という言葉が、男色の受け身という意味に用い
られているのも、僕のためには、新知識であった。僕に帰りがけに寄ってけ
と言った男も、僕を少年視していたのである。
と、あります。)
また、
川端康成とその弟子である中里恒子との合作としての、「乙女の港」という女性と女性の絆というテーマの小説もありましたね。乙女の港 (実業之日本社文庫 - 少女の友コレクション)/実業之日本社
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横浜のミッション系女学校に通う女学生たちの交友関係を綴った作品で、上級生と下級生が擬似的な姉妹となって交際するという、当時の女学生の間で広くおこなわれていた エス (sisters-in-law)という風習について描かれている。
三島由紀夫・・・・・・
「私の永遠の女性」。
私の所有する、三島由紀夫全集のなかの評論のひとつです。
真の男性を常に目指す、男として男を愛する彼が、「永遠の女性」について語っています。
明治時代の女の全身像の写真が好きだというところからそれは始まります。
実際の写真がないので、クリップにたよるしかありませんが。
彼が大好きだった、ラディゲの、「ドルジェル伯の舞踏会」に登場する、フランソワの母親の、ド・セリウズ夫人について引用しながら、
ドルジェル伯の舞踏会 (新潮文庫)/新潮社
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「今日、われらは、弱々しいものでなければ、女らしいとは思なくなっている。ド・セリュウズ夫人のしっかりした顔の輪郭が、彼女を愛嬌のないものに見せるのだった。この美しさは、男達の心を誘わなかった」
凛としたもの。
いかつさ。
犯しがたいもの。
明治の名芸妓たちの顔にもあるもの。
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ところで。
三島由紀夫は、おもしろいことに、彼は普段好きな女のタイプは、
「現代風な丸顔で、輪郭のあまりはっきりしない、普通の愛らしい顔である」と書いている。
(奥様、平岡瑤子とともに)
しかしながら。
彼が、書いた、名作の能の現代化としての「近代能楽集」。
そのなかの、傑作の一編「卒塔婆小町」を、武智鉄二が演出した能を三島由紀夫が、
見た時。
その感想を書いています。
(武智鉄二のクリップはありませんので、このクリップにしました。)
「有名なるシーンで、舞台の中央に置かれた台の後ろを老婆と詩人が踊りながら通過して、あちらがわからこちらがわに出てくると、その台が、鹿鳴館に変わって、老婆は、美しいワルツにのつて、ありし日の美しき若き小町となって出てくるのである。」
そのときの驚愕・・・・。
「ありし日の小町が、閉じた黒い扇をかざし、そのいかにも、明治風な鼻の線と受け口の横顔をあらわしたとき、あまりの美しさに息を吞んだ。そればかりか、戦慄したのである。」
彼は言いいます。
「 舞台の上の小町は、私の好尚とはひとつひとつ違うのにかかわらず、現実の女性は、これほど奥深い感動で私の心をゆすぶりはしない。こんなに私の全精神をゆすぶり、私の歩んできた人生を縦に貫く稲妻のような感動で、私を戦慄させはしない。
舞台が、すんで、舞台関係者と吞んだ席では、小町を演じた浜田洋子さんは普通の美しい女性であり、残酷ながら、けっしてさっきの小町ではなかった。 」
彼は、そこで、自分の母親のことについて触れているが、このあたりはかなり興味深いです。
「実際、永遠の女性らしいものを近代文学に探して失望しないのは、泉鏡花の小説ぐらいなものでろう。そのヒロインたちは、美しく、凛としており、男性に対して永遠の精神的庇護者である」
上の三島由紀夫の言葉は深くて興味深い。
小さな頃から、母と離れて、祖母に育てられた、そのいきさつは、彼の傑作「仮面の告白」のなかにも、詳細に書かれています。
特に、彼の、女装に対する偏愛のことまでも・・・・
現代。女性がすでに男性を愛する力を失った時代とも言われいます。
この現代の情報のあらゆることを、ひたすら、頭に詰め込んだ女性達は、ひょっとすると、細かな部分の欠如にだけよくよく気がつき、そこからノイローゼ的に離れることができなくなっているのではないか???
分析ではなくて、統合として、男性を包み込むことを体験できなくなった・・???
そんな時代。三島由紀夫のひとつひとつの言葉は、
アンドロギュヌスの彼だからこそ、納得できる言葉でもあります。
(しかしながら、彼の女性観は、永遠の精神的庇護者と、書いたり、褒めたり、あるいは、けなしたり、少しぶれている部分もありますが、「笑う」ことこそ、女性の本質なのだと看破するようなセンテンスを、とある小説、たしか、「春子」だったかに、書いています。)
「春子」・・・主人公は19歳の男子学生。主人公の叔母、春子と叔母の義理の妹の18歳の路子とのレズを取り上げています
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ところで。三島由紀夫の愛したドイツの作家。トーマス・マンに、アンドロギュヌスの傑作があります。
「ベニスに死す」です。
(ドナルド・キーンによれば、三島は自身の代表作『金閣寺』の文体を「鴎外 プラス トーマス・マン」だと述べており、キーンは『暁の寺』にも『魔の山』からの文体的影響を指摘している(『悼友紀行』、中央公論社)。)
淀川長治さんも、アンドロギュヌスでしたから、この映画を愛していました。
ビョルン・アンデルセン「言うまでもなく、ベニスに死すですね」
こんなに成長してしまいました。人生とは、実に、過酷なものです。
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
小野小町
やはり、美というものは、ブレイクではありませんが、「今ここ」=「瞬間のなかの永劫」ですから、花もいつまでも咲きつづけることはできません、・・・いつかは、枯れて、しおれてしまうのですから、・・・・・・たがら、逆に今の美しさが、みずみずしく、なおさら、美しい、そういうことでしょうか。
・・・・・・・・・・・・
美男子の世界。
ところで。
私が好きな映画評論家は、もちろん、淀川長治氏です。名作はあなたを一生幸せにする―サヨナラ先生の映画史/淀川 長治
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理屈、理論よりも、好きで好きでもうどうしょうもないくらいに映画が好き、というそのはちゃめちゃが好きです。
稲垣足穂をだすまでもなく、男色家の人は両刀使いの人が多い筈で、要は、人間の美しさというものを普段から考えています。
そこで、少年好きの、淀川長治氏はどんな美少年が好きだったかということを、最後に、備忘録しておきましょう。
まずは、鉄道員。私の愛するイタリア映画の傑作古典です。監督は、戦後のイタリア映画復興の基礎を築き、ネオ・レアリズモの三大巨匠がロベルト・ロッセリーニ、ヴィットリオ・デ・シーカ、ルキノ・ヴィスコンティで、ネオ・レアリズモの最後の旗手が監督、脚本家、それに俳優のピエトロ・ジェルミであると、資料にありますね。
エドワルド・ネヴォラ
サンドロ少年として、出演しています。
淀川さんが大好きだった美少年子役です。
はにかんだ感じが素晴らしい。
次に、「旅情」。これは素晴しき作品でした。・・・キャサリン・ヘプバーン。
ほんとうの美人です。
この、はだしの少年らしいです。 「旅情」でキャサリン・ヘプバーンに万年筆を売ろうとつきまとう少年なんですが、クリップ中に、少ししかでてきません。
淀川さんは、生涯、「映画と結婚する」と小さな頃に決意して、一生独身でしたから、
子どもさんもいませんでしたので、小さな少年=自分の憧れとして、見ていたのかもしれません。
日本でも、歌がヒットしました。
(ストーリー
アメリカの地方都市で秘書をしている独身の38歳のジェーン・ハドソン(キャサリン・ヘップバーン)は長期休暇を取り、念願であったヨーロッパ旅行の夢を実現させて、ロンドンとパリを観光後、オリエント急行に乗って、この旅行の最終目的地である水の都・ヴェネツィアを訪れる。ヴェネツィアは街中に水路が張り巡らされた歴史のある美しい都であり、ジェーンは駅から船でフィオリーニ夫人(イザ・ミランダ)が経営するペンシオーネに到着する。その後観光に出かけたヴェネツィアのサンマルコ広場で一人のイタリア人男性レナード(ロッサノ・ブラッツィ)と出会う。)
オブィデュー・バラン少年。
「モンド・・・フランス映画」 クリップは発見できませんでした。
笑顔がさわやかですねえ。
日本の美少年は、花にたとえれば、「梅」
外国人の美少年は、花にたとえれば、「薔薇」か「水仙」なんでしょうか。
ところで、淀川さん。
わが映画人生に悔なし (ハルキ文庫)/淀川 長治
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淀川長治氏がテレビに出てきて「みなさん こんにちは」とか言いながら、「本日の映画は」と話を始めると、とにかくその記憶力の凄さといいますか、今はネットなどでスター情報などはすぐに見れますが、当時はいちいち書物などにあたらねばならなかった筈で、きっと彼の想像するに「映画ノート」にはぎっしりと情報が書かれていたでしょうね。
たしか、英語も映画でマスターしたと言っておられました。
初対面でむこうのスターと、会ってもすぐに映画の原題やら、スターの情報が機関銃のように連発できた彼は、きっと快くスター達との初対面をなごやかにしたことでしょう。
ところで、美少年。
まずは、ウィリアム・ワイラー監督の「デッド・エンド」に出ていた五人の少年。マンハッタンの泥だらけの少年達。
1937年ウィリアム・ワイラー監督『デッド・エンド』でデビューしたの不良少年グループ。実際映画会社もキッズ達には自由にカメラの前で演じろといっていたので、その調子で最初のシーンである廃ビルの地下室のシーンで、台本を無視したキャグニーをおちょくったせりふを生意気そうな少年が、ギャグニーをからかうと、キャグニーは生意気そうな少年の鼻っ面めがけて、強烈なパンチをくらわせた。「いいか、キッズ、よく聞けよ。俺たちゃここで仕事をやってるんだ。ふざけたまねはお互いにしないようにしようぜ。撮影をやってるときは俺たちはプロだ。やるように言われた仕事はきちんとやることだ。わかったか!」
こうやって少年たちも大人になっていくのでしょう。
ワイラー監督は、「ローマの休日」や「ベンハー」をつくった監督ですね。
これらの映画は、若き頃に、数十回も見ました。
今でも、たまに、突然見たくなるシーンがあり、バッと、DVDを見てしまいます。
このシーンが、この時代によく撮れたと今でも背筋が、ぞっとするほど感激します。
素晴しき作品群、素晴しき監督です。
つぎに、「エデンの東」「ジャイアンツ」のジェームズ・ディーン。エデンの東 新訳版 (1) (ハヤカワepi文庫)/ジョン・スタインベック
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なんとディーンが、「銃剣を装備せよ」という映画に数カット脇役で出ていただけなのに、すでに、あまりの美しさにワーナーの宣伝部に淀川さん、問い合わせしています。宣伝部でさへ知らなかったらしいですが。
(エデンの東。完璧なまでに、となりの女優よりも美しいです。)
余談ですが、三島由紀夫氏がアメリカでジェームズ・ディーンのよく行くバーに行ったとききました。
帰国後、ディーンの大ファンの小森和子のおばちゃまが、三島由紀夫にそのズボン(ディーンが座っていたイスに座ったからか?)をくれくれと、ねだったといいます。
まあ噂は噂ですが・・・・ありそうな話ですね。
つぎに、エルヴィス・プレスリーって今の若い人は知っているのでしょうか?
この人もかっこよかったというか、スペイン系の美しさだと淀川長治氏は言いますが、そのとうりかもしれません。
生涯にたしか、32本。すべて、主演ででています!!!!!
この下の映画100年記念の切っては、先日も記事にしましたが、マリリン・モンローとプレスリーのツー・ショットですネ。
淀川さんは実に清潔感のある方、美意識が強い方でしたから、たしか死ぬ数年前から東京の有名一流ホテルを借り切って住むようになったのですが、その理由が、「まんがいちの時に下着などが汚れていると嫌だから」と言ったといいますね。
ホテルであれば、いつでも、下着だろうが、スーツだろうが、いつでもクリーニングしてくれますし、掃除もやってくれますから。
ところで、美少年。
エンデの傑作果てしない物語の映画化された「ネバーエンディングストーリー」に、出て来たふたりの少年。
ヒーローはアトレーユ少年ながら、もう一人の主役はその彼の冒険世界を本の中で見ているバスチアン少年でもあります。
淀川氏は、このバスチアン少年を美少年だと判断しています。彼の美意識でしょうか。
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ところで、美少年ではなく、美男。・・・・・・・
最後の最後は、やはり、淀川さん愛するアラン・ドロン。(私も昔も今も、大ファンです)。
この映画、「太陽がいっぱい」
実は、主人公のふたりの男性たちは、ホモ・セクシャルだったと、淀川さんが、指摘しています。
たしか、ヨットから、おりてくる時に、普通だと、使用人からおりる筈なので、ここは、映画のルールから判断して、絶対に、アラン・ドロンから先におりるはずはないというのです。
先におりたという、映画ルールを守らないところから見ても、あえて、2人の関係をここに、象徴させている、というわけです。
興味深く、この映画をその後、何回も見た記憶があります。
アラン・ドロンはこんどまた記事を書いてみたいフェボリット男優のひとりです。
彼の歌も良いです。
昔、ダリダと一緒に歌って有名だった、「甘いささやき」。
日本でも、ヒットしましたが、セリーヌ・ディーオンと歌っていた
クリップをたまたま、先日、見つけました。
何歳になっても、彼は、渋くて、素敵な男だなと思いました。・・・・
淀川長治= 良い映画を何回も見ることが大切です。・・・
FIN
◎資料
卒塔婆小町[編集]
1952年(昭和27年)、雑誌『群像』1月号に掲載された。原典の『卒塔婆小町』を翻案した試みや主題について三島は、時空間を超越した「詩のダイメンション」を実現しようとしたとし、「詩人のやうな青春を自分の内にひとまづ殺すところから、九十九歳の小町のやうな不屈な永劫の青春を志す」という自身の「芸術家としての決心の詩的告白」だと説明し[11]、作品の意図については、「現代における観念劇と詩劇とのアマルガム」であるとし、「形而上学的生の権化」の小町と、「現実と共に流転する生の権化」の詩人との対比を語っている[12]。
あらすじ[編集]
夜の公園のモク(煙草の吸殻)拾いの老婆が、ベンチの恋人たちの邪魔をしながら拾ったモクを数えている。それを見ていたほろ酔いの詩人が老婆に声をかける。詩人は、ベンチで抱擁している若いカップルたちを生の高みにいると言うのに対し、老婆は、「あいつらは死んでるんだ」、「生きているのは、あんた、こちらさまだよ」と言う。そのうち老婆は自分が昔、小町と呼ばれた女だと言い、「私を美しいと云った男はみんな死んじまった。だから、今じゃ私はこう考える、私を美しいと云う男は、みんなきっと死ぬんだと」と説明した。笑う詩人に老婆は、80年前、参謀本部の深草少尉が自分の許に通ってきたこと、鹿鳴館の舞台のことを語り出す。
すると、公園は鹿鳴館の舞台に変貌し、舞踏会に招かれた男女が小町の美貌を褒めそやす。詩人(深草少尉)は19歳の令嬢となった美しい小町とワルツを踊り、小町(老婆)の制止も聞かず、「何かをきれいだと思ったら、きれいだと言うさ、たとえ死んでも」と宣言し、「君は美しい」と言ってしまう。そして、「僕は又きっと君に会うだろう、百年もすれば、おんなじところで…」と言い死ぬ。
「もう百年」と老婆が言う。すると、再び舞台が公園のベンチに戻る。死んだ詩人は警官たちに運ばれ、99歳の皺だらけの老婆は、またモクの数を数えはじめる。
関西歌劇団創作オペラ第2回公演
1956年(昭和31年)3月13日 - 14日 大阪・産経会館
作曲:石桁真礼生。指揮;朝比奈隆。演出;武智鉄二。
出演:木村四郎、桂斗伎子、浜田洋子、窪田譲、安則雄馬、伊勢川佳子
※ オペラ化
※ 谷崎潤一郎作『マンドリンを弾く男』と併演。
1970年
1960年代後半から70年代にかけてアメリカでは「性革命」という大きなムーヴメントが起こった。1968年「ワイセツとポルノに関する諮問委員会」が設置され、ポルノ解禁を検討し始めたのである。この諮問委員会は、二年間という時間と200万ドルの費用をかけて、あらゆる種類のポルノの実態と、その社会に及ぼす影響を調査し、さらにポルノの全面解禁した場合の社会におけるインパクトを予測したのである。その研究の結果は、全面的に解禁すべしというのものであり、その報告書を当時のニクソン大統領に提出した。しかし、保守派であったニクソンは、アメリカ社会の伝統を守るために勧告を受け入れることはできないとはねつけた。そのためポルノ全面解禁にはいたらなかったが、当代の有識者たちの書いたレポートは、ポルノ容認論に大きな影響をあたえ、「性革命」の大きな礎となったのである。そのためニューヨーク州で妊娠中絶が合法化され、翌71年には、フロリダ州でそれまで州法で禁じられていたオーラル・セックスを州最高裁が容認するなど、性開放の動きが活性化されたのである[立花1984年a]。
同性愛者たちも「性革命」の動きに呼応して活発化した。1970年、サンフランシスコで開催されたアメリカ精神医学会の総会で、初めて同性愛の病理的扱いに対して意義が申し立てられた。同性愛者とフェミニストの団体が同性愛を病理とみなす医学会に対し、徹底批判をし、会場は大混乱になったのである。その後も同性愛者の学会に対する批判はいたるところで続いたが、もっとも衝撃的な事件は1972年ダラスで起きた。その精神医学会の総会のパネルディスカッションの席で、マスクをした匿名の男性が「私は同性愛者です。そして精神科医です」と公言したのである。この事件は精神科医の中にも同性愛者がいるという事実を明るみにし、また沈黙を保っていた同性愛者の精神科医たちに結束を促したのである[風間1997年]。
1971年、デニス・アルトマンが『同性愛-抑圧と開放』という論文を刊行した。これは1960年代のアフリカ系アメリカ人や女性の公民権運動をヒントにし、同性愛のアイデンティティを創造することに焦点を当てた先駆的な理論であった。彼は、この本の中でこう述べている。
◎資料 鉄道員
『鉄道員』(てつどういん、Il Ferroviere)は、1956年製作のイタリア映画。モノクロ作品。
鉄道機関士アンドレアは、幼い末っ子サンドロの誇りだった。だが、長男マルチェロや長女ジュリアからは、その厳格な性格が嫌われていた。
ある日、アンドレアの運転する列車に若者が投身自殺をする。しかもアンドレアは、そのショックにより赤信号を見すごし、列車の衝突事故を起こしかけ、左遷されてしまう。
アンドレアは、ストライキを計画中だった労働組合に不満を訴えるが、とり上げられることはなく、酒に溺れ始める。
その頃、流産し夫婦仲が悪くなっていたジュリアの不倫が原因でマルチェロは父と口論となり二人とも家を出ていった。
職場ではストライキが決行されたが、アンドレアは機関車を運転し、スト破りをする。
アンドレアは友人達からも孤立し、家にも帰らぬようになる。
末っ子サンドロは酒場をめぐって父を探し出し、以前に父が友人たちとギターを弾いて歌った酒場に連れ出した。
旧友たちは再びアンドレアを温かく迎え入れてくれた。そして、家族との和解の兆しも見えた。
しかし、すでに彼の体は……
60歳から始まる人生・・・「不良少女モニカ」「悪夢男」「エマニュエル夫人」「序の舞」
フランスの作家、アルフレッド・ド・ヴィニー。
『素晴らしい人生、それは青年時代に考えたことが壮年になってから実現されることである。』
◎資料からアルフレッド・ド・ヴィニー、アルフレッド・ヴィクター。フランス・ロマン主義の作家、劇作家、詩人、伯爵、軍人(最終階級は大尉)。『サン=マール、あるいはルイ13世時代の陰謀』『ステロ』『軍隊の服従と偉大』『アンクル元帥夫人』『チャタートン』などの小説、戯曲とそのほか「モーセ」「海に浮かぶ瓶」「狼の死」などの詩を残した
河合隼雄氏はかつて、こんなように書いた。
「昔は、人生50年、必死に働いて、冠婚葬祭をして、疲れて、それでも満足して50歳で死ぬ事が出来た」と。
でも、今の時代。
こんなに平均寿命がのびて、ボケちゃうのは悲しくて、困りますが、健康に年を取る人がどんどん、自分の創意工夫や、ちょっとした健康管理で、好きな道を選ぶことができる。
あるひとにとっては、良き時代。
ある別の人にとっては、何をしたらよいかわからない、悪しき時代。
・・・・・・・・・・
でも、人生に完成はないと、私は思います。
いつもでも、未完成の自分を感じて、学ぶこころを忘れたくないものです。
世界の国の平均寿命をすべて観てみると・・・・・・・・
日本の男性。
女性に比較すると、おおらかさが足りないのではないか。
ずつと、肩書きやら、地位やら、そんなものに振り回されて、
60過ぎれば、ただの人。
サラリーとったら、ただのマン。
そこからの、切り替えは、50代頃からやっておかねばいけません。
女性はそのへん、あまり人生の大きな変化が、ないのが良いのかもしれませんが、 これから、女性の活躍時代。
今の男性と同じように、働き盛りをすぎて、仕事中毒の女性もこれから、どんどん増えるかもしれません。
仕事中毒が悪いとは思いません。
かつて、私もそうでしたから。
ただ、渡部昇一氏も書いていますが、「ふたつの井戸」を持っている人は、いつまでも、枯れない、と。
あるいは、ゲーテは言います。「ひとつだけの思想では生きてはいけない」と。
それにしても、日本人の平均寿命はどんどんのびてきています。
このまま、のびつづけるのか。
あるいは、逆もどりするのか。
縄文時代は、15歳の平均寿命。(1999年当時でさえ、その五六倍に寿命がのびたという計算になりますね。今はさらにのびました。)
平均ですらか、長くても、縄文時代の長生きした人は、30代くらいではないでしょうか。
そして、その奇跡的にサバイバルできた人が皆から尊敬されて、
村かなにかの中心人物として、祭りやら占いやら、あるいは、指示をあたえたり、薬草を教えたり・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
ところで、たまたま、テレビをつけたら、郷ひろみの特別番組。
興味深く感じ入りました。
60歳からボクは成功するんだ・・・・・・思い込みでも良い、自分を信じて・・・・
郷ひろみの信念は素晴しいと素直に、思った。
いまだに、過去の実積は忘れて、ニューヨークでひとり、歌のレッスンに励む彼。
どんな職業でも、晩年・・だんだん作品も描かなくなったり、落ち込んで、なにもしないことで衰退していくアーティスト達もたくさんいる。
だから、普通の人でもこれは同じだと思う。
「学んで行くことに終わりはない」 彼の名言だと思う。
どんなことでも、年甲斐もなくという言葉を嫌って、人生いつも未完成という気持ちで、戦って行く・・・自分の好きなことをやり続けて行く、そんな人に私はいつも、なりたいし、そういう人に惹かれる。
だから、富岡鉄斎なのだ。
富岡鉄斎『画家も長生きしなければよい作はできない。わしもこのごろどうやら思うように描ける。』
だから、バルテュスなのだ。
だから、シャガールなのだ。
みんな、年をとればとるほど、作品は重みを増して、巨大な傑作をつくりあげていく生命力に溢れた、作家たち!!!
もちろん。木が枯れるように自然体で年をとりたいという人もいて、それでいいのではないだろうか。
皆、自由に生きればいいのだから。
佐藤ハツエさんのおにぎり。
彼女は、みんなを癒す!!!!! これもまた、すごい、彼女の人生そのものも芸術作品みたいなものだと思う。
・・・・・・・
ところで、やっぱりベルイマン。また見ました。
「不良少女モニカ」
孤独な青年ハリーは、モニカという少女と出会い恋に落ちる。やがて二人の間には子供が出来るが、モニカはハリーと子供を捨てて立ち去ってしまう……。一人の不良少女の行動を、冷たく突き放したタッチで描いた青春ドラマ。
<たしか、ハリウッド・アンデルセン>
おんなの謎。
ベルイマンは五度も離婚して、女の良いところも悪いところも、知り尽くしているというよりは不器用に自分なりの不可解な女へのアプローチを繰り返すタイプなんだとも思う。
ちょいと賢い男ならばバランス感覚をしっかりとって生涯家庭を大事にする筈。
その意味ではまさにワイルドな男だとも言えるかも。
ベルイマンの「ペルソナ」のビデオを見ながらそんなことを考える。
ところで、やはり、モニカも普通の女だ。
ゴダール、モラヴィア、ロレンス、人工的で脳てきな男は大地の自然のままの女にみなひれふす。
インテリも女にはかなわない。
自然とはまさにそんな弱肉強食の本質を持っているものであり、おんなもまた口では美辞麗句をふりかざしていても、身体はそのまま自然。
モニカが貧乏はイヤと家をでていくところも、自然。
そんな女をどう飼いならすか、古来、男は試されて来た。
じゃじゃ馬馴らしという言葉もある。
彼女の顔は素敵だ。
けっして、バランスのとれたいわゆるハリウッドの美人女優とはちがうけれども、
ベルイマンの映画には欠かせない俳優であり、また、非常にひきつけられる。
フェリーニの「道」の、名女優・・・ジュリエッタ・マシーナを連想する。
そうあの、ジェルソミーナ役。イタリア語でジャスミンをあらわすとか。・・・
それにしても、フェリーニの、「魂のジュリエッタ」、何回観ても、恐るべきイマジネーション。
ファッション雑誌の画像のようで、そうではない。
なにやら、夢想・・白昼夢のような、けだるい覚醒感がある。
国境を超えて、胸をうつ作品だと思う。
◎◎ジュリエッタ・マシーニ資料から。
文学を学んでいたが演劇に転向、ローマ大学で学ぶ。1943年、ラジオに出演していた時、そのラジオドラマの脚本を書いたフェデリコ・フェリーニと出会い、同年結婚。
映画初出演はロベルト・ロッセリーニ監督作品の『戦火のかなた』。その後『道』などのフェリーニ作品だけでなく幅広く活躍したが、やはりマシーナの魅力はフェリーニ作品、特に『道』の知的障害を抱えた女性大道芸人ジェルソミーナ、『カビリアの夜』の娼婦カビリアなど人間、とくに弱い(立場の)愚かな女性の内面を見事なまでにスクリーンに表現しえた演技と個性(美人というわけではなく、プロポーションも良いといえないが、小柄で愛嬌のある顔立ち)にあった。
1957年の『カビリアの夜』でカンヌ国際映画祭 女優賞を受賞している。1970年代以降、長く女優活動から遠ざかっていたが、1980年代に『ジンジャーとフレッド』などで達者な姿をスクリーンに見せてくれた。
フェリーニとは1993年フェリーニが病死するまで連れ添った(一時期別居していた事はあったが)。マシーナが肺癌で他界したのはフェリーニの死から5ヶ月後のことであった。
アンデルセンの顔・・・・・・・いいです。
・・・・・・
次なる映画。B級映画ですが、それはそれなりに・・・・・興味深い。
私は、基本、ホラーは苦手なのですが、それは、見たイメージが時によって、こころのなかに残ってしまい、もともと、闇が嫌いな私ですから、いつまでもその映画の残像が残るのが嫌なのです。
ただ、不思議に、夢を扱うホラーはけっこう見てしまいます。
夢にすごい興味があるからでしょうが。
これは不思議に夢にはでてこないというか、たまに見る、怖い映画は、これらの映画を見ようと見まいと、夢にはたまに、怖いシーンがでてくるのは誰しも同じことでしょう。
「悪夢男」
以前どこかで、マルキ・ド・サドは道徳家なのだと大江氏が書いていたが、その意味では、西洋の悪魔学の本やら映画などはすべてその範疇にはいるのではないか、そう思いますね。
神の気持ちを自分に引き寄せようと、まるで幼児が愛する母親にやるようなふうにして悪を犯すのだ。たしか、どこかの国の思想家がそう書いています。これもなるほどと思う。
この悪夢男。
最初は、エルム街の悪夢みたいなわくわくする映画かと思いきや、まるで見え見えの駄作。
C級ホラーなのだが、時間も金も勿体ないですから、先日のシェルタリング・スカイのように、
プラスアルファの何かを考えつつみることにしました。
A Nightmare on Elm Street
エルム街も、この悪夢男も、やはり物語りは、先ほど書いたように道徳ですね。
悪魔がちゃんと出てくる。
そして、それは人の心のなかに住んでいる。
それを普段はパンドラの箱のようにして押さえつけているが、精神病などの人などが「そいつ」を外に出してしまうことがある。
ひょっとすると中世の魔女なんかもそうなのかもしれません。
でも、悪魔がここまでしっかり出てくると、その逆。神様が意識される。
悪魔がいれば、神様はいるということになるのが西洋の二元論ですからね。
つまりこのC級ホラーもその意味では、アメリカでは、ケンタッキーとコーラを飲みながら彼女と車のなかでいちゃつく不良少年達の立派な道徳の映画になっている。
日本の映画ならばここまで道徳にはならないでしょう。
不条理が不条理を呼んで、けっきょくほんとうに恐いのが日本映画。
自分の妻を殺害しようとした偽悪夢男の夫は、結局のところ、この悪魔にすべて見透かされており、
浮気のことやら、へそくりのことやら、すべて悪魔に言われてびっくりするあたりは、笑えます。
そして、そんな人間のくずだからこそ、オレの好みなんだというところも爆笑。
いやあ、痺れるほど悪い物は悪い、そして、最後はやられるのですね。
子供が見てもこれは自然な道徳の映画になりますね。
ただ、ホラーにつきものの、女性のヌードシーンがたくさんサービスで出てきますので、子供は見れません。
しかしながら、シャワーシーンがなんでこんなに恐いのか、不思議ですね。
必ず、ホラー映画には女性が裸でシャワーを浴びるシーンが出てきますね。
きっと無防備なところがざわざわするのだし、自分がそうなったらどうしょうというスリルを感じるというところですか。
この映画は真夜中に見ても全然恐くありません。
私はこの映画を見たあとで、オーメンやエクソシストとの関連を調べようと思った程ですからね。
◎資料から
『エクソシスト』(THE EXORCIST)は、1973年のアメリカのホラー映画。
少女に憑依した悪魔と神父の戦いを描いたオカルト映画の代表作である。本国において1973年の興業収入1位を記録した。第46回アカデミー賞の脚色賞と音響賞を受賞(後述)。
題名となっているエクソシストとは、英語で"悪魔払い(カトリック教会のエクソシスム)の祈祷師"という意味である。
普通に考えても、これらのホラー映画はまるで教育映画とも言えます。
つまり、悪魔が出てくるということそれじたいが、悪魔の反対の天使がいるという・・・・・・・・・
神がいるということの暗示ですから。
とある作家が書いていましたが、悪魔がさわぐことで、神の気持ちをひきつける、まるで、わんぱくな悪童たちが、いたずらをして母親の気持ちをひきつけるように・・・・・
ラストシーンも、たしか、悪魔と人間があたかも戦うように、顔が交代に変容していくシーン
。そして、人間の顔をとりもどした彼は、自分の魂にはいりこんだ悪魔を退治するために、自殺する・・・・・・・・・・・そのように感じました。
つぎなる映画
「エマニュエル夫人」
なつかしい。シルヴイア・クリステル
私は、この映画を、フランスで観ました。
たしか、凱旋門通りの裏口の方のさびれた映画館。
1000円くらいの筈なのに、5000円くらいを払って、あわてて、釣りをとりにもどると、
もはや、まったく受け付けてくれませんでした。
お客さんのひとりが、私に応援して、いろいろフランス語で、切符売りのおばさんに言ってくれたのですが・・・・・・・・・・
やはり、語学をもっと勉強しようと思いました。
「エマニュエル夫人」は一作目は、1974年の作品ですが、その五年前にイタリアでの「エマニュエル」があるようです。調べてみるとありました。「A Man for Emmanuelle」という作品で、
エリカ・ブランという女優さん。
シルビア・クリステルは、フランスの女優さんです。
こちらが、ほんものの・・「エマニュエル」
◎シルヴィア・クリステル資料から
1973年にエマニュエル・アルサンの小説『エマニュエル』が大ヒットし、翌年それを映画化したソフトコア映画『エマニエル夫人』に出演し、世界的な名声を獲得する。
彼女は自らエマニュエルのような役を自分のはまり役と考え、しばしばこのような役を演じている。例としてチャタレイ夫人や第一次世界大戦での女性スパイ、マタ・ハリなどが挙げられる。
彼女には、フーゴ・クラウスとの間に1975年に生まれたアーサーという息子が1人おり、彼もまた映画俳優になっている[4]。彼女は映画で競演したイアン・マクシェーンとともに、息子のアーサーを残して、アメリカ・ロサンゼルスに移住。アメリカでの女優としての成功を目指した。しかし、イアンとの5年間の同棲は結局破綻した。この間にコカインを覚えた。その後、2度の結婚を経験。相手はアメリカ人ビジネスマン(5ヶ月で離婚)と次は映画プロデューサーであった。その後、ベルギーのラジオ番組のプロデューサーと10年間ほど暮らした。10代前半からの喫煙の影響か、2002年に喉頭癌、2004年には肺癌の手術を受けている。
2008年9月、SMAP×SMAPにゲスト出演している。
晩年はオランダのアムステルダムに居住。2012年6月に咽頭癌の手術を受け、その後に脳卒中で倒れてアムステルダムの病院に入院していた。同年10月17日、入院先の病院で死去。60歳没。
エマニュルを演じたあの女優さんも今は60歳で、亡くなりました。
寂しいものです。
この原作は、確か、マンディアルグが匿名で書いたものでしたね。
マンディアルグの文体は、日本ではかなり愛好家が多く、吉行淳之介氏もかなり褒めていました。
もう日本では見られない、シネマ、「満潮」も素晴らしいかったですね。
「黒い美術館」や、「海の百合」なんかはフランスではシネマになったのでしょうか。
一度見てみたいものです。
以前、このブログで紹介しましたが、マンディアルグの作品では、アラン・ドロンの作品で、「あの胸にもう一度」というのがあります。
たしか、日本での原作の題名は、「オートバイ」ですね。
マリアンヌ・フェイスフルは、大好きな女優さんです。
この時代のフランス映画が一番おもしろかったかもしれません。
ヌーヴェルヴァーグの作品群もアテネフランセでよく見たものです。
「恋人たち」が一番記憶にありますね。
次なる映画は「序の舞」。私はもともと、呉服屋におりましたので、この映画にはまいりました。しかも、日本画の世界ですし。
わくわくどきどきしながら、何回も見たものです。
それでも、こうやって、年月が流れてまた、見直すと、いいものです。
まったく忘れているシーンもあります。
でも、名作だから、いつも泣けてきます。
映画なので、実話といえ、かなり娯楽要素を入れては在りますが、それでも、上村松園の人生を感じ取ることは可能です。
宮尾登美子大好きです。
「序の舞」再視聴です。
映画の再試聴の良いところ。
これまでに、見逃していたところや、すでに、すっかり忘れていたところ。
また、これまで、さほど感動しなかったシーンにジーンと涙したりする。
年齢によって感銘は、まったく違うのだと思う。
・・・・・・・・・・・・・・
貧乏なる田舎の9歳の女の娘が、京都の金持ちの家にもらわれていく。
雪のなか、馬に、ゆらりゆらり、のっかってその娘はいくのだ。
「おとうはん」「おかあはん」、「よろしゅう・・・」とけなげに、新しい父母に、
頭をさげる彼女。
これだけで、ジーンとくる。キモノ姿がまたグッと。
泣かせるツボをよく知っている。中島貞夫監督。・・・・・・
名取裕子は、もっともっと、活躍してもらいたい日本の女優さんのひとりです。
ハリウッド映画なんかには負けてもらいたくないと、そう思います。
キモノ姿が、これだけ似合う女優さん。
そういるとは思えません。
宮尾登美子・・・・・・88歳没。
このかたも、年をとっても創作意欲の衰えない人でした。
私が宮尾登美子の本と言えば、『藏』を始め、まだまだ読みこんではいないので、彼女についてしっかり書くということはもちろんできないのであるが、自分が読んだエッセイの中でこれはと思った事を書く事で、自分の心に栄養滋味を与えることぐらいはしておきたいし、琴線に触れた事ぐらいは記録はしておきたいのだ。
彼女は「筆に託す心」という文章の中で、こんなことを書いている。
私がもしも結核にならなかったら作家になったかどうか、と。
ご承知のとうり彼女は満州から引き上げてきた時にその「苦渋に満ちた体験」しか当時3才の娘に残してあげるものが何にもないと気づいたというのである。
何も残してあげるものがない。
離婚というその当時の女性にとっての彼女の心の傷は今更言うまでもあるまい。
21歳の彼女はそこで日本にもどり、日々、生きて行くために軀を駆使する一方で満州での血と涙を記録し始めたのである。ところが不思議なもので結核で死ぬと覚悟を決めて子供に自分の体験だけは残してあげたいと書きはじめると、自然治癒で結核が治るのである。ここが自然つまり軀の免疫機能の彼女のパワーを感じるところである。
そしてそれ以後ずうっと書き続けて、今にいたるわけである。
先ほどから書いているように何冊も彼女の著作を読んでいるわけではないが、映画になった、「鬼龍院花子の生涯」や「序の舞」などでも感じる「女の歴史」を見直す姿勢が強さを感じる。男の造ってきた歴史をただ否定するのではなくて、歴史に埋もれた女性達がもう少し書くという習慣を持てばまったく別の歴史の視点が記録として残ったのに残念という巨の意見である。男の歴史はその圧倒的な想像力でマニアックに構築されたのであるが、その男達の「荒々しくも見栄と見果てぬ夢のドラマ」の片隅で、うちやられて記録もほとんど残っていない、庶民の女達の、現実の生活の中で呻吟し料理や井戸端会議や子供達を育てる女達達への優しい目線が彼女の素晴らしいところだと思う。
ところで。
ここで、そのような大きな彼女の視線はさておき、書くことについての、彼女のはっとするヒントを見つけた。
○まずひとつは。
文章は人のこころを豊かにしてくれる。どんなに幸せな人でも悩みのない人はいない。その苦悩を口から吐くのには相手がいる。相手がいれば秘密は思わぬところから洩れる。文章だと孤独な作業でこころのすべてを紙にぶちまけることができる。人に秘しておきたければあとでその紙を処分しておけば良い。
○次にふたつめ。
立派な家を立て、衣食住が充分に足りていても、あたまがからっぽ、精神が貧しければ生活は豊かとは言えない。書くという作業が一見孤独で卑小と見えようとその実いかに多くの功徳と広がりを持っている事か、日々日記をつけている人ならばどなたも充分感じ取っていただける筈。
このように素直に現実的に書くということを信じることができる彼女のこころの奥の信念はその満州体験、離婚体験の生活苦からの肉声がいつも胸に響いているからだろう。
私も最近自分史とかいう妙な言葉は別として、自分の昔の記録をつけ始めている。最初はこんなことを今更書いてもどうなることやら、となかなか納得できなくもなかったが、日々続けているうちに、ブログでは表現できない自分の秘の心を書き綴る内に、ある幸福な満足感と広がりを得た。
現代は一言で言えば、自閉と閉塞の管理社会である。
シネマやSF映画に50年前から警告された未来社会がいよいよ到達しつつある。
「生きていて生きる事の息づまる」世界。
「のんびりくつろぐことのむずかしい世界」
こんな時代の「最高の脳爆発の点火剤」が書く事である。「自分だけの癒しと世界の広がりとゆったりとした自身の存在の満足感」
「孤独な作業で孤独から救われること」
宮尾さんは最後に暖かく優しいこうも書いている。
「きっかけはなんであれ、目的はなんであれ、女もペンを持ち毎日のお金の出し入れや、お惣菜のこと、身近な問題や自分自身のことなどを、つづることはなんと素晴らしい事だろう。字の間違いや文章の巧拙などこの際まったくの枝葉末節なのだと思う。」
ただ、私もこうやって書いてきて、もしも、ただでさへ、肉体的にも精神的にも男性よりも圧倒的に強い女性達にこんなにも宮尾親分からのペン=小刀の力を更に、使っていきなさいというお言葉=指令をここでたくましき女性達に伝えてしまって果たしてよいものか。
我々男性は更に又不利な立場に追い込まれて行くのではないかという危惧を感じないでもない。
冗談はさておき。
近未来小説で、世界がこれまでの男性が構築してきた今までの伝統文化の世界Xと、新しく力を持った女性達が、彼女達に支配されることを願う美青年達だけを集めた別の新しき文化・システムの世界Yと、二つに別れていくことも私は妄想することもある。
果たしてその時、神はこの男と女というややこしいSEXの遺伝子をたった一つに統合すること=世界Zの天地創造、をおやりになることを決断するような気もするのだ。
これは私の創作のヒント。
アンドロギュヌスワールド。
上村松園は、食のあとに、梅干しをすりつぶして粉にしたみたいなものを飲んでいたそうです。
今で言う、サプリでしょう。私の好きなエピソードです。
彼女の絵。
これからはじまり・・・・・・・・
そして、下の絵のような辛い時期を乗り越え・・・・・・・
この「序の舞」にいたります。
絵には、作者の人生がそのまま、乗り移りますから。
私は余り年齢のことは考えぬ、
これからまだ多方面にわたって、研究せねばならぬ事がかずかずある。
生命は惜しくはないが、描かねばならぬ数十点の大作を完成させる必要上、
私はどうしても長寿をかさねて、
この棲霞軒に籠城する覚悟でいる。
生きかわり死にかわり、何代も何代も、
芸術家に生まれ来て、今生で研究のできなかったものをうんと研究する。
こんなゆめさえもっているのである。
ねがわくば、美神の私に齢を長くまもらせ給わらんことを・・・・ 上村松園
FIN
板橋文夫FIT with 纐纈雅代 岩見沢市・・・・
I氏の誘いで、ありがたくjazzライブを楽しむ。
纐纈雅代。。。。。がんばっていた。拍手も多い。
これから愉しみの人じゃないだろうか。
個人的には、観念的な曲が多かったような気がするけれど、スタンダードなんかは泣かせる力がある。
類家心平氏もまた。
最初は、すこしあがっていたようだったが、しだいに、凄みをおびてくる。
最近は、若い人がどこの世界でも、すごいと思う。
偏見がない分、伸びがわたしたちの時代とちがいすぎる。
その分、討たれ弱いかもしれないが。
とにかく、日本人最近、ピンからキリ迄、差がありすぎるのではないだろうか。
下の部分の劣化には、ほとほとあきれるものがあるけれど。
このような演奏を聞くと嬉しくなる。
楽しき夜はあっという間に終わる。
11時頃。
真夜中の散歩を楽しみながら、買ったばかりの小さなリュックに泡盛をつめこむのを忘れたことを
後悔。笑。
錦織の正しい楽観主義
ひとつひとつの文字が、目の中に飛び込んでくる!!!!!!
机上の理論なんかではなく、強い彼の秘密が!!!!!!!!
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人工知能 羽生さん シャオアイス
朝の曇って入るけれども優しい光に刺激されて目がさめてしまう。
昨日見た、羽生さんの「人工知能」の番組についてのアイデアをなぐり書きしたカードをじっと見てみる。
もう何を書いたのかわからないくらいの下手な字がミミズのように這っているのを解読しながら。
目が覚めるのを待つ。
昨日飲み残しの紅茶を飲む。
中国のシャオアイスという原始IT のスマホに羨ましさを感じる。
あれなら私も欲しい。
ペッパー君も可愛いけれど、高すぎ。
私が生きている間にどれくらいのITロボットが生活のなかにはいってくるか、ある意味愉しみでもある。
地下で本を立ち読み。
A4の箱くらいのテレビを見ながら死んで行った母ではないけれど、私もまた日々A4前後から、文庫サイズのバーチャル箱の中をのぞきながら、生き続けている。
ただただひたすらに、情報は楽しい。
知識は快楽。
考えることは人にあたえられた最高の幸福。
ダライ・ラマが言う。
「贅沢なんてつまらない」
考えることの楽しさを知ってしまうと、もう、その他の愚痴不満、環境に対する怒りなんかに興味がなくなってしまう。
若い頃は、友達と遊んでは、自分の好きなことを見つけておく事。
これができれば、人生は最高に楽しい。
日本人は特に、完璧主義で、「楽しむ」ことが苦手。
対人関係でも、小さなことばかり気になってしまう。もっとおおらかに、笑い、のびのびと、語り合いたいものだと思う。
Ukraine's Jamala wins Eurovision competition
Epistrophy (The Guevara band)
Eric Lu – Ballade in F minor Op. 52 (first stage
John Coltrane - Dakar (1963) FULL ALBUM
John Coltrane - Dakar (1963) FULL ALBUM
John Gallagher (guitar) with Bill Crow (bass) "A
今夜も風があるけれど、一日は終わりにちかい。
なるべく、光を落として、月の光や、虫の声なんかを聞きたいし、
小鳥の音などは最高に癒されるのである。
こんな夜。
村上春樹が大好きな、ビル・クローでもききながら、マンガの研究にはまることとする。
おそらく、朝はやかったので、すぐに眠くなるだろうし。
WYNTON KELLY avec JOHN Coltrane et STAN GETZ.flv
恐竜の進化「アーロと少年」「メランコリア」美女と怪獣「キング・コング」「ファンタジア」
不思議と、子ども達は、恐竜が好きです。
恐いもの見たさなのか、恐竜の写真なんかを見ていると、ずいぶんに、楽しそう。
きっと、私たちの祖先の恐竜に対する恐怖や、警戒や、またまた逃げ切れた時の歓喜みたいなものも含めて、それらが私たちの遺伝子に組み込まれているからでしょうか。
(国立博物館の大恐竜博、私も恐竜が大好きなものですので、昔、行きました。ネットから画像おかりしました。ありがとうございます。)
ところで。その恐竜映画。
もうすぐ、「アーロと少年」がやってきます。
これまで『トイ・ストーリー』や『モンスターズ・インク』、『ファインディング・ニモ』を手掛けてきたディズニー/ピクサー。どれも、素晴しい映画でしたが。
次回作では“もしも、隕石が地球に衝突せず、恐竜が絶滅をまぬがれていたら?”というアイデアから生まれた、かつてない壮大なスケールで描かれる驚きの世界を描いていくらしいです。
絶滅をまぬがれ、文明と言葉をもつ恐竜たちが、言葉をもたない人間たちと共存する地球。そこで、体は大きいが臆病で甘えん坊の恐竜アーロと言葉を持たない一人ぼっちの少年スポットが出会う。
壮大な自然を舞台に、見た目も性格も正反対な2人の出会いから始まるアドベンチャーが、世界中をいまだかつてない感動と興奮で包み込むと、宣伝にありました。
◎新しいクリップ
更新しました。・・・こちらのほうが、良いと思いました。
実は、こんな発見が最近ありました。。。。。。。。。
数ヶ月前に、テレビで、たまたま、見たのですが、40億年進化の旅。NHKでしたが、
「考える恐竜」というテーマでした。ダスプレトザウルスのような形の「トロオドン」と言うそうですが。 鳥みたいな恐竜です。
彼らも、かなり大きな脳を持っていたらしいです。
考える・・・・・えっ、恐竜が考える?? と、何の事かと最初は思いましたが、アメリカオハイオ州の、デール・ラッセル博士によりますと、恐竜の大きさやら、脳の重さやら、さまざまなる
恐竜の研究により、6550年前に、鳥形の恐竜の、子孫なのか、私はよく知りませんが、ジュラ紀の生物、ほ乳類がでてきて、・・・ハドロコディウム・・彼らは、はっきりと、
◎敵の姿を人の目のように見ていた
◎ヒゲで、敵が大地を踏みつける大地の震えなどを認識、感覚的につかみ
◎耳で、敵の足音をはっきり聞き分けていた
らしいです。
ざっと、キタナイ字で、紙にメモしたものですから、間違いがあるかもしれませんが。
恐竜は、昼活動しますので、彼らがいなくなる夜に、 こそこそと、活動していたのでしょう。
彼らの脳は、資料には、このようにあります。
約2億年前、祖先が獲得した「新しい脳」によって覚醒されたものである。人間の脳は計算や読書、会話などそれぞれ脳の役割の場所が異なり、それは「大脳新皮質」と呼ばれている。これを発見したのはアメリカ・シカゴにあるシカゴ大学の羅哲西教授で、最も古い哺乳類の化石の1つから「大脳新皮質」が確認されたと明かされた。羅氏は、恐竜について2億年前に生息した初期の哺乳類「ハドロコディウム」と語った。わずか1cmの頭蓋骨から復元された姿は体長3cm、指にのるほど小さな哺乳類だったと紹介。CTスキャナーで分析した結果、頭蓋骨の内部に「大脳新皮質」が確認、これが新しい脳の始まりである。羅氏は、確認した時について大躍進だったと語っていた。
「大脳新皮質」は何をもたらしたのか?
というわけで。
この、「アーロと少年」は、あながち、ただの空想ではなくて、ちょっとした進化の掛け違いや、小惑星の衝突の位置やタイミングがずれていれば、・・・・・・・
このような世界になっていたのかもしれません。・・・
この「小惑星」の地球への衝突。
これをテーマにした映画は、これまで、アルマゲドンや、ディープ・インパクトをはじめとして、たくさんありますが、
私が一番好きなのは、「メランコリア」です。
圧倒的な映像。圧倒的な音楽。圧倒的な演技。
個人的なフェボリットのひとつ。
アルマゲドンや、ディープ・インパクトなどのような、娯楽の要素はかなり少なく。
最初から最後まで、監督の美意識が、深刻な緊張感のまま続行していきます。
救いがないといえば、救いのない映画ですが、
もっと今のこの人生をしっかりと大切にせねば、と感じさせてくれる、傑作だと思います。
監督は、「ダンサーインザダーク」のラース・フォン・トリアー。
デンマーク映画ここにあり、と、世界に発信したひとりです。
このビョークの映画は、独特の映像と、カメラワークで実に印象に強く残っています。
恐竜をも滅ぼしたとされる、小惑星の地球への衝突。
過去幾度となく、ぶつかったらしいですが、
先月でしたか、小さな惑星が、地球とすれちがって話題になりました。
・・・・・・・・・
映画はまとめて、見る時間がなかなか、とれませんので、細切れ視聴しております。
だいたい、一日に、長くても30分。短い時は、10分くらいで、きりあげます。
もちろん、クライマックスにはいると、一気に見てしまいますが、それまでは、
のんびりと、原作を書架からとりだして、少し眺めてみたり、資料を見たり、
見た時のさまざまなる空気を思い出すようにしております。
新作は別として、昔の作品を再視聴することが圧倒的に多いです。
個人的には、今の新作は、10作中、感動するのは、1作。
かつての名作は、(時間が摩擦をかけていますので、当たり前ではありますが)、10作中、10作が、そのまま感動の渦に巻き込んでくれます。これは時間がない私にとっては、ありがたいと思います。
本や音楽も同じですね。
新作は、どうもあたりはずれが、多すぎて、時間がもったいないと考えてしまいます。
個人的に好きな作家は、駄作であろうと、なんであろうと、自分の金で買って、大切に読むということはいつも同じですが。
さて「メランコリア」
商売だけのシネマではなく、台詞などや、俳優の振り付けや、演技などなど、監督の独特の、
采配が興味深いです。
特に、音楽の使い方。
ワーグナー。
私もブック・オフで、安くレコードを手に入れましたが、トリスタンとイゾルテでしたか、
聞く人の耳にこびりついて離れませんね。
三島由紀夫氏やら、宮崎駿氏もまたファンでしたが。猛烈にたまに聞きたくなります。
この映画のなかで、川の中を静かに、遺体のようにして流れていく花嫁。
まるで西洋の名画のようでした。
私は、漫画から普通、愛と希望をもらっているし、小説や俳句や詩からは日本語の言葉の味を楽しみ、西洋のそれとの比較をさらに楽しみ、音楽からは魂の充電をさせていただいています。
「メランコリア」
総合芸術とよく言われますが、漫画や小説やオリジナルシナリオから、たちあがって、音楽やら言葉やら舞踊やらカメラワークやら、たくさんの人達が集まっては、ひとつの美をつくりあげります。
映画から血を吸ってほしい、芸術の血、心の血を吸ってほしい。淀川長治さんの言葉が耳元によみがえります。
「メランコリア」
この題名が、また実に美しい。
題名に惹かれて、見てしまいましたが。
内容は、地球最後の日々。
というわけで、ストーリーがどうたらというよりも、監督やその仲間たちが、この究極の日々をどうカメラに収めるのかということが興味あり。
まったくの脳と心をリセットして、まっさらで、見ました。
ネットで情報を見たのは、見たあと。
賛美と失望の半々。
なんといっても、ワーグナーのトリスタンとイゾルデでしたか。
デンマーク映画なのに。
三島由紀夫氏やら、澁澤龍彦氏が生きていたら喜びそうなカット満載。
そして三島由紀夫氏の好きなワグナー。この曲は「憂国」で使用されていたような記憶ありましたが、はっきり覚えておりません。おそらく、そうだったでしょうか。
しかし、それにしても、存在感のある女優。
きれいなだけの最近の女達とはひと味もふた味も違う。
お姉さん役もまた良かったが。
この映画が、ふたりの女性の名前で、ふたつに分けられているのも私の好みです。
ジャスティン
クレア
そして、男の子のあどけなさが、心に残る。
映画「渚にて」のように、家族が死についていろいろ考えるシーン。
ここは、どのような死に方が良いかどうかという問題はさておき、ジャスティンのような鬱病の患者が、魔法のシェルターを子供のためにつくるというのもなかなか。
映画のアイディアは、鬱病に苦しんでいた頃のラース・フォン・トリアーが出席したセラピー・セッションから来ている。セラピストは、鬱病の人々は先に悪いことが起こると予想し、強いプレッシャーの下でもっと冷静に他のものよりも行動する傾向があることをトリアーに伝えていた。
と、資料にはあるけれども、ラース・フォン・トリアー監督。
さすがに、あのビョークを撮った監督。
あの映画もまた心に不思議に残像がいつまでも残る映画でしたが。
冷たく、不安で、まさにメランコリアな画像をとりあげた。
こんな映画があってもいいでしょう。
人に勇気も希望もあたえない代わりに、美的感銘を少しだけ差し出すという映画。
心の病にかかる人に、少し特権を与えるような不思議な映像。
この救いのまったくない映画を見て、元気が出たというレヴューを見て、人間てなんと多様性があり、複雑でまた、おもしろい生物だなあと再認識。
私の好み。
あの、「惑星ソラリス」をこの監督はきっと好きに違いない。
重厚なクラシックにのせての、ブリューゲルの絵。これまったく同じ絵。
あとは、ラファエロ前派も好きに違いない。
水の中をながれていく花嫁。これは「オフェーリア」からイメージをきっと、とったのだろうと思う。
同じイメージ。
「盲目の少女」の絵もふとこの映画に重なる。
黒い馬が実に、「メランコリア」という映画には合う。
さて、「アーロと少年」
ピクサーは、ディズニーの完全子会社。
ディズニーといえば、私の小さな頃を、反射神経的に、思い出してしまいます。
最近、小学生が、大麻を吸っていたという事件がありましたが。
わたしなどは、その頃は、幻の雑誌「C0M」を発見した頃で、手塚治虫の「火の鳥」やら、石森章太郎の「jun」や、長島慎二の「青春残酷物語」などに、夢中になっていた頃でしたので、大麻などと聞くと、驚愕しました。ジュン 4: 石ノ森章太郎のFANTASY JUN/ポット出版
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この麻薬の子ども。 なんという、老成。
もはや、子どもとは言えません。
渋沢竜彦氏に、「黄金時代」という書物がありますが、子ども時代というのは、できれば、自然の中で、自由に遊び、家族に愛された「黄金時代」であってもらいたいです。澁澤龍彦全集〈10〉 澁澤龍彦集成 7,妖人奇人館,暗黒のメルヘン,黄金時代,補遺/河出書房新社
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というわけで、小さな頃のことを、考えていましたが、私は、小学校の低学年の頃は、大きくなったら、「漫画家」か「科学者」になりたいと考えていました。
「科学者」と言っても、「鉄腕アトム」のお茶の水博士が大好きだっただけですから、要は、「漫画」に夢中の頃。
その頃。私は、おんぼろ官舎に住んでいて、当時は、まだテレビを持っている家庭がほとんどいない時でした。
「プロレス」や、「ナショナル・キッド」なんかが、始まる時間になると、テレビを持っているところに、その他のみんなが、官舎ですから、集まってきます。
テレビのある家庭の奥様が、数十人も集まって、もう部屋がいっぱいになったころに、お茶を出したり、かりんとうを子ども達に包んだりしたあと、おもむろに、テレビの上にかけられた布をしずかに、あげて、テレビのスイッチを入れると、二三分すると、真空管のテレビでしたから、しだいに、画面がでてきました。
拍手をしたり、笑ったり、大騒ぎで、テレビは見たものです。
プロレスなんかの時は、親が真剣にみていましたが、子ども他は、子ども達で、違う部屋で漫画を見せてもらったり、いろいろと遊びをしていました。
そんな頃でしたから。
やっと、我が家にも、テレビが入って、自分たちだけで、テレビを見る事ができるようになって。
たしか、平日の八時頃から、週にひとつだけ、親から許可してもらったテレビ番組のことを今でも、はっきりと覚えています。
もう、妹と、夢中で見ていました!!!!!
「デイズニーの映画」の時間でした。
今でも、感激のあまり、夜もねれないくらい興奮した映画があります。
「ファンタジア」です。
おそらくこの番組を、宮崎駿氏は、20歳頃に見たのだと思う。
手塚治虫さんは宮崎さんよりも、ひとまわり上なので、おそらく30歳の頃に、見たはず。
クラシック音楽なるものを生まれて初めてきいたのもこの映画がはじめて。
北海道の片田舎、岩見沢市。
クラシックの演奏する場所など札幌に行ってもなかった筈。
jazz喫茶や、クラシック喫茶ができてくるのは、この時から10年後だし。
レコード屋に行っても、たいしたものはなかった時代。しかも、おそろしくレコードは
当時高かった。
私の小遣いは、小学生の頃は、たしか、50円から100円くらいだったと思う。
少年サンデーやマガジンやキングを二冊買えば、もうそれで一ヶ月はおしまい。
だから、レコードの1000円というのは、とてもとても子供に買える値段ではない。
それに、宿舎にすんでいる貧乏なる数十人の仲間のなかに、レコードプレイヤーを持っている人など誰もいなかった。
テレビですら、まだ宿舎の中で持っているのは、半分くらいだったと記憶している。
私が、好きなレコードをコレクションしはじめたのは、就職して、自分の給料で少しずつ買えるようになっていった、23歳頃からだった。
そんなわけで、この映画には、自分なりの思い出がぎっしりつまっている。
大学生になって、バイトの金にて、ひとりで、横浜の大きなスクリーンでゆっくり見たことも また忘れられない思い出。
「ファンタジア」、ディズニーの最大の傑作だと思う。
この頃に、見た感動が、今の映画好き、漫画好きな私をつくりあげたんだなあ、と思います。
それに、当時、外国人なんかが、外を歩いているのを見た事がありませんし。
ウォルト・ディズニーが、最初でてきて、物語やその他いろいろなことを話しているのを見ていて、不思議で、ものすごく、ひきこまれたことを覚えています。
基本、クラシックが使われていて、今見ても、大人でも楽しめるアニメなのですが、
私は、特に、「神話」のシーンと、デュカの「魔法使いの弟子」のシーンが、強烈に、印象に残っています。
妖精。
禿げ山の一夜。恐ろしい巨大なる神々、悪魔、天使。
ギリシアの神々。雷を手でつかんでなげるなんて!!!
擬人化された自然の草木樹々キノコたち。
・・・・・・・
今のように、DVDもありませんし、岩見沢市には、恐らくこのファンタジアは来ませんでしたので、私の心に残ったこの名作のシーンの断片などは、いつも頭のすみにあって、いつか、また見たいなと、思っていたものです。
そして。
大学のある、横浜の猿渡という場所にアパートに住み始めた頃。18歳の頃。
ついに、横浜にこの「ファンタジア」が来る事になり、私は、菅田町の猿渡から、バスに乗る金も節約して、歩きで、横浜まで行きました。
たしか、はっきり覚えていませんが、片道2時間くらいはかかっていたと思います。
往復4時間もかけて、この「ファンタジア」をひとり、暗がりのなかで、見た、興奮と、幸福。
今でも、忘れられない、強烈な、青春の思い出。
この「魔法使いの弟子」のシーンが、再度、見る事ができたなんて!!!!
(氾濫をおこした、ほうき達が、ズンズンと、歩き始めるシーン、なんと恐ろしい)
ところで、ディズニーと、手塚治虫は、一度あったことがあったらしいですが、多忙なディズニーが、ちょっと、彼に会いに来た手塚に、挨拶をしただけで、行ってしまったらしいです。(手塚治虫は大のディズニーファン。彼の夢は、母親がノートの端に、ぱらぱら漫画を書いてくれていたことが影響だと思うのですが、漫画だけではなく、アニメシーョンでしたから・・)
「鉄腕アトム」の作者と、おそらく、知らなかったんではないでしょうかね。
それに、宮崎駿。
ディズニー亡き後の、ディズニープロ。
日本でも、大ヒットした、『アナと雪の女王』
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ。トップのジョン・ラセターは、ピクサー時代からヒット作を連発する "生きる伝説" のような人物です。
ジョン・ラセターは、ピクサー、ディズニー、ディズニートゥーンの3つのアニメーションスタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサー。
ディズニーアニメーションのトップは、大の日本好き。
特にスタジオジブリは、『トイ・ストーリー』シリーズや『ファインディング・ニモ』を生みだしたピクサーと、会社ぐるみの付き合いをしているほど。
(宮崎駿氏のスタジオジブリで、働いていた女性と、知り合いだったので、よく聞いたのは、座業のせいで、いつも腰が痛いと言っていました。漫画家、そして、アニメのスタッフたちの、仕事環境は劣悪です。なんとかならないでしょうか。 国も、アニメなどを日本の文化として、世界に発信していこうと、本気で思うのならば、まずは、職場環境を変えて行かないと・・・・漫画家やアニメの関係している人は皆短命です。まずは、漫画・comicが、フランスのように、artなんだという世間の意識が、必須です。)
その、ラセターの人生を変えた映画は宮崎駿監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』
『ルパン三世』(ルパンさんせい)は、漫画家モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』のTV第4シリーズ。日本では2015年10月2日から放送中していますね。
この「ルパン三世」の不二子ちゃん。
私の敬愛するマンディアルグの「オートバイ」のマリアンヌを参考にしています。
けっこう、昔の映画ですし、
もう、レンタル屋にもありません。
「あの胸にもういちど」
マンディアルグが原作ですから、かなり芸術至上主義的な作品ですから、映画も、独特の香りと、
雰囲気があって、私にはたまらない魅力を感じさせた映画のひとつです。
(マンデイアルグの傑作の「満潮」もまた、仏蘭西映画になっていて、私はいつも探していましたが、やっと最近見つけました。)
そして、この峰不二子のイメージの原型ともいえる、マリアンヌ・フェスフル。
なつかしき女優。
私も、この小説の現代「オートバイ」も、今でも愛読していますし、映画の「あの胸にもういちど」も何回も見ました。
フランス映画は、少し不条理だから、嫌いという人も多いですが、フランス映画はそこがいいのです。
合理的で、わかりやすいハリウッド映画だけではなく、是非、フランス映画の魅惑も、あじわってもらいたいものです。
マンディアルグ 「オートバイ」
「あたしの恋人の中には虎と神がいっしょに住まっている」 レベッカ
よく友人と会話する時に、最近の映画について、「同じ2000円だすのなら、何回も、いつでも、繰り返し楽しめる本の勝ちだな」と、映画よりも本の方がいいと言う意見が多い。
私もそう思う。
しかしながら。
映画の楽しみというのは、私は、物語や描写は当然として、出演者の「存在感」だと思っています。
だから、人間に味がまだ個性というものがあった60.70年代の女優・男優の出ているシネマについては、まだまだ語るところがあう・・・・
マリアンヌ・フェイスフル。
もと、ミック・ジャガーの恋人。
フランス映画が、大好きだった当時の私は、シルヴィ・バルタンや、ヴィリジット・バルドーや、ジェーン・フォンダなどにも、10代だった私は当然ひかれていくが、このマリアンヌ・フェイスフルの「あの胸にもう一度」は強烈に私にインスピレーションをもたらしてくれました。
こつこつ、澁澤龍彦や三島由紀夫や吉行淳之介を辞書を片手に、調べていく読書にあけくれていた私は、この奔放で気ままで、猫のようになげやりな本能のままに生きる彼女を見て、驚愕し、女性にはかなわないと思った。
映画は、二時間の夢だ、と思う。
映画館から出れば、日差しが強くて目が痛くなるように、退屈で何も起こらない現実がその当時は待っていたが、その二時間だけは、快楽に身をゆだねることができる。
スターはスターであってもらいたい。
このことはしかしすごいむずかしいことだとは思う。
日本ではあれば、吉永小百合や山口百恵を思いだすが、「なりきる」ことに昔の俳優は自分をかけた。
そこが彼らが色あせない理由だろう。
ちなみに、ルパン三世の峰不二子の、オートバイにまたがる「いい女」のイメージはマリアンヌを参考にしたらしいですね。
そしてまた、この映画とはまったく別の世界と私は考えています。
原作本のマンディアルグの「オートパイ」は敬愛するあまり三冊も同じ本を持っていいます。白水社版が二冊と、Uブックスが一冊。
緻密でこだわりのある文体のそれはまるでワタリガニのスパゲッティのように独特の香りが病み付きになる魅力を持っている本です。
「けっこう、珈琲もミルクもいらないわ。食べ物もいいわ。桜桃酒をちょうだい」 レベッカ
<マリアンヌの I'd Like To Dial Your Number 彼女は歌が上手いとは思わないが、ジリオラ・チンクェッティのような震える節回しが特徴で ファニーな彼女の魅力がよくでています>
ところで、恐竜。・・・・・・
美女は、いつでも、恐竜とか、キングコングとか、ぴったり似合います。
「恐竜100万年」の美女。ラクウェル・ウェルチ
「キングコング」の美女。ナオミ・ワッツ
モスラの、ピーナッツ姉妹。
あと。
ディズニー。「美女と野獣」
フランスドイツ映画「美女と野獣」というのも、ありました。
最後に、資料として、日本では子ども達に、大人気の「ジュラシック・パーク」シリーズの四作をアップしていますが、
個人的には、恐竜と美女の描き方。
そして、恐竜と恐竜の戦い。
不思議な昆虫のイメージなどなど、スピルバーグに対抗意識を持っているせいか、
個人的には、圧倒的に、こちらの映画が好きです。
「キングコング」
ナオミワッツは、父親のピーター・ワッツはピンク・フロイドのサウンド・エンジニアです。
私が一番すきな戦いのシーン。美女と野獣
「ジュラシック・パーク」などの四作と比較しても、負けず劣らず、いや、
もっと緊迫感覚のある、すさまじい映像になつています。
ご覧になった方も多いと思いますが、ジュラシックパークなどと比較しても興味深いと思われます。
監督の、ビーター・ジャクソンも、「ロードオブザリング」の監督ですから、さすがだと思います。第九地区というSF映画も好きでした。不思議と残っています。監督も知らずに見ていましたが。
良い監督を選んで良い映画をみてください。と、淀川さんの言葉をいつも思い出すのですが、レンタル屋に行くと、もう、わくわくして、そのことを忘れてしまいます。
いつも、女優さんの写真で選んでしまいます。
ナオミ・ワッツの美しさ、この「キングコング」でも光っていました。
バードマンでも、でていたらしいですね。まだ見ていませんが。
Birdman'
「the impassible」でも、また。
それでは、最後に、この美しき美女、ナオミ・ワッツとキング・コングのシネマの
懐かしきシーンを再試聴して、・・・・・・・・・・・・・
私は、キング・コングの洞穴で、ひとり、ナオミ・ワッツが、静かに風景を見ているシーン。実際にはそんなことはないのでしょうが、実に美しいシーンだな、と今でもはっきり覚えています。
2017年には、「キングコング」のあらたな新作が予定されています。楽しみです。
『コング:スカル・アイランド(原題)』(2017)[編集]
アメリカ映画。シリーズのスピンオフにあたる作品。ドクロ島を舞台に、コングの起源を描く予定。制作はレジェンダリー・ピクチャーズ。なお、配給は当初ユニバーサルが行う予定だったが、ワーナーブラザーズに変更された[2]。また、同社の作成した『GODZILLA ゴジラ』と世界観を統合し、将来的にはゴジラとキングコングの対決も視野に入れているという。監督はジョー・コーニッシュを候補としていたが[3]、ジョーダン・ヴォクト=ロバーツが起用された[4]。脚本はマックス・ボレスタインが担当。主演は、トム・ヒドルストンを予定している。
「 いい映画を何回も見る事が大切です。」 淀川長治。
FIN
◎資料クリップ
重量感のある恐竜たち
ジュラシック・パーク3
新作 ジュラシック・ワールド
◎資料
◎パークで飼われている恐竜は原作、映画ともに15種だが、映画では実際に登場する恐竜の種類は7種、名前だけ登場するのが3種、残りの5種は不明。続編ではさらに多くの種類の恐竜を生み出したことが明らかになっている。また原作ではパークの一部に恐竜以外にも古代の昆虫なども登場している。ヴェロキラプトル(ラプトル) Velociraptor
原作文中の記述によればヴェロキラプトル属のモンゴリエンシスである模様。ただし、映画版での造形は顔がよりズングリとしており、デイノニクスに近いものになっている。これは当時ヴェロキラプトルとデイノニクスは同一種とする説があったためであるが現在はこの説は否定されている。作中での主な呼称は「ラプトル」。この呼称はT-REXと共に以後メジャーになった。狩猟本能に長け空腹でなくともほかの動物を殺し、霊長類をも凌ぐ高い知能を持つ動物であると設定されている。主に後肢の大きく鋭い鉤爪を使って獲物を襲う。劇中では3頭登場し、1頭は冷蔵庫に閉じ込められ、残りの2頭はティラノサウルスとの戦闘の末に死亡した。小説版ではリーダー格の1頭はロバート・マルドゥーンにより「ビッグ・ワン(The Big One)」と言う愛称を付けられていた。パークでのこの恐竜を表す標識のデザインは、鉤爪の骨格。作中の独特の鳴き声は高音はイルカ、低音はセイウチの鳴き声を混ぜ合わせたものである。ちなみに、現在まで発掘された実際のヴェロキラプトルは、長い尾を除けば中型犬程度のサイズであり、本作における「ラプター」はユタラプトル等の大型種と同等のサイズとなっている。この点については、映画のムック本[8]にて、スピルバーグ自ら確信犯的に大きなサイズにしたとの言及がある。尚、デイノニクスやヴェロキラプトルは近年において羽毛恐竜であったと考えられているため、現在主流となっている想像図と本作のデザインとでは異なる印象を与える。『III』で外見が大きく変わっているのはそのためである。また、『III』では個体同士で会話が可能だという設定があるが、本作の時点でそれに近い描写がある(ビジターセンターで仲間を呼ぶときの鳴き声など)。
ブラキオサウルス Brachiosaurus
作中では後ろ足で立ち上がり、また、顎を左右にスライドさせて咀嚼する描写があるが、双方共に実際は骨格の構造上不可能だと考えられている。標識は二頭の首の骨格。本作のブラキオサウルスの正面顔は、「可愛く巨大なペット」というコンセプトに基き、微笑んでいるように造形されている。疲弊したアラン達に安心をもたらす存在として登場し、『III』に再登場する際も一行に希望を与えるような存在となる。
パラサウロロフス Parasaurolophus
湖沼の岸部でブラキオサウルスと共に群れている遠景のみの登場だが、続編以降は存在感をアピールする。
トリケラトプス Triceratops
呼称は「トライク」(Trike)。標識は正面を向いた頭骨。病気で倒れている一頭だけが登場。作中の設定では群れを成して行動する恐竜とされていたが、そういった場面は『III』でわずかに確認できるものの以後のシリーズ作品でも明確に描かれることは一度もなく、群れで行動するシーンはステゴサウルスが主に引き受けている。撮影ではトップバッターだった。
プロケラトサウルス Proceratosaurus
映像では未登場。マイナーな肉食恐竜。原作にも登場しない。胚保存室で名前だけ登場。
ステゴサウルス Stegosaurus
映像には現れない。また、劇中の表示では「Stegasaurus」と誤記されている。胚保存室で名前だけ登場。
メトリアカントサウルス Metriacanthosaurus
映像では未登場 。プロケラトサウルスと同じくマイナーな肉食恐竜。小説にも登場せず。胚保存室で名前だけ登場。
ティラノサウルス・レックス Tyrannosaurus rex
この映画を象徴する動物的な鳴き声は 「ゾウの赤ん坊の鼻息」、「ワニの唸り声」、「虎の咆哮」といった強大な動物を混ぜ合わせたもの[9]。スピルバーグの音に関するこだわりは強く、『ジョーズ』においても同様の演出が見られる。標識のデザインは本作のロゴにもなっている有名な上半身の骨格。T-REXという呼び名は、学問上用いられる二名法に基づく略称である。小説版ではロバート・マルドゥーンが「レクシィ(Rexy)」と言うニックネームを付けて呼んでいた。また小説版ではレクシィ(Rexy)の子供として2歳ぐらいのオスのティラノサウルスが登場している。この映画の影響でティラノサウルスのみ属名、種小名がメジャーなものになったが、勿論他の恐竜・動物に対しても用いる。パラサウロロフス・ワルケリ(Parasaurolophus walkeri)、未同定のプロケラトサウルス(Proceratosaurus sp.)など。作中では静止している獲物を視認できないとされている。この設定は、続編小説では読者の指摘もあってか変更されたが、映画版では『III』までしっかり継承されることとなる。また時速50キロ以上で疾走し、ジープに追いつきそうになる場面があるが、続編映画では走る速度が抑えられ、人間になかなか追いつけなくなっている。動きが素早いという設定は、視覚の設定とは逆に小説版においてのみ継承された。
ディロフォサウルス Dilophosaurus
映画ではサイズが実物より小さい(幼体の可能性もある)。呼称は唾吐きを意味する「スピッター」。原作の小説および映画の設定では、吐く毒は蛇毒血清で早急に処置しなければ失明の可能性がある強力なもの(映画ではより強力で致死性)。登場する恐竜の中では最もデザイン、習性などが脚色されている。鳴き声は白鳥。威嚇時はガラガラヘビとタカとホエザルを混ぜ合わせたもの。標識は作中にも登場しており、頭骨。4作目のジュラシック・ワールドにおいても、立体映像としてだが同じデザインで登場した。
ガリミムス Gallimimus
鳴き声はウマが基となっている。この恐竜のみ標識が骨格でなく、しかも全身のシルエットである。
プテラノドン Pteranodon
映画には登場せす、小説版で示された。また、映画でビジターセンターにあるレストランで昼食シーンで、壁にプテラノドンの鳥小屋のアートワークが示され、2作目に登場した古い廃墟の「ジュラシック・パーク」の壁絵でもプテラノドンが描かれており、イスラ・ヌブラル島にプテラノドンがいた事が示されている。
メガネウラ Meganeura
小説版にて登場した原始的な巨大トンボ。竜脚類のパドックの森で、ティムとレックスとグラントが遭遇した。レックスがこの生き物は何なのか、グラントに尋ねるとグラントは「トンボで、ジュラ紀は巨大な昆虫の時間だ」と答えていた。ただしメガネウラはジュラ紀以前に絶滅したとされている。
人間に危害が無いので、パークでの先史時代の感触の雰囲気を出すためにこの生物も造られ、パーク内に追加された。
生物再生の現実性[編集]
現実的には、琥珀に閉じこめられて地質年代を経た血球の核のDNAは損傷が激しいと考えられる。生物遺体のDNA情報は521年に半分の割合で失われるという研究があり、これに基づけば、数千万年前の恐竜時代のDNA情報はほぼゼロとなる[6]。琥珀中ではなく、剥製や永久凍土中に保存されている絶滅生物のDNAから情報を復元し、絶滅生物のクローニングを目指す研究は実際に行われマンモスなどはこの対象として良く取り上げられる[7]。
◎資料
『キング・コング』(2005)[編集]
詳細は「キング・コング (2005年の映画)」を参照
アメリカ映画。1933年の第1作に感銘を受け映画監督を志したというピーター・ジャクソン監督作品。主演はナオミ・ワッツ。これもやはり第1作のリメイクで、当時と同じ1930年代が舞台。コングがスカルアイランドで巨虫や肉食恐竜と激闘を繰り広げた後、見世物として連れて来られたニューヨークで大暴れするというストーリーも共通している。原作と本作によれば、「18.8mのキングコング VS. 16.8mのティラノサウルス」とある。
『コング:スカル・アイランド(原題)』(2017)[編集]
アメリカ映画。シリーズのスピンオフにあたる作品。ドクロ島を舞台に、コングの起源を描く予定。制作はレジェンダリー・ピクチャーズ。なお、配給は当初ユニバーサルが行う予定だったが、ワーナーブラザーズに変更された[2]。また、同社の作成した『GODZILLA ゴジラ』と世界観を統合し、将来的にはゴジラとキングコングの対決も視野に入れているという。監督はジョー・コーニッシュを候補としていたが[3]、ジョーダン・ヴォクト=ロバーツが起用された[4]。脚本はマックス・ボレスタインが担当。主演は、トム・ヒドルストンを予定している。
◎トロオドン・フォルモスス
トロオドン・フォルモススは、小さいコエルロサウルス類の恐竜で、現代の鳥と同じ進化系統に分類される。巣にいる親と卵の化石が発見されており、その繁殖方法がワニ類や鳥類の繁殖方法に似ていることで注目を集めた。
科学者は、トロオドンが地上の巣に一定周期ごとに2個の卵を産み、体温で温めて孵化させたと考える。この行動は、トロオドン以前に存在していた近縁種(ワニ類)とその後に現れた近縁種(鳥)とを結ぶ、進化における重要な役割を担っていた可能性を示す。
トロオドンは、小さい体のわりには脳が大きく、恐竜の中で最も賢い種の1つであったと思われる。その脳が体に占める比率は現存する爬虫類より大きく、比率が近い現代の鳥と同じくらいの知能を持っていたものと考えられる。
トロオドンは、2本の長い後ろ足で歩き、小さなトカゲや哺乳類、無脊椎動物などを食べていた。狩りをするときには、暗闇でも視力を発揮する大きな両目と3本の指のある前足が役に立っていたと考えられている。
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やはり、やろうとする時、敵はでるものだ。
オリンピックに出れなかった戦犯にされた。
「ない」ことが「ある」ことに変容
する時。
そこを見抜いたNEC。
「見返してやるぞ」という言葉は、そう簡単に使える言葉ではないと思う。
2000年シドニーオリンピックの三ヶ月前に招集。
葛和監督は、大型セッターをあきらめ、竹下を使い切り。
21戦全勝!!!!!!!!! 物議をかもそうがなんだろうが、使い切る。
日本ランキング世界7位。
竹下のトスの速さ。・・・・・・・・・・素晴しきコンビネシーョン。
184センチの選手のブロックもした!!!
アルゼンチン カナダ を破る・・・・・ しかし。中国に破られ イタリアにも負ける
185センチの平均身長のクロアチアに勝つ!!!! 2対2
しかしながら。ファイナルで負ける。
シドニーオリンピックは絶望となる。日本女子バレーの栄光が閉ざされることとなる。
皆が泣いた。地獄。竹下の泣き崩れる背中。
2008年世界MVP選手。2012年日本銅メダル28年ぶり!!!!!!!!!!
壮絶なる経験で今彼女はその修羅場の経験を後輩に教えている。
手塚治虫の「世間は冷たいものだ。そして、温かいものだ」という言葉をふと思い出す。
困った時に手をさしのべてくれる人。感謝という言葉しかおもいつかない。
弟の守護神の姉 哀しき戸峰作品 「友よその罪を葬れ」「遊びをせんとや生まれけむ」「アルトマン」
石森章太郎のお姉さん。
石森はジャガイモみたいな顔だったが、お姉さんはインド美人のような美しい人だった。 赤塚不二夫
漫画家になることに大反対の父親などを説得して、東京行きに賛成させたのも、姉と言う。
弟の才能をすでに彼女だけは、見いだしていたのだった。
手塚治虫の才能を発見して漫画家になることを賛成したのも母親だったし、ゴミ箱に棄ててしまっていた書きかけの小説を、拾いだして、最後の最後まで書いた方が良いわとさとして、それがデヴュー作「キャリー」として大ヒットした、スティーブン・キングの奥様のエピソードも有名だ。
書き上げたばかりの小説の題名をなかなか決めれず、奥様に、「雨のなかの庭」(Jardins sous la pluie)と「ノルウェイの森」のどっちが良いと聞いて、即、「ノルウェイの森」と答えたといいう村上春樹の奥様のことはいうまでもなく、どこでもいつでも、女の直感は偉大だ。
彼は、この23歳にて亡くなった彼女のために、作品をよく捧げている。
また。たしか、「幻魔大戦」のなかでも、最強の敵と戦う時に、その彼が驚愕するような
ことをやってのけるのもまた、お姉さんのイメージだった。この作品はよく記憶している。
当時は、漫画家になることに賛成してくれる人なんかいない時代。
ただひとり、彼のお姉さんだけが、漫画家になりなさいと応援してくれたのだった。
この「姉」のイメージは、彼の作品のなかに、いたるところにでてくる。
そして、窮地に追い込まれたヒロインを最後の最後に救い出す・・・圧倒的な力で。
それはいつもお姉さんだった・・・・・・・・・
「ジュン」の世界は、個人的には最高傑作と言っても良い。
それに、手塚治虫が批判したというのは非常に興味深い。
たしか、夜半、手塚治虫がわざわざ、石森章太郎の家まで行って謝罪したらしいが。
あれだけ、「物語」にこだわった手塚治虫から観たら、とんでもない作品に見えたのだろうか。
今観ると、時代を変えたくらいの傑作だということがよくわかる。
ある意味、はやすぎた、作品である。
当時の新鮮だった、ガロや、COMの作品はもう普通であたりまえになってしまった。
気違いのような歌に聞こえたビートルズが、いまや、世界の人が普通にくちずさむ名曲に聞こえるように。・・・・・・・・・・
1 石森章太郎「墨汁一滴」などの資料がある「あそびをせんとや生まれけむ」という本。
やっと手にいれる。
Amazonでも買えるが、やはり自分の手にとってしっかり見てからの方が楽しい。
札幌遊歩道にひっそり、眠っていた。まるでオレが買う事を待ってくれているように。
実に、良い顔をしている。
こんな顔になるまでの苦労がしのばれる。
暑い夏の日。
年齢をへた老人が幻想を見る。
若き頃の初恋の少女だろうか。
今は、すでに、彼女も初老で小さな理髪店を経営している。
ふらふらと、その白昼夢のまま、少女にひかれて、彼はその理髪店に入って行く。
「くるんじゃなかった」と呟く彼。
現実の理髪店の匂いに、目が覚めたのだろうか。
時間がたって、彼は覚醒したように行った事を後悔するように、やはり気がつかないしと、家路につく。
そのころ。
かつての少女は、家のなかを掃除しながら、長年付き添ってきた夫の妙な顔を尻目に、「バカ」とつぶやく。
少年のうなじにある大きなほくろ。
忘れはしない。
豪雨の日に、大きな木の下にあまやどりをしたり、ふたり自転車で遊んだり、・・・・・・・・・・・・・ふたりの甘い記憶が甦る。
・・・・・・・・
誰しも、このような記憶を持っていることだろう。
中身はなんであれ、若い時の思い出ほど、素晴しい宝箱はない。
できれば、そっとそのまま、現実の時間のなかにひきもどすことなく、脳の奥の奥のほうにしまっていたいものだと思う。
時間は残酷だから。
2 不幸について考えている。
私は生まれもって、楽天的だし、けっして溺愛されて育てられていないのは、学生時代に視線恐怖やら対人恐怖やらをやったことからも、自分なりに理解しているつもりだが、要は、小さな頃からかなりの「めんどうくさがりや」だったことが、幸いしたのだと思う。
「めんどうくさい」
これが、私の、大学生時代までの、口癖である。
口癖は自分の人生を半分決めるというから、今からふりかえると恐ろしいものだ。
友達と麻雀をやっても、計算なんかはしない。面倒だからだ、だから、けっしてうまくならない。
何をやっても、途中で放棄する癖があったような気もする。
それが、変わって来たのは、学生時代に二年間、誰とも口を聞かずに、閉鎖的な生活をしながら、本ばかり読む生活をおくったからだと思う。
面倒だということの、マイナス面とプラス面がある。
プラス面は、けっして深刻にならない、なれないことである。
死ぬのさへ、面倒なんだから。・・・・・
マイナス面は、最後に、修正したのは、20代も後半の後半。仕事を必死にやっている最中に、とにかく、面倒という言葉がまったく通じない、「つみかさね」の世界にどっぷりつかったからだった。マイナスというのは、仕事では非常に+なのだが、とにかく、神経質になる。
仕事が終われば、やはり、深呼吸をして、瞑想をしながら、のんびりしないと、早死にしてしまう、そう感じた。
だから、家に帰宅してからは、まったくなにもしなかった。当時。
結局のところ、私が今、自分の人生は素晴しく幸福と言えるのは、まさに、「自分がそう幸福なんだと自然に考えることができるから、幸福なのだ」ということ。
朝から晩迄、幸福になるためにはどうしたらよいのだ・・・そんなことを考えている人には、幸福などやってこないだろう。
妙な言い方だが、なにか、好きなことを必死にやっている間、それは、幸福に包まれていることだから。
幸福なんていう言葉なんかどうでもいいのだ。
自分は不幸だと、うそぶいては、愚痴不満などを他人にまき散らす人がよくいるけれども、一緒に飲みたいとは絶対に思わない。
ギリシアの偉人が、かつて書いていた。
「自分のことを幸福と感じていることこそ、幸福なのだ」と。
3 jazz 直立猿人の素晴しさ。
昨日、吉祥寺メグの寺島さんが村上春樹をひきあいにして、とあるjazzマンをほめちぎっていたが、私は、チャーリー・ミンガスが好き。
かつて働いていたjazz好きな仲間がいて、よく、飲んだ時にjazzの話をしたが、
驚いたのは日暮里の「シャルマン」の話をしていたら、彼のお兄さんが、そこで働いていたとのこと。
これにはびっくりした。
彼のお兄さんは、森有正の熱心なファンだったらしい。
日暮里のシャルマン、私が、大学二年の頃だから、19歳、1974年の頃だろうか。
都内のjazz喫茶のマップを見ながら、山手線のすべてのjazz喫茶をまわろうと思い立ち、
上野の喫茶のあとに、ここに来たのだった。
それから、35年後の日暮里に行き、猫に餌をやりながら、のんびり鄙びた店や、猫のいる喫茶店などを巡り、シャルマンを探したら、まだ生き残っていた。
その当時を思い起こしたら、この三枚のレコードのジャケットが目に浮かんだ。
植草甚一氏が言われるように、「ジャケットが良ければ、中身も良い」という言葉も
思い出した。
特にこの「直立猿人」には、まいった。
びっくりした。
まだ19歳の私は、こんな音楽がこの世にあるのかと、しばらくのあいだ、ミンガスのことばかり考えたりしたが、月5000円の猿渡のアパートでは、レコードプレイヤーも買うことができずに、ひとり、カビ臭い部屋で、もんもんとしていたのだった。
働くようになって、札幌のタワーレコードでこのレコードを買ったことを懐かしく思い出す。
昨年度はjazzを植草甚一氏の真似ではないが、一日に五、六時間は聴いた。半年続けて、止める。その他のことができなくなるだけで、jazz自体をそれだけ聞き込んで良かったと思う。今はなんでも聞く。
そのjazzのレコードのコレクションのなか、この「直立猿人」がベストに入る。
猿が人間として立ち上がる時の歓喜を描いたようだが、それがリアルに伝わって来て妙な現代音楽よりは好きだ。まさに黒の音。叫びのようなアルトの音がまた心地よい。
彼は差別をかなり強い調子で糾弾したが彼の奥さんは二人とも白人。
自分の経営するレーヴェルの不振で、このグループをつくったらしい。
マイルスからジャッキー・マクリーンを紹介されたという。
まあこのメンバーを見れば、驚く。
この強い個性がリーダーシップの強いミンガスの音楽魂にて、コーディネートされている。
チャールズ・ミンガス - ベース
ジャッキー・マクリーン - アルト・サックス
J.R.モンテローズ - テナー・サックス
マル・ウォルドロン - ピアノ
ウィリー・ジョーンズ - ドラム
耳にこなれた美しいリズムもいいですし、逆に先日の日曜美術館でまさに画家の横尾氏が言ったように芸術家は謎そのものを作品の上にでっちあげたいのであれば、なんだこれは、という曲もいいものです。
謎をつくる。
神秘をつくる。
意味不明のわからないもの、安易な解説や分析を拒否するものをつくりたくなる。
それがartistなのかもしれない。
このFort Yawuh フォートヤウ などもその部類でしょうね。
キースはピアノは心の琴線にしみ込むようなメロディなどはもう弾き飽きているでしょうし。
ここで実験をすることで前人未到の地、を狙っているのかもしれません。
賛否両論はありますが、私はこのアルバムは好みです。
チャールス・ミンガスの直立猿人のような遊びがあり、絶叫があり、リズムの混乱があり、不協和音に満たされてはいますが、決して謎めいたものを現出することに失敗しているとは思いません。
ピカソが白いキャンバスを恐れたようにキースも静寂が怖いのかもしれない。
この画像は、もっと聴きやすい、キースの面がでているクリップです。もうあたりは暗くなりました。jazz の時間ですね。
ゲイリーやジャックもいい味だしてます。東京のイメージも演出されているのでしょう。
5 「宴のあと」三島由紀夫
文学の美というものがあるとしたら、この本だと思う。
ドストエフスキーも、カラマゾフあたりから美の問題がでてくるけれど、三島にすると、
最初からその問題がでてくるのだから。
宴のあと (新潮文庫)/新潮社
¥529
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まったく下記の資料のことを忘れていて、ぼんやり考えながら二度目の読書として、読んでいたけれども、これはもう圧倒的な三島由紀夫氏の文章のいわば創作料理に見事に昇華されているので、現実のモデルのつまらないゴシップことなど頭のどこにも浮かばなかった。
(もともと、文学というものは本質的に、ゴシップがあるからこそ、面白いのだが)
ただ、女主人公「かづ」は、まさに、小林秀雄氏の言うところの、「女がよく書けている」という、今では誰も言わなくなり気にもしなくなった大切なことが十分に描かれていると思う。
まさに、これは「かづ」の緻密なデッサンと言えると思う。
(村上春樹氏や吉行淳之介氏も、自分の作品などをスケッチという言葉を使う。そのスケッチをさらに深く進化させてデッサンにする事が可能)
つねづね、小林秀雄氏との対談においても、三島由紀夫氏は、「バルザックが文学の理想」かもしれないというようなことも語っていたし、そんなことを思っていた時期もあったのか、下記の資料のキーン氏の文章などをあとで知り、読んでみると興味深くなるほどそうだなあと思った。
「かず」のイメージはよくたちあがってくる。
生きているという実感、まさに、文学の中で彼女は永遠に生き続ける。
いろいろな評論家が物語のあらすじを描き、政治と恋愛のことについて触れているので、私は自分のための記録としては、最後の章の「山崎」という人物からの手紙の場面の、その文章のおもしろさだけをここに記しておこう。
妙なる感覚ではあるけれども、私はこの文章を読んでいるうちに、全体のなかではたいした比重をしめてはいないのかもしれないけれども、個人的に好きな文章だと思い、また、不思議な文章だとも思った。
三島由紀夫氏の天才はやはりこんなところにも現れていると思った。
現実的には小説は中央公論の連載であるので、売れなければいけない。
それでも、そのプレッシャーのなかに、彼の自在の、ほんとうにいいたい言葉を、ちらりと、
こんなところで見せている。
かつて、日光東照宮などでの大工達が、与えられた仕事のなかに、自分の存在をちらりと示すために、遊びの細工をしたようなものだろう。
そして、それがために、それがあるためにこそ、その作品全体がまた、大きく膨らんでいるというのも事実。
キーンさんの翻訳本も昔手に入れているので、こんどはそれも読んでみたくなる作品だった。
次は、年度別にではないけれど、「美しい星」に再度読み込みを試したい。
◎資料。
有田八郎から訴えられた際に三島は『宴のあと』について、「私はこの作品については天地に恥じない気持ちを持っている」と主張し、「芸術作品としても、言論のせつどの点からも、コモンセンスの点からも、あらゆる点で私はこの作品に自信を持っている」[3]と述べている。またプライバシー裁判においてなされた、三島による『宴のあと』の主題の説明は以下のようにまとめられている。
人間社会に一般的な制度である政治と人間に普遍的な恋愛とが政治の流れのなかでどのように展開し、変貌し、曲げられ、あるいは蝕まれるかという問題いわば政治と恋愛という主題をかねてから胸中に温めてきた。それは政治と人間的真実との相矛盾する局面が恋愛においてもっともよくあらわれると考え、その衝突にもっとも劇的なものが高揚されるところに着目したもので、1956年に戯曲「鹿鳴館」を創作した頃から小説としても展開したいと考えていた主題であった。(中略)
(有田八郎の)選挙に際し同夫人が人間的情念と真実をその愛情にこめ選挙運動に活動したにもかかわらず落選したこと、政治と恋愛の矛盾と相剋がついに離婚に至らしめたこと等は公知の事実となっていた。(中略)ここに具体的素材を得て本来の抽象的主題に背反矛盾するものを整理、排除し、主題の純粋性を単純、明確に強調できるような素材のみを残し、これを小説の外形とし、内部には普遍的妥当性のある人間性のみを充填したもので、登場人物の恋愛に関係ある心理描写、性格描写、情景描写などは一定の条件下における人間の心理反応の法則性にもとづき厳密に構成したものである。
― 「被告等の積極的主張」(「『宴のあと』事件」判決)[4]
ドナルド・キーンは、小説としての『宴のあと』の価値は「有名人をめぐるゴシップの面白さとは無関係である」と述べ[5]、作者・三島は素材を巧みに用いて面白い小説を創出し、とりわけ、雪後庵の女将「福沢かづ」という「立体性ある人物」をつくるのに成功したと評している[5]。そして、『宴のあと』により、三島は「19世紀フランス小説の手法」で書くことのできる能力を実証したとし、「かづ」は、「バルザックの中に登場しても場違いでない人物」であると評しながら[5]、「近現代の日本文学の中に3次元のふくらみを持った人物がいかに少ないかを思うとき、これは刮目するに足る現象であろう」[5]と解説している。
6 「驟雨」 吉行淳之介
この吉行淳之介の驟雨という短編は、不思議な短編です。
私個人的には、彼の作品のなかでは、一番好きです。
ジェンダーの女子からはいつも批判されてはいますが、彼は自分の生まれ持った性を
そのまま女性にぶつけて生きました。
他人様がなんと言っても、こうでしか生きれない生き方。
いいんだと思います。
赤線地帯という普通の主婦ならばまゆをしかめる場所でありますが、彼は、そこで疲れた羽を休めただけです。
ふらりと寄ったその場所で、ひとりの女性と出会い、そのまま、不思議に、手紙を交わすような縁になります。
金で遊ぶ、わりきりの場所であるのにかかわらず、女性とのつきあいもそれが理想と言う彼の信条が、ゆらゆら、と迷いはじめます。
恋の瞬間なのでしょうか。・・・
もう平成の今では、こんな情緒のある男女のつきあいは、もうないでしょうが、彼は、貧乏のどん底から、このひとりの女性に出会い、驟雨という作品にまとめました。
何回読んでも、当時の、風景や、自然が感じられ、また、男の嫉妬の苦しみが悲しい作品です。
たしか、私の曖昧な記憶では、この作品で、彼は賞を取り、作家としてデヴューしていきます。
このモデルになった、女性。
彼は、毎年、彼女のところに通い、関係がなくなったあともまた、一個の香水をおくりつづけたそうです。
お世話になった御礼ですね。
違う作品なのかもしれません。私の記憶は最近、ぼんやりしています。
ただ、彼の優しさはそういうところにあり、女性というものを、おおらかに、愛していたのでしょう。
自分の家庭だけが大切で、それ以外は絶対に許さないとヒステリックに叫ぶ、最近の女性たちの敵になるような作品群ですが、男と女、そんなに簡単なものではないでしょう。
銀座のバーで、酒を静かに飲んでいる姿。
坂口安吾に、太宰治に、そしてまた吉行淳之介。
思い出ししています。原色の街・驟雨 (新潮文庫)/新潮社
¥546
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村上春樹の作品をこぞって評論家が、反対しているなかで、ひとり才能があると見いだしたのは、この吉行淳之介だけでしょう。
たしか、私の記憶ではそうです。
・・・・・・・・・・・・・・
股膝三年尻八年・・・・・・・・・ 吉行淳之介
深刻で、時代の暗さをひとり背負っているんだという気負いの人が嫌いでしたね。
いつも軽い冗談ばかり言って、漫画家の友達といつも麻雀をうっていました。
シャイな彼独特の「深刻真面目な時代へのささやかな反抗です。(きっと時代が彼の欲した方向へ行過ぎて軽くなりすぎましたから、今生きていたら、もっと真面目にやれと、はっぱをかけるんじゃないかな、そんなことを考えてニヤリとできるのが彼の良いところです。)
映画・・・・・・・
今、戸峰美太郎について、ひとつひとつの作品を分析しているので、どうも時間が足りず。
困ってしまっている。
ワンパターンの研究だ。・・・・・・・あまり細かくは書かないけれど。
・・・・・・・・
それでも、飯は食い、トイレには行かねばならず、散歩は欠かさず、風呂も入る。
友達との義理もかかさず、頼まれれば断ることはない。
絵も毎日、光のなかで書かないと気がすまない。
・・・・・・・・・・・・
ああ、人生は短い。
ミステリー。
松岡正剛が、植草甚一について書いている。少し珍しい文章。こんな感じ。
「いまではまったくそういうことはなくなったのであるけれど、ぼくはアメリカのポップカルチャーは好きなのだが、また科学者の書くものもけっこう感心するものが多いのだが、「アメリカっぽいもの」に関するヨイショについては、ともかく虫酸が走ったのだ。
それが植草甚一にも見られるのが、当時は困ったことだった。ただし、実際にはその逆のことがおこっていった。植草本がぼくのそのような虫酸をゆっくり溶かしていったのだ。
これはD・H・ロレンスを読んでいるとだんだんイギリスが好きになってしまうようなもの、あるいは岡本太郎を読んでいると縄文がだんだん好きになってしまうようなもので、植草マジックである。つまりはアメリカ漢方薬なのだ。
ともかくも、どうしてイタリアの若い女性記者オリアーナ・ファラーチがアメリカで有名なのか、クリーブランドのラルフ・ハーバー教授が好きなスリラーがかっこいいこと、フィリップ・ロスはなぜマスターベーション文学としかいいようがない『ホワッキング・オフ』を書いたのか、というようなことは、植草甚一を雨の日の喫茶店で読まないかぎりは、わからなかったことなのだ。」 松岡正剛
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やっぱり私は、ミステリーよりもSFファンなんだ。
しかしながら。
少しずつ、すこしずつ、ミステリーの愉しみもまた、理解できるようになってきたような気がする。年齢とともに。
◎友よその罪を葬れ
buen hombre友よその罪を葬れ [レンタル落ち]/作者不明
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◎ミステリーがあまり得意ではない私。
でも、手塚治虫ならば、この展開をさらに、ダイナミックに展開させことができるかも。
そんなことを考えながら、楽しめた。
映画は、どうしても、作るのに大変な額がかかるために、その回収を考えると、観客への
サービスをどうしても入れるようになる。
まさに、ヒッチコックだったと思うが、「映画は人の無意識の欲望の表現なのだ」から。
これが、石森や手塚のミステリー漫画ならば、15分ほどで簡単に読めて、トイレタイムなどが充実するのだけど、映画だけに、情報がつまりすぎている。
ふたりの妻の魅惑。
ふたりのスペインの奇才俳優達の演技。(ゴヤ賞)
音楽。
スペインの町並みやら、協会の光や影。
スペイン警察の事務室などの描写などなど。
それが面白いのだけれど。
原題は、「善人」・・・
邦画題名の「友よ、その罪を葬れ」はあいかわらず、つまらん、題名の付け方。
マンネリの極地。
題名が地味であればあるほど、中身が良いと、記憶に残るのに。
この友よ・・だと、個人的には覚える事も不可能。
善人でさへ、罪を犯す可能性がある。
キリスト教の国の罪と罰の描き方が、興味深い。
どんなに立派な人であっても、いや立派な人だからこそ、その名誉や、地位や、家庭のために、悪に手を染めることがあるのではないか。そして、善人としての自分がその悪を無意識に認めずに、心の奥にしまい込んで行こうとする。
そこには、確かに、葛藤もあるが、彼はそれをやりのけようとする。
この矛盾。
この残酷。
不条理な現実を乗り越えるための短絡的で、乱暴で、理性の枠をとんでもなく超えて行く力。
日本非公開のスペイン映画ではあるけれども、なかなか、おもしろいシネマがまだまだ、ゲオには眠っているなぁ。
◎「野にかける馬のように」・・・・・・
マーク・レスターは、好きだった。
ある意味、中性的な雰囲気もまた、可愛らしい。
もちろん、子供だから中性というのはあたりまえなのですが、不思議なお坊ちゃん的な要素があり、まさに稲垣足穂の物語にでもでてくる金髪の少年という感じ。
なんせ、私は中学生。
勉強もそっちのけで、このレコードを聞いていた記憶がある。
トレーシー・ハイドも当時の私にとっては、かわいい存在。いつも頭のなかから離れなかった記憶がある。
最後にアントマン
「マーベル・コミック」のアメリカン・コミックヒーロー『アントマン』の実写映画化作品。また、様々な「マーベル・コミック」の実写映画を、同一の世界観のクロスオーバー作品として扱う『マーベル・シネマティック・ユニバース』シリーズとしては第12作品目であり、その「フェイズ2(第2シーズン)」の最後を飾る作品でもある。
監督ペイトン・リード
映画
年 日本語題
原題 クレジット 備考
1995 テニス靴をはいたコンピューター
The Computer Wore Tennis Shoes 監督 テレビ映画
1997 新ラブバッグ/ハービー絶体絶命!
The Love Bug 監督 テレビ映画
2000 チアーズ!
Bring It On 監督
2003 恋は邪魔者
Down with Love 監督
2006 ハニーVS.ダーリン 2年目の駆け引き
The Bre
ak-Up 監督
2008 イエスマン “YES”は人生のパスワード
Yes Man 監督
2015 アントマン
Ant-Man 監督
ちいさな頃。小学生の頃、私は、今で言う大型のアパート、当時は宿舎という名前だったけれども、
たくさんの人達と共同のトイレと、風呂を使うような、そんなボロボロのアパートに住んでいた。
よく近くの川で、ドジョウ、特に赤ドジョウなどを探して友達と遊んでいたものだが、官舎のすぐ横を小川というか、ドブ水みたいな水路があり、その近くに、アリが巣をつくっていた。
何時間も何時間も、アリを見ていて飽きなかった。
そんなアリをテーマに、50年後にこんなスゴイ映画ができるとは、誰が想像できたろうか、少なくても、私はとてもとても・・・・・・・
透き通ったビンにアリを入れて、家でも、アリをじっと眺めていた自分を懐かしく思い出す。
というわけで。
この映画、「アントマン」。
予告編や、ポスター見ていても、あまり、イマジネーションが湧かないので、見ようとは思わなかった映画だった。
しかしながら、たまたま、この映画もまた、時間の問題で、その日、これしかぴったり時間があわなかったのだった。
「しょうがないな」と、呟いた私だった。
おそらく、
昔たしかに、おもしろかったけれども、この「バグスライフ」みたいな感じの実写版だろうとタカをくくっていた。
ところが、これが当たりだった。
最初は、ギャグ映画みたいなB級C級映画の結果かもと、あまり期待しないで、見たのだが、
見ているうちに、この映画のおもしろさが、体全体に襲って来た。
ディズニーが、まだ貧乏だったころ、彼は自分の部屋に出没するネズミからヒントを得て、ミッキーをつくりだしたのだけれども、このアントマンの作者は、どこからこのキャラを考えついたのか、そんなことを考えると興味深い。
この映画の原作者は、資料によると三人いる。
おそらく、スタン・リーの弟の、
ラリー・リーバーが物語を考えたのではないだろうか。
兄の、スタン・リーは『ハルク』、『ソー』
『アイアンマン』、『ドクター・ストレンジ』、『スパイダーマン』、『X-メン』、『アベンジャーズ』
『デアデビル』『キャプテン・アメリカ』
などの原作をしているから驚く。
アメリカンコミックの世界は、あまり詳しくないので、間違っているかもしれないが・・・
一応ここに、記録して、さらに、調べてみたい。
要は、マンガというのは、結局は物語が一番大切なわけで、絵はその次ということなのかもしれない。
たとえば、資料にもあるように、「デスノート」の大場つぐみのような存在、それが、彼ら三人なんだろうとも思う。
日本とは違ってアメリカの映画創作などは、ひとりの監督がひいひい言いながら作り上げるのではなくて、それこそまさに総合芸術というか、たくさんの天才たちが、企画をたたきあげて、つくると聞く。
そこに、さまざまなる人達のプロジェクトが、協力するわけなので、一番最後のクレジットを見ていると、次から次へと、ロゴやら、映画に協力した人達の名前や会社やお店の名前がつらなっている。
途中で、席を立ってしまう人もいるけれども、ここは、しっかりと見ておきたい。最後の最後に、シネマの最後のクリップが流れることがよくあるからだ。
そんなわけで、この「アルトマン」。
監督は、ペイトン・リード。
私の知る限り、「チアーズ」の監督。
短期間で、踊りをオリジナルでつくりあげようという物語で、大胆なチアガール達の踊りが印象的。あまり有名な監督ではないけれども、この映画「アルトマン」に限って言うと、最高のデキ。
個人的には、アメリカのマンガは、どちらかというと、子供用というか、幼い発想で、可愛らしいマンガが多い。日本のマンガは、比較すると、かなり、大人までが、読めるような知的で、哲学的なマンガが多いと思う。
だから、最初は、あまり気乗りしなかったのだが、見ているうちに、映像の素晴らしさに惹き込まれて行く。
とくに、後半のクライマックスの映像なんかは、驚愕する。
連想としては、昔小さな頃に見た、「ミクロの決死園」。
50年前の映画で、たしか、小学生か中学生の頃に、学校でみんなで見たような気がする。
当時は、こんなレベルの映画であっても、ものすごく感動した。
リチャード・フライシャー監督だ。
今でも、名作映画としての地位は保っている。たしか、アカデミー賞をとっているはず。
この作品が、50年後に、この「アルトマン」のような映像に結晶していくとは。・・・
デジタル映像がどんどん進化して、このような映画が誕生するわけだけれども、これからの未来の映像はどうなっていくのだろうか。実に楽しみ。
脳は、常に新しき刺激をほしがっているという。
その意味では、この「アルトマン」は、おすすめの映画だと思う。
映画が終わった時に、まわりの、若者が、「意外に良かった」とか「すげえ」とか、そんな感想を漏らしているのが、その証拠だと思う。
SF映画のシリアスな場面が豊富にあって、よくこんな映像をつくりあげたものだなと、感心する。
感心しながら、ハラハラドキドキ、この物語の結末が気になるのである。
しかも、アリを調教するという素晴らしきアイデアが、生きていて、家族連れやら、子供が見ても相当に楽しめる。
笑えるシーンもたっぷりある。
ただ、「量子論」というかなり難解なる物理学的なテーマも含まれているので、理科系の大人が見ても、楽しめるし、大人がひとりで見ても、十二分に、感動できる作品となっといる。
子供からの質問がでても、きっとお父さん・お母さんたちは、答えられないだろうとは思うが・・・それでも、それが良いのだ。
わけのわからない映像や、わけのわからない物語。
それらは、子供達の潜在意識のなかに、しずかに沈殿して、その不思議感覚が、宇宙や、自然に対する気持ちを刺激して、彼らの日常を生き生きさせていくのではないだろうか?
ああ、映画というのはなんと素晴らしいのだろうか!!!!!!
私もまた、映画館を出る時に、良い映画にあたったなあと、ほのぼのした気持ちで、映画館をあとにしたのである。
マンガの実写版というよりも、映画作品自体としても、立派にひとつの素晴らしい作品になりきっている。
「マーベル・コミック」のアメリカン・コミックヒーロー『アントマン』の実写映画化作品。また、様々な「マーベル・コミック」の実写映画を、同一の世界観のクロスオーバー作品として扱う『マーベル・シネマティック・ユニバース』シリーズとしては第12作品目であり、その「フェイズ2(第2シーズン)」の最後を飾る作品でもある。
製作はマーベル・スタジオ、配給はウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズが務める。監督はペイトン・リードが務め、脚本はエドガー・ライト、ジョー・コーニッシュ、アダム・マッケイ、ポール・ラッドが執筆し、主要キャストとしてラッド、エヴァンジェリン・リリー、コリー・ストール、ボビー・カナヴェイル、マイケル・ペーニャ、ティップ・"T.I."・ハリス、ウッド・ハリス、ジュディ・グリア、デヴィッド・ダストマルチャン、マイケル・ダグラスが参加している。
『アントマン』の企画は2006年4月に始まり、ライトが監督・脚本、コーニッシュが共同脚本として雇われた。2011年4月までにライトとコーニッシュは3つの草案を完成させ、2012年7月にライトはテスト映像を撮影した。プリプロダクションはライトが『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』を完成させた後の2013年10月より始まった。キャスティングは2013年12月より始まり、ラッドがスコット・ラング役に決定した。
エヴァンジェリン・リリー
「lost」のケイト役でブレイク・・・・・・
とにかく中にはいりこむんだ。
選ぶのではなくて中にはいりこむ。
まずはその一部になり、そこから上をめざす。 ウォルト・ディズニー
FIN
「変容する女たち」 ニコール・キッドマン 「コールドマウンテン」「ピース・メーカー」
私が、高校生の頃。
深夜放送で、よく聞きました。
「氷点」、そして、三島由紀夫の師であられる川端康成の「伊豆の踊り子」にも出ていた内藤よう子の傑作歌。「白馬のルンナ」・・・・・・・・・・
北海道には、足の太い、「どさんこ」という馬がいますし。
この映画・・・「その人は昔」
舟木一夫のデビュー三周年で出された音楽物語という企画レコードが異例のヒットで実写による映画にまでなったと言う作品。北海道の百人浜で出会った純朴な若い男女二人が希望を求め東京へ駆け落ちするも冷たい都会に翻弄される物語。
ところで。
三島由紀夫が、とある雑誌の、「あなたにとって、この世で、一番美しいものは?」 というアンケートに答えて、こう書いています。
第一位 馬
第二位 猫
第三位 女性
この馬というのは、なにやら、彼の場合は、男性という意味合いも含んでいるのでしょうか。
そして。
猫は、彼は大好きでしたから。・・・・・・

(岩見沢市は、犬好きが多いらしく、ほんとうに犬の散歩している人が多いです。たまに、猫の散歩をしている若い女性と散歩中に出会って、びっくりするくらいですから。また、どちらも、私は好きです。ここ数十年間で、何匹もの、犬猫を飼いました。・・・みんな、死んでしまいましたが。)
彼にとっての、女性とは、たとえば、自分の作品に出てくれたある女優さんに恐ろしい程の美を、感じて、しかし、その撮影の打ち上げの時に、彼女を見ると、普通のただの女にもどっていたと書いていますから、やはり、「作品」の中での、演技としての、女の美しさなのでしょう。
ところで、私は、ゲイでもなく、普通の男性なので、異性の美しさについて、よく考えます。
普通の女性であれば、男性の美について、考える方も多い事でしょう。
「男性は目から恋に落ち、女性は耳から恋に落ちる」という言葉があります。
たしかに、男性は、見た目で異性の美を観察していますね。女性の写真集は男性ならたくさん持っている人も多い筈。それに反して、女性は男性の写真集をたくさん持つている人はさほど多くはないでしょう。
女性は、ただ、見るだけではなくて相手の言葉をしっかり聞いたり、、しっかり触れたり、することで、相手を身近に感じることができるように、神様からつくられているのかもしれません。
女性の美。
人には、フェチというものがありますから、女性はみんな「痩せたい痩せたい」と思っているでしょうが、北海道のとあるパブでは、体重が150キロ以上の女性だけを集めた、パブがあります。
そこに、北海道中から、男性が彼女たちの踊りを見にやってきます。
ふとった女性が好き。ふとった男性が好き。
いや、細い女性が好き。細い男性が好き。
いろいろな「嗜好」があっていいと思います。あとは、本人の直感でしょう。
女性の美。
私の好みは、基本、個性的な、顔立ちの人にひかれます。
ビョークとか、ダイアン・レインとか・・・
特に、ダイアン・レインは、演技は上手いとは思いませんが、あの顔のシワ・・・
が好きです。
人間味があって、平凡なる強さみたいな生命力を感じるのかもしれません。
でも、俳優・・女優さんの場合は、やはり、作品に対する演技者としての覚悟というか、
演じるパワーというか、いわば「変容力」というものがある俳優さんには、頭が下がります。
「変容力」の強い女優。
気になる女優がいます。
ニコール・キッドマンです。
たまたま、予告編で、魅入ったので、借りてきて細切れ視聴しています。
「ラビット・ホール」です。
資料
ニューヨーク郊外の閑静な住宅街に暮らす、妻ベッカと夫ハウイーのコーベット夫妻。彼らの幸せな生活が一変したのは8か月前。一人息子ダニーが道路に飛び出し交通事故に遭い、わずか4歳でこの世を去ってしまったのだ。それ以来、2人の心には埋めようのない喪失感が生まれていた。前に進もうとするハウイーとは対照的に、心乱れるベッカは周囲にも辛く当たり散らす。そんなある日、彼女は息子を轢いた高校生ジェイソンを偶然見かけ思わず尾行してしまう…
(私も、かつて、20年以上も昔のことですが、身内を失くした悲しき経験を思い出しながら見ていました。)
それにしても、ニコール・キッドマンという女優は、すごいな。・・・
そんな漠然とした感情があり、少し調べてみたのです。
これまで、けっこう彼女の作品は見ていましたが、なにやら、トータルで、まとまったイメージが欲しくなったんです。 あまりにも、違う役柄をこなしているので、・・忘れている映画もたくさんありました。
ニコール・キッドマン。
名前からして、なにやら、男っぽくて、カッコいいですね。
これまで、見た映画をまとめてみると、
かなり、気に入った作品があります。やはり、「変容力」の才能があるのでしょうか。
初めてゴールデン・グローブ賞を取ったのが、「ビリー・バスゲイト」という
ギャグの人生をあつかった映画。ロバート・ベントン監督は、「クレイマー・クレイマー」や、私の大好きな「俺たちに明日はない」の監督なので、見たかったのですが、なにやら、レンタルビデオ屋で発見できません。・・・・・ (彼女を語るうえで、これは是非見たかったのですが、あきらめました。)
記憶にかなり残っている個人的なフェバリットとして・・・。
その、ひとつが、 ピース・メーカー。1997年製作のアメリカ映画。
ジョージ・クルーニー主演。ロシアにおいて解体されるはずの核兵器がテロリストにより奪われ、それを取り返す米軍人と原子力科学者の活躍を描いた作品。
これは、すごい迫力でした。今のこのイスラム国がこのようなことをしないとは誰も言えません。
おそろしいほどの、時代を先取りした、先取りした映画です。ニューヨーク9.11テロより前の作品ですから。
これは男らしい感じでしたが、あまり印象には残っていません。男っぽい格好良さもありましたし。
だから、再度試聴して、感心したのです。
淀川長治さんが、言うところの、「良き映画は何回でもみること」に耐えうる映画です。
ニコール・キッドマン・・
次の映画「コールド・マウンテン」・・
彼女の顔って、不思議なのは、ものすごい美女でセクシーで彫りの深い彫塑みたいな時と、子どものように、素直で自然で可愛い時と、ふたつありますね。
「コールド・マウンテン」のなかでも、レニー・ゼルウィガーと一緒に暮らしている時の彼女は、まさに、レニー・ゼルウィガーが言うように、子どもっぽいお嬢様・・・という感じ。
私の好きな、うさぎたちを鋭い観察力で、描き上げた、ビアトリクス・ポターの映画でヒロインを演じた
レニー・ゼルウィガーと、演技力のぶつかり、それはそれは素晴らしい映画でした。
個人的には、かなり好きな映画です。
物語的には、単純で、アメリカ連合国の兵士としてノースカロライナ州からヴァージニア州に送られたインマンが、そこで激しい戦いの只中に置かれることになります。
友人を失い、自分も負傷したインマンは、故郷であるコールドマウンテンと、出発前の僅かな時間しか共に過ごすことが出来なかった最愛の女性エイダに再び合うため脱走し、徒歩でコールドマウンテンに向かう旅に出る、というだけなんですが。
私は北海道の厳しい冬を知っていますから、この雪嵐のなかで、一目惚れをした女性のもとに、ただただ、鳩のようにもどっていく男の姿には、うたれるものがあります。
そして、もどってくる彼をひたすら信じて、待ち続けるニコール・キッドマン。
このお嬢様そだちの彼女に、いろいろ農作物の取り入れやら、畑の世話などを、教える役柄としての、レニー・ゼルウィガー。
ほんとうに演技と演技のぶつかりが、楽しき映画でした。
結局は、レネー・ゼルウィガーがアカデミー助演女優賞やゴールデングローブ賞 助演女優賞、 英国アカデミー賞 助演女優賞などを受賞するのですが、個人的には、ニコール・キッドマンと良き勝負でした。
しかも、この監督、アンソニー・ミンゲラは、「イングリッシュ・ペイシェント」の監督なんですね。
・・・・・・・・・・
ニコール・キッドマン。
また、神秘的なほどまでに、美しいと感じた彼女の映画は。
「アイズワイドシャット」でしょうか。
これは不思議な映画ですね。原作も読みましたが、アルトゥル・シュニッツラーの『夢小説』(1926年)です。
キューブリック監督は、この映画の後亡くなりましたが、その彼のつくりたかった作品として、A.I.(Artificial Intelligence: AI, 2001年)がありました。
これまた、私のベスト10に入る、フェボリットです。
ラストシーンでの、母親と、人間の心をついに獲得したAndroid少年のつかのまの会話が、涙なくして見る事はできませんでした。・・・・・・
◎資料
(シュニッツラーの輪舞もすごいです。私は、ジェーン・フォンダ版を見ましたが。
1900年、当時の性道徳や階級理念に露骨に反した内容のために上演も出版も諦め、200部の自費出版本のみを知人に配っていたといいますから、真の自由人です。)
映画によって、どんどん、変容していく女性。「変容力」の女。
ニコール・キッドマン。・・・・・・
そしてまたまた、次の映画は、
「めぐりあう時間たち」。
知的な文学者を演じれば、まさに、詩人そのもの。さすがに、名女優。
監督は、有名なるスティーブン・ダルドリー。
つくった作品はすべてアカデミー賞にノミネートされています。
リトル・ダンサー Billy Elliot (2000年)
めぐりあう時間たち The Hours (2002年)
愛を読むひと The Reader (2008年)
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い Extremely Loud and Incredibly Close (2011年)
トラッシュ! -この街が輝く日まで- Trash (2014年)
(この、「愛を読むひと 」もまた、最高の傑作で、私のフェボリットに入ります。
また、のちほど、記録を残したいと思っています。・・・・)
ニコール・キッドマンが、バージニアウルフを演じる。それだけで、背筋がぞっとします。
個人的には、「意識の流れ」という彼女の文体は、日本にも、源氏物語という先駆がありますし、親近感を感じますが、人間関係に弱かったのかもしれません。
以前も記事にしたことがありますが、小説と絵画は、イマジネーションを膨らませることがこつさへ捕まえれば容易になるのに、そしてそのことは、困難を得るが自分で自分の時間をコントロールすることだから容易という言葉を使うのですが、映画や音楽の場合は、一度にその情報が襲ってくるので、膨らませる事を楽しむことをしている間に次ぎのセンテンスが来てしまうこともありますね。
その意味では、DVDやその他のメディアがせっかくあるのだから、こんなImaginationを使うシネマはそれ相応のまさに「時間」をかけて見ることが良いのではないかなと思いますね。
だから、わたしは、いつも、何回も同じシーンを見て、考えながら、見るようにしています。
細切れ視聴というのは、竹内均さんか、糸川英夫氏から、教えてもらいました。
豊饒なる時間、たった一日。
ジョイスが「ユリシーズ」で、一日だけを書き上げようしたことを思い出す。
瞬間の中の永劫。
ブレイク。
まさに日々のなにげのない日常の中につつまれている神秘を書く。
見ようとするものにはそれは風呂敷の紐を解く。
丁寧にゆっくりとしめやかに儀式のようにして。
そんな平凡なる一日を非凡に彼女が演技していました。ポケットに石ころをつめて、入水しました。敏感で繊細なる神経、俗悪なるこの現実にこすられて、ぼろぼろになってしまっていたのでしょうか。
ところで。
私が幼稚園の頃。
その間借りの家の前に、雑品屋があり、そこに古本の山がありました。
日々、友達と、そこに忍び込んでは、古本の漫画の山に驚喜しながら隠れ読んだ
記憶があります。
もちろん、そこで働いている人から、叱られては、また忍び込み、また怒られては、
忍び込む毎日でした。
あの、ノラクロやら、不思議な漫画の線・・・今でもはっきり覚えています。今で言えば、お宝の山があったわけです。
そこから数年。
雨がかなり降って・・・・
その間借りの部屋から、当時の、とある共同のぼろぼろの官舎に引っ越した時。
雨で、岩見沢市の小さな川が反乱しそうになったことも覚えています。
その雨のひどい日。
小学校からの帰宅日。
母親が興奮して、近所のおばさんたちと、なにやら、話をしていて、その声が・・・
ケネディが暗殺されたんだって・・・・
雨がますますひどくなりました。
雷がなりはじめ、私は、部屋にもどって、ケネディはたしか、アメリカの大統領だったっけ・・・
そんなことを頭で考え始めて・・・ぐるぐるといろいろなコトがめぐりはじめて・・・、
ケネディ大統領はじつは、アイルランドからの移民でした。それを知ったのは、だいぶ、あとからでした。
司馬遼太郎の、アイルランドの旅を書いた本。
街道をゆく 30 愛蘭土紀行I/朝日新聞出版

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街道をゆく 31 愛蘭土紀行II/朝日新聞出版

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この二冊の本を読んで、感銘いたしました。
アイルランド、ケルト、これらの言葉がいつも頭に残るようになりました。
それで、昨日、ふと、おやっと思いました。
中国での、フィギア大会のことですが。ケルトのことを考えていました。
jazzの演奏曲と蝶々夫人operaにあわせての、真央ちゃんの、演技、あっぱれでした。
まさに、サムライ。
覚悟を感じました。
そして、二番の本郷理香。最近めきめき一位、二位にくいこんできます。
落ち着きもあり、華やかさもあり、表情も素晴らしく、いずれは、真央ちゃんと世界のフィギア界をひっぱっていくことは間違いないでしょう。
本郷理香本郷理香の資料では、
アクセルを除く5種類のトリプルジャンプを跳ぶことができる。コンビネーションでは、3回転トゥーループ-3回転トゥーループ、2回転半アクセル-3回転トゥーループを成功させたほか、2013-14シーズンより3回転フリップ-3回転トゥーループ、2回転半アクセル-1回転ループ-3回転サルコウを取り入れている。また、ジャンプを得意とする反面、スピンではしばしばレベルを取りこぼすことがある。
2015年世界選手権では、ショートプログラム、フリーともにすべてのスピンとステップでレベル4を獲得した。
ルッツの踏切でエラーを取られることが多かったが、2015-2016年シーズンには、3回転ルッツ-2回転トゥーループのコンビネーションを2015年フィンランディア杯で決めるなど、エッジの矯正に成功している[10]。
とあります。
インタヴューでも感じましたが、小説「化身」で、初めてのデートで、「サバの味噌煮を食べたい」と言った霧子ではありませんが、少し田舎っぽい感じが、なんとも可愛いかった・・
ところで、彼女のフリー演技で、踊った、「リバーダンス」。
ケルトではありませんか。
以前にも、何回も記事にしましたが、リバーダンス(Riverdance)とは、アイリッシュ・ダンスやアイルランド音楽を中心とした舞台作品。アイルランドに伝わる神話や伝承、ジャガイモ飢饉等によりアメリカへの移住を余儀なくされたアイリッシュ・アメリカンの歴史、および多様な民族との交流をモチーフとしている。
と、資料にありますが、アイルランドの歴史と深い関係がありますね。
16世紀にイギリスからゲール語を禁止され、踊る事も禁止されて、窓を通して外から見られた時に、上半身を動かさず下半身でリズムを刻むダンスが誕生したと、言われています。
本郷理香が、このステップをフィギアで、非常に楽しくそして、イメージをつくりあげていました。最高でしたね!!!
そんなわけで、このアイルランド・・・ケルト。
いつも、不思議に思うのは、「音楽力」でも、書かれていましたが、ケルトと日本の歴史がよく似ているということですね。
音楽力/海竜社

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アイルランド。
いつか行ってみたい国のひとつ。
なにがあるというわけではないけれど、過去に好きだった作家たちは、ほとんどアイルランドの作家たち。
ケルトの妖精を描いた、「ケルト幻想物語」と「ケルト妖精物語」も、今は手元にないけれども、またいつか再読したい本。
しかしながら。
イギリスのアーサー・ラッカムや、ジョン・テニエルなどの絵が、私は小さな頃から大好きだったのだが、不思議とアイルランドではなく、がくっとしたのだが、やはり、イギリスなどの国も、キリスト教が入ってくる前の、太古の時代はケルトほどではなくとも、いろいろと、さまざまなる多神教の世界があったのではないかと想像される。


「アリス」もやっぱり、ジョン・テニエルの絵でないと読んだ気がしない。
自然のなかから、何かを産もうとすること。
それは日本でも同じことだと思うけれど。
でも日本でも、朝から晩まで仕事でビルの一角に飛び込められているサラリーマンたちには、このような感覚は生まれづらいかもしれない。
やはり、少なくても、太陽の光と、川の流れる音と、木々の葉が風に吹かれるときのさざめきくらいは、聞こえる環境ならいいと思うけれど。
あと。
音楽と踊り。
沖縄に昔行ったとき、かならず、宴のときには、みんなで踊る。
必ず踊る。
最初は観光のためのサービスなのかと思ったけれど、そうではなく、昔からのそのような音楽からエナジーをもらうための生きる知恵としての習慣なのだった。
盆踊りもそうだと思う。
今、日本の女性の間に、フラメンコブームやら、ベリーダンスやらがはやっているというのも、無意識の音楽からエナジーをもらおうという欲求なのだと思う。
うまい下手ではなく、音楽にあわせて、からだを動かすことが、すごいことなのだ。
以前、テレビで、見たのですが、確か「神田川」を歌った南こうせつ、彼が、ケルト音楽に惹かれてケルトの旅に出るという番組をやっていました。
また、ユーミンが、やはり、ケルト音楽の魅惑というテレビ番組で、ケルトに実際に行って、ケルト音楽の魅力について話している番組がありました。
アイルランドの傑作古典「指輪物語」の 映画音楽をつくったのも、やっぱりアイルランドの歌手、エンヤ。
なにやら、この曲に、日本人であるならば、不思議な共感を感じるのではないでしょうか。
これら、私もまた、心から魂から、大好きな国。一度は行ってみたい国は、
アイルランドと、ビョークの住むアイスランド。
そのアイルランドは、誰しも知っているように、かつて、飢饉がひどく、ジャガイモしか食べるものがなく、ひどく土が悪いということで、有名です。
飢饉では、おそらく、数十万人という人達がなくなったのではないでしょうか。(あるいはもっとか)
そんな貧しいカソリックの国を後にして、アメリカに移住する人も多かったようです。
ですので、アメリカの推理小説を読むと、下層の警察官は、だいたいが、アイルランド系ですね。
(よく映画でも、でてきます。私の知っている限り、イタリア映画では、ポーランド人が移民として、あるいは、フランス映画では、スペイン人がよく下層の移民として描かれているように。)
そんなアメリカに移民したたくさんのアイルランド人は、野心を持っていますから、いつか、
大家族を核として、アメリカで商売や、作家や、そして政治家としても成功する人がでてきます。
さっきの記事。
私の小さな頃の、雨の日、暗殺された、ケネディ大統領がそうでしたね。
アイルランド移民です。
そのケネディが、愛したマリリン・モンロー。
ケネディの誕生日に、歌をプレゼントするモンローのクリップです。
当然、ケネディの奥様は、おもしろくないので、欠席したパーティでした。・・
その彼女が、モナコ王妃としてグレース・ケリーとともに、ピックアップされたことがありました。
当然。
モナコの王様は、アメリカンガールのシンボルとしてのモンローを蹴って、「グレース・ケリーの「品」をとったわけですが、
そのグレース・ケリーの「品」をも、演技したのが、またまた、
ニコール・キッドマンでした。
グレース・ケリーの美は、別格ですから。
また、別の記事にしたいと思っております。
ニコール・キッドマンが、そのグレース・ケリーに変容。
「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」ですね。
(この映画はなにやら、英語の検定のテキストみたいな感じで、広告もされていましたね。
DVDにも、英語字幕はついておりませんでした。残念。)
最後に、このニコール・キッドマン。
トム・クルーズと結婚していたことはよく知られていますが、
10年程で、養子がふたりいましたが、離婚しました。
トム・クルーズは、実は私の大好きな、俳優のひとりです。
彼の、「all you need is a kill」についても、記事をかいたばかりです。
日本でのプロモートとして、三回も日本に帰国したり、小泉首相に会ったり、そして、
新渡戸稲造の「武士道」にぞっこん惚れて、「ラスト・サムライ」をつくったことも知られています。
ニコール・キッドマンの旦那さんでした。
ところで、彼の大好きな、その日本の映画で、最近再度試聴した、映画。
ここに記録しておきます。
「最後の忠臣蔵」素晴らしいかったです。
備忘録。
レヴューでも、一位になったというから、誰からも納得され、愛される作品だと思う。
三時まで見てしまう。感涙。素直に日本人に生まれて良かったと思う。
三島由紀夫もある雑誌のインタヴューにて、「男には幸福なんていう言葉ない」と語っていたのを思い出しました。(本気で男が男である時代に彼はもどりたかったし、もどっていきましたが。)
それにしても桜庭ななみ、は美しい日本女性。ニコール・キッドマンとはまた違う意味での、美です。
特に、浄瑠璃を見ていたときの、横顔。
キモノできちんと座ったときの女性の肩の線、胸から帯、膝、そして凛とのびた背中と、首筋。
結び上げた黒髪。
母親の女性もきっと美しかったのだろう。
男と女・・・・
最近、ロバート・ライトのこの「モラル・アニマル」を読んだが、
なぜ、男は美しい女性にひかれていくのか、という点。
モラル・アニマル〈上〉/ロバート ライト

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なぜ、女は地位があり人間的な力がある男性にひかれていくのかという点。
これらを綿密に、ダーウィンの進化論から分析していってなかなかの傑作だった。
きっと母親が美しければ、その子ども達も美しいはず、男性はそのことを意識する事なく、無意識に、自分の子孫が繁栄し、自然淘汰により強くなるように、美しい女性にひかれていくという。
とまあ、科学はそこまで。
春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)/三島 由紀夫

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私は呉服屋で女性の着物姿を朝から晩まで見てきたが、やはり、キモノ姿だけではなく、作法というものがセットになっていなければ、ダメですね。
いくら一見キモノが似合っても、言葉使いでガッカリするということもしばしばでした。
マゴザ。
(瀬尾孫左衛門)役の役所もすばらしかったし、佐藤浩市もやはり素敵だなあ。
彼らについては、また記録したいと思います。
現代人の感覚であの彼を見てもなかなか死にいたるまでの心のプロセスは理解できないかもしれませんね。
とにかく、義というものが、一番大事だった時代。
現代では、子ども達に、「命が一番大切」と教えますが、昔は違います。
特に、武士は、食わねど・・・で、やせ我慢が高く買われたわけですね。
「命よりも大切なものがある」
ここが理解できなければ、この映画のおもしろさは半減します。
ただ、友だちとこの映画を見て、何で最後に安田成美と一緒にならなかったのかと、思う人も多かったのでは?
まあ、映画は見方は自由ですから、私は私の見方で、楽しむことができました。
「美に感動する心の贅沢をおもちなさい」 淀川長治
(私の勝手な、備忘録)
●竹林。
●婚礼のときの、緑と金と白無垢の対比。
●小さな頃から嫁に行く時の練習。
●骨董。浄瑠璃。伏線。
●小林秀雄氏も書いているようになぜ日本人はこの敵討ち、仇討ちがこんなにも好きなのか?
●「家」と「個人」。枠があるなかの自由。俳句の自由。
●夏目雅子や宮沢りえみたいな新人はいないのかと監督が言うと、いるわけありませんと言われたエピソード。スタッフの持参したたくさんの写真から直感で選ぶ。
●時代考証は金がかけられない映画なので期待するのは無理かも。
●進化論・自然淘汰から見る、妻と愛人。
●一見束縛されていたおんなたちが作り上げた美意識の世界。やせ我慢に生きる男たちと、たくましく生きる女達。
◎資料
ウェールズは「歌の国」といわれ、特にハープ奏者や男声聖歌隊そしてトム・ジョーンズ、シャルロット・チャーチ、メリー・ホプキン、キャサリン・ジェンキンス、アレッド・ジョーンズ、ボニー・タイラー、ダフィー、ブリン・ターフェルなどのソロミュージシャンが有名である。
バンドではマニック・ストリート・プリーチャーズ、ステレオフォニックス、フィーダー、スーパー・ファーリー・アニマルズ、ロストプロフェッツ、フューネラル・フォー・ア・フレンド、ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタイン、ロス・キャンペシーノス!、ゴーキーズ・サイゴティック・マンキ等が有名である。
ウェールズにはナショナル・アイステズボッドという音楽と詩の祭典がある。これは1年に1度、毎年異なる街が持ち回りで開催している。スランゴスレンで行われるスランゴスレン国際芸術祭はアイステズボッドに倣ったものであるが、世界中のミュージシャンが参加している。
◎資料
リバーダンス(Riverdance)とは、アイリッシュ・ダンスやアイルランド音楽を中心とした舞台作品のことである。アイリッシュ・ダンスの中でも特に体幹や腕を使わずに足の動きだけで踊るアイリッシュ・ステップダンスと呼ばれる舞踊を元にしている。アイルランドに伝わる神話や伝承、ジャガイモ飢饉等によりアメリカへの移住を余儀なくされたアイリッシュ・アメリカンの歴史、および多様な民族との交流をモチーフとしている。
◎資料
アイリッシュ・ダンスは、ソシアル・ダンス(社交ダンス)とステップダンス(足のみで踊る)に分類できる。 さらに分けるとステップダンスにはシャン・ノースからオールドスタイルステップダンスと進化し、今では競技用のステップダンス(コンペティションダンス)の3種類のタイプがある。 一般的に知られるようになったのは本来のアイリッシュダンスではなく、競技用のステップダンスをベースにつくられたパフォーマンス用のダンスで1994年ユーロヴィジョンコンテストで披露されたパフォーマンス『Riverdance』が注目を浴び、その後本格的なショーとして世界を席巻。今ではアイリッシュダンスの代名詞となったが本来のアイリッシュダンスではショーダンスのように横一列に並んでステップを踏みならすことはしない。
ソシアル・ダンスはさらにケーリー・ダンス(céilí)とセット・ダンス(set)に分類することができる。どちらもカップル(男女一組)のセットで踊られ、通常、人数は4人から16人である。アイリッシュ・ソシアル・ダンスは現在まで続く伝統で、場所によって、修正が加えられたり、新しい振り付けが施されたり、さまざまなバリエーションがある。
競技ダンス(Irish stepdance)は、ライトダンス、ヘヴィダンスの二種類があり、シューズがそれぞれ異なる。 ライトダンスでは薄い牛革に編上げの紐のついたパンプシューズ、ヘヴィダンスではファイバーチップがつま先部分につき、バンドとヒールがある牛革靴であるヘヴィシューズ(またはハードシューズ)に分かれる。 また、ソロで踊るものとグループで踊るものがある。基本は上半身を動かさず、足をのみでステップを踏むが、グループで踊るものはショーダンスとは逆に音を出さないライトダンスのみしかなく、大体二人一組となって4~16人で上半身も使って踊る。
◎資料
親日家としてもよく知られており、2014年6月時点で20回目、と他の俳優と比べても、特に来日回数が多い。
日本ではパラマウントジャパンによりミッション:インポッシブル3のDVD発売を記念して10月6日が「トムの日」と制定されていて[15]、空港等でのファンサービスも恒例となっている。さらに2014年6月、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のジャパンプレミア時には、大阪、福岡、東京の3都市を半日で駆け回り、原作が日本の小説であることを理由に、特に思い入れの強い作品であることを、東京でのプレミアで公言した[16]。
◎資料
トム・クルーズが、女優のブルック・シールズが抗うつ薬のパキシルを、2003年初めての娘を生んだ後の産後うつから立ち直るために服用したことを、公に批判したときに論争が沸き起こった。トム・クルーズは「脳内化学物質の不均衡などは存在しない」と主張し、「精神医学は似非科学の一種だ」と断言した。このことにより『トゥデイ』の2005年6月24日放送分でマット・ラウアと激しい議論をすることとなった[27]。医学の専門家たちは「トム・クルーズのコメントは精神障害患者に汚名を着せている」と発言し[28][29]、ブルック・シールズは「トム・クルーズのコメントの数々は母親たちにとって大変な迷惑である」と述べた[30]。しかし、メディアに追求されたアメリカ精神医学会のスティーブン・シャーフスタイン会長が、2005年7月11日の『People』誌で、「脳内化学物質の不均衡」の証明について、「明確な検査法は存在しません (We do not have a clean-cut lab test.)」と認める事態になった[31]。2006年8月末にトム・クルーズは自らブルック・シールズに謝罪し、彼女もこれを受け入れた[32]。トム・クルーズのスポークスマンは彼と彼女は関係を修復したものの、トム・クルーズの抗うつ薬に対する立場は変わっていないことを確かにした[32]。ブルック・シールズはトム・クルーズとケイティ・ホームズの結婚式のゲストとなった。
トム・クルーズは『エンターテインメント・ウィークリー』誌上でインタビューを受け、精神医学を「ナチズムの科学だ」と発言し、「メタドンの本来の名前はアドルフ・ヒトラーにちなんでアドルフィンと呼ばれていた」という有名な都市伝説を引用した[33]。『デア・シュピーゲル』誌上で彼は「サイエントロジーにはナルコノンと言う唯一成功している薬物リハビリプログラムがあり、それは世界中で統計学上ただ一つ成功しているものだ」と発言した。ナルコノンは、その成功率は70パーセントを超えると主張しているが[34][35]、その数字の正確性は広く議論されている[36]。
サイエントロジーは主流の精神医学に反対していることでよく知られている
◎資料
ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf, 1882年1月25日 - 1941年3月28日)は、イギリスの女性小説家、評論家、書籍の出版元であり、20世紀モダニズム文学 の主要な作家の一人。両大戦間期、ウルフはロンドン文学界の重要な人物であり、ブルームズベリー・グループの一員であった。代表作に『ダロウェイ夫人』 Mrs Dalloway (1925年)、『灯台へ』To the Lighthouse (1927年) 、『オーランドー』 Orlando (1928年)、『波』The Waves(1931年)などの小説や「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」という主張で知られる評論『自分だけの部屋』A Room of One's Ownなどがある。
死と手紙
死[編集]
『幕間』(没後出版された)の原稿を完成させた後、ウルフは以前にも経験したのと同様の躁うつ病状態に陥った。第二次大戦が勃発し、ロンドン大空襲によって家が破壊されたこと、亡くなった友人ロジャー・フライの伝記の評判が芳しくなかったことで症状は重くなり、仕事ができない状態になった[12] 。1941年3月28日、ウルフはコートをはおり、そのポケットに石をつめて自宅近くのウーズ川で入水自殺した。ウルフの死体は1941年4月18日まで見つからなかった[24]。夫のレナードはウルフを火葬し、ウルフの遺骨をサセックス州ロドメル村にある自邸モンクス・ハウスの庭の楡の木の下に埋葬した。
書斎に夫レナードと、姉ヴァネッサへの書き置きが残されていた。
最愛のあなた
また自分の頭がおかしくなっていくのが分かります。私たちはあのひどい時期をもう二度と乗り切ることはできないでしょう。それに今度は治りそうもありません。声が聞こえるようになって集中できないのです。だから最善と思うことをします。あなたは私をこれ以上ないほど幸せにしてくれました。あなたは誰にも代えがたい人でした。二人の人間が私達ほど幸せになれることはないでしょう。この恐ろしい病気が始まるまでは。もう戦うことができません。私はあなたの人生を犠牲にしています。私がいなければあなたは自分の仕事ができるのですから。あなたはできるはずです。もうこの文章さえきちんと書けません。読むこともできない。言っておきたいのは、私の人生の幸せはすべてあなたのおかげだったということです。あなたは私に対してとても忍耐強く、信じられないほどよくして下さいました。他の人たちも分かっています。もし誰かが私を救ったとしたら、それはあなたでした。私にはもう何も残っていませんが、あなたの優しさだけは今も確信しています。これ以上あなたの人生を無駄にするわけにはいかないのです。今までの私たち以上に幸せな二人は他にはありません。 V (レナードに宛てた書き置き)
[25]
◎資料
モナコ王妃
グレース・ケリーとレーニエ3世の実子であるアルベール2世、カロリーヌ公女、ステファニー公女の3人は、撮影終了後の2013年1月に本作に対して「必要以上に美化され、史実に対して不正確」と批判、数多くの変更を要求したにもかかわらず無視されており、本作は伝記映画ではなく、完全なフィクションであるとしている[5]。アルベール2世は、特に父親であるレーニエ3世が「指導者として一方的で、妻を束縛する男」として描写されている点に不満を感じ、第67回カンヌ国際映画祭のオープニング上映への出席を拒否した[6]。
モナコ公室の反応について、主演のニコール・キッドマンは「本作にファミリーを批判する意図はなく、完全な伝記映画とも違う」とコメントしている[7]。
◎資料
ケネディ兄弟との不倫[編集]
1961年にミラーと離婚したが、この離婚に先立つ1959年頃から、ケネディの妹の夫で俳優のピーター・ローフォードやフランク・シナトラの紹介で、前年に大統領となったジョン・F・ケネディと肉体関係にあったことが、ローフォードやモンローの家の家政婦のレナ・ペピートーンなどにより証言されている[13]。また、ジョンの弟で司法長官を務めていたロバート・ケネディとも関係があったとも囁かれたことがある[14]。
同年に封切られた映画『荒馬と女』の評判が悪く、また共演したクラーク・ゲイブルが撮影終了後に急死したことも重なり、不安定になり再び精神病院に入院。この時、よりを戻した元夫ディマジオが彼女を支えた。翌1962年に、映画『女房は生きていた』の主演になるが、たびたび撮影をすっぽかすため制作はほとんど進まなかった。『女房は生きていた』の主役は結局降ろされた(『女房は生きていた』は、翌1963年にドリス・デイ主演で公開された)。
なおジョン・F・ケネディとモンローとの関係は、ケネディがサム・ジアンカーナらマフィアと関係の深いシナトラを介してモンローと知り合った上に、ジアンカーナが2人の関係を知っており、このことをマフィアの取り締まりを強化しようとしていたケネディ政権に対する取引に使おうとしていたことを憂慮したFBIのジョン・エドガー・フーヴァー長官が、ロバートに忠告したことでこの年に終焉を迎えた[15]。
しかしながらモンローは、その関係が終焉を迎えた直後の1962年5月19日に、ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデンで行われたケネディの45歳の誕生日パーティ(司会はローフォード)に、体の線が露わになったドレス姿で赴き、『ハッピーバースデートゥーユー』を歌い、「いつ引退しても悔いはない」とケネディに言わしめた(ハッピーバースデー・ミスタープレジデントも参照)。
なお、この際にケネディとモンローの性的関係を快く思っていなかったジャクリーン夫人は、誕生日パーティーにモンローが来ると知ってあえて欠席した[16]。なお、ケネディは翌年凶弾に倒れている。
「北の零年」「春の雪」「スワロウテイル」「ダブリンの街角で」「駅馬車」「死者たち」「細雪」
「みなさんにね、映画を一週間に2本は少なくとも観てもらいたいのね。
どんなに後に、これが役に立つか、映画を観ることが・・・。
映画を観ることで、どんなに人間、成長するか・・・。
ということで、映画を絶対若い人に観てもらいたいと思います。
これは、決して娯楽ではありません。
人間の勉強ですから、映画をごらんなさい。」
・・・・・・・・・・・・淀川長治
サラリーマンを辞めて、故郷、北海道のここ、岩見沢市にもどってきて、はや、6年。
生まれたのは愛知の豊川稲荷神社の近くですが、あちこち父親の転勤で、三才の頃に、ここ北海道に引っ越してきました。ですので、純道産子ではありませんが、心の故郷はここです。
17歳の頃。
神奈川の大学に行きましたので、17年+6年=23年。
転勤などで、北海道で仕事をしたのが、6年ですから、合計29年ほぼ30年ですね。
東京で生活したのが、残り、33年。
ですので、北海道と東京のくらしがちょうど、半分半分になってきました。
将来は、またどこかへ、引っ越しもするかもしれません。
明日のことは、いつも書いていますように、私の大好きな言葉「ケセラセラ」です!!!!
というわけで、身体の調子ももどってきたので、前から気になっていた映画、「北の零年」をここ二三日かけて、見ました。
・・・・・・・・・・・
「北の零年」という映画、2005年に公開していたのですね。
私が、まだサラリーマンをしていた頃。記憶しています。当然、映画館に行って、見たくても、次から次へと仕事がありましたし、その当時は、たしか、本に狂っていた時期。
この映画、北海道の開拓民のことを描いた映画なんですが、レヴューを見ると、普通の人は、
まずまず評判が良く、逆に少し映画に詳しい人たちが、「15億も使ってこんな失敗作か」とか、
「吉永小百合が年齢的に奥さんに見えない」とか、なんで「吉永小百合と小さな娘」が、ふらりと、吹雪の中にでていくのかさっぱりわからない」とか、「娘が、成長した期間、あんな小さな子役がいきなり石原さとみが演じるのはちょいとヘン」とか、いろいろ、ありました。
『北の零年』(きたのぜろねん)は、2004年製作、2005年公開の日本映画。主演は吉永小百合。
明治初期に起こった庚午事変に絡む処分により、明治政府により徳島藩・淡路島から北海道静内へ移住を命じられた稲田家の人々の物語である。
と、資料にありますように、巨額の金をつぎこんでヒットを狙ったのでしょう。監督は、
行定 勲(ゆきさだ いさお)。ポスト岩井俊二と言われていますね。
「スワロウテイル」
ただ、独特の画像なので、もともと私の好きな「絵」だったので、いつかじっくり見たいなと思っていて今になってしまいました。
その監督行定 勲(ゆきさだ いさお監督)、さん。
「春の雪」三島由紀夫を作っておりました。
またまた、大好きな宇多田ヒカルが、この「春の雪」の主題歌をつくってくれて、感動でした。
( 映画「春の雪」主題歌)。PVはチェコのプラハで撮影された。第20 回日本ゴールドディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」受賞。
見ていて、監督のことはまったく考えずに当時は見ていましたから、まさか、この大河ドラマの「北の零年」と同じ監督とは・・・・・・・・・・
私はいつも、キモノが大好きなので、女優のキモノを見ているだけで飽きません。もちろん夏目漱石の「それから」が映画化されたときにも、男性のキモノの着方も実に参考になりました。
たとえば、作務衣をさりげなく着ているのですが、洋式というか、真っ白なワイシャツの上に作務衣を羽織ったりするのをみていると、ほおっと、感心し、自分もマネをしてしまいます。
(屋根裏の詩人と言われたボードレールは、どんなに貧しい時でも、清潔で真っ白なワイシャツを着ていたことを連想します。)
女性の髪型。
これも、映画ということもあるでしょうが、現代の髪型と比較しても、もうこれだけの髪型なんかは、できないなぁと、いつも専門書を見ながら、ため息をついてしまいます。
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手間ひまかけるのがあたりまえという時代。
基本は、花街で働く、遊女たちが、自分たちの付加価値を高めるため、もちろん自己満足、美の追求いろいろあるでしょうが、金持ちの旦那さんに買い上げてもらうために、いろいろ、キモノの小物にも、工夫をこらしたのでしょうね。
西洋でも同じでしょう。
バルドーのトップの高いヘアスタイルが好きなので、いろいろ調べてみましたし、マリー・アントワネットの時代とか、バロックの時代のヘアスタイルもまた良いですね。
でも、それでも、日本髪の美しさに比較すると、私は日本髪の方が好きです。
◎資料
武家の妻女が好んで結ったという「勝山」を、地毛で結うところをお見せします。
結髪 : かなすぎ美容室 大庭啓敬(おおばよしひろ)先生。
同じではないでしょうが、「北の零年」の吉永小百合を連想させますね。
吉永小百合。私のくらいの年齢の方にはすごい人気がありました。
存在感。大根と言われようがとにかく存在感。
三島由紀夫の春の雪は、誰しも知っているとうり、彼が自決する直前に、出版した「豊饒の海」の第一巻目です。
帯に、川端康成の推薦文がついていて、これがもう大絶賛。装丁は村上芳正でしたし、素晴しい製本でした。
もちろん私も書庫において、日々、読んでいます。
今、奔馬をたまたま読んでいましたが、・・・・・・・・
「日本語で表現される文学作品としては最高峰である」、・・・・・・たしか、このような褒め方でしたね。川端康成氏の三島由紀夫氏に対する推薦文は。(ニュアンスは違うかもしれませんが)
そんなわけで、三島由紀夫好きとしては、こんなちょっとした偶然にも、嬉しくなります。
やはり映画は、自分のものさしと、自分の目線、自分の楽しみ方で見れば良いのです。
なんだかんだ言っても、私は感動できました!!!!
「おっと思い、ぐいぐいひきこまれて、最後にやったぁ」と楽しめれば、映画はそれで良いと思います。
それに、普段、北海道と縁のない生活をしている人にとっては、あまり、おもしろくない脚本・・・物語なのかもしれませんね。
司馬遼太郎氏の、「跳ぶがごとく」という作品があります。
自身、働いていた頃は、現実に揉まれて世俗的な本は避けていたのですが、
自身が昼間は俗にまみれていたからでしょう。
夜は、なんとしても、芸術至上主義の、pureな、どちらかといえば、神秘や、
聖的なるものを追求したかったのかもしれません。
よく幻想的な、作品を、読んだものだった。
ミステリーは嫌いなのに、ポーだけはよく読んだ。
ゴシックロマンとか、渋沢竜彦氏のすすめる本など。
(澁澤氏も、三島由紀夫氏から、君がいないと日本文学史がつまらなくなるよ、と書いています)
ところが、50代に入って、京大教授で、敬愛した会田雄二氏が絶賛していた司馬遼太郎の本を、
読まずしても、本棚にそっと置くようになり、それは次第に、空高く増えていきました。。
気がつくと、彼の本は、代表的なるものはほとんど揃っていたわけです。
60代になったら、読むぞと、無意識に決めていたのだが、55くらいから読み始める。
まず、「坂の上の雲」を完読。
日本や世界を旅しながら気楽に、しかも、本質的なエッセイも少しずつ読み始めながら、
彼の旅の本なんかは読みたいものですね。そして・・・・・・
トイレの時に読もうと決めた本がこれ。
「翔ぶが如く 」
地味な題名だったし、自分が一番苦手な歴史ものだったが、半年かけて、読了。
書き込みをぎっしりしながら、格闘した本。
自分がいかに、歴史の知識や知恵がないか、痛感できただけでも良いと思う。
それにしても、すごい本だと思う。
左右ということを超えて、彼の「歴史観」は、実に、参考になる。
この本を読んだ後に、「北の零年」を見ると、またまったく現実感覚が生まれてきます。
淀川長治さんが、「映画ばっかり見ていては駄目」「本も、音楽も、芸能も勉強しないと駄目」とさんざん言っていたことを思い出します。
もともと、私は、三島由紀夫氏や小林秀雄氏、江藤淳氏、などなど、保守の人たち、伝統的なこと・ものを大切にする作家に弱かったので、司馬さんの思想は少し、苦手意識もあったのですが、
読み始めると、さすがに、資料資料の事実に裏付けられて、彼の歴史観は、ヤワなものではないということが、しっかりと、認識できたつもりです。
この本の中にも、西郷隆盛の明治時代における、日本の混乱、・・・特に、廃藩置県に対する武士の憤りのすさまじさが、描かれていますから。
この本のおかげで、「北の零年」の中で。
淡路から、希望をもって、北海道に自分たちの新しい国をつくるんだと海での遭難などでたくさんの犠牲者をだしながらも、船で、やってきた武士や百姓たちのことが、イメージしやすかった。
それに自分がすんでいるのが、まさに、北海道ですから、普段、いろいろな北海道の歴史を考えていて、ずいぶんと参考になりました。
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ところで。・・・・・・・・・
私はいつも、北海道は日本ではない、そう書いています。
もちろん、ここは日本には違いないのですが、そうではないようなことが、多すぎるのです。
最初は、直感でしたが、たとえば、桜ひとつをとっても、本州の桜、特に関西やら、東京の桜・・・・・・新宿御苑でも良いですし、井の頭公園でも良いのですが、・・・桜が、美しすぎるのです。
ですので、高校生の頃まで、花見にはまったく興味はありませんでしたし、春になると、ここは、道路が雪と解けた水でぐちゃぐちゃになるので、春は嫌いでした。
それがそれが、どうでしょう。
東京に住むようになって、また、仕事で、京都なんかへ行くようになり・・・・・
桜の美しさに、驚愕という言葉がぴったりです。
「細雪」という映画を見た時には、もう、谷崎が関西にどうして引っ越ししたのかが少し、肌で実感されましたね。
(この映画については、もっともっと、書きたいことがありますので、また違う日に。)
・・・・・・・・・・・
じつに、桜とキモノは合うんです。日本美そのもの。
サッポロ出身の渡辺淳一氏の、たまたま、エッセイを読んでいたら、その私の気持ちとまったく同じことが書いてあって、なにか、やっぱりそうかって、思いましたよ。
ちょいと話しは「北の零年」からそれますが。・・・・・・・・
あの映画の中で描かれているように、やっとここまで、厳しい過酷な自然を、なんとか人がすめるような今の北海道になり、余裕がでてきたわけで、北海道ではサウナが人気があります。
北欧と同じですね。友達によく連れて行ってもらうサウナです。
。
卵の匂いのする安楽の温泉。
そして、サウナ。
身体を熱湯で暖めて、そして、汗の極限まで行った時に冷たい温泉にて身体を一気に水風呂にて冷やす。
身体は悲鳴をあげながらそのギャップを愉しみますね。
そしてまた、熱い空気のサウナに身体を浸す。
これのくりかえし。
一時間ほどすると、サウナトリップとも言うべき、零下の水風呂が何も冷たくなく感じるところまできます。
幾度もこれを繰り返し、身体の極限を試す歓びがサウナにはありますね。
最後に、温泉に入り、身体を暖めて、また冷却温泉に入って汗を
とめ、身体を吹きます。身体はもうそのころ、歓びの緊張にてはりはりになって、
生き返ります。
若返って、サウナ、感謝。
すべてが、終わって、暖炉の横であたたまる。
いやあ、人生の至福ですね。北海道=北欧の最高の魅惑です。
「一歩家から出ればそれは、すでに旅だ」 ヘンリー・ミラー
ところで、さきほども書いたように、いずれ、私は日本中を旅したいと思っています。
今は、散歩も旅なのだと、ヘンリーミラーの言葉を自分に言い聞かせては、自己満足しているだけなんですが、
やはり、いずれは・・・・・・・・
食べ物にしても、北海道と緯度の近いところの料理について調べています。
おもしろいですね。
似た食べものがありますし、ここでも、マネしてつくれます。
★ウイーと、飲み干した時に言わねばうまさが半減するとスウェーデンの人は信じているらしい、スナップという焼酎を飲みながら、食する料理は下記の料理。自分でも作ってみよう。
実際に行ったわけでも食べたわけでもないので、死ぬまでにはチャレンジしたいと思います。
○北欧ではなにやら8月になるとザリガニが解禁になるらしく、この8月の中旬になると、どこのレストランでも、一皿に10匹ほどつまれたザリガニをチュチーチュー食べるらしい、美味そうだな。dillという香料、これは独特の香りがあるが日本でも売ってますよね=成城石井あたり=これで煮たザリガニをそのまま食すのである。日本のザリガニも食ったことがないので未来の夢としよう。ただ、沖縄の老舗で食べた巨大なブロスター?は皮まで柔らかく絶品であった。
○ヤンソンス・フレステルセ
個人的には、北海道のカニは、タラバやズワイも美味しいですけど、やっぱり、毛蟹が一番好きです。
「ヤンソンの誘惑」というこの料理はすぐにでも作れそうです。薄くスライスしたジャガイモとタマネギとアンチョビを、ただ重ね焼きしたものらしい。
レシピもたくさんありました。
材料
ちりめんじゃこ /いわずとしれたいわしの稚魚
ポテトサラダ たまねぎたっぷり
バージンオリーブ油
○フライパンに油を敷き、火をつける。
セルクル(円形の型)をフライパンにのせ、ちりめんじゃこの半分をその中に入れて広げる。
※セルクルがない場合は、アルミホイルなどでも代用できる。
その上にポテトサラダをのせ、大根の切れ端などで、表面を平らにする。さらに残りのちりめんじゃこをのせて平らに整形する。
途中でセルクルごと金属ヘラを使って裏返し、両面をこんがり焼く。
うーん。北欧料理は北欧の風と土と光から生まれたものですので、できれば、スウェーデンで食べないと味が違うんでしょうね。
アンチョビも、今、自分で、作っています。
どうなるかわかりませんが、冷蔵庫で、今塩漬けしています。あとは、オリーブ油に浸すだけなんで・・・・・・・・・・
開高健のレシピでは見たことはないが、これはどちらかというと、北欧の庶民料理でしょう。
ただ、オーブンで焼くというのは、日本の湿気の多い地域ではどうなのか。
我々はいや私は、それらの食材があると、普通、醤油と米酢があるので、日本酒に合わせて、ジャガイモとタマネギはいためて醤油をたらし、イワシは焼いてこんがり好みの香料で食するのが好みですが。
○ショットプラール
なにやら肉団子をいためて、リンゴジャムや木の実で食べるらしい。
これまた日本でも、つくれそうです。北欧料理。
・・・・・・・・・・・・・・・・
あと、北欧にはオーロラがありますね。・・・・・・・・・かつては、ここ北海道の端の方では、たまにオーロラを見る事ができたと誰かに聞きました。
テレビでオーロラの特集をやっていて、ちらりとしか、見ませんでしたが、
実は、私も死ぬまでには一回でも本物のオーロラをみたいなぁと思っています。
ニコル氏の本を読んでその気持ちがさらに大きくなりました。
そして、こんなクリップを見ると・・・・・・
ところが、ここらあたりにすんでいる北欧の人達の生活・・・どうなんでしょうか。
カナダは大丈夫かもしれませんが、不思議と・・・・意外と北欧三国の人達は酒には恵まれていないですね。
ニコル氏の話などから、オーロラを見ながら極寒の空気の中で息をハァハァーと真っ白にさせながら、熱いホットウィスキーを飲んだり、サラサラの雪の中にねっころがって星空とオーロラを堪能したあとは、サウナでガンガンに体を暖め、草木で体をはたきながら、冷たい湖に裸のまま飛びこむ・・そして、またサウナに入り、冷たいビールを飲む・そんな生活を夢見た私は少し残念でしたね。^^
だいたい、酒は12度以上の酒は午後四時までほとんど店にはないらしい。
日曜日も皆無。
しかも酒屋などはなく、酒は、日本で言えば薬屋みたいなところでひっそり売られているらしい。
私の勝手な憶測だが、遺伝子的に酒に強くてあまり泥酔しない彼ら白人は、その分アルコール中毒になりやすいと聞きましたので、生活の智慧、国家の智慧にて、そんなふうにピューリタンらしくなってきたのでしょうかね。・・・・
その分、規律に甘い、デンマークに酒飲みや酒好きらは、おしかけると書いていました。
笑えます。そして、わかります。
やっぱり北欧は住む所ではないですね。私は酒飲みだから。・・・・その分、北海道は、ワインも作られていますし、安いし、美味い。物価も安いし、素材も抜群。・・・・
日本酒なども、ここ岩見沢市でつくられた地酒もありますしね。
私は北欧、北海道、アイルランド、・・・・寒いところが好きなのですが、年齢をとると、
雪かきなどの重労働がきびしくなってきたと感じています。
それでも、吹雪のなかを、少し晴れ間が出れば、80歳くらいの老人達が、杖をゆっくりつかいながら、つるつるした雪の上を上手に歩いています。
小さなソリの上に、日常品をたっぷり、スーパーで買ったのでしょう、乗っけて、背なかでロープをひっぱりながらやはり、おばあさんが、歩いています。
こんな光景はどこでも、いつでも、ここ岩見沢市では見れます。
生活の一こまですが、都会にすんでいる人はびっくりするでしょうね。
私の一番尊敬する人達です。あんなようにたくましく、私も生きてみたいものだと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・
雪がまた降り始めました。
さきほどあんまり雪が幻想的なので近くの森の近くの林の中に入って写したすぐ近くの近所の森の風景。
静寂。神秘。
私はこのような雪のしんしんと降り積む夜を歩いているといつもジョイスの「死者たち」のラストシーンを連想します。。そしてエンヤのこの曲・・・Aldebaran 大好きの二乗くらいの好きさです。
「死者たち」を声をだして呟いてみます。
・・・・・・・・・
二三度、窓ガラスを軽く打つ音が聞こえたので、彼は窓の方をむいた。また雪が降り始めていた。彼は眠りかけながら、銀と黒の雪片が斜めに降り落ちて街頭の光に浮き上がるのを眺めた。
そう、新聞の言うとうり、雪はアイルランド全土に降っている。雪は暗い中部平原のいたるところに降り、樹々のない丘に降り、アレンの沼地にひっそりと降り、さらに西の方、暗くたち騒ぐシャノン川の川辺にひっそりと降っている。
雪は、またマイケル・フェアリーが埋もれている丘のさびしい教会墓地のいたるところに降っている。
雪はゆがんだ十字架や墓石の上に、ちいさな門の穂先のうえに、不毛な荊のうえに、深々と降り積もっている。
雪の降る音を聴きながら、彼の魂はしだいに知覚を失っていった。
雪はかすかな音をたてて宇宙にふり、最後の時の到来のように、かすかな音をたてておしなべて生ける者と死せる者のうえに降りそそいでいた。<死者達 ジョイス ダヴリナースより>
死者たち、この英訳は、The Dead. です。
The Dubliners. ".. upon all the living and the dead."
1905年に「ダブリン市民」は書かれてますから、彼が23歳、日本では明治38年ですね。
日露戦争の時です。夏目漱石が「我が輩は猫である」を執筆しはじめておりますね。
ウナムノの「ドンキホーテとサンチョの生涯」が書かれ、マッハの「認識論」が書かれました。
アインシュタインの相対性理論の年でもあります。
世界的には激震の年であったろうと思われるなか、ジョイスはただひたすら、自分の故郷のここかしこを書く、そこが私などには惹かれるところですね。
「姉妹」が「ダブリン市民」の最初の短編ならば、「死者たち」は一番最後の作品。
「死者たち」においても、彼らはすでに魂がその時を迎えようとしている年代であるのだが、親戚の葬式にでかけた帰りに、妻が昔若い時に青年に「もう生きてはいきたくない」と愛を激しく訴え雨にうたれ肺炎で死んで行った美しい青年の話しをする。<ちなみに当時のイタリアの平均寿命は44歳>
それを黙って聞いているゲイブリエル。
寛容の精神があふれだして、妻のそんな気持ち--(ずっと夫婦生活の間、妻が内緒でこころのなかにしまいこんでいた)、も許せる気がした。
外にふりつづける雪が彼の魂を麻痺させ、アイルランド全体に雪は降り続ける。
シャノンに、アレンの沼地に、マイケル・フュアリーが埋葬されている教会墓地のいたるところに雪はふりつづけている。
ゲイブリエルは黙って妻の横で手を握りしめている。
このラストシーンは何回読んでも秀逸。
明治38年に書かれたとは信じがたい。
ジョイスは16歳の時にキリスト教を捨てていますが、トマス・アクィナスの哲学はジョイスの生涯を通じて強い影響を与え続けてますね。これらの小説を読んでもそれらの細部がきちんと書かれていて、観光旅行ではまず理解できないアイルランド人の普通の生活の一部が垣間みることができるのですね。
これが文学の一番の富、楽しさ、でしょう。しかも、自分の好きな時間に好きなところから読める。何回でも何回でも好きなだけ、原書にあたりながらもまたジョイスの文学はますます深い悦びを与えてくれます。
・・・・・・・・・・
またまた、淀川さんの声が。・・・・・
「映画ばっかり見ていては駄目」「本も、音楽も、芸能も勉強しないと駄目」
街道をゆく〈30〉愛蘭土紀行 1 (朝日文芸文庫)/司馬 遼太郎
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司馬遼太郎氏の「アイルランド紀行」を読んでいて、彼がジョイスなんかをホテルで読んでいることに、へえっと、思いさすが、プロだなとも思った。
しかしながら、作家ならばなんでも読んでいて当たり前なんだろうと思う。
一昨日も、三島由紀夫氏が大江健三郎氏と対談している本を読んでいて、川端氏や、谷崎氏、船橋聖一氏、ならわかるが獅子文六氏まで読んでいるということを知り、さすがと思った。
体系的にほとんど読んでいなければ、最前線の文学などにチャレンジはできないのだろう。
アイルランドについての、司馬遼太郎氏の書き方がおもしろい。
ぼそぼそ、書いていて、それでいて惹き込まれる。
ジョン・フォード監督が、アイルランド出身ということにからませて、自身のアイルランドの旅を深くしている記事を書く。
負けているのに絶対に負けているとは思わないのが、アイルランド、つまりケルト精神だと言う。
彼は、ワスプの若妻と結婚して、かなり自身を見失うが、アイルランドに旅することで、自分をとりもどしたとも言う。
そこで作られたのが、「駅馬車」とも。
そんなことも知らなかった自分が恥ずかしいですが、私は自分が世界のことをほとんど知らないと思っていますから、だからこそ、いろいろ調べるのが大好きなんです。
ジョン・フォード監督はこの映画の発想源はギ・ド・モーパッサンの短編小説『脂肪の塊』だと語っています。
「駅馬車」 英語でいうと、 Stagecoachです。
1939年2月15日に公開されたが、批評家から大絶賛され、興行的にも大成功した。この年のアカデミー賞には7部門にノミネートされ、助演男優賞(飲兵衛医者を演じたトーマス・ミッチェルに)と音楽賞をそれぞれ受賞した。しかし作品賞は13もの賞にノミネートされ、8つの賞を獲得した『風と共に去りぬ』が受賞した。
日本では翌1940年6月19日に封切られたが、この作品は映画評論家淀川長治が、ユナイテッド・アーティスツ日本支社の宣伝部勤務になって最初に担当した作品であり、『駅馬車』という邦題を考えたのも淀川である[6]。淀川の宣伝活動はやりすぎだったため、一度は会社をクビになるが、作品が大ヒットしたためクビは免れている。また、淀川の活動ぶりはアメリカに報告され、後日淀川に作品の製作者であるウェンジャーからサイン入りの銀時計を贈られた。
なにやら、西部劇とケルト神秘は結びつかないものですが、モーパッサンでした。
アイルランド。
英国との戦いが長く、その怨念はかなりある。
イギリスが日本の某会社に取引をしないと何かに書いたら、アイルランドは、「うちにいらっしゃい」と書いたと。
親日の国である。
反英の国でも、ある。テロ組織がある。
しかし、ビートルズも確かアイリッシュではなかったでしょうか?
もう頭もぼけていますから、・・・・・・・記憶も曖昧です。
国々の歴史は深くそして、深刻である。
負けているのに絶対に負けないという、その自己中心的な、ハングリーな、個性的な、幻想好きな民族ということか。
U2や、エンヤもいます。
ダブリンの町のある意味での精神的な麻痺を書いていて、それで、ダブリンの不思議な町の輪郭が目に浮かんでくる。
音楽と文学が発達する精神風土なのだろう。
カソリックの国というのも気になる。
英国は確かプロテスタント。
私はたぶん英国よりも、アイルランドが好きなのだ。ダブリンは一度くらいは行ってみたい。
この映画は、私のフェボリットです。
日本では、大ヒットもしませんでしたし、地味な作品ですが、アイルランド関連の本やジョイスを特に集中して読んでいた頃、見ました。
実に、ユニークな作品です。こころに残ります。
アイルランドのダブリンを舞台に、自然主義俳優およびミュージシャンのグレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァが演じている。映画撮影以前より2人は「ザ・スウェル・シーズン」の名で音楽活動をしており、映画のオリジナル曲全ての作曲および演奏を行った。
映画製作中の約6ヶ月間、アイルランド映画局の最高責任者が不在だったため、部下の裁量ではおよそ€112,000という低い予算しか組めなかった。制作費は€130,000(米ドル150,000)[2]だったが映画は成功をおさめ[3]、アメリカの映画館各館の平均興行収入を越えた.[4]。好評を得て[5][6]2007年のインディペンデント・スピリット賞の外国映画賞を受賞した。ハンサードとイルグロヴァの曲『Falling Slowly 』は第80回アカデミー賞歌曲賞を受賞し、サウンドトラックはグラミー賞にノミネートされた。
何回も書きますが、やはり、文学と音楽の国だと感じます。ダブリン・・・
今、北海道にも中国からの観光客がすごいです。
どこに行っても出会います。
声が大きいですし、すぐに日本人とは違うなとわかります。
やはり、北海道の食べ物。人気があります。
中国だけではなく、韓国からも、たくさんの人達がきます。
ニセコなんかも、プロのスキーヤーから見て、雪の質がいいんだそうで。
パウダースノーというらしいです。
北海道の食に魅惑されて、中国・韓国にもどってから口コミで広がるらしいが、北海道の食か珍しいのでしょうかブランド化されているらしい。
フランスでは高級肉になっているシカ肉もありますし、山芋なども立派ですから。
ジャガイモがたくさんとれるのは、アイルランドと同じです。
スケソウダラも韓国の鍋料理には欠かせないでしょうし。
最後に。
エンヤの、Enya - Amid The Falling Snowをききながら。
「北の零年」を思い起こしつつ、ビールを飲みました。
札幌ビール園で期間限定のクロビール、なにやら厚岸の牡蠣から作った黒ビールらしく、おいしかったです。
「人間が生きるということはどういうことかといつも考える。すると死ぬことだということに帰着する。死ぬとわかれば今日この一日を十分に生きねば損だと思う。・・・・・・・
大切な一日をあくびなんかしてふやけている人。いやですねぇ。」淀川長治。
FIN
Brad Mehldau - My Favorite Things @ Jazz a Vienn
70年代男と女の恋 ツイッギー 記憶喪失と復活 もう会う事はないだろう男
1970年代。・・・・・・・
私は、1967年から1972年の間が、好奇心と、自意識過剰の中学高校時代でした。
ですので、
当時は、さほど勉強したという記憶もなく、今記憶している時代のシーンといえば、
たとえば、
ツイッギー。今見れば、たんなるミニスカートですが、当時は、たまげました。
政治的には、左翼がいたるところに蔓延していましたし、(特にマスコミ、今でもその、なごりはありますが・・・)学生運動が激しく、デモをやらぬ人間は人間にあらず、・・そんな雰囲気のなか、三島由紀夫氏が自決。
私はそんな学生運動にも興味が持てずに、ノンポリ学生として、(三島由紀夫氏の自決だけが、なにやら私を理由もなく、強く強く惹きつけたまま)、田舎の中学高校で、のほほんと、暮らしていたのです。
ベトナム戦争。万国博。ドラッグ。ウッドストック。ロックとjazz。漫画の新時代をきりひらくC0Mの創刊。「火の鳥」「ジュン」「漫画家残酷物語」・・・・・・・
いまでも、若い人達に読み継がれ、アニメになり、語られ続けられています。
・・・・・・・・
当時。
子ども心に、なんでこんなにたくさんの人達が、熱狂の渦のなかで、死に、戦い、描き、歌って行くのだろうか・・・そんなことを考えていました。
その意味では、「生」の渦巻きが、今の時代よりも、より巨大で、「死」がまだまだ、身近にある分、「生」がより深く感じられたのかもしれません。
・・・・
私が、小さな頃は、以前にブログにも書きましたが、テレビがやっと小学生になってから自宅で見れるようになったような時代ですから、かえって、みんな、映画の方に親しんでいたと思います。
岩見沢市の小さな小さな映画館。
中学生の頃に、見て、カンツォーネの素晴しさに酔いしれ、ジリオラ・チンクェッティの美しさに、頭をがつーんと、やられた私は、寝ても覚めても、ジリオラ・チンクェッティのことばかり考えていました。
前にも書きましたが。
イタリア映画・・・「愛はかぎりなく」です。
今の時代なら、すぐに、ネットで、名前を検索すれば、もう、画像からクリップから音楽から、即、ダウンロードできますから、ある意味、便利な時代ではありますが、逆に、私の、そのときの、「ハングリー感」だけは、味わえないと思います。
「飢え」といいますか。
「ハングリー感覚」。彼女の顔がいつも脳裏から離れない。
でも、写真もなければ、何もない。
学校の帰りに、塀などに貼付けてある、「愛は限りなく」の映画のポスターをじっと、見る日々。
うちの母親が、そんな私の行動や雰囲気が変だと感づいたのでしょう。
その映画館の切符切りのおばさんと、知り合いだったようで、その「愛は限りなく」のポスターを一枚、もらってくれました。
おばさんが、いきなり現われて、「はい、ポスター」「欲しかったんでしょう」と。
そのときの、喜びったらありません!!!!!
胸に抱きしめて、階段をかけあがり、二階の自室にもってあがって、壁にはりつけては、にやにやしながら、見ていた事をなつかしく思い出します。宝でした。・・・・
ボビー・ソロ「ほほにかかる涙」
この「愛は限りなく」は、当時、二本立てで、ボビーソロの「ほほにかかる涙」という映画と一緒でした。
どちらも、傑作とか、名画というのにはほど遠い映画ですが、私にとっては、生涯わすれることのできない、映画なのです。
たとえば、タイタニックという映画があります。
1912年に実際に起きた英国客船タイタニック号沈没事故を基に、貧しい青年と上流階級の娘の悲恋を描いている。主にSFアクション映画を手掛けてきたキャメロン監督が、一転して挑んだラブロマンス大作である。ストーリーはタイタニック号沈没の史実を交えて展開する。前半のラブストーリーから一転して、後半ではパニック映画さながらの緊迫感のある展開で、ラストは悲劇的な別れとなる恋人たちを描いた、優れたストーリーが話題となった。
主演はレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレット。配給は北米がパラマウント映画、日本を含む他国は20世紀フォックスが配給。全米で6億ドル、日本で興収記録262億円(配給収入160億円)[3]、全世界で18億3500万ドルと、同監督の『アバター』に抜かれるまで映画史上最高の世界興行収入を記録し、ギネスブックに登録されていた。
1998年のアカデミー賞において、作品賞、監督賞、撮影賞、主題歌賞、音楽賞、衣裳デザイン賞、視覚効果賞、音響効果賞、音響賞、編集賞の11部門で受賞した。また、セリーヌ・ディオンが歌う主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」も大ヒットした[
監督が、キャメロン監督ですし、私も大感動いたしました。
音楽も素晴しいかったですし、世界的にも一位二位を争う興行収入。
「嵐が丘」も、ちょうど、私が、「愛は限りなく」にまいっていた、その頃の時代の映画でしたが、個人的に、さほど感動はしませんでした。
なぜでしょうか?
これまた、人間心理の不思議なところで、自分だけの映画という秘密感が、持てないからかもしれません。
あるいは、俳優の好みは、人それぞれですから、物語そのものが素晴しくても、俳優に、気持ちがはいっていけないこともあると思います。
あるいは、たとえば、「嵐が丘」については、当時は、私は中学生。北海道のど田舎の平凡な少年には、ちょいと、レベルが高すぎたのかもしれません。今見てみますと、やはり、吸い込まれます。傑作だというはっきり確信できます。だから、その映画を見た時の、年齢もあると思います。
このあたりは、読書と同じですね。
一冊の書物が、年齢とともに、しだいに、重みが増す本と。
若い時に熱狂的に読んだのに、今は、ただのなつかしき思い出になっている本。
・・・・・・・・・
この「愛は限りなく」・・・・・・隠れたファンがいるようで、たしか、わたなべまさこ女子が、この映画をそのまま、漫画にしていて、当時、びっくりした記憶があります。
「えっ、こんなこといいのかな」という感覚ですね。
妹が、マーガレットや、リボンの愛読者。
私が、COMと、ガロ、SFマガジンの愛読者。
たしか、わたなべまさこの「ハイジ」なんかは、記憶にありますね。ちょっと不思議な、線でした。・・・
(ネットから、おかりしました。ありがとうございます。)
個人的には、西谷祥子の「マリイ・ルウ」が大好きでしたので。
あと、女流漫画家の水野英子女史の、「ファイア」なんかを読んでました。
いまから、考えると、ただ好きがら読んでいたのですが、あとで、 西谷祥子についてのこんな記事を見つけて、やっぱり、好みが無意識のなかに、あったんだなあと、思った次第です。(それから、30年後に、彼女の作品を立川あたりの古本屋で、見つけたところ、一冊が、5000円ほどの価格がついていました。)
西谷祥子について、・・・
萩尾望都は少女マンガ誌で自己表現を行った初めの人物と評している
また初期の彼女は、「石森章太郎(石ノ森章太郎)と水野英子の間にかってに生まれた私製児 (≠私生児)」と自分を位置付けていたという。
当時を知る人の細かい感想として、たとえばデビュー当時(1965年の白鳥の歌)、マンガ家になる前のみなもと太郎が見て、その色気を含む描線が新鮮だったという。また瞳の中に窓の反射のような光を入れる描き方を他の漫画家達が利用していたという。
彼女の作品と作風が少女漫画の最先端の一つであった時期は、1960年代後半から1970年代の始まり頃である。
そんなわけですから。
彼女を知ってから。
それからというものは、カンツォーネばかり聞くようになりました。そして、父親のデカい、リール式のテープレコーダーを借りて、深夜放送の、音楽番組を聞いては、せっせと録画する毎日。
ウィルマ・ゴイクも好きでした。
よく大学に入れたものだと今でも、笑ってしまいますが。
そして、映画音楽ばかり、聞くようになっていきます。
私は、いつも書いていますように、俳優と監督で、当時は映画をチォイスしていましたので、かなり偏愛映画になってしまったわけですが、それで良いと思っています。
偏愛文学でもあり、偏愛漫画でもありますから。
ジリオラチンクエッティ
「愛は限りなく」は、世界でも大ヒットして、映画のことは知らずしても、この曲を知らない人はいないでしょう。(なぜか映画があったということは知られていません。)
本人版。「愛は限りなく」
岩崎宏美の「愛は限りなく」
そんな青春時代。
「草原の輝き」という映画に出会いました。
・・・・・・・・
「草原の輝き」
エリア・カザンの映画のなかでは一番好きです。
(不思議に、この映画と、「理由なき反抗」「ウェストサイド物語」は、1960年頃の映画なのですが、リヴィヴアル再放送なんでしょうか。この当時に見た記憶があります。特に、この「草原の輝きは、高校生の頃ですから、ものすごく感銘した記憶があります。最近、また、再試聴してみて、この頃見た時よりも、さらに感動いたしました。・・・・・・)
「ウェストサイドストーリー」のナタリー・ウッド
「草原の輝き」のナタリー・ウッド
とくに、ナタリー・ウッドの美しさときたら。
1981年、映画『ブレインストーム』の撮影のさなか、入り江で水死しているのが発見された。43歳。事故死とされた一方、殺されたという意見もあり、真相は謎とされている。新たな情報が寄せられたとして2011年11月にロサンゼルス郡警察の殺人担当部署が再捜査を開始した。2012年5月に作成された検視報告書では、遺体には複数の打撲や傷跡の痕跡があったことを認定し、死因を「事故死」から「水死および不確定要因によるもの」と変更した上で、しかし警察は殺人事件として扱うには証拠不十分であると結論づけている。
不慮の死。不思議な死、残念でなりません。・・・・
でも、女優であるかぎり、「理由なき反抗」の、ジェームズ・ディーンとともに、まだまだ美しいままに、天国でふたりで、戯れていると想像すると、それはそれで、良いかもと・・・。
いまではもう死語となってしまったけれども、結婚までは男性に許さないという女性の態度が親などからも強く言われていた時代の話だけれども、それでもこの映画のディテールは見るものの心を圧倒する。
すこし、マンガ的ではあるけれども、父親の男性原理的な存在。
母親の娘に対する世間的な目を気にして押し付ける、いわば窒息愛。
ところで恋。
三島由紀夫氏が、「現代の恋はピグミー的」というようなニュアンスの言葉を書いたことがあったと記憶しているが、要は、「高い」壁を飛び越えるくらいの「高揚」がある恋ということだ。ピグミーという事は背が低い恋ということだろう。・・・・・
そんな高みを求める恋だ、彼らの恋は。
「あこがれ燃え」でも賛美歌の詩が、じつにシンボルとして生きていたように、この映画でも、ウィリアム・ワーズワースの詩( "Ode: Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood")の一節が素晴らしい効果をあげている。
『霊魂不滅のうた』とでも訳せば良いか。
Though nothing can bring back the hour
Of splendour in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind...
渋沢竜彦氏の著作にも、「黄金時代」という名著がありますが、
やはり、子供時代の記憶・思い出・自然とのたわむれ・感動のわすれられない瞬間などなど、
それは黄金時代であり、個人の財産、そこからたくさんのインスピレーションをもらえる、知恵の井戸だと私は勝手に思っていますが。
霊魂不滅のほのめかし。
霊魂不滅のヒント。
草原の輝き 花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘められたる力を見い出すべし
自分が、狂う程に、愛した男。
そのために、別々の道を歩むことになり、その道のなかで、ふたりは、違う伴侶を見つけて、
人生を進むようになる。・・・・・・
風がしずかに吹き、花がさきみだれることは、それでも毎年、くりかえされる。
その美しい自然のなかで、ナタリー・ウッドは、過去死ぬ程愛した男に会いにいきます。
このシーンがすごく好きです。
そこには、自分がすべてを棄てても良いと思って愛した筈の男がいるのだけれども、
そして、いまだに、彼の笑顔は素敵なのだけれども、
彼が住んでいる田舎の藁葺き家には、見知らぬ野性的な女性がおり、また、彼の子供がいた。
じつに、田舎の風景が心に沁みてきます。
草原の輝き 花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘められたる力を見い出すべし
表面的な人生の「色彩」はどんどん変容していってしまうけれども、
その奥の奥の、自然のなかにある永劫の力を感じ取りなさい・・・・
ナタリー・ウッドはこの詩を脳裏に浮かび合わせながら、もう会う事はないだろう
男のもとを車で去っていきます。
私はいろいろな映画を見てきましたが、このラストシーンは、ベスト3にはいるくらいの、素晴らしさです。
何回も何回も、試聴しました。
(英語の発音もきれいですね。)
この映画を今リメイクしても、こんな素晴らしい映画にはならないでしょう。
おもしろいのは、実際の現実では、このウォーレン・ヴューティとナタリー・ウッドは
つきあいはじめ、そして、現実でもわかれるはずです。私の薄い記憶では。
そして、日本人以上に日本人に、私には見える、アーネット・ベニングと結婚していますね。
私は個人的には、Regarding Henryという題名のシネマ、日本では「心の旅」と訳されていますが、この映画の彼女アーネット・ベニングが好きです。
「心の旅」
非常に母親の雰囲気があっていると思います。(危険な情事のアン・アーチャーもまた、母親役が似合っていましたね。)
この「こころの旅」個人的には、かなり、フェボリット。
この「心の旅」の監督のマイク・ニコルズといえば、「卒業」
この時代に生きた人はこの映画を知らない人はいませんね。
今の10 20代の人はどんなふうにこの映画を見るのでしょうか?
すごい興味がありますね。(30 40 代でもいいです。要は制作年月とずれて見た人たちですね)
彼のこの「卒業」から24年後の作品。原題「Regarding Henry (1991)」
「こころの旅」
ニューヨークで弁護士をしているヘンリーは、有能な弁護士ではあるが、家族を全く顧みない冷たい男であった。有能な弁護士で主として大企業や大病院などを顧客として、患者から医療ミスで訴えられた病院の裁判において、患者側に有利な証拠を握りつぶすという倫理的に問題のある方法で勝訴を勝ち取ったばかり。タバコを切らしてしまった彼は、買い物に出かけた時に強盗事件に巻き込まれ、重傷を負ってしまう。幸い命は助かったが、記憶喪失になってしまう。陽気なリハビリトレーナーに励まされて運動機能を回復させたヘンリーは、退院して自宅に帰るが、妻と娘は事故前とは人が変わったように優しさを示すヘンリーに戸惑う。
ヘンリーは次第に家族との絆を取り戻して人間としての充実を感じ始める一方で、記憶が回復するにつれ、弁護士としての過去の所業との倫理的ジレンマに苦しむ。
ストーリーは、非常にシンプルで、ただニューヨークで辣腕弁護士をしているヘンリーが、腕は経つが、家族をないがしろにしている男であったのが、ある日、買い物の最中に強盗事件に巻き込まれ、重傷を負ってしまい、幸い命は助かって身体は回復したのだが、記憶喪失になってしまう。そこからヘンリーはどうたちなおるか? そういう物語です。
アネット・ベニングは実に日本人的な感じがする女優です。
実際の夫は、さきほど、書きましたが、レスリー・キャロン、キャリー・フィッシャー、カトリーヌ・ドヌーヴ、フェイ・ダナウェイ、ダリル・ハンナ、メラニー・グリフィス、バーバラ・ハーシー、ジョーン・コリンズ、ウルスラ・アンドレス、マリア・カラス、ジャクリーン・ケネディなどと交際したというプレイボーイのウォーレン・ビューティとの間に4人の子供がいます。
みさかいなく遊び回る弟のビューティに姉のシャーリー・マクレーンが、がっちり叱ったと言われています。
何か不思議な魅力があるのでしょう。
私も彼の「俺たちに明日はない」の彼にはかなりやられました。このフェイ・ダナウェイともつきあっていましたが、彼女も素晴らしい女優でした。
特に、このラストシーンは、誰しもが驚いた名シーンです。
いまでも、心に深く残っています。
映画の魅力は、ひとつの「物語」=シナリオが、たくさんの人の手によって、ある意味、万人向けの美しい画像やシーンに作り替えられるということでしょう。
何回見ても飽きることのない強烈なカメラワークなどや、監督の演出が求められるわけですね。
この「心の旅」、ディテールですが。
ヘンリーとサラの、関係が記憶喪失になってから次第に解き明かされる展開はサスベンスがありました。
サラの浮気相手が自分の同僚だったというシーンがありましたが、私の好きな映画の「アバウト・シュミット」の主人公のジャック・ニコルソンがやはり妻の亡き後に妻が自分の同僚と浮気をしていたことに気づいて大げんかするシーンを連想していましたが、この映画では、喧嘩のシーンはカット。
部屋に彼を呼び出して、すぐに部屋から出てくるシーンとなっていましたね。
その妻の手紙が青のシンプルな手紙で、そっけなくメッセージだけ。
実に印象的な手紙。
夫も愛人がいたわけで、心の複雑な屈折のあらわれ?。
子供と図書館に行って勉強するシーンがまた印象的でしたね。
記憶を喪失して、大脳皮質が破損した分だけ、小脳と脳幹が躍り出て来たのか、^^、実に子供っぽいことを楽しくやるようになってきました。
子供以上に子供に戻っていくヘンリー。
仕事中毒で家庭のことなどいっさいかまわない男の変容に家族のひとりひとりが、次第に影響されて行く。
このあたりは、映画の「しあわせの隠れ場所 サンドラ・ブロック」の、ひとりの男の子が養子になっていくなかで家族のあり方が変容していくところを思い出しますね。
記憶を失って以後はじめて言葉を発するシーン。
その言葉が愛人といつも利用するリッツホテルのリッツという言葉。
必死なリハビリ。足を動かすところなどがよく研究されていましたね。実際の病人などにも会って勉強しているのでしょう。
この映画をあとになって冷静に見れば、家庭愛を圧倒的にアビールするだけの映画かなとも思えるし、現実はもっと複雑だろうとか、いろいろ批判の芽が心にも芽生えたりもするのですが、そんなことよりも、この映画を見ている間だけは、じつに見ているこちらは強烈に納得されます。
仕事に翻弄され、人間関係のしがらみに疲れ果て、大きくストレス解消のために家庭をないがしろにし、大脳皮質だけで生きているような現代人から見ると、たとえ記憶が大きく失われても、未来に向かって新しい家族の記憶をすこしずつ貯蓄していこうとする男の姿は、初々しく、涙がでますね。
ラストシーン。弁護士を辞め、真相の証拠を原告の患者サイドに届けた彼は、サラと共に寄宿学校に入れたレイチェルを引きとりに行き、家族3人で生きていこうと誓うシーン。
まさに軽い殴り込み。
「卒業」のシーンではないですが、ちょいと連想しました。
実際にはあんなことはありえないのですが、映画っていいですねえ。ありえないことを実現してくれるのですから、たくさんの人が力を結集してありえないことをありえるように作り上げて行く。
だから映画は人気が21世紀になっても人気があるのでしよう。
それに、今、話題のスター・ウォーズ。
今のお子さんは、初期のシリーズをまだ見ていない子ども達もたくさんいるはず。
家族で、また、このスターウォーズを見るというのも、良いものですね。
この「心の旅」の、ハリソン・フォード、ほんとうに代表的なアメリカの男優さんです。
1977年には、フレッド・ルースの紹介で『スター・ウォーズ』のオーディションに参加、参加時の不安な心境と男らしい雰囲気が決め手となり、ハン・ソロ役に抜擢され、同映画の爆発的ヒットに伴い、一躍人気スターとなった。『スター・ウォーズ』旧3部作のハン・ソロ役を演じる一方、『ナバロンの嵐』や『ハノーバー・ストリート 哀愁の街かど』など数々の話題作に出演し、俳優としての活動に弾みをつけ、1981年には、ジョージ・ルーカス製作の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』に主役のインディ・ジョーンズを演じた。同作も『スター・ウォーズ』同様大ヒットを記録し、後にシリーズ化された。
今月封切りになる「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」にも、ハンス・ソロ役で、再登場!!!!
いやあ、楽しみです。
私の家の近くのゲオ。
家族づれで、何本もビデオレンタルする方が多くてほほえましいです。
というわけで。
アーネット・ベニング・・・
素晴しい女優さんです。
私生活では、1984年に振付師のJ・スティーヴン・ホワイトと結婚したが1991年に離婚1992年に『バグジー』で共演した俳優のウォーレン・ベイティと結婚。4人の子供(キャスリン、ベンジャミン、イザベル、エラ・コリンヌ)をもうけている。。
ふたりで、2011年に、オスカーにも出ていますね。
とにかく、
ウォーレン・ヴューティのプレイボーイぶりはすさまじいということをここに記しておきます。
レスリー・キャロン、キャリー・フィッシャー、カトリーヌ・ドヌーヴ、フェイ・ダナウェイ、ダリル・ハンナ、メラニー・グリフィス、バーバラ・ハーシー、ジョーン・コリンズ、ウルスラ・アンドレス、マリア・カラス、ジャクリーン・ケネディなどと交際したという、プレイボーイです。
まさに、男のなかの男、好き嫌いはあるでしょうが、男性ならば、皆、うらやましがるはず。
フェー・ダナウェイに・・・・
フランスの最高の美人女優。カトリーヌ・ドヌーブ。
個人的には、「昼顔」が最高ですね。・・・・
脱線しました。・・・
本題。
「心の旅」の、
アーネット・ベニング・・・
私が、見た映画は少ないですが、それでも、強烈なる印象を持っています。
特に、このふたつ。
小説が好きな人であれば、誰しもが、その物語の作り方に脱帽する、サマセット・モームの原作の「劇場」。日本題名「華麗なる恋の舞台で」
現代は、being julia ・・
監督は、イシュトヴァン・サボーです。ハンガリー・ブダペスト出身の映画監督。
若い男との不倫を刺激薬として、演技の艶の次元をアップしていこうとする女優を演じています。・・・・・
モーム
資料
モーム,サマセット
1874‐1965。イギリスの小説家・劇作家。フランスのパリに生れるが、幼くして両親を亡くし、南イングランドの叔父のもとで育つ。ドイツのハイデルベルク大学、ロンドンの聖トマス病院付属医学校で学ぶ。医療助手の経験を描いた小説『ランベスのライザ』(1897)が注目され、作家生活に入る。1919年に発表した『月と六ペンス』は空前のベストセラーとなった代表作である
「華麗なる恋の舞台で」
もうひとつは、個人的なフェボリット。
「アメリカン・ビューティ」の、彼女。
この「アメリカンビューティ」。
映画自体は、
ケビン・スペイシー扮する駄目親父が、こともあろうに娘の友達に恋をしてしまう。
身体を鍛え、ひとり家を出て、遂に、その美少女を口説き落とす。
するとその美少女は、噂のプレイガールではないどころか、バージンであることを告白されて、
驚くスペイシー。泣き出す美少女。その時に、スペイシーがいう台詞。
You have nothing to be sorry about .(あやまることなんか、なんにもないんだよ)
しかし。人生とはこんなものなのだろう。そしてスペイシーは最後のしめくくりのシーンまで運命のごとく惹き付けられていく・・・最後は風になって言葉だけが残るのだが、そこがいい。
この渋い映画、スペイシーのかっこよさとともに、彼の奥様の、モーレツなポジテイプ奥様を素晴しい演技でがんばっていました。
家を売るセールスレディ。
そのために、いつもプラス思考の言葉を口にしては、ため息をつく毎日。
ご近所さんには、いつも自分の良い顔を見せては、社交上手ぶりをひけらかす。
役柄的には、あまり良い役ではないのでしょうが、実に、見事に演じきっています。
スペイシーが、「昔の君はそんなんじゃなかった」と、怒鳴り散らすシーンが好きで、今でも、何回も再試聴しております。
「アメリカン・ビューティ」
このシーン。
男性の気持ちが、伝わってきます。
男は、結婚しても、あまり変わりませんが、女性は大きく変化してしまいますから・・・。
ウォーレン・ビューティのお姉さんのシャーリー・マクレーンのキャラも、かなり、すごいです。
年配の方であれば、誰しもが知っているとは、思いますが、「アパートの鍵」で、アカデミー賞を取っています。監督は、あのビリー・ワイルダー監督。
個人的に好きなのは、この作品と、「昼下がりの情事」、マリリン・モンローの「お熱いのがお好き」、 「翼よ! あれが巴里の灯だ」です。
「昼下がりの情事」では、「真知子巻き」が流行しましたが、この映画ではヒロインの「アリアーヌ巻き」がヒットしたとか。
「昼下がりの情事」
「アパートの鍵」も素晴しい映画でした。・・・・・・
彼女の本は、不思議と日本とか東洋のことについてかなり研究しているということがわかります。
娘さんに、サチという名前をつけていますが、このサチ。
blessd child という名前。小森和子さんがつけたとか。・・・
かなり日本に東洋に傾倒していたことがわかります。
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ゴーイング・ウイズィン―チャクラと瞑想/地湧社
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ニューエイジの旗手としても注目された。近代神智学の影響が濃い心霊治療家エドガー・ケイシーの思想や、仏教思想を初めとする東洋文化、霊や宇宙人と交信するというチャネリングなど、ニューエイジを構成する思想に傾倒し広く紹介した。娘の名前は小森和子によって"blessed child"を意味する日本名「幸子」にちなんで名づけた。1983年に刊行され世界的なベストセラーとなった『アウト・オン・ア・リム』などの自著で、自身の体外離脱や神秘体験を語っている。
エドガー・ケイシーが唱えた輪廻転生説を支持し、自身の前生はアトランティス大陸の人間で、3500年前のアトランティスの戦士であったラムサと兄弟であったという。ラムサはニューエイジのチャネラーであるJ. Z. ナイト(英語版)が交信する霊で、シャーリー・マクレーンは『ダンシング・イン・ザ・ライト』でナイトを高く評価しており、一時期支持していた[4][5]。また一休宗純の最愛の伴侶であったと言う。彼女は盲目の三味線弾きで、70代後半の一休よりも40歳も若かったとのこと。
このお姉さんに、ウォーレン・ヴューティはさんざん、しかられて以来、浮気をせずに、家庭的になったとか。
説得力のありそうなシャーリー・マクレーン。さすがです。
「映画は、人生の教科書。人生勉強の場です。」 淀川長治
FIN
◎資料