筒井のSFではないが、
気がついたら敵だろうが、仲間だろうが、殺される世界。
そのなかで、おそらく村八分になっていたであろう異端児の脳の変容の少し強い
少年や少女が、変なことをして、また殺されたりしたでもあろう。
しかしながら。
直立歩行した人間は、どう考えても、環境に満足した猿ではなかったと思うのだが。
Anybody can sympathize with the sufferings of a friend, but it requires a very fine nature to sympathize with a friend's success.
誰でも友人の悩みには共感を寄せることができる。
しかし友人の成功に共感を寄せるには優れた資質が必要だ。
オスカー・ワイルド
嫉妬心!!!
人間にとって、最悪の、こころの状態。
これをコントロールできないと、人は、決して幸福にはなれないようにも、個人的には思いますが。
テレビなどでも、清原をはじめとして、ひとびとは、それらの犯罪・失敗・挫折・にはとことん、強い興味をしめします。
そして、そこから這い上がろうとする姿には感動を持って拍手することができますが。
しかしながら。
それは、バーチャルのテレビなど、遠い存在だからこそ。
自分の知り合いや、親戚友人だと、そうはいかないでしょう。
嫌ですね。金銭がらみ。
マライア・キャリーの兄が、彼女の再婚に反対という記事がありましたが、それもそのひとつかもしれません。
「彼女は、実の姉に使う金よりも、自分のペットに使う金の方が多いんだ」とか、たしか、そのようなことを、言っていましたが、
言葉は悪いですが、自分の家族のひとりが、突然金持ちになれば、自分もその物質的な幸福にあやかりたい、・・・・・・それなのに、なんで・・・というところでしょうか。
ところで。嫉妬心。
心理学者バスの研究によると、男性は女性の性的な浮気に激しい嫉妬心を抱き、女性は男性の精神的な浮気に、嫉妬心を抱く。
そんな言葉もまた、ありますね。
なんであれ、私はいつも思うのですが、この嫉妬心は、人類にとって最大の危険なこころのあり方。
そのコントロール方法をマスターしなければ、とうてい、精神的な至福は訪れることはないと思います。
その嫉妬心をテーマにした映画。
「死の刺」原作は島尾敏雄。
990年 カンヌ国際映画祭 審査員グランプリ
日本アカデミー賞主演男優賞・主演女優賞
日刊スポーツ映画大賞主演女優賞
太平洋戦争末期、特別攻撃隊として駐屯していたトシオは、島の娘ミホと恋におちた。出撃の時は訪れぬまま終戦を迎え、やがて2人は夫婦となったが、子どもが生まれて平凡な毎日を送っていた中、トシオの浮気が発覚する。
考えさせられる、深刻な映画です。
原作、島尾敏雄の大傑作作品でしょう。
・・・・・・・・・
次に。
映画「船を編む」今頃見ました。
とっくに世の中の人は見ている映画。
それを今頃、楽しむ。
三浦シオンの作風については、資料に、
家族を描く作品。
特徴的な関係性を描く作品。
1つの仕事や物事に真剣に取り組む人たちを描く作品。
哀しいこと、恐ろしいことが、必ず起こる影を描く重い作品。
エッセイでは、爆笑日常エッセイと、活字中毒者として本とマンガの魅力を語るものに分かれる。
とあります。
私は、ここ最近の小説は、あまり読まないので、彼女の小説はあまり読んだ事はありません。
ただ、映画と小説は別物ですから、この映画は映画として見ました。
宮﨑あおい。
松田優作の息子。
最初は、龍平に違和感があったけど、あれが彼の個性なんだなあとしだいに納得。
レインマンのダスティ・ホフマンのように演じれというのは無理か。
取材に取材を重ねて、描かれた原作。
辞書づくりが、なるほど、このようにしておこなわれるんだという視点を獲得。
人が人生をかけるに値する職業。
そして、また適正もあると思う。
極端に少ない言葉台詞。
静止画像のような画面。
深作監督なんかと比較すると、西洋画と浮世絵くらいの違いがあります。
無意識でしょうが、能の影響を、溝口監督などをとうしてか、
その伝統もあるのでしょうか。・・・・・・・・
平面的な静かな画像画面。
それでも、「用例採取」というキーワードともに、この映画は、
まわりつづける。
「まじめ」という意味深な言葉づかい。
「かぐや」という意味深な言葉遣い。
とにかく、まじめが、住んでいる◎◎荘の二階。真夜中、仕事に疲れて、猫の声を聴いてふと、ベランダにでると、かぐや姫のような彼女にばったりあう、そのかぐや姫のイメージの画面に、満月があり、猫がのんびり眠っている。
このシーンは大好きだ。
「いっしょけんめい」という言葉があるけれども、誰でも知っているように、この言葉は、
「一生懸命」と「一所懸命」というふたつの意味がある。
普通は一生懸命という意味を使うでしょうが、ほんとうは、「一所懸命」だという。
つまり、ひとつのところ=一所、に、命をかける・・・・・・・・という意味。
辞書作り、そのための編集部、そこで、15年もの時間・歳月をかけて、命をけずるようにして、
辞書をつくっていく。
大家のおばさんがなくなり、信頼する辞書の権威でもある尊敬する先輩がなくなり、・・・
信頼する同僚が違う部署に移動。
それでも、彼は、その「場所」=「一所」に命をかける・・・・・・・
そういう行為が、美しいんだ、人に感動を与えるんだという意味では、この映画は、
かなりのヒットをしたのだと思う。台湾でも、ヒットしたらしい。
石井裕也監督の他の作品。
この頃は、いろいろな歴史の書物をひもといても、かなりの日本人の迫害がさかんなころ。
とある西欧の白人の有名な学者さん、日本人女性と結婚しただけで、村八分にされたとか。
そのあたりの、歴史考証の本も少し読んでからこの映画を見ると、また違う感動もでると思います。
「ぼくたちの家族」
著者の早見和真が自らの実体験を元に描いた作品。自らの母親が2008年に余命宣告を受け、新たな病院を探していた2010年1月から連載を開始。過酷な状況下であったが、母親が亡くなってからでは美化してしまうと考えてあえてこの時期からの執筆に踏み切った。当の母親も「私の治療費を取り返して」と応援してくれ、父親も息子が小説を書いていることを喜び、周りに配っているという。母親は5年の闘病後、2013年9月に亡くなっている。
2011年3月に「砂上のファンファーレ」というタイトルで単行本が発売されたが、2014年、今作を原作とする映画の公開を機に改題され、映画のタイトルと統一されて文庫化された
この「ぼくたちの家族」はまだ見ていませんが、気になります。
合わせて、「ひゃくはち」とともに、視聴したいと思います。
絵本。・・・・・・・・・・
絵本は大好きです。
ジョン・バーニンガム John Burningham
1936年イギリス生まれの彼、1964年にはじめて手がけた絵本『ボルカ』でケイト・グリーナウェイ賞を受賞しております。
1971年には、80日間44000マイルの世界一周旅行をしたおり、日本にも立ち寄り、それが絵本『80日間世界一周』となったとききました。
作品『おじいちゃん』は、エミール/クルト・マッシュラー賞を受け、アニメーション映画にもなっています。
絵本作家のヘレン・オクセンバリーと結婚し、3人の子どもがいるというのは、すごいですね。オクセンバリーの書評は先日書きましたが、彼女の作品もすばらしいです。
やはり、日本童話の作家たちの絵と違います。
よくもわるくも、西洋の絵画の伝統にもとづく、線ですね。
デッサンからしっかりしているせいか、マンガっぽいのに風情を感じます。
どうですか、この馬、ハンバートの顔。ロンドン市長の馬車がこわれたときに我先にアグレッシィプにのりこんで助けた馬の自慢げな顔・・^^市長さんの横にすわり嬉しそうにごちそうをほおばっていますね。笑い。
これはこわれる寸前の友達の馬車ですが、このパレードを見ていて嫉妬に狂う^^ハンバートでありました。
世の中は不公平だ。
ふだんは、おとなしくのんびりすごすハンバート。こどもたちと遊ぶのが大好きで、りんごをもらっては、嬉しそう・・・
物語はほんとうに単純で、ロンドン市長のパレードの時に、自分が選ばれなくて悔しい思いをする反バートなのですが、ピンチはチャンス。
たまたま、壊れた市長さんの馬車にかわって、自分のまずしいけれどもしっかりした馬車を提供して、市長さんから褒められるだけなんですが・・・
馬の表情がいいです。
得意な顔。
寂しい顔。
くやしい顔。
のんびりした顔。
リンゴをもらってうれしそうな顔。
ほのぼのとする良い絵本です。
水木しげる 奇談 貸本・短編名作選 異形の者・吸血鬼 (ホーム社漫画文庫) (HMB M 6-6)/水木しげる
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・・・・・・・・・・・・・・・
絵本とマンガ。
どちらも好きです。
こころが落ち着きます。
この13人の漫画家のホラーはどれも傑作ですが、水木氏のこの短編、テレビの「ゲゲゲの女房」がありますので、ひとしお、笑えます。
やはり、女房が怖い方が、良い作品が描けるのだと思いますね。
ひとりの漫画家が、最近その中身がつまらないと友人の漫画家に忠告されている。
何かあったのか、親切な友人がその何かおびえているような漫画家に言う。
たまには、つきあえとばかり、金もないのにふたりはある居酒屋へ。
そこで、漫画家は、自分の女房がとにかく怖いと告白する。
あまりにも焼酎が美味いので、どんどん飲みながら、女房の恐ろしさを告白する。
あれは人間ではない・・・・・と。
三時まで飲んで、気がつくとふたりとも、お互いの懐をあてにしての宴。
あわてて悲鳴をあげるも、ヤクザ風のお兄さんに追われる始末。
溝をかきわけ、土管のなかに逃げこむ。
水木しげるの得意な、おならをしてしまうので、土管の中は臭くてかなわない。
なんとか突き切ると、そこに人間とは思えないような連中が宴をしているが、土管から
逃げたい二人は思い切って出口を聴く。
ところが、「お前を待っていた」とばかり、漫画家は、裁判にあってしまい、約束をやぶった刑にて死刑となる。
気がつくとそこには自分の女房がいるではないか。
群がる悪魔たちにすっかり骨まで食べられてしまう漫画家。
友人の漫画家も、びっくり仰天、なんとか必死に土管から逃げ出し、自分の職場へともどるが、誰も信用しない。
気がつくと、自分の煙草を吸っている後ろにあの食べられた漫画家の女房がすわっているではないか。
あなたはもう逃げられないのよ。
漫画家は、結局、無理矢理結婚されられるはめになる。
そうして、彼の漫画がやはり、最近おもしろくなくなってき
たと言われるようになる。
彼は思う。群衆はこれまで平凡な人間ばかりでできていると信じていたのだが、まさか、男から男をわたりあるいている「それ」がいようとは。
そして「それ」は私の今の妻なのである。
怪奇幻想ホラーマンガ傑作選―名手13人が贈る恐怖の招待状 (文春文庫―ビジュアル版)/文芸春秋
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(今日のマンガ評は、こちらに入っています。)
水木しげるの系列。
絵画の世界でも。
若冲です。
吉川観方コレクションが福岡博物館に入った時に、この伊藤若冲の「付喪神図」もリストに入ったという。個人の蔵に入るとなかなか見られないので、不幸中の幸いというところ。
京都錦小路の青物問屋で生まれて、40歳で家業をしりぞき画業に入るとあります。
このあたりは、現代も当時もやはりアートだけで食って行くのがいかに大変かということですネ。
ふと、50歳を過ぎて妻の家業を支え、その妻の死後にようやくやっと文学の道に入った滝沢馬琴を思い出しました。
神様に支えられ長生きが出来る間は、いつになってもチャレンジができます。
アート=芸術の本質の中に「幼児性」というものが深く根ざしている事は誰しもが認めるところ。
子供の絵には不思議な力があります。
そして、理屈や理論を覚え始め理論武装しながらアートをやりはじめる若者。感性だけでも食って行ける時期でしょうが、年をとるたびに、感性だけでは勝負することはむずかしくなりますね。
よほど金持ちの息子娘でないかぎりは、好きなことだけをやって食べて行くことは至難の技。
世間のニーズというものを必死で手探りでさがすことも必要になりますね。
妖怪という「暗闇を畏れる子供の心の世界」をそのままに大人になっても和紙に映し出す伊藤若冲。素晴らしい画家だと思います。
もちろん彼の傑作として有名なのは、植物や魚などを描いたものでしょうが、水墨画のような作品もあります。
蛙の絵もあります。ユーモラスです。
好きなイラストレーターとして。・・・・・・・佐々木マキがいます。
この佐々木マキ氏。
この絵本は、1990年発売ですので、このころは、ささきまき、という名前だったんですかね。
1988年頃の「1973年のピンボール」村上春樹氏の本には、佐々木マキという名前で装幀装画しておりますから、絵本との使い分けのペンネームかもしれませんね。
モーリス・センダックと同じく、都会の生まれですね。神戸灘。
センダックはニューヨーク。
センダックは、小さな頃に、父親から空想話をよく読み聞かせしてもらい、4歳のときにはすでに、文章と絵で生きて行くことをめざしていたといいますからね。佐々木マキ氏もおなじようなことが幼児期にあったのかもしれません。
物語は、ただ、ねずみくんの旅。
ねむいねむいと、いつも言っているねずみくん。
一日中あるいて、すっかりくたびれて、ふるい洋館へ・・・
そこでであうふしぎな事件。
でも、それはひょっとしてかれのねぼけたあたまがえがいた幻想か?
ねずみくんは、からっぽのよくそうでねるのですが、水がどんどんあふれてきます。
それでもそこで、見る夢は、おかあさんに会いにチーズの山をのぼっていく夢。
そして、さがしていたおかあさんがいたんです・・・
夢もさめ、からっぽのよくそうに寝ていることを発見したねずみくん。
なんと、テーブルのうえには、チーズとパンがあるではありませんか・・・・
ここはやっぱりおばけやしきだったんだ。
そしてまたまた、ねずみくんは、旅をつづけるのでありました。
ねむいねむい・・・
つぎは阿久悠と、上村一夫。
素晴しいコンビ。
私の青春は、ある意味、この上村一夫の描く、「同性時代」のイメージとリンクします。
一枚一枚の、原稿は、もう完璧な「絵画」のレベルまで、昇華しています。
その彼も、ハードな仕事と、ハードすぎるおそらく「飲み過ぎ」で、逝く。
早すぎた死。・・・・・・・残念。
◎資料
神奈川県横須賀市に生まれる。1964年、武蔵野美術大学デザイン科を卒業。大学4年生の時に半年間アルバイトで勤務していた広告代理店、宣弘社のイラストレーターとして広告制作に携わる。宣弘社にてテレビの絵コンテを描いていた上村の隣のデスクに座っていたのが生涯の友人である阿久悠である。阿久悠は上村を「生まれて初めて出会った天才」と評している[1]。
1967年、アメリカの雑誌『PLAYBOY』風のパロディ漫画『カワイコ小百合ちゃんの堕落』を『月刊タウン』創刊号に発表。これが漫画家としてのデビューとなる。1968年には、放送作家としても活動していた阿久悠と組み、『平凡パンチ』にて『パラダ』の連載を開始。本格的な漫画家活動に入る。
1985年11月、下咽頭腫瘍で入院。1986年1月11日、死去。45歳没。
2013年4月、神楽坂artdish にて上村一夫原画展「花の輪廻」開催。トークイベント 『科学の子とエロスの子~愛娘トークナイト~神楽坂の夜は更けて』が行われた。科学の子とは手塚治虫の長女の手塚るみ子、エロスの子は上村の長女、上村汀である。
◎阿久悠資料
一度、阿久悠氏がアイデアを考えているところをテレビで見た事がある。
ぎっしり書かれた文字。創作ノートをちらりとみたが、三島由紀夫氏の創作ノートを連想するくらいに刺激的だった。
ありとあらゆる物・こと・からアイデアを出すと言った。
新聞から映画からテレビから人の話から喫茶店の雑談、うわさ話、ふと耳にした言葉、すべてが彼の言葉と生まれ変わって、歌詞になる。
ある意味、つねに、「用例採取」をしている辞書作りみたいなものなのだろう。
しかも、肉付けをしながら。
歌にならないものはない。
四分間の歌のなかにドラマを詰め込む。
時代と寝る、そんな言葉がある。
たぶん、モノを書く人ならば皆、憧れる言葉。
なかなか時代はそう簡単につかまってはくれない。
それで、みんな必死に女神をつかまえようと思索する。
阿久悠はたくさんのアーティストの中で、そういう時代をつかまえた男のひとりだと言う事は誰も否定しないと思う。
狂的な克己&好奇心。
演歌でさへ、彼の歌詞はなかなかしびれるものがある。
これは年齢なんだろうか?
いやいや、人のこころってそんなに変化するものではない。
コロコロ変わるから心なんだが、変わり方の法則って、いつの時代も方程式がある筈。
古くから学生の街だった
数々の青春を知っていた
城跡の石段に腰おろし
本を読み涙する人もいた
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターも
今はフォークのギターをひいて
時の流れを見つめてる
服装や髪型が変っても
若いこはいつの日もいいものだ
人生の悲しみや愛のこと
うち明けて誰もみな旅立った
そんな話をしてくれる
コーヒーショップのマスターの
かれた似顔絵
たまたまた、見つけたクリップ
上村一夫は、私の青春でもある。
阿久悠との関係はいつかじっくり調べてみたいものだ。
良くも悪くも、この年代の人達のたどりついた美学。
ところで、60をすぎて、マンガを描いている私はアホです。きっと。
でも、好きなことは気がつくと描いてしまうのです。・・・・・・・
とにかくサラリーマン時代は仕事没頭の日々ですから、マンガ創作については、高校・大学時代から一直線に今に連続しています。好きなことを好きなようにやるというのがもちろん、理想でしたが、し送りなどもせねばならず、サラリーマン時代は断念。今頃、やりはじめるということに。
まあ最後まで頑張ろう。どんなふうになるやら・・
やはりキャラも決めずに勝手に描いて行くと
こんなような感じになってしまう。
顔が同じに描けない。
同じ顔を描き続けるマンガって、けっこうむずかしいのです。
その作業がまたおもしろいのですが。
ところで、映画。オードーリー・ヘプパーン、クリックで大きくなります。
テレビで夜寝る前の風呂と一杯の催眠酒の時間。
AKB48というのか秋元康の企画した女性達が招来の夢について一言語っていたが、皆、モデル・女優という言葉がほとんど。
そこにふと思ったが、良くも悪くも、環境面あるいは精神面にてかなり過酷な訓練をしない人は飛び抜けた女優にはなれないと思いました。
だから名女優というのは、努力+偶然が生む産物なのかもしれない。
普通の道の普通の日向に静かに咲いている花のほうがどんなに幸せかもしれない。
人里離れた崖っぷちの蔭に這うように咲く花は色形ともに不思議な形状をしている筈だと思う。
本人がそれを望んではいないのだが、運命というものなのかもしれない。
この新聞記事を読んでいて、ヘプバーンの伝記でも読んでみようかという気になりました。
オードリー・ヘップバーン(上)/バリー・パリス
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オードリー・ヘップバーン(下)/バリー・パリス
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もう彼女のような女優はでないでしょうね。
あの「瞳」は、そんじゃそこらの、庭には咲いていない花のひとひら、です。
ヒトラーという人はなんという近所迷惑な人であるか、そう平和民主主義者はいうでしょうネ。
もうこんな人はでてこないから安心してもいいでしょうが、純粋というものを追求していくとああなるのでしょうか?
ニーチェの本も最近また売れ始めていますし、いまだに彼の賛美者はあとをたちません。
人生の後半にボランティアにあけくれた偉大な女優。ヘップバーン。
やはり21世紀をはるかに超えて22、23世紀は子供を孕む苦しさを経験できる女の時代かもしれません。
マルキ・ド・サドなどの分析でも、彼が母親憎悪をしていることはよく言われる事ですし、やはり、世界が平和な時間と空間を共有するためにも「母親という女性の稀有なる期間」の人類ベースでの教育って必須かもしれません、そう思います。
美徳の不幸 (河出文庫―マルキ・ド・サド選集)/マルキ・ド・サド
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次なる映画は、
「メッセージ イン ア ボトル」
再視聴しました。
何回見ても、良いです。
しかも、英語の勉強にも最適。
昔死んだ妻が忘れられずに暮らしている父息子。
そこに現れた編集者の女性。Message in a Bottle/Nicholas Sparks
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最初は複雑だった父息子も次第に彼女に惹かれていく。
いくら体格がしっかりしていて、誰から見てもハンサムな彼に対しても
この父親は「you are my boy」と叫ぶ。
どこの国も父は父なんですネ。
そして、何才になっても息子は息子。可愛いんです。
このシーンは、「女がきめたことだからあきらめる」と言う息子に対して、
父親が「しっかりとつかまえろ」とたしなめるシーン。
「あんたには関係ない」と息子は言うが、父親はその言葉に切れる。
「何?
関係ないだと?」
「関係がなかったらこのオレはなんなんだ」
このわしには、誰がいるんだ? 気遣ってくれる人は・・・」
このポール・ニューマン、「傷だらけの栄光」が良かったです。「ロッキー」の以前のボクシング映画では最高傑作ではないでしょうか。彼のこの映画での渋い演技、たまりません。
原題は:SOMEBODY UP THERE LIKES ME というしゃれた題名。
◎資料から
アメリカの元・ボクシング世界ミドル級チャンピオン、ロッキー・グラジアノの生涯を描いた作品。ロバート・ワイズ監督、当初主演はジェームズ・ディーンに決まっていたが、撮影前に交通事故で他界、代わってポール・ニューマンが務める事になった[2]。また、スティーブ・マックイーンの映画デビュー作品でもある。
第29回アカデミー賞で撮影賞と美術賞(共に白黒作品部門)の2部門を受賞した。
そういえば、レノンとヨーコの作品にbeautiful boyという傑作があったこと、今思い出しました。
個人的なことですが、
最初の息子が産まれた時に、札幌で、休みの日などに、
よく聴いたものです。
ダブル・ファンタジー(紙ジャケット仕様)/ジョン・レノン
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そうです。ダヴル・フィンタジー。彼が銃弾に倒れた日、はっきりと覚えています。はじめての息子が生まれた年でした。私は28歳。若かった。・・・・・逃げられる筈だ
おいかけて、おいつめて、しっかりとつかまえろ・・・
いいですねえ。 まだ気持ちの整理がついていない・・ワシもだ。
ちょっとまて、こっちを向け。
あんたには関係ないだと?
誰がオレのことをきずかってくれる?
父親と息子の愛情。男性だけの、独特の、愛の表現。
言葉使いは乱暴でも、それは深く、こちらにつたわってきます。
阿久悠さんは、かつて、24人の小学六年生に、こんな言葉を残しています。
「船を編む」の世界にもリンクしています。
たくさんの言葉を持っていると
自分の思うことを
充分に伝えられます
たくさんの言葉を持っていると
相手の考えることを
正確に理解出来ます
言葉は道具ではなく
心と知性そのものですから
キラキラ光るものを
たくさん たくさん
持っていましょう
阿久悠
FIN
「現状維持というのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊というのは、つねに飢え渇いた貧しい思想である」 三島由紀夫
マンガ、コミック、comic、カツーン、・・・・・・
それらは、いまや、世界の最先端のartと言っても過言でもないかしれません。
ピンからキリまで、巨大で膨大なる無意識の渦潮ですが。・・・・・
・・・・・・・・・・
戸峰美太郎・・・・・・・
ビックコミック賞作家である。
彼の傑作。「白鷺」
ビックコミック賞を獲得している。
このマンガ賞はむずかしので有名。実際にこの賞について言えば、全18回のうち「ビッグコミック賞」そのものを受賞したのは70年(第4回)の、この、戸峰美太郎と75年(第14回)の一ノ関圭のたった2人だけ。
残りの作家は皆、佳作か、準佳作(たとえば、やまだ紫、谷口ジロー、日野日出志、西岸良平、御厨さと美、諸星大二郎、弘兼憲史、わたせ青三…などなど、すごいそうそうたるメンバー。
若き頃に、買って、大事に書庫にしまいながら、たまに、開いては感心している。・・・
絵のうまさは抜群。
一ノ関嬢のデッサンにはかなわないが、独特のデフォルメが美しい。
個人的には、こちらの線の方が好き。
かなりの小説を読んでいると思われる。
複雑に屈折したドラマが読み応えあり。
この神鷺も、私の愛蔵であるが、私は彼の物語よりもデッサンにひかれる。
女性の魅力をひとつのパターンにはしているが、それでも、十分に彼女達の羞恥は素晴らしい日本の文化。 なんでこんなに女の心理が詳しいのかと昔から気になった作家だった。
暗さがどうしてもヒット作にはむすびつかなかったのだろう。いつしか、消えた作家だったが、佳作でいつまでも記憶に残る名作である。
神社の境内に棄てられていた少女。そしてその横に死んでいた白鷺。捨て子の運命。
知能指数の低い兄。情愛深い祖母、そして病弱のその娘。
彼女は小さな頃から捨て子として皆からいじめられたのも、愚鈍の兄がいいふらすから。
そのため彼女は、自分のことを神さまがこの家族に与えた鷺なんだと言い聞かせる。
ひたむきに家族のために働く聖子。さとこ。
いつしか、美しく成長した彼女は一家を支えるために、バーにつとめる。
たくさんの言いよる男たちとは距離をおく。
そんな彼女に優しき男の明があらわれる。
そんな彼女のきもちを察してか、祖母が急になくなったのは、聖子が明に家族の秘密をうちあけたから三日目だった。
そんななか、兄が風呂をのぞいたり、聖子のあとにどこにでもついてきて、僕のお嫁さんになってと言うようになる。まるで、嫉妬しているかのように・・・
そしてまた、母も遺書を知能指数の低い兄にたくし、「これを聖子にわたしなさい」と、大きく「遺書」と書いた手紙を聖子に手渡しする。
聖子は泣きながら家に駆け走るが、すでに遅し、母は首をつっている。
皆、私の幸福のためにしてくれている。
そう考えれば考えるほど、聖子は逆に嬉しいよりも、孤独になる自分を感じる。
どうしても一緒になってくれと家を勘当されても飛び出した明を棄てて、聖子は知恵おくれの兄と一緒に暮らすことを決意する。
苦労のなかに苦労した彼女は、自分が支えて来た家族に対する愛情だけが彼女のアイデンティティだったのかもしれない。
「私をひとりぽっちにしないでよ」彼女は世間並みの幸福を棄てて、自分の小さなころからの自分が支えて来た兄とともに生きることを選択する。
甘くない現実の生き様が丁寧に書かれている。
いつも思うが、物語はやはり言葉。言葉が最初にあるのだと思う。
それは小説である。
そして、それをひとりだけで、金もかけずに、ありとあらゆる自分だけの孤独な想像力で、映画をつくるようにして、書き上げるのがマンガ。
総合芸術として、金をふんだんに使い、たくさんの才能を組み合わせ、皆でアイデアを出し合いながら、理想のイメージを作り上げて行くのがシネマ。
ところで、映画。
毎日のように、三島由紀夫と小林秀雄と川端康成などの作品をすこしずつ、ウィスキーをちびちびやるように読んでいる。
そこに、新作の映画を見たり、古典の名作映画を見たりする。再試聴も多い。
たまたま、山田洋次監督の「鬼の爪」を見た。2004年版だから、10年も昔のシネマだ。
切腹のシーンや、侍というものに対する考え方、時代考証やら、当時の歴史などの視点などなど、ふたりの考えはまったくと言っていい程違うことに驚く。三島と山田。
たしか、ふたりとも、東大法学部ではなかったろうか。
今調べてみると、やはり、そうだった。
興味深い。
思想的にもまったく正反対。
三島由紀夫は純粋すぎて、その意味では、山田洋次のほうが、水清ければ魚棲まずということにおいては、上だったろうが、少し左寄りなので、時代の歴史の捉え方には個人的には不満。
知識人や、文化人と言った人は、頭でっかちで、地に足をついたような意見を吐くことは少ないが、この人は、その中では、人の見方はまだ良いと思うが、それでも、ワンパターンはぬぐえない。
山田が中国で人気が高いというのも、うなずける。
どのような映画をつくれば、当たるということをよく知っている人。
その意味では、淀川長治さんが、「シンドラーズリストは、あれは、賞を取ろうと取ろうとしているのがわかるので嫌い」と以前書いていたが、山田も、その意味では、似た感じもする。
文化人独特のずるさがあって、潔さに欠ける。
そして、観客=女性ばかりの視点を感じながら、受けを狙っている感じもする。
しかしながら。
どこで、観客を笑わせ、喜ばせ、泣かせ、最後に納得させるようなラストを持ってくるあたり、さすが、プロだなあと、思って感心した。
さすが、寅さんで、そのあたりのコツを会得したのだろう。
私の不満なところは。
白土三平もそうだけれども、いつも、お殿様は、悪人として描かれる。
その意味では、この映画もその陥穽におちいってはいると思う。
もっと新しい、描き方の視点はないのだろうかとふと、情けなくなる。
日本人の大好きな四十七士の討ち入りを見てもわかるとおもうが、いつの時代、どこでも、権力者というものは、いろいろな人がいるのだと思う。
ワンパターンな描き方は、見てみて、またかという気持ちにさせられて、カタルシス不満になってしまう。・・・たしかに、映画のような、勧善懲悪みたいなものを得意とする総合芸術においては、悪人をしっかりとつくりあげたほうが、観客受けは良いのだろうけれども。
でも、ワンパターンはいけない。
剣について。
たとえば、三島由紀夫の「奔馬」などを読んでも、「剣道」のシーンなどは、その試合場の背景の、山々までも、神道につらなる神話の神秘を感じさせるような環境のなかで、生々しい、剣と剣のぶつかりが、描かれていて、ああ、これは映画にはできないなあ、とため息がでてくる。
「潮騒」という映画があったけれど、あの映画のほうが、この「鬼の爪」より、深い。
やはり、神社というものや、山に囲まれて自然のなかで生きているその神秘感みたいなものを描こうとしてして、好感ももてる。これまた、やはり、小説には映画は勝てていないが。
女優もそうだ。
松たか子は、すごく好演しているが、私のようなマニアックな映画ファンからみると、「潮騒」の吉永小百合や、山口百恵のほうが、惹き込まれるのはやはり、年なんだろうなと思う。
気高さみたいなものは、いくら演技力をつけても、そう簡単に体や魂からでてくるものではないと思う。
まあ、そんな勝手なことを思いつつ、これから、三島由紀夫の仮面の告白を再読しなおします。
・・・・・・・・・
私が、若き頃は、まだパーソナルコンピューターというものが普及していませんでしたから、ある意味、アナログ時代で青春をすごしたことは、良かったと思います。
情報に振り回されるどころか、一本の映画を見ても、その映画のことを調べるのも大変で、数千円もする本が買えずに、よく、新刊本屋で立ち読みしたり、古本屋で、安い本を探したり、それは大変でしたが、それが、逆に、自分の「好き」をつくってくれました。
今や、本屋に行っても、どれを読んだらよいか、どの本を買えば良いのかわからないくらいに、積み重なった本の山・・・・・・・
したがって、流行としては、本を薦める専門家みたいな職業もでてきていますが、どうなんでしょうか?
若き頃は、目もまだまだ衰えていませんから、どんどん乱読して、そこから、自分の舌にあう作家を発見して、三島由紀夫が言うように、こんどは、その作家の全集やら、推薦文やら、日記やら、たどりながら、読んで行く楽しみ。
そこから、その作家の尊敬する作家や、好きな本なんかを芋づる式に、読みあさる。
そんな楽しみがあったものですから。
映画も同じ。・・・・・・・・
私が、サラリーマンになった、新人のころ。
昭和51年。
仕事があまりにも、忙しく、休みも月に一度とれれば良いというような、時代。
スマホもありませんし。
新聞やら、映画館の横を通過するときに、広告を見ては、あっこれを見ようとか、そんなことが楽しみでもありました。
当然。その時代。
ゲオもTSUTAYAもありません。
映画は映画館で見るものでした。
音楽は、コンサートホールや、jazz喫茶できくもの。
それが良かったです。・・・・・・一本見るたびに、いろいろ考えることができましたし、その映画館の雰囲気・空気感・ほとんどが、汚い映画館で、足下にはコーラの瓶がごろごろしていましたし、タバコを吸っている人もたしかいたような記憶があります。
だからこそ、映画を見る記憶というものが、自分の人生の連続として、記憶の井戸のなかにチリのように沈殿することが可能だったのではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・
『青春の殺人者』
長谷川和彦の第1回監督作品。1974年に千葉県市原市で実際に起きた親殺し事件を下敷きにした中上健次の短編小説『蛇淫』をもとに、田村孟が大胆に脚本化した。深い理由もなく、行きがかりから両親を殺してしまった青年とその恋人の末路を、突き放した視点から描く。
市原悦子
また、その演技力の高さから俳優座が生んだ三大新劇女優の1人と称されている(あとの2人は岩崎加根子と渡辺美佐子)。
原田美枝子
原田美枝子といえば、このようなイメージだと思うのですが、昭和51年度を体験している私から見ると、こちらの写真が彼女のイメージであり、強烈に印象的です。
勝新太郎の撮った、彼女の写真集もまた、素晴しい傑作写真集でした。
勝VS美枝子―写真集 週刊プレイボーイ特別編集 (1980年)です。
今はすぐにヌードになってしまう時代。彼女のこの写真集を初めて見た時のような、衝撃をあたえてくれる写真集はもうできないと思います。
この写真集は昔売り払ってしまいましたが、勝新太郎と、篠山紀信の写真は、日焼けした彼女の姿が今の彼女とはまったく違うイメージで、素晴しいです。・・・・・・・・
私にとっての原田美枝子は、こちらの写真のイメージです。
長谷川和彦監督の作品は、これもすごいです。
今の核テロリズムを扱った作品の先駆けではないでしょうか。
「原爆を作って政府を脅迫する」という奇想天外なアイデアの日本映画。大掛かりなカーアクション、国会議事堂や皇居前をはじめとしたゲリラ的な大ロケーション、シリアスで重い内容と、ポップでエネルギッシュな活劇要素が渾然となった作品である
原子爆弾製造や皇居前バスジャックなど、当時としてもかなりきわどい内容となっている。
本作は長らく(現在も)カルト映画の位置付けで『狂い咲きサンダーロード』との邦画2本立ては、1980年代の名画座の定番プログラムであった。しかし、近年では一般的な評価も高めており1999年キネマ旬報「映画人が選んだオールタイムベスト100」日本映画篇では13位、2009年「オールタイム・ベスト映画遺産200(日本映画編)」〈日本映画史上ベストテン〉では歴代第7位に選ばれている。1970年代以降の作品としては、『仁義なき戦い』の第5位に次ぐものである
池上季実子は、今はこのようなイメージでしょうが、
私の時代にとっては、このクリップの方です。
1984年の『陽暉楼』で第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、1989年の『華の乱』で第12回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞をそれぞれ受賞。女優として絶頂期を迎える。
1985年、結婚(当時はできちゃった婚と言われていたが、実際は報道以前から既に籍を入れており、それからの妊娠だった)。入籍発表をしていなかった理由は「それ以前のマスコミによる嘘の交際報道により深く傷つき、マスコミ不信になっていたから」と後に告白(妊娠がマスコミにばれた為、会見を開いたところ、できちゃった婚として世間に広まった)。女児を出産したが、後に離婚。
そして、沢田研二・・といえば、
彼のことを最高にセクシーな男性だと絶賛するのが、藤山直美。
彼女が出た映画が、2000年にあった!! 傑作中の傑作。
「顔」である。
『どついたるねん』『王手』『傷だらけの天使』シリーズで男性の持つ世界観を独特の技法で描いてきた阪本順治監督が、喜劇女優・藤山直美を迎え、初めて女性を主人公にして作り上げた異色の犯罪映画。
2000年度の日本国内の映画賞を多数受賞した。
福田和子の事件をベースにしている。
池田彰:佐藤浩市
中上洋行:豊川悦司
中上律子:大楠道代 と、脇役もまた、すばらしい。
見ていると、藤山直美がまるで地でやっているような、男ダスティ・ホフマンのような、独特の切なさ、わびしさ、ユーモアとペーソスのある演技で、リアルさを出している。
実際の現実とは同じかはともかく、宇野イサムシナリオがよく出来ていて、感心した。
佐藤浩市と豊川悦治が、若き日の、しなやかな演技と、渋い男らしさをこれまた出していて、映画をひきしめる。
大楠道代もまた、人生の底辺で生きているひたむきな女性として藤山直美を助ける。
ただ金だけで生きているような最近の水商売の輩とは一線をきす不思議な存在。・・・・・・
自分の愛する人たちにつぎつぎに死なれて、孤独のなかで、埋もれ死ぬ・・・そんな女達。
妹の死霊の存在に常におびえながら、逃げ惑う藤山直美。
・・・・・・・・・・・・・・・・あの有名な事件がこの映画で、また、違う視点で、息づく。
名作だと個人的に思う。
なお、父親の血をうけつぐ、藤山直美は、
ギャグにも挑戦しています。自分の方から、出演を依頼したとか。
第24回日本アカデミー賞
優秀作品賞
優秀助演女優賞
優秀脚本賞
優秀音楽賞
最優秀監督賞
2000年度キネマ旬報 日本映画ベスト・テン
日本映画ベスト・テン1位
読者選出日本映画ベスト・テン1位
監督賞(阪本順治)
主演女優賞(藤山直美)
助演女優賞(大楠道代)
脚本賞(阪本順治、宇野イサム)
第25回報知映画賞
最優秀作品賞
最優秀主演女優賞(藤山直美)
第13回日刊スポーツ映画大賞
監督賞(阪本順治)
助演女優賞(大楠道代)
第55回毎日映画コンクール
日本映画大賞
監督賞(阪本順治)
女優主演賞(藤山直美)
美術賞(原田満生)
録音賞(橋本文雄)
第43回ブルーリボン賞
監督賞(阪本順治)
第22回ヨコハマ映画祭
2000年度日本映画ベストテン第1位
作品賞
監督賞(阪本順治)
主演女優賞(藤山直美)
脚本賞(阪本順治、宇野イサム)
審査員特別賞(プロデューサー:椎井友紀子)
2001 朝日ベストテン映画祭
ベスト オブ シネマ2000 日本映画第1位
第15回高崎映画祭
最優秀作品賞
主演女優賞(藤山直美)
助演女優賞(大楠道代)
助演男優賞(佐藤浩市)
2000年度 映画芸術日本映画ベストテン 第1位
「青春の殺人者」の年。
「タクシードライバー」を再視聴。
感動!!!!
「タクシードライバー」
1976年公開のアメリカ映画。制作会社はコロムビア映画。監督はマーティン・スコセッシ。脚本はポール・シュレイダー。主演はロバート・デ・ニーロ。
第29回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作品。また、1994年にアメリカ議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品の1つ。
大都会ニューヨークを舞台に夜の街をただ当てもなく走り続ける元海兵隊のタクシー運転手が、腐敗しきった現代社会に対する怒りや虚しさ、逃れられない孤独感から徐々に精神を病み、ついには自分の存在を世間に知らしめるため過激な行動に走る姿を描く。1960年代後半から1970年代中頃にかけて隆盛を極めたアメリカン・ニューシネマの最後期にして代表的な作品とされている。
タクシードライバー。
この戦争後の不眠症などの精神的な病気の深刻を描く作品は、私は、「 アメリカンスナイパー 」を連想します。これは実話ですが。クリント・イーストウッド監督の、ある意味問題作。
見るたびに、戦争とはなんだろうか・・・・いつも考えさせられる深くて切実な映画です。
私は基本、左翼的な、反戦映画などには反対の立場ですが、この映画は、カッコいい戦争というものは、ないということを強く印象つけてくれます。
「アメリカン・スナイパー」
この昭和51年。
この作品もまた、あります。
『バリー・リンドン』(Barry Lyndon)は、スタンリー・キューブリック監督が、18世紀のヨーロッパを舞台に撮り上げた1975年のイギリスの映画である。原作はウィリアム・メイクピース・サッカレーによる同名の小説(1844年)。アカデミー賞の撮影賞、歌曲賞、美術賞、衣裳デザイン賞を受賞した。
この映画のなかに出てくる戦争シーンはまたまた、歴史を感じさせます。
鉄砲で撃たれても撃たれても、ひるまずに、楽器を演奏しながら、敵に向かって行進する軍隊。
キューブリック唯一の「伝記的」な様式を持つ作品である[1]。
キューブリックは当初、ナポレオン・ボナパルトの映画化を目論んでいたが主に予算の都合で断念し、代わって製作されたのが本作である。時代考証はもちろんだが、ライティング、美術、衣装に至るまで、完璧主義者であるキューブリックは見事に18世紀を再現してみせている。またこの時代の雰囲気を忠実に再現するため、ロウソクの光だけで撮影することを目指し、NASAのために開発されたレンズを探し出して使用した。
軍隊はすべてアイルランド陸軍の歩兵を利用した。映画化の叶わなかったナポレオン時代の戦争に関する研究が広く活かされる事になったが、撮影当時は北アイルランド紛争の激しい時で、スタッフ・キャストの移動にも細心の注意をはらったという。
アカデミー賞を受賞するなど評価は高かったものの興行的には苦戦し、制作費回収には年月を要した。著名な原作とスターを起用した娯楽作品による興行的な成功を目指したキューブリックが次の作品として選んだのが、スティーヴン・キングの『シャイニング』である。
この映画は、個人的には、キューブリックの最高峰だと考えています。
というよりも、彼の作品は、すべて大好きなので
個人的なフェボリットですが。・・・・・・・・
この昭和51年。
ベトナム戦争などの傷跡の残る映画がたくさん見れました。
その流れが、「ディア・ハンター」や「地獄の黙示録」に続いて行きます。
「タクシードライバー」のジュディ・フォスターや「頑張れベアーズ」のティタム・オニールなどが、少女スターが光った年でもあります。
◎資料 ジョディ・フォスター
1972年に『ジョディ・フォスターのライオン物語』で映画デビュー。1976年公開のマーティン・スコセッシ監督作品『タクシードライバー』で12歳の少女娼婦アイリス役を13歳にして演じ、全米映画批評家協会賞助演女優賞や英国アカデミー賞 助演女優賞などを受賞、アカデミー助演女優賞にノミネートされ、高い評価を得た。しかし、この映画は同時に多方面に影響を与え、ジョディの熱狂的なファンを自称するジョン・ヒンクリーによって1981年にレーガン大統領暗殺未遂事件が発生。この事件に衝撃を受けたジョディは、一時期映画界とは距離を置いた。
1984年公開の『ホテル・ニューハンプシャー』で本格的にスクリーンへ復帰以降、1989年公開の『告発の行方』と1991年公開の『羊たちの沈黙』でアカデミー主演女優賞を受賞。人気・実力共にアメリカを代表する役者の地位を不動のものとした。
1991年に『リトルマン・テイト』で、映画初監督。自ら設立した映画制作会社エッグ・ピクチャーズ・プロダクション制作の第1回作品『ネル』(1994年)以降は、映画プロデューサーとして映画製作も行うなど活動の幅を広げている。
また、フランス語を流暢に話せるので、フランス語版の吹き替えはほとんど自身で行っている[2]。英語圏の女優達の中で、キャンディス・バーゲン、ジャクリーン・ビセット、クリスティン・スコット・トーマスらと共に外国語(英語以外の言語)に堪能な数少ない女優の一人である。
私生活[編集]
未婚のまま1998年と2001年に男児を出産(父親の名前は公表されていない)[3][4]。
2007年12月のロサンゼルスでの式典で、15年来の交際がある映画プロデューサーのシドニー・バーナードについて、「いつもそばにいてくれる美しいシドニーに感謝」と謝辞を捧げたところ、「レズビアンであることをカミングアウトした」として一斉に報道された[5][6]。なお、2008年5月、破局したとの報道がなされた[7]。
2013年1月の第70回ゴールデングローブ賞授賞式において、自身が同性愛者であることをほぼ公表した(正確には「カミングアウトすると思ったでしょ?」と発言しており、公には認めていない)。
2014年4月、パートナーの女性写真家アレクサンドラ・ヘディソン(Alexandra Hedison)と同性結婚した。
「がんばれ ベアーズ」
◎資料
ティタム・オニール
カリフォルニア州ロサンゼルス市出身。父親は俳優のライアン・オニール、母親は女優のジョアンナ・ムーア。1967年に両親は離婚。弟グリフィン・オニールも俳優。
9歳の時に父親と共に映画『ペーパー・ムーン』に出演、最年少(10歳)でアカデミー助演女優賞を受賞。シャーリー・テンプルの再来かと騒がれる。1976年の『がんばれ!ベアーズ』の頃は最も稼ぐ子役スターだったが、以後は役に恵まれず次第にスクリーンから遠ざかってゆく。
近年は『セックス・アンド・ザ・シティ』や『LAW & ORDER』などのテレビシリーズ、単発のテレビ映画、『ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』のようなリアリティ番組への出演が中心だが、2002年の”The Scoundrel's Wife”でサンディエゴ映画祭の主演女優賞を受賞している。
ベルイマン続いて見ています。
「愛欲の港」
この「愛欲の港」や、「夏の遊び」は、DVDがいまのところ、見つかりませんが、
ありがたいことに、YouTubeで、イメージくらいは見ることができます。
このシーンも、有名なシーンで、実際のフィルムをこのクリップで、見ることができます。
「夏の遊び」
歯磨きシーンの新鮮!!!
「不良少女モニカ」
1952年の公開当時、とりわけキリスト教が生活の規律として沁みこんでいた欧米圏を中心に、センセーショナルなストーリー展開とオール・ヌードを含む性描写に深刻なショックを受けた観客も多かった。今見ると、当たり前の恋愛映画だが、それがまた、わたしたちのこころの麻痺でもある。。
おんなの謎。
ベルイマンは五度も離婚して、女の良いところも悪いところも、知り尽くしているというよりは不器用に自分なりの不可解な女へのアプローチを繰り返すタイプなんだとも思う。
おんなの本能として、おんなは男を見ている。
自分を食べさせて行けない男はその時点でもうアウトなのだった。
「野いちご」
本作品は公開と同時に全世界で批評家の絶賛を浴びた。第8回ベルリン国際映画祭金熊賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞外国語映画賞など多くの映画賞を受賞、ベルイマンに更なる名声を齎した。日本でも本作品の人気は高く、1962年度のキネマ旬報外国語映画ベスト・テン第1位に選出された。
そして、「野いちご」・・・・・
素晴しい画像・・・。
たった一日の老人の心理描写。
ジョイスの小説のように、ただ一日、ただ一日だけの、老人のこころの描写を描く!!!
最初、夢のなかで、不思議と、なにやら、つげ義春の「ねじ式」の目医者のシーンのようなイメージがでてきた。
目の図が、看板になっている。
つげ義春もおそらく、この映画を見ていて、無意識に夢のシーンを書いたのかもしれない。
つげ義春が、夢で見た物語を描いたら、「ねじ式」になったと言っていたが、赤塚不二夫が、
そりゃあウソだろうと笑っていたが・・・・・・・・
ここでも、よく出る図式がある。
つまり、イサクの若き頃に、弟に好きな彼女を奪われてしまう・・・・・図式。
女性の赤裸裸なイメージ。
もちろん、ベルイマンの思い込みが描かれる。
「軽蔑」のモラヴィアにもよく似ている図式。
インテリ女が、生命力の象徴とも言えるような大胆な女性に嫌われる、という・・・
煮え切らない男が、モラヴィアの作品ではよく、女性から棄てられる。
あるいは、自分の妻を守りきれない男もまた、棄てられる。
嫌いな男性から言いよられて、自分の操を守りきれないという女性のこころの訴えを、理解できない、いや、こころでつかめない男の悲惨。悲劇。
「冬の光」は先日見ました。
◎物語の骨組み
スウェーデンの小さな町の冬の日曜日の朝。古めかしい教会の礼拝堂で、牧師トマス(G・ビョルンストランド)は会衆を前にミサを行っている。風邪をひいて体調は最悪だったが、無事ミサを終えてほっとしていると、漁師の夫妻が相談に乗ってほしいという。妻のカリン(G・リンドブロム)は、夫のヨナス(M・V・シドー)が中国も原子爆弾を持つというニュースを新聞で読んで以来口をつぐみ続けるので魂の安らぎを与えてやってほしいという。しかし牧師自身も最愛の妻に先立たれてから失意のどん底にあり漁師の悩みを解決してやれる状態ではなかった。夫妻はもう一度出直してくるといって帰ったが、そこに女教師マルタ(I・チューリン)が来て、彼のことをあれこれ気づかう。マルタは妻亡きあとの彼の愛人だったがトマスにとってはそんな心づかいもマルタの過剰な自意識とともに辟易しているのが本心だった。だから前日、彼女から届いた手紙も読まずポケットに収めたままだったが、ヨナスを待つ間、それを読み始めた。そこには、二年越しの二人のいきさつが愚痴ともつかず愛の告白ともつかぬまま、くどくどと並べられていて、トマスの焦立ちは深まるばかりだった。再び訪ねて来たヨナスと向きあったが牧師としての自信が揺らいでいる彼は常識以上のことは何もいえずヨナスには何の力にもならなかった。ヨナスはそれから間もなく、激流が音をたてる河辺でピストル自殺で命を絶った。そして、マルタは彼の煮えきらない態度に決断を迫り、ヒステリックな言葉のやりとりの末、トマスとの訣別を知らされる。それから数時間後、隣の教区の礼拝には一人の会衆も見出せぬ教会にそれでも型通りの式を進めていく牧師トマスの姿があった。いや、そこには、たった一人の聴聞者は別れたばかりのマルタだった。
◎資料によると。
ベルイマン作品の最高傑作といわれ、病を押して神の栄光を説き続ける牧師のうつろな姿を通して一貫したモティーフである“神の沈黙”を描き出す。原題は「聖体拝受者」という宗教用語で、「冬の光」は海外用の題名。一九六三年度OCIC国際カトリック映画局グランプリ、同年第八回ウィーン宗教映画週間で最優秀外国映画賞を受賞。
「冬の光」では、ビョルンストランド演じる牧師と男女の関係があり、男に執着する独身の女教師の役。・・・・・
「野いちご」の彼女とはまったく違う、凄みのある、存在感のある。良い意味での、女性の盲目的な生きる本能と知性さへも感じさせる演技。
ビョルンストランド演じる牧師に、愛されたいと、二年間つきあうが、結局は愛されない。
君のことは愛していないとはっきり言われたりもする。
しかしながら。
けなげに、珈琲を彼-牧師に届けたり、風邪をこじらせている彼のために、喉を楽にする薬を
持って行ったりする。
徹底して尽くす役柄を上手に演技している。
音楽でいえば、「ロンリー・ウーマン」とでもいうべき、生涯孤独で、男性からはあまり愛されないタイプの今の言葉で言えば、さえない女性を実に正確に演じきっていたと思う。
地味な服装でダサい眼鏡
特に、教室でビョルンストランドと痴話喧嘩をして、彼に執着する姿をさらすところがみどころ。
黒沢監督の「ドデスカデン」でも、たしか、ボクのぼんやりとした記憶では、あったと思うけれど、亭主を徹底していじめる、こわーーい、奥さん。
友達があまりのすごさ、サディスックな奥様に別れたらいいのにと言うと、亭主は、愛しているという、たしか、そんなようなニュアンスのシーン。
おとこと女の愛情って、複雑なのだ。
相手が発する一言に、いちいち敏感に反応していたら、恋愛もうまくいくはずもなく、結婚生活もあまりにも単調だと思う。
聞くべきところはきちんと聞いているが、そうでなければ、一瞬の気分も、高まる感情もあるだろうから、涙をながしたからと言って、慌てる事もない。
自分のこころの奥をしっかり見ていること。
そのことを、ビョルンストランド演じる牧師は、やろうとしている。この映画、「冬のひかり」のなかで・・・
だから、少し重たくもあるけれども、見応えのある作品ともなっている。
誰もが知っているように、西洋社会でさへも、今やキリスト教を単純に信じて毎日曜日にミサに行くような人は確実に減っているのだろうと思う。
それに、例のフランスのイスラム教のテロではないけれども、自らの信仰こそが正統であり、異端は許さないという、かたくなな考え方が今でも、あるんだと思う。かつては、それが、強烈だったあまり、血で血を洗うような戦いを西洋社会のどこでも、あったんだと思う。
(イギリスのプロテスタントとアイルランドのカソリックの派の争いを言う迄もなく)
かと思えば、アメリカのとある州というか、けっこうな地区で、いまだに、ダーウィンの進化論を学校で教えずに、この世界は神様がおつくりになったと教えている学校があるらしい。
日本には、やおろずの神様がいらっしゃるおかけで、「もののけ姫」のような傑作映画ができたわけだし、「せんとちひろ」の映画も、日本の神様の考え方が今、世界に浸透しつつある。
聞いた話しでは、ヨーロッパでも、仏教形式で、葬式をする人も増えているとききます。
・・・・・・・・・・・・・
そんなわけで。
冬の光のなかで、牧師は、悩んでいます。
自分はしっかりした信仰を持って、皆に、説教をしているのだろうかと。
みずからの協会にやってくる人の数も、どんどん減っています。
今や、四五人の人数のひとのための説教を説くのみ。
オルガンパイプを弾く男性も、もはや、アクビをしながら、テキトウに、音楽をかなでます。
牧師。死んだ妻。その後、彼を追いかけるイングリッド・チューリン。オルガン弾きの男性。人生の悩みを相談する鬱っぽい男性とその妻。牧師にアドバイスをする友達。
そんな連中が、冬のよく澄んだ夜の空の星のようにして、ぐるぐる、牧師のまわりをまわりながら、ドラマを演じています。
ドナルド・キーンさんが、日本人の特質の五つとして。
◎あいまいさ
◎勤勉
◎はかなさのこころを理解できる 共感できる
◎清潔
◎礼儀正しい
をあげています。
そのとうりだと思います。今、世界から外国人がやってきて、私たちが、ほとんど無意識にやっているようなことを、見て、驚いて、自分の国にもどっていっては、世界にネットやTwitterで、広めてくれています。
ありがたいことですが。
この5つが、ない人もふえているような気もしますね。
こんな日本とは、ちがい、スウェーデンの牧師は、悩みに悩みます。
まさに、二元論。逃げ道を自分でふさぐような、論理的な考えをつづけなから。
そこへ、わずらわしいとさへ思ってしまう女の愛情。妻のことをまだ忘れられないというのに。
そして、信者の自殺。
・・・・・・・・・・
美しい映像です。
世界の黒沢・フェリーニ・そして、ベルイマンと言われるだけある作品だと思います。
夏の夜は三たび微笑む
『第七の封印』や後年の「神の沈黙」三部作などのように哲学的なテーマを取り扱った難解な映画が多いとされるベルイマンの作品群の中で、『夏の夜は三たび微笑む』はその明快なプロットと洗練されたユーモアでややもするとわかりやすい、通俗的な作品であると評されがちである。これは本作品の製作前にベルイマンのプロデューサーが、もし次回作が興行的に失敗したら二度と映画を作れなくなると脅しを掛けたからであると言われている。金銭的な危機のみならず、ベルイマン本人の慢性的な胃痛、女優のハリエット・アンデルセンとの破局など様々なトラブルの中で撮影された本作品であるが、完成するとスウェーデン国内で予想外の大成功を収めた[1]。
本作品は公開当時からスウェーデン国外での評価も高く、翌1956年の第9回カンヌ国際映画祭のパルム・ドールにノミネートされた。結局パルム・ドールの受賞は逃したものの、同年に特設された「詩的ユーモア賞」(仏語:Prix de l'humour poétique)を受賞、ベルイマンは一躍国際的な知名度を高めることになった。
ベルイマンはかなりの、波瀾万丈の女関係を持っていた。そうでなければ、こんな、もつれにもつれたタペステリーのような愛の衣装はこしらえることはできないだろうと思う。
「第七の封印」
前作の『夏の夜は三たび微笑む』がカンヌ国際映画祭の特設賞である「詩的ユーモア賞」を受賞し、興行的成功を収めたことで自分の好きなように映画を製作できる自由を得たイングマール・ベルイマンが、一転して神の不在という実存主義的なテーマに挑んだ問題作である。
本作品でベルイマンは前年の『夏の夜は三たび微笑む』に続き、1957年度のカンヌ国際映画祭のパルム・ドールに二年連続でノミネートされた。受賞はならなかったものの、本作品は同映画祭の審査員特別賞をベルイマンに齎した。前作と『第七の封印』の二作続けての批評的成功は、ベルイマンの世界的な映画監督としての声望を不動のものにした。同時に映画中で重要な役柄を演じたマックス・フォン・シドーとビビ・アンデショーンの二人にとって、本作品は彼らのキャリアを飛躍させる出世作にもなった。
マックス・フォン・シドーは、「エクソシスト」で神父役をやっいたという。記憶にないが。
・・・・・・ビビ・アンデショーンは、「野いちご」にも出ていますが、ベルイマン映画にはかかせない俳優。
(映画監督イングマール・ベルイマンについて)「彼とならスクリプトガールでもいいから一緒に仕事がしたいわ」 ・・・・・・ ジャンヌ・モロー
◎スクリプト‐ガール(script girl)
映画の撮影現場で、撮影の進行を記録する映画監督の助手
FIN
ゴダールの「軽蔑」。
大好きな映画のひとつです。
この頃のバルドーが一番光り輝いていた頃だと思います。
そして、ミッシェル・ピコリ。彼もまた、フランスの映画界を代表する素晴しき俳優のひとりですね。
謎めいたカメラワーク。男の女の不思議な会話。
原作者のモラヴィアはいつも、このようにして、インテリ男性の肉体的な弱点と、そして、女性のたくましい盲目的な生きる本能みたいなものを対照的に描くのが得意でしたが、その原作を、ゴダールが、また、自由に、表現していて、原作、映画ともに、Aクラスの傑作と言えると思います。バルドーの素晴しさには息を飲みますし、ミシェル・ピコリは、なんと「美しき諍い女」にものちに出演しています。バーバレラのジェーン・フォンダの「獲物の分け前」にも出ています。
淀川さんが言うように、私は基本感覚的に映画を見ますし。
原作とはまったく違う作品と、考えて、見ています。
ですので、
映画の物語だけではなくて、一番、惹かれるのは、シネマの「場」つまり、舞台の場所です。
たとえば、パリであるとか、日本の神戸であるとか、そういうことです。
次は、映画音楽。
これが良くない映画は、あまり記憶に残りません。
次に、監督、俳優、カメラマンなとなどですね。(プロデューサーやら、脚本家も含みます)
モラヴィアは、イタリアの作家。
「軽蔑」の他にも、「倦怠」などもあります。
あとは、モラヴィア原作で、映画化されたもので、好きなのは、ベルトリッチ監督の
「暗殺の森」。
原作が、「孤独な青年」ですね。
なつかしいです。ドミニク・サンダ。
16歳で結婚したが2年後に離婚。当時はヴォーグ誌などでモデルをしていたが、ロベール・ブレッソン監督と知り合い、1968年に『やさしい女』でデビューした。『暗殺の森』や『1900年』など、ベルナルド・ベルトルッチ作品で有名。
1976年の『沈黙の官能』でカンヌ国際映画祭の女優賞を受賞している。
1970年代には日本でも人気が高く、1978年にはパルコのテレビCMに出演した
1984年には話の特集から本人と山田宏一の監修で簡単な自伝を含む写真集『ドミニク・サンダ写真集―女そして女優』が刊行されているが、それ以前にも映画雑誌の付録や芳賀書店等からの写真集が刊行されていた。
1992年、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で審査員を務めている
当時、私は札幌パルコで仕事もしていましたから、・・・すごいキレイな人だなあと、・・。
昭和53年頃でした。
札幌パルコが出来たばかりの頃です。
このparcoのコマーシャルも、いまでこそ、このフレーズはありふれていますが、
当時は、もう、女性たちの魂を
わしづかみに、したと思います。
現代は、ひとつ標的を決めると、みんなで、責め立てるというかなりヒステリックな、
日本になってしまいましたが、
こんなように、タバコもまた、文化のひとつとして、冷静に、
見られていた良き時代でした。(タバコを女が吸うなんて、なんてはしたない、という時代はその頃、すでに終わり、歩きながらタバコをふかしている女性達とよくすれちがったものです。なつかしいです。個人的には立ちタバコは好きではありませんが。・・・)
今でも、頑張っています。
ものすごい数の若者が、毎日毎日、parcoに来ていました。
たしか、当時のparcoポスターは、今は亡き、石岡瑛子が作成したのかな、はっきり覚えていませんが、いつもparco と聞くと、ドミニク・サンダと石岡瑛子を、思い出します。
石岡さんについては・・・
フランシス・コッポラ監督の映画「ドラキュラ」でアカデミー衣装デザイン賞を受賞し、マイルス・デイビスのアルバムジャケットデザインではグラミー賞を受賞した石岡。2008年には北京五輪開会式の2万着に及ぶ衣装を手掛け話題になりました。
石岡がいま手掛けているのが、3月から開演されるブロードウェイミュージカル「スパイダーマン」のコスチュームデザインだ。総制作費はブロードウェイ史上最高の6500万ドル(53億円)、音楽を世界的ロックバンドの「U2」が、演出を「ライオンキング」のジュリー・デイモアが手掛けることでも話題だ。
石岡は主人公のスパイダーマンをはじめ、敵キャラクターなど400種にも上るコスチュームの制作に挑んだ。番組はこの舞台裏に2か月密着する。
20代のころは、札幌の次は、渋谷のパルコで働いていました。まだ、109も今のように、女の勝負服みたいな感じの店ではありませんでしたから、パルコと109を行ったり来たり、途中でコーヒー 飲んだりして、楽しき日々でした。
ところで、この石岡瑛子。
当時は、レニ・リーフェンシュターや、ヌバなどを写真集でいつも見ていましたが、不思議に、日本人離れしたものを感じていました。
日本の湿気を嫌ってニューヨークに行っていたというは聞いた話。
すごいパワー。オーラ。可愛いらしい笑顔。
そしてなによりも、昔はまったく感じなかった日本人の何か。・・・・
たとえば、彼女晩年の仕事、スパイダーマン。
はっきり言って最初の印象は、歴史の浅いアメリカという国の人々の嗜好。
ボップカルチャー的なもので、この蜘蛛男のイメージも、ハリウッド的で私はあまり好印象を持っていませんでした。
まあ、映画で見て暇なときに、特殊撮影を楽しんだり、美しい女優を見たりするくらいのものでした。
それが、この東洋の魔女。
石岡瑛子氏の奮闘ぶり。
デザインのコンセプトをよく見ていると、実に東洋的でした。
歌舞伎や、能のような、不思議なオブジェ。
これはやはり西洋人はびっくりするんでしょうね。
イッセー・三宅なんかもそうですが、洋服に着物のコンセプトを取り入れています。
石岡瑛子さんのこの言葉。彼女の覚悟を、彼女の複雑なこころのウチをのぞかせています。
私は日本人であることを誇りをもっている。私の誇りは、昔のサムライに共通しているほど、強い。しかし、日本人を売りものにしたくない。だからといって、西洋人になりたいわけではけっしてない。何々風という見られかたから、解放されて、自由になりたいだけだ。
たとえば、まるでハンス・ベルメールの人形のようなセクシーで妖気ただよう衣装。
その衣装をつくる職人達との討論を見ていると、日本人の職人観を強く感じた。
たとえは違うかもしれませんが、日本車のドアを閉めたときのフィット感が西洋で感心されるように、細部に神がやどるということを昔から日本人はよく知っていて、しかも、ものづくりは祈りに近いものになっておりますね。
サグラダ・ファミリア協会。ガウディ。
100年まだかかると言われる複雑な教会、職人のリーダーはたしか、日本人じゃあなかったでしょうか。
・・・・・・・・
彼の番組をテレビで見ましたが、一番印象に残っている言葉は、「祈るようにして作っている」でした。
この石岡瑛子氏の仕事感は、西洋ではなかなか受け入れられなかったようですネ。
まず、彼女は生きることが衣装をデザインすること、デザインする事自体が生きる事、つまり彼女の人生なのですが、たとえばドイツなんかへいって、仕事をしていても、時間がくると皆、ぱっと帰ってしまうらしいですネ。
そのことだけではなくて、仕事に対する醒めた感覚が嫌でそうとう彼女も、議論に議論をかさね、やっと公開まじかになって、スタッフ全員の気持ちをひとつにすることに成功したとアイデザインにも書いてあります。
日本が嫌で海外に飛び出して、マイルス・ディヴィスやら、ビョークやら、オペラやら、そして北京五輪のあの数千枚?とも言われる衣装デザインをまかされた世界的なデザイナー、それが石岡瑛子氏。
私はビョークが大好きです!!!!
たぶん、時代的には家族よりも仕事、義理人情よりもセクシーさ、芸術至上主義ということなんでしょう。
三島由紀夫氏の「mishima」シュナイダー監督でしたか、これもまた三島家の許可がもらえなくて日本では上映されなかったとか、それも石岡さんが、海外に飛び出していった理由のひとつと言われています。
そしてその彼女の仕事の中にはやり見事な日本人としての遺伝子がはっきり入っておりました。
ところで、ベルトリッチ監督。
1960年代
殺し (1962) 革命前夜 (1964) ベルトルッチの分身 (1968)
1970年代
暗殺のオペラ (1970) 暗殺の森 (1970) ラストタンゴ・イン・パリ (1972) 1900年 (1976) ルナ (1979)
1980年代
ある愚か者の悲劇 (1981) ラストエンペラー (1987)
1990年代
シェルタリング・スカイ (1990) リトル・ブッダ (1993) 魅せられて (1996) シャンドライの恋 (1999)
2000年代
ドリーマーズ (2003)
2010年代
孤独な天使たち (2012)
彼の作品群です。
ベルトリッチ監督の作品群。素晴しいです。ほとんど、見ていますが、
マイフェボリットと言えば、
「ラストエンペラー」 、
「シェルタリング・スカイ」、「 リトル・ブッダ」 、「魅せられて」、 です。
特に、「魅せられて」は、不思議な小説であり、また映画です。
まったく、筋らしい筋もありません。
詩人だった母の自殺後、自身の出生を解明するためにイタリア・トスカーナを訪れたルーシー。彫刻家イアンのモデルを務めるためにここへ来たが、父親を探すという目的もある・・・
それだけです。
トスカーナの美しい自然。
そして、妖しい音楽、仲間たち。
また、リヴ・タイラーの悪魔的な美しさ。
詩のような作品として、記憶に残っています。好き嫌いはあるでしょうが、私の
フェボリットです。
ところで。
この「軽蔑」
友達と飲んでいて、私が、ゴダールの「軽蔑」が好きだと言うと、
「オレはフランス映画は嫌いだ」と言われたことがあります。
彼は、エリア・カザンが好きで、若き頃に見た思いでの映画、そこだけに固執します。だから、あまり普段は映画は見ていないようです。若き日の映画に対する情熱。それを失ったのかもしれず、残念に感じました。
本当に映画が、好きじゃないんだな、そう私は思ってしまいます。
(別に嫌いでも良いのですが、その人それぞれの人生ですから・・・)
これと同じことが、たとえば、絵画。
絵がめちゃめちゃ上手くて、東京芸大なんかを出て、それでも、なかなか食べていくのはむずかしいわけで、結局、普通のサラリーマンになって、絵を描かなくなる。
あっ、この人は、やっぱり絵画が好きではないんだな。そう、感じます。
あるいは、若い頃、よくjazzを聞いていて、レコードをたくさん持っていて、それで、中年になり、仕事も忙しく、レコードも壊れてしまい、ほとんど、jazzを聞く事もなくなってしまう。いつもテレビしか見ない。こんな人もいると思います。
あっ、この人は、やっぱりjazzが好きではないんだな。そう、感じます。
また、あるいは、作家をめざして本を乱読している人。
そんな人に限って、作家になるのはなかなか大変ですから、その夢をあきらめた途端に、もう、小説などをまったく興味を失って、読まなくなってしまう。
そんな人も多そうですね。
あっ、この人は、やっぱり本が好きじゃあないんだな。そう、やはり、感じます。
・・・・・・・・・
子どもの頃、若い頃に、好きだったことを、やり続ける事、それは、大変なことです。
小林秀雄氏のエッセイに、たしか、「好きなこと」について、書いたものがあると思いますが、「好きなこと、女性を好きになるがごとし」みたいなセンテンスを記憶していますが、違っているかもしれません。
つまり、男性であれば、女性を好きになるようにして、あることを追求する。
好きな異性と一緒にいますと、どきどき、脳内物質が出まくりで、最高に幸福感を味わうものですが、そのような気持ちで、「自分の好きなことにぶつかっていく」ということですね。
好きだということは、ものすごいエナジーが必要ですから。
そして、「継続は力なり」とも、いいます。
私は、なんのとりえもない普通の人間ですが、この「何かを超好きになる」ということと、「なにがあろうとやりつづける」ということだけは、才能があると思っています。
(作品は売れないよりも売れた方が良いに決まっていますが、それはあくまで結果ですから、描き続けることそのものが大切だということです。)
それだけですが・・・。
ただ、竹内均さんが、「自分の好きなことをやることができ、好きなことで食べることができ、その好きなことで人のお役にたてる・・・」と言っていますから、
その意味では、私は、自分は幸福な人間なんだといつも感じることができています。
継続の天才―竹内均/扶桑社
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竹内均。ニュートン編集長、世界的物理学の権威。
彼は、いつも私に、ヒントをくれます。
たとえば、西洋人は、論理的なものは左脳、感情は右脳と分けている。
角田博士が発見したように、西洋人は子音は左脳、母音は、右脳と分けて聞くのに、日本人は、
子音も母音も左脳で聞き取るという。だから日本人はデジタル的と言われたのだが、
日本歯科大学の品川教授は、この理由として、日本人は、もともと、日本の風景が四季に富み、たとえば俳句などを見ても、その季語だけで、季節の情感をデリケートに感じるように、右脳の画像処理が手一杯だっただろうと推測している。
色彩豊かで風土そのものが、絵画的だからだと。
ふりかえりますと。
33年間のサラリーマン生活の時に、自分の好きなことをわずかな時間のなかでしか、できなかったですので、帰宅してから寝る迄の間に、
jazzの盤に、針を落とし、油絵を真夜中まで描き、(通勤時に、好きな作家本を読み(常にリュックに10冊くらいの本を持ち歩いていましたので、そのおかげで、上半身の筋肉がつきました。)
家族と、映画を見て、それから寝ました。毎日です。
それでも、漫画などの、アイデアは描きためていても、なかなか、本格的に描く時間はとれません。結局、冬休みなどの長期休みがとれたときに、しかも、家族がなにかの用事でいないときだけに、書くしかありません。
そんな、会社勤めの間の不満があり、今、この年齢になってから、自由な時間を得て、好きなことを好きなだけ、好きなように、使っております。
その意味では、体というものも非常に大事でして、よく「私は好きなものを食べて、好きなものを飲んで、それでいいんだ」という人もいますが。
彼は、きっと、情熱をそぞく「好きなこと」がないんだろうな、と寂しくなります。
「好きなこと」があれば、自分の生き方そのものも、変えるはず。
体さへ、丈夫に、丁寧に、手入れしてさへいれば、長く長く、その好きなことと、
つきあえるのですから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな、不満が溜まる、サラリーマン時代の時に、私を励ましてくれた映画は、これです。
「北斎漫画」
北斎の線といえば。
いつか、三万くらいする彼の北斎漫画を見たことがありますが、実に見事な線です。(今では、13000円くらいの本もあるようですが・・)
筆でよくあそこまでいろいろなものを表現することができるのか、圧倒されました。
蛇なんかを描く時にも、実際に、蛇を飼って、写生したといいますから・・・(ダヴィンチも、死体解剖までして、克明に対象物のデッサンをしました) 資料から
映画にもなりましたが、蛸と女性の絡む発想なども、最後の最期に、北斎の脳裡に浮かんだものなのでしょう。
映画でも、晩年のからだが衰えてきた最期に、たちあらわれたイメージのように描かれていました。
私が一番好きなのは、妹が、彼に叫ぶ言葉。
「兄さんは、いろいろな画家のいいところどりで、自分のオリジナルがないのよ」と。
これは、確認していませんので、少しニュアンスは違う言葉かもしれませんが・・
・・・・・・・・・・・・・・・
田中裕子。
素晴しい演技です。
彼女に関する、クリップをここに、記録しておきます。
あと、こんなCMも好きです。
「北斎漫画」
この映画には、主演の北斎が、緒形拳ですし、
その他、西田敏行もいます。
沢田研二の奥様の田中裕子と、糸井さんの奥様の樋口可南子もいます。
まだ結婚前のういういしい雰囲気です。
(尾形健については、日本では一番好きな俳優なので、また書きたいと思います。彼の作品では、
やはり、「火宅の人」が最高に良いですね。)
・・・・・・・・・・・・・
また、樋口可南子さんについては、彼女の本ではこれが一番好きです。
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・・・・・・・・
最近では、「愛を積む人」にでていました。
「北斎漫画」・・・・・・・・
彼の親友の滝沢馬琴。
この人もまた、長生きして、里見八犬伝を書き上げましたね。
ルソーと同じように、ふつうに働いてきて、50過ぎてから、創作をし始めたところが、私は親近感を覚えます。
というのは、彼の妻が、たしか、商売をしていて、自分が作品を描く事で、仕事の邪魔をしてはいけないというので、とにかく、我慢しながら、魂のなかに発想をためこんでいたのだと思います。
そして、我慢のすえに。
義母が、亡くなります。
そして、好きなこと=「物語を描く事」をスタートするのです。
私の好きな『南総里見八犬伝』の執筆には、文化11年(1814年)から天保13年(1842年)までの28年を費やしています。
途中。目が失明しても、お路という女性に口述筆記をさせながら執筆しているところは、感動します。
この彼の馬琴の作家生活に欠かせない存在になるお路に対して妻のお百が嫉妬し、家庭内の波風は絶えなかった、と資料にありますが、
それはそうでしょう。
この嫉妬といえば、ホーキング博士が、余命数年というなかで、懸命に、目の瞬きなどで、コンピューターなどへの入力そして、コンピューターによる出力という行為の手助けのために、やってきた、専門家の女性のことを思い出します。
やはり、目の見えない人やら、特殊な病気の世話をしながら、口述筆記や、専門的な動作を教育するということは、心の繋がりがなければできることではありませんし、しだいに、愛がめばえてきてもおかしくはありません。
ホーキング博士も、妻と離婚して、この女性と結婚しています。
『博士と彼女のセオリー』です。
フェリシティ・ジョーンズ、「今日、君にあえたら」にも出ていました。
目力のある美しい女優さんです。
もちろん、主演のエディ・レッドメインは、最高の演技をしてますが、
彼女も、繊細なる妻の心理を演じきって、この映画で、これだの賞を獲得しています。
第87回アカデミー賞・主演女優賞ノミネート
第13回ワシントンD.C.映画批評家協会賞・主演女優賞ノミネート
第12回アイオワ映画批評家協会賞・主演女優賞 第2位
第72回ゴールデングローブ賞・女優賞(ドラマ部門)ノミネート
良い女優さんだと、思います。
・・・
そして、「北斎漫画」にもどります。
最近は、春画そのものが、見直されています。素晴しいことだと思います。
エロスは、わたしたちの存在そのものですから。
私の同窓会でのできごと。・・・・・・・
川俣正は、誰しもが知っている世界的なアーティストです。
高校生の頃は、同じ、美術部でした。
・・・・・・・・・
東京芸術大学の話しになったところで。
「最近の東京芸術大学は、金持ちばかりだよ」と先回、同窓の川俣正と会ったときに彼は笑いながら言っていました。
確かに、生活の心配もなく、絵に専念・芸術に専念できるということは、うらやましいかぎりです。
しかしながら。
私は考えたんです。
そのようにして、書かれた作品は、人の魂をほんとうに打つことができるのでしょうか。
(個人的意見ですが)
たとえば、ピアニストの辻井さんや、フジコ・ヘミングのピアノは、なにやら、上手い下手を超えたところにあるのではないでしょうか。
フジコ・ヘミングさんも、いつかテレビで言っていましたね。
「わたしよりもテクニックの上手い人ならば、この世に、たくさんいるわよ」って。
それなのに、彼女の演奏に心打たれる人は、何か違うものを彼女の演奏に感じるわけですね。
きっと、彼女もその「好きさ」が普通の人の「好きさ」とは次元が違うのだと思います。
彼女は、もしも、テレビ局などの人に発見されずにいても、この地球のどこかで、死ぬ迄、 ひとり、ピアノをひきつづけていたと私は信じています。
それは、ピアノが、好きだからです。
この「北斎漫画」、きっと、私が絵が好きだから、かなり惚れ込んでいるのだとは冷静に思います。(好きになるとあばたもえくぼですから、・・・アラが見えなくなります)
もう少し、この作品を記録しておきます。
映画の出来・不出来から見れば、レヴューがすでにたくさん出ていますから、「蛸とお直のからみ」が嫌だったとか、笑ったとか、いろいろ言われてますが、あれは蛸やらの道具のミスですね。別に問題ありません。
本質は、蛸とからんだ女体で彼はホンモノになった、これは真実です。
世界的な一枚の浮き世です。誰も文句は言えないでしょう。ただのスケベ爺のいたずら書きでないです。
ピカソと同じく死ぬまでエロティシズムをあれだけ追求した画家は少ないです。普通ならば、平穏無事な奥さんとの生活を望むのが普通の男の気持ちであるはずで、あれだけ、自分を追い込むことはしないです。
それだけ、絵画の、「浮世絵」という表現媒体を信じていたんです。さきほどの、小林秀雄流に言えば、「好きこそものの上手なれ」の世界に一人生きていた。ゴッホです。浮世絵のために狂うなんてこともへっちゃらだった。
エニグマとしての「お直」が、北斎の永遠の女として出てきますが、樋口可南子の女優としての美しさよりも原石としての可愛らしさの方が目立ってますね。
蛸を田中裕子が彼女の身体に置く時にほんとうにくすぐったがっているのは笑えます。(女の笑いとエロスは表裏一体ですが)
だいたいが、女の方が自然で達観しますから、人生風吹かれるままに上手に生きて行くのはだいたい、女です。
そのあたりは、男はぐずぐす、「お直」に惚れ込んで一生その幻影を追い続けますからね。娘のお栄から見ても、ただのつまらない女だったと思われる「お直」なのに、その幻影から結局は「蛸と女」をつくりだしてしまうあたりが「男の虚夢」の見本です。
女は女にきびしいですから、北斎が惚れ込んだ「お直」の本質を見抜いていた「お栄」ちゃんは、実は一生処女のまま、生娘のまま、父親に添い遂げるのですが、私はこの「お栄」ちゃんの方に女の本質を感じますね。色気もまた。
助演賞をこの作品で田中裕子はとってますが、当然でしょう。当時の彼女は光り輝いてます。
たとえば、江戸小紋ならば、当時は職人同士が競い合い、「染め」職人と「型」職人が、お互いに火花を散らして、「どうだこんな細かな柄は染めれねえだろう」「どうだもっと細かな柄でも彫ってみろ」と喧嘩をしながら腕を磨いていた江戸職人の空気がでていました。
これだけでもこの映画はたいしたものです。映画なんてものは、「道徳的に正しい」とか正しくないとか、そんな見方をしちゃいけませんね。自分の嗜好や偏見で見ればいいんです。それから、感銘して涙が出ればもうけものだと私は思います。
田中裕子と樋口可南子の若かりし頃の素晴らしい身体。画家志望ならば皆デッサンしたいと思う筈。
江戸の情緒を感じさせるセット。「美しき諍い女」の絵画創作のプロセスとまではいきませんが、浮世絵の創作のプロセスも楽しめます。
「美しき諍い女」の、老画家が、デッサンを黒インクで、カリカリと始めるところが、素晴しいです。
あの音は忘れることができません。
自分の妻の元の絵の上に、その絵をつぶして、新しい美しいモデルの絵を書き始めるわけですね。
・・・・・・
たしか、モラヴィアの「ローマの女」でも、最初の章に、母親が自分の娘を、画家にモデルとして、売り込むところがあります。
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要は、異性の体には、魂をゆさぶるある不思議な感覚を発露させてくれる何かがあるのです。
最近は、私の通うデッサンスクールでも、女性が多いので、男性のモデルを描きたいということで、小樽の出身の舞踏家さんに、モデルをしていただいております。
このモデルと画家というテーマは、非常におもしろいテーマですので、また、しっかり記事にしたいなと思っております。
ところで、「北斎漫画」
シナリオは、八代静一さんが書いています。彼は三島由紀夫氏と、仲が良かったのですが、
三島由紀夫の「喜びの琴」事件いらい、文学座から離れるようになったことを記憶しています。
呉服屋の番頭、小僧。鏡屋。
私の尊敬する滝沢馬琴の実は律儀な性格。ディテールに矢代静一さんの研究リサーチ、たっぷり詰め込まれていて楽しめました。
最後のシーンの二人の天才の死の描き方には私は少し文句はありますが、最後の最後まで乳房にかじりついて死んだ馬琴と、娘にたよりつつ幻のモデルを描こうとした北斎に拍手ですね。
「私は今90歳だ。これからの5年間は西洋画を勉強しなおすのだ。そして、95歳から本格的に私の画業の最後の総決算をしたい。101歳になって、夏の終わり頃、私は死にたい」そう、叫ぶ、北斎の壮絶な生命力。
サラリーマン時代。
もちろん仕事は必死にやっていましたし、そうでなければ、首になるのが民間ですから、
ただ、好きなことだけはいつも忘れないように、自分の時間があれば、即、好きなことを
やっていた時代。
この映画は、凡作だとか、駄作だとか、メイクが最低とか、いろいろ言われていますが、
そんなことはどうでもいいのです。
私にとっての、「感銘」を与えてくれる作品でしたから。
そして、仕事という川の流れのなかに埋もれて行く自分を救ってくれたのでした。
このように、年齢をとっても、好きなことをあきらめずに、いつまでも、追求する人達に、
私は、脱帽します。
そして、あこがれます。
そして、自分もそうありたいと願っています。行動しています。
90歳過ぎても創作意欲の衰えなかった彼ら・・・・・
北斎、のほかにもたくさんいるでしょう。
バルテュス・ピカソ・カザルス、・・・・・その他、名もなき人達。
ピカソの最期の晩年のエッチング。私も持っていますが、これも、
「 彼は347点におよぶエロティックな銅版画を制作。多くの批評家がこれを「不能老人のポルノ幻想」、あるいは「時代遅れの画家のとるにたらぬ絵」とみなした。長い間支持者として知られた批評家のダグラス・クーパーさえ「狂った老人の支離滅裂な落書き」と評した。しかしピカソ本人は「この歳になってやっと子供らしい絵が描けるようになった」と言い、悪評は一切気にしなかった。」と、
書かれてもいますが、これは、評論家より、当然、ピカソの方が、次元が上ということです。
評論家の銅像がどこの国でも、たったためしはないんです。
芸術に年齢はありません。
なぜならば、心の中のインナーチャイルドと、戯れることが触媒になるのであれば、
年をとって現実の余計な贅肉がなくなったほうが、より、良き作品がかけるのでしょうから。
再度書きます。
このように、年齢をとっても、好きなことをあきらめずに、いつまでも、追求する人達に、
私は、脱帽します。
そして、あこがれます。
・・・・・・・・・・・
実は、私が尊敬する、ものすごい人が、もうひとりいます。
富岡鉄斎です。
私は、敬愛する小林秀雄氏が、どうして、富岡鉄斎が好きだったのか、最近、なんとなく理解できるようになりました。
富岡鉄斎。
こんなことを言います。
「おれは知ってのとうりの儒生で、画をかくといふのが変体じゃ」
要は、彼は、独学で、いろいろな画を狂ったように勉強して、自分の絵を模索しつづけていました。
「唯、もう書物のなかから出して画を描くばかりで、それで、書物という書物、画論という画論は大概買って読んでいる。」
ものすごい勉強家でした。
「南画の根本は学問にあるのぢゃ。そして人格を磨かなけりゃ、描いた絵は三文の価値もない。新しい画家にいうて聞かせたいのは、万巻の書を読み、万里の道をゆき、持って画祖をなす」ただこれだけぢゃ。
さきほどから書いていますが、
要は、テクニックではないということですね。
こころとからだからあふれ出るもの、それを磨くという・・・
一番むずかしいことです。
彼の名作集をひもとくと、
60歳までの若描きは、せいぜい三割。
ほとんどの収録作品は、70歳の後半からふえていき、
89歳の最期の最期になってからの作品が一番多いんですね。
下の絵は、ちょっと見ずらいかもしれませんが、右が70代。左が80代の作品です。
年々、画風が変化し、力が高揚し、最後は富岡鉄斎、龍になったようです。
これは、驚き以外のなにものでもありません。
小林秀雄氏も、確か、82歳まで「本居 宣長」を書いていましたから。
そして、淀川長治さんは、84歳まで、毎日1本の映画を見ていました。
今日の記事のテーマのひとつでもある、ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」の
試写があった日、かなり病気でつかれていたのにもかかわらず、試写室に行く時には
元気になっていたそうです。
脱帽。脱帽。脱帽です。
「好きなことがあれば病気にも克てる」 淀川長治
FIN
生きてると、怒らせちゃいけない相手と出くわすことがたまにあると知ってたか? それが俺だ」(「グラン・トリノ」 クリント・イーストウッド「
「グラン・トリノ」
◎資料
『ミリオンダラー・ベイビー』以来、4年ぶりにクリント・イーストウッドが監督・主演を務めた人間ドラマ。朝鮮戦争従軍経験を持つ気難しい主人公が、近所に引っ越してきたアジア系移民一家との交流を通して、自身の偏見に直面し葛藤(かっとう)する姿を描く。イーストウッド演じる主人公と友情を育む少年タオにふんしたビー・ヴァン、彼の姉役のアニー・ハーなどほとんど無名の役者を起用。アメリカに暮らす少数民族を温かなまなざしで見つめた物語が胸を打つ。
クリント・イーストウッドは父クリントン[1]・イーストウッド・シニアと母モーガン・イーストウッドの間に生まれる。スコットランド、アイルランド、ドイツ、イングランドの4か国の血をひいている。家系はメイフラワー号の乗員で港町プリマスを統治したウィリアム・ブラッドフォードを祖とする名家であるが、幼い頃の生活は世界恐慌の煽りを受け苦しかった。
オークランド・テクニカル・ハイスクール卒業後、朝鮮戦争のさなかである1951年に陸軍に召集され入隊。2年後の1953年に除隊後、サウス・カリフォルニアに移住。アルバイトの傍らロサンゼルス・シティ・カレッジの演劇コースを専攻する。1950年代初めにユニバーサル映画と契約を結ぶが、当初は『半魚人の逆襲』『世紀の怪物/タランチュラの襲撃』といったB級映画の端役しか与えられないという、不遇の時代を過ごした。
映画を見て、すぐに、記録すること。
これも大事。特に私のような映画狂には。
それに、私は、健忘症。・・・・・ほんとうに忘れっぽい!!!!
だから、記録する。
記憶にたよらず、記録をつけるとは、思うけれども、なかなかそれができない。でも、続けている。
この映画はすでに、何回も見ている。最後に、再度見てから一ヶ月。
良い意味で、生な感動は醒めている。
敬愛する小林秀雄氏は、「生なましい現実体験は、あまりにもなまなましいので、言葉になりづらい。書く行為によって、思い出すことによって、それはより現実の中で生きてくる」と、(私の勝手な解釈ですが・・・)
したがって、些細なところは忘れた方が良いのかもしれない。
一ヶ月たっても、記録しておきたいところ、感じたところが、ツボなのかもしれません。
それに、何回も見ると、新しい発見が次々とあります。
男と女の良くも悪くも、違いを感じた映画。
そして、バタ臭いけれども、アメリカという国を一身に背負って立つクリント・イーストウッドの男の色気かな。
こうやって書きながら、あの映画の細かなシーンが驚く程正確に記憶にパタパタと映写機で回すように脳裏に浮かぶ。
変な言い方ですが、女性には理解できない映画だと思う。
女性に惚れられる男の映画だろう。
何も、異性を理解する必要はないでしょう。惚れることが一番大切。
今の時代。
効率効率、合理化、無駄無理ムラを省いて・・・・・これらの大合唱。
そしてアメリカという国、ユダア人の支える国の、ある意味合理主義。
三島由紀夫氏は、フロイトニズムでさへ、合理主義の延長かもしれないと書きました。
自分にとってマイナスな道をとにかく選べ。選べば、圧倒的な生命力がわき上がってくると、岡本太郎氏も言う。
道がふたつあって、自分にとって、得な道と損な道。
迷わず、損な方を選べと。・・・・・・
不合理ゆえに我信ず。
小林秀雄氏は、頭でっかちの似非インテリを嫌う。
へらへら笑って、大真面目に何にも信じようとしない、できないインテリ達。
「すべてを疑え!!
正しくない連中は殺戮せよ!!! 」 ああなんたる気違いたちか!!
三島由紀夫氏の豊饒の海を読んでいると、圧倒的な神秘主義への傾倒に気がつく。
もう誰も彼を止めることはできない。
彼の美意識です。
とにかく、ヘビースモーカーであることを止めない。
ガンで死ぬことを嫌っていましたね。
きっと死に方をいつも考えている人でした。・・・・・・・
その小林秀雄氏も、森の中で、山の中で、歩いていて自然の本質に触れて、どうにもこうにもしょうがないくらいの「何か」を感じている文章を読んだことがある。
柳田國男氏の民話が大好きだった小林秀雄氏。遠野物語・山の人生 です。
この子供の首を切り落とした話は実話です。
柳田国男の取材した日本の物語。
生活が普通に日々地道に行われていく山人たちの生活があり、自然の中で、彼らは生きている。
そこにはわれわれ、現代人が日々味わっているようなフランス料理もなくゲームもなくテレビもなく
洗濯機もラジオもiPodももちろんないのであるが、家族3人、男親とふたりの幼い子供達がいた。
日々お父さんは炭を売って生活をたてている。
しかしことしの秋はなにやら炭がまったく売れない。
大事なのは想像することである。彼らの沈黙と静寂のまじめな生活を。
そして食えなくなった悲惨な生活がただただ過ぎていく。
そんなある日、秋の夕日が綺麗なころに、子供達が何やら一生懸命、仕事をしているようだ。
斧を研いでいるらしい。
何も考えずただひたむきに斧を研いでいる。
そしておとうにこう言う。「おとうこれで切ってくれ」
まあこんな言葉で言ったかどうかはもう私も忘れたし、小林も具体的には言っていないのだが、そんな風に思えるのだ。
夕日がとにかく美しくおとうさんは頭がくらくらっとして気がついたら斧をふりおとしていたと言うのだ。
これは実話である。
小林秀雄は遠野物語に出てくるこの有名な話は実は柳田国男がはっきり覚えてはいないのだが、公務員をしていて
そのような各地の事件の担当でいろいろな事件記録を読む仕事を最初していた、と明言している。
昨今の斧で家族を惨殺したという事件となんたる違いか。
小林秀雄はこのような物語が人の心を打つというのは、人の何千年何億年もの暮らしの中で、このように自己犠牲的な
ことが各地で行われてきたにちがいないと語る。
そのようなDNAを人はもしも持っていなければ人類は生きてこれずに滅んでいたのではないか。そこまで彼は語る。
それと、玉を見てしまう男の子の話。
柳田氏が子供の頃に、近所に確か、祠があって、そこに神様のお守りかなにかが入っていると親に言われて、ついに、その祠をあけて見てしまうんですよね。記憶が曖昧ですが。
すると、そこには玉が入っていたというんですね。
玉がそこにあるだけだったと。
そこで、うぐいすか、何かの鳥が鳴いたというんです。
その時に柳田氏ははっと我にかえって空を見上げると、昼間だと言うのに、満天の星が見えたと言うんです。
そして、もしも、そこで鳥が鳴かなければ、私は発狂していたであろうと柳田氏は書いていますね。
科学で解明できないことは迷信だとか、それはたんなる昔の人の言い伝えだとか、言います。
でも、私はこのような迷信や、言い伝えや、神話や、民話や、そんなもののほうに、自分が近くありたいという気持ちを捨てがたいのですね。
不思議なことに、クリント・イーストウッドのこの映画を見ていて、上記のことなどが、どんどん連想され、わくわくしてきたのでした。
サムライ!
そうか、これは、合理主義の大国アメリカにたったひとりで抵抗している彼の、サムライ映画かもしれない・・・・・
そんなアホのようなことも連想していたのです。
ベトナム戦争を経験して、殺戮などの地獄・修羅から魂の傷をどうやっても、癒すことのできない孤独な父親。
彼の孤独の魂を癒すことができたのはたまたまの隣人。
クリント・イーストウッドの心は、誰にも関係したくもなくて、人間関係のわずらわしさからのがれようとして、妻の死のあとは鬱のようになっていた。
老年の彼に、若い頃の自分の犯した罪が、悪夢のように襲いかかる。
しかしながら。
人は、ひとりでは生きては行けない。
隣人のあるひとりのアジアの少女を通じて、その弟を通じて、彼の孤独の魂は少しずつ、よみがえってくる。
そして、その彼らをなぶりものにした者達へは、彼は、徹底した復讐を誓う。・・・
キリスト??
胸から大好きだったタバコの火をつけようとしてジッポを出す行為のトリック。
そこに彼は解決策を見つける。
映画といえば映画なのかもしれませんが、ここが途方もなく考えさせられる。
100000冊の本をただ読んだという。
100000曲の音楽を聞いたという。
はたして、それが偉いことなのでしょうか?
そして、人はただ人生の大切な時間を、ひたすら頭の中を、多読と多聴で、忙しくすることだけにあけくれる。・・・・・・・・・・
映画を見たあとに、一ヶ月間も、何かをもらったような、考えるヒントをくれる不思議な魅力に満ちた映画。
そんな映画は、めったに、ぶちあたるものじゃあないですね。
そんな素晴らしい映画は、考えさせてくれるんです。・・とことん。
勝手な解釈の私の映画評の、勝手な記事でした。
シンクロシニティで、この「復讐」についてのそれ、「96時間」と「ニキータ」について、こんど、ヒントが生まれていますので、また書きます。
つぎにロック。
今は、もうロックはさほど、聞かないけれど、たまに聞くと、すごく懐かしい。
やはり、若い頃は、激しいもの、過激なもの、カッコいいものに、惹かれて行く。
それは悪いことではないけれども、年齢とともに、好みは変化していくと思う。
Woodstock - Ten Years After - I'm Going Home
若い頃の感動した、たとえば、このアルヴィン・リーのロックにしても、ウッドストックのメンバーにしても、ほとんどアメリカ生まれのサウンドである。(ミックはイギリス)
そこに、私の時代はまだ、フランスやらイタリアやらドイツやら、の例えば、二ノ・ロータなどの、古典的なイージーリスニング的な美しいサウンドがプラスされる。
ウッドストックでも、本質的なところで議論されたのは、呼吸法の訓練などで、変成意識が生み出せるかということだろう。
それができない若者は、皆、ドラッグをやっていたと思う。
思えば、不思議な時代。
日本がアメリカの妾とか、笑われた時代かもしれない。
伝統的な音楽の排除。
シュールとダダの台頭。
破壊と否定。
当時のロック・スターや、jazzmenは、皆死んでしまった。
聞いたところ、あらゆる職業で一番短命なのは、詩人と、ロック・ミュージシャンらしい。
一番長生きなのは、坊さん。
私は、これらの曲を聞いたり、当時の名画を見たりするのは、その時の自分の心の位置をたしかめたり、ときめいたりした空気感を味わいたいだからだと、思っている。
思想的な共鳴ということを考えると、まったく今とは違う。
シュールもダダも、満足できない。
今は、ゲーテのような、小林秀雄氏のような、巨大な考え方に触れていたい。
(そう考えると、若い頃から読んでいた、三島由紀夫氏・小林秀雄氏・ドイツ浪漫派などは、
自分の血肉に少しはなっているのかもしれない。)
特に、この柳田国男の「山の人生」についての、さきほどクリップをつけて、書きましたが、このエッセイは今でも忘れられない。・・・・・・
そして、深く共鳴するのは、日本と西洋の古典である。
300年の歴史しか持っていないアメリカと違い、時間のヤスリで
磨かれた古典・伝統というものは、やはり、重くて、深いのだと思う。
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しかしながら。
当時の私は、このウッドストックをわざわざ、札幌までひとりで見に行き、感動して、それからはずっとロック派になった。
瞬間の中の永劫という好きな言葉とこの時、ロックは重なり合ったのだった。
今。還暦一歩手前で、瞬間の中の永劫という言葉が、バロックの音楽と重なり合うように。
何歳のころか。
「惑星ソラリス」を見て、心から感銘した。
そして、このシーン。
バッハは高校生の頃から好きだったが、さらに、神秘も含めて、好きになった。
・・・・タルコフスキーという天才監督のおかげでしょうか。
誰しもが、心のなかの悪魔を「惑星ソラリス」の力で、呼び起こされているというのに、
彼だけは、昔愛した自分の妻を、潜在意識のなかから、呼び出してしまう。
その愛と葛藤・・・・・・
SFの名作古典。
私が強烈に、影響を受けたSF映画、「ブレードランナー」「2001年宇宙の旅」「コンタクト」そして、この「惑星ソラリス」。
タルコフスキーの映画。
自分はどこからやってきてどこへいくのか・・・・・存在に対する神秘。
神秘感を深く感じさせてくれます。
個人的な感想ですが・・・・・・。
このソラリスは、あまりにも、美しいので、たしか、アメリカで再度制作されています。
監督は、
◎資料
2002年にアメリカの映画監督スティーブン・ソダーバーグによりリメイクされた。製作者側によるとこの作品はタルコフスキーの作品のリメイクではなく、あくまでも原作の小説のソダーバーグによる映画化とのことである。 とは言っても、レムの小説よりはタルコフスキーの映画からの影響と思われる要素も多く見られる。実際、DVDの特典に収録されているソダーバーグの脚本には「スタニスワフ・レムの小説および、アンドレイ・タルコフスキーとフリードリッヒ・ゴレンシュタインの脚本に基づく」と書かれている。映画本編のクレジットではレムだけが記載されている。
存在の神秘。
この薬は効くと、信頼する人から言われて飲むと、たとえその薬がたんなるメリケン粉であっても、効果がでると言う。
世界は自分の脳がつくりだしている。
信念こそがその源だとも思う。
dragonflyの尼さんが言う、信じたことでこの世はつくられている。
2002年のアメリカ映画『コーリング』の原題。ドラゴンフライ(dragonfly)は、英語でトンボのこと。
たしかに、この机の上の「ボールペン一本」にしても、この記事を書いている「パソコン」にしても、
昼に食した「豆カレー」にして、この狂ったような暑い夏のせいで飲む冷たい水のはいった「コップ」も、一度は、人の頭のなかで、「考えられた」コトが、モノに、変容したのである。
この地球上のすべての人工物は、一度、人の頭のなかで考えられたからこそ、今、ここに「在る」。
これは不思議なことだと思う。
思うことは実現する。そのことだとも思う。
聖書のなかの、信じるものは救われるという言葉の意味をみな取り違えている。
それは、キリスト教団体に入れば、宗教団体に入れば、気持ちが楽になって、魂が救われるという意味だけではないのだと思う。
だれしも、一次元高いところに、住む人の言葉を誤解する。
言葉を分析するのではなく、「感じる」ことをしなくてはいけないと思う。
かつて、私はこんな記事を書きました。
三島由紀夫の「文章読本」を読んでいて、おやっと惹かれ、そしてこんなことを彼が書いているのだなあという記述がありました。
彼一流のユーモアと皮肉で、「僕の登場人物は本など読まない」とか「本をわざわざ買って読んでも不安を買わされるみたいなものだ」とか言うような、文を書く人なので、皆だまされちゃうんですよね。
素直で純朴な男が好きなのに、そのような文章は書かないというか、不思議ですね。
三島さん曰く。
「チボーデは、小説の読者を2種類に分けております。ひとつは、レクトゥールであり、「普通読者」と訳され、他のひとつはリズールであり、「精読者」と訳されます。チボーデによれば、「小説のレクトゥールとは、小説と言えば何でも手当たり次第に読み、「趣味」という言葉の中に内包される内的・外的のいかなる要素によっても導かれない人」という定義をされます。新聞小説の読者の大半はこのレクトゥールであります。一方、リズールとは、「その人のために小説世界が実在するその人」であり、また「文学というものが仮の娯楽としてではなく本質的な目的として実在する世界の住人」であります。
リズールは食通や狩猟家や、その他の教養によって得られた趣味人の最高に位し、「いわば小説の生活者」と言われるべきものであって、ほんとうに小説の世界を実在するものとして生きて行くほど、小説を深く味わう読者のことであります。実はこの「文章読本」を、今まで、レクトゥールであったことに満足していた人を、リズールに導きたいと思って始めるのであります。」
そして彼はここまで書いております。
私はなるたけ自分の好みや偏見を去って、あらゆる様式の文章の面白さを認め、あらゆる様式の文章の美しさに敏感でありたいと思います。
三島由紀夫。
彼の葬式で、武田氏は、こう祭壇に向かって呟く。
「あなたの人生は刻苦勉励の人生でした。御疲れ様でした」
そういうわけで。
私は、リズールでありたいと願います。
というよりも、私の頭のなかの思い出の半分が、実体験の思い出だとすると、もう半分くらいが、映画・音楽・文学・マンガ・絵画・の作者・主人公・そして作品そのものです。
このふたつが拮抗しています。
もう、この場合、どちらがバーチャルで、どちらが、リアルかわからないくらいに。
それで良いと思っています。
若き頃に見た、アラン・ドロンのシネマの数々を夢見、白い恋人たちでかなでられる人類の華麗なる肉体美と、精神の緊張の闘いに酔いしれ、死刑台のエレベーターに登場するジャンヌ・モローの魅惑を感じ、淀川さんも絶賛した、髪結いの亭主の映像美に、覚醒される時間と空間。
それで良いと、思っています。
白い恋人たち。
死刑台のエレベーター
髪結いの亭主
つぎに。
「コクーン」という映画があります。
SF映画の中でも、忘れられない名作です。個人的にフェバリット。
この映画のことをふと思い出したのが、「フリオ」という諸星大二郎の作品。
◎資料
主に古史古伝に題材をとり、異形の存在によって日常の価値観や世界観を転倒させるような作品を多数発表している。また日常の不安を形にしたような寓意的な作品も得意とする。作品にはクトゥルー神話の間接的影響も随所に見受けられる。
重い読後感を残す伝奇作品を描く一方で、『ど次元世界物語』など、軽めの不条理めいたユーモア作品もデビュー当初より発表している[注 1]。また近作にはグロテスクさとユーモアが同居した『栞と紙魚子』シリーズという少女漫画作品もある。
SF・伝奇漫画家の星野之宣と親交がある。
経歴[編集]
都立江北高校卒業後、東京都電気研究所で3年間公務員を務めたのち、1970年に「硬貨を入れてからボタンを押してください」で漫画雑誌『COM』の読者投稿コーナー「ぐら・こん」で佳作5席。同年COM12月号にて「ぐら・こん」入選作の「ジュン子・恐喝」でデビューを果たす。その後、『COM』、『漫画アクション』、『パピヨン』誌などに作品を発表。
1974年に初めて少年ものとして描いた『生物都市』で第7回手塚賞に応募して入選、同年から『週刊少年ジャンプ』で「妖怪ハンター」[注 2]の連載を始め、本格的な作家活動に入る。その後、同誌で「暗黒神話」、「孔子暗黒伝」を連載。
1979年から『週刊少年チャンピオン増刊』『月刊少年チャンピオン』などでマッドメン・シリーズを不定期に掲載。
1983年から『月刊スーパーアクション』誌で「西遊妖猿伝」を連載開始。それまで知る人ぞ知る作家に留まっていたが、この作品で一般的な認知を得るようになる。2000年には同作で第4回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。
2004年、劇画と同じ不条理の世界を描いた初の小説集『キョウコのキョウは恐怖の恐』を刊行。それまでに発表してきた短編小説が加筆・修正のうえ収録されている。
2007年、2冊目の小説集『蜘蛛の糸は必ず切れる』を発表。
「コクーン」
人間の死について考えさせてくれます。
手塚治虫氏の傑作「火の鳥」でも、書かれていましたが、人は永遠の命を望むものの、自分の友達や家族が死んでしまうのには、耐えられないのです。
・・・・・・・・
このテーマはまったく違いますが、・・・・・・「フリオ」
フリオという転校生、すぐにまた転向してしまう・・。
洞窟につれていってくれてビニ本を見せてくれたり、あるはずのない路地の奥の自動販売機のことを話したり、ガキ大将の生意気な男の子を鉄棒から念力で落としてしまう。
それでも、誰もそのことを知らないし、まったく気がついてもいない。
証拠もないし、ボクもそのことは感づいていても、ほんとうかどうかはわからない。
宇宙人である父親のことを詳しく話してくれるが、やはりいつものようにフリオ君のことはよくわからない。それだけ不思議な友達なのだ。
土手の上でUFOが迎えにきてくれると聞いて、そこに向かうのだが・・・・・
やはり、ボクにはその横道を抜けその路地を右にまがることはできなかった。・・・・
このような不条理ものというのか、奇妙な味のマンガというのか、好きですね。
まだ諸星もこの頃は、マンガの線が丁寧で、好感も持てますね。今がダメとはいいませんが、やはり初期の作品の方が初々しい新鮮さに満ちています。柳田國男の本もかなり読んでいると思われるふしがありますね。
NARUTOや、二億部売ったというonepieceワンピースだけがマンガではないでしょう。ひとつの表現方法として、マンガの世界はすでに確立されていますね。というよりも今は迷路に入っているのかも。昔みたいにマンガが好きで好きで書いている人は少なくなりました。線の変化みているとわかります。だんだん、アシスタント任せになって、線もくずれていくんです。
人は処女作を超えられないとか。
20代の作品をなぞりながら、自分を真似してる人は漫画家にもたくさんいますし、それは作家や画家さんでも同じでしょう。
技術が上達しても失うものも比例してありますから。
ゆえに、変わり続けることしか新鮮に生きる方法はなくなってくるんです。
ふと。金原ひとみ。
小説の方の、金原ひとみは、確かあの当時は村上龍が審査員ということで、芥川賞をとりましたネ。
文芸春秋でも読みましたが、なかなかの力作。感性が半端ではありません。
まあこういう本を読む時には、イギリスにおられるオスカー・ワイルド氏の言ではありませんが、あらゆる書物は道徳的に書かれているかどうかであって、道徳的な、あるいは反道徳的な書物はないということでしょう。
サドの本だって某作家から言わせると、サドはモラリストだと言いますし、視点を変えれば本の色彩はカメレオンのようにころころ変わって行くものです。その本の真価というものは時間がたたないとわからないものかもしれません。
個人的に、私は金原ひとみが好きだというわけではありません。
ただ、この漫画家渡辺ペコ嬢の線が好きであり、魅力的だと思う。
このふたりの奏でるデュエットとも言える作品に惹かれるのであり、若者の感性というものはいつの時代でも、良くも悪くも、最初はへんてこりんなモノだとも思います。
ただ、この作品の刺青のシーン。つまりタトゥーです。
敬愛する谷崎の「刺青」のことを考えていました。
誰しもが知っているように、その昔日本人は独特の美意識によって、中国から明確な「好き嫌い」で入れるものと入れないものを峻別してきましたが、この「刺青」は入れています。そして、「纏足」は入れていませんね。
いつしか、この刺青は、「その世界」の人のモノとしてのイメージがついてしまいましたので、私くらいの世代の人間は皆、あまりプラスのイメージを持っている人はいないでしょう。
小さな頃。
まだ家庭に風呂などありませんでしたから、我が家では、遠くまで家族で歩きでてくてく、公衆浴場まで行っておりました。
独特の汗や畳の匂い。今でもはっきり覚えています。(まあこれは今でも公衆浴場に行けば同じ匂いがありますが・・笑い)
力道山のテレビを皆が見ていたり、大鵬の相撲を皆が拍手をしながら見ていました。
そこにいました。
背中に小さな彫り物をしている男性。
小さな私なりにじろじろ隠れ見ていましたが、男性はもうかなりの老人でしたが、彫り物のその青の色がてかてか光って、不気味だったことを覚えています。^^
谷崎潤一郎氏の「刺青=しせい」は、無垢な16歳の娘が、そのまれに見る白い足をもっていたために、彫り物絵師の目にとまり、残酷絵画を見せられその彼女の奥底の性癖を見抜かれます。そして、次第に、絵師の心に惹かれた娘は背中に女郎蜘蛛の刺青をすることになるんですネ。
そして、世界の男はお前の肥やしなのだという言葉が事実である実感を体の奧に感じながら娘は、苦痛に耐えて背中に蜘蛛の刺青を完成させます。
ほんとの5 6ベージの短篇ですが、まさに、文学の本質は「夜」、「エロティシズム」、「生命や魂の奥の奥の井戸まで達するような冒険」なんだというのがわかる大傑作です。
金原ひとみと渡辺ペコのデュエットとは比較しようもない傑作ですが、ただ、刺青のことをちょいと調べてみれば世界のどの国でも若い人は皆やっています。
その意味では、この刺青、もう谷崎の小説の絵師のような天才彫り物師はいないと思いますが、「夜のエロティシズム」に感化され、魂に色彩をつけたいという人はかなりいるんだと思いますね。
誰が眉をひそめたって、若者なんかには通用しません。
道義心と臆病は実は、同じ事だ。
道徳は、われわれが個人的に好かない人たちに対してとる態度だ。
人間のことを善人だとか、悪人だとか、そんな風に区別するのはばかげたことですよ。人というのは魅力があるか、さもなければ退屈か、そのいずれかだから。
上記、3つの格言。すべて、オスカー・ワイルド
「ドリアングレイの肖像」が一番すきですが、彼のドラマもあります。
彼は最後の最後に、刑務所に入って、懺悔録を書きます。
有名です。
ここまで、書いてきて、疲れましたので、「食」について・・・・
かつて、私の母の夕飯ですが、ふりかえりますと。
母は昨年なくなりましたが、こんな写真を見ていると、なつかしく、夜の夕飯が
なつかしく思い出されます。
料理が好きで、88歳になっても、なにかひとつでも、作ろうとしていました。
・・・・・・・・・
枝豆と、ほうれんそうを酒のつまみに、ちびちびと、ビールを父親と乾杯。
そして、関西生まれの母親のつくる「たこやき」を皆で、箸で、くるくるとまわします。
こののんびりとした空間と時間が最高ですネ。
そして、米とお好み焼きやたこ焼きと一緒に食べるという関西の食習慣。
寿司も一緒にいただきます。
とてもとてもお腹がいっぱいですが、寿司ならば、入りそう、ということで、
ふたつを残して完食。
ごちそうさま。
感謝。
鍋ですが。肉に骨がそのままついたもの、ゼラチン質と言うのでしょうか、独特の旨味ありますね。スペアリブともいうのでしょうか。
豚足や、マグロの目の部分なんか、それに皆が捨ててしまうアラなんかも、それはそれは美味でございます。
かつての江戸時代、あるいはスペインでは、マグロのトロの部分は捨ててしまったものが、いまや、一番高くなっているのは、だんだん人の舌が肥えてくる、つまり進化してくるということでしょぅか。
進化?
いや、エスカレートしてくるのでしょう。
このポネ鍋。
骨のまわりの肉のことをアイヌの人達が「ポネ」と言っていたらしい。目を細めてもぐもぐ食べながら、ポネポネ言いながら食べていたのでしょうか?
「食べること」を考えると、いつも思い出す映画は、この映画です。
◎幸福のレシピ
『幸せのレシピ』(原題: No Reservations)は、2007年のアメリカ映画である。スコット・ヒックス監督作品。2001年のドイツ映画『マーサの幸せレシピ』のリメイク作品。
以前ブログにもアップした、ユーガータメールと同じく、良き作品は、リメイクが多いですね。
俳優とディテールのみ変えて、物語は同じで、十分に楽しめます。さらなる飛翔も。
個人的で、勝手な解釈ですが、アメリカ合理主義に疲れた人間達が、ある意味おおらかで、神秘性も大事にするイタリア的な場所や人間に次第に感化され、癒されていく。
このテーマは私にとって大変興味深く、いつも考えています。
そして、何回もブログに記事を書いています。
知らぬ人には無愛想、知る人には愛情いっぱい。これが日本人には極端すぎる。
・・・・・・・・・・・・・・・淀川長治
FIN
いばる男の人って、
要するにまだ
一流でないってことなのよ。
オードリー・ヘップバーン
40年程前のビックコミックの前身。ビックゴールド。ナンバー3号。
いまの、ビックコミックと比較しても、おもしろすぎる。
昔の作家は勉強をいろいろしていたしね。
感性だけだったら、若い時はそれだけでも良いかもしれないけれど、
年齢経たら、感性だけでは、食って行けないし。・・・・・・
今の若者から、未来の石森章太郎やら、手塚治虫やら、さいとうたかおやら、
宮崎駿みたいな漫画家がでるかな???
このビックゴールドに、
平野仁の、傑作コミックがある。
「アダムの星」
私の記憶がいかにいい加減かは、この漫画はすごく感動してこころの井戸に残っているのだが、なんとなく、弘兼憲史の作品かと思っていた。
彼の初期短編集に、「私のあかちゃん」という作品があったからだと思う。
平野仁だったか・・・・・・・
なつかしく、また再読してみると、感動はまだまだできる傑作。
絵も丁寧だし、物語も、しっかりと練られているのは、原作者のジェームズ三木ということもあるだろう。
何度読んでもあきない漫画はそうザラにはない。
「私の赤ちゃん」はAmazonでも読めます。
「アダムの星」は絶版です。どこを探してももうありません。
誰か知っていたら教えてください。
単行本で、欲しいです。
40年前の漫画本をごっそり、今整理整頓中。
疲れると、散歩にでかける。
・・・・・
ここ、岩見沢市も、今年もさほどの雪はなかったけれども、あいかわらず、ダラダラと、
夕方からの寒さと雪、そして、昼のすばらしい光をくりかえす。
地熱も高くなってきている、そうタクシーの運転手も言っていた。
・・・・・・・・・・・・・
春ちかし。
散歩中、とある寺の入り口のところに、いつも仏教関連のお言葉がある。
「鈍感な人のほうが幸福になれる」
うーん。味のある言葉だなあ。
そうかもしれない。・・・・・・
「運鈍根」ともいいますし。
やはり、こころの持ち方。
ナーバスすぎる、敏感すぎる人には、幸福の神様は近寄ってこないのかもしれない。
ただ、ふたつの極。
鈍感と敏感。
幸福と不幸。
ポジティプとネガティブ。
・・・・・・・・・・
どんな2極であっても、
どちらかが、良いとか悪いとかではなくて、人生の本質は、私たちのDNAと同じく、「らせん」なのだと思っている。
良い悪いの、二極が、交互にくるわけで、問題はその「らせん」のベクトルが上に向いているか、下に向いているかである。
それが私たちの、せめてもの、人生を生きるうえでの、戦いの態度になる。
このクリップ作成した人、よくできています。お借りしました。ありがとう。
映画観ました。DAS WILDE LEBEN
EIGHT MILES HIGH! ドイツ映画です。
「愛の涯 私は風になった」
◎資料から
60年代にはドイツ学生運動のイコンであり、70年代にはローリング・ストーンズのスーパーグルーピーとして有名だった、トップモデルのウシ・オーバーマイヤーのスキャンダラスな半生を描く。ウシは10代で家出をし、ミュンヘンのクラブで有名になる。その後政治団体にも入るが、実際にやりたいことは人生を楽しむことだと気づいた彼女は、トップモデルへの道を進んでゆく。彼女のヌードシーンや、ロックン・ロールそしてドラックなどショッキングなシーンは多いが、下品なやりすぎ感はない。
ドイツ映画で、未公開。現在はジュエリーデザイナーとしてカリフォルニアに暮らす
ウッシー・オーバーマイアの自伝の映画化。
B級恋愛映画のジャンルなのかもしれませんが、これ、いいです。
特に、70年代の青春を経験した人は、感覚的に、スムーズに入って行けると思います。
ドイツ団塊世代のスーパーモデルのウッシー・オーバーマイアの半生。
まず、音楽が懐かしく、彼女が自身歌ってているsumer wineが流れるが、確かこれ、フランク・シナトラの娘の歌でもありますね。
これが、インタヴュークリップ。
ナンシー・シナトラのクリップは、これです。
ヒロインのモデル役は、ナタリア・アヴェロン 。いいです!!
命をつなぐバイオリン (2011)出演ラヒェル・ブロツキー
アドレナリンEX (2008)<未>出演
G.I.フォース (2008)<未>出演
愛の涯 私は風になった (2007)<未>
この映画も、日本では公開はされていません。DVDだけです。
私は、「命をつなぐバイオリン」はまだ観ていませんので、これから、
タイミングがあえば、観てみたいです。
セックス&ドラッグは、それでも、彼女の魂を慰めはすれ、満足は与えなかったということでしょうね。いつも書いていますが、映画はただ物語をなぞるだけという見方は、好きではありません。というか、それだけだったら、つまりません。
それならば、このシネマ、たんなるドイツの我がまま娘が、体を武器にモデルになって、ミック・ジャガーやら冒険家のグルーピーになって、さすらいの旅にでる。それだけの話。
だから、おもしろくない、そう言う人もいると思います。
最後に、最愛の彼の死のあとに、彼にもっと優しくしてあげれば良かったと海の前でつぶやくだけ。・・・・・・・・
それだけですから。
しかしながら、この映画。
ドイツの当時の、反体制派のいいかげんさ、あるいは、機動隊のアホさ、そのコミューンの中での人間の醜い葛藤やら、口ばっかりの理想主義の駄目さ加減をよく描いています。ヒッピー・コミューンのリーダー、ライナー・ラングハンス。
ミックとキースは、よく本人に似ていますね。
これはほんとうに演技もあるけれど、俳優を時間かけて探したんだと思いますね。
ふたりが、ウッシーの家でバッティングして喧嘩をするところも巧く描けてます。
インド、パキスタン、メキシコ、世界をハンブルクの冒険家ディーター・ボックホーンと、自由なる旅にでるところがミソですね。
景色が素晴らしい。これは、やはり映画の一番の武器でしょう。「シェルタリング・スカイ」もその風景に魅されましたが、この映画もまた、その自然の素晴らしさに一番私の目が喜んでおりました。
ウッシーの役をやっているナタリア・アヴェロンのヌードも素晴らしいですね。絵に描いてみたくなりました。
この映画以後は、まったく当たりの映画がなかったようで残念ですが、若かりし時の本物のウッシーによく似ていると言われていますね。バルドーとモローとフォンダと、混ぜたような顔ですね。ドイツ人として、有名雑誌にヌードを初めて発表したということで話題になったようです。
日本でその意味では、麻田奈美というモデルがいて、なにか共通項を感じたというと考えすぎかもしれませんが、ふとした、連想です。
私もこのポスターを壁にはりつけては、10代の青春をすごしました。
今や、彼女も、62歳!!! あきれるほどに、時間のはやいこと!!!!
◎資料
麻田 奈美(あさだ なみ、1953年12月15日‐)は日本で1970年代に活動したグラビアモデル。「りんごヌード」と呼ばれる一枚の写真をきっかけに大ブレイクし、ヌードモデルでありながら当時の青年(団塊の世代・しらけ世代)のアイドルにまで祭り上げられた。なお、「麻田奈美」は芸名であり本名は非公開。
「愛の涯 私は風になった」
母親と大げんかして、家出をする。
ドイツですから、封建的な家も多い。普通で、退屈な日常が大嫌い。
反体制コミューンの偽善はすぐに嫌になり、セックス&ドラッグもまた日々繰り返されることが嫌。
子供も嫌い、動物も嫌だ。
束縛されることがとにかく一番許せない。日々、世界を旅して生きていきたい。
期せずして妊娠、流産したことで自分には母になる資格はないような気もする。
ボックホーンは愛してもいるが、ミックもキースも好きだ。
どうしてたくさんの男を愛してはいけないのか。
命令口調で男から指示されるのが大嫌い。
私の前に怖いものはない。しかし、ボックホーンの前でミックといちやいちゃしたのはやりすぎだったかもしれない。
それが原因で彼は死んだのか。わからない。
ヤギの子供の首をなぜ切って、そのままバイクに乗り、トラックに突っ込んでいったのか、いまだに謎。
ウッシーはメキシコの海を見ながら、神が与えてくれた裸身のまま、考える。
自由を追い求めてきたがそれすらもまた自分に幸福はくれなかった。
なんだかわけがわからない。
最後に彼女は自分に聞く、「人生に悔いはあるか」と、
答えは、「ノー」
B級映画の定義はよくわからないが、未公開の映画であっても、これは当時の空気、当時の若者の考え方、世界に広がった学生運動、当時のはやったカッコいい音楽の数々、ローリング・ストーンズの裏の世界、グルーピーの生態、世界の国々の田舎に生まれた若者がひょっとしてもっとすごい世界があるのかもしれないと、仲間や家族を捨てて、自由の旅に出たは良かったが、結局のところ、娼婦のようなファッションや、ロック的な転石の生き方は「石を投げられることも多かった」ということで、なかなか印象に残る映画である。
刺激が強すぎるので、家族で集まって見る映画ではない。
つぎなる私の、偏愛映画は、・・・・・・・
「シェルタリング・スカイ」映画評。
原作者。ボール・ボウルズ
21歳で家出をしてパリへ渡り、ガートルード・スタインの寵愛をうけています。彼女から、ジャン・コクトー、アンドレ・ジッドといった作家たちを紹介され、やがて、オーソン・ウェルズ、ジョン・フォード、ジョン・ヒューストン、ダリらの作品の音楽を担当(ダリのどの作品か?)。
28歳のとき、ジェインと結婚。ボウルズはホモ・セクシャル、ジェインはレズビアンだったと言われていますね。
トルーマン・カポーティ、ウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバーグが、60年代に彼を慕っていたと言いますから、すごいものです。
ヴェルトリッチがシェルタリングスカイを映画化したこと自体がすごいです。
1990年公開のイギリスの映画。製作会社はワーナー・ブラザーズで、監督はベルナルド・ベルトルッチ。ポール・ボウルズの小説『極地の空』(原題は同名)をベルトルッチとマーク・ペプローが脚色。主演はデブラ・ウィンガー、ジョン・マルコヴィッチ。1947年の北アフリカを舞台に、嘗ての活気を失った一組の夫婦が辿る過酷な運命を描いた恋愛映画。
たしか、ピーコとの対談で、淀川長治さんが、この「シェルタリング・スカイ」を絶賛していたので、私の好みと合うなと、ひとり嬉しくなったものです。
次なる映画は、
ベルトリッチ・・・・・・
「魅せられて」
『ラスト・エンペラー』、『シェルタリング・スカイ』、『リトル・ブッダ』は誰しも見ている事と思いますが、この「魅せられて」は、なかなか不思議な映画で見ている人はあまりまわりにはいません。
きっと、キューブリックだとすると、「ワイズ&シャット」みたいなシネマなのかもしれませんね。
わかりずらい映画なので、しだいに忘れられたのでしょうか。
リブ・タイラーという女優も素晴しい。
◎資料
ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci、1941年3月16日 - )は、イタリア・パルマ出身の映画監督。早くから詩人として才能を発揮。ローマ大学を中退後、『ソドムの市』等で知られるピエル・パオロ・パゾリーニの助監督を務め、1962年の監督処女作『殺し』がヴェネツィア国際映画祭で高く評価されたことから、世界的な映画監督としての道を歩みはじめる。
日本語では慣用的にベルトリッチと表記される場合もある。
解説[編集]
イタリア人ではあるが監督デビュー前からロベルト・ロッセリーニとピエル・パオロ・パゾリーニ以外のイタリア人監督を認めないと公言しており、ジャン=リュック・ゴダールを始めとするヌーヴェルヴァーグの面々を同胞と見なしていた。
『ラストタンゴ・イン・パリ』(1973年)は大胆な性描写で知られ、ポルノか芸術か、の二項対立の論議を生み出した。撮影にあたりベルトルッチは主演のマーロン・ブランドに対し、ブランド自身であることを求めたため、ブランドは「一瞬一瞬が暴行されているように感じた」と語ったという。ロケは映画撮影でその後に有名になるビルアケーム橋が使われた。
監督作『ラスト・エンペラー』、『シェルタリング・スカイ』、『リトル・ブッダ』は、東洋三部作と呼ばれる。『ラスト・エンペラー』(1987年)ではアカデミー賞作品賞、監督賞など計9部門を受賞した。本作において音楽も担当した坂本龍一が、満州映画協会理事長・甘粕正彦役を演じた。
撮影監督ヴィットリオ・ストラーロとのコンビで世に送り出した数々の作品、とくに前述の『ラスト・エンペラー』や、『暗殺の森』(1970年)、『1900年』(1976年)が国際的に評価を受けている。
映画は、特にこれが絶対にいいとか、これは駄作というような見方はしなくなった、というか、できなくなった。
どの映画もまた、傑作駄作関係なく、おもしろく、またタメになるのでわくわくするのですね。
このベルナルド・ベルドルッチ監督の「魅せられて」も、世間の評価はよく知りませんが、好きな映画のひとつですね。とにかく、監督が「ラストエンペラー」「リトル・仏陀」「シェルタリング・スカイ」の東洋三部作をつくってからの、作品で、本人曰く「軽く」創りたかったというだけあって、シャレた、北イタリアのトスカーナの美しさに焦点をあてた映画になっていて、妙に私は感心したんです。
現代がstealing beautyというから、盗まれた美、というわけで、リブ・タイラーが少女から大人への女に変わっていくその変容という意味なんでしょう。
たしかに、稲垣足穂の言う「少年愛の美学」であれ、ナボコフや、バルチュスの「少女美」も含めて、女になる前の年齢には独特の美しさはあるものです。
次ぎなる映画は。
「マイフェアレディ」・・・・・
「パリの恋人」も、セットで、再試聴しました。
このあたりのヘプバーンが一番好きです。・・・・・・・・
言語学が専門のヒギンズ教授はひょんなことから、下町生まれの粗野で下品な言葉遣い(コックニー英語)の花売り娘イライザをレディに仕立て上げるかどうかをめぐってピカリング大佐と賭けをすることになる。怠け者のドゥーリトルが殴り込んできたり前途多難。なかなかh音を出すことができないし、【ei】を【ai】といってしまうため、矯正のための詩「スペインの雨」(The Rain in Spain)がなかなか発音できない。どうにかできるようになって「踊り明かそう」を歌う。試しに淑女たちの社交場であるアスコット競馬場に行ってみる…。そんなイライザに富裕階級のフレディーは恋をしてしまい、「君住む街角で」ぶらつき歩く。「運が良けりゃ」と歌っていたドゥーリトルは皮肉にも金持ちになってしまう。ヒギンズ教授は初めから義務感でつきあっていたものの、徐々に彼女のことが忘れられなくなっている自分に気づく。しかし、イライザは言葉と同時に自分というものを得ていく…。まだまだ階級社会の文化が色濃く残るイギリス社会を舞台に繰り広げられるロマンティック・コメディ。
私は、男なので澁澤龍彦氏が「詩は散文の熱病だ」という意味で、ミュージカルにただ陶酔することは良しとしない。
だが、ひねくれものの私がこれまで見たミュージカルはその意味でビョークの「ダンサーインザダーク」と、コメディ・ミュージカルの「プロデューサー」は見ている、そして、素晴らしいと思って感銘も受けた。
で、この、「マイ・フェア・レディ」が原作が私の好きなバーナード・ショーの「ピグマリオン」ということで自分を納得させて見たのだが、彼が生前ミュージカルにしてくれるなと言って死んで行った事が惜しまれる。
是非一度この映画は見てから死んでもよかったんではないか。
ミュージカルの良いところは徹底した「つくりもの」であることだと私は思っている。
映画は総合芸術であるから、すべてが監督の意図したとうりにいくわけでもなく、やはりたまたまの偶然も含め、全員の力の決起がうまくいかないと悲惨の結果になる。
その意味では、監督は芸術のセンスだけではなくて、リーダー的な政治力も必須なわけで、ひとりで最初からなんでもひとりでこなす、文学やマンガ、音楽や、絵画とは少し違う面もある。
カポーティの小説を読んだシンクロで、「ティファニーで朝食を」を見て、ヘプバーンのなんともいえない美人ではない美人というか、笑顔の達人といおうか、人間性の権化がそのまま美に昇華したみたいな天使性がある俳優で感銘した。
素晴しい!!!! お恥ずかしながら、今ごろ、観ては感動しているのだから・・・・・
彼女の声もまたハスキーなような、甘えたようでしっかりした、西洋人にしては珍しい自己主張していてもイヤミのない声のトーンを持っている。このトーンが男女関係なくファンができる彼女の魅力のひとつだと思う。
五年程前に、私は、スイスを旅した時に、ガイドがスイスの田舎を指差し、その素晴らしい山脈と、緑と青の自然の森のなかで、晩年ヘプバーンが余生をおくったことを教えてくれた。
チャプリンもそうらしいとガイドは説明してくれた。
パリが、パリの記憶が蘇る。
エッフェル塔に、シャンゼリゼ通り、凱旋門・・・ルーブルにオルセー・・・
「共感主義」という当世のはやりの思想のからかいが愉快。
いつの時代でも、思想だって、流行だ。
右手に吉本隆明、左手にサルトルの文庫を持って70年代皆、jazz喫茶で煙草にむせたもんだ。
だが、それはやはり流行だ。
生活のように人を思想は磨いてはくれない。
頭だけが肥大して、まちがえれば、口だけの人間になり、それでしっかり食えればいいのだろうが、食えない連中はそれを武器にまでして、周りの連中を煙にまく。
本物の思想は私は、それほど多くはないと思っている。
つくしみたいに、次から次へと、はえてくる哲学者なんぞ信じるきにはなれない。
というわけで、ヘプパーン扮するジョーもまた偽哲学者にだまされる寸前にディックに救われる。
なかなかのさわやかなシナリオで原作は、レオナード・ガーシュという聞いた事のない作家。
音楽はやはりガーシュイン。
最後のwonderfullは、確かヘレン・メリルがクリフォード・ブラウンとの共演で歌った曲。
ああ、これがもとなんだと納得。
1957年、50年代のjazz。いいですねえ。
あと、アンダー・グラウンドの地下の雰囲気もからかいを込めながらもよく演出していた。
当時は、麻薬に、ヒッピーに、禅に、ヨガに、グルジェフやら、ヨーギなど、神秘思想がおおはやりした時代ですから、自由をはきちがえて、好き勝手なめちゃくちゃがもてはやされたんだとしみじみ思い出す。
ただ、爆発力だけは間違いなくある時代。
やはり若者のたとえ間違いはあるにせよ、パワーは時代を動かしていた。
その混沌とした空気の中からありとあらゆるものが生まれるのだが、こんな正統
派のミュージカルも生まれたというのはおもしろい。
ヘプバーンはこの映画でも、すべての歌を歌えないで、一部は削除されて代役が歌っているが、不思議でならない。
まあ、いまでこそ、死後彼女の素晴らしさは永遠の感があるが、当時はまだまだ理解されていなかったんだろうと思う。
ライバルのバーバラストレイザンド 、でしたか、名前をはっきり思い出せない。
彼女はどこへいってしまったか?
「サウンドオブミュージック」の彼女・・・?誰だったか?
情けない・・・
彼女もヘプバーンのライバルだったが、今となっては・・・みんな忘れられている。
ヘプバーンの写真集は私は好きで、大型判を三冊ほど大切に持っているが、美人というのではなくて、それに私の好きなタイプの顔でもないのに、なぜか私はそれらの顔に美を感じる。
ただ、美的にバランスがとれた顔というわけでもなく、よく言われるようなファニー・フェィスということで変わった個性がある顔と思ってもいない。
人柄がそのまま顔になった、そんな気持ちになる顔なのだ。
あの大きなひとみでじっと見つめられたら男はもう何も抵抗はできない。
嘘のない顔だからだ。妙な言い方だが、子供の魂がまだ彼女の瞳のそこかしこに残っているのだ。
と、思わせる・・・・・・・・・・演技力なんだろうか?
わからないが、とにかく。
無垢の顔だ。
彼女が舞台で踊った歌の台詞のように、女は無垢が一番、誰もそれには勝てない。
しかしながら、このmy fair ladyもともと、は「ピグマリオン」と言うジョージ・バーナード・ショーの作品ということはあまり知られていないのではないのか。
白紙の心で最初これを見れば、この膨大な書斎の本の山を背にして歌う男のキャラは複雑で、なかなか味があり私は好きだ。「恋愛小説家」のあの男も私は大好きだが、このヒギンズも良い。
下町の成金に上流階級の話し方を教えては生計をたてている一流の言語学者という設定が良いが、これは原作本でもそうなのか、興味あるところ。
ショーは、ある意味で三島と似ているとも言える。小説よりも戯曲が良いとも言われているところも。それはたぶん、心の中に常に二つの相反する葛藤があり、それをドラマティックに会話文に取り入れると最高の持ち味になるところからくるのかもしれない。
このmy fair ladyのイライザと、ヒギンズの会話はその意味でも最高。
ショーは、女性の社会解放にもかなり熱心だと聞くので、このイライザにそれをたくしたか。
ヒギンズの良い意味での「男尊」も泣ける。
涙や弱みをちっとも見せずに常に自分を男として最高の位置に保つ努力をかかさない。
しかしながら、のらくろさんぼや、断筆宣言で話題になった某SF作家ではないが、ユーモアや創作の中の自由まで文句やケチをつける最近のヒステリックな日本のマスコミのなかで、この男が男で、女が女であるような、いわば、男と女の本質にきちんと迫るミュージカルやシネマは古典として今でも、観客に支持される。
オスカー・ワイルドも動脈硬化に陥った当時のイギリスをおちょくった作品をたくさん書いたが、貴族や上流階級の退屈さと偽善を上手にからかっている。
またイギリス人の得意なユーモア精神が満ち満ちている。
言葉から人が、精神が、変革され、見事に別人になっていくという事、そのことを小難しい哲学的な言辞を使わず、ここまでアンヴィバレンツな思想をキャラに上手に組み込み、ユーモア精神をもって、巧みな会話に昇華させたのはまさに文学のなせるワザ。
最近若手の女流作家も読んでみるが、道で拾った男の子と同棲する中の寂しさや孤独、猫や犬のような自然体の暮らしを描くような短編を読んでもどうもピンとこない。
やはり、感動というものは、人間が描かれていることからくる感動が一番胸ふるえるものだ。
いくら文章がうまく、さらりと起承転結をまとめても、言葉に対するこだわりもなし、会話の中のぶつかりもなく、好き嫌いだけの世界というのは、まことに日本的でありつつも、悪い意味での軽薄を感じる。
道徳は文学に必須ではないが、その奥に重厚を意識したうえでの軽薄がなければ、軽薄そのものも生きてこない。
my fair lady、博識と、忍耐と、なげやりと、毒舌にみちた、人類愛劇。
あっ、最後に、ヘプバーンはすごい。好みを別にして素晴らしい女性だと思う。彼女の声でこの映画を是非見たかった。
わたしにとって最高の勝利は、
ありのままで生きられるようになったこと、
自分と他人の欠点を
受け入れられるようになったことです。
オードリー・ヘップバーン
FIN
「日本の子供には、もっと孤独を教えないと、思想は生まれませんね」 川端康成
映画「山の音」、小説川端康成「山の音」再読しました。
YouTubeにもすでに「山の音」はない。
資料によると、
『山の音』(やまのおと)は、川端康成の長編小説。戦後日本文学の最高峰と評され[1]、第7回(1954年度)野間文芸賞を受賞[2][3]。川端の作家的評価を決定づけた作品として位置づけられている[4][5][6]。老いを自覚し、ふと耳にした「山の音」を死期の告知と怖れながら、息子の嫁に淡い恋情を抱く主人公の様々な夢想や心境、死者の夢を基調に、復員兵の息子の頽廃、出戻りの娘など、家族間の心理的葛藤を鎌倉の美しい自然や風物と共に描いた作品[1]。繊細冷静に捕えられた複雑な諸相の中、敗戦の傷跡が色濃く残る時代を背景に〈日本古来の悲しみ〉〈あはれな日本の美しさ〉が表現されている[1][6][7][8][4][9]。
『山の音』は海外でも評価が高く、2002年(平成14年)にはノルウェー・ブック・クラブ発表の「史上最高の文学100」に、近代日本の作品として唯一選出された[10]。・・・とある。
やっと、DVDを手に入れて、じっくり観てみた。
山の音 (新潮文庫)/新潮社
¥637
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本も再読。
物語などは、ネットのどこにでも、あるけれども、ノルウェイブッククラブの100冊の本の一冊に選ばれているとは!!!
野間文芸賞を獲得している。
昨日は、SF映画についてなにやらアイデアが湧いて来て、ずっと考えていたけれども、平行してこの「山の音」を観ていたというのも変な気がする。
まったく違う映画だから、平行して観れるのかもしれない。
ジョニー・デップの方は、ホーキンス博士が心配している人工知能の自己増殖というのがテーマのひとつであったけれど。
人間の魂のようなものを書いたのが、この「山の音」である。
レヴューを観ると、「わからない映画」というのが多くて、おかしかった。
小林秀雄氏が言うように、なんで、現代人は、すぐに、何かをわかろうとするのだろうか、・・・・・・・何かの意味をさぐろうとするのだろうか・・・・・・・。
共感。感じる心。まるごと飲み込むこと。
それらの力がどんどんなくなって来ているということだろう。
たしかに、テレビなんかのドラマは、わかりやすく、シンプルで、五分ごとに笑があったり、叫んだり、抱きついたり、泣いたりして、飽きもこないし、
起承転結がはっきりしていて、西洋のシネマ同様、カタルシスを感じやすいのだろうと思う。
比較すると。
この「山の音」
源氏物語や、細雪、と同じく、まるで、起承転結がない。
個人的には、「掌の小説」が大好きなので、それの長編という感じかも。
ある意味、ベルイマンの「野いちご」を連想した。
野いちごは、1957年作。(つげ義春が、この映画を観ていて、無意識に「ねじ式」を書いたと思っていたが、たまたま調べたら、ねじ式は、1968年作なので、つげ義春の夢のイメージの方がずっと先立った。)
この、「山の音」は、1954年なので、ベルイマンの「野いちご」よりも、先。
成瀬のこの映画作品や、川端の作品はたしかサイデンステッカーさんにより英訳されているので、読まれていたのかもしれないがわからない。
三島由紀夫氏は、こう小説の「山の音」を評価している。
三島由紀夫は、『山の音』を川端作品のベストスリーの首位に挙げることを当然とし、「もはや贅言を要しまい。その美と鬼気と芸術的完璧さは、すでに巷間周知の事実である」と述べ[25]、同じくベストスリーの2位に挙げた『反橋』連作(反橋、しぐれ、住吉)は、『山の音』の母胎となった作品だとし、「氏(川端)は『山の音』から『反橋』の連作を通じて、はじめて、古典の血脈にふれ、日本文学の伝統に足を踏まへた」と解説している[25]。
また三島は文章の特徴について、信吾が〈山の音〉を聞き恐怖に襲われる場面の描写における「頻繁な改行の技法」を、「琴の弦が突然切れたひびきや、精霊をよび出す梓弓の弾かれた弦の音のやうなもの」だと形容し、そういった「音の突然の断絶の効果」のある「音楽のない」文章を、「一種の鬼気を生む」ものとして[26]、「行を改められた文章の突如の変調」と「構成の乱雑さ。故意の重複と、故意に抒述を前後させてあること」が、死の恐怖が急に襲ってくる「鬼気」を生む効果の原因だと解析し、初期作品(掌の小説)から看取されるこの技法が、この『山の音』の場面において、「一そう手が込んで、一そう蒼古な味を帯びてきた」と評している[26]。
このように、ひとつの日本の「家庭」を直截に、真摯に、真っ正面から書くという当たり前のことは、今の現代小説にはあまりみあたらない。
皆、個人としての主人公を書く事はあっても、もう家庭は書かないのだ。
よく日本人は完全主義完璧主義と言われるので、英語を完全にマスターしないと喋らないのだというジョークがあるけれど
笑える話しではなくて、こんなところにも、日本人の完璧主義がでてきているのかもしれない。
イタリア人のように、たとえば、相手の小さな欠点には目をつぶって、なんであれ、とにかく、ハグ ハグ ハグ、・・・キス・・・・そしてお互いに褒め合って、人生をワインを飲みつつ、楽しむ・・・。
そんな生活にあこがれたりもするのが日本人。
(ところが、実際には、簡単にサンドイッチでパーティなどをすませる外人と比較して、なにからなにまで、手作りで、料理はフルコース、花を飾り、服装はああでこうで、音楽はこうで・・・と、考えすぎるから、それこそおもてなしだけで、胸いっぱい腹一杯、げんなりしてしまうのが、私たち日本人の欠点のひとつかもしれない)
以前も書いたけれども、ドイツに住む、日本人の家族が、ドイツ人の隣人に招かれて、「美味しい夕飯をいかが」といわれ、楽しみにして家族で遊びにいったら、とれたばかりの、ジャガイモが、ほかほかにゆでてあり、それだけを皆で、皮を向きながら、食べながら談笑したという。
それでいいのではないか????
素晴しいエピソードだと感心して、今でも、記憶している。
・・・・・・・・・
「山の音」
そんなわけで、日本の家庭の、やや陰気なところ、複雑な関係、男と女の浮気の話しも含めて、家族の心情をじつに丁寧に書いている。
「夫婦というものは、どこか親子だよ。時には亭主が父親のつもりになったり、時には細君が母親のつもりになったり。それでないと上手くゆかない」
この川端の言葉を思い出す。
ポイントは、昔憧れていた妻の姉が死んだので、その後に、そのダンナの面倒を観ていた保子だったが、結婚する感じがなかったので、尾形信吾つまりこの映画の主人公の60歳の男が、保子と結婚したのだったが、いまでも、その死んだ姉のイメージが忘れられない。
そこに、息子修一の嫁になった菊子=原節子が、その死んだ妻の姉にそっくりだっために、彼は、淡い恋心をもちながら、親切に接するようになる。
・・・・・・・・
物語は、もうかなり複雑。それがまた、不思議と、慈童面やら、
息子の復員やら、
中絶やら、もみじの盆栽やら、
ベルイマンが夜になると観る陰気な死の夢ではないが、尾形信吾が最近聞くようになった「山の音」つまりしずかな地響きのような音についてて・・・・・・・・
さまざまなる、ディテールの言葉が、散らばっていて、想像力を刺激してくれる。
ハリウッド映画のように、見たあとに、スカットするような映画ではないけれども、よく、川端康成の「山の音」という「雪国」に匹敵する複雑な小説を映画にしたなぁと感心する。
監督は成瀬喜男。
キャスト
尾形菊子:原節子
尾形修一:上原謙
尾形信吾:山村聡
尾形保子:長岡輝子
谷崎英子:杉葉子
池田:丹阿弥谷津子
相原房子:中北千枝子
相原:金子信雄
絹子:角梨枝子
信吾の友人:十朱久雄
北川町子
斎藤史子
馬野都留子
となっています。
結局は、この三人が中心となって、映画がまとまってくるわけです。
上原は、じつに、嫌な男をじつにうまく好演していますね。原節子を嫌う理由は、
その「子ども性」にあるらしいですが、ここらあたりは小説を読まないとよくわからないでしょう。このような美しい奥様をほったらかしにして、浮気をするというのは。
ただ、ベルイマンの、「野いちご」にも、ありましたが、好きな女にふられる初老の男の回想シーン。
あなたは偉すぎる、賢すぎる・・・・・・・・・立派すぎる・・・・・・。
わたしにかまってくれない・・・・・・
そんなニュアンスはちがいますが、そのようなセリフがありました。
ふと、上原の役柄に、連想しました。
そこに、復員したという上原の経験が、重なってきます。複雑です。
品があります。
やはり、男というものは、何歳になっても、理想の女性にあこがれつづけるものなんです。・・・・・・・・・・
原 節子(はら せつこ、1920年6月17日 - 2015年9月5日)は、日本の女優。「永遠の処女」と呼ばれ、戦前から戦後にかけて活動し、日本映画の黄金時代を体現した。代表作に『わが青春に悔なし』、『青い山脈』、『めし』、『東京物語』などがある。
1963年に女優業を引退し、2015年に死去するまで隠遁生活を送っていた[2]。
2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の第1位に輝いた。
◎資料 ネットからおかりしました。ありがとうございます。
2012年に、10年おきに行われている英国映画協会の[世界で最も優れた映画50選]で、358人の映画監督が選ぶ(監督部門)で『東京物語』が1位に、また世界の批評家846人が選ぶ(批評家部門)でも3位に選ばれている。
どこにでもある普通の生活。普通の家庭。普通の風景に普通の時間。
しかしながら。
そこに隠れるなにか。
男女の仲というのは、夕食を二人っきりで三度して、それでどうにかならなかったときはあきらめろ。 小津安二郎
FIN
「優しさ、礼儀、美、敬愛といった美徳を、日本が失わずにいることを、世界中が切望しています。」 グレース・ケリー
「グレイス・ケリーの魅惑 フランクシナトラ歌」
人のからだと違い、こころ(脳)はある意味で自由だ。
こころ(脳)ではどこにでも飛んで行けるし、良い事でもなんでも言うだけならば誰にでも言える。
その点、身体は、こころのいうことをなかなかきちんと聞いてくれないし、年とともに、
ボロボロになってはくる。
身体には責任をとるところがあるけれども、こころ(脳)は自由過ぎて、責任などまったくない。
それがこころの魅力的なところでもあるし、こころ(脳)の限界でもある。
誰しもが、こころ(脳)の中では、皆、犯罪者であるのかもしれない。
男性でも女性でも、饒舌な人は、そのことに気がついていない人が最近多い。
だから、よく女性のなかに、気を使うせいか、朝から晩まで喋りとうし下品なことでも
平気で言って笑っている人もいる。
私がどうこう言う必要もないのだが、こういう女性に
惹かれることがないのは、女性が饒舌の男性に惹かれないのと同じだろう。
グレイス・ケリーくらいの美しい顔ならば今ならばどこにでもいる。
しかしながら、品の良さというか、過去に彼女が経験してきたオーラがにじみ出た顔には
とうてい皆かなわない。
昔三島由紀夫が、気品というものだけは努力してできるものではないと書いたが、その意味が
最近ようやっとわかってきた。
こころ(脳)と身体のバランス。しかも、何代にもわたっての・・・・・
日本人が劣化しないためにも。
最近の事件を見て愕然とする。
日本人にも、ピンからキリまであるというのは、わかるけれども、ひどすぎる。
動物虐待。
悪徳ブリーダー。
車から犬猫を捨てる馬鹿者たち。
赤子をゴミ箱に入れて、自分はゲームをする若者。
育児放棄。
子どもをひとりの人格として見ない母親=無理心中。
子どもを刺し殺す祖父。祖父祖母を殺す少年。
母親を刺す少年。人を殺したいと言う少女。ピストルで撃ってほしいと言う少年。
昼から麻薬を売る男、買う男女。
日本人が劣化しないためにも。
グレース・パトリシア・ケリー(Grace Patricia Kelly、1929年11月12日 - 1982年9月14日)は、モナコ大公レーニエ3世妃、アメリカ合衆国の女優。
同時代の女優マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的な、気品に満ちたそれが「クール・ビューティー」(cool beauty)と賛美された。人気絶頂の最中、ヨーロッパの君主と結婚し女優業から引退した。
グレース・ケリー。
彼女の写真集。何冊も持っている。
一番、好きなのはこの本。
The Grace Kelly Years: Princess of Monaco/Skira
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(桂離宮をご覧になって)
ただ月を眺めるだけのために、竹で縁側を作るとは、なんて素敵なセンスでしょう。グレース・ケリー
洋書なので、大型の本で、表紙のところがクッションみたいに柔らかい製本で、持つだけでも、彼女と握手をしているようで、素敵だ。
日本の文庫本は世界に誇る、まるで日本車のように、しっかりした製本で、小型で、コンパクトで、持ち運びに便利だけれでも、このグレース・ケリーの洋書のような夢は感じられない。
・・・・・・・・
◎資料から グレースケリー
日本文化を愛好し(特に華道をはじめ植物に関するもの)、モナコに日本庭園を造営することを希望していた。死後、レーニエ3世の指示によって、別府保男設計による本格的な日本庭園がつくられた。1994年に開園。庭園内の茶室「雅園」は、フランス語訳すると"Jardin de Grace"すなわち"グレースの庭"の意となる。
◎資料から
非常に恋多き女性として有名で、ゲイリー・クーパー、クラーク・ゲーブル、レイ・ミランド、ビング・クロスビー、ウィリアム・ホールデン、オレグ・カッシーニ、ジャン=ピエール・オーモンなどの、主に自分より年長の男性と浮名を流した。父親が彼女に冷淡な癖に、異性との交際には異常なほどうるさかったことも、背景にある。
そんなわけで、彼女のことを思い出して、「裏窓」を再試聴してみた。
カメラマンのジェフは事故で足を骨折し、車椅子生活を余儀なくされる。そんな彼にできる楽しみは、カメラの望遠レンズを使って裏窓から見る隣のアパートの住人達の人間模様の観察であった。
ある日、いつも口喧嘩が絶えなかった中年夫婦の妻が突如として姿を消す。セールスマンらしい夫の怪しい挙動を観察していたジェフは、数々の状況証拠から殺人事件と確信。恋人リザと共に調査に当たる。事件を認めない友人の刑事を納得させるため、確たる証拠を掴もうとする2人に危機が迫り……。
ヒッチコックという人に、かつての作家や創作にたずさわっている人達が、多く影響され、感化されたということはこの映画を見れば、よく理解できますね。
たしかに、原題のCGを使った映画は大画面で見ると驚愕するほどに脳に刺激をくれますが、
この映画のようにいつまでも脳裏に残るというのはないのかもしれません。
シンプルだから、物語の構成や、登場人物のキャラクターのおもしろさが、こころのなかに静かに沈殿していきます。
グレース・ケリーはこの映画のなかでは、タバコも吸うようなモダンな役柄ですし、犯人と思われる人物のところに夜忍び込んで証拠品を探し出すほどの、良い意味での勇気あるおてんばの女性役です。
1954年の映画ですから、私が生まれた年です。・・・
知的財産権は今ないようなので、どこにでも誰でもが、見れる青空文庫のような映画ですので、これは見ても損なしの映画だと思います。特に、作家なんかを目指している人は、必須の映画でしょう。
『裏窓』(うらまど、Rear Window)は、1954年のアメリカ映画。ニューヨークのとあるアパートを舞台にしたサスペンス。ウィリアム・アイリッシュによる同名の小説を原作とする。現在、パブリックドメインとなっている。アメリカ映画ベスト100で42位。
この映画は、すこし視点を変えると、のぞき=ピーピングが、テーマとも言えます。
そのことを考えると、この映画を連想します。
「硝子の塔」です。淀川さんのクリップがあります。
・・・・・・・・・・
友人からメールがきて、ふと見ると、ソレイユとある。
そういえば、その友達と、東京広尾にある「ソレイユ」に昔、遊びに行って来たことがあった。
「それいゆ」は2004年7月、東京・広尾にはじめての中原淳一専門店としてオープンしました。
広尾の商店街入り口から5軒目、赤いドアが目印です。中原淳一の生前の住居や戦前から開いていたショップのイメージを彷彿とさせる店舗デザインで、小さいけれどファンが集う憩いの場としても人気のスポットになってます。
人気があるんです。
特に女性には抜群の人気がありますね。まあアメリカ式のファッションもそろそろ終焉の時かもしれません。ただ合理的なだけの文化というものは人を便利にしても幸福にはしないのかもしれませんし。
以前にも紹介したように、某テレビ局の分析によると、戦時中国からの無意識・意識の抑圧により、女性らしく、というのが悪い意味にとられ、絵画でもやまとなでしこ調のものばかりの風潮の中で、彼の初めて挿絵がなにやら下着姿で、しかも、お目目がばっちり大きく描かれてあり、田辺聖子でしたか、そうとう感動して気に入っちゃったみたいです。
目を大きく書くというのは、強い女性の意志のあらわれ。
恋する女の意志。
まだまだお口は小さく表現されていますから、現代の漫画家の岡崎京子の口から見たらまだまだ自由な表現というわけにはいきませんが、それでも、当時の空気の中では中原淳一の描く女性達は、「自由な女性」というイメージがあったらしい。
とは言っても。
現代の私から見るとやはり「古き良き時代の日本の女性」が描かれているのであり、ここには、きちんとした美のルールを守れば乙女の美しさはキープされ、男性から愛されるであろう理想の「日本の女性の美」があります。
個人的な意見ですが、たしか中原さんのファッション画に影響された当時のデザイナーは、男が多いと思う。
名前は忘れましたが、女性でも、とあるデザイナーは、彼の描くイラストの女性像には、反撥を覚えたとといいますから、革新的な女性からは、嫌われる絵なのかもしれません。
よく「男前のおんな」とか、彼女は男っぽいとか、「私は女らしくない」から、とか、言う人がいますが、そんなことは当たり前のことです。
男の中にも、女性はありますし、女のなかにも、男性はあるんです。
それは、ホルモンの関係ですから、男性ホルモンは女性のなかにもありますし、男性のなかにも女性ホルモンがあるのは当然。
男性が女装したり、女性が男性のマネをするのは、それが好きならやれば良いでしょう、というだけの話し。
「女である」ことが、男性社会のつくった幻想であるとか、「女らしさとは男がつくった手錠みたいなもの」という考え方も、へえっとは思いますが。
・・・・・・・
ただ、私は、個人的に、見た目・女らしい人が好きです。
普通の女性であれば、見た目・男らしい人が好きだと、私は思いますが。(こころのなかは、男性女性ふたりが、すんでいていいんです。比率はともかく・・・・・・・あとは、相性。)
実に、見た目とは、不思議なことです。
(岡崎京子のマンガの女性はいかに実際の現実の日本女性が描かれてあろうと、好きではないし、三島由紀夫氏が言うように「芸術は現実をあるがままに描くのではなくてあるべき姿を描くのだ」と言う言葉が私は好きなんです。(もちろん岡崎氏の才は認めますし、マンガと小説はまったく違うということも認めた上での事ですが)
岡崎の「ヘルタースケルター」は、今読んでいますが、これは面白いです。)
ところで。
こんな中原淳一氏のセンスはどこからきたのか?
やはり三島由紀夫氏と同じように、母親や姉とともにお人形づくりに専念するのが大好きだったらしいですね。三島由紀夫は立派な父親はいましたが、はやくから祖母にあずけられてかなりの愛情を受けながらその影響を受けたことは告白しておりますから。
女性的なものが良い意味で、溢れ出て来たのだと思います。
そして、ふたりともこれが良かったんです。
吉本隆明氏が、三島はそれが不幸だと書いていますが、それは違うと思います。
(幸せ不幸なんていうものは本人がきめることだからです。)
これらの彼の寵愛した人形を、中原淳一展でも見ましたが、すばらしいです。
「三人のスリ」なんていう人形もあって、ひょっとしたら、男性に対する不思議な情愛みたいなものまで感じましたね。
三島由紀夫氏もきちんと結婚はしたうえでも男性を好んでおりましたから、同じようなタイプにも感じられます。
このあたりは不勉強で私にはわかりませんが。
美輪明宏氏にでも、ぜひ聞いてみたいものです。
・・・・・・・・・・・・
絵本。
「 私は、子どもたちの気持ちや意思を、完全に尊重しています。」 グレース・ケリー
スノーマン
「スノーマン」レイモンド・ブリックスは、私の息子が小さな頃に、よく読んであげた、思い出の童話の一冊。
童話と言っても、本では、会話や言葉がまったくでてこない。
絵だけ。
それがまた、不思議に、ひきこまれ、私はよく、勝手に、文章を頭でこしらえては、読んであげた記憶がある。
雪はすでに想像力を失った平凡なる高齢者にとっては、生活をじゃまする悪魔みたいな存在なのかもしれないが、感受性に溢れた子どもたちにとっては、どこの国でも、雪は魅惑的なそれである。
ナレーションのある「スノーマン」翻訳版クリップもある。・・・・・・それが、ドイツ語版というのもおもしろい。
◎レイモンド・ブリッグス資料
レイモンド・ブリッグズはロンドンのウィンブルドンで、女中の母エセルと牛乳配達人の父アーネストの間に生まれた。ブリッグズは幼少時から漫画書きの道を追い続け、母親がこの利益にならない趣味をやめさせようとしたのにもかかわらず、彼はウィンブルドン・カレッジ・オブ・アートとスレイド美術学校に通った。短期間絵画を学んだ後、ブリッグズはプロのイラストレーターとなり、すぐに児童文学作品での活動を開始した。
彼の最初の著名な作品である『さむがりやのサンタ(英語版) Father Christmas』『サンタのたのしいなつやすみ Father Christmas Goes on Holiday』(この2作品は、「途方もない雪」についていつも愚痴をこぼしている気むずかし屋のサンタクロースの物語である)および『いたずらボギーのファンガスくん Fungus the Bogeyman』は、イラストと文章が分けられた一般的な児童文学作品のスタイルよりは、むしろ漫画に近いスタイルをとっている。『スノーマン The Snowman』(1978年)はほぼ完全に文がない作品で、この作品はアニメ化されてアカデミー賞にノミネートされたことで、ブリッグズの代表作となった。
「核戦争」の恐怖を書いた漫画も彼の作品。
When the Wind Blows - 1982 [Full Comic]
映画にもなりました。・・・・私が20歳の頃は、まだ冷戦がありましたから、いつソビエトとアメリカが核戦争をするのか、いつも、びくびくしていた記憶があります。
無意識の恐怖。
今でも、北朝鮮などの核の恐怖が以前としてありますが。
・・・・・・・・・・・・・
ヒラリー・スワンクという女優さんがおります。
ある意味、戦う女のイメージあります。
でも、気品もないわけではなく、実に、存在感のある女優さん。
FIN
「フリーダム・ライターズ」という作品があります。
この映画の中で、まず最初に驚愕する本質的なシーンは、ヒラリー・スワンクが扮するエリン・グルーウェルこと、ミスGが「ギャングに友達が殺された人、手をあげて」の質問に対して、彼女の目の前で、生徒全員のほとんどが手をあげるところでしょう。
私はこれが実話だとは知りませんでしたので、逆に、良い意味でこの物語を新鮮に観れたような気もします。
麻薬、殺人、強盗、そんなことが日々あたりまえのようにおこなわれている黒人街、貧民街。
私もjazzの歴史の本なども読むので少しくらいは、それらを知っているつもりだが、それでも、彼らについて知っていることはほぼ1%くらいなものだろうと思います。
(マイルス・ディヴィスの本なども読んでも、過酷であってもまた、彼はヒーロー。
特別な人でもあります。)
今や黒人のオバマ大統領がアメリカの先頭に立っているのもこの映画を観ながら考えてみると感慨深いものがあります。
自殺問題もそうですが、マンモスのように巨大になったシステムに動脈硬化をおこしているのはアメリカも日本も同じです。
正論から言えば、特定の生徒達を特別扱いするのではなくて、公平に誰もが進歩し優秀になるようなカリキュラムを組むべきだと言う事だと思います。
先生も人間ですから自分が可愛い、自分の力の限界を超えてまで生徒に教えようとは思わないのが普通ですし。
一般的には、これだけの黒人の子どもたちのこれまで生きて来たある「特殊な家庭環境」や「ギャング達とのしがらみ」、あるいは、麻薬にはまったり、本の一冊も買えないような環境にいることを考えれば、それを変えようということじたいが、誰もが考えても、そう簡単にできることではないと思います。
日本でも天才教育家と言われる吉田松陰や、折口信夫などについても、今の現代の先生達は「彼らは天才なんであって、彼らのやったような教育は特殊だから、普通の一般の先生達にはあてはまらない。先生は、金パチ先生みたいなことをやるのではなくて、普通に、地味に、教えるべきことを教えればいいのだ」と言う意見が主流なのは言うまでもありませんね。
私もある意味ではそう思います。
しかしながら、だからこそ、映画はこのような「現実にはありえないような夢」を描くから映画なんだ、だからこそ、人々はその夢を求めるのだろう、そう思ってこの映画を最初観ていました。
「さよならミス・ワイコフ」なんかのこととか、「愛撫」、それに、「「天使にラブ・ソングを」なんかの映画も頭の中を通過していきました。
かつて、協会の牧師から言われた言葉。
「huruhon君。自分の子どもを放り出して難民の子どもを救うためにアフリカまで飛び出した男をどう思う?」という言葉もついでに・・・・でてきました。
しかしながら。それはそうとして、そうなんだけれども、この映画、感涙します。
しかも、「ひょっとしてこれ実話かな?」という疑いが^^、出て来た後半あたりからさらに、物語は盛り上がりますね。
先日我がブログでも紹介した、「夜と霧」の世界が出てきます。夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録/V.E.フランクル
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「ホロコースト」
その犠牲者であるところの、「アンネの日記」を教材にしたというところが彼女-ミスGの成功なんでしょう。日本人から観るともう地獄のような黒人の少年少女達の生活よりもさらに、悲惨な世界&戦いが実際にあったということ。アンネの日記 (文春文庫)/アンネ フランク
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普通であれば、高校も中退者が続出するであろう学級は、やがて世間でも有名になり、その他の優秀な学級から転入してくる子も出始める。
いくら地獄の生活の中、大人ぶってギャングの真似をしているといっても、所詮は子ども達。
ミスGが身銭を切って、買い与えた「アンネの日記」からはじまり、さまざまなる新刊本を手にとり、そのインクの匂いを嗅ぐシーンは感動しました。
私も新刊本を買うと、必ず、匂いを嗅ぎます。^^
あのインクの匂い・・・いいですねえ。
どうせあいつらは字も読めないし、本なんか読むわけがない、と決めつけていたその他の先生たとの驚き。
要はモチベーションまでが大変なんですが、このミスG先生。実に新米の先生なのに、この動機づけが上手い!!
まあ、普通の先生ならばここまでやらないでしょう。やれないでしょう。・・・・・・
そして、ミスG先生は、皆に真新しい「日記」を買って来て、皆に日々つけるように言います。
日記をつけて、それを教室の横の棚に鍵をかけておくから、私に観てもらいたいことがあれば、開いている時に是非いれておいてくださいと言う。
アンネの日記を必死に読み、自身と同化してしまう女の子。日記もつけはじめる。
そして、何かが変わって行く。
すると、翌日には、ほとんどの生徒の日記がそこにあるではないですか!!
そして、実際に「アンネの日記」で、アンネをかくまったドイツ人の女性がまだヨーロッパに生存しているということで、彼女に会いたいという生徒の希望をそのまま実現してしまう先生。すごい。
ここが私も感涙したところです。
そして、皆のこころがひとつになり、意識が変容し始める。
映画の物語としてはここのあたりは、ユーモアをまじえ、軽く描いていますが、実際の現場ではもっともっと時間がかかり、そして、人の気持ちがまとまっていくには、細かな努力が必要だった筈ですね。
この先生。実に顔が美しい。
なんというか、美人は美人なんだけれど、何かに集中してひとつのことを作り上げて行く喜びを知っている顔ですね。シャープな美しさ、知性ってこんなにきれいなんだ・・そう思いました。
そうして、彼らの学級から、最初は黒人街のならずものの巣窟 みたいな学級が、ひとつの「homeになり、皆が心を合わせるようになる。
そして、大学に行く輩がでてくる。
先生の力で揃えたパソコン30台で、皆が、自分たちで描いた日記をワードにうちこんでいくわけですね。
The Freedom Writers Diary という題名はここからきているのですね。
「絶対に自分の失敗やらやったことなど、環境のせいや、人のせいにしてはいけない」そんなことを生徒達は、自然と学んでいきます。
おおげさな、生徒と先生が抱き合ったり、涙の連続だったり、そのような場面がなく、非常にドライにたんたんと、生徒と先生の交わりが描かれており、しかしながら、生徒の先生に対する信頼がさりげなく描かれています。
アカデミー賞を獲得する映画だけが映画というわけでもなく、隠れた名画ってありますよね。
だれしもが、それなりの「現実」と闘っている筈。
そして、戦士の休息を誰しもが願っています。
そこにミスGは、果敢に、切り込んで行って、離婚まであじわいながらあきらめず、実際の現実の中で、それを実現したという話、すごいです。
私は皮肉の気持ちが湧く事もなく、素直にこの映画観れました。これが実際の先生と、生徒達の写真です・・・
ヒントやインスピーレーション、勇気がもらえれば、それで良いです。
資料A
1994年、カリフォルニア・ロサンゼルス郊外の公立高校に赴任した新人国語教師・エリン・グルーウェルは、荒れ放題のクラスを受け持つことになる。人種ごとにいがみ合い、授業を受ける気など更々ない生徒たちを相手に、エリンは授業の進め方に苦心する。人種差別の愚かさを生徒たちに教えようと、エリンは『アンネの日記』を読むことを勧め、毎日何でもいいから日記を書くように、と1冊ずつノートを配る。最初は罵り言葉ばかりしか書いていなかった生徒たちは次第に本音を綴るようになる。エリンは日記を通して、生徒たちと向き合うようになり、生徒たちも次第にエリンに心を開いていき、悲観的だった将来を改めていく。
生徒たちが書いた日記は、一部ずつを集め1冊の本として出版され、ベストセラーとなった。
その後、グルーウェルと生徒らによりNPO団体「フリーダム・ライターズ基金」が設立された。
2007年、ヒラリー・スワンクが製作総指揮・主演を務め映画化した。
ヒラリー・スワンク アメリカ女優
生い立ち
ネブラスカ州リンカーン出身[1]。幼い頃は一時期トレーラーハウスの中で暮らしていた。最初のアカデミー賞受賞のときにスピーチでその生い立ちを話して以来、不幸だった子供時代の話は一切秘密にしないで公表している。スポーツ万能で競泳のジュニアオリンピック地元選考会に出場したことがある。
9歳の頃から演技を学び始め、舞台「ジャングル・ブック」で主演を果たす。16歳になると女優を目指して母親と二人でロサンゼルスへ引っ越した。
キャリア
1992年、『バッフィ/ザ・バンパイア・キラー』の端役で映画デビュー。
1995年、数百人の候補の中から『ベスト・キッド4』の主演に選ばれるが、映画は不入りとなった。その後、低予算の犯罪もの『マネークラッシュ』、SFホラー『ブロス・リターンズ』(劇場未公開)に出演するが、この時期に出演した『ハートウッド』は2年間お蔵入りし、後に公開はされたもののカルフォルニア地区限定上映となる[2]。
1997年、テレビドラマ『ビバリーヒルズ青春白書』に出演。
1999年公開キンバリー・ピアース監督『ボーイズ・ドント・クライ』のオーディションで主役に抜擢される。同作での演技は高い評価を受けアカデミー主演女優賞を含めて20以上の映画賞を総なめにした。
2004年公開クリント・イーストウッド監督『ミリオンダラー・ベイビー』で2度目のアカデミー主演女優賞を受賞し再評価される。
2007年1月に2325人目のウォーク・オヴ・フェームに選ばれる 。
ヒラリー・スワンクは、この映画にも出ています。傑作です。それに適役です。
この作品についてはたくさん書きたいことが。
しかも、大好きなクリント・イーストウッドですから。
のちほど・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・
それにこれも観たい。観たい映画が、まだまだ、ある。ヒラリー・スワンク!!!
「歌舞伎には息をのんだわ。あの素晴らしさは言葉ではうまく言い表せない。」 ヒラリー・スワンク
FIN
最近。
岩見沢市の繁華街。すたれています。
タクシーの運ちゃんに聞きますと、「最近の若い人は酒も飲まんし、麻雀もやらんし、とにかく遊ばないね」と言っていました。
いのち短し 恋せよ乙女 あかき唇 あせぬ間に・・・・
人の一生なんて、あっけないものです。
たしかに、平均寿命は伸びましたし、平和ですから、上の「ゴンドラの詩」のような言葉は、だれしも忘れていますね。
でも、この言葉は、真実の言葉なんです。
いのち短し 恋せよ乙女 あかき唇 あせぬ間に・・・・
花火のように、散ってしまうこの現実の人生の日々。
それは、あっと言う間にすぎさってしまいます。
ある意味、巨大なる宇宙の時間から比較すれば、長生きしていると言われる100歳も、幼児の頃に不幸にも亡くなった子ども達も、一瞬。
なのに、この短き、大切なる人生。
なんで、もっと楽しく、楽しまないのか。遊ばないのか???
そんなことを考えながら、この「ジョー・ブラックをよろしく」、細切れ視聴で、二日かけて、見ました。
不思議なテイストの映画だった。1998年作なのだが、今頃見る。また、それが楽しい。
この映画は実は、1934年の映画『明日なき抱擁(Death Takes a Holiday)』を元にしている。第19回ゴールデンラズベリー賞最低リメイク及び続編賞にノミネートされたところから見ても、かなり批評家受けは良くない。
Death Takes a Holiday。
オリジナルの原題だと実にこの映画をあらわしていると思うのだけど、「Meet Joe Black」とか、「ジョー・ブラックをよろしく」だと、ピンとこないというか、レンタル屋でも、借りる人はいなくなるだろうと思うのですが・・・どんなんでしょうか。
たしかに、傑作映画、例えば、「2001年宇宙の旅」とか、「オレンジ仕掛けの時計」とか、
「ローマの休日」とか、「嵐が丘」とか、そんな強烈にインパクトのある、見ていて、金縛りにあうくらいの緊張感のある、そして、感動がきわめつけの、シネマは素晴らしいし、何回見ても、飽きないのだが、淀川さんが言うように、どんな映画にも、良きところはひとつふたつあって、それは、人と人とのつきあいと同じく、一見平凡と見える人のなかにも、実に味のあるところがあるものだと思う。
「ジョー・ブラックをよろしく」・・・
個人的に言えば、三島由紀夫氏の「春の雪」のkissシーンと、「憂国」の決起の前日の夫婦の営みは日本文学における最高の愛のシーンだと考える者ですが、この「ジョー・ブラックをよろしく」もなかなかに、美しいシーンがたくさんあります。
今話題の草食男子。
下品ネタの大好きな肉食女子。
このように自分のことを考える人は、この映画は見た方が良いと思います。
たまには、このような、品のある・夢のある、ふんわりとした映画を見て、涙するのも悪くはないでしょう。
恋や愛や仕事や人生にまつわる、アンソニー・ホプキンス演じる社長さんの、言葉が実に、(手のアカにまみれたような言葉を連発するのですが、)この映画を見ていると、それらが、実に素直に入ってきます。
有名なる言葉で、「恋は肩に神様が置いた指である」とかいう、言葉がありますが、
恋はした方が良いですね。
「つきあうのが面倒」とか、「傷つくのが嫌だ」とか、言うのは、心が荒れている証拠。
普通に暮らしていて、普通に孤独を感じている、普通の人間であれば、誰しも、ふとした、他人の言葉が、心にひっかかってくることがある筈。
しかも、その言った人が、気になる人であれば。
携帯に数百人もの、友達のアドレスを入れて、ラインでいつもつながっているような、偽の幸福感に包まれている人は、どんどん、魂が、鈍感で希薄になっていきますから、ほんとうの自分にとっての、必須の人と、そうでない人との区別がどんどんわからなくなっていきます。
激辛の食事を続けていると、繊細なる食事がわからなくなることと一緒です。
ところで、この「ジョー・ブラックをよろしく」・・・
その意味では、繊細な映画だと思います。
そして、クレア・フォーラーニ。・・・すごく良いです。
彼女は、なにやら、社交上手で、男性経験も豊富であるにかかわらず、実に、気質が、シャイな魂の繊細な感じを表現していますね。
コメントにもありますが、She must be normal because I haven't heard the crap stories about her ... she seems very regular ..could it be true that this is a normal person who is an actress...well then she will have happiness and keep it all in perspectiveと。
チャーミング。シャイ。ナイーブ。
いかにも、女優然としていないところが魅力なんでしょう。・・・
◎資料にもありますが、2000年には、アメリカのStuff誌が選ぶ「最もセクシーな女性」の51位にランク入りし、翌年2001年にも同ランクの89位、そしてFHM誌が選ぶ「最もセクシーな女性」でも85位にランクされております。
不思議なのは、セクシーでありながら、普通の品の良い普通の女性という感じです。
その彼女、クレア・フォーラーニと、ブラッド・ピットですから、・・・
ファンの人達にはたまらない映画でしょう。たとえ、B級映画であっても。
(しかも、このふたりは、実際にも交際していましたから・・・リアルです)
たしかに、批評家は、「ピットは観客に彼が死と永遠の謎の全てを知っている設定だと納得させることはできなかった」と、言っていますが、だいたいが、死神の演技なんか、誰が想像できるでしょうか。できないからこそ、あれでいいんです、そう私は思います。
このふたりの会話シーン、恋のシーンを見ているだけで、(彼女の英語の発音が素晴らしいので、聞き取れる)幸福な気持ちになれます。
仕事に疲れきったサラリーマンさん、OLさん、恋人のまだいない大学生、異性不信におちいっている方、・・・たまには、こんな夢のある映画で、癒されるのも良いと思います。
レヴューでは、最後のラストシーンは評判悪いですが、私まったく逆の意見。
思わず拍手してしまいました。
ところで、この監督。「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」の監督です。マーティン・ブレスト!!!
人生に悲観し、ふて腐れた孤独な盲目の退役軍人が、自身もトラブルを抱え人生の選択に迫られている心優しい青年との数日間の交流を通じて、自分の人生を見つめ直し、新たな希望を見出すまでを描いたヒューマンドラマでした。アルパチーノのまったく瞳を、うごかさない名演技がひかりました。
このダンスシーンが、「ジョー・ブラックをよろしく」にも、少しでてきます。
ラスト・シーン。涙あふるるシーンとなっています。
ところで、ブラッド・ピット。彼はよく黒チョコレートにたとえられます。
渋くて、きりっとしているところからでしょうか。こんな彼の映画を見れば、
実に彼の演技は、甘さがちょっとあるだけではなくて、渋さのある、黒チョコであることがわかるでしょう。間違いなく、戦争映画の名作傑作です。
また、彼は、チベット国の支持者であることを断固として主張しております。俳優で、はっきりと政治的な主張する俳優は少ないのですが、そのようなところが、私はすごく尊敬しております。
同じチベット国の支持者仲間に、リチャード・ギアがいます。私の大好きな俳優のひとりです。
そのリチャード・ギアと言えば、傑作はたくさんありますが、恋の映画で、私のNO1のフェボリットといえば、これでしょうか。
「最後の初恋」、原題が、Nights in Rodantheです。この「ローダンテの夜」の方が、好きな題名です。
ジョージ・C・ウルフ です。彼の、その他の作品は私は見ていません。
かつて。
学生時代は、DVDなんてありませんから、映画館で映画を見ました。
ですので、「卒業」が五回、「ロミオとジュリエット」が四回、そんな回数。
ところが、今は、便利なDVDがありますし、
私は英語学習にこの「最後の初恋」を使用していますので、もう、50回は
見ました。
何回見ても、飽きないのは、私のツボにはまっているからでしょうね。
離婚を経験した、ふたりの、中年男性と中年女性の恋。
しかしながらこのベタベタな、ラブストーリィ、いいですねぇ。ほんとにいいです!!!
俳優は、演技をマスターするためにはやはり恋を積み重ねたり、シナリオ暗記して討論したり、大変だと思います。
よくラブストーリーが苦手という男性もいますが、女性が意外に多いんです。
この映画でも、レヴューがおもしろいので見て見ると、こんなかっこ良い別荘が海になんで在るのか?とか、馬が浜辺を駆け抜けるシーンの馬の数が多すぎるとか、笑えます。
この映画もまた、B級映画なんでしょうが。
だいたい、「恋」や「愛」が苦手と、自分をきめこんでしまう、人達に共通なのは、
ものすごく現実的だということ、相手の欠点や嫌なところや、アラが、即、発見できる能力というか、気質が、あります。
「ジョー・ブラックをよろしく」にも、最愛の妻は、「私の欠点を許してくれる」としんみり、言うシーンがありましたが、
欠点ばかりが気になる人には、人を好きになることはかなりむずかしいでしょう。
「強くなければ生きて行けない、
優しくなければ生きて行く資格がない。」
こんな言葉がありましたね。
これを少し変えて。
「相手の現実をしっかり見ないとだまされる
相手の欠点を許すだけの余裕がなければ人生楽しくない」
とでも書きましょうか。
人生を意味のあるものにするか、意味のないものにするか、それは自分しだい、自分の心しだいですね。
ラストシーン。
意味のある人生・・・その言葉に、物語が収斂していきます。・・・・・・
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「恋」は、私の知る限り、ある意味での「才」が必要になります。
現実からすり抜ける能力、神秘を感じ取る力、右目をつぶってその右目で相手の悪いところを見て、開いている左目で相手の良いところを見る能力などでしょうか?
さきほどの、モーガンでしたか、恋は神さまが肩においた手である。まさにそうですね。神秘的なことがどんどん続くように本人たちには感じるわけです。
この映画でもそうです。
ちょいと調べてみても、このニコラス・スパークス、海が好きというか、シンボルのように繰り返し繰り返しでてきます。
「メッセージ イン ア ボトル 」なんかでも、油絵を書いていた死んだ美しき妻のキャラが光っていましたね。その彼女をめぐっての親戚どうしの憎しみ。
今回もまた、確かジーンというアフリカの原始宗教みたいな力を借りているようなキャラがユニーク。彼女もまた絵や彫刻のようなものをしていましたね。
「メッセージ イン ア ボトル 」では、主人公の男が箱船のようなヨットを作り始めることで、自分の心をいやしていくのですが、その祈りにも似た創作活動。今回もまた、ボールとの恋で、生まれ変わったように美しくなるエイドリアンが、宝箱を作り始めますね。
やはり、「もの」をつくることは「祈り」なんでしょう。
ガウディの教会を作っている職人さんたちのリーダーが日本人という番組見ていましたが、彼曰く、祈りのようにしてつくっていくらしいです。
ニコラス・スパークス、妹さんを若くしてなくしていますから、漫画家の石森章太郎が生涯亡くなった姉のために作品を書いたり、三島由紀夫氏が死んだ妹のイマジネーションをいつも心に抱くのと同じように、彼もまた、そこから作品を書く力をもらっていたのでしょうか。
その分、悲劇、運命という言葉を連想させるような物語が得意。
今回の舞台も、まあ映画ですから美男美女の俳優がかっこよく恋愛の舞台としてはちょっとできすぎなんですが、原作自体のなかでは、彼の好きな海がどうしても必須なんでしょう。
私はまだ彼の「きみに読む物語」「ラストソング」もまだ読んでいませんので、偉そうなことは書けませんが、メッセージでの最後の荒波に飲み込まれてしまう主人公や、今回の土石流に飲み込まれてしまうボール、自然や運命の力でひきずりこまれてしまう小さな人間を書いているのか。
でも、私はこのような自然の前での「ちっぽけな人間」という発想は好きですね。
一番の山場ですが、ボールが今回このノースカロライナ州の海辺の街、ローゼンタにやってきて彼女にばったり運命的に会うわけですが、それもまた、自分の心の中のこだわり、患者が見えなくなってきた時に起きた事件でその告発した男ロバート、スコット・グレンに呼ばれたわけですからね。
ここで、以前書いたニーチェについての記事連想します。
少し引用すると・・・
「ニーチェは、ギリシア人がりっぱな悲劇を書いたということこそ、ギリシア人が厭世家ではなかったというはっきりした証拠だといいます。ちょっと聞くと、反語のようにも聞こえますが、それは、悲劇と厭世というふたつの概念を知らず知らずのうちに類縁のものと私たちが思っているからでありましょう。
おそらく、ニーチェは、そのことを頭において強く主張する、悲劇は、人生肯定の最高の形式だと。人間になにかが足りないから悲劇は起こるのではない、何かがありすぎるから悲劇がおこるのだ。否定や、逃避を好むものは悲劇人足りえない。何もかも進んで引き受ける生活が悲劇的なのである。不幸だとか、災いだとか、死だとか、およそ人生における疑わしいもの、嫌悪すべきものをことごとく、無条件で肯定する精神を悲劇的精神という。こういう精神のなす肯定はけっして無知から来るのではない。そういう悲劇的智慧を掴むには勇気を要する。勇気は生命の過剰を要する。幸福を求めるがために不幸を避ける、善に達せんとして悪を恐れる、
さような生活態度を理想主義というデカダンスの始まりとして軽蔑するには、不幸や悪はおろか、破壊さへ肯定する生命の充実を要する。
そういうディオニソス的生命肯定が、悲劇詩人の心理に通じる橋である、とニーチェは言いきるのであります。ニーチェの激しい気性は、アリストテレスのカタルシスの思想に飽き足らなかった。」
個人的に、勝手な、解釈でこの映画見ています。
淀川長治さんも、「美に感動する心の贅沢をもってください」と書いています。
特に、ボールが愛を得て息子のところに会いにいくところ、医療道具が高いから息子がそれをとりにもどろうとして父親がまきこまれるところ、エイドリアンが決断するところ、運命という不思議なものを感じます。
ディオニソス的な生命肯定。
あのエイドリアンの悲しみはどうやってこれから癒えて行くのか。
そのあたりにもキリスト教信者だった作者の意図も感じられます。
「ジョー・ブラックをよろしく」もそうですね。
やはり西洋映画というものはこのようにして作られるものなんですね。
悲劇、運命、神、救い、愛、これらのものを書かせると、とにかく立体的で、大きくて、ちまちましていません。映画向きですネ。
そのあたりは、日本映画が一番不得意なところかな。
私は日本映画も好きなので、今回の「最後の初恋」も日本の映画にしてみたら誰がキャストで、誰が監督で、どのような場所で、どんな物語にしたら日本的だろうか、そんなことも考えて楽しんでみました。
ボールとエイドリアンが踊るシーンは、もちろん浴衣でしょうね。
花火がどーんと散っている中をふたりが手をとりあって・・・・^^
「ジョー・ブラックをよろしく」にも、花火のシーンが実に効果的に使われていました。
( 備忘録として細部も少し、ここに記載しておきます。)
「運命のおんな」と比較すると非常にダイアン・レインが皺の美のようなものを出していましたね。村上春樹の「ルノウェーの森」でも、皺のキレイなおばさまが出ていましたが、もっともっといいですね。
それに仕草がうまい。女らしい表情、喜怒哀楽の妙がある。あの旦那と喧嘩をしたあとにオールディズのレコードをかけるところが素晴らしい。(あれがCDだったら泣くな)チリチリ、レコードの針の音がするなか、陶酔するようにエイドリアンが踊り始める。・・・それを見つめるボール。
ゴミ箱に缶を投げ入れるシーンはアメリカ的。子供らしく、幼稚。昔、浜松だか新宿だかのホテルでどんちゃんさわぎをしていたアメリカ観光客を思い出す。アメリカ人は、子供になれることを大事にするのか。笑い。
まあ演出。ヒント。インスピ。
スコット・グレンがボールに「わたしの妻の瞳の色を覚えているか」というシーン。ぐっときました。この世で最後に見たのはあなたなんだというロバートの言葉。
ここにも悲劇がありました。
つまり、愛する妻が愛する亭主のためにもっときれいになりたいということで顔面の小さな腫瘍をとる手術をお願いする訳ですね。手術をもしもしなければ、この「最後の初恋」という映画の物語はすべて消滅するわけです。
何かが足りないから悲劇がおこるのではなくて、何かが過剰だから悲劇がおきるのだ、と。
そこから逃げるのではなくてアグレッシィプに参加していくこと。運命愛。
あんな浜辺の町で、ヴァイオリンなんかは弾くものなのだろうか、あまりにもあの演奏会のシーンでは美しすぎた。映画の演出なのか。
この映画の題名、好きではないですね。--「最後の初恋」
現代の「NIGHTS IN RODANTHE」
ローダンテの夜、のほうがずっとかっこいいし、素敵ですよ。
あの嵐の来る天気予報の中、そこの閉じた環境の中で、たったふたりしかいない、しかも心に傷を負ったふたりが、何かを感じない筈が在りませんね。
あの海と星ですヨ。
しかしながら、ほんとうに絵のなるふたりではございました。「HACHI 約束の犬」も、犬好きのリチャード・ギアが見れますし、「ジャンパー」はダイアン・レインが出ていたのも忘れていました。
「ブラックサイト」「ハリウッドランド」も試聴しました。
記録はのちほど。
最後の初恋/ニコラス・スパークス
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日本映画にも、花火と恋をテーマにした映画が、だいぶん、古い映画ですが、あります。
「恋と花火と観覧車」。
長塚京三。 いい味だしています。CMも、この映画のテーマと、リンクしています。
亡き妻のことを心にこだわり次の時空間へ跳べないというテーマ。
「メッセージインボトル」もそれがテーマでした。
監督が砂本量、原作が秋元康。
このテーマは、善くも悪くも、世の中の男性ならば、一度は、あこがれる設定でしょう。
逆に言えば、ほんどありえないという設定。
今は、この年齢差婚が、増えて来たらしいですが。・・・・・・・
「ジョー・ブラックをよろしく」は、死神と美女の恋。
「最後の初恋」は、 人生に疲れた中年男女の恋
「恋と花火と観覧車」は、 妻を失くした中年の男性と若き女性の恋。
どれも、美しい花火のシーンがでてきます。連想しましたので、ここに「恋と花火と観覧車」感想・・・記しました。
三島由紀夫氏が書いていますが、芭蕉の言った、不易と流行・・・・本物は素晴らしいが、刹那の、花火もまた、散りゆく桜もまた美しい。
三作ともに、実に、良きシーンに、花火が上手に生かされています。
花火の終わったあとの、静けさ。たまりません。人生そのもののようにも感じることがあります。三作ともに、実にそれが表現されていました。
映画からいっぱい愛をもらってください!!! 淀川長治
◎「恋と花火と観覧車」の備忘録。自分用。
『救命病棟24時』なども出ているらしいですが、反町と結婚してからは見ていないです。
日本映画って私は大学時代の映画研究会にいたときから、先輩が皆大好きだったので影響を受けてそれからは邦画の方が好きなのですのが、ここ最近は英語学習で、洋画ばかり見ていますので、ついつい比較しますが、非常に場面が落ち着いているというか、動きがないというか、「能」を見ているようです。それがまた日本文化なので好きです。
これがまた邦画の心理描写としては効果的なんですが、ロマンティクコメディとめいうっているわけですからね、ちょいとのんびりしすぎかも。
脇役のふたりは巧いですね。
生瀬勝久 ナマセカツヒサ (西荻洋一郎)
酒井美紀 サカイミキ (森原ひとみ)
ですが、この脇役が生きてこないと映画はピンとしまりません。
●横浜のjazzシーン。ふたりが踊るところ。
観覧車で史華が先にキスをするところ。
紅茶の伏線。
結婚相談所のリアル。
ただ、ふたりの主人公の内面の掘り下げ方は浅い。
だから感情移入が少しむずかしい。
もうちょっと、きれいなだけの二人ではなくて、どろどろとしたところもあっても良かったかも。
◎資料
クレア・フォーラニ
クレア・フォーラニClaire Forlani
本名Claire Antonia Forlani
生年月日1972年7月1日(43歳)
出生地イングランドの旗 イングランド・ ロンドン
配偶者ダグレイ・スコット (2007-)
クレア・フォーラニ(Claire Forlani、1972年7月1日 - )は、イギリス・ロンドン出身の女優。
『ジョー・ブラックをよろしく』でブラッド・ピット演じる死神が恋した女性役で有名。「クレア・フォーラーニ」が英語の発音に近い。
イタリア系の父とイギリス人の母の間に生まれる[1][2]。11歳の時に、ロンドンのThe Arts Educational Schoolに入学し、演技を学び始めた。6年間の在学中にダンスの勉強もし、それがその後の演劇で役に立つことになる。
1993年にサンフランシスコに移住し、映画『ポリスアカデミー777 モスクワ大作戦!!』に出演する。1996年の『ザ・ロック』で注目を浴び、1998年の『ジョー・ブラックをよろしく』でスター入りした。
2000年には、アメリカのStuff誌が選ぶ「最もセクシーな女性」の51位にランク入りし、翌年2001年にも同ランクの89位、そしてFHM誌が選ぶ「最もセクシーな女性」でも85位にランクされた。
2006年秋からドラマ『CSI:ニューヨーク』にも出演した。
◎リチャード・ギア
仏教信者・人道主義者
熱心なチベット仏教信者・人道主義者としても知られる。2001年には、アメリカ人の対テロ戦争について、愛と同情心を持つことの大切さを説いた[2]一方で、2006年にはウサマ・ビンラディンが未だに拘束されないことへの疑問も述べた[3]。2003年には、当時のアメリカ合衆国大統領ジョージ・ブッシュのイラク攻撃を批判[4]。アラファト大統領死後に行われた2005年のパレスチナ自治政府大統領選挙では、パレスチナ国民に投票を呼びかけた[5]。2007年には、フィラデルフィアから人道賞であるマリアン・アンダーソン・アワードを贈られた[6]。
ダライ・ラマ14世を熱心に支援し、中華人民共和国政府によるチベット民族迫害を激しく非難している。2002年にはヒマラヤ地域の人権を議論するため、ドイツ議会にも招かれた[7]。2008年の北京オリンピックに際しては、前年に中国に対してチベット民族迫害の歴史をオープンにするよう訴え[8]、聖火リレー前日のサンフランシスコでも、チベットでの人権侵害に対する抗議集会に参加した[9]。しかし、このような行動は中国側からは反発を呼び、ギアをCMに起用したフィアットが謝罪するような出来事も起こった[10]。そのためかリチャード・ギアは中国に入国禁止の対象になっている。リチャードは、中国のチベット弾圧は、ナチスのホロコーストにも等しいと指摘している[11]。
また、エイズ撲滅活動にも取り組んでいる[12][13]。ブッシュのイラク攻撃は批判したギアだったが、エイズ問題への取り組みについては賞賛を述べた[14]。
日本との関わり
日本好きとしても知られ、度々来日している。日本国首相(当時)の小泉純一郎と顔が似ていると報道され、ギア本人もそれを認めた。また、2005年に来日した際には、小泉首相(当時)を表敬訪問し、主演した映画にちなんで一緒にダンスを踊るというパフォーマンスを見せた。
黒澤明監督の 『八月の狂詩曲』 に出演した際、劇中で使用された念仏堂のオープンセットを解体して、アメリカの別荘に移築した。なお、これは特別扱いを断った彼の出演料が非常に安かったため、その埋め合わせの意味もあったという。
また『Shall We Dance?』、『HACHI 約束の犬』といった日本映画のリメイク作品に主演している。
日本のテレビコマーシャル(CM)への出演もあり、日本国内においても顔と名前の知れたアメリカ人俳優の一人であると言える。1991年には日本航空のワシントン就航のコマーシャルに歌を歌いながら出演。2005年からはダンディハウスのイメージキャラクターとしてCM出演。但し、中国国内向け放送で日本企業が採用しているCMは放送自粛している。本人がチベット問題に関わりがある為と思われる。採用している日本企業は公式にこの件はあいまいにしている。[要出典]2012年にはサントリー『オランジーナ』のテレビCMで、映画『男はつらいよ』の登場人物「車寅次郎」をモチーフにした「TORA」というキャラクターを演じている[15]。
テレビ放映時の日本語吹替は津嘉山正種が担当することが多い。
2009年7月9日、『HACHI 約束の犬』の宣伝活動での来日中に、『森田一義アワー 笑っていいとも!』のコーナー「テレフォンショッキング」に、字幕翻訳者で通訳の戸田奈津子とともに出演、番組史上初のハリウッドスターのテレフォンゲストとなった(ただし、メインゲストは戸田であり、ギアはあくまで「付き添い」の立場である)。その際100人アンケートで「飼い犬の名前がハチ」というお題で1人を当て、その1人の女性をステージに上げストラップをプレゼントするなどした。 愛犬家であり、『HACHI 約束の犬』のシナリオを読んで涙している。なお、ハチの物語はこの時初めて知った。
「スター・ウォーズ」
この作品をふりかえると・・・
主要映画(物語の時系列順)
『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』(1999年公開/3D版:2012年公開・いずれも実写)
『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(2002年公開・実写)
『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(2005年公開・実写)
『Rogue One: A Star Wars Story(仮)』(2016年公開予定[5])
『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(1977年公開/特別篇:1997年公開・いずれも実写)
『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』(1980年公開/特別篇:1997年公開・いずれも実写)
『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』(1983年公開/特別篇:1997年公開・いずれも実写) ※2004年までの旧邦副題:『ジェダイの復讐』
『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(エピソード7、2015年12月18日公開予定・実写[3])
スター・ウォーズ エピソード8(仮)(2017年公開予定[5])
スピンオフ作品(2018年公開予定[5])
スター・ウォーズ エピソード9(仮)(2019年公開予定[5])
時間のたつのは早いものだ。
『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』は、1999年公開とあるので、15年前のことになる。・・・
仮に、2019年版が、完成して、公開されたとして、ほぼ、このスター・ウォーズの前作品が、すべて完成するには、約20年あまりを費やして、つくられたことになる。
資料によると、
宇宙を舞台とする冒険物語・スペースオペラのサーガで、欧米の文学、および比較神話学者のジョゼフ・キャンベルによる神話的雛形と汎神論的考えを元にした、神話学・人類学的作風となっている、とあります。一番下にアップした、スターウォーズの登場人物たちのクリップを見ても、「日本人が今後の作品にでるかもしれない」と言っているが、どんな作品になるのだろうか。
映画の魅惑、
映画の魅惑ってなんだろうか?
歌やマンガや小説と同じく、昔はひとつのもの・ことが、はやると、世の中全体がそれらに盛り上げられ、人はくちずさんだり、喫茶店で友達と夢中でそれらについて話したりして、あこがれたものだった。
藤子不二雄の「まんが道」を読めばそのような時代のことが、よくわかる。
しかしながら、
今現代は、そうではない。
人の嗜好が、10人10色になり、ついには、1人10色にまで、変化してしまっている。
(逆に言えば、ハロウィンで、若者がこんなに盛り上がるのは、今やひとつの話題でみんながもりあがることがひどく少ないとも言える。)
だから、好きな映画などの作品が、あまりにも人によって違いすぎる。
「私は、先日、「マイ・リターン」を見た」と言っても、
「私は恋愛映画みたいなのは嫌い」と言われる。
作品の筋も今は、複雑なので、恋愛ものとは違うと言っても、なかなか理解されないし、
また、映画館に行っても、あまりにも、作品数が多くて自分好みの映画が見つけるのが、よほど普段から映画をチェックしていないと、わからない。
「100年の恋」という映画も、恋愛映画かと思って見れば、SF的な要素もたっぷり入っている。
かといって、SF映画とも違う。
映画自体がどんどん進化して、複雑化、味が多様化しているような気がする。
映画が大好きで、映画雑誌を小脇にかかえて、見ているような人にとっては、こんな良き時代はないと思うが、仕事が朝から晩まで、忙しくて、家に帰るともう即、晩ご飯に風呂に睡眠、ゴートーベッドという人も多いと思うので、そのような人達は、どの映画を見て良いか、見当もつかないだろうと思う。
しかも、友人が、すすめる映画を見て、自分の好みにあわずに、ガッカリして、また、映画を休日に、2000円も払って、見る気もしなくなる。気もちがなえてしまうのだ。
休日。
ぼんやりと、これまでの人生で、自分はどんな映画を見て来たのだろうかと考えてほしい。
人それぞれ、年齢や、住んでいる場所、好み・気質によって、それは、まったく違うだろうと思う。
私個人の映画で言えば。
生まれて初めて、映画を見たのは、父母に「八犬伝」の映画を連れて行ってもらった事だ。
生まれた愛知の映画館なのか、それとも、福島なのか、それとも、ここ岩見沢市の映画館なのかが、記憶にないけれども、薄暗いところにたくさんの人がいて、立ったまま見た記憶があるので、おそらく、やはりここ岩見沢市かもしれない。
昔だから、映画館独特の、人いきれというか、汗の匂いや、食べ物の匂いも覚えている。
足に、ビンやカンがよくあたった。とにかく、汚かった。
映画にがーんとやられたのは、中学三年の頃。
カンツォーネ音楽映画の「愛は限りなく」だった。あまりにも、感動して、
夜の10時まで、三回も見て、良心にこっぴどく、怒られた記憶がある。
それ以来、私は、ラジオで、「映画音楽」を探しまわることが自分の趣味となる。
「スクリーン」という映画雑誌を、いつも手にしては、男優女優にあこがれた。
特に、女優達には・・・・・・・
(いつしか、その「映画音楽」が、「ポップ」になり、「ロック」になり、「jazz」にも広がって行く)
夕刻の四時頃から、北海道では、不思議に「映画番組」を日々やっていた。
私が学校から帰宅し、母親が、保険の仕事で帰宅するまでの、そのわずかな差、一時間ほどを
この映画番組を視聴することに費やす喜び。
べつに、隠すこともないのだが、当時は、中学高校生くらいで、昼からテレビを見るのは、
あまり感心されなかったのだと思う。
こそこそ、見ていた。
母親が帰宅したら、あわてて、テレビのスイッチを消した。
ああ、残念・・・・・・あの続きは・・・と、悔しい思いを胸にひめ、自室へと向かう。
そこで、また、漫画を読む日々。楽しかった。
其の頃。見た映画のかずかず・・・まだまだ、他にもかぎりなくある!!!!
ブリジット・バルドーの魅惑が感激だった。
こんな映画が、今や、YouTubeで、クリップで見る事ができる。
昔であれば、一度見た映画は二度と見れないから、何回も映画館に足をはこんだものだ。
その他。
ジェーン・フォンダの、「バーバレラ」にくぎづけになった。
アンジェラ・カートライトの「宇宙家族ロビンソン」を毎週かかさず、テレビで見た。
「穴」
「私は夜を憎む」
「軽蔑」
「あれがパリの灯だ」
「オレはギャングじゃない」
・・・
その他、今から思うと、名作ぞろい。
忘れられない思い出だ。・・・・・・
そんな、映画について考えてみると。
今、本屋に行っても、またまた、新刊本が山積みで、どれを読んで良いかわからない状態。
私の時代一冊しかなかった、「スクリーン」などの映画専門誌も、いまや、無数にある。
逆に、どれを選んで良いかわからない。
どの映画を見てよいかわからない。
・・・
情報の洪水におしながされる。・・・・・それが、現代だ!!!!
そこで、登場するのが、淀川長治。
彼の映画を見るための10ヶ条をよくよく見ると、そこに深いヒントが見いだされる。
12月に、ついに、新しい「スターウォーズ」がやってくる。
その、旧作のスターウォーズは、淀川さんが、まだ生きていらっしゃる時に、
公開していたのだった。
ネットなどが、まだなく、映画の情報などが、なかなか探せない時代、彼は彼なりの情報収集力で、あれだけの、魅惑にみちた映画評論をしていたのだった。
淀川長治さんが大好きだ。
彼の映画の解説は今もはっきりと思い出せる。
「さよならをもう一度」の音楽だったかに、あわせて、彼がほんとうに楽しそうに話し始める。
(自分に結婚を申し込まない中年の彼にいらいらするバーグマン、それに比較して、どんどん強くアプローチしてくる若き男性、アンソニー・パーキンスに惹かれて行く女心を描く)
ほかにもたくさんの映画評論家の方がいたが、頭でっかちで、映画愛がない人には、ひかれなかった。・・・・・・・・・
この「映画が大好き」ということ、彼の気質、彼の生き方・・・今現代人が一番忘れていること、欠けていることだと私は思う。「好きで好きでたまらない」ということ。・・・
好きなことを見つけられないと、よく若者が、言う。
しかしながら、小林秀雄氏は「人はあるひとつのことを熱狂的にやっているとどんなことでも好きになってくる」とかつて、書いた。
突っ込みが足りないと、好きになれない。
我慢も必要。
自分にはこれしかないと、追い込むことも大切。
私の小さな頃。昔は、鉄道員と言えば、ほんとうに鉄道が好きで好きでどうしようもない人が、子供の頃から鉄道に憧れて、仕事をしているという感じがあった。
今は、仕事中にパンなど食べて、厳重注意を受けている。きっと、仕事が楽しくないのだろうな。
「きみは何やさんになるの?」
私は、「漫画家」と答えたりした。マンガが大好きだったから。
今の子供たちはどうなんだろうか????
子供たちも、たくさんの、意味不明の職業が多いので、パッと答えられないかもしれない。
ひとつのことを、限りなく時間をかけて、わくわくどきどきしながら、ずっと人生のなかで、やり続けること、そのような人に私はなりたい。
60歳だって、遅くはない。これまでなんとか好きなことばかりやってきたから、これからも
やりたい!!!!
淀川さんの映画の見方10ヶ条、ここに記す。
マンガや、文学、音楽、そして、映画を見る事で、自分の人生をいろいろな視点から、見つめ直して、よく豊かなものに、変容させていける・・・
淀川長治さんは、昨日の記事にも書きましたが、いつも、こんなことを言っていました。
「映画ばかり見ていてはダメ」
「文学や、音楽や、美術をよく勉強すると、映画の素晴らしさが何倍にもなる」
◎資料
ジョーゼフ・キャンベル(Joseph Campbell, 1904年3月26日 - 1987年10月30日)は、アメリカ合衆国の神話学者。ジョゼフ・キャンベルと表記されることもある[1]。比較神話学や比較宗教学で知られる。
彼の作品は広大で、人間の経験に基づく多面的なものである。彼の人生観は、しばしば「至上の幸福に従え」(Follow your bliss)という一文に要約される。
ジョージ・ルーカスがキャンベルの神話論を『スター・ウォーズ』に採り入れたというエピソードもよく知られている[2]。
幼少期~学生時代[編集]
ジョーゼフ・キャンベルはニューヨーク州のホワイト・プレインズで上流中産階級のローマ・カトリックの家庭に生まれた。キャンベルは幼い頃、父親に連れて行ってもらったニューヨークのアメリカ自然史博物館で展示されていたネイティブ・アメリカンの工芸品を見てからというものすっかりネイティブ・アメリカンの文化に魅了された。ネイティブ・アメリカンの社会について様々な側面から精通するようになり、とくにネイティブ・アメリカンの神話について詳しく知るようになった。この事がキャンベルの生涯を通しての神話への情熱となり、かけ離れた文化の神話の中に存在するわずかな共通点を見出していくという彼の研究へのきっかけとなった。
1921年、コネチカット州ニュー・ミルフォード市にあるカンタベリースクールを卒業し、ダートマス大学に在学中は生物学と数学を学んだが、人文学を得意としていた。コロンビア大学に転校し、1925年にイギリス文学の学士号を取得し、1927年には中世文学の修士号を取得した。ダートマスでデルタ・タウ・デルタDelta Tau Deltaに加入した。また、キャンベルは一流のアスリートでもあり、陸上の大会で数々の賞を受賞した。一時期はハーフマイル走の世界記録を持っているほどであった。
ヨーロッパ[編集]
1924年、キャンベルは家族とヨーロッパを訪れた。船に戻った時彼はジッドゥ・クリシュナムルティと遭遇し、アジアの哲学について議論した。このことがキャンベルの長い人生の中でヒンドゥーとインドの思想について興味を持つきっかけとなった。この旅行の直後、彼はカトリックの宗教活動をやめた。
1927年、キャンベルはコロンビア大学の特別研究員としてヨーロッパに留学した。パリの大学とミュンヘンの大学で、古フランス語、プロヴァンス語、サンスクリット語を勉強した。彼はたった2、3カ月の厳しい勉強の後、すぐにフランス語とドイツ語を話せるようになった。彼はこれらの言語を、彼の残りの人生で流暢に話し続けた。(すでにラテン語を流暢に話せた彼は、彼の言語の幅を広げるため、日本語を身につけるつもりであった。)
第一次世界大戦後のヨーロッパ(ロスト・ジェネレーションの時代)から大きな影響を受けた。キャンベルは特にジェイムズ・ジョイスやトーマス・マンの作品から影響を受けたと語っている。
現代美術、特にパウル・クレーやパブロ・ピカソを熱心に研究し、また、ジークムント・フロイトやユングの著書を読んだ。
世界恐慌[編集]
ヨーロッパから戻ってきた1929年にキャンベルはコロンビア大学の教授にヨーロッパへの留学は彼の興味を広げたこと、そして中世文学のためにサンスクリット語と現代美術を学びたいことを伝えた。しかし担当教官がこれを支援しなかったために彼は卒業のための単位稼ぎを辞めて二度と型にはまった卒業の計画には戻らなかった。(指導教官がキャンベルを狭いアカデミズムの中に閉じこめようとしたため、博士号を取る勉強をする代わりに森に入って本を読んだ、という[3]。)
サラ・ローレンス大学、結婚[編集]
1934年、ニューヨーク州の名門女子大学サラ・ローレンス大学の教授になった[4](彼の元コロンビアのアドバイザーのW.W.ローレンスの努力による)。同大学では1972年に定年となるまで、38年間教えた。
1938年、キャンベルは彼の元学生のダンサー兼振り付け師のジーン・アードマンと結婚した。彼らはニューヨーク市のグリニッジ・ヴィレッジの部屋のアパートで彼らの49年間の結婚生活のほとんどを共にした。 1980年代、彼らはまた、ホノルルのアパートを購入し、2つの都市の間で自分達の時間を過ごした。2人の間には子供はいなかった。
著作などの活動[編集]
1944年、『「フィネガンズ・ウェイク」を開く親かぎ』(共著)を刊行[5]。
1949年、『千の顔を持つ英雄』で神話の基本構造を論じた。
1956年、インドと日本の旅行から帰ってくると、キャンベルは「海外で働いて勉強している一般の大衆や専門家のアメリカ人は、世界の神話と文化を注視する情報をもたされていない」と感じた。彼はこの問題の状況を変えるあらゆる地位の仕事を始めた。
彼は最高傑作『神の仮面(the Masks of God)』を書き始めた。この作品は、何千年もの地球上の世界の文化の神話を調べたものだ。同時に、国務省の外務職員局で神話と宗教を比較する講義の講座を担当し始めた。ついに、世界の神話について大学や、教会、講義室で、そして、ラジオやテレビを通じて公に話し始めた。彼は生涯を通じてそれを続けた。
神話の力、死[編集]
ジョーゼフ・キャンベルは、1985-1986年にかけて、ビル・モイヤーズとの対談によるテレビ番組の収録を行った[6]。食道がんの併発から1987年10月30日に、ハワイのホノルルの自宅で亡くなった。インタビュー番組『神話の力』は没後に放送され、後に書籍化された。
不思議と、子ども達は、恐竜が好きです。
恐いもの見たさなのか、恐竜の写真なんかを見ていると、ずいぶんに、楽しそう。
きっと、私たちの祖先の恐竜に対する恐怖や、警戒や、またまた逃げ切れた時の歓喜みたいなものも含めて、それらが私たちの遺伝子に組み込まれているからでしょうか。
(国立博物館の大恐竜博、私も恐竜が大好きなものですので、昔、行きました。ネットから画像おかりしました。ありがとうございます。)
ところで。その恐竜映画。
もうすぐ、「アーロと少年」がやってきます。
これまで『トイ・ストーリー』や『モンスターズ・インク』、『ファインディング・ニモ』を手掛けてきたディズニー/ピクサー。どれも、素晴しい映画でしたが。
次回作では“もしも、隕石が地球に衝突せず、恐竜が絶滅をまぬがれていたら?”というアイデアから生まれた、かつてない壮大なスケールで描かれる驚きの世界を描いていくらしいです。
絶滅をまぬがれ、文明と言葉をもつ恐竜たちが、言葉をもたない人間たちと共存する地球。そこで、体は大きいが臆病で甘えん坊の恐竜アーロと言葉を持たない一人ぼっちの少年スポットが出会う。
壮大な自然を舞台に、見た目も性格も正反対な2人の出会いから始まるアドベンチャーが、世界中をいまだかつてない感動と興奮で包み込むと、宣伝にありました。
◎新しいクリップ
更新しました。・・・こちらのほうが、良いと思いました。
実は、こんな発見が最近ありました。。。。。。。。。
数ヶ月前に、テレビで、たまたま、見たのですが、40億年進化の旅。NHKでしたが、
「考える恐竜」というテーマでした。ダスプレトザウルスのような形の「トロオドン」と言うそうですが。 鳥みたいな恐竜です。
彼らも、かなり大きな脳を持っていたらしいです。
考える・・・・・えっ、恐竜が考える?? と、何の事かと最初は思いましたが、アメリカオハイオ州の、デール・ラッセル博士によりますと、恐竜の大きさやら、脳の重さやら、さまざまなる
恐竜の研究により、6550年前に、鳥形の恐竜の、子孫なのか、私はよく知りませんが、ジュラ紀の生物、ほ乳類がでてきて、・・・ハドロコディウム・・彼らは、はっきりと、
◎敵の姿を人の目のように見ていた
◎ヒゲで、敵が大地を踏みつける大地の震えなどを認識、感覚的につかみ
◎耳で、敵の足音をはっきり聞き分けていた
らしいです。
ざっと、キタナイ字で、紙にメモしたものですから、間違いがあるかもしれませんが。
恐竜は、昼活動しますので、彼らがいなくなる夜に、 こそこそと、活動していたのでしょう。
彼らの脳は、資料には、このようにあります。
約2億年前、祖先が獲得した「新しい脳」によって覚醒されたものである。人間の脳は計算や読書、会話などそれぞれ脳の役割の場所が異なり、それは「大脳新皮質」と呼ばれている。これを発見したのはアメリカ・シカゴにあるシカゴ大学の羅哲西教授で、最も古い哺乳類の化石の1つから「大脳新皮質」が確認されたと明かされた。羅氏は、恐竜について2億年前に生息した初期の哺乳類「ハドロコディウム」と語った。わずか1cmの頭蓋骨から復元された姿は体長3cm、指にのるほど小さな哺乳類だったと紹介。CTスキャナーで分析した結果、頭蓋骨の内部に「大脳新皮質」が確認、これが新しい脳の始まりである。羅氏は、確認した時について大躍進だったと語っていた。
「大脳新皮質」は何をもたらしたのか?
というわけで。
この、「アーロと少年」は、あながち、ただの空想ではなくて、ちょっとした進化の掛け違いや、小惑星の衝突の位置やタイミングがずれていれば、・・・・・・・
このような世界になっていたのかもしれません。・・・
この「小惑星」の地球への衝突。
これをテーマにした映画は、これまで、アルマゲドンや、ディープ・インパクトをはじめとして、たくさんありますが、
私が一番好きなのは、「メランコリア」です。
圧倒的な映像。圧倒的な音楽。圧倒的な演技。
個人的なフェボリットのひとつ。
アルマゲドンや、ディープ・インパクトなどのような、娯楽の要素はかなり少なく。
最初から最後まで、監督の美意識が、深刻な緊張感のまま続行していきます。
救いがないといえば、救いのない映画ですが、
もっと今のこの人生をしっかりと大切にせねば、と感じさせてくれる、傑作だと思います。
監督は、「ダンサーインザダーク」のラース・フォン・トリアー。
デンマーク映画ここにあり、と、世界に発信したひとりです。
このビョークの映画は、独特の映像と、カメラワークで実に印象に強く残っています。
恐竜をも滅ぼしたとされる、小惑星の地球への衝突。
過去幾度となく、ぶつかったらしいですが、
先月でしたか、小さな惑星が、地球とすれちがって話題になりました。
・・・・・・・・・
映画はまとめて、見る時間がなかなか、とれませんので、細切れ視聴しております。
だいたい、一日に、長くても30分。短い時は、10分くらいで、きりあげます。
もちろん、クライマックスにはいると、一気に見てしまいますが、それまでは、
のんびりと、原作を書架からとりだして、少し眺めてみたり、資料を見たり、
見た時のさまざまなる空気を思い出すようにしております。
新作は別として、昔の作品を再視聴することが圧倒的に多いです。
個人的には、今の新作は、10作中、感動するのは、1作。
かつての名作は、(時間が摩擦をかけていますので、当たり前ではありますが)、10作中、10作が、そのまま感動の渦に巻き込んでくれます。これは時間がない私にとっては、ありがたいと思います。
本や音楽も同じですね。
新作は、どうもあたりはずれが、多すぎて、時間がもったいないと考えてしまいます。
個人的に好きな作家は、駄作であろうと、なんであろうと、自分の金で買って、大切に読むということはいつも同じですが。
さて「メランコリア」
商売だけのシネマではなく、台詞などや、俳優の振り付けや、演技などなど、監督の独特の、
采配が興味深いです。
特に、音楽の使い方。
ワーグナー。
私もブック・オフで、安くレコードを手に入れましたが、トリスタンとイゾルテでしたか、
聞く人の耳にこびりついて離れませんね。
三島由紀夫氏やら、宮崎駿氏もまたファンでしたが。猛烈にたまに聞きたくなります。
この映画のなかで、川の中を静かに、遺体のようにして流れていく花嫁。
まるで西洋の名画のようでした。
私は、漫画から普通、愛と希望をもらっているし、小説や俳句や詩からは日本語の言葉の味を楽しみ、西洋のそれとの比較をさらに楽しみ、音楽からは魂の充電をさせていただいています。
「メランコリア」
総合芸術とよく言われますが、漫画や小説やオリジナルシナリオから、たちあがって、音楽やら言葉やら舞踊やらカメラワークやら、たくさんの人達が集まっては、ひとつの美をつくりあげります。
映画から血を吸ってほしい、芸術の血、心の血を吸ってほしい。淀川長治さんの言葉が耳元によみがえります。
「メランコリア」
この題名が、また実に美しい。
題名に惹かれて、見てしまいましたが。
内容は、地球最後の日々。
というわけで、ストーリーがどうたらというよりも、監督やその仲間たちが、この究極の日々をどうカメラに収めるのかということが興味あり。
まったくの脳と心をリセットして、まっさらで、見ました。
ネットで情報を見たのは、見たあと。
賛美と失望の半々。
なんといっても、ワーグナーのトリスタンとイゾルデでしたか。
デンマーク映画なのに。
三島由紀夫氏やら、澁澤龍彦氏が生きていたら喜びそうなカット満載。
そして三島由紀夫氏の好きなワグナー。この曲は「憂国」で使用されていたような記憶ありましたが、はっきり覚えておりません。おそらく、そうだったでしょうか。
しかし、それにしても、存在感のある女優。
きれいなだけの最近の女達とはひと味もふた味も違う。
お姉さん役もまた良かったが。
この映画が、ふたりの女性の名前で、ふたつに分けられているのも私の好みです。
ジャスティン
クレア
そして、男の子のあどけなさが、心に残る。
映画「渚にて」のように、家族が死についていろいろ考えるシーン。
ここは、どのような死に方が良いかどうかという問題はさておき、ジャスティンのような鬱病の患者が、魔法のシェルターを子供のためにつくるというのもなかなか。
映画のアイディアは、鬱病に苦しんでいた頃のラース・フォン・トリアーが出席したセラピー・セッションから来ている。セラピストは、鬱病の人々は先に悪いことが起こると予想し、強いプレッシャーの下でもっと冷静に他のものよりも行動する傾向があることをトリアーに伝えていた。
と、資料にはあるけれども、ラース・フォン・トリアー監督。
さすがに、あのビョークを撮った監督。
あの映画もまた心に不思議に残像がいつまでも残る映画でしたが。
冷たく、不安で、まさにメランコリアな画像をとりあげた。
こんな映画があってもいいでしょう。
人に勇気も希望もあたえない代わりに、美的感銘を少しだけ差し出すという映画。
心の病にかかる人に、少し特権を与えるような不思議な映像。
この救いのまったくない映画を見て、元気が出たというレヴューを見て、人間てなんと多様性があり、複雑でまた、おもしろい生物だなあと再認識。
私の好み。
あの、「惑星ソラリス」をこの監督はきっと好きに違いない。
重厚なクラシックにのせての、ブリューゲルの絵。これまったく同じ絵。
あとは、ラファエロ前派も好きに違いない。
水の中をながれていく花嫁。これは「オフェーリア」からイメージをきっと、とったのだろうと思う。
同じイメージ。
「盲目の少女」の絵もふとこの映画に重なる。
黒い馬が実に、「メランコリア」という映画には合う。
さて、「アーロと少年」
ピクサーは、ディズニーの完全子会社。
ディズニーといえば、私の小さな頃を、反射神経的に、思い出してしまいます。
最近、小学生が、大麻を吸っていたという事件がありましたが。
わたしなどは、その頃は、幻の雑誌「C0M」を発見した頃で、手塚治虫の「火の鳥」やら、石森章太郎の「jun」や、長島慎二の「青春残酷物語」などに、夢中になっていた頃でしたので、大麻などと聞くと、驚愕しました。ジュン 4: 石ノ森章太郎のFANTASY JUN/ポット出版
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この麻薬の子ども。 なんという、老成。
もはや、子どもとは言えません。
渋沢竜彦氏に、「黄金時代」という書物がありますが、子ども時代というのは、できれば、自然の中で、自由に遊び、家族に愛された「黄金時代」であってもらいたいです。澁澤龍彦全集〈10〉 澁澤龍彦集成 7,妖人奇人館,暗黒のメルヘン,黄金時代,補遺/河出書房新社
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というわけで、小さな頃のことを、考えていましたが、私は、小学校の低学年の頃は、大きくなったら、「漫画家」か「科学者」になりたいと考えていました。
「科学者」と言っても、「鉄腕アトム」のお茶の水博士が大好きだっただけですから、要は、「漫画」に夢中の頃。
その頃。私は、おんぼろ官舎に住んでいて、当時は、まだテレビを持っている家庭がほとんどいない時でした。
「プロレス」や、「ナショナル・キッド」なんかが、始まる時間になると、テレビを持っているところに、その他のみんなが、官舎ですから、集まってきます。
テレビのある家庭の奥様が、数十人も集まって、もう部屋がいっぱいになったころに、お茶を出したり、かりんとうを子ども達に包んだりしたあと、おもむろに、テレビの上にかけられた布をしずかに、あげて、テレビのスイッチを入れると、二三分すると、真空管のテレビでしたから、しだいに、画面がでてきました。
拍手をしたり、笑ったり、大騒ぎで、テレビは見たものです。
プロレスなんかの時は、親が真剣にみていましたが、子ども他は、子ども達で、違う部屋で漫画を見せてもらったり、いろいろと遊びをしていました。
そんな頃でしたから。
やっと、我が家にも、テレビが入って、自分たちだけで、テレビを見る事ができるようになって。
たしか、平日の八時頃から、週にひとつだけ、親から許可してもらったテレビ番組のことを今でも、はっきりと覚えています。
もう、妹と、夢中で見ていました!!!!!
「デイズニーの映画」の時間でした。
今でも、感激のあまり、夜もねれないくらい興奮した映画があります。
「ファンタジア」です。
おそらくこの番組を、宮崎駿氏は、20歳頃に見たのだと思う。
手塚治虫さんは宮崎さんよりも、ひとまわり上なので、おそらく30歳の頃に、見たはず。
クラシック音楽なるものを生まれて初めてきいたのもこの映画がはじめて。
北海道の片田舎、岩見沢市。
クラシックの演奏する場所など札幌に行ってもなかった筈。
jazz喫茶や、クラシック喫茶ができてくるのは、この時から10年後だし。
レコード屋に行っても、たいしたものはなかった時代。しかも、おそろしくレコードは
当時高かった。
私の小遣いは、小学生の頃は、たしか、50円から100円くらいだったと思う。
少年サンデーやマガジンやキングを二冊買えば、もうそれで一ヶ月はおしまい。
だから、レコードの1000円というのは、とてもとても子供に買える値段ではない。
それに、宿舎にすんでいる貧乏なる数十人の仲間のなかに、レコードプレイヤーを持っている人など誰もいなかった。
テレビですら、まだ宿舎の中で持っているのは、半分くらいだったと記憶している。
私が、好きなレコードをコレクションしはじめたのは、就職して、自分の給料で少しずつ買えるようになっていった、23歳頃からだった。
そんなわけで、この映画には、自分なりの思い出がぎっしりつまっている。
大学生になって、バイトの金にて、ひとりで、横浜の大きなスクリーンでゆっくり見たことも また忘れられない思い出。
「ファンタジア」、ディズニーの最大の傑作だと思う。
この頃に、見た感動が、今の映画好き、漫画好きな私をつくりあげたんだなあ、と思います。
それに、当時、外国人なんかが、外を歩いているのを見た事がありませんし。
ウォルト・ディズニーが、最初でてきて、物語やその他いろいろなことを話しているのを見ていて、不思議で、ものすごく、ひきこまれたことを覚えています。
基本、クラシックが使われていて、今見ても、大人でも楽しめるアニメなのですが、
私は、特に、「神話」のシーンと、デュカの「魔法使いの弟子」のシーンが、強烈に、印象に残っています。
妖精。
禿げ山の一夜。恐ろしい巨大なる神々、悪魔、天使。
ギリシアの神々。雷を手でつかんでなげるなんて!!!
擬人化された自然の草木樹々キノコたち。
・・・・・・・
今のように、DVDもありませんし、岩見沢市には、恐らくこのファンタジアは来ませんでしたので、私の心に残ったこの名作のシーンの断片などは、いつも頭のすみにあって、いつか、また見たいなと、思っていたものです。
そして。
大学のある、横浜の猿渡という場所にアパートに住み始めた頃。18歳の頃。
ついに、横浜にこの「ファンタジア」が来る事になり、私は、菅田町の猿渡から、バスに乗る金も節約して、歩きで、横浜まで行きました。
たしか、はっきり覚えていませんが、片道2時間くらいはかかっていたと思います。
往復4時間もかけて、この「ファンタジア」をひとり、暗がりのなかで、見た、興奮と、幸福。
今でも、忘れられない、強烈な、青春の思い出。
この「魔法使いの弟子」のシーンが、再度、見る事ができたなんて!!!!
(氾濫をおこした、ほうき達が、ズンズンと、歩き始めるシーン、なんと恐ろしい)
ところで、ディズニーと、手塚治虫は、一度あったことがあったらしいですが、多忙なディズニーが、ちょっと、彼に会いに来た手塚に、挨拶をしただけで、行ってしまったらしいです。(手塚治虫は大のディズニーファン。彼の夢は、母親がノートの端に、ぱらぱら漫画を書いてくれていたことが影響だと思うのですが、漫画だけではなく、アニメシーョンでしたから・・)
「鉄腕アトム」の作者と、おそらく、知らなかったんではないでしょうかね。
それに、宮崎駿。
ディズニー亡き後の、ディズニープロ。
日本でも、大ヒットした、『アナと雪の女王』
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ。トップのジョン・ラセターは、ピクサー時代からヒット作を連発する "生きる伝説" のような人物です。
ジョン・ラセターは、ピクサー、ディズニー、ディズニートゥーンの3つのアニメーションスタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサー。
ディズニーアニメーションのトップは、大の日本好き。
特にスタジオジブリは、『トイ・ストーリー』シリーズや『ファインディング・ニモ』を生みだしたピクサーと、会社ぐるみの付き合いをしているほど。
(宮崎駿氏のスタジオジブリで、働いていた女性と、知り合いだったので、よく聞いたのは、座業のせいで、いつも腰が痛いと言っていました。漫画家、そして、アニメのスタッフたちの、仕事環境は劣悪です。なんとかならないでしょうか。 国も、アニメなどを日本の文化として、世界に発信していこうと、本気で思うのならば、まずは、職場環境を変えて行かないと・・・・漫画家やアニメの関係している人は皆短命です。まずは、漫画・comicが、フランスのように、artなんだという世間の意識が、必須です。)
その、ラセターの人生を変えた映画は宮崎駿監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』
『ルパン三世』(ルパンさんせい)は、漫画家モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』のTV第4シリーズ。日本では2015年10月2日から放送中していますね。
この「ルパン三世」の不二子ちゃん。
私の敬愛するマンディアルグの「オートバイ」のマリアンヌを参考にしています。
けっこう、昔の映画ですし、
もう、レンタル屋にもありません。
「あの胸にもういちど」
マンディアルグが原作ですから、かなり芸術至上主義的な作品ですから、映画も、独特の香りと、
雰囲気があって、私にはたまらない魅力を感じさせた映画のひとつです。
(マンデイアルグの傑作の「満潮」もまた、仏蘭西映画になっていて、私はいつも探していましたが、やっと最近見つけました。)
そして、この峰不二子のイメージの原型ともいえる、マリアンヌ・フェスフル。
なつかしき女優。
私も、この小説の現代「オートバイ」も、今でも愛読していますし、映画の「あの胸にもういちど」も何回も見ました。
フランス映画は、少し不条理だから、嫌いという人も多いですが、フランス映画はそこがいいのです。
合理的で、わかりやすいハリウッド映画だけではなく、是非、フランス映画の魅惑も、あじわってもらいたいものです。
マンディアルグ 「オートバイ」
「あたしの恋人の中には虎と神がいっしょに住まっている」 レベッカ
よく友人と会話する時に、最近の映画について、「同じ2000円だすのなら、何回も、いつでも、繰り返し楽しめる本の勝ちだな」と、映画よりも本の方がいいと言う意見が多い。
私もそう思う。
しかしながら。
映画の楽しみというのは、私は、物語や描写は当然として、出演者の「存在感」だと思っています。
だから、人間に味がまだ個性というものがあった60.70年代の女優・男優の出ているシネマについては、まだまだ語るところがあう・・・・
マリアンヌ・フェイスフル。
もと、ミック・ジャガーの恋人。
フランス映画が、大好きだった当時の私は、シルヴィ・バルタンや、ヴィリジット・バルドーや、ジェーン・フォンダなどにも、10代だった私は当然ひかれていくが、このマリアンヌ・フェイスフルの「あの胸にもう一度」は強烈に私にインスピレーションをもたらしてくれました。
こつこつ、澁澤龍彦や三島由紀夫や吉行淳之介を辞書を片手に、調べていく読書にあけくれていた私は、この奔放で気ままで、猫のようになげやりな本能のままに生きる彼女を見て、驚愕し、女性にはかなわないと思った。
映画は、二時間の夢だ、と思う。
映画館から出れば、日差しが強くて目が痛くなるように、退屈で何も起こらない現実がその当時は待っていたが、その二時間だけは、快楽に身をゆだねることができる。
スターはスターであってもらいたい。
このことはしかしすごいむずかしいことだとは思う。
日本ではあれば、吉永小百合や山口百恵を思いだすが、「なりきる」ことに昔の俳優は自分をかけた。
そこが彼らが色あせない理由だろう。
ちなみに、ルパン三世の峰不二子の、オートバイにまたがる「いい女」のイメージはマリアンヌを参考にしたらしいですね。
そしてまた、この映画とはまったく別の世界と私は考えています。
原作本のマンディアルグの「オートパイ」は敬愛するあまり三冊も同じ本を持っていいます。白水社版が二冊と、Uブックスが一冊。
緻密でこだわりのある文体のそれはまるでワタリガニのスパゲッティのように独特の香りが病み付きになる魅力を持っている本です。
「けっこう、珈琲もミルクもいらないわ。食べ物もいいわ。桜桃酒をちょうだい」 レベッカ
<マリアンヌの I'd Like To Dial Your Number 彼女は歌が上手いとは思わないが、ジリオラ・チンクェッティのような震える節回しが特徴で ファニーな彼女の魅力がよくでています>
ところで、恐竜。・・・・・・
美女は、いつでも、恐竜とか、キングコングとか、ぴったり似合います。
「恐竜100万年」の美女。ラクウェル・ウェルチ
「キングコング」の美女。ナオミ・ワッツ
モスラの、ピーナッツ姉妹。
あと。
ディズニー。「美女と野獣」
フランスドイツ映画「美女と野獣」というのも、ありました。
最後に、資料として、日本では子ども達に、大人気の「ジュラシック・パーク」シリーズの四作をアップしていますが、
個人的には、恐竜と美女の描き方。
そして、恐竜と恐竜の戦い。
不思議な昆虫のイメージなどなど、スピルバーグに対抗意識を持っているせいか、
個人的には、圧倒的に、こちらの映画が好きです。
「キングコング」
ナオミワッツは、父親のピーター・ワッツはピンク・フロイドのサウンド・エンジニアです。
私が一番すきな戦いのシーン。美女と野獣
「ジュラシック・パーク」などの四作と比較しても、負けず劣らず、いや、
もっと緊迫感覚のある、すさまじい映像になつています。
ご覧になった方も多いと思いますが、ジュラシックパークなどと比較しても興味深いと思われます。
監督の、ビーター・ジャクソンも、「ロードオブザリング」の監督ですから、さすがだと思います。第九地区というSF映画も好きでした。不思議と残っています。監督も知らずに見ていましたが。
良い監督を選んで良い映画をみてください。と、淀川さんの言葉をいつも思い出すのですが、レンタル屋に行くと、もう、わくわくして、そのことを忘れてしまいます。
いつも、女優さんの写真で選んでしまいます。
ナオミ・ワッツの美しさ、この「キングコング」でも光っていました。
バードマンでも、でていたらしいですね。まだ見ていませんが。
Birdman'
「the impassible」でも、また。
それでは、最後に、この美しき美女、ナオミ・ワッツとキング・コングのシネマの
懐かしきシーンを再試聴して、・・・・・・・・・・・・・
私は、キング・コングの洞穴で、ひとり、ナオミ・ワッツが、静かに風景を見ているシーン。実際にはそんなことはないのでしょうが、実に美しいシーンだな、と今でもはっきり覚えています。
2017年には、「キングコング」のあらたな新作が予定されています。楽しみです。
『コング:スカル・アイランド(原題)』(2017)[編集]
アメリカ映画。シリーズのスピンオフにあたる作品。ドクロ島を舞台に、コングの起源を描く予定。制作はレジェンダリー・ピクチャーズ。なお、配給は当初ユニバーサルが行う予定だったが、ワーナーブラザーズに変更された[2]。また、同社の作成した『GODZILLA ゴジラ』と世界観を統合し、将来的にはゴジラとキングコングの対決も視野に入れているという。監督はジョー・コーニッシュを候補としていたが[3]、ジョーダン・ヴォクト=ロバーツが起用された[4]。脚本はマックス・ボレスタインが担当。主演は、トム・ヒドルストンを予定している。
「 いい映画を何回も見る事が大切です。」 淀川長治。
FIN
◎資料クリップ
重量感のある恐竜たち
ジュラシック・パーク3
新作 ジュラシック・ワールド
◎資料
◎パークで飼われている恐竜は原作、映画ともに15種だが、映画では実際に登場する恐竜の種類は7種、名前だけ登場するのが3種、残りの5種は不明。続編ではさらに多くの種類の恐竜を生み出したことが明らかになっている。また原作ではパークの一部に恐竜以外にも古代の昆虫なども登場している。ヴェロキラプトル(ラプトル) Velociraptor
原作文中の記述によればヴェロキラプトル属のモンゴリエンシスである模様。ただし、映画版での造形は顔がよりズングリとしており、デイノニクスに近いものになっている。これは当時ヴェロキラプトルとデイノニクスは同一種とする説があったためであるが現在はこの説は否定されている。作中での主な呼称は「ラプトル」。この呼称はT-REXと共に以後メジャーになった。狩猟本能に長け空腹でなくともほかの動物を殺し、霊長類をも凌ぐ高い知能を持つ動物であると設定されている。主に後肢の大きく鋭い鉤爪を使って獲物を襲う。劇中では3頭登場し、1頭は冷蔵庫に閉じ込められ、残りの2頭はティラノサウルスとの戦闘の末に死亡した。小説版ではリーダー格の1頭はロバート・マルドゥーンにより「ビッグ・ワン(The Big One)」と言う愛称を付けられていた。パークでのこの恐竜を表す標識のデザインは、鉤爪の骨格。作中の独特の鳴き声は高音はイルカ、低音はセイウチの鳴き声を混ぜ合わせたものである。ちなみに、現在まで発掘された実際のヴェロキラプトルは、長い尾を除けば中型犬程度のサイズであり、本作における「ラプター」はユタラプトル等の大型種と同等のサイズとなっている。この点については、映画のムック本[8]にて、スピルバーグ自ら確信犯的に大きなサイズにしたとの言及がある。尚、デイノニクスやヴェロキラプトルは近年において羽毛恐竜であったと考えられているため、現在主流となっている想像図と本作のデザインとでは異なる印象を与える。『III』で外見が大きく変わっているのはそのためである。また、『III』では個体同士で会話が可能だという設定があるが、本作の時点でそれに近い描写がある(ビジターセンターで仲間を呼ぶときの鳴き声など)。
ブラキオサウルス Brachiosaurus
作中では後ろ足で立ち上がり、また、顎を左右にスライドさせて咀嚼する描写があるが、双方共に実際は骨格の構造上不可能だと考えられている。標識は二頭の首の骨格。本作のブラキオサウルスの正面顔は、「可愛く巨大なペット」というコンセプトに基き、微笑んでいるように造形されている。疲弊したアラン達に安心をもたらす存在として登場し、『III』に再登場する際も一行に希望を与えるような存在となる。
パラサウロロフス Parasaurolophus
湖沼の岸部でブラキオサウルスと共に群れている遠景のみの登場だが、続編以降は存在感をアピールする。
トリケラトプス Triceratops
呼称は「トライク」(Trike)。標識は正面を向いた頭骨。病気で倒れている一頭だけが登場。作中の設定では群れを成して行動する恐竜とされていたが、そういった場面は『III』でわずかに確認できるものの以後のシリーズ作品でも明確に描かれることは一度もなく、群れで行動するシーンはステゴサウルスが主に引き受けている。撮影ではトップバッターだった。
プロケラトサウルス Proceratosaurus
映像では未登場。マイナーな肉食恐竜。原作にも登場しない。胚保存室で名前だけ登場。
ステゴサウルス Stegosaurus
映像には現れない。また、劇中の表示では「Stegasaurus」と誤記されている。胚保存室で名前だけ登場。
メトリアカントサウルス Metriacanthosaurus
映像では未登場 。プロケラトサウルスと同じくマイナーな肉食恐竜。小説にも登場せず。胚保存室で名前だけ登場。
ティラノサウルス・レックス Tyrannosaurus rex
この映画を象徴する動物的な鳴き声は 「ゾウの赤ん坊の鼻息」、「ワニの唸り声」、「虎の咆哮」といった強大な動物を混ぜ合わせたもの[9]。スピルバーグの音に関するこだわりは強く、『ジョーズ』においても同様の演出が見られる。標識のデザインは本作のロゴにもなっている有名な上半身の骨格。T-REXという呼び名は、学問上用いられる二名法に基づく略称である。小説版ではロバート・マルドゥーンが「レクシィ(Rexy)」と言うニックネームを付けて呼んでいた。また小説版ではレクシィ(Rexy)の子供として2歳ぐらいのオスのティラノサウルスが登場している。この映画の影響でティラノサウルスのみ属名、種小名がメジャーなものになったが、勿論他の恐竜・動物に対しても用いる。パラサウロロフス・ワルケリ(Parasaurolophus walkeri)、未同定のプロケラトサウルス(Proceratosaurus sp.)など。作中では静止している獲物を視認できないとされている。この設定は、続編小説では読者の指摘もあってか変更されたが、映画版では『III』までしっかり継承されることとなる。また時速50キロ以上で疾走し、ジープに追いつきそうになる場面があるが、続編映画では走る速度が抑えられ、人間になかなか追いつけなくなっている。動きが素早いという設定は、視覚の設定とは逆に小説版においてのみ継承された。
ディロフォサウルス Dilophosaurus
映画ではサイズが実物より小さい(幼体の可能性もある)。呼称は唾吐きを意味する「スピッター」。原作の小説および映画の設定では、吐く毒は蛇毒血清で早急に処置しなければ失明の可能性がある強力なもの(映画ではより強力で致死性)。登場する恐竜の中では最もデザイン、習性などが脚色されている。鳴き声は白鳥。威嚇時はガラガラヘビとタカとホエザルを混ぜ合わせたもの。標識は作中にも登場しており、頭骨。4作目のジュラシック・ワールドにおいても、立体映像としてだが同じデザインで登場した。
ガリミムス Gallimimus
鳴き声はウマが基となっている。この恐竜のみ標識が骨格でなく、しかも全身のシルエットである。
プテラノドン Pteranodon
映画には登場せす、小説版で示された。また、映画でビジターセンターにあるレストランで昼食シーンで、壁にプテラノドンの鳥小屋のアートワークが示され、2作目に登場した古い廃墟の「ジュラシック・パーク」の壁絵でもプテラノドンが描かれており、イスラ・ヌブラル島にプテラノドンがいた事が示されている。
メガネウラ Meganeura
小説版にて登場した原始的な巨大トンボ。竜脚類のパドックの森で、ティムとレックスとグラントが遭遇した。レックスがこの生き物は何なのか、グラントに尋ねるとグラントは「トンボで、ジュラ紀は巨大な昆虫の時間だ」と答えていた。ただしメガネウラはジュラ紀以前に絶滅したとされている。
人間に危害が無いので、パークでの先史時代の感触の雰囲気を出すためにこの生物も造られ、パーク内に追加された。
生物再生の現実性[編集]
現実的には、琥珀に閉じこめられて地質年代を経た血球の核のDNAは損傷が激しいと考えられる。生物遺体のDNA情報は521年に半分の割合で失われるという研究があり、これに基づけば、数千万年前の恐竜時代のDNA情報はほぼゼロとなる[6]。琥珀中ではなく、剥製や永久凍土中に保存されている絶滅生物のDNAから情報を復元し、絶滅生物のクローニングを目指す研究は実際に行われマンモスなどはこの対象として良く取り上げられる[7]。
◎資料
『キング・コング』(2005)[編集]
詳細は「キング・コング (2005年の映画)」を参照
アメリカ映画。1933年の第1作に感銘を受け映画監督を志したというピーター・ジャクソン監督作品。主演はナオミ・ワッツ。これもやはり第1作のリメイクで、当時と同じ1930年代が舞台。コングがスカルアイランドで巨虫や肉食恐竜と激闘を繰り広げた後、見世物として連れて来られたニューヨークで大暴れするというストーリーも共通している。原作と本作によれば、「18.8mのキングコング VS. 16.8mのティラノサウルス」とある。
『コング:スカル・アイランド(原題)』(2017)[編集]
アメリカ映画。シリーズのスピンオフにあたる作品。ドクロ島を舞台に、コングの起源を描く予定。制作はレジェンダリー・ピクチャーズ。なお、配給は当初ユニバーサルが行う予定だったが、ワーナーブラザーズに変更された[2]。また、同社の作成した『GODZILLA ゴジラ』と世界観を統合し、将来的にはゴジラとキングコングの対決も視野に入れているという。監督はジョー・コーニッシュを候補としていたが[3]、ジョーダン・ヴォクト=ロバーツが起用された[4]。脚本はマックス・ボレスタインが担当。主演は、トム・ヒドルストンを予定している。
◎トロオドン・フォルモスス
トロオドン・フォルモススは、小さいコエルロサウルス類の恐竜で、現代の鳥と同じ進化系統に分類される。巣にいる親と卵の化石が発見されており、その繁殖方法がワニ類や鳥類の繁殖方法に似ていることで注目を集めた。
科学者は、トロオドンが地上の巣に一定周期ごとに2個の卵を産み、体温で温めて孵化させたと考える。この行動は、トロオドン以前に存在していた近縁種(ワニ類)とその後に現れた近縁種(鳥)とを結ぶ、進化における重要な役割を担っていた可能性を示す。
トロオドンは、小さい体のわりには脳が大きく、恐竜の中で最も賢い種の1つであったと思われる。その脳が体に占める比率は現存する爬虫類より大きく、比率が近い現代の鳥と同じくらいの知能を持っていたものと考えられる。
トロオドンは、2本の長い後ろ足で歩き、小さなトカゲや哺乳類、無脊椎動物などを食べていた。狩りをするときには、暗闇でも視力を発揮する大きな両目と3本の指のある前足が役に立っていたと考えられている。
'I'm hungry': First words of Japanese boy, 7, found in a disused military base six days after he was left in bear-infested woods - as his father tells him 'I'm so sorry for causing you such pain'
Japanese boy Yamato Tanooka lost in Hokkaido forest for six days found alive
Yamato Tanooka (inset) was rushed to hospital (main) suffering from exhaustion and dehydration but otherwise apparently unharmed on Friday morning after he was found deep in woods on the northern island of Hokkaido. He was discovered inside an old military training facility (bottom right) around three miles from where he disappeared after a massive search involving hundreds of police, military and volunteers. He did not shed a tear when he was found and told his rescuer he was hungry before wolfing down rice balls and bread. He said he survived by sleeping between two mattresses (bottom left) inside the abandoned dormitory which was an unheated wooden building (top left). His parents left him behind in a wooded area as punishment for misbehaving last Saturday, but when they returned minutes later, he had disappeared. Appearing outside the hospital where he was reunited with his son, his father Takayuki Tanooka (top right) said he thought he was punishing him for his own good, but realised 'we went too far'. Police said they are considering filing neglect charges against them.
「しつけ」に対する興味の深さ。
たしかに、アメリカ新聞には少ない報道。イギリスが圧倒的に多い。
その他にも・・・・・・・
The extraordinary survival of the boy left in a Japanese forest
Yamato’s discovery in an army hut deep inside thick woodland came about thanks to several pieces of good fortune
Yamato Tanooka
Yamato Tanooka suffered only scratches to his arms and legs during his time in the forest. Photograph: Jiji PR/AFP/Getty Images
Justin McCurry in Tokyo
Friday 3 June 2016 13.04 BST Last modified on Friday 3 June 2016 13.31 BST
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He did not flinch when he came face to face with the first person he had seen in almost a week. There were no tears, either, just a composed answer to the soldier’s question: “Are you Yamato?”
“Yes, I am,” came the reply.
We need more good news stories, like Yamato Tanooka’s rescue
Rhiannon Lucy Cosslett
Rhiannon Lucy Cosslett Read more
More than six days after his parents abandoned him on the side of the road in a forest as punishment for misbehaving, 7-year-old Yamato Tanooka was found alive and unhurt on Friday morning, marking the end of a search that has gripped Japan and prompted a debate over when parental discipline turns into abuse.
If his sudden disappearance was every parent’s nightmare, Yamato’s discovery, in an army hut deep inside thick woodland populated by hundreds of brown bears, came about thanks to several pieces of good fortune.
While the boy, who suffered only scratches to his arms and legs, was being kept in hospital overnight as a precaution, details emerged of his extraordinary survival.
Without food or water, possibly believing his parents had left him for good, he made his way through 5km (3 miles) of mountainous forest after leaving the narrow road where, minutes earlier, he had been left as punishment for throwing stones at cars and people during a family trip to a nearby park.
Hours later, he came across a gate marking the entrance to a self-defence force training ground in the town of Shikabe in Hokkaido, Japan’s northernmost island.
The house in a military exercise area where Yamato was found.
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The house in a military exercise area where Yamato was found. Photograph: STR/AFP/Getty Images
In the pitch darkness that descends on the forest at night, he may not have been able to see the sign on the right warning members of the public to keep out. Either by climbing over the fence or making his way through the bushes either side, he set out along a path that, a few hundred metres on, took him to the corrugated-iron hut that became his makeshift home – and probably saved his life.
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The hut’s two doors are supposed to be locked when it is not being used as sleeping quarters by soldiers out on exercise. Yamato, though, would have turned the handle on one of them to find it had been left open. Outside was a single tap, his sole source of sustenance during his ordeal, when overnight temperatures dropped to as low as 7C (45F).
Seeking shelter from the rain, three soldiers from the 28th Infantry Regiment at nearby camp Hakodate opened the door early on Friday morning to find Yamato, dressed in sweatpants, a T-shirt and trainers, curled up on a mattress. At night, he had sandwiched himself between two mattresses to keep warm.
Many were beginning to fear the worst when the search, involving 180 people accompanied by dogs, had still failed to turn up any clues after a couple of days. The discovery earlier this week of fresh bear droppings only added to the growing sense that the story of the “naughty” missing boy would end in tragedy.
After confirming his name, Yamato explained that he had stayed in the hut for several nights, and had not eaten for almost a week. The soldiers gave him two rice balls and called for a helicopter to take him to hospital.
Newspapers on the day Yamato was found alive.
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Newspapers on the day Yamato was found alive. Photograph: Franck Robichon/EPA
It is not clear how many nights he spent in the hut. Early reports said a search of the training ground on Monday had not produced any clues as to his whereabouts. Later, though, the Asahi Shimbun said the area had not been checked because the entrance gate was usually secured.
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Troops involved in the search broke into applause when they learned that Yamato had been found, while 900 of his fellow pupils at Hamawake elementary school in his hometown of Hokuto erupted in joy when they were given the news at an assembly.
As Yamato was being treated for mild dehydration, his father appeared at the entrance of Hakodate municipal hospital and attempted to explain his actions. “The first thing I did was apologise to him for the terrible suffering I had put him through,” Takayuki Tanooka said as he fought back tears. “I said that I was really sorry. He nodded and said: ‘OK,’ like he understood.”
Tanooka, 44, conceded he had gone too far when he ordered his son out of the car in the forest, before driving on for another 500 metres. By the time he had walked back to collect him, he was nowhere to be seen.
“We’ve raised him in a loving family, but from now on we’ll try to do a better job and give him even more attention as he grows up,” he said. “Our behaviour as parents was excessive, and that’s something I’m extremely regretful about. I thought that what I was doing was for his own good, but, yes, I realise now that I went too far.”
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Father of missing Japanese boy found alive makes emotional apology
Yamato’s discovery did little to quell online criticism of his parents, whose idea of tough love has sparked a debate about the limits of parental discipline, with some describing their behaviour as abuse. That they had initially tried to avoid criticism by claiming their son had gone missing while the family were out foraging for wild plants only added to the sense of anger and disbelief.
“I wonder if his heart was broken as he was discarded in the mountains,” read a tweet by Shirokuma.
“Should he even be given back to his parents?” asked Fujimo.
Kyodo News said earlier this week that police were considering filing neglect charges against the parents, but it was not clear on Friday if they planned to take action.
“Beating and kicking are not the only forms of child abuse,” said Tamae Arai, the head of a family support service in Tokyo. “There is also neglect. Of course, we are all thrilled that he was found safe, but it is important to recognise that there could be a serious problem here.”
Yamato was reportedly abandoned by his parents near position A and found near position B, 3 miles away.
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Yamato was reportedly abandoned by his parents near position A and found near position B, 3 miles away. Photograph: Google Maps
Naoki Ogi, a TV personality and education expert, was one of many who accused Tanooka and his wife of neglecting and abusing their son. Too many parents in Japan, Ogi said, regarded their children as little more than personal possessions.
Mitsuko Tateishi, an educator who has written a book promoting a more relaxed attitude towards parenthood, agreed. She said: “The punishment these parents chose is unthinkable. They have no idea how to raise a child. They did not try to explain what was right and wrong,. A child is not a dog or a cat. You have to treat the child like an individual human being.”
Others voiced sympathy for the parents, describing their actions as a terrible lapse of judgment. Yumi Toyozaki, a literary critic, noted that she had been difficult to control as a child, and called for more understanding of the feelings of the parents, who must have considered the grim possibility that their son would not be found alive. “I really feel for the father, who left his child in the woods for a while to discipline him,” Toyozaki tweeted earlier this week. “I hope people stop condemning him.”
While most social media users heaped opprobrium on Yamato’s parents, others praised the resilience and resourcefulness of a 7-year-old boy whose toothy grin has been a familiar sight on TV news programmes for the past week.
“He was incredibly calm considering he had been missing for seven days,” the doctor who assessed him after his ordeal said. “He showed no signs of panic.”
Ken Noguchi, a renowned mountaineer who has climbed Mount Everest, tweeted: “If he survived by himself, it’s a miracle.”
ラッキーと、センシブル=常識性という言葉を使っている。
世界が、この子どもを絶賛している。