八百万神(やおよろずのかみ)とは
数多くの神,すべての神のこと。類似の語に八十神(やそがみ),八十万神(やそよろずのかみ),千万神(ちよろずのかみ)がある。森羅万象に神の発現を認める古代日本の神観念を表す言葉。
「三度やって駄目だったからもう一度やるんだ 」
Three times isn't enough.
史上最大の作戦
The Longest Day
北海道の今、またゆりかえしが、きたように、雪国になっております。
植草甚一のエッセイに、「雨ふりだからミステリーでも読もう」というのがありますが、
ここでは、「雪だから漫画でも読もう」という気持ちになるもんです。
もう絶版の「ビックゴールド」というおそらく、「ビックコミック」の前身みたいな漫画本。
創刊号から持っておりますが、そのナンバー2を、ぺらぺら見ておりました。
瀬戸内晴美原作の、「みずめ」を、牧美也子が描いていたり、(いやあほんとうに絵がうまいですね。)、
水野英子の「薔薇達」とか、すごい傑作漫画ばかり。
今の若者は、ジャンプかもしれませんが、昔の若者は、こんな漫画を読んでいたんです。
楳図かずおといえば、まことちゃんとか、ホラーのイメージがものすごく強いですが、
「smile」という傑作漫画が、この号にのっています。
とにかく、天才としか、思えない短編です。
絵は例によって、緻密。
コマが小さいのに、ぐいぐい、ひっぱっていく愛の童話物語のような。
レヴューでも、「火の鳥」と比較している人がたくさんいましたね。
今では、「イアラ」「内なる仮面」「ドアの向こうに」の三冊の短編集がでていますので、おそらく、このどれかの中に、含まれていることでしょうが。
手塚治虫の「火の山」。
なんと、この「昭和新山」物語なんですが、北海道に住んでいる私は、しょっちゅう、
行きましたし、修学旅行などのコースにもなっていました。
手塚治虫が、わざわざ、昭和新山の資料館の三松三郎氏や、役場の担当の方に、取材をして、このビックゴールドに、一挙に、100ページで発表した作品です。
今は、よく古本屋でも、見かける作品ですが、当時は、ものすごい意気込みで、手塚治虫氏がこの作品にチャレンジしていたということが、よく感じられる作品です。
それに、今では、文庫本くらいの大きさでしか読めませんが、このビックゴールドは、A4ですので、迫力があります。
以前も記事に描きましたが、男と女の不思議な縁。
どうしようもないろくでなしの男と、あばずれの女が、不思議と、ケンカしながら一緒に暮らし始める・・・・・・・・・最後は夫婦になって、火の山を守ろうとする。
その男の名前は、たまたま、昭和=としかず。
それで、尊敬する三松さんが、昭和新山という昭和にちなんでつけた名前は、「オレの名前をつけてくれたんだ」と感激するところ、やはり、上手いです、手塚治虫。
・・・・・・・・・・・・
あと・・・・・・・
私の好きな「トワイネラの白鳥」。
「トォネラの白鳥」を扱った作品といえば、水野英子。
それが、手塚治虫にもあるとは知らなかった。
「0次元の丘」だ。
いまでこそ、輪廻の科学的な研究もされるようになってきたけれども、
この宇宙、人間の知っていることなど、軒先の一本の草木の露みたいなものだろう。
解説の夢枕獏のあこがれにも似た手塚治虫の10の天才の秘密みたいなもの。
なかなかだと思う。
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・・・・・・・・・・・
映画ですが。
この手塚治虫氏は、一時、400人程が働いていた虫プロダクションの社長。
管理がやはり苦手だったのか、つぶしてしまいます。
アニメ制作に、彼が、ぞっこん惚れ込んでいたのは、ディズニーに会いに行っていたことも記録に残っていますし、夢中で作品をつくっていたのですが、やはり高尚すぎる作品は、一般大衆の受けが弱いのでしょう。
それで、また、初心にもどって描き始めたのが、ブラック・ジャックという傑作です。
手塚治虫氏が死ぬ数年前の作品ですから、凄みがあります。
ガンもその頃、種がでていたのでしょうか、・・・・・・私にはわかりませんが、作品を描くのには、胃に負担がかかりますから。
宮崎駿氏の作品は好きですが、彼は暴言がおおいですね。
手塚治虫氏にも批判の言葉を投げつけていますので、けっこう、嫉妬心の強い人なんだろうと想像します。
それでも、「千と千尋の神隠し」はおもしろいです。
これは、英語版では、spirited awayと、訳されていますが、ちょっとこの言葉にひっかかったのです。
それは、たまたま、映画「レフト・ビハインド」という映画を見たのです。
(ニコラス・ケイジが、出ていたので見ただけなんですが・・・・・・・・)
神隠しの映画でした。・・・・・・・
不思議な映画。
でも、やっぱり西洋映画、一神教映画。
「千と千尋の神隠し」と比較すると、あまりにも、神の概念がちがいすぎる・・・・・・・
この「レフト・ビハインド」の挿入歌。
jack lenzは歌う・・・・・「こころを入れ替える暇はない、神はあらわれ、ひとびとは取り残された」
最初から、一種の飛行機のパニック映画だと思っていたし、なんせ、ヒロインが、私の好きなニコラス・ケイジなので、わくわくしながら見ていたのですが、不倫中の彼が、仕事に没頭するあまり、そして、神に夢中の妻に嫌気をさして、娘と息子との約束を反古にして、飛行機に乗るところまでは、どんな展開をするのかと・・・・・・・見ていたのですが、飛行機内で、子ども達が、突然、消え去るシーンがあり、びっくり。
これ、どうやって映画をまとめるのかなと、少し心配して見ていたのですが、神様の仕業ということになりました。
やはり、私たち日本、正月には、神社にお参りし、お盆の行事や、葬式は仏前なのに、クリスマスもみんなで、祝う・・・・大騒ぎ、そんな民族から見ると、せんとちひろのほうがなにやら、こころが、落ち着きます。
・・・・・・・・・・
最初の頃は、見ていて、神様に夢中になる物語のあらすじに対して、なにやら、その家族に不幸になった裏の伏線があって、たとえば、以前この記事で紹介した、「火宅の人」の檀一雄の妻のように、子どもが、突然、重病になって、そのために、祈祷をしたり、精神を少しわずらうような、振る舞いをしたり、そんな連想をしていたのですが、・・・・・
最後は、しっかりと、「神を信じるのであれば、ここで祈って下さい」というパニック状態でのニコラス・ケイジの言葉に、逆に、あまりにも単純ということで、おどろいてしまいました。
やはり、調べてみると、
さすがキリスト教の西洋・アメリカ・・・
『レフトビハインド』( Left Behind )とは、ティム・ラヘイ、ジェリー・ジェンキンズの共同著作によるアメリカの小説。およびその続編からならシリーズ。
公式サイトによれば全米で6,500万部を売り上げたベストセラーである[1]。アメリカ本国では映画化、ゲーム化もなされている[要出典]。日本語訳はいのちのことば社から刊行されている。
時は近未来、最後の審判が迫り「ヨハネの黙示録」の預言が実現していく世界を描く。「患難前携挙説」の立場をとっており、「携挙」によって信心深い人々や幼い子供が姿を消すところから物語が始まる。
「患難前携挙説」とか、「携挙」とか、エヴァンゲリオン用語みたいな響きの言葉です。
映画では、日本語字幕ですので、あんまりマニアックな言葉は省略したのかもしれません。
あとで、また、じっくりチェックしたいとは思っていますが。
たとえば、このような言葉は映画のなかでは、強調されてはいなかったと思うのですが。
原作のなかでのオリジナルの用語定義でしょう。
トリビュレーション・フォース (Tribulation Force)
患難時代(トリビュレーション)に備えて結成された。聖書を研究し、人々を信仰に導くだけでなく、反キリストとの戦いを目的とする。
グローバル・コミュニティー (Global Community)
ニコライ・カルパチアを「主権者」と仰ぐ世界政府。イラクの地に新たに建設した「ニュー・バビロン」を首都とする。人類の統合と世界平和という美しい理想をかかげつつ各国の武装解除をすすめるが、自らは兵力・暴力をもって、コミュニティーに反発する国家・個人を潰していく。
エニグマ・バビロン・ワン・ワールド・フェイス (Enigma Babylon One World Faith)
グローバル・コミュニティーにおいて事実上の国教の地位にある新しい宗教。世界中の宗教を寄せ集め統合した教義を持つ。この宗教の聖職者を信道士(フェイス・ガイド)という。その祈りでは「宇宙の父母」や「動物神」が語られる。聖書の記述もあくまで象徴や比喩として解釈し、トリビュレーション・フォースが信じるような「原理主義的」解釈を狭量なものとして否定する。
ニコラス・ケイジは、どんな映画でも、こなしてしまいますので、ちょっと、びっくりするような感覚もありますが、名作だけではなくて、このような映画でも、必死で演技しているところが好きです。
「せんとちひろの神隠し」
これの英語題名は、Spirited Awayとなっていますので、まさに、「レフト・ビハインド」同様に、突然消えてしまう子ども達そのものなのかもしれません。
「レフト・ビハインド」では、子ども達は、あっという間に、天国にまさに「携挙」されるわけですが、同じ「携挙」でも、ちひろは、異世界に迷い込み、神々の訪れる湯屋で働くことになった少女、でした。
宮崎駿監督作品。2001年7月20日に日本公開。興行収入300億円を超えた日本歴代興行収入第1位の大ヒット作品ですが、とにかく、その異次元異世界の神々の不思議さ・多様さに・西洋人は驚愕したようで、たまたま、見た番組では、宮崎監督は、フランスの女性ファン達からの絶賛の嵐を浴びていたと思います。
フランスの宗教。
調べてみますと、
宗教面では、国民の約7割がカトリックといわれている。カトリックの歴史も古くフランス国家はカトリック教会の長姉とも言われている。代表的な教会はノートルダム大聖堂、サン=ドニ大聖堂などが挙げられる。パリ外国宣教会はその宣教会。フランス革命以降、公共の場における政教分離が徹底され、宗教色が排除されている。
と、ありますので、やはり、プロテスタントと違って、フランスやアイルランドは、どこか、ケルトの自然への愛・・・つまり、日本人の自然の神秘への傾倒と近いところが、わたしには感じられますが。
どうなんでしょうか???
以前、ブルターニュの森のなかにいる妖精のことについての、自然観察の素晴しいドキュメンタリーを見ましたが、このブルターニュは、おもしろいです。
伝説と伝統の大地
海の国であると同時に森の国であるブルターニュ地方は、変化に富んだ気候と驚きの風景に満ちています。ブルターニュの生き生きとして力強い風に身を任せ、浜辺や、断崖絶壁、荒地、中世の町を訪れましょう。ブルターニュならではの風物と奥深いその歴史に触れ、文化と自然を満喫しましょう。馬に乗ったり、潜ったり、船に揺られたり、祭りやフェスティバルのリズムに合わせてスウィングしたり、パブの和気あいあいとした雰囲気に浸ったりしましょう。そして何より、心から安らいでくつろいでください。
独特の雰囲気を持つブルターニュの沿岸地帯
海賊の町として知られ城壁に囲まれたサン・マロのコード・デメロード(エメラルド海岸)から神秘的なコート・ド・グラニット・ローズ(バラ色の花崗岩海岸)まで、ブルターニュの沿岸地帯は、ほかのどこにも似ていない独特の雰囲気を持っています。税関吏の道は、ブルターニュ特有の荒地と断崖の間を歩くハイキング・コースで、気候の良い時には、ハリエニシダやエニシダの香りが、さわやかな海風と交じり合います。沖合では、ブルターニュの島々が魅力を競い合っています。グロワ島、ブレア島、グレナン諸島、ウェサン島、ベル・イル・アン・メール島で、野生のままの浜辺や自然保護区の入り江、灯台などを見学しましょう。セット・イル(七つ島)は、フランスで最大の鳥類保護区です。ニシツノメドリ、ヨーロッパヒウメ、シロカツオドリが、優雅に暮らしています。フレエル岬からは、海と荒地の間で踊る鳥たちのバレーが見物できます。ブルターニュ地方の言葉で「小さな海」を意味するモルビアン湾を臨む海岸に沿った100㎞ほどの遊歩道を、保護された自然を眺めながら散策しましょう。イル・オ・モワンヌ(修道士の島)などの野生のままの自然が残る場所がいくつも隠されています。
伝説と歴史遺産の狭間で
この地方の歴史の証人でありシンボルであるブルターニュ高等法院は、今では控訴院となっていますが、ブルターニュ地方の中心都市であるレンヌの主要な建築遺産です。ポン・タヴェンの美術館では、モーリス・ドニからポール・ゴーギャンに至るブルターニュ地方を描いた画家たちの作品を見ることができます。ブルターニュ地方はあらゆる年代の人々に愛されている観光地です。子供たちは、サン・マロの大水族館やポン・スコルフの動物園やブレストの水族館オセアノポリスが大好きです。ブロセリアンドの森で、伝説の魔術師マーリンと妖精ヴィヴィアンとアーサー王の足跡をたどり、フジェール城では、妖精メリュジーヌの魔法の虜になりましょう。伝説と遺産といえば、モン・サン・ミッシェル修道院(ノルマンディー地方ですが、ブルターニュ地方からわずか4㎞です)や、ロカマドゥールやカルナックの巨石群もあります。キリスト受難群像や、パルドン祭り、礼拝堂など、ブルターニュ地方には宗教の伝統が根強く残されており、中でもボーポールの海の修道院とヴァンヌのサン・ピエール大聖堂は、中世の宗教建築を代表する建物です。
ブルターニュ地方のスペシャリテ
伝統と民俗芸能によって形作られているブルターニュ地方は、食の伝統も大切に守っています。たとえば、そば粉のガレット、シードル、ブルターニュ風蜂蜜酒、豪華なシーフード・プレート、ブルターニュ風ポトフのキ・カ・ファース、焼き菓子のファー・ブルトン、そしてクイニー・アマンなどなど・・・。
こんな資料を読むと、やはり、フランス人は、「せんとちひろの神隠し」は理解できてあたりまえなんだなあ、と妙に感心してしまいます。
モンサンミッシェルも、一度だけ行きましたが、実に、思い出深いところです。
パリから、たしか、六時間くらいバスに乗って、ついて、二三時間の自由時間だけで、また六時間かけてもどってきただけですが、写真はたくさん撮ってきました。
日本の伊勢神宮。
ここだけは、死ぬ前に一度は行きたいところです。
五十鈴川で、手を洗う。・・・・・
みそぎ。
日本の水道水は、昔ほど、きれいではないにしても、十分に飲むに耐えうる。
外国の水はひどいですから。
水。
外出して家にもどったら、誰しも、日本人ならば、手を洗う。
トイレに入ったら、手を洗う。
神社の入り口で手を洗う。
茶道でも、手を洗う。
天照大神つまり、アマテラスオオミカミのことを、最近の若者は、テンテルダイジンとよぶそうです。
それでも、光、太陽の光が、私たちをなにか守ってくれている、見守っていてくれている、
日本人が死んだら、墓のなかにじっとしているんではなくて、この自然界のなかで飛び回れる、・・・・・・・・そう、日本の豊かな自然界こそが、日本人の天国というか、ゆっくり永劫の休息場所という感覚が、個人的な意見ですが、私にはあります。
「千と千尋の神隠し」は、「霧のむこうのふしぎな町 」
柏葉 幸子をアニメ化しようとした話しかジブリにあったときに、宮崎駿氏が、断念したあとに、ライバル意識を持って「千と千尋の神隠し」を制作したということらしいです。
私もこんな年になってから、初心にもどり、高校生の時の夢をおいかけています。
それが、なにか?
「北国のふたり」
「シンデレラ」
ディズニー・・・・・・・
以前記事に書いた「ファンタジア」の他の短編も素晴しいですね。
最近は、それをすべてまとめた、DVDも発売になったということ。
でも、シンデレラのディズニー版はやはりちょっとすごすぎます。
特に、この後半。
ネズミたちや、犬たちが、協力しあい、いじわる猫をやっつけて、継母に閉じ込められたシンデレラに、部屋の鍵を渡すシーンなどは、こんな年になっても、感激します。
そして、単純ではありますが、彼女の夢の実現するあたりの、彼女の表情や動き。
いまでも、これだけ、何回見ても、感激するわけですから、
制作発表当時の、私の記憶を思い出しても、もうびっくりしました。
なんで、こんなスムーズな動きが、アニメーションでできるのだろうかと・・・
そして、あの有名な歌。
女性でなくても、わくわくします。
テレビをつけると、朝から晩まで、マイナスな情報ばかり。
そこに、いつもの言葉の乱暴な、そして、勝手なことばかり言うコメンテイター。
あんなものばかり見ていると、俗な自分が、さらに、俗俗になる感じがしますので。
なるぺく良き番組を見つけて見るようにしています。
ところで・・・・・・・・
森有正という文学者。
好きなのですが、ずっとパリで暮らしています。
森氏の母親はピアノを弾くし、牧師であった父親もヴァイオリンを弾く。
そんな環境のなかで森氏は成長し、文学と音楽がひとつになったような自己の体験を、信じるようになったのかもしれない。
彼はボードレールとリルケの「文学+音楽」の仕様に感じ入る。
しかしながら。
日本人でありながら、日本の楽曲をまったく知らずに、環境の中から育ったとはいえ、森氏のような日本人はおもしろいと私はいつも思う。
日本人は果たして魂まで西洋人になれるのか?
確かに、私が、絵本と言えば、やはり、「マッチ売りの少女」や「人魚姫」の圧倒的な印象は、脳裏に焼き付いて離れない。
「ぶんぶくちゃがま」かな、日本の絵本で怖いような不思議な印象を持つのは。
私が、幼稚園の頃。
読んだ記憶がある。
あとは「サルカニ合戦」。
なぜ、日本の民謡を皆はあえて、聞くことはしないのだろうか?
昔お世話になった三味線奏者の三宅氏の「牛追い」の民謡歌は素晴らしかった。
三味線には日本の魂があると思う。
三宅良二氏。
奥様にも、お世話になりました。
ほんとうにいまでも、感謝しています。
ふたりの舞台のバックの絵まで、描かせていただいて、感謝感謝でした。
そんなわけで、西洋東洋・・
せめて、半分西洋、半分日本。それくらいの比率で音楽や映画や文学を楽しみたい。
想像妄想空想。
しかしながら、外国の子供達も日本のアニメを観て育つ。無国籍ということの、メリットとデメリット。根無し草のメリットとデメリット。
根無し草という生き方もまた、あるのかもしれない。日本人。
悩むところ。
まあ、「流れる」ように交互に聞きつづけよう。読み続けよう。
「女性は我々の作品を評価できる最良の判断者である。
彼女たちの好みは非常に重要だ。
映画館に足をよく運び、男性たちを引っ張って来てくれる」
女性たちが好んでくれれば、男がなんと言おうがかまうものか!!!!
ウォルト・ディズニー
FIN
一神教と八百万神・・神隠しとは「千と千尋の神隠し」×「レフト・ビハインド」 「シンデレラ」
「聖女懐妊」女性ロボットの赤子「タイムトンネル」「宇宙少年ソラン」「ハンナ」「薔薇の葬列」
私が、SFに興味を持ち始めたのは、当時昭和30代から40年代・・小学校中学校の頃。
こんなテレビ番組があり、ほんとうに楽しみにしていた。
現代から過去へ、過去から未来へ、・・・ほんとうにそんなことが可能なんだろうかと、
当然のことながら、パソコンも、ありません。
本屋も岩見沢市には2件しかなかったので、こんな番組が、最大の好奇心を
満足させるための最高の刺激だった。
「タイムトンネル」
そして、外に出ては、窓から、北海道の夜空にひしめく、まるでミルクをバァーとこぼしたような、銀河の星ほしに、目眩をおこしそうになっていました。(今は、それほど綺麗な夜空はもうなくなってしまいましたが)
あと、
鉄腕アトム。
最終回で、アトムが、地球を救うために、太陽だったか隕石だったか、に突入するシーン。
部屋で号泣した記憶があります。
当時は、SFマガジンが本屋に未ステリマガジンなんかと一緒に、ありましたから、わくわくしながら、本屋に通ったものです。少ない小遣いで、COMと、ガロと、SFマガジンをなんとか
買い続けました。
筒井康隆なんかが、すでに、人気があり、私も「人口●●億」とか、クローン人間を扱った作品や、その他海外作家では、ブラッドベリやアシモフ、フレドリック・ブラウンなんかの短編を愛読しました。
年齢の取り方が、私たちとはまったく違う星人の物語。
星の軌道が地球の数百倍もある星のひとびとの創った法律。
その他、北海道の田舎で育ったひとりの少年にとって、それらは、宇宙に対する好奇心やあこがれを強くはぐくんだものです。
「宇宙少年ソラン」という隠れた名作もありましたね。
チャッピーというリス?が、ものすごい可愛かったことを覚えています。
今でも、歌われ続けています。
そして、「宇宙家族ロビンソン」という週一のテレビドラマがありました。
そこに、登場する
アンジェラ・カートライトの可愛らしさといったら。
中学生の頃でしたから、オリヴィア・ハッセイとこのアンジェラ・カートライトの、ブロマイドを大切にしていました。なつかしき思い出です。
アンジェラ・カートライト(Angela Cartwright、1952年9月9日 - )は、イギリス出身の女優である。姉に同じく女優のヴェロニカ・カートライト。
ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』のブリギッタ役、テレビシリーズ『宇宙家族ロビンソン』のペニー役等で知られる。コラージュの製作を手がけ、『サウンド・オブ・ミュージック』で共演したヘザー・メンジースと共に映像プロダクションを経営する。
アンジェラ・カートライトの、若き頃の、貴重なるクリップです。
・・・・・・・・・・
そんなわけで、私は今、SFマニアになってしまいました。
機械が何かのきっかけで、進化して、人類に戦いを挑んでくる、・・・先日見た「ターミネーター5」がそれでした。
機械×人間という意味では、マトリックスの戦いのシーンを連想もします。西洋の世界では、
しかしながら、ほんとうにロボット・サイボーグなどは、人間の敵として描かれています。
これは、チャペックの「ロボット」以来、ほとんど変化がありません。
この作品は、19世紀の末に描かれたというのですから、すごいです。予言的な作品です。
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ロボットという言葉はこの戯曲で生まれて世界中に広まった.舞台は人造人間の製造販売を一手にまかなっている工場.人間の労働を肩代わりしていたロボットたちが団結して反乱を起こし,人類抹殺を開始する.機械文明の発達がはたして人間に幸福をもたらすか否かを問うたチャペック(一八九〇‐一九三八)の予言的作品.
「猿の惑星・新世紀」、これも、この映画の場合、機械が猿に置き換わっただけ。
とにかくも、西洋では、神に似せられて創られた信じられている「人間」が最高の生物であり、その他の動物は、基本、低い次元にあると考えられている。当然、ロボットなどは人間の働き口を取ってしまう敵と。
・・・・・・・・
たしかに、
人の脳は他の生物とはまさに雲泥の差によりだんとつで秀でているものであると確信はしています。
しかしながら。
五木寛之がフランスの某有名な哲学者と議論した時に、五木寛之は一般日本人の代表として蚊も虫も人も同じ命である以上、命に差別はない、みたいなことをいったらフランスの哲学者は激怒したらしいです。
そりゃあそうでしょう。
西洋では上に書いたような、ヒューマニズム思想があり、人はその階層ヒエラルキーの最上階に存在するのが人なんですから。
それこそがキリスト教の奥義であるといっても言い過ぎではないでしょう。父の宗教キリストです。
(そこにいくと、仏教は優しく母の宗教でしょう。猫も犬も蚊も虫も、まあ私も虫は大好きとは言えませんが、同じ範疇の命であるという五木の発言に真摯に反応します。命という点ではほかの生物と同じである人の脳が、どんどん進化して、いまや、ちまたの最大の噂の真相のターゲツトになっているかのようです。
脳はDNAから人類をその拘束から救うために発生した人類の隠し司令塔ではないか、そう考えることがあります。
だからこそ人は自分にけじめをつけて、自殺したりもします。
脳はもはや、未来の種。遺伝子は過去の記憶。)
また、以前の記事にも書いたように、デール・ラッセル博士の意見では、隕石が地球に落ちずにいたら、恐竜のひとつ、トロオドンが、人類の代わりにこの地球を支配していたらしいです。
化石を調べて、その脳の発達が、人類の進化に、おきかわる可能性があったと。
(40億年進化の旅)
彼らの目は、彼らが、滅ぶ寸前には、人の目のように「立体的」に敵を見ていたというから驚きます。
とにかく。進化し続ける脳が、ひょっとして、とある段階で、最高レベルの「霊魂」を持ちうるようになったのか、あるいは、そうではないのか、これはまだまだ、科学では解く事の出来ない最高の謎だと思います。
猿と機械と人間の差は、いったい、何なのか?
いつかは、同じになるのか、これは興味深いテーマでもあります。
(あと、20年もしないあいだに、もう人間にそっくりのAndroidが
生まれるのは間違いないだろうと思います。・・・・・・猿や鴉が、進化するかどうかは、
私にはわかりません。でも、まったくあり得ないとは誰しもがいえないでしょうから)
きっと、2020年の東京オリンピックでは、下のようなロボット・Androidたちが、さらに更に、進化して、
外国人たちをおどろかせることでしょう。
開幕式では、是非、ベビメタや初音ミク、そして、Androidたち、に開幕歌をうたってもらいたいと、私は思っています。
神話とハイテク。まさに日本的!!!!!
ジェミノイドFに歓声「人間みたい」夢ロボ博
ところで、「アトムの最後」という短編があります。
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(手塚治虫氏はアイデアが恐らく、その徹夜続きのハイテンションの脳の活性化している状態の中から、次から次へと出てくるので、60歳くらいで死なずに、もっともっとマンガを書きたかっただろうな。)
これは、その意味で、番外編。違うシュチュエーションで彼がimaginationを楽しんでいたのでしょうか。
人間のその野蛮性・凶暴性を信じるロボット=機械達が、人間達を戦わせてその殺戮を楽しむという物語。
そのために、わざわざ、ロボットは疑似家庭を造り、子供の時から、疑似幸福を味あわせながらも、その殺戮の日のために、投資するのだった。・・・・・・
この短編集の中には、この「鉄腕アトムの最後」のように、ロボットと人間の愛をテーマにしたものがもうひとつあります。
「聖女懐妊」・・・・傑作です。
ぬばたまの
常闇の彼方 光芒の天漢に懸かるあり
ここにチタンなる 星屑のもとにて
男ひとり遥けき故郷を惟る=おもんみる
という出だしからして、手塚治虫氏のセンスと、木星の巨大なるリングで胸がときめく。
マリアというロボット、A4級型アンドロイドロボットがなにやら主人公には美しく見えた。
それもそのはず、「彼女」は化粧をしていた。
「ほんとうに化粧したのか、信じられん」とチーフが言うと、「今日は地球の元旦、チーフが喜ばれるとおもいまして」
「もうじき七年目、おれはこんなに白髪がふえた。きみとの見かけの差はどんどんひらいてしまう」
「すみません、このつぎはもっと年をとったお化粧に変更します」
彼らは愛を感じている。
アンドロイドは彼の求婚にとまどいながらも、それを受け入れる。
自分で仲人の声をチーフが吹き込み、ふたりはめでたく結婚する。
「あなた、重いでしょう、かわりましょうか」と言うのが笑えて泣かせる。
「ヒロシ、神様ってありますの?」
そう聞くマリアに、ヒロシは地球では宗教同士の争いで、キリストも釈迦もマホメットも消えてしまった事を話す。
「神なんかいない、信じるのはコンピューターだけだ」とヒロシは思っていたと話すが、同時に、「なにか大きな力が宇宙に働いているということがわかってきた」とも言う。
そこでアンドロイドはこんなことを言う。
「ねえ、あたし赤ちゃんが産みたいの」
その不可能性をヒロシは話してふたりは幸福に眠りにつくが、起きると、フォボス特殊刑務所の脱走兵がやってきて、マリアを馬鹿にするひとりの男がからんでくる。
怒るヒロシに、リーダーがレーザー光線を放ち殺害する。
あたらしい主人はマリアに過酷な労働をさせるがマリアは反抗しなかった、アンドロイドにはその機能がなかったからである。
そのうちに、マリアの腹がふくれてきて、皆がデブデブとからかい始めた。
「どいつだ、ロボットに子供をはらませたのは?」
「きさまのはたんなる想像妊娠というやつだ、いやロボットに想像妊娠もくそもねえな、単なる故障よ」と脱走者たちは笑う。
「今夜あいつの腹のボルトナットをはずして腹の中のものをかきだしてしまえ」
彼等はオイルかなにかが、腹にたまっていると判断し、不気味がっている。
それを地獄耳で聞いたマリア。
2001年宇宙の旅よろしく宇宙服のなかに青酸ガスを入れて男たちを殺すマリア。
何かが彼女を変化させたのか?
三年の月日ののち、地球から連絡員がやってくる。
「南川が死んでもう三年になる、いい男だったが」
「どうせ俺は星に骨を埋めるんだといつも言っていましたね」
「ロボットA413289からの連絡はいつとだえた?」
「かっきり、二年前からです。エネルギー自家補充システムがこわれたのでしょうが」
ところがマリアはそこにいて、指輪をはめているではないか。
「きさまロボットのくせに人間と結婚したのか」
「この狂い機械め」
「神様はわたしたちに子供を」
「そんな冗談はオレの前ではいうな」連絡員は怒りはじめる。
しかし、ベッドのなかにすやすやと眠っている南川ヒロシに生き写しの赤子を見て驚く。
「この手を見ろ、南川には右手の親指に古い傷があったが、同じところに同じ傷がある」
死んだ南川が赤ん坊になって再生している、何がこんな奇跡を・・・とうろたえる連絡員。
「おまえはさっき神様が結んでくださったといったな? 神を信じるのか?」
「はい、この宇宙のどこかに・・・」
ラストシーンで巨大な木星の姿が描かれている、圧巻。
このマンガはあきらかに、2001年宇宙の旅を見てなにかしらのヒントを得た手塚治虫氏が新しく創作したと思われる。
1970年にプレイコミックに乗ったことでもあきらか。
手塚治虫氏は病床でも映画をこそこそ隠れて見に行ったり、クラシックをいつも聞いていたというから好奇心の才がこの素晴らしい作品につながったと思う。
絵が非常に彼らしい火の鳥の未来編の続編のような、まさに手塚ワールドの一片になっている。
誰かが言っていたが、漫画家になれないから小説家になった、そんな作家はわんさかいるのである。
「聖女懐妊」・・・・・
ロボットが、その愛の過剰のために、ご主人に尽くして尽くして、最後には、彼の子を実際に産み落とすという奇跡を描いている。
このテーマは、「A.I.(Artificial Intelligence: AI, 2001年)」と同じだが、スピルバーグがこの映画を見ていたのか、映画好きの手塚治虫が、このA.I を見ていたのか、それはわかりません。
この映画では、人間とロボットの子どもを産むというのではなく、少年ロボットが、人の魂を獲得するまでの気の遠くなるような、長い長い道のりを、どこかの星の脳を超絶に進化させたエイリアン=人?、が、助けるという話しでしたが・・・。
・・・・・・・・・・・・・
ロボットの少年が母に愛されたく、その思いを数億年にわたって持ち続けて、ついには、人間にしてもらえる・・・・
ちなみに、この「聖女懐妊」には、「2001年宇宙の旅」のロボットコンピューター・ハルが、人間達に歯向かうシーンのオマージュもあり、楽しめます。
そのハルをなんとか、必死に、くいとめる人間。
手にあせにぎるシーンでした。当時、私は映画館のなかで、くいいるように画面上をながめながら、なんでこんなにスゴイ映画をキューブリックはつくれるんだろうか、と、不思議で不思議でしょうがありませんでした。
(その後に、最後のクライマックスがあり、またまた仰天してしまう私でしたが。)
この宇宙には、人間の理解できないものがたくさんある。
そう考えるほうが、実に自然です。
something greatは、まだ人類が発見していない、宇宙の法則でもあります。
死んだら人はどうなるのか、そりゃあ、土くれにもどっていくと人はいいますし、聖書にも書いていますが、・・・でも、それは人のつくった言葉で考えられたいわば人の想像力の範疇のイメージ。
ほんとうにどうなるのか、それは誰にもわかりません。
別の言い方をすれば、土にもどるというのは、地球にもどるということ、地球にもどるということは、星にもどるということ、星にもどるとは、宇宙そのもののなかに還元していくということでしょう。
だから、わからないことは、わからないということで良いのだと思います。
そして、宇宙そのものに同一化するべく、今ここに、集中して、日々生き抜くこと。それが大切だと私は個人的に思っています。
・・・・・・・・・
ところで、西洋と日本などの「ロボット」に対する感情が、まったく違うということを、ぼそぼそ、書いてきましたが。
日本の「ロボット」の今。
(新聞記事より抜粋しました。)
誰しもが見て感動する「ブレード・ランナー」。
私のフェボリットのひとつですが、ここにも美しいAndroidがでてきます。
切なかったです。・・・・・
このフレードランナーで、使われているヴァンゲリスの「Vangelis - love theme」、最高に好きな一曲。
いつか、「せつなさ」をテーマに、記事を書くつもりですが、ほんとうに、泣ける曲です。
そして、新宿の歌舞伎町のシーン。惑星ソラリスでも、未来の高速として日本の高速が使用されていましたが、西洋の人達にとっては、日本には「近未来」というイメージがあるようです。
このロボットレストランには、ティム・バートン監督も来ています。
彼のAndroid作品と言えば、これ。「シザー・ハンズ」
◎資料
昔ある丘の上の屋敷に発明家が住んでいた。彼の最大の発明は人造人間のエドワード。エドワードはとても魅力的な青年だったが、ある問題があった。発明家が突然死んでしまったために完成されることなく、手が鋭いハサミのままとなってしまったのだ。エドワードは暗がりの中で独りぼっちで暮らしていたが、ある日化粧品のセールスに訪れた女性が、彼女の家族と共に暮らそうと家に連れていった。こうして、エドワードのパステル色の夢のような郊外での暮らしが始まった。
2020年に五輪・パラリンピックが開かれる東京。海外への魅力発信は大きな課題だが、実は、東京では意外な場所が外国人観光客に人気なのだという。女性ダンサーとロボットが共演する歌舞伎町の「ロボットレストラン」や、ハチの巣のような形のカプセルホテルが「クール(かっこいい)」なのだそうだ。人気キャラクター「ハローキティ」で埋め尽くされたホテルの部屋も評判を呼んでいる。東京の魅力は、東京に生きる人々が気づかないところにあるのかもしれない。
jjエイブラハムは、「ロスト」というテレビドラマの監督。なかなかの名監督で、アルマゲドンの脚本なんかも書いています。ちょっと、彼の監督・脚本作品を調べてみますと、
映画
ファイロファックス/トラブル手帳で大逆転 Taking Care of Business (1990) 脚本
心の旅 Regarding Henry (1991) 脚本
フォーエヴァー・ヤング/時を越えた告白 Forever Young (1992) 脚本・製作総指揮
私に近い6人の他人 Six Degrees of Separation (1993) 出演
ゴーン・フィッシン' Gone Fishin' (1994) 脚本
ハッピィブルー The Pallbearer (1996) 脚本
アルマゲドン Armageddon (1998) 脚本
ザ・サバーバンズ The Suburbans (1999) 製作
ロードキラー Joy Ride (2001) 脚本・製作
M:i:III Mission: Impossible III (2006) 監督・脚本
クローバーフィールド/HAKAISHA Cloverfield (2008) 製作
スター・トレック Star Trek (2009) 監督
恋とニュースのつくり方 Morning Glory (2010) 製作
SUPER8/スーパーエイト Super 8 (2011) 監督・脚本・製作
ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル Mission: Impossible - Ghost Protocol (2011) 原案・製作
スター・トレック イントゥ・ダークネス Star Trek Into Darkness (2013) 監督・製作
ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション Mission: Impossible – Rogue Nation (2015) 製作
スター・ウォーズ/フォースの覚醒 Star Wars: The Force Awakens(2015) 監督・脚本・製作
脱線しました。・・・・
日本の「ロボット」の今。ロボットレストラン。・・・・・・・・
ロボットレストランの客は6~8割が外国人
近未来を描いた米国のSF映画「ブレードランナー」(1982年公開)の舞台のモデルになったとされる眠らない街・歌舞伎町。無秩序にネオンが輝く巨大な歓楽街の一角で、ひときわ目立つ建物が、2年前に誕生したアミューズメント型飲食店の「ロボットレストラン」だ。
「総開発費100億円」をうたって誕生したこのレストランは、ステージを中央にはさむように座席(計132席)を配置。酒や食事を提供するとともに、近未来形のロボットとまばゆい衣装をまとった女性ダンサーが共演するショーが楽しめるようになっている。
ショーの内容は極めて個性的だ。歌舞伎役者風のメークをした男女が電飾ギラギラの山車(だし)に乗って和太鼓をたたいたかと思えば、鳥居に腰掛けた天狗がエレキギターを弾き鳴らす。続いて始まるのは、ロボット同士のボクシング…。身長3メートルはあろうかという巨大生物ロボットに女性ダンサーがまたがり、未来からの謎の侵略者と戦うというストーリー仕立てのショーもある。当初は「ガンダム世代」と呼ばれる30~40代の男性客を主なターゲットとし、「ロボットと若い女の子を絡ませたら面白そう」(広報担当者)と誕生した。
だが、日本人客の入りは思ったほど伸びず、代わりに欧米を中心とした外国人観光客が集まるように。ネットで話題が広がり、各国の海外メディアがこぞって紹介した。今では外国人の割合は全体の6~8割に上るという。
海外の映像クリエイターらも来店
同店にはこれまでに、映画「シザーハンズ」で知られるティム・バートン監督(米国)や、テレビドラマ「LOST」シリーズのJ・J・エイブラムス監督(同)ら映像クリエイターが来店。音楽界からは、米人気歌手のケイティ・ペリーさんや、英ロックバンド「ブラー」のメンバーらも訪れた。「これらの方々は名前を出すことの承諾を得られた方で、ほかにも大勢の海外セレブがお忍びで訪れている」(広報担当者)という。
ジブリ映画が好きという英国人、ジェームス・タタソールさん(38)は新婚旅行で来日し、「日本といえばロボットでしょう。グーグル検索で見つけて、面白そうだと思った。ロンドンにも劇場はたくさんあるが、こんなショーは初めてだ」と満面の笑み。
同僚に連れられて来たというスイス人男性、ジュリアン・ネルシエさん(31)も「コスチュームロボットやエレクトリックを使ったところが日本らしい」と話した。
広報担当者は「和太鼓や、(ショーや衣装などの)和柄っぽい部分に『カワイイ』が加わっている。世界を探してもほかにはない日本らしさがウケたのではないか」と話す
その他の、ロボットレストランのファンたち。
◎資料 ケイティ・ペリー
◎ブラー
1990年代以降の英国を代表するオルタナティブ・ロックバンド。デビュー当初はキンクスやビートルズの再来と注目され、1994年のブレイク時はブリットポップムーブメントの代表格として一世を風靡した。ブーム終息以後も様々な音楽性を横断しながら独創的な活動を行っている。後進のバンドに与えた影響も大きく、1990年代からのイギリスのロックシーンを代表する存在として人気は高い。
バンドは2003年にメンバーのグレアム・コクソンの脱退と7thアルバム『シンク・タンク』リリース後活動ペースを緩め、長らく活動停止状態が続いていたが、2009年にグレアムが復帰して以降再び活動を開始している。
ところで。
「ハンナ」という映画見ました。
この「ハンナ」まさか、SF味付けとは思わなかった。
それがまた非常に刺激的。
傑作「惑星ソラリス」とは比較しようもないが、それなりに楽しめる。
ただ、不思議なのは、「惑星ソラリス」のような映画は、無意識・潜在意識のなかに入ってきて、夢のなかや、ふとした時に、いつも思い出す。まるで、自分が体験したかのように。
誰しも見た人が傑作という客観的な映画という意味ではなく、やはり、その人にとっての傑作があるのだと思う。
人それぞれ、育った環境や、読んだ本、友だち、親の考え、出会った異性、それぞれ違う。
そこで、つちかわれてきたものが、あるひとつの映画の刺激で、さらに、生き返るように「再構築」されて、疑似体験として心に沈殿していく。
この「ハンナ」もそのようにして沈殿していくのだろうか?
やや、後半が、若干、尻つぼみの感。
しかしながら、前半からの導入等、やはり現代の映画だなあと、つくづく感じた。
スピード感というやつ。
しかしながら、これもまた、スピード感だけであると、飽きがすぐにくる。
いつまでも心に残る映画、これが私にとっての、名作だ。
それに、今はいろいろ調べると膨大なる情報や資料が見れる。
多忙なサラリーマンは無理でしょうが、やろうと思えば、好きな俳優や、監督のことは
深く、知る事ができます。
たとえば、この「ハンナ」のシアーシャ・ローナン。
13歳の少女役で、出ているとありました。
クリップを探し、資料を調べてみますと、・・・
シアーシャ・ローナン(Saoirse Ronan [ˈsɪrʃə ˈroʊnən][1]、1994年4月12日 - )は、アイルランドの女優。名のSaoirseはアイルランド・ゲール語で「自由」を意味する。
アメリカ合衆国のニューヨークに生まれる。両親は共にアイルランド人で、父親のポール・ローナンは俳優。3歳の時に両親と共にアイルランドのカーロウ州に移り住んだ。
9歳の時に子役としてキャリアをスタートさせ、アイルランドのテレビシリーズなどに出演した。2007年公開の『つぐない』で13歳という史上7番目の若さでアカデミー助演女優賞にノミネートされて注目を集めた。2009年12月公開[4]のピーター・ジャクソン監督作品『ラブリーボーン』の主役に抜擢され、放送映画批評家協会賞若手俳優賞、ラスベガス映画批評家協会賞若手俳優賞など多くの賞を受賞した。
2013年頃から、ジョージ・マッケイと交際中である。と、ありました。
「つぐない」 良き表情を演技しております。
私の好きなSF映画ベスト3(傑作という意味ではありません。私の嗜好独断我がままチォィスになります)
時計じかけのオレンジ [DVD]/マルコム・マクドウェル,パトリック・マギー,マイケル・ベイツ
¥2,625
Amazon.co.jpこの舞台衣装製作はすばらしい。
3度の結婚歴、マルコム・マクダウェル。
この作品ほど、いろいろな評論家がありとあらゆる言辞を費やした作品はないと思います。
真似されるということは最大の賞賛なのだが、このキューブリックが松本俊夫監督の映画『薔薇の葬列』の映画の撮影手法の影響を受けて作った部分があるということもマニア以外には知られていないのでは?。
『薔薇の葬列』
(エディ役には、ピーターが初めて起用されたが、ここにも水上勉氏が関係していたと聴いて驚く。水上氏には、小林氏がべた褒めした作家で、瀬戸内嬢がひどく嫉妬した逸話があります。)薔薇の葬列
この映画「時計仕掛けのオレンジ」で暴力が誘発されるというので、21章がカットされたというが、昨年度に完全版が早川書房から発売されています。まだ買っていませんが。
もともと、筋力というのは生物が自己本能のひとつとして外敵と戦うことで自然から与えられた力なのです。
管理社会でそれを使用できないのは当然で、人はそこで抑圧されて生きるのでありますが、戦争などではよくも悪くもその力が利用されるわけです。
笑い話ですが。
外敵の最高峰と言えば、宇宙人。地球を攻めてくる彼らとの戦い。
そこでは地球での殺戮の前科者達が、英雄になっていくチャンスが与えられる時でもあります。
(会田雄次氏の説を待つことなく、状況におうじて、英雄のタイプは当然変化するのです。)
「時計仕掛けのオレンジ」を読んだアーサー・ブレマーがジョージ・ウェレス暗殺未遂事件を起こす。・・・・・・・・
彼の日記を読んだボール・シュレイダーが「タクシードライバー」の脚本を書く。
さらにこの映画を見たジョン・ヒンクリーがレーガン大統領暗殺事件を起こす。
河合隼雄は「人は自分だけの物語をその人生で書き上げる」と言っていますが、暗黒の歴史に載りたかったのでしょうか。
・・・・・・・・・
ダヴィンチの手原稿は、鏡に写しながら書いたように、逆に綴られたのですが、この「時計仕掛けのオレンジ」も、ロシア語と英語のスラングで書かれています。
原書でも照らし合わせましたが、ナッドサット言葉、アンソニー・バージェスの天才がよく出ていますね。これだけ原作と映画がふたつとも傑出しているというのは珍しい。
つぎに。
「アルタード・ステーツ」
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水のなかに、特殊な成分の液を入れて、そのなかで、音も聞こえない、匂いもしない、眼も隠して見えないようにして、浮かんでいると、人は幻想を見るといいます。
それをテーマにした映画。
ジョン・C・リリー博士による感覚遮断実験での変性意識状態をモデルとした映画。
この映画には、ずいぶんと、刺激をうけました。
芸能人の麻薬事件が絶えませんが、人にはたしかに、自分の魂のレベルがひょっとして、
何かの刺激によって、アップするのではないかという、昔からの、興味があるようです。
この映画でも、この水にぷかぷか、浮かんだ状態で、普通の五感の感覚をすべて奪う事で、脳に、何かを起こそうということでしょうか。
最後のシーン。
一番大好きなシーンです。
世俗から離れて、理系学問に打ち込んで、過去に脳ワープすることで、過酷な実験をつづける、ヒロインを助けるのが、妻のドリュー・バルモアなんですね。
カオスを、混沌を、救い出すのが、愛だということでしょうか。
監督ケン・ラッセル。この映画を見てから、彼の映画をチェックするようになりました。
●資料
人間の身体には、魚類から両生類や爬虫類や鳥類などを経た哺乳類への進化のプロセス、あるいはそれ以前からの進化のプロセスが詰まっているといわれる。天才科学者エドワードは、それを遡って生命の根源を探究したいと考え、アイソレーション・タンクを用いた幻覚の研究を開始する。しかし、女性人類学者のエミリーとの出会いと結婚を機に、研究は中断する。
夫婦ともにハーヴァード大学での職を得て、娘も生まれ、順風満帆に思われた生活だったが、エドワードは生命の根源の研究をあきらめることができず、エミリーに別居を提案する。彼はメキシコの秘境で入手した幻覚剤とアイソレーション・タンクによって、自らを実験台に研究を進めていくが、やがて彼の肉体に予期せぬ変化が現れはじめる。
最後は、「惑星ソラリス」
誰しもが、見ている名作だと思いますが、私は、特別な感情を持っています。
何十回見たことか・・・・・・・
特に、好きなシーンでもあるヒロイン2人が、部屋のなかで、空を舞うシーン。
そこで、使われた曲。
常に、脳裏にきざまれていました。
今もです。・・・・
この曲のおかげで。
始めて自分でこれが「至高体験」ではないかと思えたのは、20歳前後の時、大学からこの岩見沢の故郷にもどってきて、ひとり町なかの喫茶店でバッハのこの曲を聞いたときだったと思います。
「われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ BWV639」
大好きな曲です。
大事なのは、外に雪が舞っていたということ。
そしてまわりには誰もいなかった。
珈琲を持って来てくれた女性はそのまま室内にもどり私はひとりで喫茶の窓から雪を見ていました。
その時にこの曲が聞こえて来たのだった。
不思議な感覚でした!!!!。
まわりのディテールが異様にはっきりくっきり見えた。
今でもはっきり覚えている感覚。まるで麻薬でも使ったようにそれらは明覚で明瞭な輪郭線で私にせまってきた。そして、このピアノの音がまるでみえるかのように。
雪が窓にこつんこつん、ぶつかっていたような気がします。
まだストーブの火が完全についておらず、コートも脱げずに私はマフラーもそのままに、目を閉じていました。
体の中からは自然なシリンダーが廻っているかのような静かな心臓音。
わたしはひどく幸福な気持でそこにいました。
脳天まで達するほどの至福感が、10分ほど次の客が入って来て現実にひきずりもどされるまで続きました。
この映画のなかで、この曲が実に、効果的につかわれていて、このシーンを私は何回も夢にみました。
シャンデリアが、音をたてるまでの沈黙。
・・・・・
突然、ふたりの体が宙を舞い始める。
まるで、ダリの絵のように。
・・・・・・・・・ところで、この「惑星ソラリス」
その後、アメリカ映画にもなりましたが、やはり、このロシア映画が最高です。
タルコフスキーについても、また記事にしてみたいです。
「 映画を頭でみたらつまらない。映画は感覚でご覧ください。」 淀川長治
FIN
モスラの歌 ザ・ピーナッツ コスモス 葵と楓150 それぞれに・・・・・・・葵と楓150
葵と楓150
光と風Hi-Fu
散歩しております。
山登り心臓発作 歯痛からの不整脈あり 三浦雄一郎
私も不整脈がありますので、尊敬する、大先生の三浦先生のエピソード。
-エベレスト登山時にチームドクターとして同行した大城先生が語る-【冒険家・プロスキーヤー・三浦雄一郎さんのエピソード】
三浦雄一郎さんは予備遠征中、ナムチェバザール(標高3440m) で、虫歯が悪化しました。たかが虫歯、されど虫歯です。虫歯があると、体調はすっきりしませんし、痛みがあれば血圧があがります。歯が痛くて食欲も落ちます。なんだか、心臓発作の足音が聞こえてきそうです……。そうです、不整脈発作が出始めていました。三浦さんは、すぐに登山を中断し、歯の治療を行いました。この決断の潔さは、本当に見事なものでした。
小津安二郎 「東京物語」
男と交際しない女は次第に色褪せる。女と交際しない男は次第に阿呆になる。
アントン・チェーホフ
小津安二郎 「東京物語」再視聴
記憶とは恐ろしい。
佐藤浩市の「「あ、春」が、小津へのオマージュでつくられたとずっと思い込んでいた。
たしかに、死んだと思っていた父親が突然あらわれて、家族の皆、あわてふためくというあたりは
なんとなく、似ているかなともおもえたが。
ところで、それはともかく。
この「東京物語」
(とうきょうものがたり)は、1953年に公開されたモノクロの日本映画である。監督は小津安二郎、主演は笠智衆と原節子。『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)で原節子が演じたヒロインはすべて「紀子」という名前であり、この3作品をまとめて「紀子三部作」と呼ぶことがある[1]。昭和28年度文化庁芸術祭参加作品。
上京した年老いた両親とその家族たちの姿を通して、家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品である。戦前の小津作品、特に『戸田家の兄妹』などにすでに見出されるテーマだが、本作でより深化させられることになった。「ロー・ポジション」[注 1]を多用し、カメラを固定して人物を撮る「小津調」と形容される独自の演出技法で、家族を丁寧に描いている。家族という共同体が年を経るとともにバラバラになっていく現実を、独特の落ち着いた雰囲気でつづっている[2]。
オマージュは。
オマージュとして『東京画』(ヴィム・ヴェンダース)、『みんな元気』(ジュゼッペ・トルナトーレ)とそのリメイク『みんな元気 (2009年の映画)』(カーク・ジョーンズ)、『珈琲時光』(侯孝賢)、『HANAMI』(ドーリス・デリエ)、『東京家族』(山田洋次)などがある。
と、ちゃんと記録されている。ありがたい。
あらすじ[編集]
尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に出掛ける。東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて両親をかまってやれない。寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だった。紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。周吉ととみは、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったがそれでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届いた。子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、とみは死去した。とみの葬儀が終わった後、志げは次女の京子に形見の品をよこすよう催促する。紀子以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。京子は憤慨するが、紀子は義兄姉をかばい若い京子を静かに諭す。紀子が東京に帰る前に、周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝を表す。妻の形見だといって時計を渡すと紀子は号泣する[3]。がらんとした部屋で一人、周吉は静かな尾道の海を眺めるのだった。
志げ・・・・・という女性が出てくる。長女だ。
性格があけすけというか、今の現代女性風合理主義精神のもちぬし。
母が危篤と聞いて、涙どころか、まずは、喪服の準備を欠かさないし、それをその他のまったく喪服の準備など考えもしない、いや、考えたくない次女の京子や、次男の妻の原節子に、なんで喪服を持ってこなかったのかと文句をいう始末。
嫌な役柄をじつに、杉村春子が好演しているが、地でやっているのではと思わせるくらいにうまい。
親の死への哀しみよりも、さまざまなる死の行事に対する準備、自分の仕事、日々のやるべきこと、そのことで頭がいっぱいな女を演じている。
いわば、ひととして何かを喪失している感のある女性で、次女の京子とは対照的。
また。
戦死した、次男の妻の原節子が非常に良い。
最後に死す母のとみが、原節子のことを心から心配するシーンがこの映画の山場だろう。
「わたしずるいんです」。
この原節子の言葉は、個人的に、複雑に複雑に、かんじとれる女の言葉として聞いた。
笠智衆の一言一言。
まるで、詩のようにも聞こえる。
感情を押し殺すのでもなく、叫ぶのでもなく、うちわをしずかにふりながら、呟くように、言葉を吐く。
ああ、日本だなあ。ああ、日本人っていいなあ。そう思える映画でもある。
ベルイマンの「野いちご」の老人の死への不安、川端康成の「山の音」の実際に山から聞こえてくる地響きへの死への連想・・・・・・・年をとれば、だれでも、死を考えるものだとおもうが、
妻の死を、ぐっと泣き叫ぶのでもなく、自分の子どもたちにかこまれながら、静かに受け入れる。
個人的な好きな笠智衆の言葉。
「自分の子どもたちよりも、他人でもあるはずの、次男の嫁でもあるあなた・・・・原節子・・・・あなたが、一番、私たちのことを考えてくれている」
もう、いいのよ。
あなたも、幸福になるべきよ。
ひとりでこれからどうするつもり?
いい人を見つけて、幸福になりなさいね。危篤になった母とみは、ふたりだけの最後の夜に呟く。印象的なシーン。
キモノなどの形見をふんだくっていく長女のことを攻めもせずに、周吉は、一番心の優しいと感じている紀子に、周吉は、妻の一番大切にしていた時計の形見をそっと手渡す。
泣く紀子。
小津安二郎にとっての、「紀子」という名前は、無意識的、なにやら、深い意味のある名前のようで、紀子三部作というのをつくっている。
この東京物語、麦秋、晩春の三作。
以前紹介した、戸峰美太郎が不思議と「聖子」という名前をかなり多くの主人公の女性の名前として使用しているのとよく似ている。
小津安二郎のこだわりが垣間見える。
◎資料
評価
撮影中の原節子と小津安二郎監督
1937年日本公開のアメリカ映画『明日は来らず』(レオ・マッケリー監督)を下敷きにしている[4]。アメリカの物語を普遍的なものにして、アジア人と西洋人がともに納得できるものにした。
作品は1953年度のキネマ旬報ベストテンでは第3位にランキングされ、興行的にも成功した。以降も現在に至るまで作品は国内外で高い評価と支持を受けている。特に映画誌などで行われる過去の作品のランキング等では必ず上位にランキングされている。
1995年にBBCが発表した「21世紀に残したい映画100本」に、『西鶴一代女』(溝口健二監督、1952年)、『椿三十郎』(黒澤明監督、1962年)、『乱』(黒澤明監督、1985年)、『ソナチネ』(北野武監督、1993年)などと共に選出された。 英国映画協会発行の月刊映画専門誌『Sight & Sound』2002年版の「CRITICS' TOP TEN POLL」では、年老いた夫婦が成長した子供たちに会うために上京する旅を通して、小津の神秘的かつ細やかな叙述法により家族の繫がりと、その喪失という主題を見る者の心に訴えかける作品、と寸評を出している。本作品は、ニューヨーク近代美術館に収蔵されている。
ランキング
1979年:「日本公開外国映画ベストテン(キネ旬戦後復刊800号記念)」(キネマ旬報発表)第6位
1989年:「日本映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)」(キネ旬発表)第2位
1989年:「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)第2位
1995年:「オールタイムベストテン」(キネ旬発表)
「日本映画編」第1位
「世界映画編」第4位
1999年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第3位
2009年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第1位
以下は海外でのランキング
「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会『Sight&Sound』誌発表)※10年毎に選出
1962年:「映画批評家が選ぶベストテン」第26位
1982年:「映画批評家が選ぶベストテン」第21位
1992年:「映画批評家が選ぶベストテン」第3位
1992年:「映画監督が選ぶベストテン」第14位
2002年:「映画批評家が選ぶベストテン」第5位
2002年:「映画監督が選ぶベストテン」第16位
2012年:「映画批評家が選ぶベストテン」第3位
2012年:「映画監督が選ぶベストテン」第1位
2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第36位
2008年:「史上最高の映画100本」(仏『カイエ・デュ・シネマ』誌発表)第14位
2008年:「歴代最高の映画ランキング500」(英『エンパイア』誌発表)第67位
2010年:「史上最高の外国語映画100本」(英『エンパイア』誌発表)第16位
2010年:「エッセンシャル100」(トロント国際映画祭発表)第15位
受賞[編集]
1954年:毎日映画コンクール女優助演賞(杉村春子)
1958年:サザーランド杯(小津安二郎)
原節子。なにやら、小津と関係があったのではないかと思ったが、彼には交際していた女性がおり
、今みたいに写真のおいかけもいなかったので、証拠もない。
ただ、62年5月。小津監督は自分の日記にこう記している。
原に酔余(酔って)電話する。。。。。。。。。。。。
ほろ酔いで人恋しくなったとき、声を聴きたくなる相手が、原さんだった。
一見、家族的で、家族主義のような小津監督。
よくよく映画を観てみると、そうではなくて、家族のいろいろな矛盾点やら、
嫌なところをよく観察していることだ。理想主義だったから、実際の結婚やら、
現実の恋を避けたのかもしれない。・・・・・・・・
私たちの最大の弱点は諦めることにある。
成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。
トーマス・エジソン
FIN
ゼロ・グラビリティ
傑作と好きな映画は違う。
たとえば、「シェーン」は傑作だろうが、私はあまり西部劇は見ない。
逆に、「愛は限りなく」というB級イタリアカンツォーネシネマは私の好きな映画のナンバー1。
昔夢中で見た、「宇宙家族ロビンソン」もまた、そういう映画のひとつ。
そんなように、人それぞれ、好きな映画があるのだと思う。
好きな映画とは、何回も何回も見たくなり、また、見てしまう映画である。
ところで、傑作でありながら、大好きな映画というのもあり、私の場合は、
「2001年宇宙の旅」や、「ブレード・ランナー」や、「惑星ソラリス」や、「コンタクト」というシネマがそれらにあたる。
私が男性だからか、すべて、SF映画。
サラリーマン時代は、日々の人間関係のしがらみやら、煩わしい細かなストレスなどから逃れるためにだろうか、科学についての本を読み、広大で巨大なる宇宙について想像をすることが一番の楽しみだった。
傑作でもある、たとえば、「ドクトル・ジバコ」などの映画を見たりして、ロシアの当時の、時代考証の衣装やら、食べ物やら、建築などにイマジネーションを羽ばたかせ、素晴らしい映像と音楽に身をゆだねるというのも、楽しきひとつの映画のジャンルでもあるけれども、SF映画というのは、「人類の夢」を、ある意味叶えるというよくも悪くもimaginationの極地ともいうべきものであり、映像とアイデアが必須なので、なかなか、傑作はできない。
これまで、たくさんのSF映画を見てきたけれども、ほとんどが、ガッカリしてしまうことも多い。
だったら、大好きなフレドリック・ブラウンの小説を珈琲でも飲みながら読んでいる方がずっとまし。
ところが、この「ゼロ・グラブィティ」。
脳は「新しいもの」が大好きだということを裏書きするように、脳にビンビン、刺激を与えてくれる。それもまた、ただの最近のはやりの効果効果だけの、画面づくりではなくて実に美しい。
私はいつも書いているように、閉所恐怖と、高所恐怖の毛があるうえに、目眩恐怖でもあるので、この映画の中でのサンドラ・ブロックのようにぐるぐると、あんなに高いところで、たったひとりで回転したり、息苦しくなるような狭いロケットの部屋の中で、暮らすなんていうことのできない人間だからか、・・・・見ていて、かなり息苦しさを感じてしまいまた、目眩をおこしそうになる。
この監督アルフォンソ・キュアロン。これ一作だけでも、映画史に残るかもしれない。
サンドラ・ブロックも、wikにあるように、「2001年9月11日に起きた米同時多発テロの支援として、赤十字に100万ドルを寄付をした[13]。
2004年に発生したスマトラ島沖地震・津波被害に際し、医療用品にあてるため再び赤十字へ100万ドル(約1億500万円)を寄付した[14]。
2010年に発生したハイチ地震の後、ハイチの首都ポルトープランスでの救済活動を行う国境なき医師団に100万ドル(約9200万円)を寄付した。国境なき医師団を選んだ理由について、「この大惨事に巻き込まれたハイチの人々のニーズにすぐに対応できる方法で寄付金を役立ててもらいたいと考えました」と声明を出した[15]。
2011年3月11日に東日本大震災が発生した際、ハリウッドの俳優の中で真っ先に義援金として100万ドル(約8000万円)を寄付した。のちに当時を振り返り、「幸運にもわたしはそういう支援できる環境にあるから、やるべきことを行っただけ」と行動に至った経緯を明かした。義理の兄弟に日本人とアメリカ人のハーフがいるというサンドラは、自身が行った寄付について「これまで意味をなさなかったお金が、必要とされる場所で理にかなった使われ方をしただけなの。またそれを寄付することで、新たな息吹が目覚めるとも思ったわ」とコメントした。また、「日本人であろうとなかろうと、わたしたちはみんなつながっていると思っている。もし、同じような被害をアメリカが受けたら、日本はきっと同じことをしてくれるとも信じているわ!」と話した[16]。」
イメージからすると、私はこれまで見たなかでは、サンドラ・ブロックのインパクトは、例えば「スピード」とか、
「プラクチカル・マジック」のイメージが強く、さらにいえば、「幸福の隠れ家」の彼女が一番好きなので、wikそのままの、人類愛が深い女性、優しく、情感あふるるという印象だったけれども、
今回の役柄のなかで、その気質をぐっとぐっと、渋く押さえて、ひとりのおんな科学博士に成りきっている。
カール・セーガン博士の遺作でもある、「コンタクト」のなかで、ジョディ・フォスターが演じた理科系女子に通じていて、そこが私の好きなツボになっている。
どんな絶体絶命の逆境におかれていても、なんとか生き抜こうとするまさに「女性の本質=生命力」の化身となりきるところと、赤ちゃんの声や犬の声にふと死んだ娘に会おうと思って酸素を減らしていくシーンなどなど、サンドラ・ブロックの相反するアンヴイヴァレンスな気質を上手に、引き出しているし(冷静と愛のパッション)、それだからこそ、私に不思議な感銘の余韻を与えることができたのだし、彼女サンドラは、結局はすごいあたり役を演じきってしまうことになったのではないだろうか。
もう、ほぼあきらめて、酸素濃度をゼロに近づけて、自殺しようとした彼女。
その、ある意味無酸素状態の「幻覚状態」のなか、死んだ筈の友人が現われて、
ヒントをくれるシーンがこの映画の圧巻だろう。
中国の大気圏突入のインチキっぽい宇宙船は、しらけるばかりだが、
とにかく、彼女は、また酸素濃度を上げて、しかも、娘をハグしてあげてと・・・
その死んだ友人に語りかけるところが泣ける。
それまでまったく祈りさへしたことがなかったライアンなのに。
・・・・・・・・・・・・・・・・
蛙とともに、水上にあがることができて、息をたっぷり吸って、どこからか発する笑い声。
そのなかで、彼女は、呟く。
「ありがとう」と。
娘に言ったのか、死んだ友人に言ったのか。それとも、神にか。
「ありがとう」
ベストセラーも読まない。
人が読まなくなり、話題にしなくなった頃に、読み始めるへそまがりの私。
このシネマも、その映画の中のひとつであり、それが正確なる感銘を味わえる。
ひとり部屋で休息時間に見ていたが、思わず号泣してしまう。
気がつくと、夢中で、拍手をしている自分がいる。・・・・
日常生活にぼんやりしている人を、美しくも過酷な宇宙空間へ、思いっきり、ひきずりだすような圧倒的な力を有するシネマだ。
傑作でありながら、大好きな映画。これでまたひとつ増えた。
今夜もまた、カール・セーガン博士の「コスモス」をじっくり読みたい。
宇宙は、21世紀に遺された人類最後のイマジネーションの場所でもある。
かつての、冒険家達が、狂気のように地球を探検しまわったように、人類は、これから
数千年もかけて、宇宙のなかに飛び出していくに違いない。
この映画は、その想像を絶するような人類の未来の膨大なる冒険活劇のフィルムのなかの一枚なんだろう。
◎資料
アルフォンソ・キュアロン
Alfonso Cuarón
2013年7月
本名Alfonso Cuarón Orozco
生年月日1961年11月28日(52歳)
出生地メキシコの旗 メキシコ メキシコシティ
職業映画監督、脚本家、映画プロデューサー、映画編集者
配偶者Maria Fernandez(1980 - 1993)
Annalisa Laralde(2001 - 2008)
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アルフォンソ・キュアロン(Alfonso Cuarón, 1961年11月28日 - )はメキシコ・メキシコシティ出身の映画監督。アルフォンソ・クアロンとも表記される。
目次 [非表示]
1 略歴
2 フィルモグラフィ
3 受賞
4 脚注
5 外部リンク
略歴[編集]
1961年、国際原子力機関の原子力物理学者アルフレッド・キュアロンの息子としてメキシコ・シティに生まれる。次兄カルロスは同じく映画監督となり、後に共同でヴェネツィア国際映画祭脚本賞を受賞。三男アルフレッド(子)は生物学者となった。
メキシコ国立自治大学で哲学と映画を学び、以降全作品でタッグを組む盟友エマニュエル・ルベツキと出会い、短編『Vengeance Is Mine』を制作。メキシコのテレビ局に入社し、ディレクターとして南米圏の映画に関わる。
1991年に初の長編映画『最も危険な愛し方』がトロント国際映画祭に出品され、これがシドニー・ポラック監督の目に留まり、TVシリーズ『Fallen Angels』の監督として雇われ1エピソードを担当。米国進出の足がかりとなる。
1995年に初の米国での長編映画となる『リトル・プリンセス』を監督し、ロサンゼルス映画批評家協会賞ニュー・ジェネレーション賞受賞、ルベツキがアカデミー撮影賞ノミネートなど好評を得る。1998年にはチャールズ・ディケンズの小説を原作に、イーサン・ホーク、グウィネス・パルトロウ、ロバート・デ・ニーロを起用した『大いなる遺産』を制作した。
次の『天国の口、終りの楽園。』はメキシコに戻りメキシコ人キャストで制作した映画。 2人の若者と人妻の珍道中を描いたコメディロードムービーは、奔放な性描写や開放的なユーモアが評価され、弟カルロスと共にヴェネツィア国際映画祭脚本賞受賞、アカデミー脚本賞ノミネートなど、国際的な評価を獲得した。
2004年にはハリー・ポッターシリーズのクリス・コロンバス監督の降板により、スティーブン・スピルバーグなど多くの候補の中から3作目の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の監督に抜擢される。前2作より原作小説の本質を捉えていたと評価され、アカデミー視覚効果賞にノミネート。次作『トゥモロー・ワールド』も6分に及ぶ長回しによる戦闘シーンが話題となり、アカデミー賞3部門にノミネートされた。
映画プロデューサーとしても2つの製作会社を経営し、『パンズ・ラビリンス』などをプロデュースしている。2007年には同じく世界的なメキシコ人監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、ギレルモ・デル・トロの3人が共同取締役となり「チャチャチャ・フィルム」を立ち上げ、翌年弟カルロスを監督に起用して『ルドandクルシ』を制作した。3人は「3アミーゴス・オブ・シネマ」と呼ばれている。
7年ぶりの監督作品『ゼロ・グラビティ』はアカデミー賞10部門にノミネートされ、監督賞をはじめ、撮影賞、視覚効果賞など最多7部門を受賞。米国主要映画賞の監督賞を総なめにした。アカデミー編集賞を共同受賞したマーク・サンガーと共に、監督賞、編集賞を受賞する初のラテンアメリカ人となった。
漫画から漫画の勉強するのはやめなさい「私は夜を憎む」「四分間のピアニスト」音楽映画の魅惑
君たち、
漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。
一流の映画をみろ、
一流の音楽を聞け、
一流の芝居を見ろ、
一流の本を読め。
そして、
それから自分の世界を作れ。
手塚治虫
手塚治虫は、自分でもピアノを弾くし、大のクラシックファン、いや音楽ファンだったということは、意外に知られていないのではないだろうか。
カーペンターズや、ピンキーとキラーズも聴いたし、ダーク・ダックスも聴いたというが。
レコードボックスには、ぎっしり、クラシックのレコードが。
これが、コレクションのレコードのリストです。・・・興味深いです。
そして、このレコードを聴きながら、この愛用のペンを使いながら、傑作を描き続けました。
この写真は実際の彼の遺品です。
彼は、ベートーベンが大好きでしたから、遺作の「ルドヴィヒ」を描いていた時は、わざわざドイツのベートーベンの実家まで、行ったくらいです。
写真が残っています。・・・・・・・・
私の大好きなルドンが、音楽について、このような言葉を残しています。・・・・・
音楽は夜の芸術であり、夢の芸術だ。
絵画は太陽の芸術であり、光の芸術だ。 ルドン
大学時代。
好きな10人の作家の名前を書いて、壁に、はりつける。
三島由紀夫
小林秀雄
開高健
渋沢竜彦
花田清輝
吉行淳之介
谷崎潤一郎
川端康成
植草甚一
コクトー
その10人の作家たちに、サラリーマンになると、画家が入って来て、つぎに哲学者なども入って来て、どんどん変遷していった。今は、古典が多いですね。
でも、結局は、いまでも、三島由紀夫や小林秀雄はまったく変わらない。
そして、植草甚一も。
彼は思想者とかいうよりも、淀川長治さんと同じく、好きて好きでしょうがないことを、根気よくやっていた人ですので、憧れました。
私が、退職後、jazzとクラシックを日々、六時間くらいずつ、毎日聴いたのも、彼の影響。
彼は、大の音楽好きでしたから。
音楽がないと生きて行けないくらいの人でしたから。
その意味では、手塚治虫氏と同じ。
・・・・・・・・・
映画・ジャズ・サブカルについて、
毎日新聞 2013年03月24日 00時03分
懐かしくて思わず手にした人も多かろう。映画・ジャズの評論や欧米文学の紹介で知られる植草甚一(じんいち)さんのコラム集「ぼくは散歩と雑学がすき」が初めて文庫(筑摩書房)になった。行きつけの東京・神田神保町(じんぼうちょう)の書店では文庫部門で先週売り上げ1位だった▲単行本が出たのは1970年。後に「サブカルチャーの元祖」と呼ばれることになる植草さんは既に還暦を過ぎていたが、「ぼくは目をまるくしてしまったんだ」といった軽妙な文体は今読み返しても新鮮だ▲紹介しているのはスタンリー・クブリック監督(植草さんはこう表記した)の映画「2001年宇宙の旅」やフィリップ・ロスの新作小説など。「(最近は)金には不自由しないニューヨークのインテリ・クラスが、マリファナ・パーティーをやるようになった」等々の情報も満載だ▲世界を結ぶネット社会が来るとは想像もできなかった時代。この明治生まれの不思議なおじさんを通じて若者たちはまだ遠かったアメリカを知った。「政治の季節」が終わり始めるころの空気を今の若者が知るのにも格好の本だろう▲同書出版から9年後、植草さんは亡くなった。財はなさなかったが、集めた4000枚ものレコードをタモリさんが買い取ったという「ちょっといい話」も残る▲終戦直後、東京・渋谷に「恋文(こいぶみ)横丁」という一角があり、植草さんは洋書を求めて横丁の書店によく通ったそうだ。渋谷はその後「サブカル」の拠点となり、今また再開発が進む。今日は日曜。渋谷の街を久々に散歩してみようか。「最近の若造は」とか説教はたれず、植草さんのように新しい何かを探しに。
親しいartのともだちから、こんな記事がおくられてきた。
なつかしき、植草甚一さん。
この題名から発せられるオーラ。
私の時代は、誰しもそうだとは思うが、中学生頃までは、まだまだ、フランスの映画や、イタリア映画、ヨーロッピアンの文化がたくさん、ラジオから流れ、映画もそれらの映画が多く、
学校帰りに、そのボスターを見ては、まだ見ることのできない年齢だけに、ドキドキするような
ときめきを感じたものだった。
中学から戻り、親が仕事から帰宅するまでの間に、テレビで、当時、洋画を中継していたので、
「穴」「わたしは夜が憎い」
「チャップリン」「カサブランカ」などだったであろうか。
夢中で見たものだった。
そして、なぜか、母親が帰ってくると、不思議と、慌てて、悪いことをしているかのようにテレビを消した。
たしかに、洋画を見ることは親はあまり良い顔はしなかったような気もする。
高校生になり、映画も自由に見ることができ、ロックやjazzやらのカルチャーがどっと、仲間の間で広まる。
今のゲームの話と同じで、当時は、流行のそれらのアメリカの文化を聞かねば皆の話についていけなかったのである。
自律神経、視線恐怖にやられていた私は高校時代は、自閉の学校生活だったせいか、音楽ばかり聞いていて、大学に入ってからステレオのない部屋で、植草甚一さんなどの本にはまっていった。
当時は、横浜に植草さんがよく現れると聞いていたので、「ちぐさ」「りんでん」「ダウンビート」などにさかんに行ったものだった。
今からふりかえると、この当時はもうアメリカアメリカアメリカ。
フランスの、イタリアの、ドイツの、伝統と歴史のパイにはさみこまれた重厚な料理というよりは、まさに、インスタント的な、破壊的な、瞬間的な、・・・感性のみの、文化ではあったが、
当時の若者には大受けしたのだった。
植草さんは、三日間連続徹夜でアメリカの小説を読みふけって自律神経をおかしくするような、大の本好き。
しかも、変わっているのは、ベストセラーや古典よりも、アメリカの新人作家のみを漁っては、珍本を探して、紹介するのが非常に上手だった。
彼の良いところは、若者と自分の間に線をまったくひかないところ。
いつも派手なTシャツを着ては、たぶん、今でも生きていれば、渋谷にしやがんでいる女の子や男の子たちと、ファッショングッヅについて楽しくおしゃべりをするようなこともしたのではないか。
丸谷才一氏との対談でも、その驚くべき博学と、雑学、独特の美意識には感銘した記憶がある。
私はミステリーをあまり読まないので、ほとんど彼の洋書や、古本の買い方を、学んだ。
今でも、最初に飛び込んだ古本屋で、一冊も買わないとその日一日が不漁、という言葉は私も信じていて、必ず一冊は買うようにしている。
30代の頃にも、神田の神保町で、洋書を見て回った日々。
懐かしい。
この写真はサラリーマン退職後に、50代の時の神田で古本を買っていた頃のもの。・・・
今でも、彼の愛した喫茶店があって、私も東京に出るときには必ず寄るところだ。
喫茶「さぼーる」。同じ店がふたつある。増築したのだと思う。
ここのスパゲッティも彼はよく食したと聞いていたが、あまり美味しくないので、というよりも、自分でつくったスパゲッティが一番だと思っているせいか、神田に行くときには、この「サボール」の前にあるラーメン屋に入る。
値段と味のバランスは良いと思う。
オリジナルの大きさの写真です。
「マザー・ウォーター」見ました。
音楽は、金子隆博。
◎資料
金子 隆博(かねこ たかひろ、1964年3月22日 - )は、日本のサクソフォーン奏者、作曲家、アレンジャー、プロデューサー。米米CLUBではサクソフォーンやキーボードを担当。2012年4月に「職業性ジストニア」であることを告白。サクソフォーンを休業し、キーボードを中心にしたマルチプレイヤーとして活動することを発表した。ホーンセクション・BIG HORNS BEEを主宰。
米米CLUBではフラッシュ金子の名義を用いており、現在は主にスタジオ・ミュージシャンとして活動している。
妻で米米CLUBメンバー(SUE CREAM SUE)のMINAKOは米米CLUBのヴォーカル・石井竜也(カールスモーキー石井)の実妹。よって石井は金子の義兄に当たる。
彼の音楽を聴いていると、不思議と、静寂を感じました。・・・・・・・
ヴァレリー・アファナシエフのことも。
リンク・・・・・興味在る方は・・
◎「マザー・ウォーター」資料から
「かもめ食堂」「めがね」「プール」など、人と場所との関係をテーマにした作品を撮り続けてきたプロジェクトが、豊かな水の流れを持つ街・京都を舞台に描いた人間ドラマ。ウイスキーしか置かないバーを営むセツコ、コーヒー店を開いたタカコ、豆腐屋のハツミら“水”にこだわる3人の女と、彼女たちにかかわる人々の日常をつづる。監督は本作が長編デビューとなる新鋭・松本佳奈。出演は小林聡美、小泉今日子、加瀬亮ら。
監督は女性。松本佳奈。
ひじょうに女性の視点からとったと思われる優しい映画。
もともと、京都の街は、私も仕事でよく行ったので少しは知っているが、誰もがその美の空気感を認める歴史の深さ、日本の本質的な深さを肌で感じる事の出来る場所であると同時に、いちげんさんには、排他的な街という欠点があると思う。これはコインの両面でもありますが。
聞いた話では、三代続いたお店の大将の話でも、もともとそこに住んでいた京都の人から観れば、まだまだ京都人とは認めてもらえないそうだ。
しかしながら、それはそうと、私も呉服の作家の先生たちにいろいろ料亭なども連れて行ってもらったり、アトリエなども見せてもらって、皆親切な人だとは思う。
その京都に、根無し草のように集まって来た三人の女達。
彼女たちが、豆腐屋、珈琲屋、バーという水に関連する職場で静かに暮らしながら、地元の人との交流をたんたんと描いているのだが、これは賛否両論別れる映画だと思う。
私はたまたま、この映画のレヴューを観ていて、皆の意見はたいしたものだと感心した。
皆同じことを感じている。
癒し系の映画として認めながらも、やはりこれで無料ならともかく、何も起こらない映画に料金を払うのはどうかという意見と、京都が描かれていないという意見。
実はこれは私と同意見。
好きな小泉キョンキョンも出ていて、不思議な空気感はとにかくあふれていると思う。
ただ、気になるのは、天然として沸きでているというよりも、こんなものでいいかという人工の温泉の匂いが時折する。
キョンキョンも東京ソナタの方が良かったなあ。
この映画では、なにやらシナリオや空気のなかに埋没しているような感もした。
だから、ターゲットは、人間関係に少し疲れたお客様は感動すると思います。
ただ、総合芸術として、岡本太郎ではないですが、込み上げてくるような感情や、慟哭や、はらはら感は少し足りないというのが本音だと思いますね。
最近このタイプの映画や、テレビ番組が多すぎるというのも気になる所。
観客の眼はどんどん肥えてきますので、少しひねったほうが良いのかもしれません。
私は実はこの映画を観ていて、この一週間くらいたまたま観ていたイタリア映画がありました。
その映画をどういうわけか思い出したのです。
「魅せられて」です。
このタイプの映画は私は実はこよなく愛していて、たとえば、「魅せられて」「トスカーナの休日」
「食べて、祈って、恋をして」などの映画は、ほんとうに楽しめました。
その中の、「魅せられて」とこの「マザーウォーター」を比較してみます。
まず、この「魅せられて」は、この映画もまた「マザーウォーター」と同じように、母親の自殺した原因を探しにイタリアのトスカーナへ行くまでは同じようなもの。
ただ、はっきり書くと、「魅せられて」は全編どこにもエロティシズムの欠片や匂いが、さりげなく描写されています。
少女から大人の女へと変容していく主人公が、さまざまなる若者や大人、あるいは死に直面する老人に好かれ、惚れられ、アグレッシィブなアプローチを受けます。
不安と恍惚のなかで、しだいに彼女は心と体をトスカーナの自然とそこにおとこたちに開いていきます。
そのさりげない、自然の中で繰り広げられるたとえば、追いかけっこ、オリーブの農場、うさぎ狩り、自転車からおちた傷と血、ガラスを舐めながら演技指導をする親戚の男性、そんなように、彼女をとりまくありとあらゆるシンボルがセックスと関連を持ち、彼女の成熟を祝福しているようです。
浮気な男に怒りまくる妻、マリファナを月の夜に皆でまわし飲みしながら愛について語り合うトスカーナの家族たち、太った素朴なおばさんたち、無邪気なアリスの子どもたち、そこでは、可愛いウサギはしっかりと捕まえられ、皆のご馳走として晩餐に出されます。
そんなたくしまい自然の本質みたいなものが、画面のどこかここかにも、まぶされています。
自然の本質。
淘汰・厳しさ、弱肉強食、残酷。
そして、それらの要素が、実に自然=光、雨、風、樹々、森、のなかで生き生きとしている。
それと比較すると、この「マザー・ネイチャー」、良く言えば世界の人が驚くようなノン・セックスの香り。悪く言えば、人間が書かれていませんね。
同じように自然を書いているのに・・・・・・・不思議。
まるで、自然がそのまま時をとめて、凍り付いているよう。
まるで、エロティシズムの伏線が少しはありますが、具現化していません。
せっかく、バーの節子さんと若者のキャラはふくらませても良いのではと思ってしまいます。
静寂の世界。
時間のとまった至福の世界。
まるで、恍惚とあの世の果てのような画像。
でも、坂口安吾があるエッセイのなかで、私は自然のなかでは生きないんだと、徹頭徹尾、人間の中で生きるんだと言う意味においては、「魅せられて」の古都、田舎の自然の描き方と人間の関わり合いにおいては、ランクが上かなと思いました。
まあ、最後は好き好きなんでしょうが。
豆腐を売る少女。
山崎しか置かないバーの女。
珈琲屋のママ。
根無し草の三人。
それぞれの理由で京都にやってきて、たぶん、またどこかへ消えていく。
京都の芸妓さんがひとりも出てこない。
たまに、背景にほんの少し出てくる京都の人並みのなか、すこしはずれた、川縁の近くの櫻の下で、もたいまさこ扮するおばあさんや、ポプラと言う赤子が、皆に愛されながら育っていく。
中上健次が模索したような、「物語」、グリム童話や、ユングが探したグノーシス派のような異端の教義、日本の遠野物語、安吾のファルス、それらの対極にあるシネマです。
聞いた話では、けっこう人気のシリーズだと言う。
余談だが、世界最大規模の性意識・実態調査「デュレックス グローバル セックス サーベイ」によると、世界で一番sexの回数が多いのは、ギリシャ人。ラテン系の人々、まあイタリア人もはいるでしょう。日本はなんと世界最低レベル。
昨日の読売新聞でも、ヨーロッパでは、その元気のない日本の特集として、老人国家として日本は果たしてどうなるのか?という記事でした。・・・
つまり、もう日は昇らないが、世界でも一番はやく老人シルバー国家になる日本に対しての注目はそんなことなんですね。^^
この「マザーウォーター」の女性監督には失礼だが、その日本人のセックス観を見事に反映しているのではないでしょうか?
マザー・テレサは「愛の反対は無関心」と言っています。
これは真実ですね。
たとえ、喧嘩であっても、憎しみであっても、嫉妬であれ、感情を持つという中には愛も含まれています。
まったくの愛がない相手には憎しみすら持てませんね。
この映画、その意味では、菩薩の作った映画のようで、「悟り」を開いたような言葉を、バーの女、喫茶の女、おばあさんが、若者にぼそっと言うのですね。
これはいけません。
悟りを開くにはまだまだ、早過ぎ。
もたいまさこが、100歳くらいなら、それらの言葉がちょうど似合うとは思いますが。
街からすこしはずれた庶民の喜怒哀楽を描いた映画と言えば「寅さん」。
では、この「マザートーク」は、喜怒哀楽をせいいっぱいに、押さえつけて、いつも静かに生きることを心がけ、不思議な言葉を連発する根無し草のインテリ知識人たちが、主人公ということなんでしょうか?
わかりません。
映画に詳しい人の意見には、「なにも起こらない映画」だから、そこがいいのだと言う人もいるそうですね。でも、それならば、過去にはそのような「なにも起こらない映画」の系列ってたくさんあるんですよね。^^
それにも少し飽きています。
ただ、映画を観ている間の二時間ちかくの空間と時間はやっぱりいいものですネ。
命の洗濯まではいかずとも、気分転換には最適です。
私の好きな、音楽映画。・・・・・
音楽好きな私には最高のシネマである。
「シャネルとストラビンスキー」
シャネルの生誕を祝ってか、昨年あたりに五本くらいつくられたなかの一作らしい。
たまたま、これをピックアップして、仕事のあとに見たのだが、なかなか素晴らしい映像美。
私のベスト10にはとうてい入らないが、しかしながら、十二分に見応えのある、緊張感があり、何かを刺激してもらえる。
春の祭典のあまりの奇抜さに1913年の観客がついていけず、ブーイングの嵐になるあたりは、非常におもしろい。
ストラヴィンスキーのイメージ、そして、彼の愛人だったシャネルのイメージがひとつ、増えた。
このような不倫ものの映画は何もあえて家族で見る必要はなく、その二人の間に起こった魂のドラマを見れば良いだけの話。
「見ていて辛くなるなど」のコメントもあるが、道徳的にこのような映画を見る程、つまらないものはない。
この世は正しいものと正しくないものしかないという発想自体が、幼稚。
不倫というレッテルつけもまた、単純すぎ、悲しい。
病気で体ではなく心でストラヴィンスキーを支える妻も美しいし、体と金で支えるシャネルがいたからこそ悪魔のような曲も生まれようというもの。
では、シャネルとストラヴィスンキーの間にあったのはなんなのか?
そこらあたりの、複雑で、なんともいえない葛藤と苦悩が美に昇華しているかどうかが、作品の分かれ道。
世間の常識に結局は・・・・?
この世のなかのどう見ても普通とは思えないもの、常識から外れたもの、不条理なもの、それらの素材を作家は自分の魂の美のフィルターをとうして作品をつくりあげる。
オスカー・ワイルドが言うように、道徳的な作品などないのだ。道徳的に書かれているだけのことだ。
その意味ではこの映画は美を扱いながらも道徳的に葛藤する分、まじめな映画なのかもしれない。
そこが逆にこの映画の限界なのかもしれないが。
●楽譜の線を手で刷るシーンが新鮮。
●シャネル社のアーカイブに眠っていた珍しいスカーフカラーのスーツや、服と同じ黒白で統一されたアールデコ調のインテリア等、本物の衣装と克明に再現された美術は、偉人に対する敬意。
●シャネル&ストラヴィンスキー(2009)そして、デブノーの森へ(2004)NOVO/ノボ(2002)に出ているらしい、この女優、独特の美しさ。
●ニジンスキーはこの曲で、19世紀のクラシック・バレエでは考えられなかった、足を内股にし、頭を曲げるという振り付けを行う。20世紀バレエの幕開けであった。よく渋谷の街頭でなされるパフォーマンスを連想させる。
今日の朝、たまたま、読んでいたジュネの本の栞のなかで、三島由紀夫氏が、20世紀最高の野人として、このニジンスキーとジュネをあげていたのがシンクロ二シティ。
・・・・・・・・・・・・・
次なる映画は、マイフェボリット。音楽映画のなかでは、最高峰の傑作。ただ、不思議なことに、ゲオなんかでは、このDVDは置いていない。マニアックすぎるのだろうか。
「四分間のピアニスト」
意外と見ている人は少ないと思うけれど。傑作であると、個人的に思う。
これは彼女ハンナーが弾く、シューマンのピアノ協奏曲・・・・
「四分間のピアニスト」で、ラスト、ハンナーが、試されるはずの古典クラシック。
しかしながら・・・・・・・
私は古典が音楽でも、文学でも、絵画でも大好きなタイプ。
しかしながら、この映画における、古典+αの
発想にはまいった。
ハンナーの個人の魂の発露がここではメイン。
ただ、古典を圧倒的に弾けるという大前提があり、
そこに、プラスがあるので、適当に弾いているというような前衛とはまったく違う。
最後の四分間。
好き嫌いはあるだろうけれども、私は個人的には大好きなシネマ。
古典と前衛についてつくづく考えさせられる。
◎資料
獄中の天才ピアニストと、ピアノ教師の魂のぶつかり合いを描いた映画。ドイツアカデミー賞では8部門でノミネートされた。
クリューガーは実在する人間である。監督クリス・クラウスが脚本執筆の参考にするため気になる人間についての情報を収集していた際に、刑務所でピアノを教えるクリューガーの写真を見つけ、そこから構想を練ったのだという。
ハンナーは1200人のオーディションから選ばれた。ピアノは触ったことがなかったといい、撮影前6ヶ月で特訓した。
あらすじ[編集]
80歳のピアノ教師トラウデ・クリューガーは、女性刑務所内で、殺人罪の判決を受けた21歳のジェニーと出会う。ジェニーは天才ピアニストと騒がれた過去があったが、道を踏み外し、刑務所内でもたびたび暴力を振るう問題児となっていた。しかしジェニーの才能を見たトラウデは、所長に頼み込んでジェニーとの特別レッスンを始めた。
私はこの「音楽映画」ともいうべきジャンルに実に弱い。
涙腺がすぐに弱くなる。・・・・・・・大好きなジャンルだ。
ハンナー・ヘルツシュプルングが、じつに、迫真の演技。ラストのシーンは、今朝も見たけれども、背筋ゾー。素晴らしい。実在する音楽家のクリューガー役のモニカ・ブライプトロイもまた、すごい。
赤ワインを舌なめずりしながら飲むアル中でありながら、ことクラシックに関しては、ハンナー・ヘルツシュプルングを我が娘のように溺愛する。
最後には裏切られるともいえるシーンなのであるが、それが、また彼女の最後の仕草で救われるという仕組み。
ドイツアカデミー賞8つ、というのは、うなづける。
ドイツ映画らしく、複雑に物語のなかに、戦争体験みたいなものも含めて、サブリミナル効果というか、挿入されていて、それがまた、物語の厚みと深みを増す。
「愛を読む人」も個人的なフェボリットなのだが、ここに、ハンナー・ヘルツシュプルングが娘役ででていたらしい。
まったく気がつかなかった。
ハンナー・ヘルツシュプルングが、ラストで弾いていた曲は、これ。シューマン。
前衛的にしなければ、これを弾くはずだったのですね。
Schumann Piano Concerto in A minor, Op.54
音楽大国ドイツの秀作。フェボリット。何回見ても良し。5回試聴。
◎資料
獄中の天才ピアニストと、ピアノ教師の魂のぶつかり合いを描いた映画。ドイツアカデミー賞では8部門でノミネートされた。
クリューガーは実在する人間である。監督クリス・クラウスが脚本執筆の参考にするため気になる人間についての情報を収集していた際に、刑務所でピアノを教えるクリューガーの写真を見つけ、そこから構想を練ったのだという。
ハンナーは1200人のオーディションから選ばれた。ピアノは触ったことがなかったといい、撮影前6ヶ月で特訓した。
ところで、ルドンが、このような言葉を発しています。
音楽は夜の芸術であり、夢の芸術だ。
絵画は太陽の芸術であり、光の芸術だ。 ルドン
まあ、これについてはいろいろな意見がありそうですが。
ただ、ルドンは50歳前後までたしか、黒と白しか色をつかわなかったそうですから。
それが、岡本かの子ではないですが、50歳を過ぎてから一気に色彩画家に変容していきます。
その裏に女の陰が・・・?これはわかりませんが。
ただ、ココ・シャネルとストラヴィンスキーの恋ではありませんが、恋は作品に艶を与えますね。
画家とモデルというのは実に不思議な関係です。
モデルで絵の価値がぐっとあがった作家もいます。
というよりも、モデルが良いと、パッションが増大するんでしょうね。
その意味でも女性という生き物はたいしたものです。
男を振り回し、男に情熱を沸き起こし、男に作品を産ませる。
その分、飽きられて忘れられてしまうのも女性ですが。・・・・・人生は残酷な面もまたありますね。
女性の詩人画家が歌っているのですから・・・・・・・・ほんとうなんでしょう。
マリー・ローランサンです。
鎮 静 剤
マリー・ローランサン
堀口大學 訳
退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。
悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。
不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。
病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。
捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。
よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。
追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。
死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。
LE CALMANT
Marie Laurencin
Plus qu'ennuyée Triste.
Plus que triste Malheureuse.
Plus que malheureuse Souffrante.
Plus que souffrante Abandonnée.
Plus qu'abandonnée Seule au monde.
Plus que seule au monde Exilée.
Plus qu'exilée Morte.
Plus que morte Oubliée.
彼の馬。
じつにいいです。
さまざまな影響受けました。
このオレンジ。
光の捉え方が印象派とはまったく違う。
モローとそのあたりが似ているのです。
そのまま目に見えたように描くことからの、
一歩前にコマの進め方がそこにはあります。
映画を見る楽しみ。
それはいろいろあると思うが、私の場合は、最近は物語よりも、歴史背景となるその地域・国・などの描き方、舞台衣装、食事、バックに流れる曲、俳優たちの演技、それらを楽しむ。
たしかに、名監督と名俳優たちが、演じれば、賞を獲るような素晴らしい映画になるのだと思うが、そうでない映画でも、見所はたくさんある。
音楽好きな私にとって、クラシックの古典を描く映画はどれを見ても、非常に、印象深く見てしまう。
物語がいまいち、つまらなくても、かまわない。
その音楽家の生きた時代の空気がすこしでも吸えたらそれで満足と言っても良い。
「 クララ・シューマン」
ブラームスの描き方がいまいちだと思うが、この純愛はなかなか良いと思う。
音楽という楽譜から感じる理想や美や真理へのあこがれみたいなものが、動物としての人の激情を抑えてくれるのだろうと思う。
資料
女性の社会進出が困難であった19世紀のドイツに生きる女音楽家の生き様は現代にも通じるテーマであるが、これをドイツの名匠ヘルマ・サンダース=ブラームスが女性ならではの的確な視点と、ブラームス一族の末裔としての大胆さでもって魅力的に描いている。主演は『マーサの幸せのレシピ』などで脚光を浴びたマルティナ・ゲディック。偉大な作曲家であるロベルト・シューマン、ヨハネス・ブラームスという二人の間で揺れるクララを見事に演じきっている。シューマンの「交響曲第3番 ライン」やブラームスの「ピアノ協奏曲第1番」など、ドラマを魅力的に浮かび上がらせるお馴染みの楽曲群、豪華セットや衣装などの美術にも注目したい。
次なる音楽映画は・・・・・
音楽映画の大傑作は、「アマデウス」、モーツァルトの人生の映画だということはまちがいない。
ただ、ラフマニノフやら、ショパンやら、シューマンやら、の音楽に魂を奪われた音楽家たちの
小品の映画群も、物語はともかく、見ていて、心惹かれるものがある。
伝記で読んだあとに、シューマンと、クララと、ショパンの映画を見る・・・・・
ああ、なんという贅沢であろうかと、ふと、思う。
音楽は文学から、文学は音楽から、その「宝」を獲得しては、自分の芸術の次元を高めようとする。
男は女、女は男から、(同性愛者は同性から)獲得した愛を触媒として、作品が誕生する。
きちんとした普通の人生をおくり、幸福なる家庭から生まれたつ子供たち。
そんな普通の立派な生活がみんなが出来れば、苦労はない。
この世の芸術など存在する意味がなくなる。
苦悩があり、トラウマがあり、いやがおうでもポーの「大渦」のなかに飲み込まれていく人間がいる。
そんな人たちの中に、「海の中に埋もれていく自分を、いや、結果としてその他の多くの人が救われることを可能にする」作品を作る人がいる。
芸術家だと思う。
モジリアニも、シーレも、クリムトも、女性を媒介に作品をたくさん生み出した。
なかには、道徳にどうかという点で、世間から避難された作品もある。
しかしながら。
いつのよにも普遍の道徳があるわけでなし、道徳もまた、時間の流れのなかで変容していくものかもしれない。
要は、魂がふるえるほどの、感激、感銘、涙があってこその人生なのではないだろうか。
この世に生まれて、悩みひとつなく、涙なく楽しく平凡に人生をすごしている、そんな人はいないと思う。
だからこそ、芸術は、人を救う魂の調律剤なのだと思う。
実際にどう生きたかということは
大した問題ではないのです。
大切なのは、
どんな人生を夢見たかということだけ。
なぜって、
夢はその人が死んだ後も
いき続けるのですから。
ココ・シャネル
FIN
音楽映画のすばらしさ!!!! 「コンサート」「ブラック・スワン」
人間 この未知なるもの (知的生きかた文庫)/三笠書房
¥843
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アレクシ・カレルという1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞した素晴らしき医者が、映画について、かなり心配しております。(人間この未知なるもの)
つまり、映画の影響が人類の精神にどのような影響を与えるか・・ということですね。
三島由紀夫氏も、小説などのような活字よりも、「行動に訴える脳をつくる映画」というような、ちょっとニュアンスは違うかもしれませんが、そのようなことを書いていました。彼は、大の映画ファンでしたから。
たしかに、劇場型犯罪のような、ふざけた犯罪が21世紀は氾濫しはじめておりますが、これを映画のせいにしたり、マンガや推理小説のせいにすぎるのは早計でしょう。
ところで。その映画。
気が遠くなるような金がひとつの映画をつくるためにかかるために、どこの映画界者のスポンサーも、監督にそう好きなようには映画をつくらせません。よっぽど、ヒット作を連発するような世界的な有名なる監督以外は、ある意味、(読者に受けるようなあらすじを、コンピューターで書いて行くライト・ロマンス・ノベルもあります)
同じような筋書き、つまり、観客が喜ぶような物語に、どの監督も手をだしていくのではないでしょうか。
ビデオレンタル屋に行けば、目がくらむほどに、映画のDVDが氾濫している昨今。やはり、昨日書きましたが、淀川長治さんが10ヶ条で書いているように、「監督」や「俳優」で選ぶというのも、ひとつの手ですね。
しかも。 新作にこだわらず、古い作品をレンタル屋で、じっくり探すのも楽しいものです。
(新作は、5本で、1000円ですが、旧作は、12本で1000円という時もあります。)
ところで、音楽映画は素敵ですね。
昨日、たまたま、テレビで、チャイコフスキーの研究番組を見ていたら、貧乏な彼を支える女性がいたようですね。
彼は、ホモセクシャルでしたから、良い意味で、ふたりは生涯に一度も会う事もなく(ニアミスはあったらしいですが)、手紙だけで、プラトニックな友情を築いたようです。
最初の出会い。
やはり、天才をみいだす天才はいるわけで、彼のことを音楽会に紹介したり、楽譜を書く事を奨励したり、新しい服を買ってあげたり、貧乏で金のない彼の支援をしていたらしいです。
その彼のために、ピアノが苦手だったチャイコフスキーが書いたのが、ピアノ協奏曲だったと。
ふと、この映画を思い出しました。
「オーケストラ」
映画音楽の名作です。
見た方も多い思いますが、何回見ても、飽きない素晴らしい映画。
この物語は、天才ヴァイオリストの母親の娘と、一度は指揮棒を捨てた父親の、巡り会いと、老いた音楽仲間で、最後のコンサートを開演しようとする、物語ですが、アンヌ=マリー・ジャケが、育ての親であるギレーヌ・ドゥ・ラ・リヴィエールからアンドレイ・フィリポフのチャイコフスキーのレコードを渡すところ・・・印象的なシーン。
母親の音楽の才能が、娘で花開く。
遺伝子!!!!!
彼女がヴァイオリンを弾き始めると、それまで、凡庸だった音楽仲間の演奏に魂がのりうつるところが、ミソ。素晴らしいシーンの連続で、背中に戦慄がはしることうけあい。
音楽はいいですね。
このような、あらすじ。つまり、退屈な日常にあきあきする、凡庸で、平凡で、かなり不良の仲間たちが、ひとりの、リーダーあるいは異邦人の心に触れることで、ひとつにまとまって、なにごとかをなしえていく・・・・・・・・・・
「天使にラブ・ソングを」とかも、そうでした。
ジリオラチンクエッティの「愛は限りなく」では、とある誤解から大好きな彼が飛行機で去って行こうとする所で、彼女が歌うその歌で、彼の心をとりもどすというラスト・シーンは忘れられません。
この映画は、中学生の頃に、岩見沢市の駅前の小さな映画館で、休みの日でしたが、昼から、ひとりで、夜の九時頃まで、三回も見てしまい、親からかなりひどく怒られました。今のように、携帯もない時代。連絡のとりようもありませんし。
(ただ、今の映画館は基本総入れ替え制ですから、絶対に一回の料金で、何回も映画が見られませんから、その意味では、良き時代でした。)
さて、チャイコフスキー。
昨日の番組で、当時、低い評価しか受けていなかったバレー音楽に対して、チャイコフスキーが、何回も何回も挫折をしながらも、「クルミ割り人形」や、「白鳥の湖」などを書き上げて行くことがわかって、感動しました。
この「白鳥」。
西洋でも、いろいろな「芸術」のなかに登場するいわば神話的な動物--鳥ですし、漫画家の水野英子氏が、「トゥワイネルの白鳥」という傑作短編を書いています。
やはり、北海道のような緯度にある、北欧系の鳥でしょうか。
北海道道東への旅をした時。
バスで札幌から、走行距離390キロ、走りました。
時間にして、四時間ほどでしょうか。
でも、フランスのモンサンミッシェルへの旅は、往復10時間でしたから、それから比較すると楽なもの。
まず、朝はオシンコシンの滝を見て、知床斜里駅へ。それから、名物のノロッコ号に乗り、摩周湖、屈斜路湖、を見て、あしょろ庵。夜は十勝川温泉に泊まりました。
朝窓から見る、流氷のきれいなこと!!
素晴らしい眺めで思わず、パシャパシャとカメラ小僧になりきります。
そして、たっぷりの朝食。旅中は、ほんとうに朝早くから腸も大活躍。
家だと朝抜きが多いのですが、まあ、ごちそうには弱い私です。
それにしても、もりつけのセンスのなさが・・・笑い。朝は眠くてそれどころではありません。
そして、ノロッコに乗ったはいいですが、これがまた、すごい寒さ。カイロ持ってお尻にあてても、役立たず。芯まで冷えてしまい、とうとう風邪気味に、鼻から水がどんどんあふれてきました。
乗客は総立ちで、流氷を見、汽車の中に置いてあるダルマストープで、スルメを焼き、日本酒を飲んでおりましたね。私も、甘酒を買って、暖めてごくり。恐るべき寒さ、零下25度ほどか、昔はこの汽車、窓が全部解放されていたらしい。あまりの寒さに苦情があり今のように窓がつきましたが、それでも、かなりの寒さ。お客様が勝手に石炭をどんどんくべては笑っていましたが、気持ちがわかります。
そして、白鳥の飛来する湖として有名な屈斜路湖の砂場。数百羽の白鳥にはほんとうに、びっくり。これが今回の旅で一番のサプライズでした。パン屑を100円で買い、大きく手を振ってほおりながても白鳥は、もうのんびり、近くのものがぱくぱく食べるくらいで、まわりの白鳥はゆっくり、近寄ってきます。
もう優雅。
ガツガツしていない。
これが古来、白鳥をテーマにした優雅なアートが生まれる要因なんですかね?
というわけで、白鳥といえば、この傑作シネマ。「ブラック・スワン」でしょう。
傑作かどうかはともかく、私の大好きな映画のひとつです。
かなり強烈に「好きな」シネマ。・・・・
ナタリー・ポートマンと言えば、私の好きな「おかっぱ頭」レオンの少女が思い出される。レオン 完全版 [DVD]/ジャン・レノ
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私の絵にもずいぶんとおかっぱ頭は不思議と出てくる。つげ義春の「紅い花」の少女もそうだ。
紅い花 (小学館文庫)/つげ 義春
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その彼女もスターウォーズにも出ていて、こんなときになって、「ブラック・スワン」のヒロインとしてまたまた、出会うとは夢にも思わなかった。
夢。
そう、夢と言えば変容メタモルフォーシス。
カフカの小説のように、井伏鱒二の山椒魚のように、何が夢で何が現実かごっちゃまぜになってくる。
夢ではこのメタモルフォーシスは当たり前。変身 (新潮文庫)/フランツ カフカ
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自分の好きな女の子が突然に母親の顔になったり、その顔がまた見知らぬ老人の顔になってドキッとして眼がさめる。
いつも、原因不明の「不安」を「感じて」いた私は、対人恐怖・視線恐怖をとうりぬけ、心臓不安症になっていたんだと思う。
朝、顔を洗っていると突然不安に襲われる。
会議にそれで行きたくなくなり、飛行機に乗れなくなったりもした。今のはやりの言葉で言えば、パニック症候群の初期だったのかもしれない。
ゴッホの生涯を描いた「炎の人」という文庫を飛行機のキャンセル待ちで、半日読んでいたことを懐かしく思い出す。炎の人ゴッホ (中公文庫)/アーヴィング ストーン
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・・・・・・・・・
さて。「ブラック・スワン」
映画というものはほんとうに不思議で、ある人にとっての傑作がある人にとってはたいそうつまらないシネマということもよくある。
この「ブラック・スワン」が私の心のなかまで、突き刺さってきたのは、たぶん、私がかなりの音楽愛好家ということもあるのかもしれない。
友だちにもバレエをやっているものがいて、シューズをプレゼントしたこともあってか、白鳥の湖には昔からこだわりを持っていた。
さっきも書きましたが、水野英子氏の隠れた作品だが、「トワイネラの白鳥」という短篇マンガがあって、シベリウスのそのレコードを貧乏漫画家がある日逆の方向から聞いてしまうと、彼はまだ見ぬ世界へと飛び立って行くという筋だったような記憶がある。
マニアックなことはよくわからないが、それらのキーワードを少し羅列してみると、
バレエ 白と黒 天使と悪魔 無垢と淫乱 アポロとディオニソス そんな言葉とともに、
メタモルフォーシス 幻覚 性 麻薬 ダンス ライバルへの嫉妬 殺意 焦燥 そんな言葉も浮かぶ。
日本の映画でも、「シャルウィーダンス」という映画で、確か、踊りの先生役で、草刈民代が出ていたが、彼女は実際にもバレエ界でも屈指のダンサーであるので、ひきこまれたが、印象としてはやはりバレエが上手くとも、演技はどうしてもついていかないという感じがした。
ナタリー・ボートマンはもともと女優なので、演技が上手いのはわかるが、よくここまでバレエを踊れるようになったものだと深く感心した。
舞台的な演出ではなく、16ミリカメラで、追いかけるように「白鳥の湖」を撮っているので、バレエにあまり興味がない人でも、迫力を持って見れると思うが、こんなプロレスやボクシングを撮るようなカメラワークでよくバレエを表現したものだ。
幻覚。
かつては、人は現代のような忙しい日々をおくっているわけでもなく、祈りに精神を集中していたせいだろうか、記録にも、キリストのことを思うあまりに、腕のつけねから、血が吹き出したという記述が残っている。
そこまでいかなくても、追いつめられた精神的な不安から、体中にジンマシンができてしまって、入院した女性を私は知っている。
そして、その追いつめられた原因の催し物が終われば、不思議とジンマシンは治る。
そういう私も、会社時代、床屋に行くと、「あら、ここにハゲ」がありますよ、と言われて驚いたことが。
ストレスからくる円形ハゲだった。^^
精神=心=言葉 それと、 身体=肉体=行動
ちょいと、それますが・・・
ノーベル賞受賞の実在の天才数学者、ジョン・ナッシュの半生を描いた、「ビューティフルマインド」というシネマも良かったなあ。
ビューティフル・マインド (DHC完全字幕シリーズ)/著者不明
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幻視に幻覚。
あれほどの明確な幻視はないと批判されたシネマだが、人の心のなかには、それらを見せてしまう「何か」があるんだと思う。
要は、「惑星ソラリス」ではないが、人が勝手に「自分の好むままの幻覚」を見る。
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)/スタニスワフ・レム
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自分が持っていないものを、持てないのならばということで、脳が勝手につくりあげる。
そんな人は、普通の人にはなかなかいないのだろうが、天才的な人や、追いこまれた人、
死の直前までに誘われた人、強烈に孤独心の強い人、のみに
「開かれる扉」なのかもしれない。
そうやって、ナタリー・ボートマン演じるニナは、普通の人が開ける事の出来ない心の扉を開ける。
はたしてあの瞳は光のなかで永遠にとざされるのであろうか?
とまあ。
いろいろなことを考えさせられる、おもしろい映画だった。
「映画のデジタル技術」と「脳」の関係はこれからも、進化していくのだろうと思う。
高校の頃、「バーバレラ」を見て凄いと思ったが、今見ても、すごいとは思わない。
30代で、「2001年宇宙の旅」を見て驚愕したが、今見ても、それらのテクは皆真似されている。
40代で、「危険な情事」でハラハラしたが、今はどのサスペンスシネマでも同じ。
50代で、「マトリックス」でまたまた驚愕したが、今見ても、同じ感動はない。
この「ブラックスワン」のラストシーンは、その意味では、圧倒された。
今、見直してもまた、感動はある。
(あの皮膚感のデジタル技術はたぶんまたすぐに真似されるとは思うが。)
こうやって、「脳」はいつも「あたらしいもの」を欲している。
映画はさらに、工夫を求められるのだ。だから映画は楽しいのだが。
何回みなおしても、
この映画、よくマイナーなテーマをメジャーな曲とメジャーな俳優たちでよく練り上げたものだ。
びっくりする。
(フランコ・ゼフェッツリ監督の古典的な手法でこのシネマをつくったらどういう味わいのシネマになるかなぁ? パソコンもない時代にこの映画をもしも、つくりあげたら、・・・・)
やはり、シネマは、監督のそれぞれの「味付け」がまた楽しい。
この監督は、ロマン・ボランスキー監督とよく比較されるらしいが、たしかに、連想は、「ロズマリーの赤ちゃん」か・・・・・
しかしながら。
ナタリー・ボートマン。
最近は、アベンジャーズにも出ていましたが、結婚してからは、少し、リラックスしているのかな。
もうひとつ。
映画は不思議なのは、何回もくりかえし、くりかえし、見る事で、別な楽しみ方もできる。
淀川さんが、10ヶ条で言うように、
「頭でみないこと、感覚で見なさい」と。
それと。
「良い映画は何回も見る事」これでしょう!!!!!
この映画のなかで、妊娠したことでバレエ界をあきらめた母親の視点から見て、その盲目的な母親の愛からの娘の脱出劇として見ることも楽しいかもしれません。
水清ければ魚住まず。
しかしながら、私は、人の心の奧、魂の不可解さ、魂の不思議、人が現実に欲するものを魂が具現化する飽くなき力、狂気一歩手前まで行くことで可能になった「コンセントレーション」の物語、という見方が好きなんですね。^^
よく天才は「何かが欠けている人」だという言葉がありますが、それは真実です。
悪魔になれるのも天使のみ。
天使になれるのも悪魔のみ。
そういうことです。
「欠けている」からこそ、「埋め合わせ」ようとするんだということです。
最初からバランスが良ければ、補足する必要もありません。
シューマン、モーツアルト、シューベルト、ベートーベン、その他たくさんの音楽家を描いた映画ありますね。
音楽にちなんだ映画は、見る楽しみに加えて、最高のスタッフによる聞く楽しみもありますね。
そこが、音楽映画の素晴らしいところです。
最低からはじめる・・・・「愛」「夜行列車」アン・ハサウ「ゲット・スマート」「ハート・ロッカー」
自分が最低だと
思っていればいいのよ。
一番劣ると
思っていればいいの。
そしたらね、
みんなの言っていることが
ちゃんと頭に入ってくる。
自分が偉いと思っていると、
他人は何も言ってくれない。
そしたらダメなんだよ。
てめぇが一番バカになればいいの。 赤塚不二夫
変な時代になったものだと思う。
なにかにつけて、すぐに、短絡的に、レッテルを貼る。
なんでも、かんでも、一般論で、ひとくくり!!!!
ひとりひとり、個々に、微妙なる「気配」などがあるだろうに・・・
しかも、現代は、すぐに、人を殺めたりも輩がいたりするので、始末が悪く、ますます、言葉嫌悪が
一人歩きする。
世界の偉人と言われる人は、私は伝記が好きなのでよく読むけれども、ほとんどが、
母親への愛情をバネにして、偉大な業績を残している。
少しでも、本を読んでいる人ならば、
今の現代、あざけるようにして、「マザコン」という言葉を乱用しているが、
子どもが真摯に持ちつづけるモチベーションの源としての母への愛と、マザコンは、あきらかに、違うだろうに。
それが、まったく混同されて、気持ち悪いの一言で片付けようとする短絡的若者女性。
もちろん、その逆も。
父への愛は、当然であるし、娘が娘として、きちんと成長するのに必須な父親への愛も、
ふざけた話し、吉本漫才よろしく、すぐに、「あんた、ファザコン」じゃあないの、とくる。
・・・・・・・・・・・
「ストーカー」という言葉がある。
警察に相談しても、警察は事件が起きてからではないと対処できないとか、アホなことばかりぬかすので、結局のところ、若き女性が、被害にあって、最悪殺されてしまう。
しかしながら。
なにやら、「言葉」が足りない・・・・・最近つくづく、そう思う。
男にも、女にも、「言ってはならない言葉」
「一線を超えてはならない言葉」というものが、あることは、知りたいものだ。
・・・・・・・・・・・
異性にアプローチするのならば、言葉が必須。
しないのならば、良い意味での、秘する花、・・・・・・・・つまり片思いに徹する。
そこの割り切りが肝心。
男は、言葉が下手。
女は、口が上手。これは、小さな子どもを見ればよくわかると思う。
だから、男子は、ライバルに勝つためには、言葉以外の方法をとることも多いのだ。
そして。
秘する花もあるのだ。自分の気持ちを相手に伝えない美学。
そこから、悲劇は生まれるかもしれない。
あるいは、その覚悟が、伝わって、愛が成就するかもしれない。
・・・・・・・・・・・
しかし。
誰にもその結果はわからない。
「愛」
加治一生の「愛」という作品がある。
三島由紀夫が愛した平田弘史の、ペンネームで、生涯二作しかない。
この作品と、あとは、「愛憎必殺剣」。
おもしろいのは、石森章太郎にも似た作品があり、
父の仇をうつために、30年以上苦労に苦労を重ねた主人公が、
とうとう、父の仇を見つけて、討つのだが、
石森章太郎は、そこで、近くに現場を見ていたかつての自分と同じ年回りの子どもを見つけて、
その子どもを泣きながら殺すという作品。
平田弘史の「愛憎必殺剣」は、まったく同じ設定で、やっと父の仇を討ったあとに、彼の子どもを見つけて、自らが割腹して、果てるという筋書きとなっていて、興味深い。
貧乏な浪人の子ども。
一目惚れした、女子が好きで好きでたまらない。
まちぶせしては、愛の告白をするが、剣の達人の娘のこと、簡単には、こころを許さない。
主人公は、その美しい娘を自分の嫁にするべく、剣の達人の道場へと、導かれるようにして、入門する。
もちろん、指一本彼女には触れないという父親との約束のうえで・・・・・・
時ははやいものが、あっというまに、10年がたち、剣の達人であるところの父親は、道場の権利を譲りたい、しかも、娘を嫁にしてもらうとの条件で、ふたりの剣士を選択する。
さきほどの主人公と、ライバルの剣士である。
まさに、夢にまで見た、嬉しい話し。
なにがなんでも、相手に勝って、彼女と結ばれたい、そう願う彼であったが、
主人公は、とある日、すでに、ライバルと、彼女が、できていたことに気づく。
しかも、子どもまで孕んでいる。
悩んだ。
悩んだ。
苦しみ抜く。
荒れる。
荒れる。
酒を飲み、周囲に乱暴を働く。
酒。
酒。
酒。
酒が、何か一点の「覚悟」に収斂するための、儀式であるかのように。
・・・・・・・・・・・・
そして、試合当日。
木刀での、判定では、父親から負けと言われたものの、真剣勝負を提案し、
ライバルと、勝負することにする。
・・・・・・・・・・・
そして、彼が愛する彼女をどうしても欲しいがために、血のでるような苦労の末に編み出した秘剣を使って、ライバルを撃ち殺す寸前で、止める。
「松風、わたしの秘太刀・・・おぼえておられい」
「幸せにくらせ、愛する千枝殿とな」と、みずから、切腹をする。・・・・・・・・
たかが、マンガ。
されど、マンガ。
直木賞や芥川賞を獲っても、その後、まったく作品が書けないで、消えて行く作家達。
せいぜい、テレビのバラエティやクイズ番組で、土方よろしく、小金を稼ぐしかない作家達。
それから比較すると、アイデアから、ネーミング、そして、コマ割りから、構図、ペン入れから、墨、アミ、そして、修正。徹夜を繰り返して、一ヶ月に、300枚ほども描く、まさに命をけずって、描くマンガ家たち。
どちらが良いかどうかは、ともかく。
小銭をもらっては、銀座で飲んでいるきどった自称作家達よりは、家で、あんぱんをカジりながら、子ども達を笑わせようと、びっくりさせようと、ひたすら原稿用紙に向う、漫画家達が、私は好きだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ひとりで考え、
ひとりで素晴らしい作品を
生み出す人なんて
そんなにいやしないよ。
天才には必ず
その天分を引き出す人間がいて、
そいつのほうがもっとずっと
天才だったりするんだ。 赤塚不二夫
男どうしにも、ベッドはともにしないまでも、好き嫌いはある。
なにか可愛くて、(可哀想と同義)、何かしてあげたい奴はいるものだ。
赤塚不二夫。
最初の頃、トキワ荘の頃、まったくマンガが書けずに悩んでいた。
そのときに、「アイデアが多すぎるから、もっとシンプルに」とアドバイスしてくれた先輩の漫画家、寺田さん。
赤塚に、金をかしてくれたりもした。
もちろん、飯を食う金もない赤塚に、飯も食わせてくれる。
石森もまた、赤塚に、タダで映画を一緒に連れて行ってくれたり、飯をおごってあけだりもした。
赤塚の最初のデヴュー作ともいうべき「ナマちゃん」(これは私は持っていたけれども、売り払ってしまった・・・・今思うと残念)。
これまた、石森章太郎が、出版社がギャクマンガを描ける人はいないかというときに、赤塚を紹介している。
これで、赤塚の作品が、晴れて、印刷されることになる。
赤塚は、漫画家を止めて、ボーイにでもなろうかと決めていたので、これら、友達のアドバイスや、面倒を見てくれたこと、紹介などは、まさに彼の人生を決めたと言っても過言ではない。
タモリがまだ売れないころ、マスコミにさほど知られていない頃に、彼の天才を発見して、自分の家に居候させ、面倒を見、好き放題に暮らせたあげたというのも、この頃の、赤塚の思い出、自分が友人から助けられたことと、無縁ではないと思う。
タモリは、このクリップのなかで、生まれてはじめて「ありがとう」と言っている。泣ける。
・・・・・・・・・・・・
人は、ひとりでは生きて行けないし。
成功は、しばしば、本人の才能や努力を超えて、他人が発見し、また、他人がそのチャンスをもってきてくれるものするものでもある。
それも、それを狙って、友達をつくるのでは、機会はもらえるものではない。
純粋無垢に、その仕事が好きで好きで、必死に頑張っていることが基本にあると思う。
それなのに、成功しない、売れない、・・・・・悩んでいる・・・・・そこに、手がさしのべられるのである。
それは、なにやら、その影に神様の力が働いているかのようだ。
三島由紀夫は、「赤塚不二夫みたいに読者から愛されていることに」かなり、羨ましいとも描いている。・・・・・・・・
やはり、作家。それぞれの、道。それぞれの、個性。それぞれの、魂なのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところで、立原正秋は、好きな作家だ。三島由紀夫とはまったく違う、美の宇宙を、バッハを聞きながら、描き分ける。
散歩をしては、アイデアが浮かぶと、家に走りもどっては、原稿用紙に向ったという。
吉行淳之介と比較すると、やや渋みに欠けるけれども、どの作品も、ひきこまれる。
恋愛は常に不意打ちの形をとる。 立原正秋
立原正秋氏の小説など読んでいても実に主人公の男がもてて、ふらりと入った居酒屋のママと洒落た会話をしながら酒とつまみなどを味わうシーンがでてきますね。映画でもママが良いとシーンに飲めりこんでいきます。
私は、彼の小説では、そんなスナックや、居酒屋でのシーンが大好きです。★画像をクリックすると大きくなります★
漫画ではどうでしょうか?
しかも、ブラックで辛口の、しかも線が太くてちっとも洒落てはいない画風の藤子不二雄氏だとすると・・・・
それがそれが、他の笑うセールスマンとは違ってこの「夜行列車」だけは最後のラストシーンでさほどのオチがないのですね。
しがないサラリーマンを絵に描いたような(漫画ですね、この男性昔の私がいた職場の上司にそっくり。それで感情が移入がしやすかったのかもしれませんね。笑い)男の主人公が、笑うセールスマンに「ふらりと夜行列車に乗って旅をしてみたい、そしてそのふらりと降りた小さな街の居酒屋にはきれいなママがいて、お酌をしてくれる・・・なんて話があるはずがない・・・」とか思っているのですが、実際に夜行列車いいもんだなあ、とカチカチのまじめなサラリーマンはどきどきしながら居酒屋の扉を開けるんですね。
そこには、きれいなママがいるはずはないじゃあないか・・・でもいいか。そんなふうに入った彼の目の前には・・・というふうにしてこの漫画は実に癒されますね。
しかも、そのママがきれいなだけではなくて、優しくて、二階にまで泊めてくれて。
まるで男の夢物語そのものですね。
そして男はそこにいつくようになり、そのまま夢は続くと思いきや。
笑うセールスマン、喪黒福造が「すみつくならすみつくで、一度家に電話してみたら」とテレフォンカードをおとこに渡すんですね。
すると、娘が出て・・・ママが倒れたと。
慌てて、結局男はふらふらとまた実家にもどるのですが、その夜行列車の窓からその居酒屋のママの姿が見えるんですね。いやあ、性格の良いママでしたね。
しがないサラリーマンの彼は涙目で「しばらくのあいだ、楽しい夢を見させてくれてありがとう」、そう言って、さようならと言うんですね。
いいですねえ。
やっぱりなんだかんだ言ってもそこでは暮らせないことわかっているのですが、二枚目の人生というような役を人生で一度はできたということで満足したことでしょうね。笑い。
最後に喪黒氏が、ママのところでかわりにお酒を飲んできましょうというオチがまた、不思議な神秘ゾーンの所在をイメージさせてなかなか渋い終わり方でした。
この藤子氏の漫画、実に人生の庶民の心をつかんで描いていますね。今の小説家ではこんな才がある人はいないでしょう。
「漫画家になれないから、小説家になった」という人はたくさんいますよ。
それだけ、絵を描くのはむづかしいということです。
うさぎどんと きつねどん ジョーエル・チャンドラー・ハリス著 ネンツィオーニ絵
むかしあるところにうさぎどんときつねどんがいました。
ある日、きつねどんは森をかけめぐりタールを集めると松やにとまぜあわせて人形をつくりました。
きつねどんは人形を道の端にすわらせこっそり草むらへ。
「おや、あんなところにだれかいるぞ」
うさぎどんは、かけより人形に声をかけました。
「やあおはよう、いい天気だね」
ところがタール人形は何もいいません・・・
うさぎどんは首をかしげるばかり。
「ふふふふふ、タールと松やにの人形がものをいうわけないじゃあないか。うさぎどんはかしこいようでも、まぬけだねえ」
「ぼうしを脱いでおれさまにあいさつができないのなら、ぶんなぐってやる」
ところがげんこつがくっついてとれなくなってしまいました。
「ややっ、これはこまったぞ」
「やい、はなせったらはなせ! いうことをきかないのなら、けっとばしてぺちゃんこにしてやるぞ、そーれ」
こんどは足までくっついてしまいました。
「よーし、こうなったらもうづつきをくらわしてやるぞ」
うさぎどんがタール人形にづつきをくらわすとさあ大変、頭までくっついてしまいました。
そこに草むらに隠れていたきつねどんが、あらわれて「やあ、うさぎどん。朝からとんださいなんだねえ。かしこいうさぎどんらしくもない、どじなことをやっているじゃあないか、これは愉快だ」
きつねどんはころげまわって笑い続けます。
それから幾日かたち、タールをからだからとりおえたうさぎどんは、メドウスさんの家に遊びにいきました。
「まあ、いらっしゃい。このあいだは、きつねどんがつくったタール人形と、とっくみあいをして、ひどいめにあったそうね」
メドウスさんやむすめさんたちが、くすくす笑いながらいいました。
「きつねどんが自慢してあちこちにふれまわっているらしいわよ」
うさぎどんはすこしかっとしましたが、すずしい顔で、「ちょっとおしゃべりさせてください。そのまえにこのお花をどうぞ」
メドウスさんに森でつんできた花をプレゼントしました。
そして、こんな話をはじめました。
「みなさんはわたしがきつねどんにだまされたので、わらいものにしたいのでしょう。しかし、きつねどんはいまでこそ、えらそうな顔をしていますが、じつは長いあいだわたしの父が馬代わりにきつねどんに乗っていたのですよ」
「まあ、ほんとうかしら」
「しょうこは明日にでもおみせしますね」
つぎの日。
きつねどんがメドウス家に行って、どんなにうさぎどんがまぬけかをしゃべりだすと、メドウスさんとむすめたちは、「でも、きつねどんは長い事、うさぎどんのお父さんの馬がわりだったそうね、うさぎどんから聞いたわよ」
きつねどんは、「でたらめにもほどがある、ぜったいにゆるすもんか」
うさぎどんの家にかっかっしながら向かいます。
「うさぎどん、おいらだよ。」
けれども、うさぎどんにはきつねどんがおしかけてくることがはじめからわかっていました。
考えがあってわざとおこらせたのですね。
うさぎどんはドアにかぎをかけてしばらくのあいだ、じっとしていましたが、弱々しい声でこういいました。
「きつねどん、いいところにきてくれた。けさ食べたパセリでおなかをこわしてしまったので、いたくてしょうがない。わるいけどおいしゃさんをよんできてくれないだろうか、お願いだよ」
「なにをいっているんだ。はらいたくらいすぐなおるさ。じつはねすばらしい知らせをもったきたんだ」
きつねどんは懸命です。
「これからメドウスさんのところでパーティがあるんだ。むすめさんたちも、うさぎどんがこないとつまらないというのでおいらがよびにきたったわけさ」
「とても歩いてはいけないよ」
「おいらがだいて行ってやるよ。それならいいだろう」
きつねどんはにやりとしました。
「だけどおとされたら大けがをするからね。きつねどんの背中にのせていってくれないかなあ」
「いいとも、おやすい御用だよ。さあ」
きつねどんは背中をむけました。
けれども、うさぎどんにはきつねどんのたくらみがわかっていましたから、そのまま背中にのったりしません。
「くらがないとおしりがいたくなってしまう。それに、たづなもないととちゅうでふりおとされちゃう」
「なるほどそのとうりだ」
きつねどんはしかたなくくらとたづなを持ってきました。
「さあこれならいいだろう」
きつねどんは走りながらうさぎどんにたのみました。
「メドウスさんの家のちかくになったら、おりてくれよ。おしらがうさぎどんの馬がわりなんて思われたくないからね」
「うん、わかっているよ」
うさぎどんはそう言いながら、足にぎざぎさの金具をつけました。
メドウスさんの家にちかづいて、きつねどんがうさぎどんをおろそうとしたときです。
うさぎどんは金具で思い切り、きつねどんのわきばらをけりました。
おどろいたきつねどんはそのままどっどっと、メドウスさんの家の門の中まで走り込んでしまいました。
「はいどう、とまれ」
うさぎどんはぴょんととびおりると、きつねどんをさくにくくりつけてメドウスさんやむすめさんにむねをはっていいました。
「ほうら、きつねどんがまえから、馬がわりにのられていたことがこれでよくわかったでしょう」
この絵本の物語は、アメリカの1879年の当時のアメリカ南部で働く黒人たちの間で語り継がれた物語なんですねえ。
黒人のリーマスじいやが語るという形式で発表された一部の物語りですね。
弱いものが強いものを知恵とすばしこさでへこます痛快さは、イソップやフランスの「きつね物語り」にも共通するものがあります。
この1879年。チャイコフスキーモスクワ音楽院で上演、ガウディが登場し、エクトル・マロの「家なき児」、エジソンが発熱電球を発明した頃ですね。ベーベルの「婦人論」イプセンの「人形の家」など、女性の権利をめぐる議論がではじめた年でもあります。
しいたげられた黒人が子供にこういう読み聞かせをすることで我慢強く生活していったことを考えると、生きることはもう戦いですね。
絵本とはたんに優しき子供の読み物、寝物語だけなのではありませんね。
あと、私はこのうさぎどんときつねどんの絵が大好きです。
ネンツィオーネ氏というたぶんイタリア系の画家でしょうか。不思議の国のアリスばりのリアルではあるけれどもなんとも言えない表情で私たちを魅了してくれます。
松本人志は書いています。
「ほんとうのファンは、けっこうヒットチャートの一位よりも、四位くらいの曲が好き。でも、それはシングルカットされんかったりする。・・・」
そんな意味で、彼は、タケシのファンであるがゆえに、「菊次郎の夏」や、「hanabi」よりも、「キッズリターン」や、「ソナチネ」「その男凶暴につき」の方が好きだという。
好き。
これが一番の批評だと、私も思う。
人それぞれに、DNAが違うように、好みはまったく違う。
人がこの映画が良いと言っていたとか、キネマ旬報で一位だったとか、アカデミー賞をとったとか、なんであろうと、好きなものは好きだし、嫌いな映画は嫌いなものだ。
だから、映画は、自分の大切な映画があって、それは人がなんといおうと、自分のベストであり、自分のフェボリットなんだと思う。
アン・ハサウェイの「ゲット・スマート」見ました。
とあるように、アメリカのテレビコメディシリーズだったらしい。
とにかく、笑える。
最初は、007ものの、駄作かな・・・・・と、半分諦めながら見ていましたが、ところが・・しだいに、ジョークのツボみたいなものが、わかってくる。
キャッチコピーみたいなワンパターンの台詞もあり、
, "Missed it by that much!", なんかは、 「あと、ちょっとだった」 と、訳すらしい。
バタ臭い、アメリカ美女と、どこかコッケイな主人公マイクの失敗そして、成功。
笑えます。
アン・ハサウェイの今回のゲットスマート版。
それこそ、彼女のスマートで、かっこよいアクションが楽しめます。
アメリカのテレビ局は、日本のように、おのおののコメディアンやら芸能人が、芸能事務所を核として、好きに出ていますが、アメリカのテレビ局はそのようなシステムがないらしく、専属として、ケーブルテレビと契約しているらしいです。
ユーモアも、アメリカらしく、日本のようなボケと突っ込みなどはなく、独特のユーモアのセンス・・ボケだけで、成立していますし・・・。
とにかく、この時代。
とことん、笑えるだけの映画って貴重だと思う。・・・
見たあとのカタルシス感、最高。
「ハートロッカー」 見ました!!
イスラムという巨大な歴史・・
キリスト教とは同じ源であるのに。
調べれば調べるほどわからないことだらけ。
女性監督。
八ミリビデオで撮ったかのような、カメラのブレがまた不安感をあおる。
イラクの破壊された街角には、ぼろぼろの猫が歩いている。
びっこの猫がそれでも必死に生きている。
宇宙服のような防御服を来た戦闘員たちは、まるで、月を歩いている宇宙飛行士のようだ。
それだけ、イラクの街角は、異郷。
もともとはここにも平和と談笑と愛があったはずなのに・・・・・・。
開高健が言うところの、ひとつの本からひとつの言葉・・・・・・ということで言えば、この映画の一言は、「戦争は麻薬だ」という言葉だろう。
「戦争は麻薬だ」
ブラボー中隊が任務あけまで、あと、◎◎日・・・・・
ドキュメント手法で、描く・・・・・・・その緊張感。
おなかのなかに、爆発物を入れられた少年が殺され、彼をだきあげた米兵がしずかに歩いて行く・・・・・・このシネマの一番の哀しみのシーン。
うたれます。
しかしながら。
寝る前に見る映画ではないでしょう。夢にでてきます。
ああ、世界は、どこの国も、テロに、飢餓に、圧政に、地震と・・・・・・・・
常に死と隣り合わせ。
人類が誕生して、たしか、二億年でしたか。
ずっとそんな状況は変わりません。
それがわからないというのは、まさに平和ボケ、テレビの見過ぎ、ものを考えていない証拠でしょう。
坂口安吾が言うように、「生き抜く」ことだけが、生きる目的なのかもしれません。
いつのまにか、そんなことも忘れて、この一見スマートで、クールで、便利で、合理的な、世界に
だまされてしまいます。
いつも書いていますが、朝起きたら、
一度は、その日のうちに、ありとあらゆる自分の死をイメージして、それから深呼吸して、一日をスタートすることでしょう。
「葉隠れ」です。
だからこそ、生きることがなんと素晴しく、感謝の気持ちがわきあがってきます。
それに、何かの事故や災害に対する、適切なる判断力が生まれようというものです。
・・・・・・・・・・・・・・
ハート・ロッカー。
映画を見ながらそんなことをぼんやり、考えていました。
アラン・レネ。
やっぱり。
フェリーニやら、黒沢やら、ビィスコンティやら、このアラン・レネやら・・・
黒白が多いですが、
すっきりします。
魂が洗われるようです。
何回も見ています。
・・・・・・・・・・・・・・・・
◎資料
映画監督アラン・レネ 「夜と霧」で注目
AFP通信によると、フランス・ヌーベルバーグの先駆けとなった映画監督として知られるアラン・レネさんが1日、パリで死去した。91歳だった。
1922年、フランス生まれ。「ヴァン・ゴッホ」で49年、米アカデミー短編映画賞。ナチのユダヤ人虐殺を主題にしたドキュメンタリー「夜と霧」で注目される。59年、原爆の記憶が残る広島を舞台に、フランス人女優と日本人建築家の愛を描いた「二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」で長編映画に進出。61年、「去年マリエンバートで」でベネチア国際映画祭の金獅子賞を受けた。
思索的で難解な作風で知られる。他の監督作に「薔薇のスタビスキー」「プロビデンス」など。晩年まで撮り続け、今年のベルリン国際映画祭では新作「ライフ・オブ・ライリー」でアルフレッド・バウアー賞を受けた。(パリ)
「クロイチェル・ソナタ」見ました。
以前から、どうしても見たいと探していました。
クロイツェル・ソナタ [DVD]/出演者不明
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ワイルドが書いているように、道徳的な書物というのはない。
道徳的に書かれているかどうかの問題。
この「クロイチェルソナタ」を聞いて、トルストイが書いているのは、嫉妬の恐ろしさだと思う。
禁欲的な愛を解いていると解説にはあるけれども、そうなんだろうか。
たしかに、音楽というものの悪魔的な覚せい剤にも似た魅惑は認めたとしても、疑問は残る。
いつも書いているけれども、音楽はマゾヒスト的な感覚であり、ディオニソスでもある。
それに比較すると彫刻などはサディズム的でもあり、アポロン的でもあると、言われるが、
三島由紀夫氏が音楽が非常に苦手であったというか、ワーグナーと黒猫のタンゴくらいしか知らなかったかもしれないというのは、冗談だけれども、文字の偏愛がすぎてしまうと、右脳が働かなくなるのかもしれないし、またあるいて、音楽のそのディオニソス性、とろけるような優美が、苦手だということなのかもしれない。
このへんはよくわからない。
最近のイタリア映画におけるこのトルストイの作品の映画化されたものを見る限りは、そのあたりはうまく描かれていると思う。
これは実話なのだろうか?
そのあたりもこんど暇な時に、調べてみよう。
この作品にかぎっては、小説のほうが、興味深い。
・・・・・・・・・・・・・・
またまた、好きな童話。
この絵本は、絶版です。
Ferrero,Elisabetta の 絵 が、素晴しいです。
先日「三びきのくま」という絵本について書きました時に、これはロシアの民話と書きました。
文章を書いている方がアイヌの民話のように変容させておりましたが、もともとのロシア民話を調べていましたら、トルストイがこの民話を書き直していましたね。
彼の偉大なる著作「戦争と平和」と、「アンナカレーニ」の間に、この「三びきのくま」が彼によって書かれています。
ネットにも出ていなかったのですが、この絵本のあとがきにてきちんと紹介されていました。
ヤースナヤ・ボリャーナに農民の子弟のために開いていた学校の教科書として「綴字教科書」を出し、それを1875年に「新綴字教科書」にあらためると同時に、「ロシア読本」全四巻も出しました。この絵本はその時期に作られた物語なのです。
この絵がいいですねえ。丸尾氏の絵まで私なぞ、連想してしまいましたから。笑い。
しみそばかすや、エメラルドグリーンの細かな表現が愛らしいです。
私の息子もこの絵本が大好きで昔よく読み聴かせをしたものです。懐かしい。
先日の絵本では、少女はアイヌの妖精チュプが演じていましたが、この原作では少女は少女です。
そして、お父さんお母さんがあきれるほどのおてんばさんで、くいしんぼうさんでした。
「あら、もう夏よ。森の野いちごがあまくうれているわ。わたし食べたい、どうしても食べるんだわ」
そんな言葉とともに、少女は森の中に入って行くのです。
そして、森をぬけたところでくまの家を見つけるのですね。
物語はチュプのそれと同じですが、最後はとにかく必死で少女は逃げ帰るという設定になっています。くまは何もしないのに・・・
くいしんぼうで、おてんばさん。
19世紀にもとうぜんこのような少女はいたわけですが、その彼女のオーラはいつも物語のモチーフになるのは不思議な気がします。
最後に、「暗くなるまで待って」を再視聴しました。
好きな映画は、くりかえしくりかえし、見る事にしています。
・・・・・・・・・・・・
英語を学ぶならば、映画が一番。
淀川さんは、映画を見ながら英語をすべてマスターしたのだった。
こんな楽しい勉強法があるだろうか?
それにしても、ヘプバーン、凛として美しい。
これがほんとうの清楚で、知性のある、美しさなんだろうと思う。
いわゆる天賦の才に
恵まれていると思ったことはないわ。
仕事を心から愛して
最善を尽くしただけよ。
Audrey Hepburn (オードリー・ヘップバーン)
FIN
PR: 4月からスタート!「行政不服審査」が新しく-政府広報
抜けるか?ピート・ローズの「4256」 米では3千安打へカウントダウンTシャツで声援を送るが…
ユーチューブで人気の米女性歌手、銃撃され死亡 グリミーさん、公演後ファンにサイン中
米国の若手女性歌手、クリスティーナ・グリミーさん(22)がフロリダ州でのコンサート後にファンらにサインをしていた際に銃撃され、死亡したと地元警察当局が11日明らかにした。AP通信などが報じた。
米NBCテレビの音楽オーディション番組「ザ・ボイス」への出演で有名になった。動画投稿サイト「ユーチューブ」では、グリミーさんの動画は数百万のアクセスがあり、日本でもインターネットなどを通じて名前が知られるようになっていた。
警察当局によると、グリミーさんは10日午後10時ごろにコンサートが終わった後、ファンらへのサインを始めた。銃を持った男に撃たれ、グリミーさんの家族がすぐに取り押さえようとしたが、もみ合いのさなかに男は銃で自殺した。
犯人の人物像や動機は不明で、警察が捜査を進めている。(共同)米国の若手女性歌手、クリスティーナ・グリミーさん(22)がフロリダ州でのコンサート後にファンらにサインをしていた際に銃撃され、死亡したと地元警察当局が11日明らかにした。AP通信などが報じた。
米NBCテレビの音楽オーディション番組「ザ・ボイス」への出演で有名になった。動画投稿サイト「ユーチューブ」では、グリミーさんの動画は数百万のアクセスがあり、日本でもインターネットなどを通じて名前が知られるようになっていた。
警察当局によると、グリミーさんは10日午後10時ごろにコンサートが終わった後、ファンらへのサインを始めた。銃を持った男に撃たれ、グリミーさんの家族がすぐに取り押さえようとしたが、もみ合いのさなかに男は銃で自殺した。
犯人の人物像や動機は不明で、警察が捜査を進めている。(共同)米国の若手女性歌手、クリスティーナ・グリミーさん(22)がフロリダ州でのコンサート後にファンらにサインをしていた際に銃撃され、死亡したと地元警察当局が11日明らかにした。AP通信などが報じた。
米NBCテレビの音楽オーディション番組「ザ・ボイス」への出演で有名になった。動画投稿サイト「ユーチューブ」では、グリミーさんの動画は数百万のアクセスがあり、日本でもインターネットなどを通じて名前が知られるようになっていた。
警察当局によると、グリミーさんは10日午後10時ごろにコンサートが終わった後、ファンらへのサインを始めた。銃を持った男に撃たれ、グリミーさんの家族がすぐに取り押さえようとしたが、もみ合いのさなかに男は銃で自殺した。
犯人の人物像や動機は不明で、警察が捜査を進めている。(共同)
「北の零年」「春の雪」「スワロウテイル」「ダブリンの街角で」「駅馬車」「死者たち」「細雪」
「みなさんにね、映画を一週間に2本は少なくとも観てもらいたいのね。
どんなに後に、これが役に立つか、映画を観ることが・・・。
映画を観ることで、どんなに人間、成長するか・・・。
ということで、映画を絶対若い人に観てもらいたいと思います。
これは、決して娯楽ではありません。
人間の勉強ですから、映画をごらんなさい。」
・・・・・・・・・・・・淀川長治
サラリーマンを辞めて、故郷、北海道のここ、岩見沢市にもどってきて、はや、6年。
生まれたのは愛知の豊川稲荷神社の近くですが、あちこち父親の転勤で、三才の頃に、ここ北海道に引っ越してきました。ですので、純道産子ではありませんが、心の故郷はここです。
17歳の頃。
神奈川の大学に行きましたので、17年+6年=23年。
転勤などで、北海道で仕事をしたのが、6年ですから、合計29年ほぼ30年ですね。
東京で生活したのが、残り、33年。
ですので、北海道と東京のくらしがちょうど、半分半分になってきました。
将来は、またどこかへ、引っ越しもするかもしれません。
明日のことは、いつも書いていますように、私の大好きな言葉「ケセラセラ」です!!!!
というわけで、身体の調子ももどってきたので、前から気になっていた映画、「北の零年」をここ二三日かけて、見ました。
・・・・・・・・・・・
「北の零年」という映画、2005年に公開していたのですね。
私が、まだサラリーマンをしていた頃。記憶しています。当然、映画館に行って、見たくても、次から次へと仕事がありましたし、その当時は、たしか、本に狂っていた時期。
この映画、北海道の開拓民のことを描いた映画なんですが、レヴューを見ると、普通の人は、
まずまず評判が良く、逆に少し映画に詳しい人たちが、「15億も使ってこんな失敗作か」とか、
「吉永小百合が年齢的に奥さんに見えない」とか、なんで「吉永小百合と小さな娘」が、ふらりと、吹雪の中にでていくのかさっぱりわからない」とか、「娘が、成長した期間、あんな小さな子役がいきなり石原さとみが演じるのはちょいとヘン」とか、いろいろ、ありました。
『北の零年』(きたのぜろねん)は、2004年製作、2005年公開の日本映画。主演は吉永小百合。
明治初期に起こった庚午事変に絡む処分により、明治政府により徳島藩・淡路島から北海道静内へ移住を命じられた稲田家の人々の物語である。
と、資料にありますように、巨額の金をつぎこんでヒットを狙ったのでしょう。監督は、
行定 勲(ゆきさだ いさお)。ポスト岩井俊二と言われていますね。
「スワロウテイル」
ただ、独特の画像なので、もともと私の好きな「絵」だったので、いつかじっくり見たいなと思っていて今になってしまいました。
その監督行定 勲(ゆきさだ いさお監督)、さん。
「春の雪」三島由紀夫を作っておりました。
またまた、大好きな宇多田ヒカルが、この「春の雪」の主題歌をつくってくれて、感動でした。
( 映画「春の雪」主題歌)。PVはチェコのプラハで撮影された。第20 回日本ゴールドディスク大賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」受賞。
見ていて、監督のことはまったく考えずに当時は見ていましたから、まさか、この大河ドラマの「北の零年」と同じ監督とは・・・・・・・・・・
私はいつも、キモノが大好きなので、女優のキモノを見ているだけで飽きません。もちろん夏目漱石の「それから」が映画化されたときにも、男性のキモノの着方も実に参考になりました。
たとえば、作務衣をさりげなく着ているのですが、洋式というか、真っ白なワイシャツの上に作務衣を羽織ったりするのをみていると、ほおっと、感心し、自分もマネをしてしまいます。
(屋根裏の詩人と言われたボードレールは、どんなに貧しい時でも、清潔で真っ白なワイシャツを着ていたことを連想します。)
女性の髪型。
これも、映画ということもあるでしょうが、現代の髪型と比較しても、もうこれだけの髪型なんかは、できないなぁと、いつも専門書を見ながら、ため息をついてしまいます。
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手間ひまかけるのがあたりまえという時代。
基本は、花街で働く、遊女たちが、自分たちの付加価値を高めるため、もちろん自己満足、美の追求いろいろあるでしょうが、金持ちの旦那さんに買い上げてもらうために、いろいろ、キモノの小物にも、工夫をこらしたのでしょうね。
西洋でも同じでしょう。
バルドーのトップの高いヘアスタイルが好きなので、いろいろ調べてみましたし、マリー・アントワネットの時代とか、バロックの時代のヘアスタイルもまた良いですね。
でも、それでも、日本髪の美しさに比較すると、私は日本髪の方が好きです。
◎資料
武家の妻女が好んで結ったという「勝山」を、地毛で結うところをお見せします。
結髪 : かなすぎ美容室 大庭啓敬(おおばよしひろ)先生。
同じではないでしょうが、「北の零年」の吉永小百合を連想させますね。
吉永小百合。私のくらいの年齢の方にはすごい人気がありました。
存在感。大根と言われようがとにかく存在感。
三島由紀夫の春の雪は、誰しも知っているとうり、彼が自決する直前に、出版した「豊饒の海」の第一巻目です。
帯に、川端康成の推薦文がついていて、これがもう大絶賛。装丁は村上芳正でしたし、素晴しい製本でした。
もちろん私も書庫において、日々、読んでいます。
今、奔馬をたまたま読んでいましたが、・・・・・・・・
「日本語で表現される文学作品としては最高峰である」、・・・・・・たしか、このような褒め方でしたね。川端康成氏の三島由紀夫氏に対する推薦文は。(ニュアンスは違うかもしれませんが)
そんなわけで、三島由紀夫好きとしては、こんなちょっとした偶然にも、嬉しくなります。
やはり映画は、自分のものさしと、自分の目線、自分の楽しみ方で見れば良いのです。
なんだかんだ言っても、私は感動できました!!!!
「おっと思い、ぐいぐいひきこまれて、最後にやったぁ」と楽しめれば、映画はそれで良いと思います。
それに、普段、北海道と縁のない生活をしている人にとっては、あまり、おもしろくない脚本・・・物語なのかもしれませんね。
司馬遼太郎氏の、「跳ぶがごとく」という作品があります。
自身、働いていた頃は、現実に揉まれて世俗的な本は避けていたのですが、
自身が昼間は俗にまみれていたからでしょう。
夜は、なんとしても、芸術至上主義の、pureな、どちらかといえば、神秘や、
聖的なるものを追求したかったのかもしれません。
よく幻想的な、作品を、読んだものだった。
ミステリーは嫌いなのに、ポーだけはよく読んだ。
ゴシックロマンとか、渋沢竜彦氏のすすめる本など。
(澁澤氏も、三島由紀夫氏から、君がいないと日本文学史がつまらなくなるよ、と書いています)
ところが、50代に入って、京大教授で、敬愛した会田雄二氏が絶賛していた司馬遼太郎の本を、
読まずしても、本棚にそっと置くようになり、それは次第に、空高く増えていきました。。
気がつくと、彼の本は、代表的なるものはほとんど揃っていたわけです。
60代になったら、読むぞと、無意識に決めていたのだが、55くらいから読み始める。
まず、「坂の上の雲」を完読。
日本や世界を旅しながら気楽に、しかも、本質的なエッセイも少しずつ読み始めながら、
彼の旅の本なんかは読みたいものですね。そして・・・・・・
トイレの時に読もうと決めた本がこれ。
「翔ぶが如く 」
地味な題名だったし、自分が一番苦手な歴史ものだったが、半年かけて、読了。
書き込みをぎっしりしながら、格闘した本。
自分がいかに、歴史の知識や知恵がないか、痛感できただけでも良いと思う。
それにしても、すごい本だと思う。
左右ということを超えて、彼の「歴史観」は、実に、参考になる。
この本を読んだ後に、「北の零年」を見ると、またまったく現実感覚が生まれてきます。
淀川長治さんが、「映画ばっかり見ていては駄目」「本も、音楽も、芸能も勉強しないと駄目」とさんざん言っていたことを思い出します。
もともと、私は、三島由紀夫氏や小林秀雄氏、江藤淳氏、などなど、保守の人たち、伝統的なこと・ものを大切にする作家に弱かったので、司馬さんの思想は少し、苦手意識もあったのですが、
読み始めると、さすがに、資料資料の事実に裏付けられて、彼の歴史観は、ヤワなものではないということが、しっかりと、認識できたつもりです。
この本の中にも、西郷隆盛の明治時代における、日本の混乱、・・・特に、廃藩置県に対する武士の憤りのすさまじさが、描かれていますから。
この本のおかげで、「北の零年」の中で。
淡路から、希望をもって、北海道に自分たちの新しい国をつくるんだと海での遭難などでたくさんの犠牲者をだしながらも、船で、やってきた武士や百姓たちのことが、イメージしやすかった。
それに自分がすんでいるのが、まさに、北海道ですから、普段、いろいろな北海道の歴史を考えていて、ずいぶんと参考になりました。
翔ぶが如く〈1〉 (文春文庫)/文藝春秋
¥627
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ところで。・・・・・・・・・
私はいつも、北海道は日本ではない、そう書いています。
もちろん、ここは日本には違いないのですが、そうではないようなことが、多すぎるのです。
最初は、直感でしたが、たとえば、桜ひとつをとっても、本州の桜、特に関西やら、東京の桜・・・・・・新宿御苑でも良いですし、井の頭公園でも良いのですが、・・・桜が、美しすぎるのです。
ですので、高校生の頃まで、花見にはまったく興味はありませんでしたし、春になると、ここは、道路が雪と解けた水でぐちゃぐちゃになるので、春は嫌いでした。
それがそれが、どうでしょう。
東京に住むようになって、また、仕事で、京都なんかへ行くようになり・・・・・
桜の美しさに、驚愕という言葉がぴったりです。
「細雪」という映画を見た時には、もう、谷崎が関西にどうして引っ越ししたのかが少し、肌で実感されましたね。
(この映画については、もっともっと、書きたいことがありますので、また違う日に。)
・・・・・・・・・・・
じつに、桜とキモノは合うんです。日本美そのもの。
サッポロ出身の渡辺淳一氏の、たまたま、エッセイを読んでいたら、その私の気持ちとまったく同じことが書いてあって、なにか、やっぱりそうかって、思いましたよ。
ちょいと話しは「北の零年」からそれますが。・・・・・・・・
あの映画の中で描かれているように、やっとここまで、厳しい過酷な自然を、なんとか人がすめるような今の北海道になり、余裕がでてきたわけで、北海道ではサウナが人気があります。
北欧と同じですね。友達によく連れて行ってもらうサウナです。
。
卵の匂いのする安楽の温泉。
そして、サウナ。
身体を熱湯で暖めて、そして、汗の極限まで行った時に冷たい温泉にて身体を一気に水風呂にて冷やす。
身体は悲鳴をあげながらそのギャップを愉しみますね。
そしてまた、熱い空気のサウナに身体を浸す。
これのくりかえし。
一時間ほどすると、サウナトリップとも言うべき、零下の水風呂が何も冷たくなく感じるところまできます。
幾度もこれを繰り返し、身体の極限を試す歓びがサウナにはありますね。
最後に、温泉に入り、身体を暖めて、また冷却温泉に入って汗を
とめ、身体を吹きます。身体はもうそのころ、歓びの緊張にてはりはりになって、
生き返ります。
若返って、サウナ、感謝。
すべてが、終わって、暖炉の横であたたまる。
いやあ、人生の至福ですね。北海道=北欧の最高の魅惑です。
「一歩家から出ればそれは、すでに旅だ」 ヘンリー・ミラー
ところで、さきほども書いたように、いずれ、私は日本中を旅したいと思っています。
今は、散歩も旅なのだと、ヘンリーミラーの言葉を自分に言い聞かせては、自己満足しているだけなんですが、
やはり、いずれは・・・・・・・・
食べ物にしても、北海道と緯度の近いところの料理について調べています。
おもしろいですね。
似た食べものがありますし、ここでも、マネしてつくれます。
★ウイーと、飲み干した時に言わねばうまさが半減するとスウェーデンの人は信じているらしい、スナップという焼酎を飲みながら、食する料理は下記の料理。自分でも作ってみよう。
実際に行ったわけでも食べたわけでもないので、死ぬまでにはチャレンジしたいと思います。
○北欧ではなにやら8月になるとザリガニが解禁になるらしく、この8月の中旬になると、どこのレストランでも、一皿に10匹ほどつまれたザリガニをチュチーチュー食べるらしい、美味そうだな。dillという香料、これは独特の香りがあるが日本でも売ってますよね=成城石井あたり=これで煮たザリガニをそのまま食すのである。日本のザリガニも食ったことがないので未来の夢としよう。ただ、沖縄の老舗で食べた巨大なブロスター?は皮まで柔らかく絶品であった。
○ヤンソンス・フレステルセ
個人的には、北海道のカニは、タラバやズワイも美味しいですけど、やっぱり、毛蟹が一番好きです。
「ヤンソンの誘惑」というこの料理はすぐにでも作れそうです。薄くスライスしたジャガイモとタマネギとアンチョビを、ただ重ね焼きしたものらしい。
レシピもたくさんありました。
材料
ちりめんじゃこ /いわずとしれたいわしの稚魚
ポテトサラダ たまねぎたっぷり
バージンオリーブ油
○フライパンに油を敷き、火をつける。
セルクル(円形の型)をフライパンにのせ、ちりめんじゃこの半分をその中に入れて広げる。
※セルクルがない場合は、アルミホイルなどでも代用できる。
その上にポテトサラダをのせ、大根の切れ端などで、表面を平らにする。さらに残りのちりめんじゃこをのせて平らに整形する。
途中でセルクルごと金属ヘラを使って裏返し、両面をこんがり焼く。
うーん。北欧料理は北欧の風と土と光から生まれたものですので、できれば、スウェーデンで食べないと味が違うんでしょうね。
アンチョビも、今、自分で、作っています。
どうなるかわかりませんが、冷蔵庫で、今塩漬けしています。あとは、オリーブ油に浸すだけなんで・・・・・・・・・・
開高健のレシピでは見たことはないが、これはどちらかというと、北欧の庶民料理でしょう。
ただ、オーブンで焼くというのは、日本の湿気の多い地域ではどうなのか。
我々はいや私は、それらの食材があると、普通、醤油と米酢があるので、日本酒に合わせて、ジャガイモとタマネギはいためて醤油をたらし、イワシは焼いてこんがり好みの香料で食するのが好みですが。
○ショットプラール
なにやら肉団子をいためて、リンゴジャムや木の実で食べるらしい。
これまた日本でも、つくれそうです。北欧料理。
・・・・・・・・・・・・・・・・
あと、北欧にはオーロラがありますね。・・・・・・・・・かつては、ここ北海道の端の方では、たまにオーロラを見る事ができたと誰かに聞きました。
テレビでオーロラの特集をやっていて、ちらりとしか、見ませんでしたが、
実は、私も死ぬまでには一回でも本物のオーロラをみたいなぁと思っています。
ニコル氏の本を読んでその気持ちがさらに大きくなりました。
そして、こんなクリップを見ると・・・・・・
ところが、ここらあたりにすんでいる北欧の人達の生活・・・どうなんでしょうか。
カナダは大丈夫かもしれませんが、不思議と・・・・意外と北欧三国の人達は酒には恵まれていないですね。
ニコル氏の話などから、オーロラを見ながら極寒の空気の中で息をハァハァーと真っ白にさせながら、熱いホットウィスキーを飲んだり、サラサラの雪の中にねっころがって星空とオーロラを堪能したあとは、サウナでガンガンに体を暖め、草木で体をはたきながら、冷たい湖に裸のまま飛びこむ・・そして、またサウナに入り、冷たいビールを飲む・そんな生活を夢見た私は少し残念でしたね。^^
だいたい、酒は12度以上の酒は午後四時までほとんど店にはないらしい。
日曜日も皆無。
しかも酒屋などはなく、酒は、日本で言えば薬屋みたいなところでひっそり売られているらしい。
私の勝手な憶測だが、遺伝子的に酒に強くてあまり泥酔しない彼ら白人は、その分アルコール中毒になりやすいと聞きましたので、生活の智慧、国家の智慧にて、そんなふうにピューリタンらしくなってきたのでしょうかね。・・・・
その分、規律に甘い、デンマークに酒飲みや酒好きらは、おしかけると書いていました。
笑えます。そして、わかります。
やっぱり北欧は住む所ではないですね。私は酒飲みだから。・・・・その分、北海道は、ワインも作られていますし、安いし、美味い。物価も安いし、素材も抜群。・・・・
日本酒なども、ここ岩見沢市でつくられた地酒もありますしね。
私は北欧、北海道、アイルランド、・・・・寒いところが好きなのですが、年齢をとると、
雪かきなどの重労働がきびしくなってきたと感じています。
それでも、吹雪のなかを、少し晴れ間が出れば、80歳くらいの老人達が、杖をゆっくりつかいながら、つるつるした雪の上を上手に歩いています。
小さなソリの上に、日常品をたっぷり、スーパーで買ったのでしょう、乗っけて、背なかでロープをひっぱりながらやはり、おばあさんが、歩いています。
こんな光景はどこでも、いつでも、ここ岩見沢市では見れます。
生活の一こまですが、都会にすんでいる人はびっくりするでしょうね。
私の一番尊敬する人達です。あんなようにたくましく、私も生きてみたいものだと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・
雪がまた降り始めました。
さきほどあんまり雪が幻想的なので近くの森の近くの林の中に入って写したすぐ近くの近所の森の風景。
静寂。神秘。
私はこのような雪のしんしんと降り積む夜を歩いているといつもジョイスの「死者たち」のラストシーンを連想します。。そしてエンヤのこの曲・・・Aldebaran 大好きの二乗くらいの好きさです。
「死者たち」を声をだして呟いてみます。
・・・・・・・・・
二三度、窓ガラスを軽く打つ音が聞こえたので、彼は窓の方をむいた。また雪が降り始めていた。彼は眠りかけながら、銀と黒の雪片が斜めに降り落ちて街頭の光に浮き上がるのを眺めた。
そう、新聞の言うとうり、雪はアイルランド全土に降っている。雪は暗い中部平原のいたるところに降り、樹々のない丘に降り、アレンの沼地にひっそりと降り、さらに西の方、暗くたち騒ぐシャノン川の川辺にひっそりと降っている。
雪は、またマイケル・フェアリーが埋もれている丘のさびしい教会墓地のいたるところに降っている。
雪はゆがんだ十字架や墓石の上に、ちいさな門の穂先のうえに、不毛な荊のうえに、深々と降り積もっている。
雪の降る音を聴きながら、彼の魂はしだいに知覚を失っていった。
雪はかすかな音をたてて宇宙にふり、最後の時の到来のように、かすかな音をたてておしなべて生ける者と死せる者のうえに降りそそいでいた。<死者達 ジョイス ダヴリナースより>
死者たち、この英訳は、The Dead. です。
The Dubliners. ".. upon all the living and the dead."
1905年に「ダブリン市民」は書かれてますから、彼が23歳、日本では明治38年ですね。
日露戦争の時です。夏目漱石が「我が輩は猫である」を執筆しはじめておりますね。
ウナムノの「ドンキホーテとサンチョの生涯」が書かれ、マッハの「認識論」が書かれました。
アインシュタインの相対性理論の年でもあります。
世界的には激震の年であったろうと思われるなか、ジョイスはただひたすら、自分の故郷のここかしこを書く、そこが私などには惹かれるところですね。
「姉妹」が「ダブリン市民」の最初の短編ならば、「死者たち」は一番最後の作品。
「死者たち」においても、彼らはすでに魂がその時を迎えようとしている年代であるのだが、親戚の葬式にでかけた帰りに、妻が昔若い時に青年に「もう生きてはいきたくない」と愛を激しく訴え雨にうたれ肺炎で死んで行った美しい青年の話しをする。<ちなみに当時のイタリアの平均寿命は44歳>
それを黙って聞いているゲイブリエル。
寛容の精神があふれだして、妻のそんな気持ち--(ずっと夫婦生活の間、妻が内緒でこころのなかにしまいこんでいた)、も許せる気がした。
外にふりつづける雪が彼の魂を麻痺させ、アイルランド全体に雪は降り続ける。
シャノンに、アレンの沼地に、マイケル・フュアリーが埋葬されている教会墓地のいたるところに雪はふりつづけている。
ゲイブリエルは黙って妻の横で手を握りしめている。
このラストシーンは何回読んでも秀逸。
明治38年に書かれたとは信じがたい。
ジョイスは16歳の時にキリスト教を捨てていますが、トマス・アクィナスの哲学はジョイスの生涯を通じて強い影響を与え続けてますね。これらの小説を読んでもそれらの細部がきちんと書かれていて、観光旅行ではまず理解できないアイルランド人の普通の生活の一部が垣間みることができるのですね。
これが文学の一番の富、楽しさ、でしょう。しかも、自分の好きな時間に好きなところから読める。何回でも何回でも好きなだけ、原書にあたりながらもまたジョイスの文学はますます深い悦びを与えてくれます。
・・・・・・・・・・
またまた、淀川さんの声が。・・・・・
「映画ばっかり見ていては駄目」「本も、音楽も、芸能も勉強しないと駄目」
街道をゆく〈30〉愛蘭土紀行 1 (朝日文芸文庫)/司馬 遼太郎
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司馬遼太郎氏の「アイルランド紀行」を読んでいて、彼がジョイスなんかをホテルで読んでいることに、へえっと、思いさすが、プロだなとも思った。
しかしながら、作家ならばなんでも読んでいて当たり前なんだろうと思う。
一昨日も、三島由紀夫氏が大江健三郎氏と対談している本を読んでいて、川端氏や、谷崎氏、船橋聖一氏、ならわかるが獅子文六氏まで読んでいるということを知り、さすがと思った。
体系的にほとんど読んでいなければ、最前線の文学などにチャレンジはできないのだろう。
アイルランドについての、司馬遼太郎氏の書き方がおもしろい。
ぼそぼそ、書いていて、それでいて惹き込まれる。
ジョン・フォード監督が、アイルランド出身ということにからませて、自身のアイルランドの旅を深くしている記事を書く。
負けているのに絶対に負けているとは思わないのが、アイルランド、つまりケルト精神だと言う。
彼は、ワスプの若妻と結婚して、かなり自身を見失うが、アイルランドに旅することで、自分をとりもどしたとも言う。
そこで作られたのが、「駅馬車」とも。
そんなことも知らなかった自分が恥ずかしいですが、私は自分が世界のことをほとんど知らないと思っていますから、だからこそ、いろいろ調べるのが大好きなんです。
ジョン・フォード監督はこの映画の発想源はギ・ド・モーパッサンの短編小説『脂肪の塊』だと語っています。
「駅馬車」 英語でいうと、 Stagecoachです。
1939年2月15日に公開されたが、批評家から大絶賛され、興行的にも大成功した。この年のアカデミー賞には7部門にノミネートされ、助演男優賞(飲兵衛医者を演じたトーマス・ミッチェルに)と音楽賞をそれぞれ受賞した。しかし作品賞は13もの賞にノミネートされ、8つの賞を獲得した『風と共に去りぬ』が受賞した。
日本では翌1940年6月19日に封切られたが、この作品は映画評論家淀川長治が、ユナイテッド・アーティスツ日本支社の宣伝部勤務になって最初に担当した作品であり、『駅馬車』という邦題を考えたのも淀川である[6]。淀川の宣伝活動はやりすぎだったため、一度は会社をクビになるが、作品が大ヒットしたためクビは免れている。また、淀川の活動ぶりはアメリカに報告され、後日淀川に作品の製作者であるウェンジャーからサイン入りの銀時計を贈られた。
なにやら、西部劇とケルト神秘は結びつかないものですが、モーパッサンでした。
アイルランド。
英国との戦いが長く、その怨念はかなりある。
イギリスが日本の某会社に取引をしないと何かに書いたら、アイルランドは、「うちにいらっしゃい」と書いたと。
親日の国である。
反英の国でも、ある。テロ組織がある。
しかし、ビートルズも確かアイリッシュではなかったでしょうか?
もう頭もぼけていますから、・・・・・・・記憶も曖昧です。
国々の歴史は深くそして、深刻である。
負けているのに絶対に負けないという、その自己中心的な、ハングリーな、個性的な、幻想好きな民族ということか。
U2や、エンヤもいます。
ダブリンの町のある意味での精神的な麻痺を書いていて、それで、ダブリンの不思議な町の輪郭が目に浮かんでくる。
音楽と文学が発達する精神風土なのだろう。
カソリックの国というのも気になる。
英国は確かプロテスタント。
私はたぶん英国よりも、アイルランドが好きなのだ。ダブリンは一度くらいは行ってみたい。
この映画は、私のフェボリットです。
日本では、大ヒットもしませんでしたし、地味な作品ですが、アイルランド関連の本やジョイスを特に集中して読んでいた頃、見ました。
実に、ユニークな作品です。こころに残ります。
アイルランドのダブリンを舞台に、自然主義俳優およびミュージシャンのグレン・ハンサードとマルケタ・イルグロヴァが演じている。映画撮影以前より2人は「ザ・スウェル・シーズン」の名で音楽活動をしており、映画のオリジナル曲全ての作曲および演奏を行った。
映画製作中の約6ヶ月間、アイルランド映画局の最高責任者が不在だったため、部下の裁量ではおよそ€112,000という低い予算しか組めなかった。制作費は€130,000(米ドル150,000)[2]だったが映画は成功をおさめ[3]、アメリカの映画館各館の平均興行収入を越えた.[4]。好評を得て[5][6]2007年のインディペンデント・スピリット賞の外国映画賞を受賞した。ハンサードとイルグロヴァの曲『Falling Slowly 』は第80回アカデミー賞歌曲賞を受賞し、サウンドトラックはグラミー賞にノミネートされた。
何回も書きますが、やはり、文学と音楽の国だと感じます。ダブリン・・・
今、北海道にも中国からの観光客がすごいです。
どこに行っても出会います。
声が大きいですし、すぐに日本人とは違うなとわかります。
やはり、北海道の食べ物。人気があります。
中国だけではなく、韓国からも、たくさんの人達がきます。
ニセコなんかも、プロのスキーヤーから見て、雪の質がいいんだそうで。
パウダースノーというらしいです。
北海道の食に魅惑されて、中国・韓国にもどってから口コミで広がるらしいが、北海道の食か珍しいのでしょうかブランド化されているらしい。
フランスでは高級肉になっているシカ肉もありますし、山芋なども立派ですから。
ジャガイモがたくさんとれるのは、アイルランドと同じです。
スケソウダラも韓国の鍋料理には欠かせないでしょうし。
最後に。
エンヤの、Enya - Amid The Falling Snowをききながら。
「北の零年」を思い起こしつつ、ビールを飲みました。
札幌ビール園で期間限定のクロビール、なにやら厚岸の牡蠣から作った黒ビールらしく、おいしかったです。
「人間が生きるということはどういうことかといつも考える。すると死ぬことだということに帰着する。死ぬとわかれば今日この一日を十分に生きねば損だと思う。・・・・・・・
大切な一日をあくびなんかしてふやけている人。いやですねぇ。」淀川長治。
FIN
「変容する女たち」 ニコール・キッドマン 「コールドマウンテン」「ピース・メーカー」
私が、高校生の頃。
深夜放送で、よく聞きました。
「氷点」、そして、三島由紀夫の師であられる川端康成の「伊豆の踊り子」にも出ていた内藤よう子の傑作歌。「白馬のルンナ」・・・・・・・・・・
北海道には、足の太い、「どさんこ」という馬がいますし。
この映画・・・「その人は昔」
舟木一夫のデビュー三周年で出された音楽物語という企画レコードが異例のヒットで実写による映画にまでなったと言う作品。北海道の百人浜で出会った純朴な若い男女二人が希望を求め東京へ駆け落ちするも冷たい都会に翻弄される物語。
ところで。
三島由紀夫が、とある雑誌の、「あなたにとって、この世で、一番美しいものは?」 というアンケートに答えて、こう書いています。
第一位 馬
第二位 猫
第三位 女性
この馬というのは、なにやら、彼の場合は、男性という意味合いも含んでいるのでしょうか。
そして。
猫は、彼は大好きでしたから。・・・・・・
(岩見沢市は、犬好きが多いらしく、ほんとうに犬の散歩している人が多いです。たまに、猫の散歩をしている若い女性と散歩中に出会って、びっくりするくらいですから。また、どちらも、私は好きです。ここ数十年間で、何匹もの、犬猫を飼いました。・・・みんな、死んでしまいましたが。)
彼にとっての、女性とは、たとえば、自分の作品に出てくれたある女優さんに恐ろしい程の美を、感じて、しかし、その撮影の打ち上げの時に、彼女を見ると、普通のただの女にもどっていたと書いていますから、やはり、「作品」の中での、演技としての、女の美しさなのでしょう。
ところで、私は、ゲイでもなく、普通の男性なので、異性の美しさについて、よく考えます。
普通の女性であれば、男性の美について、考える方も多い事でしょう。
「男性は目から恋に落ち、女性は耳から恋に落ちる」という言葉があります。
たしかに、男性は、見た目で異性の美を観察していますね。女性の写真集は男性ならたくさん持っている人も多い筈。それに反して、女性は男性の写真集をたくさん持つている人はさほど多くはないでしょう。
女性は、ただ、見るだけではなくて相手の言葉をしっかり聞いたり、、しっかり触れたり、することで、相手を身近に感じることができるように、神様からつくられているのかもしれません。
女性の美。
人には、フェチというものがありますから、女性はみんな「痩せたい痩せたい」と思っているでしょうが、北海道のとあるパブでは、体重が150キロ以上の女性だけを集めた、パブがあります。
そこに、北海道中から、男性が彼女たちの踊りを見にやってきます。
ふとった女性が好き。ふとった男性が好き。
いや、細い女性が好き。細い男性が好き。
いろいろな「嗜好」があっていいと思います。あとは、本人の直感でしょう。
女性の美。
私の好みは、基本、個性的な、顔立ちの人にひかれます。
ビョークとか、ダイアン・レインとか・・・
特に、ダイアン・レインは、演技は上手いとは思いませんが、あの顔のシワ・・・
が好きです。
人間味があって、平凡なる強さみたいな生命力を感じるのかもしれません。
でも、俳優・・女優さんの場合は、やはり、作品に対する演技者としての覚悟というか、
演じるパワーというか、いわば「変容力」というものがある俳優さんには、頭が下がります。
「変容力」の強い女優。
気になる女優がいます。
ニコール・キッドマンです。
たまたま、予告編で、魅入ったので、借りてきて細切れ視聴しています。
「ラビット・ホール」です。
資料
ニューヨーク郊外の閑静な住宅街に暮らす、妻ベッカと夫ハウイーのコーベット夫妻。彼らの幸せな生活が一変したのは8か月前。一人息子ダニーが道路に飛び出し交通事故に遭い、わずか4歳でこの世を去ってしまったのだ。それ以来、2人の心には埋めようのない喪失感が生まれていた。前に進もうとするハウイーとは対照的に、心乱れるベッカは周囲にも辛く当たり散らす。そんなある日、彼女は息子を轢いた高校生ジェイソンを偶然見かけ思わず尾行してしまう…
(私も、かつて、20年以上も昔のことですが、身内を失くした悲しき経験を思い出しながら見ていました。)
それにしても、ニコール・キッドマンという女優は、すごいな。・・・
そんな漠然とした感情があり、少し調べてみたのです。
これまで、けっこう彼女の作品は見ていましたが、なにやら、トータルで、まとまったイメージが欲しくなったんです。 あまりにも、違う役柄をこなしているので、・・忘れている映画もたくさんありました。
ニコール・キッドマン。
名前からして、なにやら、男っぽくて、カッコいいですね。
これまで、見た映画をまとめてみると、
かなり、気に入った作品があります。やはり、「変容力」の才能があるのでしょうか。
初めてゴールデン・グローブ賞を取ったのが、「ビリー・バスゲイト」という
ギャグの人生をあつかった映画。ロバート・ベントン監督は、「クレイマー・クレイマー」や、私の大好きな「俺たちに明日はない」の監督なので、見たかったのですが、なにやら、レンタルビデオ屋で発見できません。・・・・・ (彼女を語るうえで、これは是非見たかったのですが、あきらめました。)
記憶にかなり残っている個人的なフェバリットとして・・・。
その、ひとつが、 ピース・メーカー。1997年製作のアメリカ映画。
ジョージ・クルーニー主演。ロシアにおいて解体されるはずの核兵器がテロリストにより奪われ、それを取り返す米軍人と原子力科学者の活躍を描いた作品。
これは、すごい迫力でした。今のこのイスラム国がこのようなことをしないとは誰も言えません。
おそろしいほどの、時代を先取りした、先取りした映画です。ニューヨーク9.11テロより前の作品ですから。
これは男らしい感じでしたが、あまり印象には残っていません。男っぽい格好良さもありましたし。
だから、再度試聴して、感心したのです。
淀川長治さんが、言うところの、「良き映画は何回でもみること」に耐えうる映画です。
ニコール・キッドマン・・
次の映画「コールド・マウンテン」・・
彼女の顔って、不思議なのは、ものすごい美女でセクシーで彫りの深い彫塑みたいな時と、子どものように、素直で自然で可愛い時と、ふたつありますね。
「コールド・マウンテン」のなかでも、レニー・ゼルウィガーと一緒に暮らしている時の彼女は、まさに、レニー・ゼルウィガーが言うように、子どもっぽいお嬢様・・・という感じ。
私の好きな、うさぎたちを鋭い観察力で、描き上げた、ビアトリクス・ポターの映画でヒロインを演じた
レニー・ゼルウィガーと、演技力のぶつかり、それはそれは素晴らしい映画でした。
個人的には、かなり好きな映画です。
物語的には、単純で、アメリカ連合国の兵士としてノースカロライナ州からヴァージニア州に送られたインマンが、そこで激しい戦いの只中に置かれることになります。
友人を失い、自分も負傷したインマンは、故郷であるコールドマウンテンと、出発前の僅かな時間しか共に過ごすことが出来なかった最愛の女性エイダに再び合うため脱走し、徒歩でコールドマウンテンに向かう旅に出る、というだけなんですが。
私は北海道の厳しい冬を知っていますから、この雪嵐のなかで、一目惚れをした女性のもとに、ただただ、鳩のようにもどっていく男の姿には、うたれるものがあります。
そして、もどってくる彼をひたすら信じて、待ち続けるニコール・キッドマン。
このお嬢様そだちの彼女に、いろいろ農作物の取り入れやら、畑の世話などを、教える役柄としての、レニー・ゼルウィガー。
ほんとうに演技と演技のぶつかりが、楽しき映画でした。
結局は、レネー・ゼルウィガーがアカデミー助演女優賞やゴールデングローブ賞 助演女優賞、 英国アカデミー賞 助演女優賞などを受賞するのですが、個人的には、ニコール・キッドマンと良き勝負でした。
しかも、この監督、アンソニー・ミンゲラは、「イングリッシュ・ペイシェント」の監督なんですね。
・・・・・・・・・・
ニコール・キッドマン。
また、神秘的なほどまでに、美しいと感じた彼女の映画は。
「アイズワイドシャット」でしょうか。
これは不思議な映画ですね。原作も読みましたが、アルトゥル・シュニッツラーの『夢小説』(1926年)です。
キューブリック監督は、この映画の後亡くなりましたが、その彼のつくりたかった作品として、A.I.(Artificial Intelligence: AI, 2001年)がありました。
これまた、私のベスト10に入る、フェボリットです。
ラストシーンでの、母親と、人間の心をついに獲得したAndroid少年のつかのまの会話が、涙なくして見る事はできませんでした。・・・・・・
◎資料
(シュニッツラーの輪舞もすごいです。私は、ジェーン・フォンダ版を見ましたが。
1900年、当時の性道徳や階級理念に露骨に反した内容のために上演も出版も諦め、200部の自費出版本のみを知人に配っていたといいますから、真の自由人です。)
映画によって、どんどん、変容していく女性。「変容力」の女。
ニコール・キッドマン。・・・・・・
そしてまたまた、次の映画は、
「めぐりあう時間たち」。
知的な文学者を演じれば、まさに、詩人そのもの。さすがに、名女優。
監督は、有名なるスティーブン・ダルドリー。
つくった作品はすべてアカデミー賞にノミネートされています。
リトル・ダンサー Billy Elliot (2000年)
めぐりあう時間たち The Hours (2002年)
愛を読むひと The Reader (2008年)
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い Extremely Loud and Incredibly Close (2011年)
トラッシュ! -この街が輝く日まで- Trash (2014年)
(この、「愛を読むひと 」もまた、最高の傑作で、私のフェボリットに入ります。
また、のちほど、記録を残したいと思っています。・・・・)
ニコール・キッドマンが、バージニアウルフを演じる。それだけで、背筋がぞっとします。
個人的には、「意識の流れ」という彼女の文体は、日本にも、源氏物語という先駆がありますし、親近感を感じますが、人間関係に弱かったのかもしれません。
以前も記事にしたことがありますが、小説と絵画は、イマジネーションを膨らませることがこつさへ捕まえれば容易になるのに、そしてそのことは、困難を得るが自分で自分の時間をコントロールすることだから容易という言葉を使うのですが、映画や音楽の場合は、一度にその情報が襲ってくるので、膨らませる事を楽しむことをしている間に次ぎのセンテンスが来てしまうこともありますね。
その意味では、DVDやその他のメディアがせっかくあるのだから、こんなImaginationを使うシネマはそれ相応のまさに「時間」をかけて見ることが良いのではないかなと思いますね。
だから、わたしは、いつも、何回も同じシーンを見て、考えながら、見るようにしています。
細切れ視聴というのは、竹内均さんか、糸川英夫氏から、教えてもらいました。
豊饒なる時間、たった一日。
ジョイスが「ユリシーズ」で、一日だけを書き上げようしたことを思い出す。
瞬間の中の永劫。
ブレイク。
まさに日々のなにげのない日常の中につつまれている神秘を書く。
見ようとするものにはそれは風呂敷の紐を解く。
丁寧にゆっくりとしめやかに儀式のようにして。
そんな平凡なる一日を非凡に彼女が演技していました。ポケットに石ころをつめて、入水しました。敏感で繊細なる神経、俗悪なるこの現実にこすられて、ぼろぼろになってしまっていたのでしょうか。
ところで。
私が幼稚園の頃。
その間借りの家の前に、雑品屋があり、そこに古本の山がありました。
日々、友達と、そこに忍び込んでは、古本の漫画の山に驚喜しながら隠れ読んだ
記憶があります。
もちろん、そこで働いている人から、叱られては、また忍び込み、また怒られては、
忍び込む毎日でした。
あの、ノラクロやら、不思議な漫画の線・・・今でもはっきり覚えています。今で言えば、お宝の山があったわけです。
そこから数年。
雨がかなり降って・・・・
その間借りの部屋から、当時の、とある共同のぼろぼろの官舎に引っ越した時。
雨で、岩見沢市の小さな川が反乱しそうになったことも覚えています。
その雨のひどい日。
小学校からの帰宅日。
母親が興奮して、近所のおばさんたちと、なにやら、話をしていて、その声が・・・
ケネディが暗殺されたんだって・・・・
雨がますますひどくなりました。
雷がなりはじめ、私は、部屋にもどって、ケネディはたしか、アメリカの大統領だったっけ・・・
そんなことを頭で考え始めて・・・ぐるぐるといろいろなコトがめぐりはじめて・・・、
ケネディ大統領はじつは、アイルランドからの移民でした。それを知ったのは、だいぶ、あとからでした。
司馬遼太郎の、アイルランドの旅を書いた本。
街道をゆく 30 愛蘭土紀行I/朝日新聞出版
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街道をゆく 31 愛蘭土紀行II/朝日新聞出版
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この二冊の本を読んで、感銘いたしました。
アイルランド、ケルト、これらの言葉がいつも頭に残るようになりました。
それで、昨日、ふと、おやっと思いました。
中国での、フィギア大会のことですが。ケルトのことを考えていました。
jazzの演奏曲と蝶々夫人operaにあわせての、真央ちゃんの、演技、あっぱれでした。
まさに、サムライ。
覚悟を感じました。
そして、二番の本郷理香。最近めきめき一位、二位にくいこんできます。
落ち着きもあり、華やかさもあり、表情も素晴らしく、いずれは、真央ちゃんと世界のフィギア界をひっぱっていくことは間違いないでしょう。
本郷理香本郷理香の資料では、
アクセルを除く5種類のトリプルジャンプを跳ぶことができる。コンビネーションでは、3回転トゥーループ-3回転トゥーループ、2回転半アクセル-3回転トゥーループを成功させたほか、2013-14シーズンより3回転フリップ-3回転トゥーループ、2回転半アクセル-1回転ループ-3回転サルコウを取り入れている。また、ジャンプを得意とする反面、スピンではしばしばレベルを取りこぼすことがある。
2015年世界選手権では、ショートプログラム、フリーともにすべてのスピンとステップでレベル4を獲得した。
ルッツの踏切でエラーを取られることが多かったが、2015-2016年シーズンには、3回転ルッツ-2回転トゥーループのコンビネーションを2015年フィンランディア杯で決めるなど、エッジの矯正に成功している[10]。
とあります。
インタヴューでも感じましたが、小説「化身」で、初めてのデートで、「サバの味噌煮を食べたい」と言った霧子ではありませんが、少し田舎っぽい感じが、なんとも可愛いかった・・
ところで、彼女のフリー演技で、踊った、「リバーダンス」。
ケルトではありませんか。
以前にも、何回も記事にしましたが、リバーダンス(Riverdance)とは、アイリッシュ・ダンスやアイルランド音楽を中心とした舞台作品。アイルランドに伝わる神話や伝承、ジャガイモ飢饉等によりアメリカへの移住を余儀なくされたアイリッシュ・アメリカンの歴史、および多様な民族との交流をモチーフとしている。
と、資料にありますが、アイルランドの歴史と深い関係がありますね。
16世紀にイギリスからゲール語を禁止され、踊る事も禁止されて、窓を通して外から見られた時に、上半身を動かさず下半身でリズムを刻むダンスが誕生したと、言われています。
本郷理香が、このステップをフィギアで、非常に楽しくそして、イメージをつくりあげていました。最高でしたね!!!
そんなわけで、このアイルランド・・・ケルト。
いつも、不思議に思うのは、「音楽力」でも、書かれていましたが、ケルトと日本の歴史がよく似ているということですね。
音楽力/海竜社
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アイルランド。
いつか行ってみたい国のひとつ。
なにがあるというわけではないけれど、過去に好きだった作家たちは、ほとんどアイルランドの作家たち。
ケルトの妖精を描いた、「ケルト幻想物語」と「ケルト妖精物語」も、今は手元にないけれども、またいつか再読したい本。
しかしながら。
イギリスのアーサー・ラッカムや、ジョン・テニエルなどの絵が、私は小さな頃から大好きだったのだが、不思議とアイルランドではなく、がくっとしたのだが、やはり、イギリスなどの国も、キリスト教が入ってくる前の、太古の時代はケルトほどではなくとも、いろいろと、さまざまなる多神教の世界があったのではないかと想像される。
「アリス」もやっぱり、ジョン・テニエルの絵でないと読んだ気がしない。
自然のなかから、何かを産もうとすること。
それは日本でも同じことだと思うけれど。
でも日本でも、朝から晩まで仕事でビルの一角に飛び込められているサラリーマンたちには、このような感覚は生まれづらいかもしれない。
やはり、少なくても、太陽の光と、川の流れる音と、木々の葉が風に吹かれるときのさざめきくらいは、聞こえる環境ならいいと思うけれど。
あと。
音楽と踊り。
沖縄に昔行ったとき、かならず、宴のときには、みんなで踊る。
必ず踊る。
最初は観光のためのサービスなのかと思ったけれど、そうではなく、昔からのそのような音楽からエナジーをもらうための生きる知恵としての習慣なのだった。
盆踊りもそうだと思う。
今、日本の女性の間に、フラメンコブームやら、ベリーダンスやらがはやっているというのも、無意識の音楽からエナジーをもらおうという欲求なのだと思う。
うまい下手ではなく、音楽にあわせて、からだを動かすことが、すごいことなのだ。
以前、テレビで、見たのですが、確か「神田川」を歌った南こうせつ、彼が、ケルト音楽に惹かれてケルトの旅に出るという番組をやっていました。
また、ユーミンが、やはり、ケルト音楽の魅惑というテレビ番組で、ケルトに実際に行って、ケルト音楽の魅力について話している番組がありました。
アイルランドの傑作古典「指輪物語」の 映画音楽をつくったのも、やっぱりアイルランドの歌手、エンヤ。
なにやら、この曲に、日本人であるならば、不思議な共感を感じるのではないでしょうか。
これら、私もまた、心から魂から、大好きな国。一度は行ってみたい国は、
アイルランドと、ビョークの住むアイスランド。
そのアイルランドは、誰しも知っているように、かつて、飢饉がひどく、ジャガイモしか食べるものがなく、ひどく土が悪いということで、有名です。
飢饉では、おそらく、数十万人という人達がなくなったのではないでしょうか。(あるいはもっとか)
そんな貧しいカソリックの国を後にして、アメリカに移住する人も多かったようです。
ですので、アメリカの推理小説を読むと、下層の警察官は、だいたいが、アイルランド系ですね。
(よく映画でも、でてきます。私の知っている限り、イタリア映画では、ポーランド人が移民として、あるいは、フランス映画では、スペイン人がよく下層の移民として描かれているように。)
そんなアメリカに移民したたくさんのアイルランド人は、野心を持っていますから、いつか、
大家族を核として、アメリカで商売や、作家や、そして政治家としても成功する人がでてきます。
さっきの記事。
私の小さな頃の、雨の日、暗殺された、ケネディ大統領がそうでしたね。
アイルランド移民です。
そのケネディが、愛したマリリン・モンロー。
ケネディの誕生日に、歌をプレゼントするモンローのクリップです。
当然、ケネディの奥様は、おもしろくないので、欠席したパーティでした。・・
その彼女が、モナコ王妃としてグレース・ケリーとともに、ピックアップされたことがありました。
当然。
モナコの王様は、アメリカンガールのシンボルとしてのモンローを蹴って、「グレース・ケリーの「品」をとったわけですが、
そのグレース・ケリーの「品」をも、演技したのが、またまた、
ニコール・キッドマンでした。
グレース・ケリーの美は、別格ですから。
また、別の記事にしたいと思っております。
ニコール・キッドマンが、そのグレース・ケリーに変容。
「グレース・オブ・モナコ 公妃の切り札」ですね。
(この映画はなにやら、英語の検定のテキストみたいな感じで、広告もされていましたね。
DVDにも、英語字幕はついておりませんでした。残念。)
最後に、このニコール・キッドマン。
トム・クルーズと結婚していたことはよく知られていますが、
10年程で、養子がふたりいましたが、離婚しました。
トム・クルーズは、実は私の大好きな、俳優のひとりです。
彼の、「all you need is a kill」についても、記事をかいたばかりです。
日本でのプロモートとして、三回も日本に帰国したり、小泉首相に会ったり、そして、
新渡戸稲造の「武士道」にぞっこん惚れて、「ラスト・サムライ」をつくったことも知られています。
ニコール・キッドマンの旦那さんでした。
ところで、彼の大好きな、その日本の映画で、最近再度試聴した、映画。
ここに記録しておきます。
「最後の忠臣蔵」素晴らしいかったです。
備忘録。
レヴューでも、一位になったというから、誰からも納得され、愛される作品だと思う。
三時まで見てしまう。感涙。素直に日本人に生まれて良かったと思う。
三島由紀夫もある雑誌のインタヴューにて、「男には幸福なんていう言葉ない」と語っていたのを思い出しました。(本気で男が男である時代に彼はもどりたかったし、もどっていきましたが。)
それにしても桜庭ななみ、は美しい日本女性。ニコール・キッドマンとはまた違う意味での、美です。
特に、浄瑠璃を見ていたときの、横顔。
キモノできちんと座ったときの女性の肩の線、胸から帯、膝、そして凛とのびた背中と、首筋。
結び上げた黒髪。
母親の女性もきっと美しかったのだろう。
男と女・・・・
最近、ロバート・ライトのこの「モラル・アニマル」を読んだが、
なぜ、男は美しい女性にひかれていくのか、という点。
モラル・アニマル〈上〉/ロバート ライト
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なぜ、女は地位があり人間的な力がある男性にひかれていくのかという点。
これらを綿密に、ダーウィンの進化論から分析していってなかなかの傑作だった。
きっと母親が美しければ、その子ども達も美しいはず、男性はそのことを意識する事なく、無意識に、自分の子孫が繁栄し、自然淘汰により強くなるように、美しい女性にひかれていくという。
とまあ、科学はそこまで。
春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)/三島 由紀夫
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私は呉服屋で女性の着物姿を朝から晩まで見てきたが、やはり、キモノ姿だけではなく、作法というものがセットになっていなければ、ダメですね。
いくら一見キモノが似合っても、言葉使いでガッカリするということもしばしばでした。
マゴザ。
(瀬尾孫左衛門)役の役所もすばらしかったし、佐藤浩市もやはり素敵だなあ。
彼らについては、また記録したいと思います。
現代人の感覚であの彼を見てもなかなか死にいたるまでの心のプロセスは理解できないかもしれませんね。
とにかく、義というものが、一番大事だった時代。
現代では、子ども達に、「命が一番大切」と教えますが、昔は違います。
特に、武士は、食わねど・・・で、やせ我慢が高く買われたわけですね。
「命よりも大切なものがある」
ここが理解できなければ、この映画のおもしろさは半減します。
ただ、友だちとこの映画を見て、何で最後に安田成美と一緒にならなかったのかと、思う人も多かったのでは?
まあ、映画は見方は自由ですから、私は私の見方で、楽しむことができました。
「美に感動する心の贅沢をおもちなさい」 淀川長治
(私の勝手な、備忘録)
●竹林。
●婚礼のときの、緑と金と白無垢の対比。
●小さな頃から嫁に行く時の練習。
●骨董。浄瑠璃。伏線。
●小林秀雄氏も書いているようになぜ日本人はこの敵討ち、仇討ちがこんなにも好きなのか?
●「家」と「個人」。枠があるなかの自由。俳句の自由。
●夏目雅子や宮沢りえみたいな新人はいないのかと監督が言うと、いるわけありませんと言われたエピソード。スタッフの持参したたくさんの写真から直感で選ぶ。
●時代考証は金がかけられない映画なので期待するのは無理かも。
●進化論・自然淘汰から見る、妻と愛人。
●一見束縛されていたおんなたちが作り上げた美意識の世界。やせ我慢に生きる男たちと、たくましく生きる女達。
◎資料
ウェールズは「歌の国」といわれ、特にハープ奏者や男声聖歌隊そしてトム・ジョーンズ、シャルロット・チャーチ、メリー・ホプキン、キャサリン・ジェンキンス、アレッド・ジョーンズ、ボニー・タイラー、ダフィー、ブリン・ターフェルなどのソロミュージシャンが有名である。
バンドではマニック・ストリート・プリーチャーズ、ステレオフォニックス、フィーダー、スーパー・ファーリー・アニマルズ、ロストプロフェッツ、フューネラル・フォー・ア・フレンド、ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタイン、ロス・キャンペシーノス!、ゴーキーズ・サイゴティック・マンキ等が有名である。
ウェールズにはナショナル・アイステズボッドという音楽と詩の祭典がある。これは1年に1度、毎年異なる街が持ち回りで開催している。スランゴスレンで行われるスランゴスレン国際芸術祭はアイステズボッドに倣ったものであるが、世界中のミュージシャンが参加している。
◎資料
リバーダンス(Riverdance)とは、アイリッシュ・ダンスやアイルランド音楽を中心とした舞台作品のことである。アイリッシュ・ダンスの中でも特に体幹や腕を使わずに足の動きだけで踊るアイリッシュ・ステップダンスと呼ばれる舞踊を元にしている。アイルランドに伝わる神話や伝承、ジャガイモ飢饉等によりアメリカへの移住を余儀なくされたアイリッシュ・アメリカンの歴史、および多様な民族との交流をモチーフとしている。
◎資料
アイリッシュ・ダンスは、ソシアル・ダンス(社交ダンス)とステップダンス(足のみで踊る)に分類できる。 さらに分けるとステップダンスにはシャン・ノースからオールドスタイルステップダンスと進化し、今では競技用のステップダンス(コンペティションダンス)の3種類のタイプがある。 一般的に知られるようになったのは本来のアイリッシュダンスではなく、競技用のステップダンスをベースにつくられたパフォーマンス用のダンスで1994年ユーロヴィジョンコンテストで披露されたパフォーマンス『Riverdance』が注目を浴び、その後本格的なショーとして世界を席巻。今ではアイリッシュダンスの代名詞となったが本来のアイリッシュダンスではショーダンスのように横一列に並んでステップを踏みならすことはしない。
ソシアル・ダンスはさらにケーリー・ダンス(céilí)とセット・ダンス(set)に分類することができる。どちらもカップル(男女一組)のセットで踊られ、通常、人数は4人から16人である。アイリッシュ・ソシアル・ダンスは現在まで続く伝統で、場所によって、修正が加えられたり、新しい振り付けが施されたり、さまざまなバリエーションがある。
競技ダンス(Irish stepdance)は、ライトダンス、ヘヴィダンスの二種類があり、シューズがそれぞれ異なる。 ライトダンスでは薄い牛革に編上げの紐のついたパンプシューズ、ヘヴィダンスではファイバーチップがつま先部分につき、バンドとヒールがある牛革靴であるヘヴィシューズ(またはハードシューズ)に分かれる。 また、ソロで踊るものとグループで踊るものがある。基本は上半身を動かさず、足をのみでステップを踏むが、グループで踊るものはショーダンスとは逆に音を出さないライトダンスのみしかなく、大体二人一組となって4~16人で上半身も使って踊る。
◎資料
親日家としてもよく知られており、2014年6月時点で20回目、と他の俳優と比べても、特に来日回数が多い。
日本ではパラマウントジャパンによりミッション:インポッシブル3のDVD発売を記念して10月6日が「トムの日」と制定されていて[15]、空港等でのファンサービスも恒例となっている。さらに2014年6月、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のジャパンプレミア時には、大阪、福岡、東京の3都市を半日で駆け回り、原作が日本の小説であることを理由に、特に思い入れの強い作品であることを、東京でのプレミアで公言した[16]。
◎資料
トム・クルーズが、女優のブルック・シールズが抗うつ薬のパキシルを、2003年初めての娘を生んだ後の産後うつから立ち直るために服用したことを、公に批判したときに論争が沸き起こった。トム・クルーズは「脳内化学物質の不均衡などは存在しない」と主張し、「精神医学は似非科学の一種だ」と断言した。このことにより『トゥデイ』の2005年6月24日放送分でマット・ラウアと激しい議論をすることとなった[27]。医学の専門家たちは「トム・クルーズのコメントは精神障害患者に汚名を着せている」と発言し[28][29]、ブルック・シールズは「トム・クルーズのコメントの数々は母親たちにとって大変な迷惑である」と述べた[30]。しかし、メディアに追求されたアメリカ精神医学会のスティーブン・シャーフスタイン会長が、2005年7月11日の『People』誌で、「脳内化学物質の不均衡」の証明について、「明確な検査法は存在しません (We do not have a clean-cut lab test.)」と認める事態になった[31]。2006年8月末にトム・クルーズは自らブルック・シールズに謝罪し、彼女もこれを受け入れた[32]。トム・クルーズのスポークスマンは彼と彼女は関係を修復したものの、トム・クルーズの抗うつ薬に対する立場は変わっていないことを確かにした[32]。ブルック・シールズはトム・クルーズとケイティ・ホームズの結婚式のゲストとなった。
トム・クルーズは『エンターテインメント・ウィークリー』誌上でインタビューを受け、精神医学を「ナチズムの科学だ」と発言し、「メタドンの本来の名前はアドルフ・ヒトラーにちなんでアドルフィンと呼ばれていた」という有名な都市伝説を引用した[33]。『デア・シュピーゲル』誌上で彼は「サイエントロジーにはナルコノンと言う唯一成功している薬物リハビリプログラムがあり、それは世界中で統計学上ただ一つ成功しているものだ」と発言した。ナルコノンは、その成功率は70パーセントを超えると主張しているが[34][35]、その数字の正確性は広く議論されている[36]。
サイエントロジーは主流の精神医学に反対していることでよく知られている
◎資料
ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf, 1882年1月25日 - 1941年3月28日)は、イギリスの女性小説家、評論家、書籍の出版元であり、20世紀モダニズム文学 の主要な作家の一人。両大戦間期、ウルフはロンドン文学界の重要な人物であり、ブルームズベリー・グループの一員であった。代表作に『ダロウェイ夫人』 Mrs Dalloway (1925年)、『灯台へ』To the Lighthouse (1927年) 、『オーランドー』 Orlando (1928年)、『波』The Waves(1931年)などの小説や「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」という主張で知られる評論『自分だけの部屋』A Room of One's Ownなどがある。
死と手紙
死[編集]
『幕間』(没後出版された)の原稿を完成させた後、ウルフは以前にも経験したのと同様の躁うつ病状態に陥った。第二次大戦が勃発し、ロンドン大空襲によって家が破壊されたこと、亡くなった友人ロジャー・フライの伝記の評判が芳しくなかったことで症状は重くなり、仕事ができない状態になった[12] 。1941年3月28日、ウルフはコートをはおり、そのポケットに石をつめて自宅近くのウーズ川で入水自殺した。ウルフの死体は1941年4月18日まで見つからなかった[24]。夫のレナードはウルフを火葬し、ウルフの遺骨をサセックス州ロドメル村にある自邸モンクス・ハウスの庭の楡の木の下に埋葬した。
書斎に夫レナードと、姉ヴァネッサへの書き置きが残されていた。
最愛のあなた
また自分の頭がおかしくなっていくのが分かります。私たちはあのひどい時期をもう二度と乗り切ることはできないでしょう。それに今度は治りそうもありません。声が聞こえるようになって集中できないのです。だから最善と思うことをします。あなたは私をこれ以上ないほど幸せにしてくれました。あなたは誰にも代えがたい人でした。二人の人間が私達ほど幸せになれることはないでしょう。この恐ろしい病気が始まるまでは。もう戦うことができません。私はあなたの人生を犠牲にしています。私がいなければあなたは自分の仕事ができるのですから。あなたはできるはずです。もうこの文章さえきちんと書けません。読むこともできない。言っておきたいのは、私の人生の幸せはすべてあなたのおかげだったということです。あなたは私に対してとても忍耐強く、信じられないほどよくして下さいました。他の人たちも分かっています。もし誰かが私を救ったとしたら、それはあなたでした。私にはもう何も残っていませんが、あなたの優しさだけは今も確信しています。これ以上あなたの人生を無駄にするわけにはいかないのです。今までの私たち以上に幸せな二人は他にはありません。 V (レナードに宛てた書き置き)
[25]
◎資料
モナコ王妃
グレース・ケリーとレーニエ3世の実子であるアルベール2世、カロリーヌ公女、ステファニー公女の3人は、撮影終了後の2013年1月に本作に対して「必要以上に美化され、史実に対して不正確」と批判、数多くの変更を要求したにもかかわらず無視されており、本作は伝記映画ではなく、完全なフィクションであるとしている[5]。アルベール2世は、特に父親であるレーニエ3世が「指導者として一方的で、妻を束縛する男」として描写されている点に不満を感じ、第67回カンヌ国際映画祭のオープニング上映への出席を拒否した[6]。
モナコ公室の反応について、主演のニコール・キッドマンは「本作にファミリーを批判する意図はなく、完全な伝記映画とも違う」とコメントしている[7]。
◎資料
ケネディ兄弟との不倫[編集]
1961年にミラーと離婚したが、この離婚に先立つ1959年頃から、ケネディの妹の夫で俳優のピーター・ローフォードやフランク・シナトラの紹介で、前年に大統領となったジョン・F・ケネディと肉体関係にあったことが、ローフォードやモンローの家の家政婦のレナ・ペピートーンなどにより証言されている[13]。また、ジョンの弟で司法長官を務めていたロバート・ケネディとも関係があったとも囁かれたことがある[14]。
同年に封切られた映画『荒馬と女』の評判が悪く、また共演したクラーク・ゲイブルが撮影終了後に急死したことも重なり、不安定になり再び精神病院に入院。この時、よりを戻した元夫ディマジオが彼女を支えた。翌1962年に、映画『女房は生きていた』の主演になるが、たびたび撮影をすっぽかすため制作はほとんど進まなかった。『女房は生きていた』の主役は結局降ろされた(『女房は生きていた』は、翌1963年にドリス・デイ主演で公開された)。
なおジョン・F・ケネディとモンローとの関係は、ケネディがサム・ジアンカーナらマフィアと関係の深いシナトラを介してモンローと知り合った上に、ジアンカーナが2人の関係を知っており、このことをマフィアの取り締まりを強化しようとしていたケネディ政権に対する取引に使おうとしていたことを憂慮したFBIのジョン・エドガー・フーヴァー長官が、ロバートに忠告したことでこの年に終焉を迎えた[15]。
しかしながらモンローは、その関係が終焉を迎えた直後の1962年5月19日に、ニューヨーク市のマディソン・スクエア・ガーデンで行われたケネディの45歳の誕生日パーティ(司会はローフォード)に、体の線が露わになったドレス姿で赴き、『ハッピーバースデートゥーユー』を歌い、「いつ引退しても悔いはない」とケネディに言わしめた(ハッピーバースデー・ミスタープレジデントも参照)。
なお、この際にケネディとモンローの性的関係を快く思っていなかったジャクリーン夫人は、誕生日パーティーにモンローが来ると知ってあえて欠席した[16]。なお、ケネディは翌年凶弾に倒れている。
70年代男と女の恋 ツイッギー 記憶喪失と復活 もう会う事はないだろう男
1970年代。・・・・・・・
私は、1967年から1972年の間が、好奇心と、自意識過剰の中学高校時代でした。
ですので、
当時は、さほど勉強したという記憶もなく、今記憶している時代のシーンといえば、
たとえば、
ツイッギー。今見れば、たんなるミニスカートですが、当時は、たまげました。
政治的には、左翼がいたるところに蔓延していましたし、(特にマスコミ、今でもその、なごりはありますが・・・)学生運動が激しく、デモをやらぬ人間は人間にあらず、・・そんな雰囲気のなか、三島由紀夫氏が自決。
私はそんな学生運動にも興味が持てずに、ノンポリ学生として、(三島由紀夫氏の自決だけが、なにやら私を理由もなく、強く強く惹きつけたまま)、田舎の中学高校で、のほほんと、暮らしていたのです。
ベトナム戦争。万国博。ドラッグ。ウッドストック。ロックとjazz。漫画の新時代をきりひらくC0Mの創刊。「火の鳥」「ジュン」「漫画家残酷物語」・・・・・・・
いまでも、若い人達に読み継がれ、アニメになり、語られ続けられています。
・・・・・・・・
当時。
子ども心に、なんでこんなにたくさんの人達が、熱狂の渦のなかで、死に、戦い、描き、歌って行くのだろうか・・・そんなことを考えていました。
その意味では、「生」の渦巻きが、今の時代よりも、より巨大で、「死」がまだまだ、身近にある分、「生」がより深く感じられたのかもしれません。
・・・・
私が、小さな頃は、以前にブログにも書きましたが、テレビがやっと小学生になってから自宅で見れるようになったような時代ですから、かえって、みんな、映画の方に親しんでいたと思います。
岩見沢市の小さな小さな映画館。
中学生の頃に、見て、カンツォーネの素晴しさに酔いしれ、ジリオラ・チンクェッティの美しさに、頭をがつーんと、やられた私は、寝ても覚めても、ジリオラ・チンクェッティのことばかり考えていました。
前にも書きましたが。
イタリア映画・・・「愛はかぎりなく」です。
今の時代なら、すぐに、ネットで、名前を検索すれば、もう、画像からクリップから音楽から、即、ダウンロードできますから、ある意味、便利な時代ではありますが、逆に、私の、そのときの、「ハングリー感」だけは、味わえないと思います。
「飢え」といいますか。
「ハングリー感覚」。彼女の顔がいつも脳裏から離れない。
でも、写真もなければ、何もない。
学校の帰りに、塀などに貼付けてある、「愛は限りなく」の映画のポスターをじっと、見る日々。
うちの母親が、そんな私の行動や雰囲気が変だと感づいたのでしょう。
その映画館の切符切りのおばさんと、知り合いだったようで、その「愛は限りなく」のポスターを一枚、もらってくれました。
おばさんが、いきなり現われて、「はい、ポスター」「欲しかったんでしょう」と。
そのときの、喜びったらありません!!!!!
胸に抱きしめて、階段をかけあがり、二階の自室にもってあがって、壁にはりつけては、にやにやしながら、見ていた事をなつかしく思い出します。宝でした。・・・・
ボビー・ソロ「ほほにかかる涙」
この「愛は限りなく」は、当時、二本立てで、ボビーソロの「ほほにかかる涙」という映画と一緒でした。
どちらも、傑作とか、名画というのにはほど遠い映画ですが、私にとっては、生涯わすれることのできない、映画なのです。
たとえば、タイタニックという映画があります。
1912年に実際に起きた英国客船タイタニック号沈没事故を基に、貧しい青年と上流階級の娘の悲恋を描いている。主にSFアクション映画を手掛けてきたキャメロン監督が、一転して挑んだラブロマンス大作である。ストーリーはタイタニック号沈没の史実を交えて展開する。前半のラブストーリーから一転して、後半ではパニック映画さながらの緊迫感のある展開で、ラストは悲劇的な別れとなる恋人たちを描いた、優れたストーリーが話題となった。
主演はレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレット。配給は北米がパラマウント映画、日本を含む他国は20世紀フォックスが配給。全米で6億ドル、日本で興収記録262億円(配給収入160億円)[3]、全世界で18億3500万ドルと、同監督の『アバター』に抜かれるまで映画史上最高の世界興行収入を記録し、ギネスブックに登録されていた。
1998年のアカデミー賞において、作品賞、監督賞、撮影賞、主題歌賞、音楽賞、衣裳デザイン賞、視覚効果賞、音響効果賞、音響賞、編集賞の11部門で受賞した。また、セリーヌ・ディオンが歌う主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」も大ヒットした[
監督が、キャメロン監督ですし、私も大感動いたしました。
音楽も素晴しいかったですし、世界的にも一位二位を争う興行収入。
「嵐が丘」も、ちょうど、私が、「愛は限りなく」にまいっていた、その頃の時代の映画でしたが、個人的に、さほど感動はしませんでした。
なぜでしょうか?
これまた、人間心理の不思議なところで、自分だけの映画という秘密感が、持てないからかもしれません。
あるいは、俳優の好みは、人それぞれですから、物語そのものが素晴しくても、俳優に、気持ちがはいっていけないこともあると思います。
あるいは、たとえば、「嵐が丘」については、当時は、私は中学生。北海道のど田舎の平凡な少年には、ちょいと、レベルが高すぎたのかもしれません。今見てみますと、やはり、吸い込まれます。傑作だというはっきり確信できます。だから、その映画を見た時の、年齢もあると思います。
このあたりは、読書と同じですね。
一冊の書物が、年齢とともに、しだいに、重みが増す本と。
若い時に熱狂的に読んだのに、今は、ただのなつかしき思い出になっている本。
・・・・・・・・・
この「愛は限りなく」・・・・・・隠れたファンがいるようで、たしか、わたなべまさこ女子が、この映画をそのまま、漫画にしていて、当時、びっくりした記憶があります。
「えっ、こんなこといいのかな」という感覚ですね。
妹が、マーガレットや、リボンの愛読者。
私が、COMと、ガロ、SFマガジンの愛読者。
たしか、わたなべまさこの「ハイジ」なんかは、記憶にありますね。ちょっと不思議な、線でした。・・・
(ネットから、おかりしました。ありがとうございます。)
個人的には、西谷祥子の「マリイ・ルウ」が大好きでしたので。
あと、女流漫画家の水野英子女史の、「ファイア」なんかを読んでました。
いまから、考えると、ただ好きがら読んでいたのですが、あとで、 西谷祥子についてのこんな記事を見つけて、やっぱり、好みが無意識のなかに、あったんだなあと、思った次第です。(それから、30年後に、彼女の作品を立川あたりの古本屋で、見つけたところ、一冊が、5000円ほどの価格がついていました。)
西谷祥子について、・・・
萩尾望都は少女マンガ誌で自己表現を行った初めの人物と評している
また初期の彼女は、「石森章太郎(石ノ森章太郎)と水野英子の間にかってに生まれた私製児 (≠私生児)」と自分を位置付けていたという。
当時を知る人の細かい感想として、たとえばデビュー当時(1965年の白鳥の歌)、マンガ家になる前のみなもと太郎が見て、その色気を含む描線が新鮮だったという。また瞳の中に窓の反射のような光を入れる描き方を他の漫画家達が利用していたという。
彼女の作品と作風が少女漫画の最先端の一つであった時期は、1960年代後半から1970年代の始まり頃である。
そんなわけですから。
彼女を知ってから。
それからというものは、カンツォーネばかり聞くようになりました。そして、父親のデカい、リール式のテープレコーダーを借りて、深夜放送の、音楽番組を聞いては、せっせと録画する毎日。
ウィルマ・ゴイクも好きでした。
よく大学に入れたものだと今でも、笑ってしまいますが。
そして、映画音楽ばかり、聞くようになっていきます。
私は、いつも書いていますように、俳優と監督で、当時は映画をチォイスしていましたので、かなり偏愛映画になってしまったわけですが、それで良いと思っています。
偏愛文学でもあり、偏愛漫画でもありますから。
ジリオラチンクエッティ
「愛は限りなく」は、世界でも大ヒットして、映画のことは知らずしても、この曲を知らない人はいないでしょう。(なぜか映画があったということは知られていません。)
本人版。「愛は限りなく」
岩崎宏美の「愛は限りなく」
そんな青春時代。
「草原の輝き」という映画に出会いました。
・・・・・・・・
「草原の輝き」
エリア・カザンの映画のなかでは一番好きです。
(不思議に、この映画と、「理由なき反抗」「ウェストサイド物語」は、1960年頃の映画なのですが、リヴィヴアル再放送なんでしょうか。この当時に見た記憶があります。特に、この「草原の輝きは、高校生の頃ですから、ものすごく感銘した記憶があります。最近、また、再試聴してみて、この頃見た時よりも、さらに感動いたしました。・・・・・・)
「ウェストサイドストーリー」のナタリー・ウッド
「草原の輝き」のナタリー・ウッド
とくに、ナタリー・ウッドの美しさときたら。
1981年、映画『ブレインストーム』の撮影のさなか、入り江で水死しているのが発見された。43歳。事故死とされた一方、殺されたという意見もあり、真相は謎とされている。新たな情報が寄せられたとして2011年11月にロサンゼルス郡警察の殺人担当部署が再捜査を開始した。2012年5月に作成された検視報告書では、遺体には複数の打撲や傷跡の痕跡があったことを認定し、死因を「事故死」から「水死および不確定要因によるもの」と変更した上で、しかし警察は殺人事件として扱うには証拠不十分であると結論づけている。
不慮の死。不思議な死、残念でなりません。・・・・
でも、女優であるかぎり、「理由なき反抗」の、ジェームズ・ディーンとともに、まだまだ美しいままに、天国でふたりで、戯れていると想像すると、それはそれで、良いかもと・・・。
いまではもう死語となってしまったけれども、結婚までは男性に許さないという女性の態度が親などからも強く言われていた時代の話だけれども、それでもこの映画のディテールは見るものの心を圧倒する。
すこし、マンガ的ではあるけれども、父親の男性原理的な存在。
母親の娘に対する世間的な目を気にして押し付ける、いわば窒息愛。
ところで恋。
三島由紀夫氏が、「現代の恋はピグミー的」というようなニュアンスの言葉を書いたことがあったと記憶しているが、要は、「高い」壁を飛び越えるくらいの「高揚」がある恋ということだ。ピグミーという事は背が低い恋ということだろう。・・・・・
そんな高みを求める恋だ、彼らの恋は。
「あこがれ燃え」でも賛美歌の詩が、じつにシンボルとして生きていたように、この映画でも、ウィリアム・ワーズワースの詩( "Ode: Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood")の一節が素晴らしい効果をあげている。
『霊魂不滅のうた』とでも訳せば良いか。
Though nothing can bring back the hour
Of splendour in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind...
渋沢竜彦氏の著作にも、「黄金時代」という名著がありますが、
やはり、子供時代の記憶・思い出・自然とのたわむれ・感動のわすれられない瞬間などなど、
それは黄金時代であり、個人の財産、そこからたくさんのインスピレーションをもらえる、知恵の井戸だと私は勝手に思っていますが。
霊魂不滅のほのめかし。
霊魂不滅のヒント。
草原の輝き 花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘められたる力を見い出すべし
自分が、狂う程に、愛した男。
そのために、別々の道を歩むことになり、その道のなかで、ふたりは、違う伴侶を見つけて、
人生を進むようになる。・・・・・・
風がしずかに吹き、花がさきみだれることは、それでも毎年、くりかえされる。
その美しい自然のなかで、ナタリー・ウッドは、過去死ぬ程愛した男に会いにいきます。
このシーンがすごく好きです。
そこには、自分がすべてを棄てても良いと思って愛した筈の男がいるのだけれども、
そして、いまだに、彼の笑顔は素敵なのだけれども、
彼が住んでいる田舎の藁葺き家には、見知らぬ野性的な女性がおり、また、彼の子供がいた。
じつに、田舎の風景が心に沁みてきます。
草原の輝き 花の栄光
再びそれは還(かえ)らずとも
なげくなかれ
その奥に秘められたる力を見い出すべし
表面的な人生の「色彩」はどんどん変容していってしまうけれども、
その奥の奥の、自然のなかにある永劫の力を感じ取りなさい・・・・
ナタリー・ウッドはこの詩を脳裏に浮かび合わせながら、もう会う事はないだろう
男のもとを車で去っていきます。
私はいろいろな映画を見てきましたが、このラストシーンは、ベスト3にはいるくらいの、素晴らしさです。
何回も何回も、試聴しました。
(英語の発音もきれいですね。)
この映画を今リメイクしても、こんな素晴らしい映画にはならないでしょう。
おもしろいのは、実際の現実では、このウォーレン・ヴューティとナタリー・ウッドは
つきあいはじめ、そして、現実でもわかれるはずです。私の薄い記憶では。
そして、日本人以上に日本人に、私には見える、アーネット・ベニングと結婚していますね。
私は個人的には、Regarding Henryという題名のシネマ、日本では「心の旅」と訳されていますが、この映画の彼女アーネット・ベニングが好きです。
「心の旅」
非常に母親の雰囲気があっていると思います。(危険な情事のアン・アーチャーもまた、母親役が似合っていましたね。)
この「こころの旅」個人的には、かなり、フェボリット。
この「心の旅」の監督のマイク・ニコルズといえば、「卒業」
この時代に生きた人はこの映画を知らない人はいませんね。
今の10 20代の人はどんなふうにこの映画を見るのでしょうか?
すごい興味がありますね。(30 40 代でもいいです。要は制作年月とずれて見た人たちですね)
彼のこの「卒業」から24年後の作品。原題「Regarding Henry (1991)」
「こころの旅」
ニューヨークで弁護士をしているヘンリーは、有能な弁護士ではあるが、家族を全く顧みない冷たい男であった。有能な弁護士で主として大企業や大病院などを顧客として、患者から医療ミスで訴えられた病院の裁判において、患者側に有利な証拠を握りつぶすという倫理的に問題のある方法で勝訴を勝ち取ったばかり。タバコを切らしてしまった彼は、買い物に出かけた時に強盗事件に巻き込まれ、重傷を負ってしまう。幸い命は助かったが、記憶喪失になってしまう。陽気なリハビリトレーナーに励まされて運動機能を回復させたヘンリーは、退院して自宅に帰るが、妻と娘は事故前とは人が変わったように優しさを示すヘンリーに戸惑う。
ヘンリーは次第に家族との絆を取り戻して人間としての充実を感じ始める一方で、記憶が回復するにつれ、弁護士としての過去の所業との倫理的ジレンマに苦しむ。
ストーリーは、非常にシンプルで、ただニューヨークで辣腕弁護士をしているヘンリーが、腕は経つが、家族をないがしろにしている男であったのが、ある日、買い物の最中に強盗事件に巻き込まれ、重傷を負ってしまい、幸い命は助かって身体は回復したのだが、記憶喪失になってしまう。そこからヘンリーはどうたちなおるか? そういう物語です。
アネット・ベニングは実に日本人的な感じがする女優です。
実際の夫は、さきほど、書きましたが、レスリー・キャロン、キャリー・フィッシャー、カトリーヌ・ドヌーヴ、フェイ・ダナウェイ、ダリル・ハンナ、メラニー・グリフィス、バーバラ・ハーシー、ジョーン・コリンズ、ウルスラ・アンドレス、マリア・カラス、ジャクリーン・ケネディなどと交際したというプレイボーイのウォーレン・ビューティとの間に4人の子供がいます。
みさかいなく遊び回る弟のビューティに姉のシャーリー・マクレーンが、がっちり叱ったと言われています。
何か不思議な魅力があるのでしょう。
私も彼の「俺たちに明日はない」の彼にはかなりやられました。このフェイ・ダナウェイともつきあっていましたが、彼女も素晴らしい女優でした。
特に、このラストシーンは、誰しもが驚いた名シーンです。
いまでも、心に深く残っています。
映画の魅力は、ひとつの「物語」=シナリオが、たくさんの人の手によって、ある意味、万人向けの美しい画像やシーンに作り替えられるということでしょう。
何回見ても飽きることのない強烈なカメラワークなどや、監督の演出が求められるわけですね。
この「心の旅」、ディテールですが。
ヘンリーとサラの、関係が記憶喪失になってから次第に解き明かされる展開はサスベンスがありました。
サラの浮気相手が自分の同僚だったというシーンがありましたが、私の好きな映画の「アバウト・シュミット」の主人公のジャック・ニコルソンがやはり妻の亡き後に妻が自分の同僚と浮気をしていたことに気づいて大げんかするシーンを連想していましたが、この映画では、喧嘩のシーンはカット。
部屋に彼を呼び出して、すぐに部屋から出てくるシーンとなっていましたね。
その妻の手紙が青のシンプルな手紙で、そっけなくメッセージだけ。
実に印象的な手紙。
夫も愛人がいたわけで、心の複雑な屈折のあらわれ?。
子供と図書館に行って勉強するシーンがまた印象的でしたね。
記憶を喪失して、大脳皮質が破損した分だけ、小脳と脳幹が躍り出て来たのか、^^、実に子供っぽいことを楽しくやるようになってきました。
子供以上に子供に戻っていくヘンリー。
仕事中毒で家庭のことなどいっさいかまわない男の変容に家族のひとりひとりが、次第に影響されて行く。
このあたりは、映画の「しあわせの隠れ場所 サンドラ・ブロック」の、ひとりの男の子が養子になっていくなかで家族のあり方が変容していくところを思い出しますね。
記憶を失って以後はじめて言葉を発するシーン。
その言葉が愛人といつも利用するリッツホテルのリッツという言葉。
必死なリハビリ。足を動かすところなどがよく研究されていましたね。実際の病人などにも会って勉強しているのでしょう。
この映画をあとになって冷静に見れば、家庭愛を圧倒的にアビールするだけの映画かなとも思えるし、現実はもっと複雑だろうとか、いろいろ批判の芽が心にも芽生えたりもするのですが、そんなことよりも、この映画を見ている間だけは、じつに見ているこちらは強烈に納得されます。
仕事に翻弄され、人間関係のしがらみに疲れ果て、大きくストレス解消のために家庭をないがしろにし、大脳皮質だけで生きているような現代人から見ると、たとえ記憶が大きく失われても、未来に向かって新しい家族の記憶をすこしずつ貯蓄していこうとする男の姿は、初々しく、涙がでますね。
ラストシーン。弁護士を辞め、真相の証拠を原告の患者サイドに届けた彼は、サラと共に寄宿学校に入れたレイチェルを引きとりに行き、家族3人で生きていこうと誓うシーン。
まさに軽い殴り込み。
「卒業」のシーンではないですが、ちょいと連想しました。
実際にはあんなことはありえないのですが、映画っていいですねえ。ありえないことを実現してくれるのですから、たくさんの人が力を結集してありえないことをありえるように作り上げて行く。
だから映画は人気が21世紀になっても人気があるのでしよう。
それに、今、話題のスター・ウォーズ。
今のお子さんは、初期のシリーズをまだ見ていない子ども達もたくさんいるはず。
家族で、また、このスターウォーズを見るというのも、良いものですね。
この「心の旅」の、ハリソン・フォード、ほんとうに代表的なアメリカの男優さんです。
1977年には、フレッド・ルースの紹介で『スター・ウォーズ』のオーディションに参加、参加時の不安な心境と男らしい雰囲気が決め手となり、ハン・ソロ役に抜擢され、同映画の爆発的ヒットに伴い、一躍人気スターとなった。『スター・ウォーズ』旧3部作のハン・ソロ役を演じる一方、『ナバロンの嵐』や『ハノーバー・ストリート 哀愁の街かど』など数々の話題作に出演し、俳優としての活動に弾みをつけ、1981年には、ジョージ・ルーカス製作の『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』に主役のインディ・ジョーンズを演じた。同作も『スター・ウォーズ』同様大ヒットを記録し、後にシリーズ化された。
今月封切りになる「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」にも、ハンス・ソロ役で、再登場!!!!
いやあ、楽しみです。
私の家の近くのゲオ。
家族づれで、何本もビデオレンタルする方が多くてほほえましいです。
というわけで。
アーネット・ベニング・・・
素晴しい女優さんです。
私生活では、1984年に振付師のJ・スティーヴン・ホワイトと結婚したが1991年に離婚1992年に『バグジー』で共演した俳優のウォーレン・ベイティと結婚。4人の子供(キャスリン、ベンジャミン、イザベル、エラ・コリンヌ)をもうけている。。
ふたりで、2011年に、オスカーにも出ていますね。
とにかく、
ウォーレン・ヴューティのプレイボーイぶりはすさまじいということをここに記しておきます。
レスリー・キャロン、キャリー・フィッシャー、カトリーヌ・ドヌーヴ、フェイ・ダナウェイ、ダリル・ハンナ、メラニー・グリフィス、バーバラ・ハーシー、ジョーン・コリンズ、ウルスラ・アンドレス、マリア・カラス、ジャクリーン・ケネディなどと交際したという、プレイボーイです。
まさに、男のなかの男、好き嫌いはあるでしょうが、男性ならば、皆、うらやましがるはず。
フェー・ダナウェイに・・・・
フランスの最高の美人女優。カトリーヌ・ドヌーブ。
個人的には、「昼顔」が最高ですね。・・・・
脱線しました。・・・
本題。
「心の旅」の、
アーネット・ベニング・・・
私が、見た映画は少ないですが、それでも、強烈なる印象を持っています。
特に、このふたつ。
小説が好きな人であれば、誰しもが、その物語の作り方に脱帽する、サマセット・モームの原作の「劇場」。日本題名「華麗なる恋の舞台で」
現代は、being julia ・・
監督は、イシュトヴァン・サボーです。ハンガリー・ブダペスト出身の映画監督。
若い男との不倫を刺激薬として、演技の艶の次元をアップしていこうとする女優を演じています。・・・・・
モーム
資料
モーム,サマセット
1874‐1965。イギリスの小説家・劇作家。フランスのパリに生れるが、幼くして両親を亡くし、南イングランドの叔父のもとで育つ。ドイツのハイデルベルク大学、ロンドンの聖トマス病院付属医学校で学ぶ。医療助手の経験を描いた小説『ランベスのライザ』(1897)が注目され、作家生活に入る。1919年に発表した『月と六ペンス』は空前のベストセラーとなった代表作である
「華麗なる恋の舞台で」
もうひとつは、個人的なフェボリット。
「アメリカン・ビューティ」の、彼女。
この「アメリカンビューティ」。
映画自体は、
ケビン・スペイシー扮する駄目親父が、こともあろうに娘の友達に恋をしてしまう。
身体を鍛え、ひとり家を出て、遂に、その美少女を口説き落とす。
するとその美少女は、噂のプレイガールではないどころか、バージンであることを告白されて、
驚くスペイシー。泣き出す美少女。その時に、スペイシーがいう台詞。
You have nothing to be sorry about .(あやまることなんか、なんにもないんだよ)
しかし。人生とはこんなものなのだろう。そしてスペイシーは最後のしめくくりのシーンまで運命のごとく惹き付けられていく・・・最後は風になって言葉だけが残るのだが、そこがいい。
この渋い映画、スペイシーのかっこよさとともに、彼の奥様の、モーレツなポジテイプ奥様を素晴しい演技でがんばっていました。
家を売るセールスレディ。
そのために、いつもプラス思考の言葉を口にしては、ため息をつく毎日。
ご近所さんには、いつも自分の良い顔を見せては、社交上手ぶりをひけらかす。
役柄的には、あまり良い役ではないのでしょうが、実に、見事に演じきっています。
スペイシーが、「昔の君はそんなんじゃなかった」と、怒鳴り散らすシーンが好きで、今でも、何回も再試聴しております。
「アメリカン・ビューティ」
このシーン。
男性の気持ちが、伝わってきます。
男は、結婚しても、あまり変わりませんが、女性は大きく変化してしまいますから・・・。
ウォーレン・ビューティのお姉さんのシャーリー・マクレーンのキャラも、かなり、すごいです。
年配の方であれば、誰しもが知っているとは、思いますが、「アパートの鍵」で、アカデミー賞を取っています。監督は、あのビリー・ワイルダー監督。
個人的に好きなのは、この作品と、「昼下がりの情事」、マリリン・モンローの「お熱いのがお好き」、 「翼よ! あれが巴里の灯だ」です。
「昼下がりの情事」では、「真知子巻き」が流行しましたが、この映画ではヒロインの「アリアーヌ巻き」がヒットしたとか。
「昼下がりの情事」
「アパートの鍵」も素晴しい映画でした。・・・・・・
彼女の本は、不思議と日本とか東洋のことについてかなり研究しているということがわかります。
娘さんに、サチという名前をつけていますが、このサチ。
blessd child という名前。小森和子さんがつけたとか。・・・
かなり日本に東洋に傾倒していたことがわかります。
アウト・オン・ア・リム (角川文庫)/角川書店
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ゴーイング・ウイズィン―チャクラと瞑想/地湧社
¥1,728
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ニューエイジの旗手としても注目された。近代神智学の影響が濃い心霊治療家エドガー・ケイシーの思想や、仏教思想を初めとする東洋文化、霊や宇宙人と交信するというチャネリングなど、ニューエイジを構成する思想に傾倒し広く紹介した。娘の名前は小森和子によって"blessed child"を意味する日本名「幸子」にちなんで名づけた。1983年に刊行され世界的なベストセラーとなった『アウト・オン・ア・リム』などの自著で、自身の体外離脱や神秘体験を語っている。
エドガー・ケイシーが唱えた輪廻転生説を支持し、自身の前生はアトランティス大陸の人間で、3500年前のアトランティスの戦士であったラムサと兄弟であったという。ラムサはニューエイジのチャネラーであるJ. Z. ナイト(英語版)が交信する霊で、シャーリー・マクレーンは『ダンシング・イン・ザ・ライト』でナイトを高く評価しており、一時期支持していた[4][5]。また一休宗純の最愛の伴侶であったと言う。彼女は盲目の三味線弾きで、70代後半の一休よりも40歳も若かったとのこと。
このお姉さんに、ウォーレン・ヴューティはさんざん、しかられて以来、浮気をせずに、家庭的になったとか。
説得力のありそうなシャーリー・マクレーン。さすがです。
「映画は、人生の教科書。人生勉強の場です。」 淀川長治
FIN
◎資料
イチロー快足内野安打 初対戦の敵軍捕手「最高の気分だった」
John Lennon - Going Down On Love
22歳のころ。
セールスマンレディにビートルズ全集を買わせられた。
今は、宝物。
すこしずつ、英語の勉強をしていこうと思う。
吉行淳之介 (1)「斜面の少年」「崖下の家」「窓の中」「暗い半分」
『汚れるのが厭ならば、生きることをやめなくてはならない。生きているのに汚れていないつもりならば、それは鈍感である。』
吉行淳之介
<右側の人物は安吾評論でも有名な奥野氏だと思いますが・・>
波乱に満ちた女性遍歴とよく言われるが、そこがいい。彼の死後に、愛された女達がぞくぞくと本を書いているのが笑える。
「私が一番愛された」皆、そう書いている。女の性でしょう。それが可愛いが、吉行本人は、たしか死ぬ寸前に「やられた」と大塚英子に言っていたそうだから、氏も必死でバランスをとっていたことでしょうが、自分の考えた方向と違う方向に行ってしまった、そう呟いたのだ。
大塚が『「暗室」のなかで 吉行淳之介と私が隠れた深い穴』(河出書房新社、1995年)。
高山が『特別な他人』(中央公論社、1996年)。
宮城が『淳之介さんのこと』(文芸春秋、2001年)。
本妻・吉行文枝が『淳之介の背中』(新宿書房、2004年)をそれぞれ発表している。
彼は大塚と、高山嬢は、死後出て来た女性でしょう。
宮城嬢と、本妻の文枝さんは、彼の作品にいろいろと登場するので有名ですが。
ここ一週間彼の作品特に、短編読んでいて、やはり彼の感受性は並大抵のものではありませんね。よく飼いならしたものだと感心してます。三島由起夫氏が絶賛した「闇の中の祝祭」や、「驟雨」もそれは感じましたが、子供の領分なんかにも小さな頃から三島由紀夫氏と変わらぬような「オバケのような感受性」と格闘している様がよくでていますね。
今一番惹かれる作家のひとりです。
「斜面の少年」
子供の領分 (集英社文庫)/吉行 淳之介
¥500
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運動場と校庭のつなぎめのところが、斜面になっている。
光はさんさんと降り注いでいる筈なのに中等・高等の学生たちの顔に陰が射している。
墓場に繋がる校庭の卒塔婆も墓のあたりに林立していた。
高校一年の青木が先輩のところに学内新聞の原稿をとりにいった帰りにその斜面に寄る。
中田といろいろ話をする。
先輩が言うにはある投書によるとある高校の90%が童貞ではない。級長をやっている輩にいたっては遊郭通いをしているらしいが、君たちはどうなんだと聞いてきたと青木は言う。
青木がそれはヒドイ話ですね、と言うと先輩はそうかそれでは君たちは好きな女の子に手紙を出してボストに入った瞬間に胸がきゅんとする具合なのかね、そう言ったという。
「なるほど青木はそのクチなんだな」と中田が妙に意地悪な言い回しで言う。
中田は鉄棒をしている赤川を指差して、「赤川は遊郭通いのクチだよ」と言う。
青木はこんどは中田にからむ。
「じゃあおまえは手紙を出さずに手を握るクチかい」と。
まあ、このあたりの描写は思い当たる節がありますねえ。
誰それと誰それが付き合ったとか、誰がもう喪失したとか、そんなつまらないとに皆目と耳を集中させる季節なんですよね。大人にいったんなってしまえば、懐かしき思いでかもしれませんが、あの妙に大人と子供の心と肉体のアンバランスの時期にもどりたいなんていう人はいないでしょうね。
乱暴者の赤川が鉄棒で大車輪をし始める。
青木と中田はそれを見ながら赤川の目が異様に茶に見えることを興味深く論議している。
「茶色っぽい、時には緑色にも見えるきみの悪い目だ」と青木が言うと、中田はあれは苦労した男の目だよ、と強く言う。
赤川が鉄棒をやめて斜面の少年ふたりのところに来て、お前たちは試験のことなど考えているのだろうが、オレは札束を積んで入ってしまうから試験勉強なんかしないんだ、いいjazz部のある学校がいいな、と豪語する。ふたりがそんな話をしているのじゃあない、と言うと、赤川は「じゃあ女の話か、オレは昨日例のところへ行ってきたがセーラー服の女がいて、遊んで来たよ」と言う。
ある日、クラスでは一番の美人の岡田景子が、自転車乗り場でたむろしているところに来る。
噂では、ふたりとも景子に惚れている、そして景子もふたりのどちらかに惚れているらしいが、指定はうわさにはない。
塗装会社の社長の娘らしく彼女はふたりのオンボロ自転車の色をもっとシックにしなさいよと、美人らしく高圧的に言い、立ち去って行く。あくる日、約束どうり、彼女はエナメルをひと缶ずつ青木と中田にくれた。
青木はハゲチョロの塗装のはげたところをきちんともらった塗料で塗り直すが、見栄えはたいして変わらない。
中田は、塗り返さない。
青木が「せっかくの景子さんの厚意なんだから」と言うが、中田は、「ずいぶんおまえはジェントルマンなんだな、そんな考え方をしていると今に手痛い目にあうぞ」とおどかす。
これらの会話でふたりの登場人物の心理を際立たせているのはさすがですね。
青木はどうやら優しい女性の立場にたって動いている分優柔不断な感じがしますし、中田はふてぶてしい分男らしい匂いがたちのぼってきています。
景子のひとことが伏線。
「中田さんってずいぶん、アマノジャクなのね」
この意味不明の会話が効いています。
そして青木と中田の間に事件が起こる。
青木は中田が早熟な都会の青年風に女達と一緒に料理教室へ通っていたので、自分も行こうとした節があり、少し不器用で無理しているところが見える。
岡田がそのふたりに好意をしめして、料理教室へきてもらったお礼にと、こんどは男子だけの図工教室へとひとりくるようになった。
ある日のこと。
図工の時間に青木のつくった本立てが紛失する。
中田が休みの日であった、木工室の横に作品が並べられるのだが、青木が行ってみるとないのである。
三日経ってまた青木がその部屋に行くと、こんどはその本立てがあるではないか。
しかし、そこには別の名前つまり中田という名前のラベルが貼ってある。
青木はいろいろ考えたあげく、図工の先生に相談することにする。
自分が無くしたことを相談した図工の先生に中田の名前を告げた時には、青木は中田が自分に対して負い目を負ったような気持ちがして寛容な気持ちになった。
「あまり先生、中田を責めないでください」そういう言葉のふしふしにも。
その気持ちの動揺を先生は調べる目つきで見守る。
ふたりはまた三日後に木工室の林先生に呼び出される。
授業中にふたりは廊下を歩きながら、いろいろ考えているが、青木は鷹揚な態度をとるべきか、それとも一気にとりひしぐかを考えあぐねている。
ところが意外な状況に青木はおちいる。
先生がふたりとも優秀な生徒であるということと、青木と先生がたぶんこの三日の間に面談したのだろうが、先生は「中田もこれはボクの本棚です」と主張していると言う。
つまり先生は青木の言う事も信じていないし、中田の言う事も信じていない、ふたりとも同じ土俵にたたされているわけですね。
でも、まだ青木は「いまにすぐわかることだ」と余裕を見せている。
先生はそこで、こんなことを言う。
「それでは、この本立ては君たちがそれぞれ自分でつくったものだと主張しているわけだが、自分がつくったのならその特徴をよく知っている筈だ。そこで、二人で交替に特徴を言ってごらん」
ここに少年達が言ったすべての特徴を列記することは意味がないので、省きますが、要は先生から見ても、まったくどちらの言っていることもすべてぴったり当たっているので、先生もますます混乱する。
そして、ついに、先生はこう言う。
「これをバラバラにしてもかまわないかね」
すると中から青木と書かれた木の木口=こぐちがあらわれた。
青木は気が抜けたようになり、先生が「どうしてこのとを先に言わないんだ」という質問に
「忘れていました」と言うしまつ。
急に、激しい怒りが青木におこり「おいきさま、これでも自分のものだというつもりか」と中田の肩口を一押しする。
中田は二三歩よろめくが、平然と、「うりふたつと言うこともあるからね」と言うではないか。
先生も、中田を叱る立場のはずが、まあまあと言いながらふたりの少年の間に入ってきた。
それからすこしして、斜面には青木と中田と少年達がたむろしている。
青木と中田も斜面にすわってさすがに口もきかないが、青木の方がなにか動揺していて罪を犯しているような気さへするのだった。
少年達の妙な沈黙があった。
赤川はふたりをじっと見比べながら、「へっ、中田というやつは」と言いながら斜面を走りおりた。そして鉄棒でくるぐる回転し始めた。
奇怪な事に、それからまもなくして、岡田景子が中田の恋人になったという噂が流れ始めた。
よく、ブログの書評で★★★☆☆と評価をつけているブログがありますね。本や映画につけて客観的に評価しようとしているのでしょうが、これは無意味ですね。
なぜならば、私は吉行淳之介の傑作と言われてる「闇の中の祝祭」からはじまり、エロ雑誌にものっかったような軽いタッチの読み物まですべて偏愛しているのですから。すべて五つ★です。
笑い。
小林秀雄氏が、作品の裏側にはどれだけの反古があるか考えてみよと書いてましたが、失敗作も次の傑作の踏み石になっている場合も多いですね。失敗作を書き直して受賞ということもあります。
だから、そのひとつひとつの作品に★をつけることはあまり私にとっては意味のないことだと思うのですね。その吉行氏の人生の全体を読もうとしているわけですから。
三島氏の「絹と明察」も簡単に失敗作と言う人がいますが、ほんとにしっかり読んでいるのかと言いたいくらいですよ。笑い。
もちろん本は高いですから(ほんとうは高くない)、普段本を読まない人にとっては★は目安にはなるのでしょうね。
ただ、本を読む行為というのは、客観的に読むというのはなかなか難しいですよね。
私はそういう読み方はしませんので、あしからず。
(自分の嗜好と、舌の直感と、passionと、著者の人生に対する、あるいは芸術に対する姿勢で、好き嫌いが決まってしまうのです。お許しくださいませ)
宮城まり子が選ぶ吉行淳之介短編集/吉行 淳之介
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開高健との飲み会。
ふたりは素晴しい対談をよくしました。
この、サライは、なかなか入手できませんでした。
やっと最近手にいれました。
・・・・・・・・・・・・・・
「崖下の家」
崖下の家。
最初にモダンという言葉の定義があり、古色蒼然という言葉がもはや使われなくなったというところから始まる。ここで母、吉行あぐりが美容師だったことを思い出す。
しかし、そのモダンと言う言葉も昭和初期にはまだ新鮮な響きを保っていた。
まず、母あぐりが、二等辺三角形の土地に三角形の三階建ての西洋館を建て、そこが昭和初期にモダンな建物として話題になったことが書かれる。
その三角形のモダンな家と裏の崖の間にこの短編小説で書かれる「日本風和屋」があり、一郎の祖母が離婚したあとひとりで住んでいた。
下半身不随ではあるが細面の黒髪美人。
医者から指示されて部屋の中に太くて大きな青竹が一本横につられていて、少年はそこで逆上がりなどをしてよく遊んでいた。黒い漆の便器があったり、崖下の暗い日当りの悪い家ではあったが、祖母が接待上手だったのと美容院の女の子達とレコードを聞いたり話をしたりすることが目的で青年達がよくこの崖下の家には出入りしていた。少年は彼らが祖母と会話をするのを聞いていて何かそこに生臭いものを感じる。
祖母の性格にひとつの法則を少年は発見する。
性に関する話題が出てくると祖母の機嫌がよくなることだった。
そういう話になると祖母は、必ず、「困った人ね」とか「悪い人ね」とか言って機嫌がよい。
当然会話の中にはデリケートなバランスで巧妙に計算されてそれらの性的な言葉がちりばめられていた筈だが、少年は単純に性の話をすれば祖母が笑うと考えてしまう。
ある日。美容院の若い女性達が新年会に集まってきていた。
祖母はいつになく若い女性達に囲まれて若返っていたようにも見える。
祖母を上機嫌にさせるために何かワイセツなことを言おう、そう少年はきめた。
サーヒス精神もあるにはあるが、少年は気分にかなりのムラがある祖母の気持ちろをコントロールし、支配できるのだ、そう考えると少年は胸が踊る。
しりとり遊びがはじまる。リンゴ、ゴリラ、ラッキョウ、ウナギ、言葉が続いて少年のところにあるひとつの言葉がきて、少年はその卑猥な言葉を叫んで、祖母の笑いが一同に響きわたる筈であった。
ところが祖母が苦い顔をして一座は深閑とする。
明るくて気のきく女性が「ああマッチのことね」などと場の雰囲気を直そうと必死だがそれもわざとらしく聞こえる。少年の作戦は見事に失敗しその日から、彼は女性に対して臆病で物怖じする子供になっていく。
またある日。
鮒=フナを研究するので持ってこいと言われた少年が、鯉をタライに入れて持っていく。いろいろ手を尽くしたがフナが見つからず、魚屋で鯉を買ったのだった。
その鯉が小さなタライの中では元気がなく、何も役に立たなかった鯉を放課後校門のところまで、風呂敷包みで運んでいると、同年代の少女がやってきて、「大きな鯉ね。あら、ぐったりしているわ。死ぬんじゃないかしら」と言った。
少年はただ「ああ」と言った。何かを言わねばという心の中でけしかける気持ちはあったが言葉が出てこない。この一言だけが小学時代に少年が少女達とかわした唯一の言葉である。
中学生になると一言もかわさなくなってしまう少年。
驟雨でもとられ、夏の休暇でもとられる会話の中のユーモラスでイメージが湧きやすいシーンの挿入が勉強になる。
脚が立つように祖母はなんでもチャレンジするのだが、まずは温灸師。少年も灸を祖母と一緒にすえられる。少年は「熱い」とその堪え難い熱さに驚き、照れ隠しに「アチチチ、コケコッコー」と叫ぶ。祖母が笑い、灸師も笑い「まあおもしろいおぼっちゃんですこと」と愛想を言われる少年。
驟雨ではふたりだけの二階でのダイスで遊びながら窓下から聞こえる客と娼婦の会話。夏の休暇では、父親が二人きりで一郎と夕飯を食べる時の駄洒落の応酬のシーンを連想しますね。
そこで、少年はふとバカらしくなってそれきり祖母の灸の時には姿をくらます。それが祖母からするとおもしろくない。
その裏切り行為に祖母は言う。
「そんな心がけでは私の脚は立ちはしないだろうよ」と。
時間が経ち、灸師はいなくなり、かわりにマッサージ師が出入りするようになり、そのマッサージ師もいなくなると、祖母は新興宗教に夢中になる。もちろん、心の安らぎを得ようとするのではなくて、脚が立つように熱中する仕方である。
やはり少年がばかばかしく感じて祖母の言うとうりに仏壇に祈りをしないことで、ふたりはよく喧嘩をするようになる。祖母はインテリ女であり、知性の彼女よりも劣っていた夫に対しての気持ちが別居にさせたと少年は思う。
脚萎えにならなければ祖母は宗教などは軽蔑するようなタイプの人ではあったが、脚萎えを治すために宗教が必要に感じたのだろう。
ナンミュウホウレンゲイキョウという陰陰滅滅とした響きが持続するその祖母が入信している団体の本部に、少年は祖母に頼まれ祈りに行くが、知能の足りぬ男が「オレこんどお山にいくんだあ」と言う。
その本部の奇妙な雰囲気を少年はいつまでも肌で感じる。
陶酔したように言葉を話す精神薄弱の男から感じる宗教というものの影響の強さ。
吉行淳之介の作品には少年が奇異に感じたことや、彼が肌感覚で感じた微妙なる気持ちの分析がよく出てくる。そして、巧い。食通の舌を持つ美食家がこだわりの肉やワインに感じた直感的な舌触りや匂い、スパイスの妙を正確に言葉で表現することに近いと私は思う。
彼の文章は右脳でとらえた人の何倍も敏感な少年の感覚を、言葉という左脳の行為で的確にひとつずつ埋めていくような快感があるのだ。
また祖母が大切にしていた経典や経本が埃にまみれて押し入れの中に積まれることになる。
その頃には祖母は失禁までするようになり、濡らした布団から運び出されながら「もう、私は駄目だ。もう駄目だと叫ぶ祖母を見ていると、普段は機嫌も良くなく中性的な声の祖母の声が妙に艶かしく聞こえた。
疎ましさと悲しみが入り交じった感情を少年は持つ。
昭和19年。
東京空襲の日が近づいていた。
少年は母親と一緒に腎盂炎で入院していた祖母の様子がおかしいとの報を受けて足を向ける。
途中で、警察官に職務質問されるが、学生と女性が連れ立つことが罪悪として思われていた時代母と子とどうやっても信じてもらえない。
結局警察官同行にて病院に出向く。
そこは花の匂いでむせており、祖母は「おまえが一番遅かった」と言い、ウィスキー紅茶を飲みたいと言い、意識不明の状態に陥る。
三十分ほどして、目をさました祖母はこう言った。
「さあさあ、皆そろっているね。ケーキを切っておわげ」
祖母はそう言うと、歯を食いしばり、いくらか前歯をのぞかせた顔になり、コトリと死んだ。
少年は涙もでない。ただ縁者に知らせに廊下に電話をかけにいく。
その相手は電話を持たず、呼び出しをかけてもらわなくてはならない。
「こんな夜中によびにいくわけにはいきませんよ」
「しかし、人が死んだものですから。お願いします」
「でも夜中ですからね」
「死んだことを知らせたいのです」
「駄目です」
受話器を置く乱暴な音が電話機の中でなった。その時に少年はこう思う。
それは不幸な一生だった、と。
祖母は15年間寝床の上の生活をおくり、55歳で死んだ。
「窓の中」
人を惚れさせる男―吉行淳之介伝/佐藤 嘉尚
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のぞき。
ピーピングと言うのか。
三島由紀夫氏の「午後の曳航」でしたか。傑作ありますよね。「ガラスの斜塔? 記憶ぼんやり」というシネマも良かった。
午後の曳航 (新潮文庫)/三島 由紀夫
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これは男性ならず、女性だって興味がない筈はないと思いますがいかがですかね。
ルコント監督の「仕立て屋の恋」も中年の男性が窓から少女の裸体を見るシーンから始まりますね。のぞき事態がいいか悪いかなんていうのは、どうでもいいことなので、そののぞきの心理や、歴史の中の哲学みたいなものの方が興味ありますね。
「窓の中」
大学生の矢村道夫の勉強部屋は二階の奥の一室である。
気がかりな隣家がある。
その主人は一年前に死んでいる。
20歳くらいの娘と小学生の息子が遺された。
母親はずっと前に死んで娘が母親がわりに家事をしている。
娘は美しい。そのことが道夫の気がかりなのであった。
その娘がいまも以前と同じように隣の家にいる。そのことも気に懸かる。
夏の夜。道夫は母に言う。
「今日は隣の瀬川さんの一周忌ですね」
「一周忌なんだから線香あげてこようかな」
「そうね、いってらっしゃい」
道夫は母に心の内を見透かされたような気もしたがとにかく隣の家まで線香をあげにいく。
遠回りでいかねば隣の家にいけない作りになっている。おたがいにまったく反対の方向を向いて立てられているのである。
道夫はまず左からぐるりと周り、それからまた左にまがってやっと瀬川家の入り口のところまで来た。
「あらっ」と言い、三代子がいぶかしげな顔を少ししたのがわかった。
しかし、すぐにその表情は消え素直な驚いたように、
「よく覚えていたくださったのね。ではどうぞおあがりください」と彼女が言う。
案内された六畳の部屋には、一周忌の訪問者の跡はまったくなく、白い菊が三本ほど飾られていた。
合掌が終わりふと見上げると窓から自分の部屋の窓が見える。
言葉を見失った時に彼女が「いま、お茶をいれますわ」
隣の部屋からしかし妙な音が聞こえてくる。
湿った音である。
三代子が言うには弟がレッテルを飛ばして遊んでいるらしい。
マッチのレッテルをちゃぶ台の端に置き、わずかにはみ出したところを手ではたく。するとレッテルは勢いよく飛出し、畳に落ちる。その飛んだ距離を競っているらしい。
手が痛くないのかと道夫は三代子に聞くが、とにかく学校から帰ると夢中で遊んでいるらしい。
道夫は彼の聡明だが、偏執的な目を想像する。
「「伊勢や酒店」のマッチが強いらしいのですよ」
と三代子は言う。
ほんとうは喫茶店のマッチなんかが一等になればおもしろいのだが、「伊勢や酒店」のレッテルが一番強いという。
三代子は線香のお礼を言うが、道夫は「なるべく外で遊ばせたいものですね」と言う。
三代子もそれに賛成し、玄関のシャボテンを見ながら「将来お金もちになったらサボテンもたくさん買うんだって言っているんですが・・」と言う。
道夫は家にもどり、自分の部屋に入る前に二階の廊下から三代子の窓をのぞく。
間歇的に手を動かし続ける弟の姿が見えてはいないが、そこに見えるような気もする。
さきほどはどうしても弟がいる部屋の襖をあけることが道夫はできなかったのだ。
翌日も翌々日もその弟の姿が見えるようで道夫は気に懸かった。
なんとか外に連れ出す方法はないものか。
道夫は「模型飛行機のつくりかた」というパンフレットと、その機材一式を買った。
玄関で三代子にそれを渡した。
次の日から明らかに窓から垣間みれる弟のぼんやりした姿はマッチのレッテルを飛ばしている姿ではなくて、炎で竹のヒゴを焼いてまげたりしている姿が映っている。
「かえって陰気なことをすすめてしまったわけか」
そうも彼は思ったが、心の中で、できてしまうまでの辛抱だからなと付け加える。
「やっとできましたの、弟の飛行機が」
そう言って三代子が訊ねてきたのがすでに10日以上も経っていた日のことである。
「できるまでが長過ぎますものね。でも、おかげでいま弟は大喜びですわ。そこの空き地でまっています。よろしかったら、飛ばすところを、ご一緒に見ていただきたくて」
「いいですとも。さあ、出かけましょう」
「矢村さんのおにいさんよ。お礼をいいなさい」
「ありがとう」
想像したように聡明だが、偏執的な目をその少年はしていた。
少年は飛行機をもちあげて見せた。
「なにをぼんやりしていたの」と三代子が言うと、弟は狭い空き地の石垣をずっとあがったところに石の塀がありさらにその樹木の奥にお城のような家がそびえているのを見ていた。
「これでは少し狭いかな」と道夫は心配したが、
少年がたくさんのゴムの瘤をつくってせっかく飛ばした飛行機はすぐ前の土の上に勢い良く落ちてしまう。集まった子供達から笑い声が起きる。
道夫も三代子も慰めようといろいろ言葉を探すがみつからない。
「かまわないさ。また買って来てあげるよ」
「いいえ、いいんです。わたしが買ってやりますから」
隣の家が借家で生活に困っていると母が言ったことを道夫は思いだす。
空に舞い上がる飛行機が出来上がらないとわたしたち姉弟の立つ瀬がないと言っているような言葉を彼女は弟に言った。
「よくって、すぐにもうひとつ作るのよ」
道夫は彼女の隠された一面を見たような気がしたが彼女の顔はいつもの内気で寂しそうなそれである。
いつ二台目の飛行機ができるのか、窓の中に見える少年の背中の曲がり方が一層激しくなった気がする。
たまたま、四つ角で三代子に道夫はあったので、聞いてみると、飛行機は飛ばなかったという。
それじゃあ今作っているのは三台目なのか、と道夫が言うと、今作っているってよくおわかりですね、そう三代子が言う。
道夫は、二階の窓から特に窓が開いているような時には、中の様子が見えるんですと言い訳を言う。
「あらそうでしたの、・・・そうでしたわね」と三代子。
「弟は崖の上のお城のような家の窓からきれいなお姫様が見えたというのです。弟の魂胆が私わかりますの。飛行機をなんとかあの庭に飛び込ませて、それを口実にして、訊ねていこうというのですわ」
三代子は珍しく饒舌に喋り続ける。じいっと道夫の目を見ながら。
「でもあの家に入って綺麗なお姫様にあったからと言って、それでどうなると言うのでしょうか。私はそんな夢みたいなことは考えていません。それに、お姫様が悪魔かもしれませんしね」
道夫は飛行機が飛んだらおしえてください、そう言って三代子と別れる。
数週間がたち、秋の匂いが空気にまじりはじめる。
いつも同じ姿勢で窓の中で飛行機をつくっている少年を見るのがうっとうしくなってきていた。
ある日、窓が閉じている。少しほっとして、道夫は「そういう季節になったのだ」と思う。
すると、こんどは、ある日窓が開いていた。
輝くようななめらかな色が見えたのである。
湯殿から出たばかりの女の裸体が窓の向こう側にあった。
全身が薄バラ色に染まったその色がなまなましく、肥り肉=じし、の四肢は窓に収まりきれず窓枠をはじきとばそうに見えた。
にくにくしいまでに大きく充実したふたつの乳房を正面に向けて、その女はジッと立っている。
ほてった身体を風にあてているのだろうが、彼の存在に気がついてそのまま向かい合っているようにも見えた。
その女は誰なのだろう。道夫は目を信じられなかった。
いつもの寂しそうな三代子は服を着ると痩せてみえるが、いま目の前の裸体はしたたかとも言える成熟した身体であった。
木曜日の夜。
三代子が訪問してくる。
「飛んだのですね」
「ええ、でもそれは大分前のことなんですわ、引っ越しをしますので、ご挨拶にうかがったのです」
「半月程前に、飛行機が飛びました、しかも弟のおもいどうりに、あの崖の上の家に飛び込みましたの」
「道夫さん」
年上の女が若い男に声をかける調子で三代子が言った。
「やはりお城の中には悪魔がいたのですわ」
「えっ」
「というと、話が大げさになるけど」
三代子は、さもおかしそうに笑い声を立てた。
「弟が飛行機をとりにもらいにいかせてもらうと、息子さんがでてきていらっしゃって、模型が大好きらしくて、弟となかよくなってしまって。こんどは、機関車に夢中になってしまったのですわ」
「電気機関車ってずいぶんとお金がかかりますのよ。あらこんな愚痴をいうつもりはありませんのよ。引っ越しのご挨拶にあがりましたの」
お辞儀をして去って行く三代子の後ろ姿を彼は黙って見送り、下駄の鼻緒を直すと、三代子の衣服の下から腰の線がたくましく浮かび上がってくるのが見えた。
瀬川家が引っ越ししてからまもなく、瀬川三代子が結婚して金持ちの中年男の後妻になったという噂が伝わってきた。
「暗い半分」
吉行氏はよくクラシックの名曲や、クレーの絵画の題名からも上手に小説の題名をつけている。
なるほど、と納得できる題名。
これはでも実に大切なことですね。その題名が良ければ、中身もより楽しく読めて読後感も長く残るような気がします。
池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」もあの題名でなければあそこまで歌も本もヒットしなかったでしょうしね。
吉行淳之介氏の最後のヒット作の「夕暮れまで」も夕暮れ族なんていうタイトル自体がブームをつくってしまいました。
夕暮まで (新潮文庫)/吉行 淳之介
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ところで、今夜の吉行淳之介氏。
この「暗い半分」とは微妙な題名の付け方で、意味深。
いまだに、よくわかりませんが、なんとなく、残りますね。
千人以上の受験生から学科試験によって160人をまず選び、次に120人が口頭試験により、入学が許可される。
そんな試験を主人公が受けに、Q市の宿にとまります。
そこは、先輩から紹介を受けた宿で、小太りの中年婦人がいて、信心深く親切に世話してくれると聞いていたが、まさにそのとうりの婦人だった。
この意外な書き出しもいいですね。
これからどうなるだろうか、そう思わせる彼のテクニックですかね。
しかしながら。
結果はさんざんの不出来で、自信もくずれ、宿の窓から見る橙色の夕焼けがひどく、意地悪な色に思えたりもする。
ところが、意外なことに、十日程して、合格の通知が届く。
だまされているような気もしたが、口頭試験を受けるためにまたQ市にもどる「ぼく」。
宿の主婦はこう言った。
「うちに泊まった方たちでは、あなた一人だけが合格です。あなたが合格することは、ちゃんと私にはわかっていましたよ。大明神様のお告げがあったのです」
その婦人の目は、「ぼく」から見ると、薄い半透明の膜がかぶさっているような、瞳孔がふたつあって焦点が曖昧なような、どことなく異様な光かたをしていた。
しかし、口頭試験がまったく受かる気がしない「ぼく」は二階の布団にもぐりこむしまつ。どう考えても合格する自信がわいてこない。
寝ているところに、主婦が「たいへんです」と言って飛び込んでくる。
「たいへんです。あなたは大明神様の伺いによると落第と及第の境目にいます。よほど口頭試験でがんばらなくちゃいけません。ちょうど私は生徒主事の先生と懇意にしているので一緒にお宅へお訊ねしてみましょう」
暗い夜道を「ひどくおっくうなぼく」は婦人の後からついていく。
主事の先生はこんなことを言う。
「あなたはいったい何点くらいとれていると思いますか」
「せいぜい、62,3点だと思います」
「なかなかよろしい。君の考えているくらいの点数ですね」
「こんかいは120人くらいの人間が合格するのですが、君はそのすれすれのところですから、明日の口頭試験はしっかりやりなさい」
すると、宿の主婦が横から口を出す。
「先生のおっしゃるようにあなたは帰っておやすみなさい。わたしはちょっと先生とお話があります」
これで、「ぼく」は嬉しくなって来て、その主婦にもわずらしさから、何かありがたいものを感じ始めていた。
そして部屋にもどり布団にもぐっているとまた主婦がもどってきてこう言う。
「たいへんです。先生がおっしゃっていましたよ。あなたのような態度では落第だそうです」
つまり、落ち着いた態度では世慣れた図々しさがでると。
もっと朴訥そうにオドオドしたり、顔をあからめる方が印象がいいらしいと主婦は言う。
次の日。
簡単な試験があり、やがて主事の先生達がこういう問を出した。
「君は読書は好きですか。どんな本を読みましたか」
「読書は嫌いではありませんが、ここのところ、ずっと本を読んでいません」
この答弁が予定よりもはるかに大きな効果を目の前の三人の試験管の上にあらわれはじめる。
三人とも満足そうな顔になり、ざわざわと私語が試験管同士ではじまった。
「そうでしょうな。なにしろ試験勉強がいそがしいから暇がないでしょうしな」
「いまどきの少年はなまじ本などよまないもののほうが良いですよ」
「まったく、なまじ読書する中学生はどうも生意気でいかん」とも言う。
その時に、「ぼく」は自分の作戦の効果に浮き上がり、うっかり途方もない言葉を口走ってしまう。
「もっとも、「臣民の道」なんて本なら読みましたが」
この本は時局便乗の修身書だったので、これが試験管の耳に入れば「ぼく」は落第していた筈。
ところが、皆三人とも私語に夢中になっており、この言葉が騒音で消されてしまっていた。
結局、落第確実と思われた学科試験が受かり、今回の口頭試験では合格を確信して、そのまま
、そのとうりになった。
その主婦から手紙がきた。毛筆の立派な手紙である。母=あぐり?は親切なる婦人だと思っただけだが、祖母=「崖の下」の祖母? が手紙を前において首をかしげる。
単なる祝いの手紙とは思えない匂いが全体から立ち上ってくると言うのである。
たとえば、「私の家にお宿できたのも、なき父君のお引き合わせ」という箇所などは変なものだと。
「それじゃ、おばあさんは、この手紙は何を言おうとしている、と思うのですか」と「ぼく」が聞くと、
「つまりね、このかたと生徒主事の先生に、うんとお礼をしなくてはいけないのじゃないかしらね」と祖母は言う。
「つまり大明神様なんていうのは、その主事の先生のことなんじゃないかい」とも祖母は言う。
「まさか官立の学校でそんなことはないでしょう」と、「ぼく」は答える。
そのあとに、皆で手紙について相談し合ったが、大明神様や主事の先生の力が働いていることは確認できなかった。
新学期、Q市で寮生活をするようになった「ぼく」は主婦と先生には手みやげを少し持って行っただけだが、たまたまその主婦と道で会う。すると彼女はこう言う。
「しっかり勉強して、学年試験で落第しないようにしてくださいよ。なにしろ、あなたはようやく入学できたのですからね。よほど勉強しないと落第しますよ」と。
その主婦とはそれから道で会うたびに、こう言われるようになった。
「しっかり勉強しないと落第しますよ」
なんとも不思議な読後感。「暗い半分」でした。
(「面白半分」からのヒントかなあ)
とある新聞記者が、丸山才一についてこんな記事を書いている。
ほんとうかどうかは、わからない。
「合唱も打ち負かす伝説の大声をじかに浴びたのは、3年ほど前である。食事をご一緒した折、質問をした。村上春樹さんの小説が芥川賞の選に漏れたとき、丸谷さんは選考委員でしたね。いま顧みて、「しくじった!」という感想をお持ちですか?
「僕が! 僕が、ですか?」。空気が震え、グラスのワインが波立った。「Aだ」。丸谷さんはある作家の名前を挙げた。「Aが村上の才能を恐れて受賞に反対した。僕と吉行(淳之介)はAに抵抗したが、力が及ばなかった」 丸谷才一
さて、Aさんというのはだれだろうか?
この芥川賞の選考には瀧井孝作、中村光夫、井上靖が辛い評価をつけたらしいし、安岡章太郎、開高健、丹羽文雄、遠藤周作はまったくの無視。
彼の才を発見するのは、そう簡単ではなかったらしい。
時代をシンボライズする作品、読者の心をつかむ作品を見つけるのは、じつにむずかしいということか。・・・・・・・・・・
「一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。俺は今とても個人的な話をしてるんだ」
村上春樹
fin
Beethoven:Moonlight Sonata -Adagio sostenuto- hé