サラリーマン時代は仕事から夜遅く帰宅してレンタルビデオを見ると、すぐに眠くなる。
よっぽど好きな監督ものでないと、とりつかれたようには見れなかった気がする。
しかしながら。
こうして、退職後、ひとり仕事をしながら昔見れなかった映画、あるいは、見た映画でも再度見てみると、風景やら、音楽やらが、やたら耳と目に沁みて、シネマってやっぱり素晴らしいなあと思うことが多くなった。
「モリエール」。吉本がこの精神を受けづいていると思うが、彼の苦悩や彼の恋心、旅のさまざまなるエピソードが素晴らしい。
ヒットはしなかったシネマだと思うが、当時のフランスの貴族の生活様式や考え方がよく理解できた。
ベルグソンではないが、「笑い」は人生において、涙とともに、重要なものだと思う。
生活は、「人を磨く塩」だと思う。
その生活も工夫しないとすぐに退屈になる。
それに喝を入れるもののひとつが「笑い」ということは誰しも納得がいくはず。
彼の理想とした涙がでるくらいの、悲劇に匹敵するような喜劇。
それの一こまをかいま見ることのできる映画。
自分が使用されている貴族の奥方との愛・恋。
一時はふたりで逃げようとしたが、それでも、人生の悲喜劇によって、彼は最後はひとりでまた旅に出て、旅芸人の道を歩み始めるところなんかはとっても良い。
やれやれ。
村上春樹の得意言葉ではないが、人生は、「やれやれ」と言いながら、前に進むしかないのかもしれない。
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日本貴族にも、平安の「夜ばい」恋がある。
確か、自分の夫であっても、「気に入った歌」をきかせてもらえなければ追い出し、違う男の歌に感銘して、床に入れたとか。
おんなとは、まことにおもしろい存在。
男は観念であり、女は存在だ。
このモリエールの活躍した時代、貴族のサロンではそうやって、会話の言葉を皆で楽しんでは生活を豊にしていたことが伺われる。
渡辺昇一氏は、日本の「詩歌」こそは、天皇から名も無き庶民までが平等でいることができた唯一の文化と書いたが、このモリエールの喜劇を見ると、やはり、そこまではいかなくても、貴族から一般平民までが「劇」を見る事が最高の歓びであり、その次元においては平等だったのかもしれない。
というよりもやはりヨーロッパは神の名のもとにおいて平等だったのだが。
言葉を重要し、貴族のひとつの教養として、男の武器として、女を口説いたり、あるいは殿方の心を奥方達が窺いしるひとつの女の武器としても、文章を鑑賞することのできる力があることは、凄いことだったのだ。
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映画は素晴らしい
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