音楽は魂の調律である、という名言がある。
体が、その日その日食する命のレベルで、三ヶ月後あたりにからだのレベルも決定してしまうように、魂も、また、聞く曲によって魂のレベルも左右されるのかもしれない。
ただ、曲の善し悪しは、jazzだからロックよりも上とか、ポップスより演歌が上とか、きめることはできない。
要は、食べ物と同じように、食する人のDNAがまったく違うわけだから、聞いた時の、「感動」「感銘」が大切だと思う。
ある日は、jazzがやたらに聞きたくなり、ある日は、演歌に心奪われ、ある日は、クラシックを聞いていると体が軽くなったという具合だと思う。
昨日か、一昨日か、たまたま、いつものように風呂上がりに、テレビのニュースを見ていて、消す寸前に八代亜紀がニューヨークのjazzクラブに出演するという特番があり、見入ってしまった。
なんでも、八代亜紀は、もともと、父親ゆずりでjazzの大ファンだったそうで、最初はそこからスタートしたそうだ。
そして、現実の過酷の中から、彼女の演歌歌手としての才能を誰かが見出したのだと思う。
最初は、尊敬するヘレン・メリルに自作のCDを送ったことがご縁で、仲良くなったことが紹介され、たった三日間でニューヨークの一流のミュージシャン達と、アメリカの曲に八代亜紀が挑戦するといういきさつになるようなイメージだったらしい。
私が感心したのは、このニューヨークの町のことだ。
とにかく、一枚のピザを何千人もの、jazzメン達が競って、食べようとするくらいに、競争が激しいらしい。
どんなに有名なjazzミュージシャンであっても、チャレンジ精神を忘れてあぐらをかけないのが、ニューヨークの町だと言う。
たしかに、日本の功名なる有名画家でさへ、名前が売れ、画壇の頂上に立つと、もう自分のスタイルを変化させようとはしない。
いつも同じような絵を上野美術館などに出品しては、満足しているのかもしれない。
あまりにも、いつも同じ作風なので、とある美術評論家が、会場に行かずして、彼の作品批評を美術誌に載せて、後で、それが発覚して、かなり問題になったことがある。
小磯良平氏も、スタイルを変化させようさせようと苦心したあとが、画集にも見られるけれども、最後はまた自分の一番得意なところにもどってきたような気もする。
どんどん、狂ったように、変化しつづけいったアーティストと言えば、私のような知識のないものが言うのもおこがましいが、ピカソと、マイルス・ディヴスくらいなものではないだろうか?
もちろん、自分の安定したスタイルを保持しながら、人をいつも感銘させつづけている作家もいるので、一概に、変化しつづけたから良いかどうかは、私にもわからない。
ただ、ニューヨークという町自体が、その「変化」を求める町、「チャレンジ」を求める町だということだと思う。
そこに、日本の演歌界のある程度のスタイルを保持しながら、持ち前の明るいキャラで、
jazzにチャレンジするという八代亜紀がテレビに出てきたので、おやっと、思って、
動けなくなってしまった。
感心したのは、やはり、ニューヨーカーであるところの、一流のバンドマン達と、プロデューサー・・・。
演歌を初めて聞いて、彼は、アカペラで彼女の歌を、クラブの最初と最後に、披露することを決断する。
そして、ただの、jazzの物まねをすることを避けて、「演歌」そのものを、観客にぶつけようという試みを見出すあたり、さすがと思った。
ここでも、一時は話題になった、グローヴァルズムなんとかかんとかという、外国の文化の物まねや情報をただ吸収するという猿真似ではなくて、自国の文化をしっかりと海外に発信するほうがより、真のグローヴィリズムになり得るということを、感じた。
もちろん、日本文化はもともと、中身が「真空感覚」だから、どんなものでも、海外から吸収して、自国の味に換骨奪胎させることが一番得意な民族なので、「演歌」そのものが、日本の純粋の音楽かどうかは疑問のあるところだと思う。
ある人に言わせると、演歌は日本の独自の音楽とは言えないという人もいて、童謡などの方に軍配があがるという人もいる。
とにかく、この番組では、ニューヨーカーであるアメリカのプロデューサーが、日本の演歌歌手の要望を聞き入れ、ヘレン・メリルと競演させようとする戦略だったものを、途中から、
彼女の歌声そのものを、jazzファンの観客に聞かせようとしたのである。
ヘレン・メリルは言う「jazzは自由なのよ」
そして、アメリカニューヨーカーたちは、いわゆる、典型的なアメリカ人、たとえばテキサスなどに住むような、しっかりとした家族を持ち、宗教ときちんとした常識を持って、日々暮らすような普通のアメリカ人とは違う。
普通という価値を疑った人たち。
よくも悪くも、常識を疑い、新しい価値観を受け入れようとする人たちが、多いのではないだろうか。
シネマ「アメリカンビューティー」でも、主人公の男性が、ホモセクシュアルで、自分の息子を誘惑していると勘違いをした、シカゴの男性が、この主人公のケヴィン・スペイシーを撃ち殺すという暗示を最後に示していた。アメリカは今でも、ニューヨークなどをのぞけば、そんな、
古風な、道徳的な、町がまだまだ多いのだと思う。
私のニューヨークのイメージは、「超」である。
道徳を超え、性差別を超え、人種の差を超え、芸術家と職人の差を超え、
日々の競争のなかに生きながらも、自分をしっかり持ち続けようする
人たちが、「超」平凡に、暮らす町。
そんな、特別の町、ニューヨークのjazzクラブで、八代亜紀は、歌いだす。
最初と最後が、アカペラ、雨の慕情からはじまったか・・・違ったかもしれない。
そして、真ん中にヘレン・メリルとの「You'd Be So Nice To Come Home To」
を歌い始める。
ヘレン・メリルが今、82歳ということに私は驚いた。
八代亜紀は、その歳で、現役で世界をかけめぐっているヘレンを尊敬している。
こんな感じだろうか。
そして、アメリカ人に受けるような歌を歌ったのか・・・そこはわからない。
最後は、「舟歌」。アカペラを強調していた演出。
彼らが、絶賛していた曲だ。
まったくのド演歌、そんな演出。
しかし。
さすが、ニューヨーカー。
この歌が、体で、体感し、感銘できるだけの自在さと自由を
魂に持っている。
修羅場を生きているからだろうと思うが、私はびっくりした。
ニューヨーカーのjazzメンたちは、もちろん、一発で、彼女の演歌を即興で弾ける連中ばかりだが、ここは、ぐっと、控えて、音をだし、八代亜紀が、ひとり、絶唱するようなスタイルだった。
jazzクラブの真の反応は、行ってみないとわからないと思うが、テレビの数人の観客は、「意味はまったくわからないが、とにかく、背筋がぞっとするくらいに感銘した」とか、
「もっと彼女の歌をききたい」と言った、声が聞こえていた。
プロデューサーもまた、「マイルスもそうだが、一流のミュージシャンは、観客の魂を感動させる力があり、言葉の意味はわからなくても、声でそうさせることができる」と
言う。
不思議なくらいに、静まった観客席だった。
きょとんとしたような・・・・
やはり、観客はいわゆるjazzのノリを求めてはいないようだった。
いつか、松岡正剛氏の編集の「遊」を読んでいて、あるjazzメン、ドラムの男性が、言った言葉を思い出す。
「日本人の観客の反応はその他の国と違う」
「意識して、ノリにあわせようとする客もいるが、一般の客は、静かに静かに聞いている」
「その反応がだんだん、変わってきたように思える」
そんな言葉だった。
たしかに、普段から、踊ったりすることが日常の若者はともかく、普通の日本人ならば、 なかなか、アメリカ人のようなノリを体でperformanceすることは、恥ずかしく感じるのかもしれない。
日本人が、ハンバーガーやピザや肉を、どんどん、食し始める。
アメリカ人が、寿司・蕎麦・日本茶を飲み始める。
日本人が、協会で式をあげ、ハロウィンで騒ぐ。
西洋人が、南無阿弥陀仏で、葬式をあげるようになり、ZENという喫茶がはやり、 静かなこと=ZEN、禅という言葉がはやる。
日本人の観客が足をならし、口笛をふく。
ニューヨーカー達が、だまって、八代亜紀のアカペラを聞き入る。
もう、地球は、どんどん、狭くなっているような気もちになった。
八代亜紀は、昔、渋谷で働いていたときに、店にふらりと入ってきて、着物をみてもらったことがある。
普段はキサクで明るい、人である。
五木寛之は、彼女の掘りの深い顔を見て、熊本県の昔の昔の巫女のような顔の
DNAがあると書いたような記憶があるけれども、ちがっただろうか・・・・
とにかく、新しいものにチャレンジする八代亜紀と、ニューヨークでは、ド演歌の
「舟歌」こそが、ニューヨーカーに受け入れられたということが、一番、興味深かった。
人はだれしも、自分の小さな頃の魂に、もどりたがっている。
そんな気がした。
思い出し、思い出し、小さなころの夢を思い出すことで、自分が見えてくる。
↧
八代亜紀、ニューヨークでjazzに挑戦!!
↧