私が、学生時代。
映画研究会に入っていて、先輩とよく部室で、映画談義に花を咲かせたことは楽しき思い出である。
私は、当時は漫画家になりたかったせいか、ディズニーの「ファンタジア」や、「忍ぶ川」や、
萩原健一のもうどこでも見ることのできないシネマ=「約束」などを熱っぽく語ったものだが、今から考えるとお恥ずかしい。
化け物みたいな感受性で、何を見ても聴いても、楽しかったのであろうと思うが、それでも、上記の映画は、今見ても色あせていないと思う。
時間の風化に耐えてこそ、新鮮なる名作古典になる。
先輩たちは、そろって、任侠映画を語っていた。
それも、当時は任侠映画のピーク。つまり、1960年から1980年までがそうだった。
当時は71年から75年くらいの学生時代だったから。
その後、東宝はやくざ路線から撤退。ゴジラ路線や、パニックものに走る。
その後大映は倒産。日活はロマンポルノの路線へ・・・
日本のやくざ映画は、それからタランティーノ監督などに強い影響を与えて「キル・ビル」などもつくられているのはおもしろいと思う。
ただ、時代は変わり、もう普通の市民は、やくざ映画を好んでみようとはしない。
子供の影響を考えもする。
私の小さな頃は、銭湯によくきれいな龍の入れ墨のあるおじさんが、いて、見ほれた自分がいた。
怖い印象はなかった。
この『鬼龍院花子の生涯』は、やくざではなく、任侠を描いた作品。
任侠精神がまだ、日本にあった時代。
しかしながら、
この映画を再度、見てみると、今のテレビ番組などけしとんでしまうような、俳優の演技、
時代考証、キモノの美しさ、日本の衣食住の美の結晶のような作品。
よくこんな映画ができたと、監督のことをやはり、偉いと思う。
原作の宮尾登美子さんも好きだ。この原作がもしも、男が書いていたら、こんなに、
凄まじさのなかにも、観音的な、愛の世界を描ききることはできなかったろう。
「キル・ビル」など問題にならないくらいの比類のない傑作。
誰がなんといおうが、私のfavorite 。
鶴田浩二「傷だらけの人生」
資料
任侠路線は義理と人情に絡んだ人間模様を描き、『人生劇場』シリーズに始まって、『博奕打ち』、『網走番外地』、『昭和残侠伝』、『日本侠客伝』、『子守唄』、『緋牡丹博徒』の各シリーズで頂点を迎えた。俳優は鶴田浩二・高倉健・若山富三郎・千葉真一・藤純子・北島三郎・村田英雄らが主役になり、嵐寛寿郎・河津清三郎・水島道太郎・池部良・丹波哲郎・菅原文太・安部徹・待田京介・長門裕之・藤山寛美・大木実・天知茂・宮園純子・内田朝雄・天津敏・渡辺文雄・曽根晴美・遠藤辰雄・山本麟一らが脇を添えた。マキノ雅弘・佐伯清・小沢茂弘・石井輝男・山下耕作・鷹森立一らがメガホンを取った。任侠路線は当時、サラリーマン・職人から本業のヤクザ・学生運動の闘士たちにまで人気があり、「一日の運動が終わると映画館に直行し、映画に喝さいを送った」という学生もいた。『博奕打ち』シリーズ第4作『博奕打ち 総長賭博』は三島由紀夫に絶賛された。
↧
『鬼龍院花子の生涯』 予告編
↧