森氏の母親はピアノを弾くし、牧師であった父親もヴァイオリンを弾く。
そんな環境のなかで森氏は成長し、文学と音楽がひとつになったような自己の体験を、信じるようになったのかもしれない。
彼はボードレールとリルケの「文学+音楽」の仕様に感じ入る。
しかしながら。
日本人でありながら、日本の楽曲をまったく知らずに、環境の中から育ったとはいえ、森氏のような日本人はおもしろいと私はいつも思う。
日本人は果たして魂まで西洋人になれるのか?
確かに、私が、絵本と言えば、やはり、「マッチ売りの少女」や「人魚姫」の圧倒的な印象は、脳裏に焼き付いて離れない。
「ぶんぶくちゃがま」かな、日本の絵本で怖いような不思議な印象を持つのは。
あとは「サルカニ合戦」。
なぜ、日本の民謡を皆はあえて、聞くことはしないのだろうか?
昔お世話になった三味線奏者の三宅氏の「牛追い」の民謡歌は素晴らしかった。
三味線には日本の魂があると思う。
せめて、半分西洋、半分日本。それくらいの比率で音楽を楽しみたい。
想像妄想空想。
しかしながら、外国の子供達も日本のアニメを観て育つ。無国籍ということの、メリットとデメリット。根無し草のメリットとデメリット。
根無し草という生き方もまた、あるのかもしれない。日本人。
悩むところ。
まあ、「流れる」ように交互に聞きつづけよう。
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思索の源泉としての音楽 森有正
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