勤め人だった頃。
高尾のなんという寺だったか、忘れたが、月照山 稱名院 稱讃寺 だったかもしれない。
ネットで観ていてなんとなく覚えている。
駅からタクシーで10分。
山桜が美しい。その寺で、このクリップのネプチューンさんのライブをお客様達と見たのだった。
考えさせられた。
日本人がパリに憧れ、クラシック音楽に惚れ込んで、バッハやモーツァルトを惹き込まれて行くように、アメリカのjazzマンである彼が、日本で尺八の演奏をすること。
世界は不思議にもひとつになろうとしているのかもしれない。
それが、究極の、エントロピーと言えるかも。
よく言われるが、西洋人は「自然」は敵であって、それをねじ伏せることによって「人間」が住み良い環境をつくってきたと。
それに比較すると我が日本人というかアジア人は、「自然」は敵ではなく、逆に友人みたいなもの。
川端康成がスゥェーデンのノーベル賞授与式で言った言葉ではないが、月や星や風などを友として、暮らす知恵があったのだろう。
ネプチューンさんが言うように、尺八には確かに、リズムもない。
リズム。
それは何だろうか?
人間の心臓から発する音。
ヒューマニズムが作り上げる虚構の音の流れ。
それに比すると日本の歌や民謡や尺八は風。
三味線のリズムは、海の満ち引き?
まあ、理屈はこのへんにして。
音楽を楽しむことにしましょう。
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西洋人の魂のなかの尺八
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