三島由紀夫は言う。久留米絣のような「不易」も良いが、花火のような「流行」も美しいと。
そうなんだ。
永遠のものは素晴らしくて、瞬間なものはダメだなんて誰が言ったのか?
「不易」も「流行」も、くるくる、周りに回って、ブレイクの言う「瞬間の中の永劫」になる。
その意味で、モーツァルトも素晴らしく、歌謡曲も良いのだ。
不思議にこの曲を聞いていると、「遠い太鼓」の音を懐かしく思い出す。
祭りにさほど出たわけでもないのに、このジルバやマンボのリズムから、遠くに聞こえる小さな
太鼓やリズムが心の奧に聞こえてきて、なぜか懐かしい。
自分はひとりなのに、皆が楽しく騒いでいて、それがまた、イヤではない。
遠くから、音楽が静かに流れていて、そのリズムを旋律を耳にしながら、ぼんやりしている。
疲れて、繭のなかに潜むようにして、蒲団にもぐりこむ。
昔病気の時に母親が買ってくれた冷たいアイスクリームの味を思い出すのもそんな時だ。
昔、小さな頃からの幼なじみに、「私はクラシックを好きな男性は嫌い」と言われたことがある。
私はその頃は、ハードロックばかり聞いていたので、そりゃあそうだろうと思って、クラシックからますます遠ざかった記憶がある。
25才の頃だった。
それから、はや、33年。
今は、もう自由で自在に、なんでも聞く。
誰でもが言うように良い曲はなんだっていいのだから。
今一番好きなモーツアルトの「幻想」