I Put A Spell On You - Creedence Clearwater Revi
ペルス 詩=無限を見る想像力
暑い。
体調まずまず。
血行を良くするために、まず、トイレ・皿洗い・サプリを飲み、書庫の本の整理整頓・・・これが、非常に、血行を良くする。
こんな日は、好きな本を読んで脳刺激。これは効果あり。ヒントがあれば、ブログにコレクション。腹も少し減って来たので急いでコレクション。
欲に満ち満ちたことを考えることもなくなり、我欲をなくし、宇宙のなかに大昼寝をしたくなる本。
すべてはもう自分は手のなかにぜんぶ、持っているではないか。
西洋的論理は棄てて。
「現代人の悩みは、有限と無限との隔たりが、日に増し遠ざかりゆくところにある」ペルス
頭の良し悪しなんか、関係ない。
目をつむって、地球を頭のなかでぐるぐる、まわること。
この太陽系を思ってみる。
銀河系を、
さらにその他のおおくの銀河系の友達を。
そして、それらを包み込んでいる巨大な宇宙が、実はひとつの細胞みたいに、小さく、
もっと巨大なsomething の一部。
シャボン玉のように次から次へとできてくる、子供の宇宙。
言葉の力をかりずとも、頭脳のなかで、人は無限の旅ができる。しようと思えば。
12時か。
雑用終わり。
これから、父親のおむつを買いに行く。
あとは、ゴミ捨て用のビニール袋。
偽麦酒。
奇蹟のようなろくでもない一日がまたはじまる。
「風」
風がおそらく吹き起こるだろう、そうしてわれらが一夜の「美女たち」と共に引きさらうだろう、銀箔の冴える鉄格子に厚手の白いレースが掛かった涼しい住居を、鉤つきの鎖に下がるすべてのシャンデリアを、そして家族の大鞄、衣装戸棚の夜会服、また「外国人」の身分証をも。
◎資料
サン=ジョン・ペルス
ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1960年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:我々の時代の状況を先見的に反映した、彼の詩の高らかな飛翔と喚情的な形象に対して
サン=ジョン・ペルス(Saint-John Perse, 1887年5月31日 - 1975年9月20日)は、フランスの詩人、外交官。本名マリー=ルネ・オギュスト・アレクシ・レジェ(Marie-René Auguste Alexis Leger)、偽名はアレクシ・レジェ(Alexis Leger)1960年にノーベル文学賞を受賞した。
人物
サン=ジョン・ペルスはグアドループのポワンタピートル(Pointe-à-Pitre)で生まれた。父親は弁護士でグアドループに住んでいた。ペルス一家は、自らが所有する2つのプランテーション(1つはコーヒー、もう1つはサトウキビ)の管理栽培していた。
1897年、グアドループの議会初の現地出身の議長であるエジェジップ・レジティミュス(Hégésippe Légitimus)は、入植者に対する報復的政策を打ち出し経営が成り立たず。ペルスの家族はフランスに引き揚げ、ポーに住むこととなった。ペルスはフランス本国には疎外感を抱き、ハイキング、フェンシング、乗馬、セーリングなどのスポーツにのめり込むようになっていった。
1904年、バカロレアを得て、ボルドー大学で法学を学び始めた。また文化クラブに顔を出すようになり、そこでフランシス・ジャム、ポール・クローデル、オディロン・ルドンらと出会った。処女作であるロビンソン・クルーソーの翻訳を出版し、次にピンダロスの翻訳を手がけた。1907年、父親が亡くなり、家庭の財政状況が厳しくなって大学を退学したが、学位は取得することができた。1910年に詩集Elogesを出版した。
1911年、フランス外務省に入り、1年目はスペイン、ドイツ、イングランドで勤務。第一次世界大戦が始まると報道担当となった。1916年から1921年にかけ、北京のフランス大使館で勤務。1921年、ワシントンで行われた軍縮会議に出席した際に、首相だったアリスティード・ブリアンに見初められ秘書となった。パリではアンドレ・ジッドやポール・ヴァレリーの主催する文芸サークルや、イーゴリ・ストラヴィンスキー、ナディア・ブーランジェ、フランス6人組らがいた音楽サークルに参加した。同じく外交官・詩人ポール・クローデルとは深い交流関係が続いた。
1924年、サン=ジョン・ペルスというペンネームを初めて用いて『Anabase 遠征』を出版した。1932年にブリアンが亡くなり、フランス外務省の要職に就いた。1933年から1940年にかけ政府の不安定な時期に外務省事務総長を務めた。1938年に行われたミュンヘン会談では首相エドゥアール・ダラディエの随員となり、チェコスロバキアのドイツへの領土の譲渡に反対したが失敗に終わった。ナチス・ドイツのフランス侵攻の最中の1940年5月18日にポール・レノー首相によって解任され、フランスを離れアメリカ合衆国に亡命した。
ヴィシー政権は、レジオンドヌール勲章を剥奪し市民権も奪った。パリの留守宅は占領してきたドイツ軍によって荒らされた。サン=ジョン・ぺルスはアメリカ議会図書館に勤務するまで、しばしば財政的困難に陥った。『Exil 流適』は、その時の作品である。後にハーバード大学でも教えるようになった。
名誉回復がされたが戦後も、アメリカ合衆国メイン州など各地を転住しつつ留まった。1957年、プロヴァンスに別荘が提供され、フランスとアメリカを行き来しながら生活した。1958年に裕福なアメリカ人ドロシー・ラッセルと結婚した。スウェーデンの外交官で、第2代国際連合事務総長のダグ・ハマーショルド(訳書に「道しるべ」、みすず書房)と深い交流があり、ノーベル文学賞に推薦したのも彼である。近年、英語版で往復書簡『The Poet and the Diplomat 詩学と外交』が出された。
1960年度ノーベル文学賞を受賞した。1965年、ダンテ生誕700年記念式典で講演した。1975年にプロヴァンスの別荘で亡くなった。
趣味という言葉は嫌いだが
リオのオリンピック スタンゲッツ×ジョアン・ジルベルト×アストラッド・ジルベルト
リオのオリンピックだからというわけではないけれど、夏になると聞きたくなるのが、ボサノバ。
スタン・ゲッツは有名な麻薬中毒者のjazzメン。だが、それが原因でスイスにわたり、最後の最後に、jazz×ボサノバを発明した。??
村上春樹はとある記事で、やっぱりスタン・ゲッツが一番と書いている、そんな記憶がある。
記憶違いかもしれないけれど・・・・・
ジョアン・ジルベルトも奇人変人だったらしいと聞く。
そして、ジョアンは言う。
「ゲッツはまったくボサノバがわかっていない!!!!」
そんな気違いみたいな2人がつくったのがこのアルバム。
よくアルバムができたものだと思う。
この2人に比較すれば、ビートルズやスマップの中の悪さなど、たいしたことはないな。
演奏の拍手をききながら、30分もなにもしないで黙って立っているとか・・・・・・いろいろな奇行があったらしいが、天才にはよくある話しではある。
アストラッド・ジルベルトは元妻。アストラッドとの離婚後、歌手のミウシャと結婚。ベベウ・ジルベルトはミウシャとの間の娘であるらしいと聞く。アストラッドの間に子供が生まれなかったのだろうか?
個人的には、やっぱり、アストラッド・ジルベルトが好きだな。
おまけで、日本人のボサノバ。小野りさはあまりにも軽すぎる。
堤千恵子は下手上手いかどうかはともかく、聞いて良いておもしろい。
◎スタン・ゲッツ
経歴
1927年2月2日、ペンシルベニア州フィラデルフィアのハーレムでユダヤ系ウクライナ人移民の家庭に生まれる。
それまでコントラバスを弾いていたが、13歳の頃、父に買ってもらったサックスで演奏を始めた。16歳頃からバンドに参加し、スタン・ケントン、ジミー・ドーシー、ベニー・グッドマンの各楽団で活躍した。1940年代後半に、ウディ・ハーマン第二期モダン・オーケストラ(セカンド・ハード)における組曲「サマー・シーケンス」の最終章「初秋(アーリー・オータム)」の名演を皮切りに、クール・ジャズを代表するテナー・サックスとして知られるようになる。
しかし、一方で麻薬にも手を染めるようになり、1954年には注射用のモルヒネ欲しさにシアトルの薬局で武装強盗未遂事件を起こして逮捕され、ロサンゼルス郡南カリフォルニア大学医療センターに収容されてしまう。
ヘロイン中毒で実刑判決を受け、半年間の服役生活を終えた後は北欧へと旅行をするが、その際に北欧に魅せられたためか、スウェーデンに移住し、民謡を題材にした作品を制作したりなどし、ジャズからは離れていた。
その後、1961年にアメリカに帰国し、当時注目されていたブラジル音楽のボサノヴァを採り入れたアルバム『ジャズ・サンバ』をチャーリー・バードと共に録音。それによってジャズ界におけるボサノヴァ奏者の第一人者としての評価を得る。1963年にはジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビンと共に『ゲッツ/ジルベルト』を録音し、グラミー賞4部門を独占する大ヒットとなる。
1970年代になると、当時の流行であったフュージョンも取り入れ、1972年にはリターン・トゥ・フォーエヴァーのチック・コリアやスタンリー・クラークを従えたアルバム『キャプテン・マーヴェル』を発表。
1988年には、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのアルバムである『スモール・ワールド』にサックスのソロでゲスト演奏をしている。
その後、麻薬に代わってアルコール依存に悩まされつつも演奏活動を精力的に続け、癌との闘病生活を続けた末に1991年6月6日肝臓癌により亡くなった。
気分転換は重要
本日、掃除デーにしました。汗だくで、部屋の掃除しております。
古い人間ですので、これまた、修行のひとつと考えております。
身体を動かしていることは、アイデアがいろいろ、浮かぶのです。
部屋の本が歩く空間を完全に奪っていましたので、これで、なんとか、
部屋を歩くことができるようになりました。笑。
良き音楽は心の調律師Bill Evans - Since We Met (1974 Album)
少し頭が疲れて、行き詰まったときに、座禅でもくみながら(私はいつもあぐら・・) 聞くと、
すっきりする。
外面を追いかけるのではなくて内面を見つめ直すことで、良い音楽は心を癒し調律してくれる。
パーソネルは、Bill Evans (p), Eddie Gomez (b), Marty Morell (ds)。1974年1月11,12日のライブ録音。
ビルの死因は、麻薬からくると思われるが、肝硬変だろう。享年51才。
Bill Evans - Since We Met (1974 Album)
牧野邦夫 レンブラント
私は学者ではありませんし、ただ絵画が好きなだけで偏愛の作家たちについては理屈があるわけでなく、いわば魂が反応するというだけで、見ているだけで嬉しいのですね。
澁澤龍彦氏の偏愛にも入っていますし、エロスの特集が組まれれば必ず入る作家なのかもしれませんが、彼の理想はレンブラントであり、彼ほど光と闇のメリハリはないにしても、しっかりした構図に悪魔やら天使やらが跋扈する不思議な空間が得意だったのかもしれません。
ネットでも、ほとんど情報ははいりませんが、ときおり展覧会が以前はあったようでうらやましい限り。
彼の画集はもうどこに行ってもありません。
以前ある方が牧野氏の大型判の画集をオークションにかけてましたが、とんでもない値段になっていましたことを思い出します。
いやあ、無理しても買っておけば良かったなぁ。
(今は、新刊本がでました。)
聞く所によると、彼は敬愛するレンブラントが63歳まで生きたので自分はスタートが遅れている分、あと30年は彼のところまでいくのに時間がかかる、だから93まで生きると語っていたそうですね。彼は、61歳で亡くなってしまいました。
よく私の油絵の先生が言っていましたよ、「コンをつめると画家は長生きできん」と。
コンをつめるとは、息をつめるということかな?
たぶんそうでしょうね。細かなディテールを描く時には無意識に息をとめていますからね。笑い。
なんとか必死で集めた牧野氏の作品の何枚かの私の書斎に写真があります。二冊の本の中に入っていて、貴重なるものです。162センチ×130センチですから、かなりの大きな作品ですね。「砂道氏の夜食に招かれた僕の友人達、又はピーターの遺言」と謎めいた題名がついていますが、いいですね。
妖しき世界とでも言うのでしょうかね。レンブラントとはまた違う日本の匂い。くすみの効果。彼の無意識の中からあらわれた夢のような世界です。意味などつける必要はないのです。意味という名前の病、なんて言葉もありましたね。現代人はなんでもかんでも意味をつけたがりすぎますから。
見ればいいんです。目の前に広がる牧野氏の色彩と構図にただ撃たれればそれで良し。笑い。
しかしながらこのトルソーというのか、切り口から顔がのぞいています。
千穂さんでしたか、彼の奥様。(アドバイスありがとうございます)聞いた話では(最近これが多い・・)白髪の上品なご夫人になられて、展覧会などで絵の説明をしてくれるそうですが、画家の奥様という立場大変ですよね。
レンブラントも確か、最初の奥様を早く亡くし、二番目の愛人にトラブルにまきこまれたりしていますし、かなり金遣いがあらくて晩年は窮乏の生活だったらしく、まさに無頼派なんですかネ。芸術には毒がありますから。
小林氏が書いているように生活などどうでもよくなっちゃうんですね。あるタイプの芸術家には。
もちろん、生活と芸術のバランスがきちんととれている作家も多いですが、このあたりは不思議なもので、法則はありませんね。
これはネットからお借りしたものです。
昔話の深層 河合隼雄
昔話の深層—ユング心理学とグリム童話 (講談社プラスアルファ文庫) (文庫)
河合 隼雄 (著)
人間の魂、自分の心の奥には何があるのか。“こころの専門家”の目であのグリム童話を読むと…。生と死が、親と子が、父と母が、男と女が、そしてもう一人 の自分が、まったく新しい顔を心の内にのぞかせる。まだまだ未知に満ちた自分の心を知り、いかに自己実現するかをユング心理学でかみくだいた、人生の処方箋。
河合氏残念でしたね。だいぶまえでしたが・・・・・・・・亡くなりました。小泉内閣の文化の本質推進のための触媒をなされておりました。いつも、冗談ばかり言うような楽しい方でしたが。
「オレは嘘しか言わない」彼とお酒を飲むと、皆が河合さんから言われる言葉らしいです。
でも、これはいつもカウンセラーやら心理学の勉学にいそしむ彼らしい言葉ですね。
「オレは嘘つか言わない」、この言葉を真に受ければ、嘘しか言わないのですから、この言葉も嘘になりますね。笑い。
じつに「大人」=たいじん、としての器のある方ですね。カウンセリングを受けた人はみな、ここにいないようで気がつくと自分が包まれているような感じ言うらしいです。
この本も三冊目です。赤線ひきすぎて、真っ赤。
だからまた買う。そして、たまたま本屋で見付けると、またレジへ・・・
そんな本ですね。
たったなにか、一行の言葉が、心のなかに残れば、その本は買った価値がある、そう思う私です。
脳は生涯にわたり発達し続ける 筑波大学名誉教授・村上和雄
脳は生涯にわたり発達し続ける 筑波大学名誉教授・村上和雄
2014.9.26 05:02 (1/4ページ)[正論]
黄金期を迎えつつある脳研究によって、私たちが従来教えられてきた脳に関する常識は、次々と破られてきた。
例えば、傷ついた脳が自然に治ることはないという通説は誤りで、脳神経細胞は環境に応じて再配線できる。
さらに運動、精神的活動、社会的なつながりが、神経細胞の発展を促すといった事実が判明した。従って、脳の働きは決して固定的なものではなく、作り替えが可能である。以前なら思いもよらなかったような驚異の治癒力が脳に備わっていることが分かった。
《脳の働きを制御するのは心》
脳から全身の細胞に指令が出ているから、脳は身体を動かすリーダーのように見えていた。しかし、決してそうではなかった。
脳を動かしているのは、自分の心であり、意識だ。脳はテレビやラジオの受信機のようなものであり、心や意識が真の創造者である。脳は私たちが「できる」と思っていることしかできない。逆にいえば、「できない」と考えていることはできないのだ。このダイナミックでしなやかな脳の働きは、遺伝子の働きに関する最近の研究とよく符合する。
ヒトの全遺伝情報(ゲノム)の解読以前は、DNAは生命の設計図であり身体の働きを支配していると考えられていたが、事実は違っていた。
DNAは単なる設計図にすぎず、それも環境によって書き換え可能な設計図である。従って、生命はDNAに支配されていなかった。それでは、生命を支配しているのは脳か? そうではない。
脳は、前に述べたように情報の受信装置のようなものであり、受信装置そのものが歌ったり、考えたり、ドラマを制作したりするものではない。
真の制作者は、DNAや脳ではなく「人間の意識」であると考えざるを得ない。そして、生命の真の創造者は、人間の意識をも超えた大自然の偉大な働き「サムシング・グレート」だといえる。
《脳には無限の可能性がある》
心身医療の分野で世界のリーダーであるディーパック・チョプラ博士は、身体と心を統合的に癒やす独自の理論を展開して成果を上げている。彼は米誌タイムによる「20世紀の英雄と象徴100人」にも選出されている。ごく最近、チョプラ博士と対談する機会があった。彼の考え方は、私どもが「心と遺伝子研究会」で10年にわたり研究し、発見した実験結果や考えに驚くほど近いことが分かり、今後、情報交換しようということになった。
博士の近著「スーパーブレイン」(ディーパック・チョプラ、ルドルフ・E・タンジ共著、保育社)の翻訳にも携わり、多くのことを学んだ。博士は次のように述べている。
慢性病は意識がつくり出している。怒りや恨みや憎しみなどの感情を持つと、それが悪い遺伝子を活発にしてしまい、ガンや心臓病の原因となる炎症を起こす。一方、喜びや愛、他人の成功を喜ぶという感情を持つと、良い遺伝子が活発になり、身体は病気にかかりにくくなって、肉体年齢も若返る。脳には心と身体と外界のバランスをとる自己制御装置があり、これを上手に使うことによって、素晴らしい人生を築くことができる-と。
脳に使われるのではなく、脳を上手にコントロールして使うことが肝心だ。そのためには、固定観念を捨て去り、柔軟性を持ってリラックスすること、素直であること、心配しないことなどが大切である。そうすることにより、あらゆる局面を切り開くことが可能になる。身近なところでは、なかなかできないダイエット、振り払えない心の傷、仕方がないとあきらめていた体力の減退、脳の老化にかかる認知症や鬱病まで克服できる可能性がある。
《遺伝子のオンとオフで進化》
脳は現在も環境や心と相互に作用しながら進化を続けている。今や、ヒトの全遺伝情報(ゲノム)とチンパンジーのゲノムを比較することができるようになった。
そこで判明したのは、ヒトにはあるもののチンパンジーにはないという遺伝子は一つもないということだ。では、ヒトとチンパンジーのゲノムはどこが違うのか。それは、タンパク質をコードする配列ではなく、遺伝子のオンとオフに関与する配列にあった。
脳は固定的で、機械的で、確実に衰えていくものだと思われていた。しかし、実際の脳の姿は全く異なることが分かっている。この瞬間も私たちの脳は変化を続けており、新しい現実を生み出している。
人は心の持ちようを変えることによって、遺伝子のオンとオフを切り替えれば、一生涯進化できる可能性がある。
一般に、頭がいい人と悪い人がいるといわれているが、脳そのものにはいい、悪いの区別はない。使い方によって、良くなったり悪くなったりする。脳を上手に使えば、思いは必ず実現する。(むらかみ かずお)
台風のあと・・・・・・
今日は忙しい。昨日の台風あけ。地下に水漏れがないかチェックしたり、本がぬれないようにしたり、昨日はひやひや。幸いここは、高台なので、床下浸水とかそのようなことはこれまで一度もなかったが、まず、北海道に台風はあまりこないので、風と大雨は嫌いだ。
晴天!!!!!!
感謝!!!!!
介護父のリハビリデー。
朝から、トイレ掃除に、部屋そうじに、風呂掃除に、洗濯、茶碗洗いなどなど、大忙し。
しかも。通夜も予定あり。
六時頃からバスにて出発。
いつもと同じように、平常心にて、空の青さのように淡々と一日をおくります。
通夜
通夜にでかけます。父親の仲間。介護父は寝たきりなので、私が代理というわけです。
ドラゴンタトゥーの女
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映画が好きなので、仕事の合間に見る事がリラックスタイム。
いつも書いているが、物語はともかく、映像の美しさや、男優女優の肉感・クオリア感・魂なんかを感じながら見る。
とくに、風景の映像が普段いったこともない土地の場合は、ひきつけられる。
そんなわけで、ブログ記録をつけないと忘れてしまうので、書こう書こうとして、ついそのままになってしまう映画が多いけれど、まあ、そんな映画はそれなりの映画だと思う。
この「ドラゴンタトゥーの女」は、記録をつけようというだけ、印象が強いのだと思う。
あくまでも自分用備忘録、偏った映画論なので興味のない方はスルーしてください。^^
まず、タトゥー。
まず浮かぶのは、小さな頃に共同浴場に行くと、昔のことだからよくいました。背中に観音様や龍の彫り物をしているおっちゃん。
熱い湯で気持ちよく赤くゆであがった肌に藍の色のきれいなこと。
この体験は貴重かもしれないな。
今では形の上だけかもしれないけれど、「刺青おことわり」などの紙がサウナなどにも貼られている。
谷崎潤一郎の「刺青」は19才の時に読んで、ほんとうに感動した。
それと、「異端者の悲しみ」。
まだ、刺青をされた少女のほんとうの心は19才の私にはまったく理解はできなかったが、文章の理屈抜きの美しさ。
あの頃は、三島由紀夫と谷崎を交互に読んでいた。
三島由紀夫の「春の雪」。
川端康成が日本語の最高峰と絶賛した豊饒の海の第一巻。
まあ、谷崎と川端と三島由紀夫と言えば、皆ノーベル賞をもらって良い日本の耽美派の巨匠たち。
そのノーベル賞と言えば、スウェーデン。
回り道となったが、私の知っているスウェーデン映画と言えば、ベルイマンの「処女の泉」と「ベルソナ」「冬の光」「17才」ヴィルゴット・シェーマンの「私は好奇心の強い女」、それぐらいである。
独特の世界観。
スウェーデンを舞台とした五木寛之の「青年は荒野をめざす」も何回も読んだ傑作。
非常にわかりやすい文章だが、刺激を受ける彼の創作態度はいつも刺激を受ける。
そんなわけで、見る前に、ハリウッド映画やヨーロッパ映画などはよく見ている人でも、このスウェーデン映画ははじめてという人が多い筈。
北海道に極めてよく似た風景。
それが実に美しい。
ミステリー的にはおおいにサスペンス性のこの物語にはよく似合う風景なのだと思う。
それにしても、かつて福祉の国として名を馳せた国なのにこれだけひどいレイプが横行しているとは初めて、知った私だった。
この原作者はこの小説の初版が出る前に死んだと聞いたがどうなのだろうか?
何を書きたかったのか?
人間の心の中に潜む悪か?
あるいはどんな状況におかれようとも自身の美と信念を貫き、悪を許さないという断固たる正義か?
リスベットという観点から見ると、私は個人的にはスウェーデン版のリスベットの方が、なにやら可愛いと思うのだが・・・
「私はあなたとの仕事が好き」というリスベットの心の中に芽生えた男性への興味と愛の片鱗。
男性への嫌悪は確かにあったのだろう。
異性への憧れや興味がとことん無くなった人間とはいったいなんなんだろうか?
リスベットに対して限りなく凄惨なレイプを繰り返すアホな好色オッサンを、彼女が胸がスカットするくらいに痛めつけて、それで果たして喜んでいて良いものなのだろうか?
胸に少しずつ芽生えていたミカエル・ブルムクヴィストへの愛情が、手をつないで仲良く夜の闇に消えて行くシーンを見て、プレゼントをゴミ箱に棄てるリスベットの心の傷。
アラン・ドロンの名作「あの胸にもう一度」よろしく、バイクに乗って前に進むリスベットはカッコ良く、そして、いじらしい。
やはり時代は「女」の時代なのだろう。
しかしながら、「男」の心の中の「悪魔」を退治するニュー・ヒロインのリスベットもまた、自分が心ときめかせる「男」を探す旅にバイクで出かけたように私の心には映ることが私にとっての一番の興味である。
二作三作目でも、普通であれば自分をアガペーの愛で包んでくれる筈の父親の「悪魔」があらわれる。
父親を殺そうと、レイプ犯を気持ちよくやっつけようと、リスベットの心は晴れない。
ネットから「ドラゴンタトゥーの女」豆知識お借りしてきました。ありがとうございます。
この映画豆知識。
●ミレニアムシリーズ3部作は全世界で6500万部を売り上げる超ベストセラー。
●原作者のスティーグ・ラーソンは1作目(2004年)の出版直前に心筋梗塞で急死(享年50歳)。
●一人当たりのGDPは49,000ドル。失業率8.4%(2010年)。
●通貨スウェーデンクローネ(SEK)は1クローネ=約12円(2012年2月現在)
劇中に出てくる金額は以下のようになる。
・ヴァンネルストレムの不正利益→6000万クローネ=約7億2000万円
・ミカエルに科せられた裁判による賠償金→15万クローネ=約180万円
●スウェーデンの国土は日本よりやや広いが人口は12分の1の約942万人。
●首都はノーベル賞で有名なストックホルム(人口約83万人)
●スウェーデン発の有名企業はボルボ、サーブ、エリクソン、イケヤなど
●高福祉国家であるがドメスティクマターとして移民問題、女性への暴力、将来の社会保障制度、企業・役所の汚職が社会問題としてある。
●男性から女性への暴力が他国と比べると多い。
・スウェーデンでは女性の18%が男に脅迫された経験を持つ。
・スウェーデンでは女性の46%が男性に暴力をふるわれた経験を持つ。
・スウェーデンでは女性の13%が性的パートナー以外から深刻な性的暴行を受けた経験を持つ。
・スウェーデンでは性的暴行を受けた女性のうち92%が警察に被害届けを出していない。
年齢と作品
生と死の接点/河合 隼雄
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昔は50才で、腰がまがってもう人生は終わり。
坂口安吾も人生50年と確か言っていた。豊臣秀吉?
三島由紀夫も美しく散りたいと47歳で自決し、確か安吾が50歳、夏目漱石もそれくらいで死んだ筈。
ひるがえれば太宰や芥川などは30代で死している。
思うに、作家としての力量と、人生という風や水や火のなかにただ浸されさらされる時間の長さとはあまり関係がないのかもしれないと思っていた。
三島由紀夫氏も、作家の人生などというものは実世界の苦労をしている人と比較すればたいしたものではないと、経験については、謙虚な言い方をする。
ところが、ユング。
さすが、ヨーロッパ。
体力があるというのか、思想界の巨人というべきか。
彼の主立った著作のほとんどが、70歳をすぎてからの著作だと言う。(河合隼雄)
たしかに、身体のほうは50もすぎれば次第におとろえもくるのかもしれなかが、経験や思想の方は、ますます深く、井戸のなかにおりることが可能になってくるのだろう。
死をみじかに感じられるということも井戸に深く深く降りることを可能にするひとつのきっかけ。(もちろん50才頃をすぎてから急激に作品をつくりだす作家も多くいる、たしか、滝沢馬琴やら岡本かの子なんかもそうじゃなかったろうか・・・・そこにいたるまでの無意識の沈殿が必須ではあったと思うが)
「われわれは、人生における芸術家たり得る人は、あまりにも少数の人であり、生きることの芸術はあらゆる芸術のなかでも、もっとも傑出したものであり、稀有なものでもあることを知っていなくてはならない」 ユング
雑に自分の人生をつくることだけはしたくない。
丁寧に手間ひまかけて色を塗って行く事が大事だとおもう。
オスカーワイルドは意地悪にも、^^作品が素晴らしい人は実人生がつまらなく、作品がつまらない人は実人生は素晴らしいと書いたが、ユングにはあてはまらないようだ。
人間の寿命がのびている時代にはそれなりの哲学もまた必須なのだと思う。
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川俣正アートプロジェクト雑感
基本、私は、いわば普通の絵画、特に古典がを心から愛する人間ですし、jazzやクラシックを聞きながら、尊敬する石森氏やら手塚氏、岡田史子氏やらその他の漫画家の作品を読んだり、あとは映画を今、なんとか体系的に見ています。
時間があれば、絵画を描きながらcomiciにも挑戦し、フランス語やら英語も完璧にマスターし、日本の古典もマスターしたいと・・・・・・・よくばりな私ですが、日々、数分でも時間を見つけてはのんびりしています。
ピアノもまったく弾けなかったのですが、独学で、少しは弾けるようになりましたしね。子供のお遊び程度ですが。
ところで。
その私は岩見沢市の東高校の美術部。
そこで川俣正と一緒に高校生活をおくっていました。
彼の下宿に遊びに行ったり、レコードを見せ合ったりと、深い仲ではありませんでしたが、印象は強く残っていますね。
そんな彼は、今フランスに住んでいます。
日本よりも世界での評価の高いのではないでしょうか?
世界的に有名なるartプロジェクトの作家です。
作品のいちぶ・・・・・・もっともっと巨大なのがたくさんあります。
日本人は観念的な抽象的な、遊びの強い、巨大なオブジェ作りとかは苦手なのかなぁ。
その彼が、一年に一度岩見沢市に彼を応援するプロジェクトの誘われ、遊びにきます。
私は昨年は持病の不整脈でダウンしたので、いけませんでしたが、今年は、彼のレクチャー、小さなプロジェクトの受付、説明、などお手伝いをしながら、最後は彼の誕生日がたまたま、24日でしたので、誕生日をケーキで祝って、楽しき時間をすごしました。
彼も、一円にもならないこの三笠プロジェクトを良い意味で楽しんでいるようで、一応昨年で終了した三笠プロジェクトから次の、岩見沢市におけるプロジェクトをどうするのか、そんなことをみんなでブレストするレクチャーでもありました。
三笠プロジェクトの総合的なリーダー
を私の友達のT氏がやっていますので、いろいろ、川俣氏の情報がはいってきますが、彼もまた63才になって大変な忙しい日々をおくりつつ、家庭も大事にしていますし、こんどの、岩見沢市のプロジェクトが、最終、2040年くらいになると彼のアイデアが発言された時には、観客から笑いとどよめきが聞こえました。
2040年。もう川俣氏も含めて、みな、88才くらいですからね。
うちの介護父親がいま、89才ですから、・・・・・・・・・・・
まあ、半分の友達は、私も含めて、天国か地獄へ招待されているはず。
それでも、岩見沢市の町に、無意味であっても、目的もない、巨大な「mountain」を作成する・・・・・・・・・・
ひとりが一枚ずつでも、その「山」「古墳」「ピラミッド」みたいなオブジェに、参加して、樹をうちつけていく・・・・・・・・そんなイメージだけはできました。
彼の巨大なこれまでの世界にあるプロジェクトは、病気の人のたくさん住むところからひとびとを集めて手伝ってもらったり、美術関連の学生の協力、そんなたくさんの彼のオブジェづくりに賛同している人たちがつくったものでありますから、この岩見沢市のプロジェクトもそんなようになるのでしょうか。
若いひとびとが川俣の志をひきついで、一枚一枚、木を積んで行く・・・・
私は介護父親を持ち、日々の生計もまた楽ではないので、これまであまり彼のお手伝いはしてこれませんでしたが、時間の許せる範囲で、この「mountain」プロジェクトに参加できればいいなとはおもっております。
リハビリにもなるでしょうし。
63才の彼。
私たちとのうちあげで、同窓会からのケーキをもらって、素直に嬉しそうでした。
(じっさいに、彼が一口食べたあとの残りのそれをすべてたいらげたのはもちろん女性陣たちでしたが・・・) 笑
彼のプロジェクトは普通は市からあるいは町からあるいは国からの援助が普通でるらしいのですが、このわたしたちのプロジェクト(彼の生まれた三笠の名をつけた)は、寄付でなりたっています。今、数百人の彼のファンが全国から寄付してくれた一口一万円で、なりたてています。
川俣正のファンの方。
興味があり金銭に余裕のある方。
会員になりますと、彼のサイン入りの記念本(三笠プロジェクト)などももらえますので、興味がある方は、メッセージなどで、ご連絡くださいませ。
ゼロ・グラビリティ
傑作と好きな映画は違う。
たとえば、「シェーン」は傑作だろうが、私はあまり西部劇は見ない。
逆に、「愛は限りなく」というB級イタリアカンツォーネシネマは私の好きな映画のナンバー1。
昔夢中で見た、「宇宙家族ロビンソン」もまた、そういう映画のひとつ。
そんなように、人それぞれ、好きな映画があるのだと思う。
好きな映画とは、何回も何回も見たくなり、また、見てしまう映画である。
ところで、傑作でありながら、大好きな映画というのもあり、私の場合は、
「2001年宇宙の旅」や、「ブレード・ランナー」や、「惑星ソラリス」や、「コンタクト」というシネマがそれらにあたる。
私が男性だからか、すべて、SF映画。
サラリーマン時代は、日々の人間関係のしがらみやら、煩わしい細かなストレスなどから逃れるためにだろうか、科学についての本を読み、広大で巨大なる宇宙について想像をすることが一番の楽しみだった。
傑作でもある、たとえば、「ドクトル・ジバコ」などの映画を見たりして、ロシアの当時の、時代考証の衣装やら、食べ物やら、建築などにイマジネーションを羽ばたかせ、素晴らしい映像と音楽に身をゆだねるというのも、楽しきひとつの映画のジャンルでもあるけれども、SF映画というのは、「人類の夢」を、ある意味叶えるというよくも悪くもimaginationの極地ともいうべきものであり、映像とアイデアが必須なので、なかなか、傑作はできない。
これまで、たくさんのSF映画を見てきたけれども、ほとんどが、ガッカリしてしまうことも多い。
だったら、大好きなフレドリック・ブラウンの小説を珈琲でも飲みながら読んでいる方がずっとまし。
ところが、この「ゼロ・グラブィティ」。
脳は「新しいもの」が大好きだということを裏書きするように、脳にビンビン、刺激を与えてくれる。それもまた、ただの最近のはやりの効果効果だけの、画面づくりではなくて実に美しい。
私はいつも書いているように、閉所恐怖と、高所恐怖の毛があるうえに、目眩恐怖でもあるので、この映画の中でのサンドラ・ブロックのようにぐるぐると、あんなに高いところで、たったひとりで回転したり、息苦しくなるような狭いロケットの部屋の中で、暮らすなんていうことのできない人間だからか、・・・・見ていて、かなり息苦しさを感じてしまいまた、目眩をおこしそうになる。
この監督アルフォンソ・キュアロン。これ一作だけでも、映画史に残るかもしれない。
サンドラ・ブロックも、wikにあるように、「2001年9月11日に起きた米同時多発テロの支援として、赤十字に100万ドルを寄付をした[13]。
2004年に発生したスマトラ島沖地震・津波被害に際し、医療用品にあてるため再び赤十字へ100万ドル(約1億500万円)を寄付した[14]。
2010年に発生したハイチ地震の後、ハイチの首都ポルトープランスでの救済活動を行う国境なき医師団に100万ドル(約9200万円)を寄付した。国境なき医師団を選んだ理由について、「この大惨事に巻き込まれたハイチの人々のニーズにすぐに対応できる方法で寄付金を役立ててもらいたいと考えました」と声明を出した[15]。
2011年3月11日に東日本大震災が発生した際、ハリウッドの俳優の中で真っ先に義援金として100万ドル(約8000万円)を寄付した。のちに当時を振り返り、「幸運にもわたしはそういう支援できる環境にあるから、やるべきことを行っただけ」と行動に至った経緯を明かした。義理の兄弟に日本人とアメリカ人のハーフがいるというサンドラは、自身が行った寄付について「これまで意味をなさなかったお金が、必要とされる場所で理にかなった使われ方をしただけなの。またそれを寄付することで、新たな息吹が目覚めるとも思ったわ」とコメントした。また、「日本人であろうとなかろうと、わたしたちはみんなつながっていると思っている。もし、同じような被害をアメリカが受けたら、日本はきっと同じことをしてくれるとも信じているわ!」と話した[16]。」
イメージからすると、私はこれまで見たなかでは、サンドラ・ブロックのインパクトは、例えば「スピード」とか、
「プラクチカル・マジック」のイメージが強く、さらにいえば、「幸福の隠れ家」の彼女が一番好きなので、wikそのままの、人類愛が深い女性、優しく、情感あふるるという印象だったけれども、
今回の役柄のなかで、その気質をぐっとぐっと、渋く押さえて、ひとりのおんな科学博士に成りきっている。
カール・セーガン博士の遺作でもある、「コンタクト」のなかで、ジョディ・フォスターが演じた理科系女子に通じていて、そこが私の好きなツボになっている。
どんな絶体絶命の逆境におかれていても、なんとか生き抜こうとするまさに「女性の本質=生命力」の化身となりきるところと、赤ちゃんの声や犬の声にふと死んだ娘に会おうと思って酸素を減らしていくシーンなどなど、サンドラ・ブロックの相反するアンヴイヴァレンスな気質を上手に、引き出しているし(冷静と愛のパッション)、それだからこそ、私に不思議な感銘の余韻を与えることができたのだし、彼女サンドラは、結局はすごいあたり役を演じきってしまうことになったのではないだろうか。
もう、ほぼあきらめて、酸素濃度をゼロに近づけて、自殺しようとした彼女。
その、ある意味無酸素状態の「幻覚状態」のなか、死んだ筈の友人が現われて、
ヒントをくれるシーンがこの映画の圧巻だろう。
中国の大気圏突入のインチキっぽい宇宙船は、しらけるばかりだが、
とにかく、彼女は、また酸素濃度を上げて、しかも、娘をハグしてあげてと・・・
その死んだ友人に語りかけるところが泣ける。
それまでまったく祈りさへしたことがなかったライアンなのに。
・・・・・・・・・・・・・・・・
蛙とともに、水上にあがることができて、息をたっぷり吸って、どこからか発する笑い声。
そのなかで、彼女は、呟く。
「ありがとう」と。
娘に言ったのか、死んだ友人に言ったのか。それとも、神にか。
「ありがとう」
ベストセラーも読まない。
人が読まなくなり、話題にしなくなった頃に、読み始めるへそまがりの私。
このシネマも、その映画の中のひとつであり、それが正確なる感銘を味わえる。
ひとり部屋で休息時間に見ていたが、思わず号泣してしまう。
気がつくと、夢中で、拍手をしている自分がいる。・・・・
日常生活にぼんやりしている人を、美しくも過酷な宇宙空間へ、思いっきり、ひきずりだすような圧倒的な力を有するシネマだ。
傑作でありながら、大好きな映画。これでまたひとつ増えた。
今夜もまた、カール・セーガン博士の「コスモス」をじっくり読みたい。
宇宙は、21世紀に遺された人類最後のイマジネーションの場所でもある。
かつての、冒険家達が、狂気のように地球を探検しまわったように、人類は、これから
数千年もかけて、宇宙のなかに飛び出していくに違いない。
この映画は、その想像を絶するような人類の未来の膨大なる冒険活劇のフィルムのなかの一枚なんだろう。
◎資料
アルフォンソ・キュアロン
Alfonso Cuarón
2013年7月
本名Alfonso Cuarón Orozco
生年月日1961年11月28日(52歳)
出生地メキシコの旗 メキシコ メキシコシティ
職業映画監督、脚本家、映画プロデューサー、映画編集者
配偶者Maria Fernandez(1980 - 1993)
Annalisa Laralde(2001 - 2008)
[表示] 受賞
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アルフォンソ・キュアロン(Alfonso Cuarón, 1961年11月28日 - )はメキシコ・メキシコシティ出身の映画監督。アルフォンソ・クアロンとも表記される。
目次 [非表示]
1 略歴
2 フィルモグラフィ
3 受賞
4 脚注
5 外部リンク
略歴[編集]
1961年、国際原子力機関の原子力物理学者アルフレッド・キュアロンの息子としてメキシコ・シティに生まれる。次兄カルロスは同じく映画監督となり、後に共同でヴェネツィア国際映画祭脚本賞を受賞。三男アルフレッド(子)は生物学者となった。
メキシコ国立自治大学で哲学と映画を学び、以降全作品でタッグを組む盟友エマニュエル・ルベツキと出会い、短編『Vengeance Is Mine』を制作。メキシコのテレビ局に入社し、ディレクターとして南米圏の映画に関わる。
1991年に初の長編映画『最も危険な愛し方』がトロント国際映画祭に出品され、これがシドニー・ポラック監督の目に留まり、TVシリーズ『Fallen Angels』の監督として雇われ1エピソードを担当。米国進出の足がかりとなる。
1995年に初の米国での長編映画となる『リトル・プリンセス』を監督し、ロサンゼルス映画批評家協会賞ニュー・ジェネレーション賞受賞、ルベツキがアカデミー撮影賞ノミネートなど好評を得る。1998年にはチャールズ・ディケンズの小説を原作に、イーサン・ホーク、グウィネス・パルトロウ、ロバート・デ・ニーロを起用した『大いなる遺産』を制作した。
次の『天国の口、終りの楽園。』はメキシコに戻りメキシコ人キャストで制作した映画。 2人の若者と人妻の珍道中を描いたコメディロードムービーは、奔放な性描写や開放的なユーモアが評価され、弟カルロスと共にヴェネツィア国際映画祭脚本賞受賞、アカデミー脚本賞ノミネートなど、国際的な評価を獲得した。
2004年にはハリー・ポッターシリーズのクリス・コロンバス監督の降板により、スティーブン・スピルバーグなど多くの候補の中から3作目の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』の監督に抜擢される。前2作より原作小説の本質を捉えていたと評価され、アカデミー視覚効果賞にノミネート。次作『トゥモロー・ワールド』も6分に及ぶ長回しによる戦闘シーンが話題となり、アカデミー賞3部門にノミネートされた。
映画プロデューサーとしても2つの製作会社を経営し、『パンズ・ラビリンス』などをプロデュースしている。2007年には同じく世界的なメキシコ人監督のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、ギレルモ・デル・トロの3人が共同取締役となり「チャチャチャ・フィルム」を立ち上げ、翌年弟カルロスを監督に起用して『ルドandクルシ』を制作した。3人は「3アミーゴス・オブ・シネマ」と呼ばれている。
7年ぶりの監督作品『ゼロ・グラビティ』はアカデミー賞10部門にノミネートされ、監督賞をはじめ、撮影賞、視覚効果賞など最多7部門を受賞。米国主要映画賞の監督賞を総なめにした。アカデミー編集賞を共同受賞したマーク・サンガーと共に、監督賞、編集賞を受賞する初のラテンアメリカ人となった。
「聖女懐妊」女性ロボットの赤子「タイムトンネル」「宇宙少年ソラン」「ハンナ」「薔薇の葬列」
私が、SFに興味を持ち始めたのは、当時昭和30代から40年代・・小学校中学校の頃。
こんなテレビ番組があり、ほんとうに楽しみにしていた。
現代から過去へ、過去から未来へ、・・・ほんとうにそんなことが可能なんだろうかと、
当然のことながら、パソコンも、ありません。
本屋も岩見沢市には2件しかなかったので、こんな番組が、最大の好奇心を
満足させるための最高の刺激だった。
「タイムトンネル」
そして、外に出ては、窓から、北海道の夜空にひしめく、まるでミルクをバァーとこぼしたような、銀河の星ほしに、目眩をおこしそうになっていました。(今は、それほど綺麗な夜空はもうなくなってしまいましたが)
あと、
鉄腕アトム。
最終回で、アトムが、地球を救うために、太陽だったか隕石だったか、に突入するシーン。
部屋で号泣した記憶があります。
当時は、SFマガジンが本屋に未ステリマガジンなんかと一緒に、ありましたから、わくわくしながら、本屋に通ったものです。少ない小遣いで、COMと、ガロと、SFマガジンをなんとか
買い続けました。
筒井康隆なんかが、すでに、人気があり、私も「人口●●億」とか、クローン人間を扱った作品や、その他海外作家では、ブラッドベリやアシモフ、フレドリック・ブラウンなんかの短編を愛読しました。
年齢の取り方が、私たちとはまったく違う星人の物語。
星の軌道が地球の数百倍もある星のひとびとの創った法律。
その他、北海道の田舎で育ったひとりの少年にとって、それらは、宇宙に対する好奇心やあこがれを強くはぐくんだものです。
「宇宙少年ソラン」という隠れた名作もありましたね。
チャッピーというリス?が、ものすごい可愛かったことを覚えています。
今でも、歌われ続けています。
そして、「宇宙家族ロビンソン」という週一のテレビドラマがありました。
そこに、登場する
アンジェラ・カートライトの可愛らしさといったら。
中学生の頃でしたから、オリヴィア・ハッセイとこのアンジェラ・カートライトの、ブロマイドを大切にしていました。なつかしき思い出です。
アンジェラ・カートライト(Angela Cartwright、1952年9月9日 - )は、イギリス出身の女優である。姉に同じく女優のヴェロニカ・カートライト。
ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』のブリギッタ役、テレビシリーズ『宇宙家族ロビンソン』のペニー役等で知られる。コラージュの製作を手がけ、『サウンド・オブ・ミュージック』で共演したヘザー・メンジースと共に映像プロダクションを経営する。
アンジェラ・カートライトの、若き頃の、貴重なるクリップです。
・・・・・・・・・・
そんなわけで、私は今、SFマニアになってしまいました。
機械が何かのきっかけで、進化して、人類に戦いを挑んでくる、・・・先日見た「ターミネーター5」がそれでした。
機械×人間という意味では、マトリックスの戦いのシーンを連想もします。西洋の世界では、
しかしながら、ほんとうにロボット・サイボーグなどは、人間の敵として描かれています。
これは、チャペックの「ロボット」以来、ほとんど変化がありません。
この作品は、19世紀の末に描かれたというのですから、すごいです。予言的な作品です。
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ロボットという言葉はこの戯曲で生まれて世界中に広まった.舞台は人造人間の製造販売を一手にまかなっている工場.人間の労働を肩代わりしていたロボットたちが団結して反乱を起こし,人類抹殺を開始する.機械文明の発達がはたして人間に幸福をもたらすか否かを問うたチャペック(一八九〇‐一九三八)の予言的作品.
「猿の惑星・新世紀」、これも、この映画の場合、機械が猿に置き換わっただけ。
とにかくも、西洋では、神に似せられて創られた信じられている「人間」が最高の生物であり、その他の動物は、基本、低い次元にあると考えられている。当然、ロボットなどは人間の働き口を取ってしまう敵と。
・・・・・・・・
たしかに、
人の脳は他の生物とはまさに雲泥の差によりだんとつで秀でているものであると確信はしています。
しかしながら。
五木寛之がフランスの某有名な哲学者と議論した時に、五木寛之は一般日本人の代表として蚊も虫も人も同じ命である以上、命に差別はない、みたいなことをいったらフランスの哲学者は激怒したらしいです。
そりゃあそうでしょう。
西洋では上に書いたような、ヒューマニズム思想があり、人はその階層ヒエラルキーの最上階に存在するのが人なんですから。
それこそがキリスト教の奥義であるといっても言い過ぎではないでしょう。父の宗教キリストです。
(そこにいくと、仏教は優しく母の宗教でしょう。猫も犬も蚊も虫も、まあ私も虫は大好きとは言えませんが、同じ範疇の命であるという五木の発言に真摯に反応します。命という点ではほかの生物と同じである人の脳が、どんどん進化して、いまや、ちまたの最大の噂の真相のターゲツトになっているかのようです。
脳はDNAから人類をその拘束から救うために発生した人類の隠し司令塔ではないか、そう考えることがあります。
だからこそ人は自分にけじめをつけて、自殺したりもします。
脳はもはや、未来の種。遺伝子は過去の記憶。)
また、以前の記事にも書いたように、デール・ラッセル博士の意見では、隕石が地球に落ちずにいたら、恐竜のひとつ、トロオドンが、人類の代わりにこの地球を支配していたらしいです。
化石を調べて、その脳の発達が、人類の進化に、おきかわる可能性があったと。
(40億年進化の旅)
彼らの目は、彼らが、滅ぶ寸前には、人の目のように「立体的」に敵を見ていたというから驚きます。
とにかく。進化し続ける脳が、ひょっとして、とある段階で、最高レベルの「霊魂」を持ちうるようになったのか、あるいは、そうではないのか、これはまだまだ、科学では解く事の出来ない最高の謎だと思います。
猿と機械と人間の差は、いったい、何なのか?
いつかは、同じになるのか、これは興味深いテーマでもあります。
(あと、20年もしないあいだに、もう人間にそっくりのAndroidが
生まれるのは間違いないだろうと思います。・・・・・・猿や鴉が、進化するかどうかは、
私にはわかりません。でも、まったくあり得ないとは誰しもがいえないでしょうから)
きっと、2020年の東京オリンピックでは、下のようなロボット・Androidたちが、さらに更に、進化して、
外国人たちをおどろかせることでしょう。
開幕式では、是非、ベビメタや初音ミク、そして、Androidたち、に開幕歌をうたってもらいたいと、私は思っています。
神話とハイテク。まさに日本的!!!!!
ジェミノイドFに歓声「人間みたい」夢ロボ博
ところで、「アトムの最後」という短編があります。
手塚治虫恐怖短編集 科学の暴虐編 アンコール刊行 (講談社プラチナコミックス)/講談社
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(手塚治虫氏はアイデアが恐らく、その徹夜続きのハイテンションの脳の活性化している状態の中から、次から次へと出てくるので、60歳くらいで死なずに、もっともっとマンガを書きたかっただろうな。)
これは、その意味で、番外編。違うシュチュエーションで彼がimaginationを楽しんでいたのでしょうか。
人間のその野蛮性・凶暴性を信じるロボット=機械達が、人間達を戦わせてその殺戮を楽しむという物語。
そのために、わざわざ、ロボットは疑似家庭を造り、子供の時から、疑似幸福を味あわせながらも、その殺戮の日のために、投資するのだった。・・・・・・
この短編集の中には、この「鉄腕アトムの最後」のように、ロボットと人間の愛をテーマにしたものがもうひとつあります。
「聖女懐妊」・・・・傑作です。
ぬばたまの
常闇の彼方 光芒の天漢に懸かるあり
ここにチタンなる 星屑のもとにて
男ひとり遥けき故郷を惟る=おもんみる
という出だしからして、手塚治虫氏のセンスと、木星の巨大なるリングで胸がときめく。
マリアというロボット、A4級型アンドロイドロボットがなにやら主人公には美しく見えた。
それもそのはず、「彼女」は化粧をしていた。
「ほんとうに化粧したのか、信じられん」とチーフが言うと、「今日は地球の元旦、チーフが喜ばれるとおもいまして」
「もうじき七年目、おれはこんなに白髪がふえた。きみとの見かけの差はどんどんひらいてしまう」
「すみません、このつぎはもっと年をとったお化粧に変更します」
彼らは愛を感じている。
アンドロイドは彼の求婚にとまどいながらも、それを受け入れる。
自分で仲人の声をチーフが吹き込み、ふたりはめでたく結婚する。
「あなた、重いでしょう、かわりましょうか」と言うのが笑えて泣かせる。
「ヒロシ、神様ってありますの?」
そう聞くマリアに、ヒロシは地球では宗教同士の争いで、キリストも釈迦もマホメットも消えてしまった事を話す。
「神なんかいない、信じるのはコンピューターだけだ」とヒロシは思っていたと話すが、同時に、「なにか大きな力が宇宙に働いているということがわかってきた」とも言う。
そこでアンドロイドはこんなことを言う。
「ねえ、あたし赤ちゃんが産みたいの」
その不可能性をヒロシは話してふたりは幸福に眠りにつくが、起きると、フォボス特殊刑務所の脱走兵がやってきて、マリアを馬鹿にするひとりの男がからんでくる。
怒るヒロシに、リーダーがレーザー光線を放ち殺害する。
あたらしい主人はマリアに過酷な労働をさせるがマリアは反抗しなかった、アンドロイドにはその機能がなかったからである。
そのうちに、マリアの腹がふくれてきて、皆がデブデブとからかい始めた。
「どいつだ、ロボットに子供をはらませたのは?」
「きさまのはたんなる想像妊娠というやつだ、いやロボットに想像妊娠もくそもねえな、単なる故障よ」と脱走者たちは笑う。
「今夜あいつの腹のボルトナットをはずして腹の中のものをかきだしてしまえ」
彼等はオイルかなにかが、腹にたまっていると判断し、不気味がっている。
それを地獄耳で聞いたマリア。
2001年宇宙の旅よろしく宇宙服のなかに青酸ガスを入れて男たちを殺すマリア。
何かが彼女を変化させたのか?
三年の月日ののち、地球から連絡員がやってくる。
「南川が死んでもう三年になる、いい男だったが」
「どうせ俺は星に骨を埋めるんだといつも言っていましたね」
「ロボットA413289からの連絡はいつとだえた?」
「かっきり、二年前からです。エネルギー自家補充システムがこわれたのでしょうが」
ところがマリアはそこにいて、指輪をはめているではないか。
「きさまロボットのくせに人間と結婚したのか」
「この狂い機械め」
「神様はわたしたちに子供を」
「そんな冗談はオレの前ではいうな」連絡員は怒りはじめる。
しかし、ベッドのなかにすやすやと眠っている南川ヒロシに生き写しの赤子を見て驚く。
「この手を見ろ、南川には右手の親指に古い傷があったが、同じところに同じ傷がある」
死んだ南川が赤ん坊になって再生している、何がこんな奇跡を・・・とうろたえる連絡員。
「おまえはさっき神様が結んでくださったといったな? 神を信じるのか?」
「はい、この宇宙のどこかに・・・」
ラストシーンで巨大な木星の姿が描かれている、圧巻。
このマンガはあきらかに、2001年宇宙の旅を見てなにかしらのヒントを得た手塚治虫氏が新しく創作したと思われる。
1970年にプレイコミックに乗ったことでもあきらか。
手塚治虫氏は病床でも映画をこそこそ隠れて見に行ったり、クラシックをいつも聞いていたというから好奇心の才がこの素晴らしい作品につながったと思う。
絵が非常に彼らしい火の鳥の未来編の続編のような、まさに手塚ワールドの一片になっている。
誰かが言っていたが、漫画家になれないから小説家になった、そんな作家はわんさかいるのである。
「聖女懐妊」・・・・・
ロボットが、その愛の過剰のために、ご主人に尽くして尽くして、最後には、彼の子を実際に産み落とすという奇跡を描いている。
このテーマは、「A.I.(Artificial Intelligence: AI, 2001年)」と同じだが、スピルバーグがこの映画を見ていたのか、映画好きの手塚治虫が、このA.I を見ていたのか、それはわかりません。
この映画では、人間とロボットの子どもを産むというのではなく、少年ロボットが、人の魂を獲得するまでの気の遠くなるような、長い長い道のりを、どこかの星の脳を超絶に進化させたエイリアン=人?、が、助けるという話しでしたが・・・。
・・・・・・・・・・・・・
ロボットの少年が母に愛されたく、その思いを数億年にわたって持ち続けて、ついには、人間にしてもらえる・・・・
ちなみに、この「聖女懐妊」には、「2001年宇宙の旅」のロボットコンピューター・ハルが、人間達に歯向かうシーンのオマージュもあり、楽しめます。
そのハルをなんとか、必死に、くいとめる人間。
手にあせにぎるシーンでした。当時、私は映画館のなかで、くいいるように画面上をながめながら、なんでこんなにスゴイ映画をキューブリックはつくれるんだろうか、と、不思議で不思議でしょうがありませんでした。
(その後に、最後のクライマックスがあり、またまた仰天してしまう私でしたが。)
この宇宙には、人間の理解できないものがたくさんある。
そう考えるほうが、実に自然です。
something greatは、まだ人類が発見していない、宇宙の法則でもあります。
死んだら人はどうなるのか、そりゃあ、土くれにもどっていくと人はいいますし、聖書にも書いていますが、・・・でも、それは人のつくった言葉で考えられたいわば人の想像力の範疇のイメージ。
ほんとうにどうなるのか、それは誰にもわかりません。
別の言い方をすれば、土にもどるというのは、地球にもどるということ、地球にもどるということは、星にもどるということ、星にもどるとは、宇宙そのもののなかに還元していくということでしょう。
だから、わからないことは、わからないということで良いのだと思います。
そして、宇宙そのものに同一化するべく、今ここに、集中して、日々生き抜くこと。それが大切だと私は個人的に思っています。
・・・・・・・・・
ところで、西洋と日本などの「ロボット」に対する感情が、まったく違うということを、ぼそぼそ、書いてきましたが。
日本の「ロボット」の今。
(新聞記事より抜粋しました。)
誰しもが見て感動する「ブレード・ランナー」。
私のフェボリットのひとつですが、ここにも美しいAndroidがでてきます。
切なかったです。・・・・・
このフレードランナーで、使われているヴァンゲリスの「Vangelis - love theme」、最高に好きな一曲。
いつか、「せつなさ」をテーマに、記事を書くつもりですが、ほんとうに、泣ける曲です。
そして、新宿の歌舞伎町のシーン。惑星ソラリスでも、未来の高速として日本の高速が使用されていましたが、西洋の人達にとっては、日本には「近未来」というイメージがあるようです。
このロボットレストランには、ティム・バートン監督も来ています。
彼のAndroid作品と言えば、これ。「シザー・ハンズ」
◎資料
昔ある丘の上の屋敷に発明家が住んでいた。彼の最大の発明は人造人間のエドワード。エドワードはとても魅力的な青年だったが、ある問題があった。発明家が突然死んでしまったために完成されることなく、手が鋭いハサミのままとなってしまったのだ。エドワードは暗がりの中で独りぼっちで暮らしていたが、ある日化粧品のセールスに訪れた女性が、彼女の家族と共に暮らそうと家に連れていった。こうして、エドワードのパステル色の夢のような郊外での暮らしが始まった。
2020年に五輪・パラリンピックが開かれる東京。海外への魅力発信は大きな課題だが、実は、東京では意外な場所が外国人観光客に人気なのだという。女性ダンサーとロボットが共演する歌舞伎町の「ロボットレストラン」や、ハチの巣のような形のカプセルホテルが「クール(かっこいい)」なのだそうだ。人気キャラクター「ハローキティ」で埋め尽くされたホテルの部屋も評判を呼んでいる。東京の魅力は、東京に生きる人々が気づかないところにあるのかもしれない。
jjエイブラハムは、「ロスト」というテレビドラマの監督。なかなかの名監督で、アルマゲドンの脚本なんかも書いています。ちょっと、彼の監督・脚本作品を調べてみますと、
映画
ファイロファックス/トラブル手帳で大逆転 Taking Care of Business (1990) 脚本
心の旅 Regarding Henry (1991) 脚本
フォーエヴァー・ヤング/時を越えた告白 Forever Young (1992) 脚本・製作総指揮
私に近い6人の他人 Six Degrees of Separation (1993) 出演
ゴーン・フィッシン' Gone Fishin' (1994) 脚本
ハッピィブルー The Pallbearer (1996) 脚本
アルマゲドン Armageddon (1998) 脚本
ザ・サバーバンズ The Suburbans (1999) 製作
ロードキラー Joy Ride (2001) 脚本・製作
M:i:III Mission: Impossible III (2006) 監督・脚本
クローバーフィールド/HAKAISHA Cloverfield (2008) 製作
スター・トレック Star Trek (2009) 監督
恋とニュースのつくり方 Morning Glory (2010) 製作
SUPER8/スーパーエイト Super 8 (2011) 監督・脚本・製作
ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル Mission: Impossible - Ghost Protocol (2011) 原案・製作
スター・トレック イントゥ・ダークネス Star Trek Into Darkness (2013) 監督・製作
ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション Mission: Impossible – Rogue Nation (2015) 製作
スター・ウォーズ/フォースの覚醒 Star Wars: The Force Awakens(2015) 監督・脚本・製作
脱線しました。・・・・
日本の「ロボット」の今。ロボットレストラン。・・・・・・・・
ロボットレストランの客は6~8割が外国人
近未来を描いた米国のSF映画「ブレードランナー」(1982年公開)の舞台のモデルになったとされる眠らない街・歌舞伎町。無秩序にネオンが輝く巨大な歓楽街の一角で、ひときわ目立つ建物が、2年前に誕生したアミューズメント型飲食店の「ロボットレストラン」だ。
「総開発費100億円」をうたって誕生したこのレストランは、ステージを中央にはさむように座席(計132席)を配置。酒や食事を提供するとともに、近未来形のロボットとまばゆい衣装をまとった女性ダンサーが共演するショーが楽しめるようになっている。
ショーの内容は極めて個性的だ。歌舞伎役者風のメークをした男女が電飾ギラギラの山車(だし)に乗って和太鼓をたたいたかと思えば、鳥居に腰掛けた天狗がエレキギターを弾き鳴らす。続いて始まるのは、ロボット同士のボクシング…。身長3メートルはあろうかという巨大生物ロボットに女性ダンサーがまたがり、未来からの謎の侵略者と戦うというストーリー仕立てのショーもある。当初は「ガンダム世代」と呼ばれる30~40代の男性客を主なターゲットとし、「ロボットと若い女の子を絡ませたら面白そう」(広報担当者)と誕生した。
だが、日本人客の入りは思ったほど伸びず、代わりに欧米を中心とした外国人観光客が集まるように。ネットで話題が広がり、各国の海外メディアがこぞって紹介した。今では外国人の割合は全体の6~8割に上るという。
海外の映像クリエイターらも来店
同店にはこれまでに、映画「シザーハンズ」で知られるティム・バートン監督(米国)や、テレビドラマ「LOST」シリーズのJ・J・エイブラムス監督(同)ら映像クリエイターが来店。音楽界からは、米人気歌手のケイティ・ペリーさんや、英ロックバンド「ブラー」のメンバーらも訪れた。「これらの方々は名前を出すことの承諾を得られた方で、ほかにも大勢の海外セレブがお忍びで訪れている」(広報担当者)という。
ジブリ映画が好きという英国人、ジェームス・タタソールさん(38)は新婚旅行で来日し、「日本といえばロボットでしょう。グーグル検索で見つけて、面白そうだと思った。ロンドンにも劇場はたくさんあるが、こんなショーは初めてだ」と満面の笑み。
同僚に連れられて来たというスイス人男性、ジュリアン・ネルシエさん(31)も「コスチュームロボットやエレクトリックを使ったところが日本らしい」と話した。
広報担当者は「和太鼓や、(ショーや衣装などの)和柄っぽい部分に『カワイイ』が加わっている。世界を探してもほかにはない日本らしさがウケたのではないか」と話す
その他の、ロボットレストランのファンたち。
◎資料 ケイティ・ペリー
◎ブラー
1990年代以降の英国を代表するオルタナティブ・ロックバンド。デビュー当初はキンクスやビートルズの再来と注目され、1994年のブレイク時はブリットポップムーブメントの代表格として一世を風靡した。ブーム終息以後も様々な音楽性を横断しながら独創的な活動を行っている。後進のバンドに与えた影響も大きく、1990年代からのイギリスのロックシーンを代表する存在として人気は高い。
バンドは2003年にメンバーのグレアム・コクソンの脱退と7thアルバム『シンク・タンク』リリース後活動ペースを緩め、長らく活動停止状態が続いていたが、2009年にグレアムが復帰して以降再び活動を開始している。
ところで。
「ハンナ」という映画見ました。
この「ハンナ」まさか、SF味付けとは思わなかった。
それがまた非常に刺激的。
傑作「惑星ソラリス」とは比較しようもないが、それなりに楽しめる。
ただ、不思議なのは、「惑星ソラリス」のような映画は、無意識・潜在意識のなかに入ってきて、夢のなかや、ふとした時に、いつも思い出す。まるで、自分が体験したかのように。
誰しも見た人が傑作という客観的な映画という意味ではなく、やはり、その人にとっての傑作があるのだと思う。
人それぞれ、育った環境や、読んだ本、友だち、親の考え、出会った異性、それぞれ違う。
そこで、つちかわれてきたものが、あるひとつの映画の刺激で、さらに、生き返るように「再構築」されて、疑似体験として心に沈殿していく。
この「ハンナ」もそのようにして沈殿していくのだろうか?
やや、後半が、若干、尻つぼみの感。
しかしながら、前半からの導入等、やはり現代の映画だなあと、つくづく感じた。
スピード感というやつ。
しかしながら、これもまた、スピード感だけであると、飽きがすぐにくる。
いつまでも心に残る映画、これが私にとっての、名作だ。
それに、今はいろいろ調べると膨大なる情報や資料が見れる。
多忙なサラリーマンは無理でしょうが、やろうと思えば、好きな俳優や、監督のことは
深く、知る事ができます。
たとえば、この「ハンナ」のシアーシャ・ローナン。
13歳の少女役で、出ているとありました。
クリップを探し、資料を調べてみますと、・・・
シアーシャ・ローナン(Saoirse Ronan [ˈsɪrʃə ˈroʊnən][1]、1994年4月12日 - )は、アイルランドの女優。名のSaoirseはアイルランド・ゲール語で「自由」を意味する。
アメリカ合衆国のニューヨークに生まれる。両親は共にアイルランド人で、父親のポール・ローナンは俳優。3歳の時に両親と共にアイルランドのカーロウ州に移り住んだ。
9歳の時に子役としてキャリアをスタートさせ、アイルランドのテレビシリーズなどに出演した。2007年公開の『つぐない』で13歳という史上7番目の若さでアカデミー助演女優賞にノミネートされて注目を集めた。2009年12月公開[4]のピーター・ジャクソン監督作品『ラブリーボーン』の主役に抜擢され、放送映画批評家協会賞若手俳優賞、ラスベガス映画批評家協会賞若手俳優賞など多くの賞を受賞した。
2013年頃から、ジョージ・マッケイと交際中である。と、ありました。
「つぐない」 良き表情を演技しております。
私の好きなSF映画ベスト3(傑作という意味ではありません。私の嗜好独断我がままチォィスになります)
時計じかけのオレンジ [DVD]/マルコム・マクドウェル,パトリック・マギー,マイケル・ベイツ
¥2,625
Amazon.co.jpこの舞台衣装製作はすばらしい。
3度の結婚歴、マルコム・マクダウェル。
この作品ほど、いろいろな評論家がありとあらゆる言辞を費やした作品はないと思います。
真似されるということは最大の賞賛なのだが、このキューブリックが松本俊夫監督の映画『薔薇の葬列』の映画の撮影手法の影響を受けて作った部分があるということもマニア以外には知られていないのでは?。
『薔薇の葬列』
(エディ役には、ピーターが初めて起用されたが、ここにも水上勉氏が関係していたと聴いて驚く。水上氏には、小林氏がべた褒めした作家で、瀬戸内嬢がひどく嫉妬した逸話があります。)薔薇の葬列
この映画「時計仕掛けのオレンジ」で暴力が誘発されるというので、21章がカットされたというが、昨年度に完全版が早川書房から発売されています。まだ買っていませんが。
もともと、筋力というのは生物が自己本能のひとつとして外敵と戦うことで自然から与えられた力なのです。
管理社会でそれを使用できないのは当然で、人はそこで抑圧されて生きるのでありますが、戦争などではよくも悪くもその力が利用されるわけです。
笑い話ですが。
外敵の最高峰と言えば、宇宙人。地球を攻めてくる彼らとの戦い。
そこでは地球での殺戮の前科者達が、英雄になっていくチャンスが与えられる時でもあります。
(会田雄次氏の説を待つことなく、状況におうじて、英雄のタイプは当然変化するのです。)
「時計仕掛けのオレンジ」を読んだアーサー・ブレマーがジョージ・ウェレス暗殺未遂事件を起こす。・・・・・・・・
彼の日記を読んだボール・シュレイダーが「タクシードライバー」の脚本を書く。
さらにこの映画を見たジョン・ヒンクリーがレーガン大統領暗殺事件を起こす。
河合隼雄は「人は自分だけの物語をその人生で書き上げる」と言っていますが、暗黒の歴史に載りたかったのでしょうか。
・・・・・・・・・
ダヴィンチの手原稿は、鏡に写しながら書いたように、逆に綴られたのですが、この「時計仕掛けのオレンジ」も、ロシア語と英語のスラングで書かれています。
原書でも照らし合わせましたが、ナッドサット言葉、アンソニー・バージェスの天才がよく出ていますね。これだけ原作と映画がふたつとも傑出しているというのは珍しい。
つぎに。
「アルタード・ステーツ」
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水のなかに、特殊な成分の液を入れて、そのなかで、音も聞こえない、匂いもしない、眼も隠して見えないようにして、浮かんでいると、人は幻想を見るといいます。
それをテーマにした映画。
ジョン・C・リリー博士による感覚遮断実験での変性意識状態をモデルとした映画。
この映画には、ずいぶんと、刺激をうけました。
芸能人の麻薬事件が絶えませんが、人にはたしかに、自分の魂のレベルがひょっとして、
何かの刺激によって、アップするのではないかという、昔からの、興味があるようです。
この映画でも、この水にぷかぷか、浮かんだ状態で、普通の五感の感覚をすべて奪う事で、脳に、何かを起こそうということでしょうか。
最後のシーン。
一番大好きなシーンです。
世俗から離れて、理系学問に打ち込んで、過去に脳ワープすることで、過酷な実験をつづける、ヒロインを助けるのが、妻のドリュー・バルモアなんですね。
カオスを、混沌を、救い出すのが、愛だということでしょうか。
監督ケン・ラッセル。この映画を見てから、彼の映画をチェックするようになりました。
●資料
人間の身体には、魚類から両生類や爬虫類や鳥類などを経た哺乳類への進化のプロセス、あるいはそれ以前からの進化のプロセスが詰まっているといわれる。天才科学者エドワードは、それを遡って生命の根源を探究したいと考え、アイソレーション・タンクを用いた幻覚の研究を開始する。しかし、女性人類学者のエミリーとの出会いと結婚を機に、研究は中断する。
夫婦ともにハーヴァード大学での職を得て、娘も生まれ、順風満帆に思われた生活だったが、エドワードは生命の根源の研究をあきらめることができず、エミリーに別居を提案する。彼はメキシコの秘境で入手した幻覚剤とアイソレーション・タンクによって、自らを実験台に研究を進めていくが、やがて彼の肉体に予期せぬ変化が現れはじめる。
最後は、「惑星ソラリス」
誰しもが、見ている名作だと思いますが、私は、特別な感情を持っています。
何十回見たことか・・・・・・・
特に、好きなシーンでもあるヒロイン2人が、部屋のなかで、空を舞うシーン。
そこで、使われた曲。
常に、脳裏にきざまれていました。
今もです。・・・・
この曲のおかげで。
始めて自分でこれが「至高体験」ではないかと思えたのは、20歳前後の時、大学からこの岩見沢の故郷にもどってきて、ひとり町なかの喫茶店でバッハのこの曲を聞いたときだったと思います。
「われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ BWV639」
大好きな曲です。
大事なのは、外に雪が舞っていたということ。
そしてまわりには誰もいなかった。
珈琲を持って来てくれた女性はそのまま室内にもどり私はひとりで喫茶の窓から雪を見ていました。
その時にこの曲が聞こえて来たのだった。
不思議な感覚でした!!!!。
まわりのディテールが異様にはっきりくっきり見えた。
今でもはっきり覚えている感覚。まるで麻薬でも使ったようにそれらは明覚で明瞭な輪郭線で私にせまってきた。そして、このピアノの音がまるでみえるかのように。
雪が窓にこつんこつん、ぶつかっていたような気がします。
まだストーブの火が完全についておらず、コートも脱げずに私はマフラーもそのままに、目を閉じていました。
体の中からは自然なシリンダーが廻っているかのような静かな心臓音。
わたしはひどく幸福な気持でそこにいました。
脳天まで達するほどの至福感が、10分ほど次の客が入って来て現実にひきずりもどされるまで続きました。
この映画のなかで、この曲が実に、効果的につかわれていて、このシーンを私は何回も夢にみました。
シャンデリアが、音をたてるまでの沈黙。
・・・・・
突然、ふたりの体が宙を舞い始める。
まるで、ダリの絵のように。
・・・・・・・・・ところで、この「惑星ソラリス」
その後、アメリカ映画にもなりましたが、やはり、このロシア映画が最高です。
タルコフスキーについても、また記事にしてみたいです。
「 映画を頭でみたらつまらない。映画は感覚でご覧ください。」 淀川長治
FIN
みずら 神道 8 神秘体験・臨死体験 モーツァルト
なぜ上古の人、特に貴族の男性、若い少年が「みずら」という髪型をしていたのか、このところ読んでいる源氏物語にやはり、光の君が「みずら」を結って皆からその美しさを感嘆される文があった。
少し調べてみると、やはり「上代では男性でも角髪に櫛を挿していたことが『古事記』のイザナギの冥府下り、スサノオの大蛇退治の物語に見られるほか、アマテラスとスサノオの誓約の場面では女性神のアマテラスが角髪を結う呪術的な異性装を思わせるくだりが登場する。」とある。
漢字はいろいろあって、角髪(みずら)美豆良(みずら)、総角(あげまき)とも書くらしい。
ネットからおかりした画像(ありがとうございます)は、京都の櫛祭りの女性がみずらをしたいわば男装。
西洋にも絵に描かれている。フランツ・フォン・シュトゥック画。
8の字に結うというのが何やら意味があるのかもしれない。
古来、人は言葉を使わない前は、たぶん、右脳がかなり発達していたと思う。
まだまだ「意識」が出てこない分、「無意識」が、体と心の分離をせずに
人は行動をしていた筈。
そんな時に、人は髪を結う、という行為を自然にしたのが実に不思議。
もっと言うと、古代人の服装や食事や狩りなどのすべての生活が、なにやら宇宙の果てと
つながっているような、まさに「結う」=「結ばれた」世界があったのかもしれない。
8の字もくるくる廻ってもとの位置にもどってくるのがおもしろいと人は感じたか。
立花隆と河合隼雄の対話がある。
生、死、神秘体験 (講談社文庫)/立花 隆
¥750
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これを読むと、その外側にたって宇宙から地球を見ることをした宇宙飛行士と、臨死体験によって臨死の後に空から自分自身を見たり、宇宙から地球を見た臨死体験者は良く似ている、とふたりが言っていたのがおもしろい。
そして、時空の概念。
神秘体験においては、時空は超えられて、すべてが一瞬になる。
これはべつにむずかしいことではなくて、私たちが普段見る夢だって、おそらく長い長い物語を見ているようであっても、その大筋のエッセンスみたいなものは、一瞬で脳に閃いているのだと思う。
たとえば、私の大好きなモーツァルトの「ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K219 トルコ風 第3楽章」
この転調の部分は考えて考えて書かれたものではない。
ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K. 219 トルコ風 第3楽章
残された音譜の記録などによりまず、モーツァルトの頭に一瞬で閃いた楽譜が、あり、それを次に現実の中で、音譜という記号に転換していく作業にうつるわけだ。
「自分は交響曲を一瞬に聴いている。」モーツァルト
シネマの「アマデウス」でも、サリエリに病床から、頭に閃いた音譜をそのまま口伝えで伝達していくシーンがあった。
人にはそれぞれまだまだ、成就されていない未完成の部分、可能性の多々ある部分が、皆残されているんだと思う。
それを爆発させるのには、たぶん二つあって、
ひとつは、神秘体験(自分なりの)
もうひとつは、ぎゅっと枷を自分にはめる環境である。
神秘体験という言葉を軽々しく使いたくないとも思う。
それは、雪の景色を見ていてもある意味、おこりえる「こと」だとも思う。
私たちが自然の中の一部である以上、その大本である自然の恐ろしさや美しさに「畏怖」するところからその心の体験は始まるのだとも思う。
私の場合は、子供の頃に近くの森の近くの大きなはらっぱの、雪の中で、ひとり大の字になって寝た時の背中の熱さと冷たさ、肺からこぼれる冷気、まるで自分が宇宙に放り投げられたような浮遊感覚、それらが目の前に大きく広がる冬の青空の中に吸い込まれる時に、感じたことかもしれない。
あるいは、高校生の頃に、夏の夜空を窓から見ながら寝ていた時。
何か、背中がぞっとするくらいの恐ろしさが私を襲ってきた。
満天に広がる天の川があまりにもリアルに見えすぎて、(その頃はまだ視力が良かった・・)、一瞬、吐き気に襲われたのだった。
あの強烈な体験。
美し過ぎる天の川の星の群。
もう、普段見えないような星のくずまでが、私の目の中に飛び込んでくるようで、気が狂うかとおもうほどの恐怖感だったと思う。
ぎゅっと枷を自分にはめる環境というのも、たぶん、垢のついた言葉で言えば、「逆境」ということか。
確かに、満風・順風の中では、人のその脳の何かは変容しないのだと思う。
いわゆる天才と言われる人達は、一日に15時間くらいピアノを弾いていても疲労感などはないと思う。ただ、ひたすらに、自分の脳のなかに閃く楽譜や美の最高形式みたいなものを追いかけている。
出られないから出ようともがく。
強い力でまわりから抑えられるから反駁する、爆発力がつくのだろう。
人からは猿回しの猿みたいだと、父親の厳しい音楽教育を笑われたときもあっただろうが、その基礎の基礎があったからこそ、その後の彼の作曲の展開に発展していくのだろう。
モーツァルトの父親でさへ、彼の天才がここまで爆発するとは、想像できなかったし、彼の天才をも完全に理解はしていなかったというのが、河合隼雄氏と立花氏の意見だ。
近代自我の苦しみは音楽はベートーベンからはじまったとよく言われるが、自分自身について分析などせずに、子供のように音に遊んだモーツァルトはその意味ではまさにポスト・モダンとむすびつくものなのだろう。
小津安二郎 「東京物語」
男と交際しない女は次第に色褪せる。女と交際しない男は次第に阿呆になる。
アントン・チェーホフ
小津安二郎 「東京物語」再視聴
記憶とは恐ろしい。
佐藤浩市の「「あ、春」が、小津へのオマージュでつくられたとずっと思い込んでいた。
たしかに、死んだと思っていた父親が突然あらわれて、家族の皆、あわてふためくというあたりは
なんとなく、似ているかなともおもえたが。
ところで、それはともかく。
この「東京物語」
(とうきょうものがたり)は、1953年に公開されたモノクロの日本映画である。監督は小津安二郎、主演は笠智衆と原節子。『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)で原節子が演じたヒロインはすべて「紀子」という名前であり、この3作品をまとめて「紀子三部作」と呼ぶことがある[1]。昭和28年度文化庁芸術祭参加作品。
上京した年老いた両親とその家族たちの姿を通して、家族の絆、夫婦と子供、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品である。戦前の小津作品、特に『戸田家の兄妹』などにすでに見出されるテーマだが、本作でより深化させられることになった。「ロー・ポジション」[注 1]を多用し、カメラを固定して人物を撮る「小津調」と形容される独自の演出技法で、家族を丁寧に描いている。家族という共同体が年を経るとともにバラバラになっていく現実を、独特の落ち着いた雰囲気でつづっている[2]。
オマージュは。
オマージュとして『東京画』(ヴィム・ヴェンダース)、『みんな元気』(ジュゼッペ・トルナトーレ)とそのリメイク『みんな元気 (2009年の映画)』(カーク・ジョーンズ)、『珈琲時光』(侯孝賢)、『HANAMI』(ドーリス・デリエ)、『東京家族』(山田洋次)などがある。
と、ちゃんと記録されている。ありがたい。
あらすじ[編集]
尾道に暮らす周吉とその妻のとみが東京に出掛ける。東京に暮らす子供たちの家を久方振りに訪ねるのだ。しかし、長男の幸一も長女の志げも毎日仕事が忙しくて両親をかまってやれない。寂しい思いをする2人を慰めたのが、戦死した次男の妻の紀子だった。紀子はわざわざ仕事を休んで、2人を東京名所の観光に連れて行く。周吉ととみは、子供たちからはあまり温かく接してもらえなかったがそれでも満足した表情を見せて尾道へ帰った。ところが、両親が帰郷して数日もしないうちに、とみが危篤状態であるとの電報が子供たちの元に届いた。子供たちが尾道の実家に到着した翌日の未明に、とみは死去した。とみの葬儀が終わった後、志げは次女の京子に形見の品をよこすよう催促する。紀子以外の子供たちは、葬儀が終わるとそそくさと帰って行った。京子は憤慨するが、紀子は義兄姉をかばい若い京子を静かに諭す。紀子が東京に帰る前に、周吉は上京した際の紀子の優しさに感謝を表す。妻の形見だといって時計を渡すと紀子は号泣する[3]。がらんとした部屋で一人、周吉は静かな尾道の海を眺めるのだった。
志げ・・・・・という女性が出てくる。長女だ。
性格があけすけというか、今の現代女性風合理主義精神のもちぬし。
母が危篤と聞いて、涙どころか、まずは、喪服の準備を欠かさないし、それをその他のまったく喪服の準備など考えもしない、いや、考えたくない次女の京子や、次男の妻の原節子に、なんで喪服を持ってこなかったのかと文句をいう始末。
嫌な役柄をじつに、杉村春子が好演しているが、地でやっているのではと思わせるくらいにうまい。
親の死への哀しみよりも、さまざまなる死の行事に対する準備、自分の仕事、日々のやるべきこと、そのことで頭がいっぱいな女を演じている。
いわば、ひととして何かを喪失している感のある女性で、次女の京子とは対照的。
また。
戦死した、次男の妻の原節子が非常に良い。
最後に死す母のとみが、原節子のことを心から心配するシーンがこの映画の山場だろう。
「わたしずるいんです」。
この原節子の言葉は、個人的に、複雑に複雑に、かんじとれる女の言葉として聞いた。
笠智衆の一言一言。
まるで、詩のようにも聞こえる。
感情を押し殺すのでもなく、叫ぶのでもなく、うちわをしずかにふりながら、呟くように、言葉を吐く。
ああ、日本だなあ。ああ、日本人っていいなあ。そう思える映画でもある。
ベルイマンの「野いちご」の老人の死への不安、川端康成の「山の音」の実際に山から聞こえてくる地響きへの死への連想・・・・・・・年をとれば、だれでも、死を考えるものだとおもうが、
妻の死を、ぐっと泣き叫ぶのでもなく、自分の子どもたちにかこまれながら、静かに受け入れる。
個人的な好きな笠智衆の言葉。
「自分の子どもたちよりも、他人でもあるはずの、次男の嫁でもあるあなた・・・・原節子・・・・あなたが、一番、私たちのことを考えてくれている」
もう、いいのよ。
あなたも、幸福になるべきよ。
ひとりでこれからどうするつもり?
いい人を見つけて、幸福になりなさいね。危篤になった母とみは、ふたりだけの最後の夜に呟く。印象的なシーン。
キモノなどの形見をふんだくっていく長女のことを攻めもせずに、周吉は、一番心の優しいと感じている紀子に、周吉は、妻の一番大切にしていた時計の形見をそっと手渡す。
泣く紀子。
小津安二郎にとっての、「紀子」という名前は、無意識的、なにやら、深い意味のある名前のようで、紀子三部作というのをつくっている。
この東京物語、麦秋、晩春の三作。
以前紹介した、戸峰美太郎が不思議と「聖子」という名前をかなり多くの主人公の女性の名前として使用しているのとよく似ている。
小津安二郎のこだわりが垣間見える。
◎資料
評価
撮影中の原節子と小津安二郎監督
1937年日本公開のアメリカ映画『明日は来らず』(レオ・マッケリー監督)を下敷きにしている[4]。アメリカの物語を普遍的なものにして、アジア人と西洋人がともに納得できるものにした。
作品は1953年度のキネマ旬報ベストテンでは第3位にランキングされ、興行的にも成功した。以降も現在に至るまで作品は国内外で高い評価と支持を受けている。特に映画誌などで行われる過去の作品のランキング等では必ず上位にランキングされている。
1995年にBBCが発表した「21世紀に残したい映画100本」に、『西鶴一代女』(溝口健二監督、1952年)、『椿三十郎』(黒澤明監督、1962年)、『乱』(黒澤明監督、1985年)、『ソナチネ』(北野武監督、1993年)などと共に選出された。 英国映画協会発行の月刊映画専門誌『Sight & Sound』2002年版の「CRITICS' TOP TEN POLL」では、年老いた夫婦が成長した子供たちに会うために上京する旅を通して、小津の神秘的かつ細やかな叙述法により家族の繫がりと、その喪失という主題を見る者の心に訴えかける作品、と寸評を出している。本作品は、ニューヨーク近代美術館に収蔵されている。
ランキング
1979年:「日本公開外国映画ベストテン(キネ旬戦後復刊800号記念)」(キネマ旬報発表)第6位
1989年:「日本映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)」(キネ旬発表)第2位
1989年:「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)第2位
1995年:「オールタイムベストテン」(キネ旬発表)
「日本映画編」第1位
「世界映画編」第4位
1999年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第3位
2009年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第1位
以下は海外でのランキング
「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会『Sight&Sound』誌発表)※10年毎に選出
1962年:「映画批評家が選ぶベストテン」第26位
1982年:「映画批評家が選ぶベストテン」第21位
1992年:「映画批評家が選ぶベストテン」第3位
1992年:「映画監督が選ぶベストテン」第14位
2002年:「映画批評家が選ぶベストテン」第5位
2002年:「映画監督が選ぶベストテン」第16位
2012年:「映画批評家が選ぶベストテン」第3位
2012年:「映画監督が選ぶベストテン」第1位
2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第36位
2008年:「史上最高の映画100本」(仏『カイエ・デュ・シネマ』誌発表)第14位
2008年:「歴代最高の映画ランキング500」(英『エンパイア』誌発表)第67位
2010年:「史上最高の外国語映画100本」(英『エンパイア』誌発表)第16位
2010年:「エッセンシャル100」(トロント国際映画祭発表)第15位
受賞[編集]
1954年:毎日映画コンクール女優助演賞(杉村春子)
1958年:サザーランド杯(小津安二郎)
原節子。なにやら、小津と関係があったのではないかと思ったが、彼には交際していた女性がおり
、今みたいに写真のおいかけもいなかったので、証拠もない。
ただ、62年5月。小津監督は自分の日記にこう記している。
原に酔余(酔って)電話する。。。。。。。。。。。。
ほろ酔いで人恋しくなったとき、声を聴きたくなる相手が、原さんだった。
一見、家族的で、家族主義のような小津監督。
よくよく映画を観てみると、そうではなくて、家族のいろいろな矛盾点やら、
嫌なところをよく観察していることだ。理想主義だったから、実際の結婚やら、
現実の恋を避けたのかもしれない。・・・・・・・・
私たちの最大の弱点は諦めることにある。
成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。
トーマス・エジソン
FIN
恐竜の進化「アーロと少年」「メランコリア」美女と怪獣「キング・コング」「ファンタジア」
不思議と、子ども達は、恐竜が好きです。
恐いもの見たさなのか、恐竜の写真なんかを見ていると、ずいぶんに、楽しそう。
きっと、私たちの祖先の恐竜に対する恐怖や、警戒や、またまた逃げ切れた時の歓喜みたいなものも含めて、それらが私たちの遺伝子に組み込まれているからでしょうか。
(国立博物館の大恐竜博、私も恐竜が大好きなものですので、昔、行きました。ネットから画像おかりしました。ありがとうございます。)
ところで。その恐竜映画。
もうすぐ、「アーロと少年」がやってきます。
これまで『トイ・ストーリー』や『モンスターズ・インク』、『ファインディング・ニモ』を手掛けてきたディズニー/ピクサー。どれも、素晴しい映画でしたが。
次回作では“もしも、隕石が地球に衝突せず、恐竜が絶滅をまぬがれていたら?”というアイデアから生まれた、かつてない壮大なスケールで描かれる驚きの世界を描いていくらしいです。
絶滅をまぬがれ、文明と言葉をもつ恐竜たちが、言葉をもたない人間たちと共存する地球。そこで、体は大きいが臆病で甘えん坊の恐竜アーロと言葉を持たない一人ぼっちの少年スポットが出会う。
壮大な自然を舞台に、見た目も性格も正反対な2人の出会いから始まるアドベンチャーが、世界中をいまだかつてない感動と興奮で包み込むと、宣伝にありました。
◎新しいクリップ
更新しました。・・・こちらのほうが、良いと思いました。
実は、こんな発見が最近ありました。。。。。。。。。
数ヶ月前に、テレビで、たまたま、見たのですが、40億年進化の旅。NHKでしたが、
「考える恐竜」というテーマでした。ダスプレトザウルスのような形の「トロオドン」と言うそうですが。 鳥みたいな恐竜です。
彼らも、かなり大きな脳を持っていたらしいです。
考える・・・・・えっ、恐竜が考える?? と、何の事かと最初は思いましたが、アメリカオハイオ州の、デール・ラッセル博士によりますと、恐竜の大きさやら、脳の重さやら、さまざまなる
恐竜の研究により、6550年前に、鳥形の恐竜の、子孫なのか、私はよく知りませんが、ジュラ紀の生物、ほ乳類がでてきて、・・・ハドロコディウム・・彼らは、はっきりと、
◎敵の姿を人の目のように見ていた
◎ヒゲで、敵が大地を踏みつける大地の震えなどを認識、感覚的につかみ
◎耳で、敵の足音をはっきり聞き分けていた
らしいです。
ざっと、キタナイ字で、紙にメモしたものですから、間違いがあるかもしれませんが。
恐竜は、昼活動しますので、彼らがいなくなる夜に、 こそこそと、活動していたのでしょう。
彼らの脳は、資料には、このようにあります。
約2億年前、祖先が獲得した「新しい脳」によって覚醒されたものである。人間の脳は計算や読書、会話などそれぞれ脳の役割の場所が異なり、それは「大脳新皮質」と呼ばれている。これを発見したのはアメリカ・シカゴにあるシカゴ大学の羅哲西教授で、最も古い哺乳類の化石の1つから「大脳新皮質」が確認されたと明かされた。羅氏は、恐竜について2億年前に生息した初期の哺乳類「ハドロコディウム」と語った。わずか1cmの頭蓋骨から復元された姿は体長3cm、指にのるほど小さな哺乳類だったと紹介。CTスキャナーで分析した結果、頭蓋骨の内部に「大脳新皮質」が確認、これが新しい脳の始まりである。羅氏は、確認した時について大躍進だったと語っていた。
「大脳新皮質」は何をもたらしたのか?
というわけで。
この、「アーロと少年」は、あながち、ただの空想ではなくて、ちょっとした進化の掛け違いや、小惑星の衝突の位置やタイミングがずれていれば、・・・・・・・
このような世界になっていたのかもしれません。・・・
この「小惑星」の地球への衝突。
これをテーマにした映画は、これまで、アルマゲドンや、ディープ・インパクトをはじめとして、たくさんありますが、
私が一番好きなのは、「メランコリア」です。
圧倒的な映像。圧倒的な音楽。圧倒的な演技。
個人的なフェボリットのひとつ。
アルマゲドンや、ディープ・インパクトなどのような、娯楽の要素はかなり少なく。
最初から最後まで、監督の美意識が、深刻な緊張感のまま続行していきます。
救いがないといえば、救いのない映画ですが、
もっと今のこの人生をしっかりと大切にせねば、と感じさせてくれる、傑作だと思います。
監督は、「ダンサーインザダーク」のラース・フォン・トリアー。
デンマーク映画ここにあり、と、世界に発信したひとりです。
このビョークの映画は、独特の映像と、カメラワークで実に印象に強く残っています。
恐竜をも滅ぼしたとされる、小惑星の地球への衝突。
過去幾度となく、ぶつかったらしいですが、
先月でしたか、小さな惑星が、地球とすれちがって話題になりました。
・・・・・・・・・
映画はまとめて、見る時間がなかなか、とれませんので、細切れ視聴しております。
だいたい、一日に、長くても30分。短い時は、10分くらいで、きりあげます。
もちろん、クライマックスにはいると、一気に見てしまいますが、それまでは、
のんびりと、原作を書架からとりだして、少し眺めてみたり、資料を見たり、
見た時のさまざまなる空気を思い出すようにしております。
新作は別として、昔の作品を再視聴することが圧倒的に多いです。
個人的には、今の新作は、10作中、感動するのは、1作。
かつての名作は、(時間が摩擦をかけていますので、当たり前ではありますが)、10作中、10作が、そのまま感動の渦に巻き込んでくれます。これは時間がない私にとっては、ありがたいと思います。
本や音楽も同じですね。
新作は、どうもあたりはずれが、多すぎて、時間がもったいないと考えてしまいます。
個人的に好きな作家は、駄作であろうと、なんであろうと、自分の金で買って、大切に読むということはいつも同じですが。
さて「メランコリア」
商売だけのシネマではなく、台詞などや、俳優の振り付けや、演技などなど、監督の独特の、
采配が興味深いです。
特に、音楽の使い方。
ワーグナー。
私もブック・オフで、安くレコードを手に入れましたが、トリスタンとイゾルテでしたか、
聞く人の耳にこびりついて離れませんね。
三島由紀夫氏やら、宮崎駿氏もまたファンでしたが。猛烈にたまに聞きたくなります。
この映画のなかで、川の中を静かに、遺体のようにして流れていく花嫁。
まるで西洋の名画のようでした。
私は、漫画から普通、愛と希望をもらっているし、小説や俳句や詩からは日本語の言葉の味を楽しみ、西洋のそれとの比較をさらに楽しみ、音楽からは魂の充電をさせていただいています。
「メランコリア」
総合芸術とよく言われますが、漫画や小説やオリジナルシナリオから、たちあがって、音楽やら言葉やら舞踊やらカメラワークやら、たくさんの人達が集まっては、ひとつの美をつくりあげります。
映画から血を吸ってほしい、芸術の血、心の血を吸ってほしい。淀川長治さんの言葉が耳元によみがえります。
「メランコリア」
この題名が、また実に美しい。
題名に惹かれて、見てしまいましたが。
内容は、地球最後の日々。
というわけで、ストーリーがどうたらというよりも、監督やその仲間たちが、この究極の日々をどうカメラに収めるのかということが興味あり。
まったくの脳と心をリセットして、まっさらで、見ました。
ネットで情報を見たのは、見たあと。
賛美と失望の半々。
なんといっても、ワーグナーのトリスタンとイゾルデでしたか。
デンマーク映画なのに。
三島由紀夫氏やら、澁澤龍彦氏が生きていたら喜びそうなカット満載。
そして三島由紀夫氏の好きなワグナー。この曲は「憂国」で使用されていたような記憶ありましたが、はっきり覚えておりません。おそらく、そうだったでしょうか。
しかし、それにしても、存在感のある女優。
きれいなだけの最近の女達とはひと味もふた味も違う。
お姉さん役もまた良かったが。
この映画が、ふたりの女性の名前で、ふたつに分けられているのも私の好みです。
ジャスティン
クレア
そして、男の子のあどけなさが、心に残る。
映画「渚にて」のように、家族が死についていろいろ考えるシーン。
ここは、どのような死に方が良いかどうかという問題はさておき、ジャスティンのような鬱病の患者が、魔法のシェルターを子供のためにつくるというのもなかなか。
映画のアイディアは、鬱病に苦しんでいた頃のラース・フォン・トリアーが出席したセラピー・セッションから来ている。セラピストは、鬱病の人々は先に悪いことが起こると予想し、強いプレッシャーの下でもっと冷静に他のものよりも行動する傾向があることをトリアーに伝えていた。
と、資料にはあるけれども、ラース・フォン・トリアー監督。
さすがに、あのビョークを撮った監督。
あの映画もまた心に不思議に残像がいつまでも残る映画でしたが。
冷たく、不安で、まさにメランコリアな画像をとりあげた。
こんな映画があってもいいでしょう。
人に勇気も希望もあたえない代わりに、美的感銘を少しだけ差し出すという映画。
心の病にかかる人に、少し特権を与えるような不思議な映像。
この救いのまったくない映画を見て、元気が出たというレヴューを見て、人間てなんと多様性があり、複雑でまた、おもしろい生物だなあと再認識。
私の好み。
あの、「惑星ソラリス」をこの監督はきっと好きに違いない。
重厚なクラシックにのせての、ブリューゲルの絵。これまったく同じ絵。
あとは、ラファエロ前派も好きに違いない。
水の中をながれていく花嫁。これは「オフェーリア」からイメージをきっと、とったのだろうと思う。
同じイメージ。
「盲目の少女」の絵もふとこの映画に重なる。
黒い馬が実に、「メランコリア」という映画には合う。
さて、「アーロと少年」
ピクサーは、ディズニーの完全子会社。
ディズニーといえば、私の小さな頃を、反射神経的に、思い出してしまいます。
最近、小学生が、大麻を吸っていたという事件がありましたが。
わたしなどは、その頃は、幻の雑誌「C0M」を発見した頃で、手塚治虫の「火の鳥」やら、石森章太郎の「jun」や、長島慎二の「青春残酷物語」などに、夢中になっていた頃でしたので、大麻などと聞くと、驚愕しました。ジュン 4: 石ノ森章太郎のFANTASY JUN/ポット出版
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この麻薬の子ども。 なんという、老成。
もはや、子どもとは言えません。
渋沢竜彦氏に、「黄金時代」という書物がありますが、子ども時代というのは、できれば、自然の中で、自由に遊び、家族に愛された「黄金時代」であってもらいたいです。澁澤龍彦全集〈10〉 澁澤龍彦集成 7,妖人奇人館,暗黒のメルヘン,黄金時代,補遺/河出書房新社
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というわけで、小さな頃のことを、考えていましたが、私は、小学校の低学年の頃は、大きくなったら、「漫画家」か「科学者」になりたいと考えていました。
「科学者」と言っても、「鉄腕アトム」のお茶の水博士が大好きだっただけですから、要は、「漫画」に夢中の頃。
その頃。私は、おんぼろ官舎に住んでいて、当時は、まだテレビを持っている家庭がほとんどいない時でした。
「プロレス」や、「ナショナル・キッド」なんかが、始まる時間になると、テレビを持っているところに、その他のみんなが、官舎ですから、集まってきます。
テレビのある家庭の奥様が、数十人も集まって、もう部屋がいっぱいになったころに、お茶を出したり、かりんとうを子ども達に包んだりしたあと、おもむろに、テレビの上にかけられた布をしずかに、あげて、テレビのスイッチを入れると、二三分すると、真空管のテレビでしたから、しだいに、画面がでてきました。
拍手をしたり、笑ったり、大騒ぎで、テレビは見たものです。
プロレスなんかの時は、親が真剣にみていましたが、子ども他は、子ども達で、違う部屋で漫画を見せてもらったり、いろいろと遊びをしていました。
そんな頃でしたから。
やっと、我が家にも、テレビが入って、自分たちだけで、テレビを見る事ができるようになって。
たしか、平日の八時頃から、週にひとつだけ、親から許可してもらったテレビ番組のことを今でも、はっきりと覚えています。
もう、妹と、夢中で見ていました!!!!!
「デイズニーの映画」の時間でした。
今でも、感激のあまり、夜もねれないくらい興奮した映画があります。
「ファンタジア」です。
おそらくこの番組を、宮崎駿氏は、20歳頃に見たのだと思う。
手塚治虫さんは宮崎さんよりも、ひとまわり上なので、おそらく30歳の頃に、見たはず。
クラシック音楽なるものを生まれて初めてきいたのもこの映画がはじめて。
北海道の片田舎、岩見沢市。
クラシックの演奏する場所など札幌に行ってもなかった筈。
jazz喫茶や、クラシック喫茶ができてくるのは、この時から10年後だし。
レコード屋に行っても、たいしたものはなかった時代。しかも、おそろしくレコードは
当時高かった。
私の小遣いは、小学生の頃は、たしか、50円から100円くらいだったと思う。
少年サンデーやマガジンやキングを二冊買えば、もうそれで一ヶ月はおしまい。
だから、レコードの1000円というのは、とてもとても子供に買える値段ではない。
それに、宿舎にすんでいる貧乏なる数十人の仲間のなかに、レコードプレイヤーを持っている人など誰もいなかった。
テレビですら、まだ宿舎の中で持っているのは、半分くらいだったと記憶している。
私が、好きなレコードをコレクションしはじめたのは、就職して、自分の給料で少しずつ買えるようになっていった、23歳頃からだった。
そんなわけで、この映画には、自分なりの思い出がぎっしりつまっている。
大学生になって、バイトの金にて、ひとりで、横浜の大きなスクリーンでゆっくり見たことも また忘れられない思い出。
「ファンタジア」、ディズニーの最大の傑作だと思う。
この頃に、見た感動が、今の映画好き、漫画好きな私をつくりあげたんだなあ、と思います。
それに、当時、外国人なんかが、外を歩いているのを見た事がありませんし。
ウォルト・ディズニーが、最初でてきて、物語やその他いろいろなことを話しているのを見ていて、不思議で、ものすごく、ひきこまれたことを覚えています。
基本、クラシックが使われていて、今見ても、大人でも楽しめるアニメなのですが、
私は、特に、「神話」のシーンと、デュカの「魔法使いの弟子」のシーンが、強烈に、印象に残っています。
妖精。
禿げ山の一夜。恐ろしい巨大なる神々、悪魔、天使。
ギリシアの神々。雷を手でつかんでなげるなんて!!!
擬人化された自然の草木樹々キノコたち。
・・・・・・・
今のように、DVDもありませんし、岩見沢市には、恐らくこのファンタジアは来ませんでしたので、私の心に残ったこの名作のシーンの断片などは、いつも頭のすみにあって、いつか、また見たいなと、思っていたものです。
そして。
大学のある、横浜の猿渡という場所にアパートに住み始めた頃。18歳の頃。
ついに、横浜にこの「ファンタジア」が来る事になり、私は、菅田町の猿渡から、バスに乗る金も節約して、歩きで、横浜まで行きました。
たしか、はっきり覚えていませんが、片道2時間くらいはかかっていたと思います。
往復4時間もかけて、この「ファンタジア」をひとり、暗がりのなかで、見た、興奮と、幸福。
今でも、忘れられない、強烈な、青春の思い出。
この「魔法使いの弟子」のシーンが、再度、見る事ができたなんて!!!!
(氾濫をおこした、ほうき達が、ズンズンと、歩き始めるシーン、なんと恐ろしい)
ところで、ディズニーと、手塚治虫は、一度あったことがあったらしいですが、多忙なディズニーが、ちょっと、彼に会いに来た手塚に、挨拶をしただけで、行ってしまったらしいです。(手塚治虫は大のディズニーファン。彼の夢は、母親がノートの端に、ぱらぱら漫画を書いてくれていたことが影響だと思うのですが、漫画だけではなく、アニメシーョンでしたから・・)
「鉄腕アトム」の作者と、おそらく、知らなかったんではないでしょうかね。
それに、宮崎駿。
ディズニー亡き後の、ディズニープロ。
日本でも、大ヒットした、『アナと雪の女王』
ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ。トップのジョン・ラセターは、ピクサー時代からヒット作を連発する "生きる伝説" のような人物です。
ジョン・ラセターは、ピクサー、ディズニー、ディズニートゥーンの3つのアニメーションスタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサー。
ディズニーアニメーションのトップは、大の日本好き。
特にスタジオジブリは、『トイ・ストーリー』シリーズや『ファインディング・ニモ』を生みだしたピクサーと、会社ぐるみの付き合いをしているほど。
(宮崎駿氏のスタジオジブリで、働いていた女性と、知り合いだったので、よく聞いたのは、座業のせいで、いつも腰が痛いと言っていました。漫画家、そして、アニメのスタッフたちの、仕事環境は劣悪です。なんとかならないでしょうか。 国も、アニメなどを日本の文化として、世界に発信していこうと、本気で思うのならば、まずは、職場環境を変えて行かないと・・・・漫画家やアニメの関係している人は皆短命です。まずは、漫画・comicが、フランスのように、artなんだという世間の意識が、必須です。)
その、ラセターの人生を変えた映画は宮崎駿監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』
『ルパン三世』(ルパンさんせい)は、漫画家モンキー・パンチ原作のアニメ『ルパン三世』のTV第4シリーズ。日本では2015年10月2日から放送中していますね。
この「ルパン三世」の不二子ちゃん。
私の敬愛するマンディアルグの「オートバイ」のマリアンヌを参考にしています。
けっこう、昔の映画ですし、
もう、レンタル屋にもありません。
「あの胸にもういちど」
マンディアルグが原作ですから、かなり芸術至上主義的な作品ですから、映画も、独特の香りと、
雰囲気があって、私にはたまらない魅力を感じさせた映画のひとつです。
(マンデイアルグの傑作の「満潮」もまた、仏蘭西映画になっていて、私はいつも探していましたが、やっと最近見つけました。)
そして、この峰不二子のイメージの原型ともいえる、マリアンヌ・フェスフル。
なつかしき女優。
私も、この小説の現代「オートバイ」も、今でも愛読していますし、映画の「あの胸にもういちど」も何回も見ました。
フランス映画は、少し不条理だから、嫌いという人も多いですが、フランス映画はそこがいいのです。
合理的で、わかりやすいハリウッド映画だけではなく、是非、フランス映画の魅惑も、あじわってもらいたいものです。
マンディアルグ 「オートバイ」
「あたしの恋人の中には虎と神がいっしょに住まっている」 レベッカ
よく友人と会話する時に、最近の映画について、「同じ2000円だすのなら、何回も、いつでも、繰り返し楽しめる本の勝ちだな」と、映画よりも本の方がいいと言う意見が多い。
私もそう思う。
しかしながら。
映画の楽しみというのは、私は、物語や描写は当然として、出演者の「存在感」だと思っています。
だから、人間に味がまだ個性というものがあった60.70年代の女優・男優の出ているシネマについては、まだまだ語るところがあう・・・・
マリアンヌ・フェイスフル。
もと、ミック・ジャガーの恋人。
フランス映画が、大好きだった当時の私は、シルヴィ・バルタンや、ヴィリジット・バルドーや、ジェーン・フォンダなどにも、10代だった私は当然ひかれていくが、このマリアンヌ・フェイスフルの「あの胸にもう一度」は強烈に私にインスピレーションをもたらしてくれました。
こつこつ、澁澤龍彦や三島由紀夫や吉行淳之介を辞書を片手に、調べていく読書にあけくれていた私は、この奔放で気ままで、猫のようになげやりな本能のままに生きる彼女を見て、驚愕し、女性にはかなわないと思った。
映画は、二時間の夢だ、と思う。
映画館から出れば、日差しが強くて目が痛くなるように、退屈で何も起こらない現実がその当時は待っていたが、その二時間だけは、快楽に身をゆだねることができる。
スターはスターであってもらいたい。
このことはしかしすごいむずかしいことだとは思う。
日本ではあれば、吉永小百合や山口百恵を思いだすが、「なりきる」ことに昔の俳優は自分をかけた。
そこが彼らが色あせない理由だろう。
ちなみに、ルパン三世の峰不二子の、オートバイにまたがる「いい女」のイメージはマリアンヌを参考にしたらしいですね。
そしてまた、この映画とはまったく別の世界と私は考えています。
原作本のマンディアルグの「オートパイ」は敬愛するあまり三冊も同じ本を持っていいます。白水社版が二冊と、Uブックスが一冊。
緻密でこだわりのある文体のそれはまるでワタリガニのスパゲッティのように独特の香りが病み付きになる魅力を持っている本です。
「けっこう、珈琲もミルクもいらないわ。食べ物もいいわ。桜桃酒をちょうだい」 レベッカ
<マリアンヌの I'd Like To Dial Your Number 彼女は歌が上手いとは思わないが、ジリオラ・チンクェッティのような震える節回しが特徴で ファニーな彼女の魅力がよくでています>
ところで、恐竜。・・・・・・
美女は、いつでも、恐竜とか、キングコングとか、ぴったり似合います。
「恐竜100万年」の美女。ラクウェル・ウェルチ
「キングコング」の美女。ナオミ・ワッツ
モスラの、ピーナッツ姉妹。
あと。
ディズニー。「美女と野獣」
フランスドイツ映画「美女と野獣」というのも、ありました。
最後に、資料として、日本では子ども達に、大人気の「ジュラシック・パーク」シリーズの四作をアップしていますが、
個人的には、恐竜と美女の描き方。
そして、恐竜と恐竜の戦い。
不思議な昆虫のイメージなどなど、スピルバーグに対抗意識を持っているせいか、
個人的には、圧倒的に、こちらの映画が好きです。
「キングコング」
ナオミワッツは、父親のピーター・ワッツはピンク・フロイドのサウンド・エンジニアです。
私が一番すきな戦いのシーン。美女と野獣
「ジュラシック・パーク」などの四作と比較しても、負けず劣らず、いや、
もっと緊迫感覚のある、すさまじい映像になつています。
ご覧になった方も多いと思いますが、ジュラシックパークなどと比較しても興味深いと思われます。
監督の、ビーター・ジャクソンも、「ロードオブザリング」の監督ですから、さすがだと思います。第九地区というSF映画も好きでした。不思議と残っています。監督も知らずに見ていましたが。
良い監督を選んで良い映画をみてください。と、淀川さんの言葉をいつも思い出すのですが、レンタル屋に行くと、もう、わくわくして、そのことを忘れてしまいます。
いつも、女優さんの写真で選んでしまいます。
ナオミ・ワッツの美しさ、この「キングコング」でも光っていました。
バードマンでも、でていたらしいですね。まだ見ていませんが。
Birdman'
「the impassible」でも、また。
それでは、最後に、この美しき美女、ナオミ・ワッツとキング・コングのシネマの
懐かしきシーンを再試聴して、・・・・・・・・・・・・・
私は、キング・コングの洞穴で、ひとり、ナオミ・ワッツが、静かに風景を見ているシーン。実際にはそんなことはないのでしょうが、実に美しいシーンだな、と今でもはっきり覚えています。
2017年には、「キングコング」のあらたな新作が予定されています。楽しみです。
『コング:スカル・アイランド(原題)』(2017)[編集]
アメリカ映画。シリーズのスピンオフにあたる作品。ドクロ島を舞台に、コングの起源を描く予定。制作はレジェンダリー・ピクチャーズ。なお、配給は当初ユニバーサルが行う予定だったが、ワーナーブラザーズに変更された[2]。また、同社の作成した『GODZILLA ゴジラ』と世界観を統合し、将来的にはゴジラとキングコングの対決も視野に入れているという。監督はジョー・コーニッシュを候補としていたが[3]、ジョーダン・ヴォクト=ロバーツが起用された[4]。脚本はマックス・ボレスタインが担当。主演は、トム・ヒドルストンを予定している。
「 いい映画を何回も見る事が大切です。」 淀川長治。
FIN
◎資料クリップ
重量感のある恐竜たち
ジュラシック・パーク3
新作 ジュラシック・ワールド
◎資料
◎パークで飼われている恐竜は原作、映画ともに15種だが、映画では実際に登場する恐竜の種類は7種、名前だけ登場するのが3種、残りの5種は不明。続編ではさらに多くの種類の恐竜を生み出したことが明らかになっている。また原作ではパークの一部に恐竜以外にも古代の昆虫なども登場している。ヴェロキラプトル(ラプトル) Velociraptor
原作文中の記述によればヴェロキラプトル属のモンゴリエンシスである模様。ただし、映画版での造形は顔がよりズングリとしており、デイノニクスに近いものになっている。これは当時ヴェロキラプトルとデイノニクスは同一種とする説があったためであるが現在はこの説は否定されている。作中での主な呼称は「ラプトル」。この呼称はT-REXと共に以後メジャーになった。狩猟本能に長け空腹でなくともほかの動物を殺し、霊長類をも凌ぐ高い知能を持つ動物であると設定されている。主に後肢の大きく鋭い鉤爪を使って獲物を襲う。劇中では3頭登場し、1頭は冷蔵庫に閉じ込められ、残りの2頭はティラノサウルスとの戦闘の末に死亡した。小説版ではリーダー格の1頭はロバート・マルドゥーンにより「ビッグ・ワン(The Big One)」と言う愛称を付けられていた。パークでのこの恐竜を表す標識のデザインは、鉤爪の骨格。作中の独特の鳴き声は高音はイルカ、低音はセイウチの鳴き声を混ぜ合わせたものである。ちなみに、現在まで発掘された実際のヴェロキラプトルは、長い尾を除けば中型犬程度のサイズであり、本作における「ラプター」はユタラプトル等の大型種と同等のサイズとなっている。この点については、映画のムック本[8]にて、スピルバーグ自ら確信犯的に大きなサイズにしたとの言及がある。尚、デイノニクスやヴェロキラプトルは近年において羽毛恐竜であったと考えられているため、現在主流となっている想像図と本作のデザインとでは異なる印象を与える。『III』で外見が大きく変わっているのはそのためである。また、『III』では個体同士で会話が可能だという設定があるが、本作の時点でそれに近い描写がある(ビジターセンターで仲間を呼ぶときの鳴き声など)。
ブラキオサウルス Brachiosaurus
作中では後ろ足で立ち上がり、また、顎を左右にスライドさせて咀嚼する描写があるが、双方共に実際は骨格の構造上不可能だと考えられている。標識は二頭の首の骨格。本作のブラキオサウルスの正面顔は、「可愛く巨大なペット」というコンセプトに基き、微笑んでいるように造形されている。疲弊したアラン達に安心をもたらす存在として登場し、『III』に再登場する際も一行に希望を与えるような存在となる。
パラサウロロフス Parasaurolophus
湖沼の岸部でブラキオサウルスと共に群れている遠景のみの登場だが、続編以降は存在感をアピールする。
トリケラトプス Triceratops
呼称は「トライク」(Trike)。標識は正面を向いた頭骨。病気で倒れている一頭だけが登場。作中の設定では群れを成して行動する恐竜とされていたが、そういった場面は『III』でわずかに確認できるものの以後のシリーズ作品でも明確に描かれることは一度もなく、群れで行動するシーンはステゴサウルスが主に引き受けている。撮影ではトップバッターだった。
プロケラトサウルス Proceratosaurus
映像では未登場。マイナーな肉食恐竜。原作にも登場しない。胚保存室で名前だけ登場。
ステゴサウルス Stegosaurus
映像には現れない。また、劇中の表示では「Stegasaurus」と誤記されている。胚保存室で名前だけ登場。
メトリアカントサウルス Metriacanthosaurus
映像では未登場 。プロケラトサウルスと同じくマイナーな肉食恐竜。小説にも登場せず。胚保存室で名前だけ登場。
ティラノサウルス・レックス Tyrannosaurus rex
この映画を象徴する動物的な鳴き声は 「ゾウの赤ん坊の鼻息」、「ワニの唸り声」、「虎の咆哮」といった強大な動物を混ぜ合わせたもの[9]。スピルバーグの音に関するこだわりは強く、『ジョーズ』においても同様の演出が見られる。標識のデザインは本作のロゴにもなっている有名な上半身の骨格。T-REXという呼び名は、学問上用いられる二名法に基づく略称である。小説版ではロバート・マルドゥーンが「レクシィ(Rexy)」と言うニックネームを付けて呼んでいた。また小説版ではレクシィ(Rexy)の子供として2歳ぐらいのオスのティラノサウルスが登場している。この映画の影響でティラノサウルスのみ属名、種小名がメジャーなものになったが、勿論他の恐竜・動物に対しても用いる。パラサウロロフス・ワルケリ(Parasaurolophus walkeri)、未同定のプロケラトサウルス(Proceratosaurus sp.)など。作中では静止している獲物を視認できないとされている。この設定は、続編小説では読者の指摘もあってか変更されたが、映画版では『III』までしっかり継承されることとなる。また時速50キロ以上で疾走し、ジープに追いつきそうになる場面があるが、続編映画では走る速度が抑えられ、人間になかなか追いつけなくなっている。動きが素早いという設定は、視覚の設定とは逆に小説版においてのみ継承された。
ディロフォサウルス Dilophosaurus
映画ではサイズが実物より小さい(幼体の可能性もある)。呼称は唾吐きを意味する「スピッター」。原作の小説および映画の設定では、吐く毒は蛇毒血清で早急に処置しなければ失明の可能性がある強力なもの(映画ではより強力で致死性)。登場する恐竜の中では最もデザイン、習性などが脚色されている。鳴き声は白鳥。威嚇時はガラガラヘビとタカとホエザルを混ぜ合わせたもの。標識は作中にも登場しており、頭骨。4作目のジュラシック・ワールドにおいても、立体映像としてだが同じデザインで登場した。
ガリミムス Gallimimus
鳴き声はウマが基となっている。この恐竜のみ標識が骨格でなく、しかも全身のシルエットである。
プテラノドン Pteranodon
映画には登場せす、小説版で示された。また、映画でビジターセンターにあるレストランで昼食シーンで、壁にプテラノドンの鳥小屋のアートワークが示され、2作目に登場した古い廃墟の「ジュラシック・パーク」の壁絵でもプテラノドンが描かれており、イスラ・ヌブラル島にプテラノドンがいた事が示されている。
メガネウラ Meganeura
小説版にて登場した原始的な巨大トンボ。竜脚類のパドックの森で、ティムとレックスとグラントが遭遇した。レックスがこの生き物は何なのか、グラントに尋ねるとグラントは「トンボで、ジュラ紀は巨大な昆虫の時間だ」と答えていた。ただしメガネウラはジュラ紀以前に絶滅したとされている。
人間に危害が無いので、パークでの先史時代の感触の雰囲気を出すためにこの生物も造られ、パーク内に追加された。
生物再生の現実性[編集]
現実的には、琥珀に閉じこめられて地質年代を経た血球の核のDNAは損傷が激しいと考えられる。生物遺体のDNA情報は521年に半分の割合で失われるという研究があり、これに基づけば、数千万年前の恐竜時代のDNA情報はほぼゼロとなる[6]。琥珀中ではなく、剥製や永久凍土中に保存されている絶滅生物のDNAから情報を復元し、絶滅生物のクローニングを目指す研究は実際に行われマンモスなどはこの対象として良く取り上げられる[7]。
◎資料
『キング・コング』(2005)[編集]
詳細は「キング・コング (2005年の映画)」を参照
アメリカ映画。1933年の第1作に感銘を受け映画監督を志したというピーター・ジャクソン監督作品。主演はナオミ・ワッツ。これもやはり第1作のリメイクで、当時と同じ1930年代が舞台。コングがスカルアイランドで巨虫や肉食恐竜と激闘を繰り広げた後、見世物として連れて来られたニューヨークで大暴れするというストーリーも共通している。原作と本作によれば、「18.8mのキングコング VS. 16.8mのティラノサウルス」とある。
『コング:スカル・アイランド(原題)』(2017)[編集]
アメリカ映画。シリーズのスピンオフにあたる作品。ドクロ島を舞台に、コングの起源を描く予定。制作はレジェンダリー・ピクチャーズ。なお、配給は当初ユニバーサルが行う予定だったが、ワーナーブラザーズに変更された[2]。また、同社の作成した『GODZILLA ゴジラ』と世界観を統合し、将来的にはゴジラとキングコングの対決も視野に入れているという。監督はジョー・コーニッシュを候補としていたが[3]、ジョーダン・ヴォクト=ロバーツが起用された[4]。脚本はマックス・ボレスタインが担当。主演は、トム・ヒドルストンを予定している。
◎トロオドン・フォルモスス
トロオドン・フォルモススは、小さいコエルロサウルス類の恐竜で、現代の鳥と同じ進化系統に分類される。巣にいる親と卵の化石が発見されており、その繁殖方法がワニ類や鳥類の繁殖方法に似ていることで注目を集めた。
科学者は、トロオドンが地上の巣に一定周期ごとに2個の卵を産み、体温で温めて孵化させたと考える。この行動は、トロオドン以前に存在していた近縁種(ワニ類)とその後に現れた近縁種(鳥)とを結ぶ、進化における重要な役割を担っていた可能性を示す。
トロオドンは、小さい体のわりには脳が大きく、恐竜の中で最も賢い種の1つであったと思われる。その脳が体に占める比率は現存する爬虫類より大きく、比率が近い現代の鳥と同じくらいの知能を持っていたものと考えられる。
トロオドンは、2本の長い後ろ足で歩き、小さなトカゲや哺乳類、無脊椎動物などを食べていた。狩りをするときには、暗闇でも視力を発揮する大きな両目と3本の指のある前足が役に立っていたと考えられている。
1284個の太陽系外惑星の存在
NASAが、新たに1284個の太陽系外惑星の存在を確認したと発表しました。すべてケプラー宇宙望遠鏡が発見したもの。ケプラー宇宙望遠鏡は2015年までに1030個の惑星を発見していましたが、今回の発表でその数が一気に2倍以上に増加しました。
また、確認された惑星群のうち550個は地球のような岩石質の大地があり、さらに9つの惑星は、ハビタブルゾーンと呼ばれる、生命の誕生に適した環境に位置していることがわかっています。
これほどまでに大量の惑星の存在を一気に確認できたのは、コンピューターによる自動確認プロセスを導入したから。このプロセスでは観測から得られた惑星候補のデータをコンピューターで統計的に分析し、確度99%と判定したものは自動的に惑星として認められるとのこと。
コンピューターだけで大丈夫かという気もするものの、動作試験では確認済みの惑星984個をきちんと見分けており、その実力は折り紙つきと言って良さそうです。もちろん選にもれた惑星候補のなかにもわずかながら惑星が存在する可能性が残ります。ただほかにもまだまだ大量の惑星候補が確認作業の順番待ち状態であることから、NASAはそちらの分析を優先させるとしています。
NASAの宇宙物理部門ディレクター ポール・ヘルツは「ケプラー宇宙望遠鏡の運用開始以前は、太陽系外惑星が希少なものなのか、また普通に存在するのかすらわかっていませんでした。しかし現在では、ケプラー宇宙望遠鏡と観測チームの働きによって、恒星よりも惑星のほうが多く発見されるようになりました」と語りました。
今回の発表によってこれまでに確認された太陽系外惑星約3200個のうち2325個を発見したことになるケプラー宇宙望遠鏡は、現在も恒星の前を惑星が通過した時の光量の変化などから惑星の存在を発見するトランジット法での惑星探査を続けています。また後継となるトランジット系外惑星探索衛星(TESS)も2017年に打ち上げ~2018年の稼働を控えており、地球型惑星の発見ミッションを引き継ぐ予定になっています。
いまだ地球外生命の存在は確認されていませんが、こうした惑星分析の積み重ねのなかから、いつか地球とそっくりで生命あふれる惑星が発見されるかもしれません。